会社を設立して一ヶ月、初めての採用説明会を実施、反省点あり、満足点あり

新規事業の11月開始へ向けて、パート社員さんの募集を実施、50名ほどの応募の中から22名の方に採用説明会に参加してただきました。

説明会の内容は、やろうとしている事業の内容とその業界の動向、今後の事業方針などが中心でした。

説明会開催へ向けて、事前のアナウンスとして、

「新規事業なので思うように仕事が発生しないかもしれない」というリスクも伝えていましたので、どの程度の方に参加いただけるか、不安はありましたが、結構な人数の方に参加いただけて感謝感謝です。

まだ営業もしておらず、当然1件の受注があるわけでもなく、事業開始後の仕事確保も確約できる状況でもありません。

そんな状況の中で、休日にもかかわらず足を運んでもらい、ほんとに責任重大ですよね。

開催の反省点は、事前準備の不足ですね。
話す内容をもうすこししっかりまとめておけばよかったってこと、よくやる失敗です。

満足点は、・・・なんだろう・・・まぁ、自分の新事業への思いをしっかり発信できたことかな。
それを聞いて、共感できた人もいたろうし、ちょっと引いてしまった人もいたろうし。

でも、そうすることで、生き方の波長の合う人だけが次の面接ステップにすすんでくれると思う。

万人受けする、人当たりのいい話してもしょうがないしね。

説明会終了後、参加のお礼と、次回ステップである個別面談開催へ向けて、下記文面を送りました。

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今日の説明会を聞いて、
「新規事業立ち上げに関われる仕事なので、面白そうだなぁ」と思われた方には、
きっとやりがいのある仕事だと思います。
一方で、
「あんまり面倒はことは遠慮したいし、決められた事だけ淡々とやっていたいんだけ
ど・・・」と思われた方には、きっと向かない仕事だと思います。
そのあたりを判断基準にして、個別の面接をお受けいただけるかどうかを決めていた
だければと思います。
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さて、何人の人が面接まですすんでくれるでしょうか!?

「執念」と言えるほどの高い目標があれば、「できない理由」は消えていく その2

第5話です。

こんなに長い話になるとは思ってなかったんですが、ちょっと書いているうちにどんどん記憶が呼び起こされてきて、終わらなくなってしまいました。

「翌日配達」の厳命には現場の人たちは大変苦労してました。
宅急便以外の部署は、決まりきった企業顧客へ決まった時間に集荷に行き、支店へ戻ってから発送業務をやって終わり。
なので、19時ころには皆作業を終えて帰ることができたんですが、宅急便の部署はどうしてもドライバーの帰りが遅くなり、帰ってからも伝票整理が大変時間がかかり(何しろ件数が多いので)、毎晩夜中近くまで残業している人もいました。

そんな状況で、ただ荷物の扱いが増えていくばかりだと、経費ばかりかさむし、従業員の士気にも影響してきます。
なので、
「どうすれば効率的に業務をこなせるか」
について、各作業現場単位、本社のプロジェクトチーム単位で必死になって知恵を出し合っていました。

そんななか、いくつもの新しい業務の方式が生まれてきました。

現在、宅配貨物には、荷物1個について伝票1枚を貼り付ける方式ですが、その方式を生み出しのはヤマト運輸です。
それまでは、複数個口を1件の相手先企業に届けるのが普通だったので、貨物複数個に伝票1枚、伝票は荷物には貼り付けずに別処理をしていました。

また、伝票にはバーコードが印刷されていますが、あれを始めたのもヤマト運輸です。

大規模なトラックターミナルにいったん貨物が集約されて、それを地方へ向けて発送する、ハブ&スポーク方式の配送網もヤマト運輸が始めたものです。
大規模ターミナルではそれまでは方面別に荷物を仕分けるのは人手で行っていたのですが、それだと間違いも発生するし、経費もかさむ。
このため、全自動仕分け装置というのをスウェーデンのサンドヴィック社という会社から(記憶が正しければ)調達、日本で始めて導入しました。

それにより、荷物に貼り付けたバーコードを読み取り、自動的に方面別に仕分けを行う、という効率化が果たせ、その後の扱い量急増にも対応できていったんです。
ベルトコンベアの上を流れる荷物を、その荷物の方面行きのスロープの前でプレートが出てきて、バッタンバッタンと、仕分けていく光景を眺めていたのを思い出します。

さらに、コンピュータによる、貨物の追跡システム、あのネットワークを最初に構築したのもヤマト運輸でした。

そんなふうに創意工夫をこらして、様々な業務改善に取り組んでいたわけですが、これらはまぁなんというか、想定範囲内の工夫、と言えると思うんですが、すごいのはここからです。
「やろうと思ったことをやり抜く」、というのは、ここまでやることなのか!と、本当にその時は驚きました。

「執念」と言えるほどの高い目標があれば、「できない理由」は消えていく

1日空いちゃいましたけど、宅急便成長物語その4です。

これから書く内容は、今になって思い返してみると、その後の僕の社会人としての仕事に対する考え方というか、価値観を決定づけてくれた経験だったんだな、と思います。

過去の3話で、競合他社と差別化が図れた要因を書きましたが、宅急便の最大のウリは、なんと言っても翌日配達です。
小倉昌男社長が宅急便を始めることを決めた時、社内の経営陣は全員大反対だったそうです。

そりゃそうです。
普通の企業ユーザー向け貨物ですら、全国に翌日配達することを謳っている運送会社なんてなかった時代です。
個人の客なら郵便局の小包、国鉄(今のJR貨物)に発送をたのむと4~5日かかるのは当たり前の時代です。

翌日配達うんぬんの前に、地図を見て番地を探しながら配達しなければならない個人向けの貨物なんて、手間ばかりかかって採算がとれるわけがない。
まずはそれで大反対。

この採算に関する反対意見については、損益分岐点を緻密に計算していた小倉社長は、それを材料に説得し、納得させたようです。
でも、翌日配達については物理的に絶対に無理だ!という強硬な反対意見。

それに対して小倉社長がこう言った、という話を聞いた時、私は、
「なるほどなぁ・・・!」
と、すごく納得したことを覚えています。

それは、
「何を言ってるんだ。じゃあ新聞はなぜ毎朝、各家庭まで届けられているんだ。
前日の夕方に記事を書いて、編集をして、判組み、印刷、新聞社から各販売店への配送、販売店では各家庭向けにチラシ広告を入れ、それだけの作業をこなしても翌日の早朝には玄関に届いているんだ。
そんな作業もする必要もなく、ただ貨物を運ぶだけなのに、翌日配達できないわけがないだろう」

そりゃそうだ。
これには反対していた役員陣はぐうの音もでなかったとか。

小倉社長はのちに、社長業を後進に譲ってから書籍を出版しており、その中で宅急便の創世期の色々な苦労を述懐していますが、この新聞配達のエピソードについては私が読んだ2冊の中にはなぜか書かれていませんでした。

ただ、僕の中には強烈な記憶として残っているので、たぶん、これは事実だったんだろうと思います。

とにかく、小倉社長の「翌日配達」に対する執念はすごいものがありました。
その高い目標があったが故に、このあと、ヤマト運輸は同業他社をさらに引き離すためのいくつもの武器を生み出していくことになります。

Galaxy SとHTC Desire HD、どっちにするか迷いました、の比較表公開!

同じタイミングで発売開始が発表された、docomoのGalaxy Sと、ソフトバンクのHTC Desire HDですが、どっちにすべきか、迷いますよね。
比較しようと色々サイトを探したのですが、一目見て両機のスペックを比べられるサイトにたどり着かなかったので、あちこちからの情報を拾って、それを一覧にして、それで比較しました。

この比較のポイントは、「小さな差異にはこだわらない」というものです。
僕の価値判断の中での小さな差異にはこだわらず、ここが大きく違う!と思った点だけ、黄色くクローズアップしました。
Galaxy Sのカメラ解像度の低さは残念ですが、他の大きな差異の2点、軽さと有機ELである、ということが、僕の価値基準ではポイントが高かったのでGalaxy Sにしました。

また、内臓メモリが、16GBと1.5GBということで、Galaxyの方が格段に大きな数字なのですが、実際にはAndroidのアプリは非常に小さいので、1.5GBもあれば十分なので、性能の差にはならない、という判断で小さな差異として捕らえました。

これは僕の価値基準なので、人それぞれ、何に価値をおくか、ということを判断基準に決めるといいんではないでしょうか。
ちなみに、これには費用比較が入ってませんね。
僕は仕事柄、費用のことは度外視して考えましたので、比較したい方はこれに費用を加えた比較表を作られるといいと思います。
 
ちなみに、11月4日にソフトバンクとドコモからまた新機種の発表があります。
購入を検討されている方は、その発表会の内容を見てから判断されたほうがいいと思います。

Samsung Galaxy S HTC Desire HD
Androidバージョン Android 2.2 Android 2.2
クロック 1GHz 1GHz
CPU Qualcomm S5PC110 Qualcomm Snapdragon
ディスプレイサイズ 約4インチ 4.3 インチ
カメラ画素数 500万画素 800 万画素
フラッシュ対応 FlashR10.1 FlashR10.1
アプリマーケット Androidマーケット/ドコモマーケット Androidマーケット
ディスプレイ種類 SUPER AMOLED(有機EL) Super LCD
ディスプレイ解像度 480×800ドット 480×800ドット
RAM 512MB 786MB
内臓メモリ 16GB 1.5GB
外部メモリ microSD MAX32MB microSD MAX32MB
連続通話時間 3G: 380分、GSM: 420分 3G: 320分、GSM: 550分
連続待受時間 3G: 510時間、GSM: 480時間 3G: 490時間、GSM: 420時間
サイズ 122mm×64mm×9.9mm 123mm X 68mm X 11.8mm
質量 約 118g 164g
バッテリー容量 1,500mAh 1,230mAh

Galaxy S、これはいい!先日、iPhone4を買ったばかりの娘が悔しがっております!

予約しておいたGalaxy Sを昨日受け取りに行ってきました。

箱の大きさや雰囲気はなぜかiPhone 3Gと似てる。あえてまったく違う雰囲気のものにすべきだったのでは?と個人的には思うのだが・・・


 
噂に違わず、すごいです。
僕の持っていたAndroid携帯が非常に古い(米国から個人輸入した最初期型)、という点を差し引いても、この使い勝手の良さは特筆物だと思います。

新旧比較。白いほうは。HT-03Aに似てるけど実は別物。もう博物館入りかな


 
何よりも、重量の軽さ、これに最初に驚く。
もちろん、国内のスマートフォンとしては最軽量。
ソフトバンクのHTC Desire HDと比較して、Galaxyにする決め手になったのが実はこの重さだったんだけどね。

そしてサクサク動く軽さもスゴイ。
iPhopne 4よりも確実に早そうだ。(娘の談)
確か、cpuのチップセットは同じものを使ってるはずなんですけどね。
速さの要因は、数倍早くなったといわれているAndroid2.2によるものでしょう。

ディスプレイの有機ELもすごく綺麗で、動きもスムーズ。
液晶のように残像が残る瞬間がないので、こんなにスムーズなんだろなぁ。
HTC Desireは液晶なので、それも選定の要素にはなりました。

ちょっと今週は時間がないけど、しばらくはこのGalaxy Sにスポットを当てて投稿していこうかな。
静止画像だけでなく、動画も。
娘が買ったばかりのiPhone 4を持っているので、それとの動作比較動画も作ってみよう。

トップの画面。下段4つのアイコン部は固定メニュー、
その上段の広いエリアがデスクトップ。


 

デスクトップは初期状態では右側に7画面分、スクロールできる。その中にはTwitter、Facebookへの書き込みができる小さな専用ブラウザが設置された場所もある

アプリは初期状態で全部で40種類くらいが登録されている。
もちろん、マーケットから色々ダウンロードできる


 
使い始めるに当たっては、日本語漢字変換機能でちょっと戸惑いました。
標準で、Samsung日本語キーボード、という漢字変換機能が使えるのですが、これがなぜかフリック入力モードになっていなくて(設定を見ると有効になってるんだけど)、ローマ字入力モードでしか使えない。
原因調べるのが面倒なので、Shimejiという、フリーの漢字入力ソフトをサクッとインストールしました。
やっぱ日本語入力は慣れてるもののほうが良いなぁ・・・・

フォロワー28,000人、Twitter小説を考え出した内藤みかさんって、やっぱりスゴイ

昨夜の講演会のタイトルは「ソーシャル文章術」。

Twitterを始めようかな、と思った時期に、書店で見かけて立ち読みし、思わず買ってしまった本があるんですね。
「夢をかなえるTwitter」という本なんですが、昨夜の講演は、その作者の内藤みかさんのお話が聞ける、というものでした。

Twitter関連の書籍は他にもたくさんあったのですが、著者はIT系の方が多くて、内容がどうしても技術的な面からの説明になりがち。
そういう本をみても、どうもしっくりこない。

思うに、Twitterというのは、「技術」ではなくて、「文化」なわけですから、技術面からアプローチされてもしっくりこないのは当たり前ですね。

そんな中で手に取った一冊。
チラッと立ち読みをしただけで、
「これだ!」
と思って買ってしまいました。

この本は驚いたことに、他のTwitter関連書籍と違い、画像が一切ありません。
文章だけで、Twitterとは何か?どう使えばメリットがあるか?が書かれてます。
それでいて不思議とわかりやすく、なるほど~、そうゆうことなのか!と納得できる内容でした。

内藤みかさんと言えば、携帯小説界では超が付く有名人。
Twitterのフォロワーはなんと28000人以上!!
140文字の制限をあえて利用して、Twitter小説なるものを初めて考え出してしまうような発想力の持ち主です。
だからこそ、文章だけでTwitterを説明できてしまうんでしょうね。

そんな方のお話が聞ける、ということなので、こりゃ参加しなければ!
ということで、昨夜の講演会参加となりました。

講演の内容は、これまでのご自身の経験を踏まえて、TwitterやFacebookという、新しい”隣人交際ツール”(昔で言えば井戸端か)を媒体に、どうやって色んな人達との交流の輪を広げていけばいいか、というものでした。

自分で何かを積み上げてきている人の実体験の話というのは本当にためになりますね。
僕は経営コンサルタント、評論家系の講師の話よりも、こういった方達の話のほうがだんぜん好きです。

講演を聞かせていただいて最終的に感じたこと。
それは、「結局は生き方の問題なんだよなぁ・・・」ということでした。
フォロワーを増やすために内藤さんが取られた行動は色々あるんですが、その行動だけを真似したところで同じ結果は得られないと思うんですね。

内藤みかさんはとても積極的で好奇心が旺盛、ちょっと人と違った目線で物事を見ることができる、そいういった内面から来る生き方が根底にあって、それが人を引きつけるんだと思います

植物で言うと、行動は外から見えている花や草の部分でしかなくて、じつは一番大事なのは根っこの部分。
この根っこの部分を変えるというか、変える必要がないとしても、芯をしっかりさせるとか、根をもっと広く張るようにするとか。
そんな努力をせんといかんなぁ、と感じた次第でした。

講演会が終わった後、ずうずうしくも懇親会に参加させていただきました。
参加された皆さんは、会の主催者と知人の方達ばかりで、主に出版関連の方達でした。
私は完全な門外漢で、人見知りの性格からすると、参加するのは非常に勇気のいることでしたが、本当に参加してよかったです。

私のいたIT業界とはまったく異業種の方達なので、興味深い話も聞けたし、何より内藤みかさんをはじめ、あたたかい人柄を感じさせてくれる方達ばかりだったので、ほんわかした心地よい時間をすごすことができました。

講演会の主催者である、電子書籍関連事業のベンチャー、パブラボ(http://www.publabo.net/)さんには感謝!です。

みなさん、ありがとうございました!

今日は作家の’内藤みか’さんの講演を聞き、今は帰宅の車中なり

色んな意味でとても有意義で楽しい時間でした。
講演会が終わり、
懇親会に参加させてもらったのですが、出版業界の方たちばかりだったので新鮮な刺激をもらえたかな。
携帯からかきこんでるので、詳細は家に帰ってから、ということで。

第3話になっちゃいました。昔の話なんだけど、普遍的な教訓はあります

こんな話を書いているのは、自分に自信のない私でもなにかの成功体験があるのでは?と考えてその昔を思い出し、少ない貴重な体験を追体験しようとしてるからなんですね。
いま振り返ってみれば、当時のガキの頭では気づくことができなかったことが、よくわかるようになっている気がします。

ヤマト運輸は(というよりも小倉昌男社長は)、知名度のない事業開始当初に、家庭の主婦たちに親しんでもらうためには、直接顧客と接する運転手の質の向上が必須だと考えていました。
このため、色々と新たな施策を実施しました。

まず、採用方針。
宅急便の成功のためには、密度を上げることが重要だと考えていたので、取扱い店を増やすのと平行して、運転手の大量採用にも乗り出しました。
まだ荷物なんかそんなにないのに、とにかく運転手を増やせ、という方針ですね。

採用にあたっては給与も他業者よりも高い水準で募集をかけていたように記憶しています。
そうすると、どこか他社で働いていた運転手なども募集にたくさんくるわけです。
ところが、採用にあたっては上層部(つまりは小倉社長)から厳命が下されました。
それは、
「運送会社の運転手経験者は絶対に採用してはならない」
というものでした。

「え~!」
って感じですよねぇ
現場の採用担当からすれば。
これまた当時の常識からすれば考えられない方針でした。

結局、宅配業という、新しい事業を推進するにあたって、それまでの古い運送業の習慣が染み付いた人材を採用したのでは、一般顧客からは支持されない、という考えが小倉社長にはあったんでしょうね。

私は当時は営業部門で仕事をしていたので、採用の仕事の場に直接関わっていませんでしたが、「運送業未経験者のみを採用せよ」という、この無理な要求に答えるのに、採用担当者はとても苦労していたようです。
ただ、そうやって採用されてきた新人ドライバー達は、確かにそれまでの「運転手」達とはまったく人種が違い、宅急便の部署だけは非常に華やいだ雰囲気になっていたことを覚えています。

そして、職種の呼び名も「運転手」ではなく、「セールスドライバー」に変わりました。
まさに名は体を表す。
「君達は運転手、という、単なる配達員ではないんだよ。
お客様に宅急便という商品を宣伝して歩くセールスマンなんだよ」
という強いメッセージは、採用されるドライバー達だけではなく、それまでヤマト運輸に長く勤めていた古参社員たちにも強く伝わりました。

その考えを理解し、自らを変えようと努力する運転手もいたし、そんなのバカらしくてやってられるか、と、辞めていく運転手もいました。
企業が変化していくときにこういった事態が発生するのは、いまも昔も変わっていないですね。

それ以外にもびっくり方針は色々続きました。

女性ドライバーの採用。
いまでは珍しくありませんが、当時はそんなこと考えられないことでした。
これもやはり、主婦を相手にする仕事なので、人当たりがやわらかい女性の方が適性があるだろう、という小倉社長のアイデアでした。

固定概念をもっていては絶対に出てこない発想です。

また、ドライバーだって、店長になってもいいじゃないか、という方針も打ち出され、それまではありえなかった、現場運転手の店長昇進、なんてことも行われたり。

あ、もう24時です。

あしたは最後のテーマです。

「時給は結構高いんですか?」、パート募集応募への問い合わせの第一声がこれ!!

新規事業開始へ向けて先週日曜に出した求人広告への対応に追われる2日間です。
結局、50名弱もの応募があり、今日、応募を締め切りました。

求人広告には、
「問い合わせ、お申し込みは下記サイトからお願いします」
と記載しているにも関わらず、そのサイトを見もせずにいきなり電話をかけてくる輩がいます。
まぁ、そういう人はいるだろうな、と事前に予想はしていたのですが、さっきかかってきた電話はひどかった!

電話を取ると、

謎の人物:「あの、募集してる仕事ですけど、時給は結構高いんですか?」

私:「(はぁ~??)え~と、そうですね、900円くらいを想定していますが」

謎の人物:「今度パソコン買うんですけど、仕事は簡単にできますか?」

私:「(はぁ~??)簡単かどうかはその人の能力にもよりますが、申し訳ありませんがもう受付は締め切らせていただいたんですよ」

謎の人物:「・・・・・・・・・・・・」

私:「・・・・・・・・・・・・」

謎の人物:「時給900円くらいだと1日8時間働けば7200円ってことですか?」

私:「(な、な、なんだ? もしかして今の沈黙は賃金計算してたのかっ!?)そうですね、そういうことになりますね」

謎の人物:「今度パソコン買うんですけど(いや、それさっき聞いたっちゅうねん!)、求人はしょっちゅう出すんですか?」

私:「そうですねぇ、新規事業なので、うまくいけばまた出すかもしれないし、それはなんとも言えませんねぇ(っても、あんたを採用することは絶対にありえへんっちゅうねん!)」

謎の人物:「そうですか・・・」ガチャ!

私:「・・・・・・・・・・・・」

いやぁ、世の中いろんな人がいるとは言えねぇ

お願いだから政治家さん達にはこんな人物にまで救いの手を差し伸べるような愚策はとってほしくないですね。

天は自ら助くるものを助く。

この謎の人物が仕事がなくて困っているとしたら、それは間違いなく100%彼の責任であって、政治のせいでも景気のせいでもない。

でもこんな人物に限って、すべて回りの責任にしちゃうんですよね。

あ~、気分の悪い電話だった!

昨日の話の続きとして、「その2」。なんだか宅急便成長戦略物語みたいになっちゃってるけど・・・

え~と、二日にわたって同じ話を書いちゃっていいんでしょうかね。
と不安を感じつつ、まいっか。

この話のテーマは、
『個人が仕事をするレベルで見れば価値の低い「簡単な仕事」であっても、事業の仕組みそのものを他社と差別化し、独自の競争力をつければ、「事業としての価値」は低下しません。』
ということでしたね。

ヤマト運輸が競合他社を引き離して独自の地位を築くことができた理由もまさにここにあって(と私は考えています)、「物をA地点からB地点に運ぶ」という、同業者が簡単に真似できる仕事(=その会社の商品)を元に、「簡単に真似できない仕組み」を他社に先駆けて作り上げたことが成功の要因です。

で、その仕組みは何かというとそれは、
①小規模多店舗化
②人材教育(採用戦略含め)
③独自の武装アイテム
この3点だと思います。
他社が続々と参入してきた時、既にヤマトはこれらの3点で他社と明確な差別化ができていました。

もちろん、これら以外にも色々細かい成功要因はいっぱいあるでしょう。
私がヤマトを退職した以降も、色々な施策を打ち出しているでしょうし。
ただ、少なくとも宅急便開始から私が退職するまでの8年間についてはこの3点が需要な要素だったし、これがなければ今の宅急便の成功は絶対になかったと思っています。

①小規模多店舗化
一言で書いてしまうと、あ~、そういうことね、って簡単な話ですが、実際には深~い話がいっぱいあります。
何しろ私の実体験ですから。

宅急便をはじめる時、小倉社長は緻密に事業成功への道筋をシミュレーションしています。
後の小倉社長の書籍である『経営学』にも記述されていることですが、理論上、ある密度まで店舗を増やして宅配荷物を吸い上げる体制を築くことができれば十分事業は成り立つ、という仮説を立て、あとはそれを実行に移すことになるわけですが、ここからがミソです。

何しろ当時のヤマト運輸は経営不振で、銀座一等地に所有していた自社ビルを売却してなんとか資金を捻出し、新規事業の運営に当てていたほど、お金がなかった。
密度を上げるために店舗をたくさん出店しなければならないのはわかっていても、それを実行する元手がないんですね。

「お金がなければ知恵をだせ」

誰が言った言葉か忘れましたが、どこかの経営者の言葉です。
何かを新たに始めようとすると、それを成功させるためには最初はその成功に必要な何かが”無い”のは当たり前なんですね。
”無い”ところからスタートして作り上げていく、まさに”無”から”有”を作るのが経営者の仕事なんでしょうね。

私の知り合いのソフト会社の社長、彼の口癖は、
「いつまでもこんな仕事やってちゃだめだよねぇ~
何か新しい事業始めないと!」
ここまではいいんですが、そのあとに必ず、
「でもダメだよ、資金が無いから」

なぜか彼の弁によると、まとまったお金がないと事業なんて成功しない、ということらしい。
そりゃお金はあるに越したことはないけど、資金があっても成功するとは限らないし、無いからと言って成功しないとも限らない。
実際、私は以前のソフト会社で製品開発のために多額の借り入れをして、みごとに失敗し、それが原因で会社を倒産させてしまいました。

結局は熱意と工夫次第だと私は思いますけどね。

で、話は逸れましたが、当時の金欠病のヤマト運輸も知恵を絞り、目をつけたのが町の米屋さん、酒屋さんでした。
どちらも近所の家に商品を”配達する”インフラを持っています。

ここでまた現代の常識を一旦捨てて、当時の状況を想像してみてください。

今でこそ、街中にはコンビニがあって、そこで宅配貨物を扱ってくれるのはごく当たり前の光景ですが、今から30年前の日本の町の中には荷物を送れる拠点は郵便局以外には一切ありませんでした。
その郵便局も小さな小包は受け付けてくれても、ダンボールに入った大きめの荷物は受けてもらえませんでした。
「運送会社」は一般市民からは遠い存在でしかなく、一般家庭の人が大きな荷物を遠くへ送るには、JR(当時は国鉄)の貨物引受場所に持っていくしか手段がなかった時代です。

そんな時代に、”米屋”や”酒屋”がダンボールの配送貨物の受け付け窓口になる???!!!
自分の自宅まで荷物を取りに来てくれる???
そんなこと、誰も想像などできない、まさに思いもよらなかったことなんですね。

当時、入社したての私は、その会社の新たな方針に従い、支店の若手営業担当者たちと分担して宅急便取次店開拓に乗り出しました。

実際の開拓活動は、当時配属された支店の所在地、大田区界隈の全ての米屋さん、酒屋さんに無差別勧誘訪問を行ったわけですが、これがなかなか大変でした。
「荷物の配達だぁ?ふざけんな!、酒屋が運送屋の片棒なんか担げるわけねぇだろ、出てけ!」
と、けんもほろろに追い返されることも多かったのですが、中には、
「ほ~、面白そうだね。やってみようかな」
というお店もあり、少しづつですが、取次店を開拓していくことができました。

花咲じいさんの昔話ではないですが、人間というのは欲深い生き物ですね。

勇敢にも、先行して取次店契約を交わしてくれたお店が実際に宅配の取次ぎ(発送荷物の受付だけでなく、配達もやりました)を始めると、彼らが想像していたよりも扱う荷物の量はどんどん増えていき、中には本業の儲けを超えるほどの取次量をこなす店舗も出てきました。

すると、その成功を見聞きした、当初は我々を店先で追い返したようなお店も
「取次店をやらしてくれ」
と言ってくるようになりました。
あんなに儲かるんなら自分の店でもやろうか、
という、欲深い考えですね。

「最初に始める」というリスクをとらず、
「隣のあの人がうまくやってるから真似して自分もいい思いをしよう」
ということなのでしょうが、総じてそういったお店は取次ぎを始めても扱い量はたいして伸びなかったように記憶しています。
そのオチは花咲じいさんの教訓の通りです。

そうやって町の中のあちらこちらの米屋さん、酒屋さんで「宅急便」という見慣れない看板(当時は当然CMなどやってませんでしたから)を掲げたお店が増え始めると、運送屋さんがだんだん一般の人達にとって身近なものになり始めました。

それまではトラックの運転手さんはなんとなく怖そうな存在でしたが(実際、そうでした!)、宅配荷物を配達してくれる大和運輸さんの運転手さんは愛想もいいし丁寧だし、ということで、それまでにない安心感も与えることができたんだと思います。(ここは②人材教育で説明しますが)

そんなふうに、大和運輸の「宅急便」が身近なものになり始めると、次にはそれを一気に広める現象が起き始めました。
ここだけはネット社会の現代とも現象は一致しています。
それは「口コミ」です。

「口コミ」という現象は当時も今もありますが、ここでまた現代の常識を捨てて、当時の状況を想像してみてください。

今はネットが普及しており、何かの情報は瞬時にして日本国中に行き渡りますが、当時はネットなんてありません。
「宅急便」なんて言葉はほとんどの人は知らないし、それを知ってもらうためのテレビコマーシャル等もまだやっていませんでした。(そんな金は無い!)
そういう状況下での口コミは、まさにその名の通り、「人から人へ直接の言葉を通じて伝わる」ということです。
「人から人へ直接の言葉(あるいは手紙)を通じてしか、情報は伝わらない」
ということです。

メールやブログ、ツイッターなど、瞬時に1対多(しかも膨大な”多”)で情報が伝わることなど有り得ず、一人の人が他の人に口頭で情報を伝え、その人が別の人に情報を伝え、さらにその人が別の人に伝える、ということでしか情報が伝わらない環境下です。
そんな原始的(ってことは僕も原始人か!)な環境下にもかかわらず、「大和運輸の宅急便」は口コミでどんどん広まっていきました。
これって、今考えるとすごいことですよね!

街中に取次店ができ、個人の荷物の集荷も配達もやってくれて、しかも郵便やJRなら配達に1週間くらいかかっていたのに、翌日には先方に届いてしまう。
その荷物を受け取った人はその配達の早さに驚く。
運転手の態度の良さにも好印象を持つ。
「宅急便って、いいわよぉ、便利よぉ~」
と、主婦達の間で話題になっていったのも想像できますよね。

宅急便が広まったのは、CMで知名度が上がったからでは?、という一般的な想像とは異なり、実際は、「口コミで知名度が上がり、扱い量が増え、収益が向上したので、ようやくCMを打つことができるようになった」ということなんです。
もちろん、CMを打ち始めたことでさらに知名度が上がり、扱い量がまた増える、というその後の好循環にはつながっていったのも事実でしょうが、原点は「口コミ」だったんです。

え~と、あまりに長くなりすぎましたね。

小規模多店舗化で最初の集配体制を整え、人材教育によって顧客に好印象をもってもらえるようになり、宅急便の良さを広めることに成功したわけですが、その人材教育についても当時の常識を覆すような施策を実行していました。

すみません、その続きはまた明日、ということで・・・