戦国武将、織田信長のルーツとされる福井県越前町の剱(つるぎ)神社付近で、信長の十数代前の先祖といわれる「親真(ちかざね)」(生没年不詳)の没年を記した墓石の銘文が確認されたと1日、町教委が発表した。親真を平清盛のひ孫とする説について、刻まれた没年と食い違うことから、信長の先祖は平氏ではなく、剱神社の神官とする説が強まったとしている。「信長平氏説」をめぐる議論に一石を投じそうだ。
町教委によると、墓石は同神社近くの法楽寺で出土した石造物233点の一部。墓の台座とみられる破片に「喪親真阿聖霊正應三年庚刀二月十九日未尅」、側面に「孝子七月吉日」と銘文が彫られていた。「親真は正応3(1290)年2月19日に死去。孝行な子どもが5カ月後の7月に建造した」と読めるという。
午後1〜3時を示す「未尅(ひつじのこく)」など詳細な表記のほか、材質が鎌倉〜南北朝時代に地元でよく使われた石材に酷似し、銘文の文字配置も当時の特徴を示していることから、町教委は親真の死亡年を記載したものと断定した。
信長の家系図は20種類以上伝わっており、多くが親真を信長の先祖としているが、親真を剱神社神官の忌部(いんべ)氏の直系とする説と、壇の浦の戦い(1185年)で死んだ平資盛(すけもり)(清盛の孫)の実子で、近江(滋賀県)から剱神社に養子に来たとする説とがあった。