この国と原発

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この国と原発:第3部・過小評価体質/3 細る過酷事故研究

無人ヘリが2011年4月10日に撮影した福島第1原発3号機の原子炉建屋。日本でもシビアアクシデントが現実のものとなった=東京電力提供
無人ヘリが2011年4月10日に撮影した福島第1原発3号機の原子炉建屋。日本でもシビアアクシデントが現実のものとなった=東京電力提供

 ◇最悪から目そむけ

 「津波対策の目標は5メートルだったが、15メートルの津波が来てしまった。こういう場合、どんな対策をすればよいのでしょうか」

 東京電力福島第1原発事故から1カ月余りの4月下旬、東電幹部が宇宙航空研究開発機構(JAXA)を非公式に訪ねた。宇宙開発も原発のような巨大システムを操り、大事故と背中合わせにある。

 JAXA側は人の手が届かない宇宙での安全対策について、ロケットや国際宇宙ステーションを題材に説明した。「まず最悪のシナリオを考え、その対策から検討を始める。人命に影響を及ぼさないことを最大の目標に据え、無人ロケットの指令破壊などミッション放棄も選択肢にある」

 JAXA関係者は「原発では『津波想定5メートル』や『全電源喪失は考えなくていい』など、国から与えられた条件や規制に従っていれば、あとは考えなくていいという発想だったように感じた。廃炉になってもいいから放射性物質の拡散だけは防ぐ、という目標もありえたかもしれない」と振り返る。

 福島第1原発事故のように、打つ手がないまま原子炉内の核燃料を冷やせず重大な損傷に至る過酷事故(シビアアクシデント)は、原発にとってまさに最悪のシナリオだ。原発関係者からは「想定外」との言葉が相次いだが、過酷事故研究が専門の杉本純・京都大教授(原子炉システム安全工学)は「日本には、シビアアクシデントは解決済みという誤った風潮があった」と指摘する。

 過酷事故の危険性は米国で75年に提唱された。当時は「現実にはあり得ない」として軽視されていたが、79年の米スリーマイル島原発事故で現実のものとなり、欧米で対策の研究が始まった。日本では、86年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故以降、過酷事故研究が本格化した。

 杉本教授は日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)で92年から6年半、過酷事故研究の炉心損傷を担当する室長として、ピーク時には三つの大型プロジェクトを同時に進めた。当時の国からの研究予算は年数億円に上り、約30人の研究者たちを抱えた。だが、03年ごろに電力会社が自主的に取り組む過酷事故対策の整備が終わると、予算は激減。杉本教授が所属していた部署の今年度の予算は2000万円弱に落ち込み、研究者らも3人程度に減った。

 杉本教授は「当時の研究は、機器の故障など発電所内のトラブルが原因で起こる事故が中心で、地震や津波など外部の要因によるものは対象でなかった。最新知見に基づき、シビアアクシデントを継続して追いかける動きが、極めて弱かった」と振り返る。

 福島第1原発事故を受け、国は電力会社の自主努力としていた過酷事故対策の義務化を決めた。だが、安全研究を専門とする人材は枯渇しかけている。ある専門家は「メーカーも景気が悪化すると、真っ先に安全対策スタッフを解雇してきた」と指摘する。

 杉本教授は訴える。「今の日本にはシビアアクシデント研究に携わる研究者も予算も少ない。シビアアクシデント研究者の養成が喫緊の課題だ」=つづく

毎日新聞 2011年10月31日 東京朝刊

 

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