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参院自民党役員人事の内幕:その13
2011年10月29日:パート6
午前零時過ぎ。 正確には、10月30日だ。 熱いほうじ茶をすすりながら、その13に突っ込む。 さすがに、指が痛い。 あんまり無理すると、腱鞘炎になってしまう。
応接室のテーブルを挟んで、中曽根会長と向き合っていた。 2人だけで、40〜50分は話したと思う。 「本当に申し訳ありませんが、会長がおっしゃったような理由では、到底、納得出来ません!どうしてもというなら、議員会長の権限で政審会長である私をハッキリと更迭してください!」 その言葉に、中曽根会長は戸惑っていた。 本当に困っている姿を見て、申し訳ないと思った。
それでも、「ハイ、分かりました!喜んで辞めます!」などとは、冗談でも言えなかった。 1年前の議員会長選挙で、必死に飛び回った記憶が脳裏をかすめた。 あの選挙に勝つために、生まれて初めてカーペットの上で土下座した。 中曽根会長はそこまで知らないだろうなと思った。 BS11の斬新な企画、ようやく定着した記者会見、政審PTのこと、睡眠時間を削って各議員の質問内容をチェックして来たこと等が、次々と頭に浮かんだ。 これもあれもやらねばならない。 途中で放り出したら、これまでの苦労が水の泡だ。 そういう気持ちが強かった。
中曽根会長に、こんなことを言った憶えもある。 「過去1年の間には、私の言動が物議を醸すこともありました。特にブログについて、いろいろ心配されていることも知っています。諸刃の剣ですから、反省すべき点もありますが、逆に中曽根会長を批判する勢力への抑止力として働いていることも事実だと思っています!」
さらに、こうも話した。 「だいいち、中曽根会長が本当に窮地に陥った時、私の他に、損得抜きで、政治生命を賭けて戦ってくれる政治家がどれだけいるでしょうか?!私以外に身を挺して中曽根体制を守れる戦闘力と発信力を持った議員がいるでしょうか?!」
中曽根議員会長は、終始、厳しい表情で聞いていた。 何度か頷いていた。 短い沈黙の後で、言葉を絞り出すようにつぶやいた。 「一太さんの言うことはよく分かる。基本的には、そのとおりだと思う」と。 「気持ちはよく分かりました。引き続き、話をしましょう!」 中曽根会長のこの台詞で、中曽根ー山本会談が終わった。 実を言うと、自分が本当に辛かったのは、ここからだった。(ため息) そのことについては、その14で。
追伸:
1.仮に中曽根会長が本当に腹を割ってあらゆる事情を話してくれていたら、真意を打ち明けてくれていたら、自分の反応は違ったものになっていたはずだ。 たとえば、「私には、こんな戦略がある。だから、何があっても、議員会長に残りたい。後任は00派と話し合っている最中だ。その中でこんな話が出ている。だから、どうしても今、身を引いて欲しい!」とか、「00氏を動かすと、所属派閥が反発する。そうすると収拾がつかなくなってしまう!」とか...。 そこまで、隠さずに(?)言ってくれていたら、納得せざる得なかったかもしれない。 悲しかった(=悔しかった=情けなかった)のは、中曽根会長が、「全てを包み隠さず話してくれている」とは思えなかったことだ。(ガックリ)
中曽根議員会長を批判するようなことはしたくない。 が、ちょっとだけ、文句を言わせてもらう。 政治家を説得するには、それなりの覚悟がいる。 ましてや、1年前に必死で自分を押し上げてくれた味方を(本人の意に反して)切ろうという話だ。 そんな表面的なやり方で、相手を納得させられるワケがない!
2.中曽根会長にこんな質問をぶつけたことも、今、思い出した。 「会長、まさか、他の政治家の面子を保つためとか、誰かとのバランスを保つためとか、そんな理由で私を政審会長から外すなどということは、ありませんよね?誰かとそんな約束をしてしまったとかいうことも、ないですよね?」 中曽根氏は、「そんなことじゃありません!」と断言していた。 この言葉を信じている。
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午前零時過ぎ。 正確には、10月30日だ。 熱いほうじ茶をすすりながら、その13に突っ込む。 さすがに、指が痛い。 あんまり無理すると、腱鞘炎になってしまう。
応接室のテーブルを挟んで、中曽根会長と向き合っていた。 2人だけで、40〜50分は話したと思う。 「本当に申し訳ありませんが、会長がおっしゃったような理由では、到底、納得出来ません!どうしてもというなら、議員会長の権限で政審会長である私をハッキリと更迭してください!」 その言葉に、中曽根会長は戸惑っていた。 本当に困っている姿を見て、申し訳ないと思った。
それでも、「ハイ、分かりました!喜んで辞めます!」などとは、冗談でも言えなかった。 1年前の議員会長選挙で、必死に飛び回った記憶が脳裏をかすめた。 あの選挙に勝つために、生まれて初めてカーペットの上で土下座した。 中曽根会長はそこまで知らないだろうなと思った。 BS11の斬新な企画、ようやく定着した記者会見、政審PTのこと、睡眠時間を削って各議員の質問内容をチェックして来たこと等が、次々と頭に浮かんだ。 これもあれもやらねばならない。 途中で放り出したら、これまでの苦労が水の泡だ。 そういう気持ちが強かった。
中曽根会長に、こんなことを言った憶えもある。 「過去1年の間には、私の言動が物議を醸すこともありました。特にブログについて、いろいろ心配されていることも知っています。諸刃の剣ですから、反省すべき点もありますが、逆に中曽根会長を批判する勢力への抑止力として働いていることも事実だと思っています!」
さらに、こうも話した。 「だいいち、中曽根会長が本当に窮地に陥った時、私の他に、損得抜きで、政治生命を賭けて戦ってくれる政治家がどれだけいるでしょうか?!私以外に身を挺して中曽根体制を守れる戦闘力と発信力を持った議員がいるでしょうか?!」
中曽根議員会長は、終始、厳しい表情で聞いていた。 何度か頷いていた。 短い沈黙の後で、言葉を絞り出すようにつぶやいた。 「一太さんの言うことはよく分かる。基本的には、そのとおりだと思う」と。 「気持ちはよく分かりました。引き続き、話をしましょう!」 中曽根会長のこの台詞で、中曽根ー山本会談が終わった。 実を言うと、自分が本当に辛かったのは、ここからだった。(ため息) そのことについては、その14で。
追伸:
1.仮に中曽根会長が本当に腹を割ってあらゆる事情を話してくれていたら、真意を打ち明けてくれていたら、自分の反応は違ったものになっていたはずだ。 たとえば、「私には、こんな戦略がある。だから、何があっても、議員会長に残りたい。後任は00派と話し合っている最中だ。その中でこんな話が出ている。だから、どうしても今、身を引いて欲しい!」とか、「00氏を動かすと、所属派閥が反発する。そうすると収拾がつかなくなってしまう!」とか...。 そこまで、隠さずに(?)言ってくれていたら、納得せざる得なかったかもしれない。 悲しかった(=悔しかった=情けなかった)のは、中曽根会長が、「全てを包み隠さず話してくれている」とは思えなかったことだ。(ガックリ)
中曽根議員会長を批判するようなことはしたくない。 が、ちょっとだけ、文句を言わせてもらう。 政治家を説得するには、それなりの覚悟がいる。 ましてや、1年前に必死で自分を押し上げてくれた味方を(本人の意に反して)切ろうという話だ。 そんな表面的なやり方で、相手を納得させられるワケがない!
2.中曽根会長にこんな質問をぶつけたことも、今、思い出した。 「会長、まさか、他の政治家の面子を保つためとか、誰かとのバランスを保つためとか、そんな理由で私を政審会長から外すなどということは、ありませんよね?誰かとそんな約束をしてしまったとかいうことも、ないですよね?」 中曽根氏は、「そんなことじゃありません!」と断言していた。 この言葉を信じている。
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参院自民党役員人事の内幕:その12
2011年10月29日:パート5
今日、あるひとからこう言われた。 「一太さんのブログ、やっぱり注目度が高いですよ。うちの政治部記者から聞いておいてくれと言われました。今回の参院人事で一番悪かったのは誰なのかって!(笑)」
執行部から外されたことで、誰かを恨むようなことはない。 特定の政治家を悪者にしたいわけでもない。 誤解されないように、事実として残しておきたいことを記録している。 それだけのことだ。(笑X2)
腹筋+背筋+ランの「運動メニュー」をこなした。 走りながら聴いたのは、今日もkaty perry(ケイティ・ペリー)のアルバム。 もう最高だ、な。(ニッコリ)
熱いシャワーを浴び、ポテトサラダでビタミンを補給した。 間もなく午後11時。 野菜ジュースを一杯飲んで、「真実のドラマ」を続ける。
中曽根会長から、突然、「政審会長を辞めて欲しい」と言われたのは、連休の週末だった。 週明けには、小坂幹事長の辞任記者会見が行われることになっていた。 そうした中での出来事だ。 もしかすると、中曽根会長は、小坂氏と同じ日に「山本一太にも辞任発表をさせたかった」のかもしれない。
まさか、小坂氏が中曽根会長に、「3人の役員のうち、幹事長の自分だけが辞職したら面子が保てない。その時は、山本一太も一緒に辞めさせて欲しい」などと頼んだはずもないが(笑)、あまりに意味深なタイミングだった。
「政審会長を降りて欲しい」と切り出した中曽根会長の言葉に、「ハイ、分かりました」とは、どうしても言えなかった。 自分の口から最初に出たのは、「理由は...何ですか?」というフレーズだった。 中曽根会長の返事が曖昧だったので、こう聞き直した。
「議員会長、大変申し訳ないのですが、今のご返事だと納得出来ません。私は、政審会長というポストを、そんなにいい加減な気持ちで受けたわけではありません。だから、もっと率直に話していただけませんか?」
そのまま、言葉を続けた。「私の政審会長としてのこの1年間の仕事に満足していないということでしょうか?そうだとしたら、すぐに辞めさせていただきます!」 中曽根会長の答えは、「けっして、そんなことはない。政審の存在感や発信力を大きく高めてくれた。期待以上の成果を残してもらった。皆の評価も高い。他に同じことが出来るひとは、とても見当たらない」ということだった。
そこで、こう聞いた。 「ということは、政審会長を交代させろ、山本一太も辞めさせろという声が参院自民党内にあるということでしょうか?あるいは、3派からそうした要求が出ているんでしょうか?もしそういう状況があるなら、仕方がないと思います。この場で身を引かせてもらいます!」と。 中曽根会長は、「いや、そういう要求は一切ない!党内にも、そんな声は上がっていない」と、ハッキリそう言った。
「ところで、私の後任はどなたを考えているんでしょうか?」とも聞いてみた。 中曽根会長の反応は、「現時点では、全く考えていない。誰が後任になろうと、山本一太の真似は出来ないだろう」というものだった。
釈然としない思いを抱えながら、もう一度、聞いてみた。 「そうだとすると、なぜ、私を政審会長から外されるんですか?」と。 中曽根会長の「いや、役員全員に一年ごとに代わってもらうという考え方もあるかなと思って...」という言葉に、再び、別の疑問が湧いた。 「ということは、脇国対委員長も交代するということですね?」 中曽根会長から戻って来たのは、「いや、脇さんには残ってもらう。国対は慣れた人じゃないと、なかなか出来ないから!」という言葉だった。
その言葉を聞いて、こう言わずにはいられなかった。 「脇さんは優れた国対委員長だと思います。が、役員を1年ごとに交代させるというなら、3役全員を変えるのが筋だと思います。それに、その理屈だと、国対は重要だけど、政審はどうでもいいということになりませんか?脇委員長は必要(合格)だけど、山本政審会長は不要(不合格)だと言われている気がします!」 「そんなことはない。政審も重要だ」と言う中曽根会長の言葉が空しく響いた。 そこで、改めて次のように申し上げた。
「中曽根会長、本当に申し訳ありませんが、今、おっしゃったような理由で政審会長を辞めるというのは、私には納得出来ません!ぜひ、再考をお願いします!」と。 あ、お湯が沸いた。 ほうじ茶を入れて、と。 少し指を休ませてから、ブログの続きを書く。
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今日、あるひとからこう言われた。 「一太さんのブログ、やっぱり注目度が高いですよ。うちの政治部記者から聞いておいてくれと言われました。今回の参院人事で一番悪かったのは誰なのかって!(笑)」
執行部から外されたことで、誰かを恨むようなことはない。 特定の政治家を悪者にしたいわけでもない。 誤解されないように、事実として残しておきたいことを記録している。 それだけのことだ。(笑X2)
腹筋+背筋+ランの「運動メニュー」をこなした。 走りながら聴いたのは、今日もkaty perry(ケイティ・ペリー)のアルバム。 もう最高だ、な。(ニッコリ)
熱いシャワーを浴び、ポテトサラダでビタミンを補給した。 間もなく午後11時。 野菜ジュースを一杯飲んで、「真実のドラマ」を続ける。
中曽根会長から、突然、「政審会長を辞めて欲しい」と言われたのは、連休の週末だった。 週明けには、小坂幹事長の辞任記者会見が行われることになっていた。 そうした中での出来事だ。 もしかすると、中曽根会長は、小坂氏と同じ日に「山本一太にも辞任発表をさせたかった」のかもしれない。
まさか、小坂氏が中曽根会長に、「3人の役員のうち、幹事長の自分だけが辞職したら面子が保てない。その時は、山本一太も一緒に辞めさせて欲しい」などと頼んだはずもないが(笑)、あまりに意味深なタイミングだった。
「政審会長を降りて欲しい」と切り出した中曽根会長の言葉に、「ハイ、分かりました」とは、どうしても言えなかった。 自分の口から最初に出たのは、「理由は...何ですか?」というフレーズだった。 中曽根会長の返事が曖昧だったので、こう聞き直した。
「議員会長、大変申し訳ないのですが、今のご返事だと納得出来ません。私は、政審会長というポストを、そんなにいい加減な気持ちで受けたわけではありません。だから、もっと率直に話していただけませんか?」
そのまま、言葉を続けた。「私の政審会長としてのこの1年間の仕事に満足していないということでしょうか?そうだとしたら、すぐに辞めさせていただきます!」 中曽根会長の答えは、「けっして、そんなことはない。政審の存在感や発信力を大きく高めてくれた。期待以上の成果を残してもらった。皆の評価も高い。他に同じことが出来るひとは、とても見当たらない」ということだった。
そこで、こう聞いた。 「ということは、政審会長を交代させろ、山本一太も辞めさせろという声が参院自民党内にあるということでしょうか?あるいは、3派からそうした要求が出ているんでしょうか?もしそういう状況があるなら、仕方がないと思います。この場で身を引かせてもらいます!」と。 中曽根会長は、「いや、そういう要求は一切ない!党内にも、そんな声は上がっていない」と、ハッキリそう言った。
「ところで、私の後任はどなたを考えているんでしょうか?」とも聞いてみた。 中曽根会長の反応は、「現時点では、全く考えていない。誰が後任になろうと、山本一太の真似は出来ないだろう」というものだった。
釈然としない思いを抱えながら、もう一度、聞いてみた。 「そうだとすると、なぜ、私を政審会長から外されるんですか?」と。 中曽根会長の「いや、役員全員に一年ごとに代わってもらうという考え方もあるかなと思って...」という言葉に、再び、別の疑問が湧いた。 「ということは、脇国対委員長も交代するということですね?」 中曽根会長から戻って来たのは、「いや、脇さんには残ってもらう。国対は慣れた人じゃないと、なかなか出来ないから!」という言葉だった。
その言葉を聞いて、こう言わずにはいられなかった。 「脇さんは優れた国対委員長だと思います。が、役員を1年ごとに交代させるというなら、3役全員を変えるのが筋だと思います。それに、その理屈だと、国対は重要だけど、政審はどうでもいいということになりませんか?脇委員長は必要(合格)だけど、山本政審会長は不要(不合格)だと言われている気がします!」 「そんなことはない。政審も重要だ」と言う中曽根会長の言葉が空しく響いた。 そこで、改めて次のように申し上げた。
「中曽根会長、本当に申し訳ありませんが、今、おっしゃったような理由で政審会長を辞めるというのは、私には納得出来ません!ぜひ、再考をお願いします!」と。 あ、お湯が沸いた。 ほうじ茶を入れて、と。 少し指を休ませてから、ブログの続きを書く。
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参院自民党役員人事の内幕:その11
2011年10月29日:パート4
中曽根議員会長は優しいハートの持ち主だ。 この内幕シリーズには、心を痛めているかもしれない。 いや、きっと心配しているはずだ。 そのことは、大変、申し訳なく思っている。
誤解のないように、ひとつ、言っておきたい。 今回の参院役員人事をめぐっては、悲しかったことも、納得のいかないこともあった。 が、それでも、中曽根議員会長は、参院自民党のリーダーとしての条件を十二分に備えていると思う。 2つの閣僚ポストを歴任した実績も、温和でバランス感覚のある人柄も、変な計略を使わないスタンダードなスタイルも、永田町No.1のルックス(笑)も、政治家としての品格も、クリーンなイメージも、参院自民党のトップに相応しいと考えている。 え? もちろん、中曽根会長のことは、今でも好きですよ! だから、余計に辛かったのだ。
それでも、自分にとって「最も悲しかった瞬間」のエピソードは書かざる得ない。 そうじゃないと、「山本一太は、なぜ、途中で執行部を離れてしまったのか?」「途中で放り出すなんて、山本一太らしくない!」と思っている多くの地元支持者の方々に、本当のことを分かってもらえないからだ。 このブログに書いたことは、半永久的に保存される。 慎重に言葉を選びながら、あの出来事の記録を残したい。
詳しいことは書かないが、小坂憲次幹事長は、連休前に「幹事長職を辞任する」ことを決めた。 連休明けに記者会見を開いて発表するという流れだった。 その週末、中曽根会長から携帯に電話がかかって来た。 「話したいことがある。どこかで会えないか?」とのことだった。 地元日程が終わった後、2人だけで会った。 ペットボトルのお茶を飲みながら、言葉を交わした。 そう。 「新しい役員人事案」(2度目の人事案)を総会に提示する前のことだ。
中曽根会長が、こう切り出した。 「一太さん、申し訳ないんだけど、政審会長を外れてもらえませんか?」「え...?!」 一瞬、耳を疑った。 中曽根議員会長が、「山本一太を手放すハズがない!」と信じていたからだ。 1年前に中曽根体制が実現した経緯から言っても、政治家としての戦闘力や発信力から考えても、「そんなことはあり得ない」と勝手に思い込んでいた。 「信じていた恋人」に裏切られたようなショックだった。(ガクッX100)
あ、そろそろ夕食を食べに行かないと! 食休みをしたら、30分、走る。 この続きは、熱いシャワーを浴びた後で。
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中曽根議員会長は優しいハートの持ち主だ。 この内幕シリーズには、心を痛めているかもしれない。 いや、きっと心配しているはずだ。 そのことは、大変、申し訳なく思っている。
誤解のないように、ひとつ、言っておきたい。 今回の参院役員人事をめぐっては、悲しかったことも、納得のいかないこともあった。 が、それでも、中曽根議員会長は、参院自民党のリーダーとしての条件を十二分に備えていると思う。 2つの閣僚ポストを歴任した実績も、温和でバランス感覚のある人柄も、変な計略を使わないスタンダードなスタイルも、永田町No.1のルックス(笑)も、政治家としての品格も、クリーンなイメージも、参院自民党のトップに相応しいと考えている。 え? もちろん、中曽根会長のことは、今でも好きですよ! だから、余計に辛かったのだ。
それでも、自分にとって「最も悲しかった瞬間」のエピソードは書かざる得ない。 そうじゃないと、「山本一太は、なぜ、途中で執行部を離れてしまったのか?」「途中で放り出すなんて、山本一太らしくない!」と思っている多くの地元支持者の方々に、本当のことを分かってもらえないからだ。 このブログに書いたことは、半永久的に保存される。 慎重に言葉を選びながら、あの出来事の記録を残したい。
詳しいことは書かないが、小坂憲次幹事長は、連休前に「幹事長職を辞任する」ことを決めた。 連休明けに記者会見を開いて発表するという流れだった。 その週末、中曽根会長から携帯に電話がかかって来た。 「話したいことがある。どこかで会えないか?」とのことだった。 地元日程が終わった後、2人だけで会った。 ペットボトルのお茶を飲みながら、言葉を交わした。 そう。 「新しい役員人事案」(2度目の人事案)を総会に提示する前のことだ。
中曽根会長が、こう切り出した。 「一太さん、申し訳ないんだけど、政審会長を外れてもらえませんか?」「え...?!」 一瞬、耳を疑った。 中曽根議員会長が、「山本一太を手放すハズがない!」と信じていたからだ。 1年前に中曽根体制が実現した経緯から言っても、政治家としての戦闘力や発信力から考えても、「そんなことはあり得ない」と勝手に思い込んでいた。 「信じていた恋人」に裏切られたようなショックだった。(ガクッX100)
あ、そろそろ夕食を食べに行かないと! 食休みをしたら、30分、走る。 この続きは、熱いシャワーを浴びた後で。
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参院自民党役員人事の内幕:その10
2011年10月29日:パート3
本日4杯目の紅茶を片手に、その10に突入する。 小坂憲次前参院自民党幹事長とは、中曽根執行部で1年間、お付き合いをさせていただいた。 衆議院時代は、文部科学大臣や議員運営委員長といった重職を歴任したベテラン政治家だ。 バランス感覚もあるし、政策の知識も深いし、(議運をやっていただけあって)交渉も上手だ。 尊敬すべき政治家だと思う。
特に、参院政審の地位向上に関しては、石破茂前政調会長との個人的な人脈も活用して、大いにバックアップしてもらった。 幹事長、政審会長、国対委員長を参院3役と呼ぶ。 小坂氏と脇氏と山本一太。 「金子みすゞ」の詩ではないが、タイプの違う3人が、うまく噛み合っていた。 毎日、気持ちよく仕事が出来た。 出来ることなら、小坂幹事長を中心とした前体制の中で、政審会長を続けたかった。 そのことを断った上で、ホンネを書かせてもらう。
中曽根議員会長は、最後まで(少なくとも表面的には)「小坂幹事長を交代させる」という決定をしなかった。 参院役員人事をめぐる戦いの最終段階に至って、小坂幹事長が記者会見を開き、辞任を発表したのだ。 恐らく、中曽根会長が後任の幹事長候補を新たな人事案に入れると決めた後だと思う。
参院人事をめぐる対立の中で、3派が最初から最後まで一貫して要求したのは、「小坂幹事長を交代させる」ことだった。 3派の人々は、当初、「人事案の中で問題なのは小坂幹事長だけだ。幹事長さえ変えてくれれば、それ以上の要求はしない」と言っていた。 実際、そのことを一生懸命、外に流していた。
「中曽根会長を本当に守りたいなら、小坂氏が自ら身を引いて、幹事長を退けばいい!そうすれば、中曽根体制はそのまま残るし、小坂氏の政治家としての評価も上がる。」「衆院で落選して参院に転身した後、いきなり幹事長になって1年やれたのだ。そんなに欲張らずに、1回休みをすればいいではないか!」 最初は3派が繰り返し発信していたこの理屈が、中曽根会長に好意的だった若手や中間派にも、浸透していった。 その経緯は、過去のブログにも書いた。
議員会館事務所にやって来た若手・中堅議員たちは、同じことを口にしていた。 「一太さん!何とか、全面対決だけは避けるようにしてください。参院自民党のためにならない。残念ですが、ここは小坂幹事長にいったん辞めていただくしかないと思います。」 世耕弘成氏も、「全く同じ感触ですね!」と話していた。 以前のブログでも触れたが、「幹事長交代はやむなし」という党内のムードは、中曽根会長にも伝えた。 小坂氏に届いていたかどうかは、よく分からない。 この時期、小坂氏の意図については、様々な憶測が流れていた。 が、あまりに失礼な内容だ。(苦笑) ここには書かない。
それでも、小坂幹事長に「辞任の動き」は見えなかった。 小坂氏が(最後の最後に)辞任記者会見をするまでの間、中曽根会長との間でどんな話し合いが行われていたのか、それは誰にも分からない。 え? 中曽根会長が小坂幹事長を無理矢理引き止めていたんじゃないかって?! 申し訳ないが、それは(幾つかの理由で)ないと思う。 小坂氏が自ら辞めると決めていたら、中曽根会長は、けっして拒まなかっただろう。 そう思う理由は、誰にも言わない。(笑)
政治家は独立自尊の存在だ。 他の政治家の政治判断について、いちいち干渉するつもりはない。 でも、(本当に申し訳ないが)これだけは、言わせてもらう。 仮に自分が小坂氏の立場だったら、間違いなくポストを辞任していた。 かなり早い段階で記者会見を開き、「これこれこういう理由で役職を退きます!」と発表していただろう。
そこには、2つの理由がある。 ひとつ目の理由は、そうすることが中曽根議員会長のためになる(=中曽根改革を継続することに繋がる)と思ったに違いないからだ。 普通に考えれば、こんな理屈になる。 「自分がポストに残れば、3派との全面対決になる。どっちが勝っても内部対立が決定的になる。逆に自分が退けば、中曽根会長は自らの手で後任を選べるし、他の仲間は全て執行部に残る。中曽根会長を支える布陣は崩れない!」と。
2つ目の理由は、もっとシンプルだ。 いかなる理由があろうと、参院自民党内の半分近い(?)議員が、「あなたは交代するべきだ、あなたの交代はやむを得ない」と考えている。 そんな状況でポストを続けることは、自分自身のプライドが許さない。 だって、そうでしょう? 多くの仲間が「自分じゃないとこの役職は務まらない」「余人をもって代え難い」と思っていないのだ。 逆に言うと、「何があっても残って欲しい」という声が起こらないってことだもの。
そうこうしているうちに、自民党本部人事の方向性も固まって来た。 参院役員人事のデッドラインが迫る中で、自分にとって「最も悲しい瞬間」が訪れる。 この件については、次回のブログで。
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本日4杯目の紅茶を片手に、その10に突入する。 小坂憲次前参院自民党幹事長とは、中曽根執行部で1年間、お付き合いをさせていただいた。 衆議院時代は、文部科学大臣や議員運営委員長といった重職を歴任したベテラン政治家だ。 バランス感覚もあるし、政策の知識も深いし、(議運をやっていただけあって)交渉も上手だ。 尊敬すべき政治家だと思う。
特に、参院政審の地位向上に関しては、石破茂前政調会長との個人的な人脈も活用して、大いにバックアップしてもらった。 幹事長、政審会長、国対委員長を参院3役と呼ぶ。 小坂氏と脇氏と山本一太。 「金子みすゞ」の詩ではないが、タイプの違う3人が、うまく噛み合っていた。 毎日、気持ちよく仕事が出来た。 出来ることなら、小坂幹事長を中心とした前体制の中で、政審会長を続けたかった。 そのことを断った上で、ホンネを書かせてもらう。
中曽根議員会長は、最後まで(少なくとも表面的には)「小坂幹事長を交代させる」という決定をしなかった。 参院役員人事をめぐる戦いの最終段階に至って、小坂幹事長が記者会見を開き、辞任を発表したのだ。 恐らく、中曽根会長が後任の幹事長候補を新たな人事案に入れると決めた後だと思う。
参院人事をめぐる対立の中で、3派が最初から最後まで一貫して要求したのは、「小坂幹事長を交代させる」ことだった。 3派の人々は、当初、「人事案の中で問題なのは小坂幹事長だけだ。幹事長さえ変えてくれれば、それ以上の要求はしない」と言っていた。 実際、そのことを一生懸命、外に流していた。
「中曽根会長を本当に守りたいなら、小坂氏が自ら身を引いて、幹事長を退けばいい!そうすれば、中曽根体制はそのまま残るし、小坂氏の政治家としての評価も上がる。」「衆院で落選して参院に転身した後、いきなり幹事長になって1年やれたのだ。そんなに欲張らずに、1回休みをすればいいではないか!」 最初は3派が繰り返し発信していたこの理屈が、中曽根会長に好意的だった若手や中間派にも、浸透していった。 その経緯は、過去のブログにも書いた。
議員会館事務所にやって来た若手・中堅議員たちは、同じことを口にしていた。 「一太さん!何とか、全面対決だけは避けるようにしてください。参院自民党のためにならない。残念ですが、ここは小坂幹事長にいったん辞めていただくしかないと思います。」 世耕弘成氏も、「全く同じ感触ですね!」と話していた。 以前のブログでも触れたが、「幹事長交代はやむなし」という党内のムードは、中曽根会長にも伝えた。 小坂氏に届いていたかどうかは、よく分からない。 この時期、小坂氏の意図については、様々な憶測が流れていた。 が、あまりに失礼な内容だ。(苦笑) ここには書かない。
それでも、小坂幹事長に「辞任の動き」は見えなかった。 小坂氏が(最後の最後に)辞任記者会見をするまでの間、中曽根会長との間でどんな話し合いが行われていたのか、それは誰にも分からない。 え? 中曽根会長が小坂幹事長を無理矢理引き止めていたんじゃないかって?! 申し訳ないが、それは(幾つかの理由で)ないと思う。 小坂氏が自ら辞めると決めていたら、中曽根会長は、けっして拒まなかっただろう。 そう思う理由は、誰にも言わない。(笑)
政治家は独立自尊の存在だ。 他の政治家の政治判断について、いちいち干渉するつもりはない。 でも、(本当に申し訳ないが)これだけは、言わせてもらう。 仮に自分が小坂氏の立場だったら、間違いなくポストを辞任していた。 かなり早い段階で記者会見を開き、「これこれこういう理由で役職を退きます!」と発表していただろう。
そこには、2つの理由がある。 ひとつ目の理由は、そうすることが中曽根議員会長のためになる(=中曽根改革を継続することに繋がる)と思ったに違いないからだ。 普通に考えれば、こんな理屈になる。 「自分がポストに残れば、3派との全面対決になる。どっちが勝っても内部対立が決定的になる。逆に自分が退けば、中曽根会長は自らの手で後任を選べるし、他の仲間は全て執行部に残る。中曽根会長を支える布陣は崩れない!」と。
2つ目の理由は、もっとシンプルだ。 いかなる理由があろうと、参院自民党内の半分近い(?)議員が、「あなたは交代するべきだ、あなたの交代はやむを得ない」と考えている。 そんな状況でポストを続けることは、自分自身のプライドが許さない。 だって、そうでしょう? 多くの仲間が「自分じゃないとこの役職は務まらない」「余人をもって代え難い」と思っていないのだ。 逆に言うと、「何があっても残って欲しい」という声が起こらないってことだもの。
そうこうしているうちに、自民党本部人事の方向性も固まって来た。 参院役員人事のデッドラインが迫る中で、自分にとって「最も悲しい瞬間」が訪れる。 この件については、次回のブログで。
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参院自民党役員人事の内幕:その9
2011年10月29日:パート2
中曽根議員会長が示した「現執行部の留任」の方針は、特別総会で承認されなかった。 もう少し正確に言うと、異論が続出したために、会長がその場でまとめ切れなかった。 その後、事態は膠着する。 山本・世耕による中曽根会長への進言(「出来るだけ早く対抗策(新たな提案)を打ち出すべきだ」という提案)が退けられた後、新聞各紙には、「中曽根会長、小坂幹事長交代を固める」とか、「後任の幹事長として00氏や00氏を推す声がある」といった小さな記事が出始めた。 この間、会長室や議員会館事務所で、何度か中曽根議員会長に会った。 その度に、意見を求められた。 毎回、(事態の変化に合わせて多少、表現は変わったが)同じ趣旨のことを申し上げた。
「特別総会で、現執行部の続投を諮っていただいたことは感謝しています。今の体制で引き続き参院自民党を運営出来れるなら、これほど嬉しいことはありません。でも、中曽根会長、あらゆることから考えて、小坂幹事長の留任は難しいと思います。何度も申し上げているとおり、1年もあったのに、現執行部への不満を解消出来なかった。それは、私たち全員の責任です。だから、小坂幹事長には大変、申し訳なく思っています。」
ひと息ついて、こう続けた。 「複数の若手・中堅議員と話しました。党内のムードを探ってみましたが、現時点での3派の明確な主張は幹事長の交代です。最初の人事案にあった国対委員長や政審会長を辞めさせろという声は出ていません。各派を担当する記者もそう言っています。え?会長のところにもそんな要求は届いていない?!そうだと思います。」
最後に、意を決して言った。 「中曽根会長も板挟みで苦しんでおられるのはよく分かります。でも、以前から申し上げているように、決断が遅れれば、それだけ事態は悪化します。事実、味方や中立派の間にも、疑心暗鬼が広がっています。とても言いにくいことなのですが、反執行部陣営の要求がエスカレートする前に、幹事長の交代を決断していただくほうがいいと思います。後任の幹事長は中曽根会長自身の手で信頼出来るひとを選び、なおかつ、それ以外の布陣(中曽根支援体制)も全て温存する。幹事長のポストは、たとえば、今の執行部のポストを入れ替えるという発想があってもいいと思います。これが、現時点での最良の選択肢ではないでしょうか?ええ、世耕幹事長代理も、私と同じ認識です!」
終わってみれば、小坂幹事長は退任を余儀なくされ、後任には3派の推す溝手幹事長が就任した。 政審会長も派閥のバランスで配置され、事務の要とも言える幹事長代理も守れなかった。 今、1年前の議員会長選挙の前のある晩に、この3人(小坂、世耕、山本)でホテルの部屋に籠り、作戦を練ったのを、ふと思い出した。 過去のブログにも書いたが、今回の役員人事は、中曽根会長派(=改革派)の「完全敗北」だった。
現執行部の留任案が退けられた後、中曽根会長が、なぜ、1ヶ月近くも決断を遅らせたのか?! なぜ、小坂前幹事長の交代を決められなかったのか?! その理由は、今も「謎のまま」だ。
中曽根会長と小坂前幹事長の間には、長年に渡る友情がある。 実際、中曽根会長が最も信頼しているのは小坂氏だ。 そうじゃなかったら、自分の異論を押し切り、内部に強い反発があることを覚悟して抜擢したりしない。 その小坂前幹事長を外すことは、中曽根会長にとって「泣いて馬謖を斬る」ような辛い判断だったに違いない。 が、しかし、リーダーは、苦渋の決断を求められる。 そして、あの場面では、どう考えても、その選択肢しかなかった。(キッパリ) 自分の回りも、皆、ホンネではそう思っていた。 口に出さなかっただけだ。
もしかすると、何か外には言えない「特別な事情」があったのだろうか?! 中曽根会長に、山本一太程度では考えも及ばないような「深い戦略」があったのだろうか?! この2人の最高幹部の間でどんなやり取りがあったのか、どんな約束があったのか、それは分からない。 ひとつ残念だったのは、中曽根会長が「真意」を率直に打ち明けてくれなかったことだ。(ため息)
もうひとつ、直情径行のシンプルな自分には、どうしても腑に落ちないことがある。 それは、中曽根議員会長に最も信頼され、中曽根会長のことを最も深く思っているはずの小坂前幹事長が、なぜ、最後まで身を引こうとしなかったのかということだ。
もう一杯、紅茶を飲み、少し指を休めてから、ブログの続きを書く。
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中曽根議員会長が示した「現執行部の留任」の方針は、特別総会で承認されなかった。 もう少し正確に言うと、異論が続出したために、会長がその場でまとめ切れなかった。 その後、事態は膠着する。 山本・世耕による中曽根会長への進言(「出来るだけ早く対抗策(新たな提案)を打ち出すべきだ」という提案)が退けられた後、新聞各紙には、「中曽根会長、小坂幹事長交代を固める」とか、「後任の幹事長として00氏や00氏を推す声がある」といった小さな記事が出始めた。 この間、会長室や議員会館事務所で、何度か中曽根議員会長に会った。 その度に、意見を求められた。 毎回、(事態の変化に合わせて多少、表現は変わったが)同じ趣旨のことを申し上げた。
「特別総会で、現執行部の続投を諮っていただいたことは感謝しています。今の体制で引き続き参院自民党を運営出来れるなら、これほど嬉しいことはありません。でも、中曽根会長、あらゆることから考えて、小坂幹事長の留任は難しいと思います。何度も申し上げているとおり、1年もあったのに、現執行部への不満を解消出来なかった。それは、私たち全員の責任です。だから、小坂幹事長には大変、申し訳なく思っています。」
ひと息ついて、こう続けた。 「複数の若手・中堅議員と話しました。党内のムードを探ってみましたが、現時点での3派の明確な主張は幹事長の交代です。最初の人事案にあった国対委員長や政審会長を辞めさせろという声は出ていません。各派を担当する記者もそう言っています。え?会長のところにもそんな要求は届いていない?!そうだと思います。」
最後に、意を決して言った。 「中曽根会長も板挟みで苦しんでおられるのはよく分かります。でも、以前から申し上げているように、決断が遅れれば、それだけ事態は悪化します。事実、味方や中立派の間にも、疑心暗鬼が広がっています。とても言いにくいことなのですが、反執行部陣営の要求がエスカレートする前に、幹事長の交代を決断していただくほうがいいと思います。後任の幹事長は中曽根会長自身の手で信頼出来るひとを選び、なおかつ、それ以外の布陣(中曽根支援体制)も全て温存する。幹事長のポストは、たとえば、今の執行部のポストを入れ替えるという発想があってもいいと思います。これが、現時点での最良の選択肢ではないでしょうか?ええ、世耕幹事長代理も、私と同じ認識です!」
終わってみれば、小坂幹事長は退任を余儀なくされ、後任には3派の推す溝手幹事長が就任した。 政審会長も派閥のバランスで配置され、事務の要とも言える幹事長代理も守れなかった。 今、1年前の議員会長選挙の前のある晩に、この3人(小坂、世耕、山本)でホテルの部屋に籠り、作戦を練ったのを、ふと思い出した。 過去のブログにも書いたが、今回の役員人事は、中曽根会長派(=改革派)の「完全敗北」だった。
現執行部の留任案が退けられた後、中曽根会長が、なぜ、1ヶ月近くも決断を遅らせたのか?! なぜ、小坂前幹事長の交代を決められなかったのか?! その理由は、今も「謎のまま」だ。
中曽根会長と小坂前幹事長の間には、長年に渡る友情がある。 実際、中曽根会長が最も信頼しているのは小坂氏だ。 そうじゃなかったら、自分の異論を押し切り、内部に強い反発があることを覚悟して抜擢したりしない。 その小坂前幹事長を外すことは、中曽根会長にとって「泣いて馬謖を斬る」ような辛い判断だったに違いない。 が、しかし、リーダーは、苦渋の決断を求められる。 そして、あの場面では、どう考えても、その選択肢しかなかった。(キッパリ) 自分の回りも、皆、ホンネではそう思っていた。 口に出さなかっただけだ。
もしかすると、何か外には言えない「特別な事情」があったのだろうか?! 中曽根会長に、山本一太程度では考えも及ばないような「深い戦略」があったのだろうか?! この2人の最高幹部の間でどんなやり取りがあったのか、どんな約束があったのか、それは分からない。 ひとつ残念だったのは、中曽根会長が「真意」を率直に打ち明けてくれなかったことだ。(ため息)
もうひとつ、直情径行のシンプルな自分には、どうしても腑に落ちないことがある。 それは、中曽根議員会長に最も信頼され、中曽根会長のことを最も深く思っているはずの小坂前幹事長が、なぜ、最後まで身を引こうとしなかったのかということだ。
もう一杯、紅茶を飲み、少し指を休めてから、ブログの続きを書く。
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