いろはの「イ」

真理は語れるのですか?

霊視能力

2011-09-23 23:47:10 | Weblog
霊視というものについて簡単に書いてみます

リー氏は今はほとんどが「神示」と言っておられるわけなので、当然この霊視能力があるのが前提となりますね、ましてや神示ですからありとあらゆるものを包含した霊視ですということです

まあ、わたしのつたない文章なので、不足や誤解は多々あると思いますが、学び、感じ、実感したところを書いていきます

霊視とはを簡単に書けば、あちら(見えない世界)の情報(波動)を視覚化できる力が霊視能力です、過去や未来も見えない世界です、これらは物質が存在しない、すなわちあるのは波動だけです、過去や未来も波動です、これは霊媒体質という特殊な事情を持っている人しかできない能力です、その霊媒体質とは大まかですが、たとえば幽体が発達していて幽体のオーラが肉体からはみ出ている人、私^^(普通は肉体に収まっている)、肉体が浄化されていて肉体のオーラがその能力の妨げをしない人、また、額のチャクラが発達している人。私^^などです

で、霊視に使うのはほとんどがアストラル体、メンタル体というものであるのですが、この媒体は個人個人の波動スペクトルが異なるために、見えるのは全てが主観となります、要するに自分の持っている波動で参照していますよ〜です、詳しく書けばややこしいので書きません

少しずれますがこれは私達が普段眼にしている現象(物質)世界も同じようなことが言えます

外の世界(波動)を自分の肉体の五感という媒体(波動)を通して見るわけですからその意味では私達はそもそも主観でしか世界を見ていません、いくら心に「客観客観!」と言い聞かしても見えるものの基本は主観です、よく客観的に物事を見るといいますが本質は思考レヴェルでは無理です(全てではないですよ)、要するにこれは両方の波動(外と五感(内))が干渉している、つまり見る人の心の中で外の世界の映像を造り出しているということです、あ!意志ではないですよ、無意識にです^^

では、問題はなぜ皆が同じように世界が見えるのかといえば、肉体の五感という共通の波動で見ているためです、噛み砕いて言えば肉体という同じレヴェルの波動で構成された媒体(肉体)を私達は持ちます、だから善人も悪人も見える光景はほぼ同じとなります、この五感(肉体)のない世界が幽界ですので幽界では完全に自分の波動と同じ波動レヴェルの世界が展開している状態で、善人と悪人は見える世界が全く違います、ここで言う見える世界イコール自分の生活する世界です、当然そこは人それぞれ個々の世界があり、そしてこの世と同じようにその世界を現実と錯覚している迷った状態で暮らしてます。この世で迷っている人はあの世でも同じく迷います(私もです、涙)

私が目の前のりんごを見て「これはりんごだ」と認識するとします、これは「見える」という私的にはとっても強い、いやこれ以上ない説得力になるので、疑う余地もなくあきらかにりんごですと思うのです、自分が見えているりんごを疑う人はまずいません、誰かが「これはパイナップルですよ」と言っても当然聞きません(笑)

幽界は違います、極端なたとえですが、りんごの原型のような波動がそこにあったとします、二人がそれを見ればこの世では二人とも「りんご」なのですが、幽界には肉体(五感)という媒体がありませんので、その人の魂の波動レヴェルでの参照となり、ひとりはみかんのように見えますがひとりはスイカのだと見え、地獄の住人は骸骨や憎い人の顔にに見える人もいるかもしれませんし、天国の住人ならダイヤモンドに見えるかもしれません、まったく見えない(波動が違う)かもしれません、この世と違いそれこそひとりひとり全く別の世界が目の前に展開しています、極端なたとえです、厳密には地獄の人が見える波動は天国の人には見えません

よく自殺がいけないのと言われるはこのためです、たとえばですがこの世で借金の取り立ての恐怖と苦しみで自殺してしまったとします、あの世に言ってもこの世と同じですので、この世でしたら電話を切ったり、その取り立て屋が絶対に解らないところへ逃げればたとえばその時だけは取り立てはきませんし、第三者が助けてくれるかもしれないですが、向こうでは想念が即現実となるので、たとえば恐怖のあまり「またどこかで電話がなるのでは」と思えば、確実に電話が現れそして鳴り「死にたい」と思っても基本死んでいますから死ぬことはできません、これを地獄と呼ぶかもしれませんが、これも本質的には幻影です、ここに早く気付くかどうかは本人次第ということですが、ちなみに必ず気付きます

これは私の弟で経験済みです

このことが前にも書きましたがサイキック霊視、つまり主観での霊視者(観る側)が霊視をして見えた世界も自分の主観で造り出している、つまり私達が経験しているのと同じようなことです。私達が肉体を通して外の世界を見るように、彼らは自分の幽体を通してその波動領域の外界が見えるだけです、ですから、未来を予知するのも、過去のカルマを見たり、たとえばパソコンの向こうの相手を見たりするのも主観で見ているわけですから真実はほど遠いではないでしょうか

もしこの世で低いレヴェルの霊能者が自分の低い波動レヴェルの幽体を通して見えない世界を霊視したらと創造すればわかりますよね、逆に高い波動の幽体の人は高次元の波動領域が観えるのであって、幽界でももう少しで解脱しそうなレヴェルとなればそこそこ信頼も置けるような気がしますが、確実に言えることはそのような高次の世界には魔や悪は存在しませんので、その人の霊視がどこからの情報なのか見極めることは簡単なこととなります

ただ過去を当てられた人っていますよね、これ結構当たります、なぜなら見てもらっている人の記憶にのこっているからです、厳密に言えばその人の波動に自動的に刻印されています

でも、例えば自分の過去生は武士だと思い込んでいる人を見ればその人の心が作り出した武士が霊能者から見えるのです、もっと低レヴェルになればその人の容姿で無意識に想像してしまい、それが見えるということもあります。主観を見るのは主観ということです、もし地震を予知するなら自分自身の全ての主観を取り除いて見ることができなければ、そこに何らかの自分の主観、これは自我ともあてはまりますが、その主観で見る限り、あてになりません、修行として山や洞窟に篭るのもこういった側面(主観を除く)もあります、自分自身を完全に客観視できる人が見れば、それは真実味はあるのかもしれませんが、この人はすなわち覚者です。釈迦やイエスと同じとなります

私は思いますが、そんな人は少し時期や場所がずれるなどありえません、ただやらないと思いますが(笑)

早い話が客観視できなければ霊視など見えてはいるのですがあてにはならないということです、私など主観ばりばりでしたので自分が無意識に造り出した思い込みを造り出し、自分でそれを見ている状態です^^
また、チャネルしてよからぬ存在にちょっかいをだされることもたびたにですので、きっぱりとやめました、それも全て影幻だと気付いたのもありますがね

で、スピリチュアルな霊視能力はそれとは全くちがいます

これは自我(主観)ではなくキリストで言う真我(客観)が関わりますから、サイキックのように限定された波動ではなくこの物質レヴェルから他の全てのレヴェルの最上まで参照します、ちょうど上空から地上を見下ろすような感じです
この真我の意識では全体が自分自身ですので、意識の焦点を変えるだけで違う時空間やまた意識を拡大すれば地球、太陽系、恒星系、銀河系まで一望できる状態の意識が覚者の本物のスピリチュアル霊視です

ちなみに自分の五感(観念)で想像しないで下さい、そんなものは比較もできないほど精妙で多彩な表現として認識します、これは五感にはない感覚のようなものです

それはなぜ解るのか?と聞かないで下さい、それぞれに人間は事情というものがあるのですから、笑

さてさて、リーマン氏はどの波動領域を参照してくれているのでしょうか^^


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34 コメント

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いろはさん (cosmic_heart)
2011-09-25 11:25:27
前回のコメ欄でのご質問ですが・・・
>参考までに、その自分にあった道の実践のたとえでもいいので
>聞かせていただきたい
>それはたとえば行法なのか日常レヴェルなのかということです

「その人の全ての選択と行動」を指しますから、日常レベルとも言えるし、行法レベルともいえます。
要するに、全てを含みます。
日常の一つ一つの選択の中に、その人の全てが現れると言っても良いし、カルマを浄化するのもカルマを積むのも、日常の中で行なわれている。
だから、日常こそが最も大事だと思います。

特別な行法は、「本質的」には必要ではありません。
ただし、人間はもはやハートの信号さえなかなか聞けなくなっている状態ですし、カルマを浄化しようとしてもその際の「痛み」を無意識的にブロックしてしまう。
なかなか進めない。
だから「方便的」には特定の行法も必要だと言えると思います。
いろはさん、まいどおおきに。 (鬼雷)
2011-09-25 17:59:10
自己の霊的資質を最大限に発揚させるには、五感に囚われず、虛中、空に自神を見出さねばならない。道による、人体の八脈全てによる水火の気の運行、それによる、丹田(チャクラ)全ての覚醒。それは、いかなる心理的労力を用いず、静寂の中、自ずから無為自然に解放されなければならない。

いろはさんの弟さんの事は、前のブログで見たことがあるけれど、どうやら救済されたようですね。良かった、良かった。

多くの霊能者が五感による心理的蒙昧に囚われていると考えますので、このような記事は、喜ばしいです。そして、いろはさんに興味深深な僕としては、真のいろはさんが観えてきそうで楽しいです。
記事更新ありがとうございます。
Unknown (Unknown)
2011-09-25 21:36:05
すごく面白かったデス。
Unknown (J)
2011-09-25 21:50:27
と、言う事はレベルの低い霊能者は自分の主観も混ぜて霊視結果を述べているってことですか?よく霊能者は波長を高く保っておかなければいけないと言いますね。人を霊視してその結果を責任を持って述べるには高い所から主観をはずして見なければいけないってことですかね?(聞くまでもなく、そうですよね)なんか、そう考えると大変なことですね。「中途半端な霊視は人に迷惑をかける場合がある」ある霊能者さんが言ってた。そういう人達は霊視した、出来たことに重点を置いて、霊視結果がその人のためになるものか、そうでないか、そこまで見極めなければいけないのにそこまで出来ていない、とおっしゃってました。「私は霊視出来ます。どうぞ見てあげましょう」と相談者をひたすら待ちながらあぐらかいてるだけの人は波動を高めるもなにもないから要注意…(汗)相談者と言えば、病気の相談はやめてほしい。本当に相談者のための答えなのか、ほんとうに霊視出来ているのか…不安じゃないですか。何度か面会して信頼がおける人なのか人格がどうなのか、こちらも見極める必要あり、だと思いますよ。
Unknown (柊)
2011-09-25 22:01:56
まだまだきちんと整理することは難しいですが今日の記事は私にでも解りやすかったです。
私達は共通の五感を通して外の世界を見ていて霊が見えるのは五感を通すのではなく幽体を通して見えているのですね。
幽界へは肉体を持っては行けないので幽界では幽体を通して展開する世界で生活していて、それは五感を通すか幽体を通すかの違いだけであり、迷っているになんら変わりは無いのですね、ということはそれを見ている本当の自分が存在するとなりますね、その存在は個ではなく神の一部分で、それは本当は唯一つですが肉体を通すことに因って分離意識が生まれてしまうということでしょうか?
それならあくまでも理屈かもわかりませんが私には腑に落ちる内容になりました。
できればもっと詳しくお願いします。ありがとうございました
個と全体 (cosmic_heart)
2011-09-25 22:45:56
あくまで私見ですが、肉体だけではなく、霊体や魂の次元であっても、個体性はあると認識しています。
神々にも個体性がある…と。
だから感情も思考も欲望もある、と。

ただし、魂を超えたアートマン次元に至ると、個と全体の繋がりが非常に濃密な世界ですね。
個でありながら、全体でもあるという感じかな。
私は個人的に、この次元を「神の身体」と呼んでいます。

完全に純粋な全体性の次元は、神々さえ超越しているでしょうね。
個の属性が無い…ということは、「創造以前の段階」ということですから、結局「何も無い」のと同じこと。

聖書ではその根源的なものを「創造神」と呼んでいますが、仏教では否定していますね。
まあ、仏教でも「創造する欲望を満たす神様」を設定していますが、解脱した存在ではない…と。
ダンテス ダイジ (鬼雷)
2011-09-26 20:30:42
雨宮第二さんて人、知る人がいるかなあ。
インドで聖者に日本で禅師に印可を受けた、今は亡き面白い人。いやいや、瞑想の大家か。酒を飲みながら、釈迦やイエスを語り、神道の奥義は、霊身の出口王仁氏より授けられたという、嘘か本当か解からないけど。そして、オウムの教祖の瞑想の師。真の人材は、面白い人が多いのかなあ。
その方の弟子と酒を飲みながら話をした事が有るのだけど、瞑想により太陽系を超え、銀河系を超え、さらに超え超え、瞑想室と云う特殊な空間に入ったと聞いたことが有ります。

真我、その光を見ずして観ると太陽の輝きも色あせるほどの感化を受ける人も確かに存在するようです。
しかし、それは、望んで得られる事では無く、強く望めば魔境の入るのみ。
地道に道を歩み、自己を修め、気質を一歩一歩、変ずれば、必ず合する。のろまな亀が道に十分適する。
早いか遅いかは、前世の夙根(魂の履歴)によるのみ。
そして、光を観ても自己が感得した真我、真理に執着しては、元のもくあみ、保とうとせず、光は、後方に流せねばならない。
チャクラ (鬼雷)
2011-09-27 19:06:40
伊勢白山道氏は、チャクラは、どうでもいい様なコメをしているのを見たことが有ります。
自己による霊的覚醒の道を歩む人は、臍下丹田、中丹田、主丹田の感化は、有る筈。伊勢白山道氏の内在神が有る場所が中丹田と被るのみ。
伊勢白山道氏は、おそらく、憑依体質で幼少より、その霊流を受け、自己の世界観が観念で固まり、そこに棲む幽界たる存在もその世界でリーマン氏に啓示を授けたのであろう。伊勢白山道氏が、誤りを素直に謝れない原因の一つが、自己の正義の観念が凝り固まり、尚、幽界の存在の後押しがあるのかもしれません。
ちなみに、伊勢白山道氏が素直に自らの誤りを「ごめんなさい。」と誤ったことを見た人は、いるのかなあ。
そして、やはり、伊勢白山道を自称するおっさんは、自己の覚醒をしていない事と言う結論になるのですが、いろはさんはどう考えますか。
cosmic_heartさん (いろは)
2011-09-27 20:17:49
どうもありがとうございます^^
同感です、わたしは行法の究極は宇宙との一体という感じだと思っていますが、宇宙が常に全てあらゆる波動領域に世界を創造している、つまり一瞬一瞬の世界、これは日常での自分自身の役割のように捉えています、これを完全に表現するのが真の意味での宇宙との一体化のように思っています。冥想であろうが地場での調整やマントラによる行法であろうが、行法としては当然認めるのですが、そのためにはまず周囲や自然と調和できる波動を持つことが不可欠であって、そのためには主婦なら主婦、大工さんなら家を建てたり、農業やサービス業などのなかで仲間やお客さんや自然界へ自分のエネルギーを伝えることという裏付けが必要だと思います。
全てのしごとを「やらなければいけない日課」ではなく、これが内なる喜びから生まれるようになることが重要だと思っています。
鬼雷さん (いろは)
2011-09-27 20:20:12
>いかなる心理的労力を用いず、静寂の中、自ずから無為自然に解放されなければならない。

はい^^完全なる沈黙が必要なのだと思います

>いろはさんに興味深深な僕としては、真のいろはさんが観えてきそうで楽しいです。

ありがとうございます^^
Jさん (いろは)
2011-09-27 20:27:04
>、言う事はレベルの低い霊能者は自分の主観も混ぜて霊視結果を述べているってことですか?

そうです、私はその肉体や幽体というフィルターを外すことが道だと思っています、逆に言えばそのフィルターが迷いの原因ということです。

>高い所から主観をはずして見なければいけないってことですかね?

そうなんですが、少し言い方が違います、高い所から観れるのは主観が外れているからという言い方が出来ます
つまり主観は人間の思考では外すことには限界があるということです

>中途半端な霊視は人に迷惑をかける場合がある

当然です、人生に関わることですから、、でも私はその人に迷惑だからという意味もありますが、霊視を行った人のカルマを忠告します(上手く言えませんが^^)。
柊さん (いろは)
2011-09-27 20:28:36
>それは本当は唯一つですが肉体を通すことに因って分離意識が生まれてしまうということでしょうか?

私的に「ピンポーン♪」です^^

また書かせていただきますね
cosmic_heartさん (いろは)
2011-09-27 20:30:54
>個でありながら、全体でもあるという感じかな。
私は個人的に、この次元を「神の身体」と呼んでいます。

なんとなくですが、わかります
思考を超越した世界を限られた地上の言葉で表現するには限界がありますね^^
鬼雷さん (いろは)
2011-09-27 20:35:15
>しかし、それは、望んで得られる事では無く、強く望めば魔境の入るのみ。

まったく、そうですね
ここに大きな落とし穴があるかもしれません。修行の好きな人や、狭い視野でがんじがらめの信者や、知識で観念だらけの人、ひょっとすると自分で自分の首を絞めていることもあるのではないでしょうかね、笑
鬼雷さん (いろは)
2011-09-27 20:39:44
>伊勢白山道氏は、チャクラは、どうでもいい様なコメをしているのを見たことが有ります。

解脱に至るにはチャクラは大きな役割というかこれが肝心だと思います。

>そこに棲む幽界たる存在もその世界でリーマン氏に啓示を授けたのであろ

どこかでリー氏の言う眷属は想念と読んだことがあります、そうであるなら、その憶測は正しいかもしてませんね

>そして、やはり、伊勢白山道を自称するおっさんは、自己の覚醒をしていない事と言う結論になるのですが、いろはさんはどう考えますか。

まっさか〜。。。。。。笑
Unknown (cosmic_heart)
2011-09-28 00:24:39
「大切にする」ということと、「執着しない」ということは、全く別物ですね。
変に生悟り気分に浸っていると、このあたりを混同してしまう。

途中までは執着してもいい。
まあ、その際の「あり方」がズレていた場合は、マイナスになってしまいますが…。

どちらにしても、まずエネルギーの方向性を明確に定める必要がある。
それを極めたとき、自然に放下されてゆく。
守窔 (鬼雷)
2011-09-28 18:31:20
霊的中枢に意識を着相しては、ならない。
しかし、その中枢は、守らなくてはいけない。
吾が師は述べる。
意識しないで守る、難しいちゅーねん。
しかし、大切に惟(おも)う、真心が、誠として通じるのかもしれない。真心が浸透し守るのかもしれない。
光と闇を併せ持つお方、有難うございます。おおきに。
Unknown (J)
2011-09-28 20:47:48
霊視を行った人のカルマ…考えてみると色々とありそう^^;
霊視で答えをもらうことは本来、不要なもの。この世で学ぶべきものに、いとも簡単に答えを与えてしまってはいけない。個人の為になっているようで実はなっていない。もしかしたら邪魔をしているだけかもしれない。こんな感じかな?
Unknown (あ)
2011-09-29 13:58:33
まあ、膨大で複雑な幽界の説明にはどこかで矛盾や無理が生じるわなw
説明すればするほどややこしいw
Unknown (cosmic_heart)
2011-09-29 15:30:41
私もたまには霊能者の霊視に頼る時もあります。
まあ、普段は自己観察しながら、自力で答えを出すわけですが、カルマ的に深い部分は、観察の目が曇ってしまい、正しい答えが見つからないこともある。
そういう時に、信頼する師匠や霊能者のアドバイスを求める。

しかし、答えが出ても、それだけでは問題は解決しない。
その答えを参考にし、現実的に行動し、問題を解決してゆくのは、相談者自身ですから・・・。
個人の為になるかどうかは、その人次第。
霊能者が身代わりしてくれるわけではない。

ただし、まあ…「教えなくてもよいことを教えてしまう」「教えるべきことは教えない」という霊能者は多いです。
それは、その霊能者が、「本当に教えるべきこと」が全く観えていないからですね。
種々雑多な霊的情報を受信する能力は高いのに、中心的なことは見えていない。
霊視 (鬼雷)
2011-09-29 18:50:39
カルマに溺れれば沈めば良い。
自己の信仰が浮き上がらせる。
ちっ、霊視に頼るだと、がっくりくるぜ。
奇麗事を述べるより、更に悪い。
魂に悪の因子は、確実にある。心で意識すればするほど、巨大になる。つまらねえことに囚われるより、今を生きる。時が、経てば、霧散する。
Unknown (cosmic_heart)
2011-09-29 21:11:20
悪の因子は、「どの様に意識化するか」が鍵になります。
どんなマイナス因子であっても、それを真に理解した時、不必要なものは消えてゆく。
囚われるということは、流されているということであり、それは真に意識化していないからです。

霊視であろうとなんであろと、意識のあり方が重要。
「相談すれば解決できる」という依存心では、まず本質的な解決は出来ない。
本気で真実を知ろうという覚悟を決めた人が、自己観察の方向性の狂いを修正するキッカケして活用するなら良い。

明確に意識化できれば、「知っている」ということですから、そこから選択の余地が生まれる。
知らなければ、無自覚のまま流される。
これが「カルマに溺れている状態」であり、生半可な信仰ではまず意味が無い。

で、人は大体、真実を知りたいと思いながら、実は知ろうとしていない。
「本当は拒否し続けていたんだ」という事実に気付かず、ブロックしているために、知識や観念の世界に逃避するんですね。
綺麗事というのも、そこから生まれる。

要するに自分の軸から外れている状態であり、自ら「今」を生きることを拒否している。
しかも、その罠にさえ気付いていないから、自分は今を生きているんだという勘違いも生まれる。
無智の無限ループに嵌っているわけです。
Unknown (cosmic_heart)
2011-09-29 22:04:14
野球選手が一生懸命に不調の原因をチェックしても、ますます泥沼に嵌ってしまう時もある。
優秀なコーチが、外部からの客観的観察により、その選手の問題を見抜き、アドバイスすることで、その選手が不調から脱出することもある。
しかし、間違ったアドバイスを受けてしまったら、不調が悪化してしまうこともある。

霊視やアドバイスをいくら受けても、それだけでは真に深い理解は出来ない。
それはキッカケの一つです。
意識を向ける対象・方向性の迷いを無くし、焦点を定めるための助けになれば良い。
「貴方にはこんなカルマがありますよ」というアドバイスを受けるだけでは、そのカルマを理解できない。
最後は、自分自身が実際に観てゆく必要がある。

優秀な導師の場合、言葉によるアドバイスだけではなく、相手の理解を促進するためのエネルギーも同時に放射する。
故に、相談者の意識の在り方、心構えによっては、アドバイスを受けた瞬間から「理解」も進行する場合もあります。
でも、自分に都合の良い言葉ばかり求めている人は、エネルギーを無意識的にブロックしているため、なかなか理解が深まらない。
真智 (cosmic_heart)
2011-09-29 22:25:15
まあ、便宜的に「霊能力」「霊視」という言葉を用いましたが、本当はどうでもいい。
それは能力の一形態に過ぎないですから。
大事なことは、中心を洞察する直観・真智力ですから、普通の人にも可能です。
面白い。ははは。自己愛。 (鬼雷)
2011-09-30 19:17:39
全ては、自己の正当性。人が誤りであり自分が正しい。
善きかな、良きかな。好きかな。
Unknown (cosmic_heart)
2011-09-30 19:30:25
真実を受け入れる覚悟があるのか。その在り方が問われている。
「霊視」云々は単なる方法論(手段)の選択の問題に過ぎない。
最初の目的は何か?
実際に、真実を理解し、問題を解決することが重要。

その目的を達成するために、自力で進むのも良いし、他力を借りるのも良い。
大切なことは、方法論のレベルではない。
それが分からない者は、本質から目を逸らしてしまう。観念の世界に逃げたがる。

「霊視に頼る奴は下らない」という観念に囚われている者は、霊視を活用する人達に対して、画一的なレッテルを貼るだろう。
中途半端に修行した者ほど、この手の罠に陥りやすい。
完全自力に固執している人なら、信仰さえも軽蔑し、「更に悪い」とか言い始めるかもしれない。

自分が偏見の目を向けてる対象をとことん軽蔑し、自分は正しいと強がる。
相手の心のあり方を観ようともせず、安易に結論を下す人間がいくら口先で奇麗事を吐いても、そこには慈悲は無い。
そんなものが通用するほど宇宙は甘くない。
その人の嘘を神々は全て見破っている。
難しいことわかりませんが (うさぎ)
2011-10-01 13:11:48
大きい人なら、わかりますし、けっこう当たる。
女だてらに
「ならぬ堪忍するが堪忍。顔で笑って心で泣いて。
大人気ない大人にぐっと堪えて大人になってあげる」そういう修業をしたからだと思います。

まともな人はまともなことしか言いませんし、責任感の強い人は、無責任によそのわからないことに安易に口出しを控えるみたいですよ。

霊能者さんや宗教さんでも色んな人がいるのでしょうから、もちろん良心的な
人もいらっしゃるでしょう。
でも相談にはのってくれても
決めるのは自分。動くのは自分。
自分の心身は自分で管理するしかないので、自己管理できている点、改善をようする点。
自分のことは自分が1番わかっているはずだから、一覧表でも作って採点していき改善点を見直していったら
人に聞くことないとないと思います。

人ってその人の
その時の全体で判断するから、
病院の検査の数値のように日によって変わるから目安にはなるけどあてになりません(笑)

大貧乏と無学と
愛しい人の生き別れと病気や怪我。あらゆること乗り越えて末広がりに実っているおじいちゃんと知り合いました。80ですが現役!
ピン!とわかりました。
「ならぬ堪忍するが堪忍。顔で笑って心で泣いて。」女だてらにそういう修業したので、乗り越えた人、渦中の人は、なんとなくですがわかります。
霊能者でもなんでもありませんが。(笑)
道理をわきまえたごく普通のまともなことを言ってくれそうな大人。
そういう人とご縁してね。
忍。 (無慈悲鬼雷)
2011-10-01 18:40:37
うさぎさん。良いお話ですね。心がほっこりします。おおきに。
cosmic_heartさん因縁つけてごめんなさい。
Unknown (cosmic_heart)
2011-10-01 19:43:59
問題には必ず原因があり、いかに「問題の根底レベル」にたどり着くか、が重視だと思います。
熱心に自己観察や自己分析すれば、ある程度の原因は発見できるかもしれない。
少なくとも、現実レベルの原因ならば発見できるケースが多い。

故に、真剣に問題解決のための行動をするなら、現実レベルの問題は解決できます。(問題の質や規模にも依りますが)
しかし、問題の原因は重層的であり、現実レベルから霊的レベルまでが折り重なっている。
根底のカルマの領域では、何も解決していない。

人間が常にハートの信号を聞ける状態なら、カルマを積むことは無くなるし、既に存在するカルマもスムーズに解消できる。
しかし、実際には多くの人々が魂の信号を聞けないため、カルマの深い部分の核心に迫れず、いろいろな問題に苦しんでいる。
身を隠すカルマ (cosmic_heart)
2011-10-01 19:47:08
結局、いくら自己観察しても、その「観察の目」そのものがカルマで目隠しされている状態だということです。
自己観察する際の自分の意識が、もろに「カルマ思考」になっている。
それが盲点になり、最も核心の部分はスルーしてしまうわけです。無意識的に。

カルマというのは、その存在を消されてしまうことを恐れています。
観察者に発見されないように身を隠し、観察者の意識を「まったく別の原因」に向けさせてしまう。

自力も他力も、どちらでも結構だと思います。
ただし、その人自身が実際にカルマのエネルギーに気付き、理解するという経験を積み重ねてきたかどうか?
無意識層の複雑な動きを把握しているかどうか?
その経験がモノを言うのであり、それが無ければ机上の空論になってしまいます。
Unknown (あ)
2011-10-01 20:10:06
実際はカルマちゅうやつも迷妄ちゅうことやけどなw
悟った時点で消える
鬼雷さん (cosmic_heart)
2011-10-01 20:12:33
貴方が貴方なりに真実を把握し、それをもって私の意見に反論するなら、それで良いと思います。
でも、貴方は今まで何をしてきましたか?
本当に重要なことは何でしょうか?
私のコメントを通じて、貴方自身が具体的に何に気付き、何を役立てるかが最も大切だと思います。
もちろん、私のコメントが単なる戯言で、何の役にも立たないならば、それを無視したり、捨てるのもまた自由だと思います。

問題は、貴方はいつも本質を微妙に誤魔化す方向に進んでしまうことです。
人の話を他人事のように扱ってしまう。

表面的には礼儀正しい。
「因縁つけてごめんなさい」と謝ったりする。
でも、私のコメントを具体的にどの様に理解したのかが全く見えてこない。

前回の記事のコメ欄のときも、貴方は「不快を感じられているご様子」と書いていましたが、結局ここでも核心から逸らしている。
私が不快に感じるか否かなど、どうでもいいことなんです。
私は個人的な快・不快のレベルで書いているわけではありません。
追記 (cosmic_heart)
2011-10-01 23:20:19
横道に逸れるのは貴方の自由ですし、私はそれに干渉するつもりはありません。
ただそれは、一人で勝手にやっていれば良い。
他人のレスを巻き添えにし、ダシにし、自分の横道を正当化する道具にするのは良くないですよ。

貴方は7月にも同じ事をしていましたが、私はその時はスルーしました。
しかし、いつまで経っても同じことを繰り返すので、私は今回、はっきり述べさせてもらいました。

貴方が伊勢白山道ブログで、コメント禁止になってしまったのも、おそらく同じような理由だと思います。私が見た限りでは…。
Unknown (鬼雷)
2011-10-02 09:37:12
いや〜ん。もう、わたしに構わないで。♡

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