2011年10月29日03時00分
■米で地方紙が激減 監視なき役人給与、大統領の倍にも
米国では経営不振から地方紙が撤退した街々で、公務員の不祥事や投票率の低下など予想されなかった現象が起きている。記者の取材が絶え、住民は頼るべき存在を失ったからだ。米連邦通信委員会(FCC)から委託されて全米のニュース需給事情を調べた元米誌記者スティーブン・ワルドマン氏にそうした「取材空白域」の実態を聞いた。
――リーマン・ショックから3年、米新聞業界の現状は。
「暴風雨は脱しましたが、依然厳しい。新聞広告収入はこの5年で半減しました。その間にページ数を減らし、記者の賃金を下げ、記者の数を減らしました。休刊したのは212紙にのぼる。20年前、全米で6万人いた新聞記者が、今では4万人しかいません」
――記者減らしはどう進んだのですか。
「まず削られるのは整理部です。見出しをつける作業などをする部署ですが、取材部門とは違い、読者から見えない部署だから。次は文化部。映画評や書評は、社員記者が書いたものである必要がないから。教育、裁判、環境、農業などの記者も軒並み減らされています。削られたのは、大切だけれど忙しいから読み飛ばそうと読者に思われがちな分野。米国ではそれを『ブロッコリー分野』と呼ぶ。栄養面では大事だが、味が味だから食卓では残してしまう野菜になぞらえた表現です」
――新聞社の編集局は様変わりしたと聞きました。
「何かひとつ取材するたび、写真と動画を撮り、ネットに速報を送り、新聞原稿を書き、記者ブログを更新し、フェイスブックに書き込み、ツイッターにつぶやく。ひとり7役か8役。会社の机で余裕なく書き続ける姿は、飼育かごの中で回転車輪を走り続けるハムスターのよう。自虐を込めて『ハムスター記者』と呼び合っています」
――報道内容に悪影響は。
「深刻です。最も大変なのは地方取材です。小さな街の役所や議会、学校や地裁に記者が取材に行かなくなったのです。米国にはもともと、全州に記者を常駐させてくまなくカバーするような全国紙はありません。地元案件はもっぱら、地方紙かもっと小さなコミュニティー紙が取材報道してきた。頼みのローカル紙が休刊し、残った新聞でも記者が減らされた結果、記者が来ず報道もされない『取材空白域』があちこちに出現するようになりました」
――聞き慣れない言葉ですが。
「たとえばカリフォルニア州の小都市ベルで起きた事件を見ればわかります。地元紙が1998年ごろ休刊になり、市役所に記者がひとりも来なくなった。市の行政官(事務方トップ)は500万円だった自分の年間給与を、十数年かけて段階的に12倍の6400万円まで引き上げた。オバマ大統領の2倍です。驚いたことに、市議会の承認を得ている。警察署長の給与を3600万円まで引き上げるなど幹部や市議をぬかりなく抱き込んだからです」
「住民は、この行政官が豪勢な家を建て、広大な牧場を購入したので不審に思っていた。でも地元に頼るべき新聞社はない。十数年間、市長選や市議選に記者は来ず、議会を傍聴する記者もいなかった。それで広域紙ロサンゼルス・タイムズの記者が隣の市で取材中、異常な高給ぶりを聞き込んでスクープしました」
――記者がいれば防げましたか。
「新聞記者でなくてもいい。ネットでも雑誌でもだれか記者が時々、ベル市役所へ立ち寄るだけで防ぐことができた。行政官はさほどの偽装工作はしていなかった。米国では地方紙記者の初任給は年400万円ほどなので、もし住民が総意でその額を調達して記者をひとり雇っていれば、十何億円もの税金を失うことはなかったのです」
――権力を監視する役目の者が消えたためですね。地方政治には何か影響が出ていますか。
「選挙で異変が起きています。オハイオ州のある都市で、2007年を最後に地元紙が姿を消しました。翌年から一円の自治体選挙で候補者が減り、投票率が下がり始めた。プリンストン大の研究者が調べたところ、現職の実績がまったく報道されず、有権者は投票日に判断材料に窮していた。記者がいなくなった街では、どこも現職有利、新顔不利の方向に作用しています」
――新聞がある都市部では取材空白の問題は起きないですか。
「いえ都市部も無縁ではありません。たとえば法廷取材はもう絶滅寸前です。こまめに公判を傍聴し、訴状や判決の即日閲覧を求める記者がいなくなり、裁判所の仕事にたるみが出てきた。以前なら当日中にプレスの手に渡っていた裁判資料が、ネット掲載の3日遅れや7日遅れはざら。この先、裁判官の遅刻や暴言が報道されることはないでしょう」
「医療分野でも問題が顕在化しています。多くの新聞社が、4人いた医療記者を1人に減らすようなリストラを断行。医療記者は特ダネを見つけても取材する時間がない。病院や医学部の側にも不満が強い。教育報道も危機的です。コロンビア大学が毎年主催してきた恒例の全米教育記者研修も、参加者が集まらず中止に追い込まれたほどです」
■ニュースの発掘力、ネットは補えない 報道はNPOで
――新聞の取材力が落ちた分、ネットが穴を埋めてくれたのでは。
「残念ながら新聞の穴を埋めるには至っていません。今回の全米調査で実感したのは、ニュースの鉱石を地中から掘り出す作業をしているのは今日でももっぱら新聞だという現実です。テレビは、新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは巧みだが、自前ではあまり掘らない。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界へ広める力は抜群だが、坑内にもぐることはしない。新聞記者がコツコツと採掘する作業を止めたら、ニュースは埋もれたままで終わってしまうのです」
――そもそも今回の全米調査の目的は何でしたか。
「ネット化が進んで米国の各コミュニティーの報道需要はどのように満たされているのか、それが連邦通信委から依頼された課題でした。ニュースを供給する新聞社やテレビ局の視点ではなく、ニュースを消費する市民の側に立つ調査でした。私のような記者のほか大学教官、通信委職員など計38人で全米約600人から聞き取りをしました」
「調査でわかったのは、『今日はこの市の決算と議事録に不正がないか洗ってみよう』と思い立つ人というのは、世の中では記者くらいだということ。自治体の動きを監視し、住民に伝える仕事などだれも自費ではやれません。ニュース供給を絶やさないためには、地元に記者を置いておくことが欠かせない。人口や自治体数などから推定すると、その仕事には全米で5万人の人材が必要。現在は1万人足りません」
――経営不振の新聞社がこの先、記者の数を増やすとは考えにくい。
「私は新聞社を守れと訴えているのではありません。私の提言は、NPOとしての報道専門組織を各地で立ち上げていくこと。過去150年、新聞はたいへん収益率の高い産業でしたが、広告頼みのビジネスモデルはもう限界に来ています。景気や利益に左右されないNPO報道機関を作り、育てていくしかない」
――NPOの運営資金はどう調達するのですか。
「記者は民主社会に不可欠な公共財だということを住民や大学、財団、企業に理解してもらい、寄付を募る以外にありません。米国では寄付をもとにNPO報道機関が各地で設立された。たとえば、医療の取材空白を憂慮した財団が3年前、ベテラン医療記者たちを雇って健康ニュース専門社を創設した。法廷取材や州政府取材だけを請け負うニュース配信社も生まれています」
――米国と違い、日本には伝統的に寄付を貴ぶ文化がありません。
「寄付だけに頼らずに取材機関を作るには、大学を拠点にする方法があります。いま米国でジャーナリズム専攻者は大学生5万人、大学院生4千人。座学ではなく、街に放り出し取材させ、記事、写真、動画とも新聞社やテレビ局に買ってもらえる水準に仕上げる。アリゾナ州では大学制作の番組が週3回も定時放映され、大好評です」
――記者が公益のために公僕として働く時代が来るのでしょうか。
「記者が公務員になってはいけません。役所や企業のためでなく、地元住民のための監視の目として働くようになれば、ジャーナリズムはおそらく永続していきます。教師や議員、警察官や消防士がどの街にも必要なように、記者も欠かせないと確信するに至りました」
■スティーブン・ワルドマン 62年生まれ。ニューズウィーク誌記者やUSニューズ&ワールドリポート誌の編集者として米国政治を報道。著書に「信仰の発見」など。
■取材を終えて
民主制度を保つには栄養素が欠かせない。政治や経済が1日も欠かせない炭水化物やたんぱく質だとしたら、報道はビタミンみたいなものかもしれない。2、3日なら摂取しなくても何とかなるが、まったく取らないと重病につながる。「取材空白」の深刻さは、新聞社で働いていながら、一度も思い至らなかった。(ニューヨーク支局長・山中季広)