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事件
【正論】社会学者・加藤秀俊 風評被害あれば「風評加害」あり
≪オイルショック時と変わらず≫
あのころの第一線レポーター各位はすでに定年退職なさっているのだろうが、子の世代にあたる諸君が40年たって、またおんなじことをやっているのである。いろんなものの品不足が大事件、それをひたすらご注進におよぶのがテレビという代物なのである。親子ほどの年齢差があって、レポーターの芸はいっこうにかわらない。
もちろん、テレビ局の報道陣には正々堂々たる言い分がある。すなわち、スーパー、コンビニの店頭から納豆が消え、おにぎりがなくなったのは「事実」であって、そのありのままを映像で報道したのだ、とかれらは胸を張っていう。だが、ほんとうにそうか。どうもそのあたりマユツバものだ、とわたしはおもうようになってきた。なぜなら、かれらはスーパーを訪ねて納豆がないことを発見したのではなく、納豆のないスーパーをさがして「取材」していたかのようにみえるからである。
特定の店で納豆が品切れであったことは「事実」だから、これを「ヤラセ」とはいわない。だが、わざわざ納豆のない店をえらぶというのはみずからに「ヤラセ」をさせているのである。いうなれば「自己ヤラセ」である。自己演出である。その自己演出がトイレットペーパー騒動の原因であった。当時のテレビはその「偏向」を反省して視聴者に詫びた。
おにぎり、納豆のたぐいの品不足についての「自己ヤラセ」は2、3週間で終了したが、おなじような「報道」はつづいている。たとえば、汚染をおそれて消費者が新米を買わず、去年のコメを大量に買うようになった、という。それを深刻そうな表情で語る米穀商の主人の顔が大写しで画面にでる。だが、ほんとにそうか。ウソではあるまいが、偏向している。
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