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ご協力感謝

 おかげさまで土曜講座、伝えるべきは伝えて終えることができました。勿論、本来、もっと参加した生徒諸君の自主的議論に委ねるべき性質のものですが、H3文系クラスでの試行の結果が思わしくないものであったところから私自身の体験を交えて何を懸念しているか、どういう方向に進めたいかの説明はしっかりさせてもらいました。
 トータルとして言うべき言ったのではないかということになろうかと思います。
 主として参考にした本は次に挙げるものですが、別段、他人の意見に無条件に従おうというものではなく、あちこちで個人的経験や記憶に触れ一部の受講生に嫌な顔をされました。しかし、自分の経験から考え始める、確かめることは必要不可欠で、他人の(権威の)主張を鵜呑みにする態度こそ誤ったものではないかと思います。

 岩田健太郎『ためらいのリアル医療倫理』(技術評論社)
 西部萬他『危機の思想』(NTT出版)
 戸羽太『被災地の本当の話をしよう』(ワニブックス)
 佐伯啓思『現代文明論講義』(筑摩新書)
 更に、インターネットで見ることのできる鷲田清一の大谷大学における講演「震災と哲学」の動画。
 鷲田清一『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』(ちくま学芸文庫)
 ジャン‐ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』(岩波書店)


 おそらく、予想していた内容とは異なるものであったと思います。申し訳ない。断定口調の白黒を明確にするアメリカ型議論しか市場に流通していないような印象の時代にあえて、そうではないものを持ち出しているのです。時代錯誤と言われてもしかたのないところです。フランスのパスカルとかオーストリアのV.フランクルの思想のようなものを想定していました。理解できていないけれど、内田樹の私淑するレヴィナスの思想もこのような文脈上にあるそうです。
 そして、日本人の近代における伝統の中にも同質のものを見いだせると私は考えていたわけです。
 いっそうの勉強を積み重ねます。もっとわかりやすく説明できるときがくるものと思います。(10.22)

 ためらいの倫理とか世界を白黒で塗り分けるのではない程度とか強度を考慮した(灰色ということになるのかな)思考というものについては後日、引用を含めて紹介したいと思います。また、レヴィナスのいう有責性については、内田樹の紹介をお読みください。私は頭が悪いので、二、三回読んだくらいでは咀嚼できません。

へえー。そうだったのか

 大阪維新の会が出した府立高校教師の人事管理に関しては、「ずいぶんと乱暴なことをするなあ」という感想を抱いていた。あれでは教師はついていかないだろう。そのうち破綻するとも感じた。まあ、それは私学にとって得になるので、それはそれでよいのだろうが。
 日経ビジネスの「統計学者・吉田耕作の統計学的試行術」という連載の「日本の教育の崩壊はなぜ起きたのか〜 『成績』は時と場合によって異なるものである」に成績評価についての詳しい説明があり、主要国の教師の勤務時間についての比較表の検討が載せられ、検討した上で、大阪維新の会が大阪市議会に提出した競争原理を強調した教員管理の内容をもつ草案の内容について以下のような疑問というより反証を提示している。

 条例の草案を作った大阪市議は、サッチャー時代の英国の教育改革に影響されたそうだ。表1で明らかなように、英国の教員の勤務時間は日本の約3分の2しかなく、雑用は勤務時間の半分にも満たない。このような恵まれた職場環境を与え、教員に社会的地位の向上を図ることこそ、英国から学ぶ第一の事ではない か。

 リソースを与えず競争に駆り立てて何が生まれるというのだろう。私は英国がサッチャー政権時代に経済が飛躍的に成長した最大の原因は、北海から石油が出 た事だと思う。しかも、英財務省の調査で、2007年には英国上場企業の約半数が外資の傘下に入っている事が分かった。そして、英国の人口のなんと10人 に1人がより良い質の生活を求めて海外移住している。こういう状態で、英国の教育が成功し、より豊かな社会を作り出したと言えるのであろうか。

 吉田先生は、地方議員の知的レベルを過大評価していないか心配になるのであるが、こういう当たり前のことが分からない人が最近増えてきた気がしてならない。その上、そういう人たちがやたら大声で叫びたがる。なんとなく進歩を信じていたのか、まさか80年代以降の日本社会がこんな風に退化現象を起こしていくとは想像もつかなかった。(10.22)

 もう一つ気になるのが田坂広志・多摩大学大学院教授(菅内閣の内閣官房参与)の「福島原発事故が開けた『パンドラの箱』〜野田政権が答えるべき『国民の7つの疑問』」だ。検索をかけて動画を見るか、スライドを見てほしい。使用済み核燃料棒の処分場の問題は、技術敵問題というのではなく、社会心理学的な問題だ。日本中のどの地域も、自分のところには核処理場や保管場を作ってほしくないと考えるだろう。これを説得するのは大変な労力になる。政府は「信頼」を醸成していかなければならない。
 また、原子力発電の再開は、これまでのように狭い地域の町村長の許諾だけでは済まなくなるのではないか。いざ被害が広がるとなると広域で被害を受けることは今回の事故で知らされたのだから、これまでの手続きでは不十分と多くの国民が感じるだろう。当然、補助金に物を言わせて取引するという手段も使いにくくなる。
 使用済み核燃料の保管場所も確保できず、原発の炉内に置いておくというのはテロ攻撃に対してとても脆弱になることを意味する。
 こんな危険な状態でいいのか。
 また、最終処分場が確保できたとしても、150年後の世代に危険物を押しつけることの妥当性はどうなのか。
 そうした不安を低減させるためにも、国民的議論と合意が必要だ。

雑題

 タイトルに困りますが、これということのないニュースのこぼれ話しのようなものをいくつか。

 橋下徹大阪府知事は、2009年2月10日、450億円の赤字の見込みだった大阪府の2009年度一般会計の当初予算案が、11年ぶりに黒字に転じる見通しになったことを明らかにした。ところが、府の包括外部監査人(中西清・公認会計士)が大阪府が五つの出資法人に対して低利の短期(単年度)貸付を繰り返していることは実態は長期貸付で、不当な財政操作にあたるとして、早期是正を求める報告を知事と議会宛に出していたというのです。こうした操作がなければ853億円の赤字となり、国の管理下に置かれる「財政再生団体」に転落していた、との試算を示したというのです。(宮武嶺blog 2011年10月21日)
 なんだあ、黒字転化というのは誇大広告みたいなもんだったのか。じゃあ。橋下氏の大言壮語は何の実態も伴わなかったのか。ちょっと面白くなってきた。失礼ながら、前から大阪の人たちは横山ノック知事とかちょっと問題ありの人を選ぶ傾向があるのではないかと感じていたのだけれど、もうしばらく待つと実態が明らかになりそうな気配ですね。
 それにしてもテレビの一般的ニュースではみんな黒字転化とばかり昨日も伝えていたけれど、このギャップはどう判断すればいいのでしょう。

 24日夜のBSフジ・プライムニュースは、諸君の先輩にあたる、日下公人さんが出演していて、極めてスリリングでした。番組冒頭では最新ニュースとしてTPP関連の各種圧力団体や民主党各セクションの動きが伝えられ、これに対するコメントが日下さんに求められました。これに対して、「交渉に参加しないのがよい」と応えておられました。理由は、経産省にしろ、外務省にしろ、内閣府にしろ、官僚も政治家も明確なビジョンを持ち合わせているようには見えない。ならば、交渉してどのように相手を説得するというのだ。こういうときには交渉そのものに入らない方がよい。このように述べられていました。司会者の「では、バスに乗り遅れるというような意見に対してはどのようにお答えになります」と驚いたような質問に、「どの国もいまままで日本とつきあってきて、いい目をしてきたのです。だから、ノーと言えば、次に相手が出してくる次の提案は日本により有利になりますよ」と返していました。更に、驚いて、「でも日本は孤立しませんか」という質問には、「だから、いままで日本は誠心誠意などと言って、相手国にとって有利になるようなお人好しの交渉をしてきたのです。だからどの国にも日本はつきあって損のない国なのです。だから放っておきませんよ」

 同感。同感。こう思いました。

 少子高齢化社会が昨夜のテーマだったのですが、コメンテーターの関大教授で政府の諮問機関メンバーとかいうおばさんのヒステリックな政策的見地からの発言があって(すいません。あまり耳に心地とよくなかったのでチャンネルを「居酒屋放浪記」にそのときだけ切り替えたのでした)、司会者がネパールの国民幸福指標みたいな目標はどうかというような質問に対して次のような答えを返したのも面白かったですね。
 昔、池田勇人内閣の時に、日本開発銀行からの出向で国民所得倍増計画の立案に参加して、そのとき当然、こんな目標は10年で達成してしまう。そこで、次に国家目標とすべきことを議論しておくべきではないかという意見がメンバーから出て、次は国民幸福のような指標になるだろうということになった。けれども、課長がどうしてもそれだけは許せないと言った。自分が若いときに時に政府は、幸福の規定をしてくれた。「お国のために死ぬこと」これこそ最大の幸福だと教えられた。時代は変わっても政治権力というものはそういうものだ。だから、それは認めるわけにはいかない。
 幸福というのはひとそれぞれ。個人差があっていいんじゃないですか。

 若い層では、怠けること、生活に最低限必要な稼ぎだけして後は好きなことして暮らすことを幸福と感じる人たちも増えているのではないかと日下さんはおっしゃる。賢い女性コメンテーターは格差拡大の問題の深刻さについて数値を挙げて説明しますが、「そんなことは大学を出た人だけが言うこと。そうでない人たちはそう感じている人も増えてますよ。幸福の規準が異なってきている」「いかがですか?」とおっしゃる。
 少子高齢化社会では、高学歴とか高収入とか都市志向とか社会進出とは別の方向への嗜好の変化が出てきて、仕事より子供の方が大事という男女、自然の豊かな土地で暮らそうという人たちが出てきて、彼らはそういう生活を選んでいく。個人のプライバシーを大事にし、個人主義的生活スタイルは都市では向いているけれども、田舎では、むしろ家族主義や共同体内での助け合い、相互依存の大切さの方が実感する。一つの社会の内部に二重の生活圏が生まれつつあるのではないか。こうした文化変容はやがて大きな変動を生むと予測される。

 日下さんは、そもそも個人主義というのはキリスト教的文化の中で成立したものだと補足説明をする。最後の審判というのがありますね。そのときが来ると、死者もすべて生き返り、神の前での審判を受ける。個人個人が評価され、神の国に入れるかどうか審査されるのだ。ここでいくら「みんなのために我慢してそうした」と説明しても却下される。「お前自身がどう考え、どう行動したかだけが問題なのだ」とされる。
 日本人は、和の方を優先しますしね。縁を重視します。

 近代化日本では、そして、特に敗戦後の日本ではアメリカ的価値をまねしてきたわけです。
 「それに対して、そろそろ反省期が訪れ、変化が起こっているんじゃないですか」と日下さんはおっしゃるのです。

 国民所得倍増計画というので思い出したのですが、下村治『日本は悪くない、悪いのはアメリカだ』(文春文庫)が出ています。1984年に出版されたものの文庫版です。下村さんは言わずと知れた国民所得倍増計画の中心人物で経済企画庁を創った人です。彼は、経済現象と自然現象の違いをしっかり認識していた方です。台風は来てほしくないと願ってもそんな願望とは無関係に一定の法則に従って到来します。ところが、株価が下がるとみなが思えば株を売りに走り、その結果として株価はさらに下がるように、経済現象は、人間の集合的意識がもたらすものでもあります。
 経済は「国民経済」を基礎とするのが当然です。経済学とは経世済民の学なのです。「日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である」のです。「その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか」がまずもって優先されるべき課題でしょ。

 ところが近年、官僚も政治家も経済人も、国際競争をどうしたたかに生き延びるかという命題を、国内競争における生き残り競争と勝手に読み替えて、「一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行くか」についての努力を手放そうとしているかに見える。一応、彼らの言い立てる理屈としては、一時的に雇用は減っても、生産性の高い産業が日本経済を牽引して、いずれその突出した成功をおさめた国際的企業の収益が次第に下の方まで回っていくから我慢して待っていればよい、というのだが、どうみても、彼らが国民すべてが、雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受することを目的としているようには思えない。もしも日本列島における利潤率が低下を続けるならば、列島外に逃げ出していくことをも覚悟しているようにしか思えないときがある。(もっともそのつもりでタイに逃げて工場を作ったところ水害で大きな損失を被ったりするのだが。彼らは地理のお勉強をしなかったのだろうか。あそこはそういう土地でしょ。) 

 もっとも、日下さんは、「逃げ出したい人は日本を逃げ出してもさしつかえないのではないでしょうか。どうせ、やがて日本は、これまでとは違ったかたちでの発展を遂げ、みんな幸せになるのだから。」こんな風におっしゃるかもしれません。

 興味を持った人はネットでプライムニュースを検索をかけて、ダイジェスト版の画像を視聴されたらどうでしょうか。彼の教育に対する予測も大胆なものが示されていました。もしかするとその部分も入っているかも知れません。(10.25)

 ところで、一部の生徒が自主学習会を開いています。10月から11月にかけて、精神病患者を社会がどう受け入れるかとか、家族はどのように対応しているか、あるいは労働という観点からどう対処すべきという政策が採られているかなどのうちいずれかの読書会と討論会を経て、私も加わってより深く話し合ってみようというような試みだと聞いています。

 上については誤解しているところもあるかと思いますが、近いものを試みているものと思います。
 参加される方は多い方がよいでしょう。

 以下は私の意見ですが、「神の見えざる手」による予定調和を主張したアダム・スミスは晩年、「共感」という人間の心の働きに期待しました。やはり自由放任だけでは無理があると気づいての修正でした。
 ジャン・ジャック・ルソーは、人間が本能的にもつ「憐れみの心」こそが共同体を共同体ならしめると認識するに至ります。徹底した個人主義敵なところのあるルソーがです。

 ルソーの『エミール』に感動したイマニエル・カントは、その「憐れみの心」から議論を展開していきます。

 高校生が理論体系を学ぶ必要はない。むしろ、その年齢でこそ共感とか「憐れみの心」あるいは、他者の気持ちになって物事を見てみるような経験をしておくことこそ、後年役立つように思います。
 「弱者は切り捨てていい」というような社会理論はありません。それはなぜなのでしょう。
 ともあれ、自分自身が弱者の身に寄り添って想像してみる。自分の中の弱さに思い至り、共振動を起こす。そのときに啓かれる視野の広がりこそが強い力になるのではないか。

 下村さんの視点も、経世済民の学として自らの仕事をとらえる力強い姿勢から出てきたものです。松下幸之助が「水道の哲学」として語ったのも、水道の蛇口をひねると水がいくらでも出てきて、安く人々の口に入るように、家電製品も豊富に安価に提供されるようになれば、みんな豊かに幸せになれるではないかというものでした。グリコの江崎さんだって、日本人の体位が貧弱であった時代に、栄養価の高いグリコ・キャラメルを安価に提供することで日本人の栄養状態の改善に寄与できるということを意識していたそうです。
 しかも彼らは安価な製品を作り出すために従業員の犠牲を考えるということは思いもしなかったでしょう。
 これは私の思いであって、企画者の考えとは違います。しかし、そんな方向に進んでくれるとうれしいなと思っています。まったく別の方向に進めば、それはそれでいいと思いますが。(10.25)

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