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114 人中、105人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
待ちに待った出版だ。,
By 暁光 (日本) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く (単行本)
さて「ショックドクトリン」の邦訳は何故長く出版されなかったのだろうか。妨害でもあったのだろうか。
この本で、その外国では、市場原理主義の政権が凋落したとも言われている。日本でも起きてほしい。グローバルな災害資本主義の手先や陰謀の手口が明らかになる。 歴史や公共性を崩壊させる新自由主義 -------------------------------------------------------------------------------- 日本の国力は急激に低下しつつある。わが国経済が全体的に収縮し、国民一人一人への配分自体が減少し、未曾有の格差社会を増殖させている。 世界情勢においては偶然は存在しない。とくに経済政策は一見、経済理論と現実には隔たりが見えるようでありながらも必ず因果関係がある。たしかに自然災害など偶然が経済に干渉することはある。だが、強力な経済理論はそうした偶然さえ必然として絡めとってしまう。 私がここで念頭に置いているのは、いま世界を席巻している新自由主義あるいは市場原理主義という経済理論だ。新自由主義の三本柱は「規制緩和」「民営化」「公共予算の削減」である。新自由主義はこの三本柱によって国家の市場への介入を最小化し、市場に任せておけば経済はうまく回るという「レッセ・フェール」(市場放任)の立場をとっている。 しかし、それが現実政治に適用されるとき、アダム・スミス流のレッセ・フェールとは似ても似つかぬ新自由主義のカルト性が姿を現すのだ。 ここに1冊の本がある。カナダのジャーナリストであるナオミ・クライン女史が書いた『The shock Doctrine』である。同書はニユーヨーク・タイムズのベストセラー欄の上位を長らく独占していた。日本ではまだ翻訳は出ていないが、アメリカ本国でこの衝撃的な「新自由主義の本質」に鋭く迫った本が出版され、しかもベストセラーになっているというのは、一つの時代の転機といえるだろう。 彼女によれば、新自由主義とは結局、破壊と衝撃を与えることによって歴史性や公共性を崩壊させ、強引に更地(さらち)にしてすべてを私物化していく手法だ。 ◆フリードマンという教祖 この新自由主義の教祖はミルトン・フリードマンである。彼が教鞭を執ったシカゴ大学経済学部の入り口には、「経済とは測定だ」と銅版に記してある。ここからも、このシカゴ学派が工学的発想にもとづいた人為によって社会を構築できるという思想を蔵していることがわかるだろう。 フリードマンは、1912年生まれのハンガリー系ユダヤ人移民の子である。彼は、新自由主義こそが完璧なシステムであり、市場を政府の介入から救い汚染されていない資本主義へ回帰することによってユートピアを実現できると考えた。 彼の提唱した新自由主義とは、政府のあらゆる規制を撤廃し、政府財産をすべて売却し、社会政策の予算を大幅に削減し、税率も最小限かつ貧富の格差に関係なく一律とすることである。ここにおいては、すべての価格は賃金も含めて市場が決めるのであり、医療保険、郵便局、教育、年金といった公共の福祉に関するものもすべて民営化すべきだと説いた。 フリードマンによると、政府がもつのは警察と軍隊で十分ということになるのだ。 では、この理論は現実にどのように適用されたのだろうか。 一番よい例が、2005年にルイジアナ州を直撃したハリケーン「カトリーナ」の災害復興だ。当時93歳のフリードマンは、いわば人生最後の政策提言として『ウォールストリート・ジャーナル』に寄稿している。 それによると、ニュー・オーリンズの学校が破壊されたことは悲劇ではあるが、これは教育制度をラディカルに改革する機会である。公共の学校を復興するのでなく、この災害を奇禍として、バウチャー(引換券)を各家庭に配布し、私立の教育機関(チャータースクール)を設立し、このバウチャーを活用することによって教育の民営化を促すべきだとした。 このフリードマンの提言を受けて、ブッシュ政権は学校を民営化するための資金を数千万ドルにわたって投入した。ところが、現在、アメリカにおいてはチャータースクールによって教育が二極分化しており、教育の低下が社会階層の固定化に結びつき、かつて公民権運動で勝ち取られた成果が無に帰しつつある。ニュー・オーリンズではカトリーナ前に123校あった公立学校はわずが4つになり、7つしかながった私立学校が31にまで増えた。こうしてニュー・オーリンズは私立教育機関設置の実験場とされた。「公共」の制度を潰して「私」の制度に置き替えていったのだ。 これは日本にとって対岸の火事ではない。 途中で潰えたものの、昨年の安倍政権がやはり教育バウチャー制度を導入しようとしたことを思い出すべきだ。起訴休職中の外務事務官・佐藤優氏は、保守主義と新自由主義の間で股裂きになったのが安倍政権の自壊という現象だと指摘したが、まさに現下の日本の格差社会・貧困社会化には新自由主義の影響がある。こうした事態に対して無自覚であることは政治家にとっては許されない怠慢である。 ここで、急激な民営化に「カトリーナ」という災害が巧妙に利用されたことに注目して、クライン女史はこれを“Disaster Capitalism”、すなわち「災害資本主義」と名づけている。 ◆新自由主義は共同体を根こそぎ壊滅させる危険思想 フリードマンは「危機のみが真の変化をもたらす。危機が起きれば、現在ある政策の肩代わりを提案して、政治的に不可能であったことを、政治的に不可避なことにしてしまう」と述べている。いわば、災害に備えて缶詰や水を備蓄しておくのと同様に、災害に備えて新自由主義政策を一気に進めるべく政策を準備しておくというのだ。 このような発案のもとには、フリードマン自身の経験が影響していると見られる。 70年代の半ば、彼はチリの独裁者ピノチェト政権の顧問をしていた。ピノチェト政権にはシカゴ大学経済学部の出身者が大量に登用されており、「シカゴ学派の革命」とも呼ばれた。事実、ピノチェト政権においては減税、自由貿易、民営化、社会政策予算の削減、規制緩和が急激に行われたのである。これらはスピードが大事であるとして、1度にすべてを変えてしまうという方法が採用された。 ここから“ショック療法”という概念が新自由主義に滑り込んできたのである。独裁政権下においては、それは、経済的ショックと同時に拷問という肉体的ショックとも併用されて新自由主義改革が進められた。「敵の意思、考え方あるいは理解力を制御して、敵を文字どおりに行動あるいは対応する能力を失わせる」という“ショック・ドクトリン”が生まれたのである。 クライン女史は、実証的に新自由主義がこの“ショック・ドクトリン”によって推進されてきたことを明らかにしている。たとえば、スリランカにおけるスマトラ沖地震による津波被害の復興である。そこでは被災者をパニック状態に落とし込む一方で、海岸線をリゾート化する計画が進められていた。ニュー・オーリンズでもやはり住民の土地・家屋を修復することもなく、ただ更地にすることだけが進められたのである。 新自由主義にとって邪魔なのは市場原理主義に反するような非資本主義的行動や集団である。そうした非資本主義的集団として、地域共同体や歴史や伝統に根ざした「共同体」が存在するが、新自由主義はこうした集団を徹底的に除去する。災害復興の名目で公共性、共同体を奪い、被災者が自らを組織して主張を始める前に一気に私有化を進めるのである。 これは、日本で行われた新自由主義改革とも一致している。 郵政民営化は、公共財産である郵政事業を民営化するという典型的な新自由主義政策であった。民営化後、郵便局にはテレビカメラが取りつけられ、『郵政百年史』といったような郵政の歴史と文化を記した本も撤去されている。 ショージ・オーウェルが『1984年』で書いたような、きわめて不自然で歴史性を欠いた組織に一気に改変されている。オーウェルは「われわれはあなたを完全に空っぽにし、その体にわれわれを注入する」と不気味な予言をしている。 ◆“ショック・ドクトリン”から見えてくる世界 衝撃を与え、一気に新自由主義改革を進めるという“ショック・ドクトリン”から世界を見ると、世界は今までとは異なる姿で立ち現れてくる。「改革」のために平然と人権侵害が行われてきたことに気づくのだ。 アルゼンチンでは3万人を抹殺して、シカゴ学派の提唱する政策を実現した。1993年にはエリツィン政権下のロシアで国会放火事件が起き、その後、国有資産は投げ売りされ、「オリガルヒア」という新興の超資本家が生まれた。1982年のフォークランド紛争も、炭鉱労働者のストライキを敗北して西洋で最初の民営化を強行する結果になった。1999年のNATOによるベオグラード空爆も、結局、旧ユーゴでの民営化に結びついたのである。 アジアでは1998年にアジア通貨危機が仕掛けられたが、これによってIMFが介入し、民営化するかさもなくは国家破綻かが迫られた。 その結果、国民の意思ではなく、日本の経済財政諮問会議のような一部の「経済専門家」と称する新自由主義者によって国の政策が支配されることになったのである。 また、天安門事件の大虐殺も“ショック・ドクトリン”の一環と見ることもできる。事件の前年の9月、フリードマンが北京と上海を訪問している。中国が中国流の“ショック・ドクトリン”を利用して開放路線を発動したと考えられるのだ。今年の四川大地震では、現地は復興特需に経済が活発化しているという話も聞こえてくるのだが、中国版災害資本主義が発動されている可能性は高い。 かつて、アイゼンハワー時代にはアメリカ国内ではこの“ショック・ドクトリン”は適用されていなかった。おそらく軍産複合体の行き過ぎを懸念したのである。しかし、レーガノミックスを経た95年ごろから、ネオコンが中心になってショック療法型の経済政策が本格化する。 そして、「9・11」のとき、大統領府はフリードマンの弟子たちで埋め尽くされる。ラムズフェルド国防長官(当時)はフリードマンの親友である。「テロとの戦い」が叫ばれ、恐怖が煽られた。そして何が変わったか。軍隊の民営化、戦争の私有化である。戦地を含む治安維持関連の民間外注が2003年には3512件、2006年には11万5000件にまで増えた。 現代の新自由主義下においては、戦争の経済的役割がまったく違ったものになった。かつては戦争によって門戸を関放し、その後の平和な時代に経済的に干渉するという手法であったが、いまや戦争自体が民営化され、市場化されているのである。だから、確実に儲かる。 クライン女史によると、現にイラクではPMC(プライベート・ミリタリー・カンパニー)が米正規軍13万人に対して40万人を派遣しており、ハリバートン社は2007年には200億ドルの売り上げをあげ、アメリカ資本のみならずイギリスやカナダ資本も戦争ビジネスで潤っているという。カナダのある会社はプレハブを戦場に売ることで儲け、危険な戦場で働く人のために保険会社が莫大な売り上げをあげているとのことである。 このように見てきたとおり、新自由主義はその「リベラル」で柔らかいイメージとは裏腹に政治的自由とは一切関係なく、それどころか、災害がないならば災害を起こせばよい、ショックを与えて一気に改革を進め、共同体も歴史性も破壊し、市場原理主義というのっぺりとした原則だけで動く世界を構築しようという危険な思想である。 新自由主義者にとっては、そのような共同体も歴史も存在せず、無機質で根無し草的なただ市場原理だけで説明ができる世界というのは、ユートピアに見えているのかもしれない。だが、人間はそのように合理性だけで生きている存在ではない。非合理的感情や共同体意識、歴史性があってこそ人間であり、そうした矛盾も非合理も抱え込んだ人間存在の幸福をはかるのが「政道」である。 ◆新自由主義という名のカルト的危険思想 新自由主義が達成する世界観は、脳に電気刺激を与える人体実験の思想に酷似している。1950年代にCIAがカナダのモントリオールの精神科医とともに人体実験を行ったことが情報開示によって明らかになった。人間の心を人為的に制御することができるかという実験を行っていたのである。1988年には9人の元患者から提訴され、アメリカ政府は75万ドルの賠償金を支払い、カナダ政府は1人10万ドルの賠償を行った。 1940年代、ヨーロッパと北アメリカでは脳に電気刺激を与えるという療法が流行した。脳の切除を行うロボトミー手術よりも永久的なダメージが少ないとされたが、このショック療法においては記憶喪失が起こり、幼児に戻るような後退現象が見られた。この後退現象にCIAが目をつけ、1953年には2500万ドルの予算で人体実験を行った。 これこそが新自由主義のアレゴリーである。記憶を抹消し、まっさらなところに新しい記憶を与えること、これこそが新自由主義の本質であり、危険なのである。 新自由主義は支出を削減し、あらゆる部門を民営化し、意図的に景気後退を生み出す。こうしてショックを与え、さらに新自由主義改革を推し進め、共同体、公共圈を破壊する。そして、歴史性も共同体も失われたところに、市場原理主義を植えつけていく。 こうした新自由主義十字軍ともいうべきカルト的危険思想に、遅まきながらも、世界はようやく気づきだした。ピノチェトですら、政権後期にはシカゴ学派の言うことを聞かなくなった。民営化した鉱山会社はアメリカ資本の傘下に置かれ、国の収入源は民営化しなかった銅山会社だけになってしまい、国民の45%が貧困層になったからである。現代の中南米は明らかに、新自由主義と決別する方向に動いている。 ◆いまこそ新自由主義に抵抗する救国勢力の結束を! こうした一連の新自由主義の動きは、ここまで過激ではないにしろ、着実に日本の中でも起きている。たしかに「9.11」や拷問といったような過激な手段は、いまだとられてはいない。しかし、新自由主義に反対する政治家が国策捜査によって政治から追放され、刺客選挙が行われ、郵政民営化をはじめとする小泉・竹中による新自由主義改革によってわが国経済・社会は着実に後退した。幸い、日本は中間層が厚く一気に貧困社会となることはなかったが、非正規雇用、ニートといった潜在的失業率はかつてないほど高まっている。中産階級は劣化し、地方と東京都の格差は拡大の一途をたどっている。 もはや限界は明らかだ。「過ちを改めざるを過ち」と言う。信念の人であれば思い改めることも可能であろうが、カルト相手には決然と戦いを挑まねばならない。新自由主義は将来の発展のために「今は痛みに耐えよ」と言う。だが、その将来とはいつなのか。その間にわが国の共同体、同胞意識は次々に破壊されていく。このままでは、もはや回復不能なまでに破壊されるだろう。 新自由主義に反対の声をあげる者は、旧態依然の「抵抗勢力」と呼ばれる。 だが、市場が原理である必然性などない。公共の学校があってもよいではないか。国営の石油会社が存在して、エネルギーを安定供給することは悪いことなのか。郵便局が国営で何か悪いのか。世の中には自らの責任ならずとも不遇の立場に置かれている人もいる。それらをすべて自己責任であると切って捨てるのが政道なのか。経済的な不平等を解消するために税を徴収し、再配分することは許しがたいことなのか。 われわれはいまこそ、新自由主義に対して決然と「否」を突きつけるべきである。われわれは記憶を抹消され、ロボトミー化されて、市場原理主義しか考えられないような存在となることを望まないからである。新自由主義に対する戦いは人間らしい生存を回復する戦いである。われわれは抵抗しなければならない。 「抵抗勢力と呼ばば呼べ」――われわれは人間性を抑圧する市場原理主義にあくまで抵抗する。来るべき政界再編は、自民党か民主党かなどというレベルのものであってはならない。それは新自由主義に抵抗する救国勢力の結束による日本の再編でなければならないのだ。大震災もあり、禍を転じて福と為す好機である。原発の暴走の真の原因と外国勢力の跋扈の本質を,この本で知ることが出来る。 この本が日本語で出版されたことは、救国勢力を結束させる最良の指南書を得ることになった。 待ちに待った。「月刊日本」平成20年十月号に「新自由主義に抵抗する救国勢力よ、結束せよ!」と拙論を載せて、ナオミ・クライン女史の「ショックドクトリン」を紹介した。「新自由主義の本質」に迫る本が、米国でベストセラーになっているのは、一つの時代の転換と言えるだろう、と書き、「新自由主義とは、結局、破壊と衝撃を与えることによって,歴史性や公共性を崩壊させ,強引に更地にして全てを私物化していく手法だ」とも書いた。 次の十一月号で、森田実氏と対談をして、ショックドクトリンについて再度言及した。森田氏は、「ケインズの「雇用、利子および貨幣の一般理論」、更に言えばカール・マルクスの「資本論」、アダム・スミスの「国富論」に匹敵するほど重要な本なのではないか、と思うほどである。(中略)アメリカの市場原理主義者達が次々と転向しているという話を耳にした。”フリードマンよ、さようなら!”運動が起こっている。有名なネオコンまでもが自己批判したともいう。同書は、アメリカとヨーロッパの思想を変えつつあると言っても過言ではない。」と絶賛した。 クライン女史のホームページに日本語への翻訳予定ありと発表されたが、しびれをきらしてツィッターで、日本語版の出版はどうなるのかと尋ねたのが八月のことだ。まもなくだとの返事を頂戴して、ようやく九月に岩波書店から上下二巻の大冊として出版された。上巻は売り切れ、重版予定だ。上下で税抜き五千円もするが、反響は想定通りだ。 上巻の帯に、次のように書かれている。「本書は、アメリカの新自由主義がどのように世界を支配したか、その神話を暴いている。ショックドクトリンとは、「惨事便乗型資本主義=大惨事につけこんで実施される過激な市場原理主義改革」のことである。アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとがショックと茫然自失から冷める前に、凡そ不可能と思われた過激な経済改革を強行する・・・・・。ショックドクトリンの源は、ケインズ主義に反対して徹底的な市場原理主義、規制撤廃、民営化を主張したアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンであり、過激な荒療治の発想には、個人の精神を破壊して言いなりにさせる「ショック療法」=アメリカCIAによる拷問手法が重なる。」とある。下巻の帯には、「ショックドクトリンは、一九七〇年代チリの軍事クーデター後の独裁政権のもとで押しつけられた「改革」をモデルとし、その後、ポーランド、ソ連崩壊後のロシア、アパルト政策廃止後の南アフリカ、更には最近のイラク戦争や、アジアの津波災害、ハリケーン・カトリーナなど、暴力的な衝撃で世の中を変えた事件とその後の「復興」や(IMFや世界銀行が介入する)「構造調整」という名の暴力的改変に共通している。〇四年のイラク取材を契機に、四年をかけた努力が結集した本書は、発売後すぐ、絶賛する反響が世界的に広がり、ベストセラーとなった。
25 人中、24人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
自由市場主義者の欺瞞を暴く教科書,
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レビュー対象商品: ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く (単行本)
自由市場主義を標榜するアメリカや先進国の欺瞞を告発する本書は、これまで私の頭の中にあった漠然とした先進諸国の「汚い」やり方に対する不満や不信感の所在を浮き彫りにし、鮮やかに示してくれた。 ショック・ドクトリンとは大きな自然災害、戦争、経済混乱など社会を騒然とさせる事象が発生した際、人々が茫然自失の状態にある中、被害者が自分たちの権利を結束して言い立てる暇を与えず、その隙に一挙に政治・経済・社会の在り方を変えてしまう、つまり、どさくさまぎれに過激な市場原理主義改革を実行に移す火事場泥棒である。その総領はミルトン・フリードマン。ショック・ドクトリンには自然災害など受身の惨事だけでなく、戦争や経済危機のように、回避できる(回避しなければならない)騒乱を意図的に引き起こし、そこに便乗する利益追求も含まれる。これまでも金融資本による陰謀論などが囁かれてきたが、本書は、積み重ねられた「事実」から見えてくる構図を理路整然とまとめあげている。陰謀論のような多分に予想を含んだ論旨ではなく、整合性が保持され、説得力を持っている。 著者のNaomi Kleinはカナダ在住のジャーナリスト。歴史の「事実」のみに注目し、そこから見えてくる共通の過程を徹底的に吟味・検討を加えることで本書を貫く原理を見つけ出した。私はアジアか中東あたりの東洋からこのような書籍が出るだろうと予測していたが、カナダだった。何故カナダなのかを考えるのも面白いと思う。原題は『The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism』。惨事便乗型資本主義と翻訳されている。本書の英語版初版は2007年。既に4年以上の歳月が過ぎて翻訳本が出た。スペイン語、ドイツ語は翌月に、イタリア語では翌年翻訳本が出ている。本書が、現在進行中のアメリカやヨーロッパの市民運動の火付け役になっているとすれば、それらの活動は日本より4年進んでいることになる。火事場泥棒のようなやり方は世界各国で非難の対象になっている。 本書に取り上げられている歴史的事実として、自然災害では2004年のスマトラ沖地震、2005年のルイジアナ州を襲ったハリケーン「カトリーナ」の被災後の様子が克明に記録されている。スマトラ沖地震で大津波に襲われた地域では、村の再建を目指した数十万の漁民を海岸沿いから追い出し、外国投資家、国際金融機関が大規模リゾート地帯にしてしまった。ニューオーリンズも同じような結果になっている。 戦争では9.11後のイラク攻撃について突発的なものではなく、1970年代南米ラテンアメリカ諸国で展開された経済改革について分析を加え、「経済改革、軍事クーデター、暴力的な弾圧」という3つのショックをセットにした強制的な変革が雛形として存在していた事実から、同じ手法がより大規模な暴力を伴って30年後に実行にされたのがイラク戦争だと分析する。地理的にもかけ離れた南米と中東、30年というタイムラグなどを超越して、共通して見えてくるのがショック・ドクトリンである。ショックの目的は何か。アメリカはイラク攻撃を「衝撃と恐怖作戦」と呼んだが、初期はイラクが保有している大量破壊兵器を見つけ出すのが大義だった。それが途中からテロとの戦いに変化していった。イラクには大量破壊兵器はなかった。アメリカは何を求めてイラクまで赴いたのか。「衝撃と恐怖作戦」の前後で変化した事実を比較することで明らかにしている。イラクは2003年3月から2004年5月の僅かな期間で完全に自由市場化された。それまではイスラム圏に属し、市場経済からは一定の距離を置いていた。統治に当たったイラク暫定政府(CPA)は関税・輸入税を撤廃し、200社の国有企業は例外なく民営化された。外国資本によるイラク企業の100%所有が可能になった。外国資本が得た利益の海外送金が認められ、100%自由化された。これが事実だ。イラクは資本にとって魅力的な植民地になったのである。 著者はショック・ドクトリンの本質を、復興という名の下、その地に根ざした地域社会を一掃し、時を置かずそこに企業版新エルサレムを建設することだったと喝破する。 さて、ショック・ドクトリンという物差しで日本を取り巻く状況を観察し直すと、現在進行形の事象で留意しなければならない点がいくつか思い浮かぶ。 まず、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加であるが、農業の問題だけに焦点が行きがちだが、実態は医療、労働、雇用など社会の根幹を支える制度改革も包含している。TPPへの参加はショック・ドクトリンの射程に含まれるということを意味している。参加の可否はそのようなリスクがあることを十分理解した上で決定する必要があるだろう。 また、東北大震災と原発事故処理が「復興」という名の下、被災者不在、企業の利益優先にならないか、復興予算の使われ方を注視し、スマトラの二の舞にならぬよう監視する必要がある。 更に、世界規模で進行中の金融危機に関して、ショック・ドクトリンが発動されるタイミングはいくつもあるだろうと予測される。過去、市場経済に舵を切ったロシアや中国で何があったのか、歴史的事実を知っておくと同時に、軍事クーデターや暴力的な弾圧といったショックが発動されないよう、このような言論空間を含め、慎重な情報分析と的確な判断が各自に求められていると感じた。世界を展望する枠組みがこれほどスリリングで、危機感を伴って迫ってくる教科書は他に見たことはない。
5 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
シカゴ学派の野望,
By 南アルプス (東京都新宿区) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: ショック・ドクトリン〈上〉――惨事便乗型資本主義の正体を暴く (単行本)
ミルトン・フリードマンを教祖とするシカゴ学派の経済学者たちが、産官軍と一体となって、
チリ、アルゼンチン、ボリビア、イギリス、ポーランド、中国、南アフリカ、ロシア、アメリカ(同時多発テロ以降)、 イラク、スリランカ等の各国で、自らが信奉する新自由主義=市場原理主義の経済体制を実現しようとした野望 の経緯を描く。 この際、クーデター(チリ)、国内の混乱(中国)、国家体制の転換(南アフリカ、ロシア)、 テロ(アメリカ)、自然災害(スリランカ、ハリケーン後のアメリカ)等の大事件が、新自由主義実現のための チャンスとして捉えられた。イラクのように産官軍の複合体が自ら国内体制を破壊した例もある。 著者はこれを「惨事便乗型資本主義」(Disaster Capitalism)と呼ぶ。 これらの結果、各国国民は、殺人、暴力、略奪、搾取など甚大な被害を受け、国民の多くは惨事便乗型資本主義 が実行される以前よりも困窮した生活を送ることになったという。 本書は1970年以降現代に至る40年間の世界の裏面史として読むことができる。 著者ナオミ・クライン氏の膨大な取材・調査については感嘆せざるをえない。 また本書は翻訳が非常にすぐれている。 内容が興味津々なこともあって、上・下巻合わせて700頁近い大著ながら通読するのにあまり苦労しないと思う。
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