普段、この種の経営の本を読むことはまったくない。筆者はマッキンゼーというビジネスの最先端を行く会社出身の京都大学の若手の先生である。当社のようにビジネスだか趣味でやっているんだか分からないような、最後進でもたついている会社が参考にするようなことはありえないと考えていた。
だが、題名に引かれてめずらしく最後まで読んだ。共感すること多し。なんとなれば、私もまた「武器商人」だからだ。私は「言葉という武器」そのものを取り扱う商人だが、この方は、資本主義社会での「生き方」を取り扱っている。
これまで、他の進学塾とはあえて意識的にまったく逆のことをやってきた当教室のこの十年来のゲリラ的な実践は、意外にも、この著者の言っていることにかなっているのかもしれない。
キーワードは、「コモディティ化」である。簡単に言うなら、個性のないものである。画一化、均質化、陳腐化などと言い換えてもよい。コモディティ化したものは容易に他のものと取り替え可能であり、資本主義では買いたたかれてしまう。
偏差値とか、テストとか、マニュアルというものは、コモディティ化を測ったり促進したりするためにのみあり、決して個性を作るためにはないものである。
もう十年以上も前から、同じようなことを私は、「ブロイラー化」という言葉で語ってきた。みんなが同じような化学飼料、いや、過去問や知識のまとめを与えられ、同じように大学生活をエンジョイし、希薄にそしてロボットのように育ってしまう、そのなれの果てには、同じリクルート・スーツに身を包んで就活する学生さんの姿がある。おそらく、人事担当者はこの際とばかりに買いたたくか、一人も採用などしたくないであろう。
正解のある問題は、解答が一つでなければならない。だが、文章・作文だけは異なっている。同じ応えというものがあり得ない、まったく逆のベクトルを持ち、ひととなり、すなわち個性が反映されてしまうものである。この正解などない時代にしぶとく生き抜いていく確かな武器、考え方がここに書かれている。