1988年から毎年センター試験には必ず首都が問われています。
(中国) 諸王朝の首都:殷は安陽、周は鎬京→洛邑、秦の咸陽、前漢の長安、(王莽の新の常安は出ない)後漢の洛陽、三国の洛陽・成都、建業(呉「ご」だけが業「ぎょう」と濁る発音、後の宋斉梁陳はみな建康と濁らない発音。建業という名前はで出題されたことはないが、建康は4回出題歴あり)、一時統一した西晋は洛陽、北魏は平城から洛陽へ遷都(この時代のほとんどの王朝は洛陽を首都にした。後漢から隋の統一まで洛陽時代)、隋の大興(出題歴なしだが、頻度から出題されてもおかしくない)、唐の長安、北宋の開封、南宋の杭州(臨安の名でも出題している、杭州臨安とくっつけておぼえましょう)、モンゴル帝国のカラコルム→元朝の大都、明朝は金陵(南京とおぼえてはならない)→北京、清朝は北京(北京に遷ってくる前の瀋陽は出題されたことがない)、蒋介石の「南京」国民政府は日本の侵略(日中戦争)で重慶に遷都、今は台湾に逃亡、共産党の現政権は北京。
(朝鮮) 朝鮮半島は新羅の慶州、高麗の開城、李朝の漢城(ソウル)。
(インド) 古代が、マウリヤ朝のパータリプトラ、クシャーナ朝のプルシャプラ、グプタ朝のパータリプトラだけ(ヴァルダナ朝のカナウジは出ない)。ムガル帝国はデリー→アグラ→デリー。イギリスはカルカッタからデリーへ(1912)。
(東南アジア) 東南アジアの首都と王朝名はほとんど一致しているので出題されない。タイの首都はスコータイ朝・アユタヤ朝・チャクリ朝(バンコク朝)はみな首都名でもある。たとえば国名とちがうシュリーヴィジャヤ王国の首都パレンバンは出たことがない。
(西アジア) 西アジア史では、古代エジプトの古王国→中王国→新王国の首都がメンフィス→テーベ→テーベの順(古代エジプト史で唯一出題される王アメンホテプ4世の遷都したアマルナは出たことがない。頻度から出題されてもいい)。 アッシリア帝国の首都ニネヴェは出たことがない(頻度から出題されてもいい)。アケメネス朝の首都ペルセポリス(ポリスが付くためギリシアの都市として正誤判定対象として出ている)とスサ(王道の起点として出題2回)。パルティアとササン朝の首都がクテシフォン(2回出題歴あり、覚え方はPSフォン、P(ピー)がパルティア、S(エス)がササン朝)
イスラーム王朝の首都:(正統カリフ)メディナ(メッカを首都と勘違いしないように)→(ウマイヤ朝)ダマスクス→(アッバース朝)バグダード→(後ウマイヤ朝)コルドバ。 ファーティマ朝のカイロ建設(その後、カイロを首都にアイユーブ朝→マムルーク朝もカイロ。カイロの3王朝はファーティマ朝の中にフ・ア・マが順にあり)、ティムール帝国のサマルカンド(★ティムール様感動)、サファヴィー朝のイスファハン遷都(タブリーズからだがタブリーズはイル汗国の首都でもあるものの出題歴はなし)、サーマン朝のブハラ、オスマン帝国:イスタンブル(ここに遷ってくる前のブルサ→アドリアノープルは出たことがない)→(20世紀の革命で)アンカラ、イラン(ペルシア)の首都テヘランはセンター試験的にはカージャール朝から首都ですが出題されたことはありません。
(ヨーロッパ) ヨーロッパ史では都市とその位置はよく出題されるとしても、首都として出題されたことがあるのはビザンツ帝国とイタリア王国の統一過程での首都だけです。
ビザンツ帝国はもちろんコンスタンティノープル(96追、98、99追)、 イタリア王国は初めローマではなかった(トリノ→フィレンツェ→ローマの順ですが、トリノをおぼえておく必要はない、フィレンツェはメディチ家の町としてはおぼえなくてはならないが)。
(ロシア) ロシア史の首都:キエフ→(キプチャク=ハン国の)サライ(これは2回出題)→モスクワ→サンクト=ペテルブルク→(第一次世界大戦で改称)ペトログラード→(ソ連)モスクワ
(アメリカ) インディオ文明ではアステカ帝国の都がテノチティトラン、インカ帝国の都がクスコ(3字)。 アメリカ合衆国の首都、フィラデルフィア→ワシントン、南北戦争中の南部の首都リッチモンドは出題されたことがある(02)。
これらの首都を地図上で指させるようにしておきましょう。