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2003年4月〜2006年3月の放送記録 
水曜日 めざせ介護の達人

この人と福祉を語ろう
パニック障害を乗り越えて
〜シンガーソングライター・円広志さん〜
2004年12月22日(水)

町永アナ 各界の著名人に、その人なりの福祉論を語っていただこうというシリーズ「この人と福祉を語ろう」。3回目のきょうは、「とんで とんで とんで とんで…」というフレーズで有名な「夢想花」で知られる、シンガーソングライター、円広志さんをお招きいたしました。

円広志さん
円広志さん

ゲスト:
シンガーソングライター
円広志さん

町永: 円さんには、昨年もこの福祉ネットワークにパニック障害ということで出演していただきました。

: はい。健康だけがとりえの男でしたから、夢にも思わなかったですね。

町永: 今、お体の具合は?

: 完ぺきではありまんが、こうやってテレビには出られるようになりました。

<円広志さんプロフィル>

1953年 高知生まれ
1978年 「夢想花」でデビュー。80万枚を超える大ヒット

: このヒットがあまりにも強烈だったので、このあとは苦労が多かったですよ。

1983年 森昌子「越冬つばめ」作曲

: 森昌子さんに作曲したのがきっかけで、演歌の方にも作曲をさせていただくようになりました。

1985年 テレビのレギュラー番組で超多忙。

円さん: ヒット曲がなかったので、バラエティのほうにくら替えして、あちこちテレビに出るようになりました。多い時で週に10本以上レギュラー番組を持っていて、生放送だけで週に8〜9本くらいやっている時がありました。とにかく忙しくて、休みはありませんでした。だけど、どんなに忙しくても友達とは飲んでいましたね。土曜日の朝に生放送があって、家を8時に出なければいけないという時でも7時まで飲んでいましたからね。それでもやっていけるほど、体力には自信がありました。

1998年 20周年コンサートを開催
1999年 恐怖感やめまいにおそわれる

円さん: 朝の5時くらいから始まる番組をやっていまして、3時半とか4時くらいに家を出なければならないんですけれど、その本番中にクラッときたのが最初でした。「疲れかな」「眠いのかな」と思っていたのですが、その頻度が多くなってきて、「おかしいな」と思い始めました。
 ある時、3日間くらい寝なかった日があったのですが、夕方、車で帰っている途中、渋滞にはまりまして、車は止まっているのに周りの景色が動き出して、自分の車が動いているような錯覚をしたんです。ワーッとなってブレーキを必死で踏むのですが、それでも景色は止まらない。怖かったですね。
 そうこうしているうちに、今度はテレビの本番中に倒れそうな気になってきました。決して倒れないのですが、いつ倒れてもおかしくないという状況になっていて、「倒れたらいけない」という恐怖感が押し寄せてくるんです。それが癖になって、「5秒前、4、3・・・」と言われるとめまいがしてくるんですよ。

2000年 パニック障害 テレビ出演をすべて休む

円さん: 1時間番組をやっていると、10分経過したら「あと50分で終わる」。20分を過ぎると、「あと40分我慢」と。要するに、番組中は恐怖で苦痛だったんです。体をまっすぐにしていると倒れそうな状態なので、カメラが自分を向いていない時は、自然と体をゆすっていました。そして、カメラがこっちを向いている間だけ我慢して、笑顔で「ああ、そうですね」とか言っている。
 でも、それがずっと苦痛で、もう限界だと思いました。視聴者の皆さんに楽しい気持を与えなきゃいけないのに、やっている本人が地獄のような気持でいては、これは出る資格はないと思ったんです。
 それである日、番組が終わった後、駐車場でマネジャに泣きつきました。「もう許してくれ」と。家に帰ってからも、女房に「僕を許してくれ」と土下座しました。別にマネジャも女房も僕を責めたりしていたわけではないんですよ。でも、「許してくれ」という気持になったんです。

町永アナと円さん町永: 奥様もびっくりなさったでしょう。

: 最初は冗談と思ったんじゃないですか。「きのうまで元気だった人が、何を言っているんだろう?」という感じですよね。自分でもどんな病気か分からずにいましたからね。それまで、苦しさは全部自分で抱え込んでいました。

町永: パニック障害だと診断された時は?

: ものすごくうれしかったですよ。めまいがしたから、眼科に行って、目を調べてもらっても正常。眼圧を見てもらっても正常。内科に行っても、どこも悪くない。脳の病院に行っても、悪くない。いろいろな病院に行っても原因が特定できず、どうしたらいいんだろうと思っていた時に、パニック障害だということが判明したんです。やっと得体の知れない自分の恐怖にたどり着いたということで、うれしかったです。

町永: 健康だけがとりえだとおっしゃっていた円さんが、なぜパニック障害になってしまったんでしょうね。

円: それは分かりません。働きすぎかもしれませんし、そのころ、人間関係でもちょっとトラブルがあったので、それが原因かもしれませんね。

町永: 病気になって、自分をもう一度見つめ直すということも必要だったのかもしれませんね。

円さん: 「ふるさとでゆっくりしよう」と考えました。田舎は、自分を包んでくれるような気がしました。

 

自らが描いた絵に癒され

町永: 田舎では、絵を描いていたそうですね。

円さんの描かれた絵

円さん: ここは元気だった時によくテントを張っていた場所です。でも、この絵を描いた時は怖くて一人で行けませんでした。道路から川原に下っていったら、もう二度と帰ってこられないのではという恐怖があるんですよ、パニック障害というのは。だから、もう怖くて怖くて、やっとの思いで川原に下りました。でも、描いている間は夢中になりますから、不安はないですね。だから、自分の好きなもの、夢中になれるものをやるのもいいことだなと思います。
 僕はこの絵を描きながら、「毎年、ここで仲間とキャンプをやっていたのに、もうそれもできないな」という気持と、「いや、きっと治して、もう一度ここで仲間とわいわいやりたい」という気持がありました。自分が描いた絵を部屋に飾っておくと、自分の思いが持続するんですよね。絵を見ると、「ああ、またここに行きたいな」という気持が持続しました。

 

妻に癒されて

円さん: 女房にも随分助けられました。それまでの僕は、仕事ばかりで女房のことは放ったらかしだったんですよ。でも病気の時は、女房が洗い物をしている時でも、女房の後ろで女房の服をつかんでおかないと怖くてとてもいられないんですよ。寝る時も、横にいてくれないと寝られない。女房が犬の散歩に行く時は、僕は怖くて外に出られないから、携帯電話を必ず持っててもらって、「帰ってきてくれ」とすぐに言える状態にしていました。少しよくなってきて、車の運転ができるようになってからも、トンネルに入る時は怖かったので手を握ってもらったりとか。

町永: それまで放ったらかしだったのが急にそうなって、奥様は?

: 最初は戸惑っていましたけれど、「この人は病気なんだ」ということが分かってからはいろいろ気を遣うようになってくれました。ひどいこともしましたよ。例えば、「お酒も駄目」だと言われた時、「酒も飲めないのか!」と思って、家にあるボトルを全部投げて割ってしまったり…。その時も女房は何も言わなかったですね。「はいはい」っていう感じでした。

町永: 夫婦の関係も随分変わったんじゃないですか。

: 変な言い方ですけれど、命の恩人みたいなところがありますね。そう思うようになりました。

町永アナと円さん町永: そういうこと、ちゃんと奥様に言っていますか。

: いや、言っていないです。それは言えないです。言うたらあかん。調子に乗りますから。

町永: でも、奥様は分かっていると思いますよ。

 

いろいろな人に支えられて自分は存在しているんだ

町永: パニック障害を経験して、自分の生き方、考え方が変わったということは?

円さん: あります。僕、どこの事務所にも所属していなくて、一匹狼じゃないですけれど、「自分でやっている」と思っていたんです。でも、仕事ができなくなった時に、ほかのプロダクションのタレントさんに随分助けられました。「一人じゃないんだ。いろいろな人に支えられて、今の自分があるんだ」というのをすごく思いました。家族に対しても考え方は変わりましたが、仕事に対しても変わりましたね。人間は一人でできるものじゃないし、また、一人じゃないんだ。仕事だったら仕事仲間、プライベートだったら友達、家族、両親。そういういろいろな人とかかわりながら自分は存在しているということを知りました。
 この病気は、急激に良くなるということはありません。きょうはいいなと思ったら、次の日にはすごく体調が悪かったり、そういうことを繰り返しながらですけれども、その中で得るものも多かったです。

 

虹をつかんで

町永: そういった思いを込めて、曲を作ったそうですね。

円さん: はい。少し動けるようになった時に、一人でボーっとしようと思って琵琶湖のほうに行っていたんです。そうしたら、急に不安が押し寄せてきて、怖くなって、電車で大阪に帰ったんですよ。旅館もキャンセルしてね。その電車の中で一人で考え事をしていた時に、「おれ、今最悪な状況だけど、本当に最悪なのかな。この病気になったことで、自分だっていろいろなことを知ったし、そんなに悪いことばかりじゃないな」って思ったんです。それで、携帯電話で自宅の留守電にその時に浮かんだメロディと歌詞を吹き込んだんですよ。

町永: 恐怖でパニックが起こりかけた時に、自分をもう一度見つめ直して作った「虹をつかんで」という曲。きょうはテープを持ってきてくださいました。

「虹をつかんで」より(作詞/作曲 円広志さん)

虹をつかんで

人生は悲しくも おつなもの
山あり谷あり長い旅路さ
お前も俺もあの子もこの子も
あんたも私もよく見りゃ悪くない
虹をつかんで幸せになろう
涙の熱さに気付いたらめっけもんだよ

円さん: 僕はその時、パニック障害という病気でつらい思いをしていたのですが、いろいろな人がいろいろな悩みを抱えて生きているんだと思います。でもその悩みの中で、「それは不幸のどん底なのか?」といったら、そうじゃない。そんなに悪いことばかりじゃないし、あなた自身そんなに悪くないよ。だって、おれだってこんなに悪いけど、この悪いことのおかげで、自分で今まで感じられなかったことを感じ、得るものがあったんだ。そういう思いを歌にしました。

町永アナと円さん町永: 超多忙な時には思いつかない心境かもしれないですね。

: そうですね。「僕は最高に幸せだ」と思っている時に気づかなかったり、見逃してしまうことも多々あると思います。人生って、いいことがあったり悪いことがあったりしながら、その中に発見がある。そういうものだと僕は思います。

円さん僕、このパニック障害と言われるもので、20年分も30年分も泣いたんですよ。夕方になると、夜になると、怖くて涙が出る。何度も何度も泣いて、そのたびにほっぺた熱くてしかたがなかった。でも、それすら僕は「めっけもんやな」と思ったんです。涙の熱さに気付けば、僕はそれだけで「ああ、よかった」と思えるようになった。パニック障害になってよかったとは言いませんけど、そのおかげで違うものを見つけたと思えれば、僕はそれで幸せだと思うんです。


町永: あらためて、円さんにとって福祉とは?

円さん: 希望です。人生ってプラスの時もあれば、マイナスのこともある。だけど、マイナスの中には多少のプラスが混ざっているんですよ。そのプラスを自分で見つけることができた時に、この上ない幸せになると思うんですね。忙しくて、「こんな仕事つらいな」と思った時に、一日終わった後で、お風呂に入ると最高に気持いい。そういう、大きなマイナスの中に潜んでいるプラスを見つけることが本当の福祉だと思います。

 

● 出演
円 広志さん(シンガーソングライター)
町永 俊雄アナウンサー


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