東日本大震災

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東日本大震災:菜の花の種届く 岩手に中越地震の恩返し

「どこに植える?」「育てた後どうする?」。菜の花の種と手紙を手に笑顔を見せる県立宮古水産高校の生徒たち=岩手県宮古市で、三木陽介撮影
「どこに植える?」「育てた後どうする?」。菜の花の種と手紙を手に笑顔を見せる県立宮古水産高校の生徒たち=岩手県宮古市で、三木陽介撮影

 必ず希望の花を咲かせます--。東日本大震災で今春の卒業生、在校生計3人が死亡・行方不明の岩手県立宮古水産高校(宮古市)に中越地震(04年)の被災地、新潟県小千谷市の市民から菜の花の種が届いた。中越地震の時、高校で作ったサンマの缶詰が救援物資として届けられ、その恩返しの贈り物。菜の花の花言葉は「希望」。生徒たちは「励まされました。暖かくなったら種をまきたい」と心待ちにしている。

 宮古水産高は1895(明治28)年に創立された。缶詰は授業の一環で明治期から作っており、学校の文化祭や地元市場での販売が中心だが、宮古では「知る人ぞ知る」逸品だ。中越地震で小千谷市の避難所に届けられて好評だった。「学校から送ってはいないが、地元で持っていた人が送ってくれたのだと思う」(金野仁校長)

 今回の大震災を受け、小千谷市の青年会議所が「おぢやからの恩返しプロジェクト」と名付けて市民から被災地への救援物資を募集。物資提供者に菜の花の種を配った。それを受け取った小千谷市民の一人が半分を同校に送った。同封の手紙には「残り半分は私もプランターに植えたいと思います。菜の花が被災地の小さな支えになってくれれば幸いです」と書かれていた。

 宮古水産高は実習船9隻が流失したり、漁業実習施設が損壊するなどの被害もあった。生徒会はこの種を「希望の種」として育てる予定で、生徒会長の井戸端愛莉(えり)さん(3年)は「送ってくれた人と成長記録を交換したい」。差出人は「越後の『種蒔(たねま)く人』」とだけあった。井戸端さんは「ぜひ名前を教えてほしい」と話している。【三木陽介、伊澤拓也】

毎日新聞 2011年4月15日 19時39分(最終更新 4月15日 21時06分)

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