一橋大学社会学部学士論文
(加藤哲郎ゼミナール)
My Eternal Heart
―尾崎豊、その軌跡―
湯浅 兼輔
生きること。
それは日々を告白してゆくことだろう。
尾崎 豊
『十七歳の地図』
(Seventeen’s Map)
I
- with my eyes burning much more
strongly than Robert De Niro's in
"The Taxi Driver", my
heart not more restless than a soldier boy facing death
on battleline -
started the engine of the bike I stole. Tension within myself made me
high. Leading a life filled with rules is not a bad way. But, to be free,
to be an outsider - that
suits me, man. I heard footsteps approaching.
"Hell with it!" Like a
hungry wolf, I climbed up the wall. I left my bike and run
away.
『街の風景』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
街の風に引き裂かれ 舞い上がった夢くずが
路上の隅で寒さに震え もみ消されていく
立ち並ぶビルの中 ちっぽけな俺らさ
のしかかる虚像の中で 心を奪われている
あてどない毎日を まるでのら犬みたいに
愛に飢え 心は渇き ふらつき回るよ
灰色の壁の上 書きなぐった気持ちは
それぞれの在り方の空しさに震えているんだ
追い立てられる街の中 アスファルトに耳をあて
雑踏の下埋もれてる歌を見つけ出したい
空っぽの明日に向けて投げてやるさ
誰もが眠りにつく前に
心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色に散りばめられた 街の風景
黙っておくれよ 理屈なんかいらない
甘えだと笑うのも よく解ったから
無意味な様な生き方 金のためじゃなく
夢のため 愛のため そんなものにかけてみるさ
追いたてられる街の中 めくるめく日の中で
思い思いに描いてく 歌い続け 演じ続け
人生はキャンパスさ 人生は五線紙さ
人生は時を演じる舞台さ
心のハーモニー 奏でよう
ガラス作りの歌 奏でよう
無限の色を散りばめた 街の風景
この曲は、尾崎のデビューのきっかけとなったソニー・オーディション選考のテープ審査に送られた4曲のうちの一つである。これらの曲がもし審査員の耳に届かなかったとしたら、アーティスト「尾崎豊」は存在しなかったかもしれない。そう考えると、私のような尾崎ファンにとっては感慨深い一曲であるといえよう。
尾崎のティーンエイジャー期3部作(『十七歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』)の歌詞には、尾崎の代名詞といえる「愛」、「自由」というフレーズのほかに、「街」という言葉がよく出てくる。尾崎の「街」に対する特別な思いが、その歌詞にも表れているのである。
各々の街には、その土地それぞれの文化や慣習、歴史などによって培われ、育まれてきた表情や匂いを持つ。街の表情や匂いは、その中に入り込んでくるものに対して時に無条件な攻撃性を持ったり、時にやさしく包んでくれそうな包容性を持ったりもする。尾崎が10代の多感な時期に感じ取ったのは、そういった様々な面を持つ街の表情や匂いであったのであろう。
この曲の指し示す「街」のイメージは、新宿、渋谷のような都会の街である。そこには、めくるめくような人々の雑踏、交錯する様々な感情、そしてそこを行き交う一人一人が背負った人生がある。そこでは、人は皆仮面を被って、物事の本質、人生の真理について背を向けて生活している。しかし、それは物質文明、資本主義社会に生まれ育った私達にとって、「街」という時に獰猛な狼から自らの身を守るための手段であるのだ。本音で、理想で片付けることのできない物が「街」にはたくさんある。尾崎はその矛盾を高校生にも満たない若さで感じ取ったのであろう。当時の尾崎にとって「街」は、「無限の色を散りばめた」煌びやかなものであると同時に、「人間喜劇(*)」が演じられる舞台でもあった。
(*)「人生喜劇」・・・『街の風景』は初め演奏時間10分を越える長いものであった。この曲を改めて編曲していくにあたり、当時のプロデューサー須藤晃氏(この人物がアーティスト尾崎豊を作り上げたといっても過言ではない)の助言によって、『街の風景』はオリジナルより短くアレンジメントされ、この「人間喜劇」というフレーズも省かれることとなった。後に須藤氏はこう語る。
「その言葉(人間喜劇)にはとても引っ掛かっていたから。つまり16ぐらいで、人生について達観したり悟ったみたいなことを言うんじゃないよって。」(「尾崎豊が伝えたかったこと」 須藤晃)
『I LOVE YOU』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
I love you 今だけは悲しい歌聞きたくないよ
I love you 逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで 捨て猫みたい
この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは子猫のような泣き声で
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に
I love you 若すぎる二人の愛には触れられぬ秘密がある
I love you 今の暮らしの中では 辿り着けない
ひとつに重なり生きてゆく恋を
夢見て傷つくだけの二人だよ
何度も愛してるって聞くおまえは
この愛なしでは生きてさえゆけないと
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に
2004年春に、須藤晃氏が中心となって企画されたトリビュートアルバム『BLUE』、『GREEN』が発売された。数多くの有名アーティスト(Mr.Children、槙原敬之など)が参加した『BLUE』の中で、宇多田ヒカルはこの『I LOVE YOU』をカヴァーした。彼女は公式プロフィールの中で日本人として唯一、尾崎豊を好きなアーティストの一人に挙げており、アルバムでのカヴァーからはそんな彼女の尾崎をリスペクトする気持ちが、曲を通して伝わってくるようである。
死後も年代を問わず人々から支持を受け、リスペクトされる尾崎の魅力の一つとして、バラード曲の完成度の高さと、言葉という概念を超えてリスナーの耳に響き渡る尾崎の愛の叫びが考えられる。尾崎は数ある作品(楽曲だけでなく、書籍やアート、映像などあらゆるジャンルを含めて)の中で、様々な愛の形を示した。それは幸せや悲しみを分かち合う愛、互いを壊しあう愛、亡き人を想い続ける愛、独占欲と自己欺瞞に満ちた愛、生存のための愛、対象の存在しない虚無の愛など挙げていけばきりがないほどである。
『I LOVE YOU』で描いた愛は、10代の尾崎が感じた、いくら互いを欲しても相手の気持ちを満たすことのできない、すぐ先の未来さえ感じることのできない切なさに満ちた愛である。生活力もなく、またそれを得る術さえ知らない幼き恋人達には、当然具体性を持った未来のイメージを語り合うことはできない。ただできるのは、互いの寂しさを分かち合うように躰を抱きしめ合うことだけである。今、現在、躰を抱きしめ合う瞬間そのものが二人にとって真実であり、愛なのである。しかし、そこには刹那的な幸福感さえ、なくなってしまっていた。寂しさと切なさに満ちたベッドの上で、二人は互いの空白を埋めるように抱きしめ合う。オトナ達がどこか遠くに置き忘れていったピュアでもろいガラスのような世界がそこにはある。
以下は、須藤氏が尾崎と初対面した時の会話である。
「尾崎、ジョン・レノンがね、こんなことを言ってるんだ。『エルビス・プレスリーが登場するまで、それほど自分を惹きつけたものはなかった』って。君にとって、そういうものってある?」
「う~ん、愛」
(「尾崎豊が伝えたかったこと」)
『15の夜』
words & music 尾崎 豊
arrangement 町支 寛二
落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持ちの扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背を向けながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして仲間達は今夜家出の計画をたてる
とにかくもう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
冷たい風 冷えた身体 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を さよならつぶやき走り抜ける
闇の中 ぽつんと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心を捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈な授業が俺達の全てだというのならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も分からぬまま
暗い夜の帳の中へ
覚えたての煙草をふかし 星空を見つめながら
自由を求めつづけた 15の夜
盗んだバイクで走り出す 行き先も分からぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
『卒業』とともに、尾崎を「10代の代弁者(教祖)」、「反逆のカリスマ」に仕立て上げたあまりにも有名な一曲。また尾崎の1st Singleとしても知られる。この曲から感じられる大人達への反発、抑圧された社会からの解放と自由の希求は、アーティスト尾崎豊を語る上で切っても切り離すことのできない重要なファクターの一部である。
『15の夜』は尾崎の実体験をもとに作られた。尾崎が中学3年生の時、彼の仲間の一人が「長髪である」ということを理由に、教師にバリカンで頭を刈られてしまった。これに反発した尾崎を含めた10人の仲間達が家出を試みるというものだ。時は1980年。体罰問題や管理教育の弊害が次第に表面化してきた時期でもある。今でこそ生徒にバリカンをあててしまったら大問題になるであろうが、尾崎が中学生であった当時はこのような出来事が日常茶飯事にあったのであろう。生徒をバリカンで刈るという行為自体の良し悪しは別として、中学生の尾崎は教師、ひいては学校そのものや大人社会全体に対して、不信感、反発感、抵抗感、そして自分達の力ではそういったものに太刀打ちすることのできない無力感や絶望感を味わったのであろう。
私自身も中学生であった頃、尾崎が『15の夜』で訴えたような学校や大人社会に対して反発し、従うことに抵抗を感じたことがあった。学校の勉強に何の意味があるのか、何故教師達は偉そうにしているのか、酒を飲んだり煙草を吸ったっていいじゃないか。。。
「ふざけんなっ、やってらんねーよ!」自分自身が無力であり、無知であることを解っているがゆえに、身近にある権力を連想させるもの(教師、親、大人、学校など)に歯向かいながらも従うしかないジレンマ。「もう学校や家には帰りたくない」。中学生が親や教師に反発し、その抵抗する姿勢を見せるための手段は家出することくらいである。
しかし、家出の最中、尾崎が感じたのは、「家出をしてみたら、皆、不安で、はしゃいでそれを騙してる。ひとりでいたら、不安につかまえられるから離れられなくなるんだ」。缶コーヒーを握り締めて、「これが、今、俺の唯一のぬくもりだ。ちょうど百円分の…」(「尾崎豊ストーリー」 落合昇平)。そこにあったのは、ただ漠然とした不安のかたまりであった。結局中学生の思い描く抑圧からの解放と自由は、親や教師といった周りの大人たちによって庇護された環境の中でこそ成立するものだったのである。
真の意味での自由は、不安との戦いである。そこには決められた選択肢もないし、守ってくれるものもない。全ては自己の判断と責任に任されるのである。
尾崎はその後、高校を中退しプロのアーティストとして活動していくと決めた時、自由の難しさを感じた、と語った。
『十七歳の地図』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
十七のしゃがれたブルースを聞きながら
夢見がちな俺はセンチなため息をついている
たいしていい事あるわけじゃないだろう
一時の笑顔を疲れも知らず探し回ってる
バカ騒ぎしてる 街角の俺達のかたくなな心と黒い瞳には寂しい影が
喧嘩にナンパ 愚痴でもこぼせば皆同じさ
うずうずした気持ちで踊り続け 汗まみれになれ
くわえ煙草のSeventeen's map
街角では少女が自分を売りながらあぶく銭のために何でもやってるけど
夢を失い 愛をもて遊ぶ あの子忘れちまった
心をいつでも輝かしていなくちゃいけないってことを
少しずつ色んな意味が解りかけてるけど 決して授業で教わったことなんかじゃない
口うるさい大人達のルーズな生活に縛られても 素敵な夢を忘れはしないよ
人波の中をかきわけ 壁づたいに歩けば
すみからすみはいつくばり 強く生きなきゃ思うんだ
ちっぽけな俺の心に からっ風が吹いてくる
歩道橋の上 振り返り 焼け付くような夕陽が
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
Seventee's map
電車の中 押し合う人の背中にいくつものドラマを感じて
親の背中にひたむきさを感じて このごろふと涙をこぼした
半分大人のSeventee's map
何のために生きてるのか解らなくなるよ
手を差し伸べて お前を求めないさ この街
どんな生き方になるにしても 自分を捨てやしないよ
人波の中をかきわけ 壁づたいに歩けば
しがらみのこの街だから 強く生きなきゃ思うんだ
ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いている
歩道橋の上 振り返り 焼け付くような夕陽が
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
Seventee's map
「これだよ! この曲だよ」って僕は叫んだ。(「尾崎豊が伝えたかったこと」)
尾崎の書いてきた『十七歳の地図』を見て、須藤氏が発した言葉である。須藤氏に限らず、この曲を初めて耳にし、その詞に触れた者であるなら、誰しも尾崎の描く十七歳の等身大の地図に驚愕し、高まる感情ととともに深い共感を覚えていくことだろう。この曲には、十七歳であった尾崎の、背伸びのない等身大の溢れんばかりの情熱という感情に満ち溢れている。
世間一般のいわゆるコドモからは卒業したが、オトナには成りきれていない。成熟しきれないことから生ずる鬱憤は、汗となって外に発散されていく。それでも、知識欲、性欲、食欲などの激しい感情は高まっていくばかりだ。自分自身に起こりつつある変化、外の世界への好奇心、全てが新しく、何もかもが新鮮だ。しかし、全てのことが、思うが侭にうまくいく人生なんてあるはずがない。まして、多くの十七歳を取り巻く環境は、数々の制約と校則に縛られている。
「そんなことはわかってるさ。それでも俺は踊り続けたいんだっっ」。そんな十七歳の尾崎の声が聞こえてきそうである。
詞にある尾崎が見た歩道橋上の夕陽は、JR渋谷駅南口を出て、立体交差する歩道橋を渡ったすぐにあるクロスタワー(旧東邦生命ビル)の2階テラス付近であると言われている。今、そこには尾崎の歌碑があり、ファン達の熱いメッセージで埋め尽くされている。私もその場所に何度か足を運んだことがあるが、残念ながら夕陽が拝めるタイミングに行けたためしがない。しかし、そこから見えるであろう夕陽の姿は何とか想像することができた。それは、ビルに挟まれた視界の中で、都会の喧騒と埃に包まれながら、この世の中にある唯一無比の絶対、そして真実であるかのように、私の顔と身体を照らすのである。尾崎は学校(青山学院高等学部)からの帰宅途中、一体何度この夕陽を見たのであろう。夕陽に照らされながら、「心の地図」上にある全ての出来事を反芻し、生きていくための心の糧としていったのであろうか。
『OH MY LITTLE GIRL』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
こんなにも騒がしい街並みに たたずむ君は
とても小さく とっても寒がりで 泣きむしな女の子さ
街角のLove
Song 口ずさんで ちょっぴりぼくに微笑みながら
凍えた躰 そっとすりよせて 君は口づけせがむんだ
Oh My Little Girl 暖めてあげよう
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
Oh My Little Girl
二人黄昏に 肩寄せ歩きながら
いつまでも いつまでも 離れられないでいるよ
君の髪を 撫でながら ぼんやりと君を見てるよ
甘えた声で 無邪気に笑う ぼくの腕に包まれた君を
Oh My Little Girl 素敵な君だけを
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
Oh My Little Girl
冷たい風が 二人の躰すり抜け
いつまでも いつまでも 離れられなくさせるよ
Oh My Little Girl 暖めてあげよう
Oh My Little Girl こんなにも愛してる
Oh My Little Girl
二人黄昏に 肩寄せ歩きながら
いつまでも いつまでも 離れないと誓うんだ
野島信二脚本のテレビドラマ『この世の果て』の主題歌として、この曲は尾崎の死後シングルカットされ、音楽チャート誌の1位を飾ることとなる。このドラマとのタイアップは、野島信二の強い希望で実現された。名脚本家として数々のヒットドラマをプロデュースしてきた彼も、また一人の尾崎の信奉者であったのである・・・(尾崎のシングルで音楽チャート1位を飾ったのはこの『OH MY LITTLE GIRL』ただ一曲である。尾崎の曲として一般に認知されている曲は、そのほとんどがアルバム収録曲であることが多く、シングルとして売れたものは少ない。現在の音楽業界は大手レコード会社を中心に、先行シングルの発売で興味を惹きつけ、それらのシングル曲が収録されたアルバムのセールスを伸ばす、という形が一般化されているが、尾崎の場合、そういった形とは一線を画す、「ビートルズ」のようなアルバム・アーティストであったということができる。)
この曲には、尾崎の少年時代に抱えていた、「好きな女の子を守ってやりたい、そしていつまでも傍で見守りつづけたい」という恋心がよく表れている。思いを寄せる相手は「とても小さく、・・泣きむしな女の子」である。そんな子猫のように繊細で、か弱い相手を自分の手で守りつづけたいという思いは、尾崎に限らずティーネイジャー期の少年なら必ずといっていいほど一度は抱える、青臭い、けれども清清しくもあるヒロイズムに似ている。そこには利害関係や損得勘定は一切感じられないピュアで真っ直ぐな正義感で満ち溢れている。
しかし、誰しも少年のままではいられない。少年は幾多の試練や苦悩、挫折、そして恋愛を通じて大人へと成長していく。その過程で少年は気付くのである。自分自身の中にも「とても小さく、泣きむしな」自分がいるということを。大切なヒトを守ると同時に、自分もそのヒトから愛され、守られたい。
尾崎の少年から大人への恋愛感情の変化は、この『OH MY LITTLE GIRL』と次のアルバム『回帰線』に収録された『シェリー』を比較しながら聴くことによってよくわかるであろう。
『僕が僕であるために』
words & music 尾崎 豊
arrangement 町支 寛二
心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れ合いの様に暮らしても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君が好きだけど 明日さえ教えてやれないから
君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
僕が僕であるために 勝ち続けなくちゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街に飲まれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる
同名のタイトルで、スマップ主演のドラマに使われたことでも有名な『僕が僕であるために』。1st Album『十七歳の地図』のラストを飾る曲として申し分ない、非常に優れた曲に仕上がっている。
尾崎は同アルバムの他の曲で、「街」を喧騒と焦燥のかたまり、そこに行き交う人々の「人間喜劇」の舞台であると言った。しかし、この曲ではそういったある意味達観したような視点ではなく、「街」をそこで生活する一人の人間として見た視点で描いている。
「街」はそれ自体で、内包するあらゆる人々の意志を抱えながらも、それらをまとめ一つの方向に導いていく一つの生命体、あるいは有機体のように感じられる側面を持つ。そこに足を踏み入れると、あたかも自分の意志とは無関係なところで、自己の意思決定(もしくはその一部分)がなされるような錯覚に陥ることがある。しかし、卓上を離れ、実際の「街」の姿に目を凝らしてみると。。。
そこにあるのは人一人一人がそれぞれに抱える悲しさであったり、幸せであったり、愛である。そこには最大公約数的な意志など存在しない。ただあるのは血の通った意思たちの果てしない群れなのである。
それぞれが抱える「街」の中で、人は日々生きてゆかなければならない。そのための戒律として、尾崎は勝ちつづけることを選んだ。勝ち続けることで何が得られるといった、打算的なものではない。勝ち続ける行為そのものが、目的であり、生きるための手段なのである。
では何に対して勝ち続けるのであろうか。それは間違いなく自分自身であろう。自分自身の弱い心、強い心。氷のように冷たい感情、煮えたぎるような感情。自分を形作る全てのものに打ち勝ち、生きてゆかねばならない。しかし、それは自らを削りながら生きる、棘の道なのかもしれない。その後の尾崎の深い苦しみと苦悩の日々を思うと、勝ち続けることの困難さが痛いほど切実に伝わってくる。そういった意味で、この曲は尾崎のもがき続けた人生のアンチテーゼのようにも聞こえる。
「だけど この目に映る この街で僕はずっと生きてゆかなければ」
誰しも「街」から離れ生きることはできない。なぜなら「街」というのは、物体として存在すると同時に、人が持つ各々の心を反映する鏡なのであるから。
『回帰線』
(Tropic of Graduation)
It's just like a deer with
bloodshot green eyes chased into the corner by
The deer hunters. It's just like a yacht drifting among a
flock of strong
warships in the city. It's just
like a girl holding the deserted dog trembling
in the cold rain. It's just like a
iron melting in the redhot fire. They all look
so dangerous and beautiful. But
who can help them? And who can touch
them?
『Scrambling Rock’n’Roll』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
俺達何かを求めてはうめく うるさいRock'n'Roll Band
誰も見向きもしない Scramble交差点で歌っている
ごらんよ 寂しい心を閉ざして歩くよ Hard Worker
自分のくらしが一番自分を傷つけると泣いてる
俺達遠くの町から 少しの金にぎりやってきた
思う存分もはしゃぎまわれず Jungle Landに 迷い込む
Scramblin'Rock'n'Roll
通りすがりの 着飾ったあの娘は クールに夜を歩く
悲しませるもの すがりつけるもの 胸にいくつかかかえ
俺達そんな見知らぬ彼女を 夢中にくどいている
彼女の胸の上 優しい光ともして眠りたい
睡眠不足の Sleepy Boy 闇には孤独と 夢を織り交ぜ
おびえた心のアクセルふかしても 街からは逃げられやしねえよ
Scramblin'Rock'n'Roll
自由になりたくないかい 熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい 思うように生きたくはないかい
自由っていったいなんだい どうすりゃ自由になるかい
自由っていったいなんだい 君は思う様に生きているかい
さかりのついた獣のように 街はとてもDangerous
入り口はあっても出口はないのさ
奪いあっては さまよう街角
自由になりたくないかい 熱くなりたくはないかい
自由になりたくないかい 思う様に生きたくはないかい
自由って一体なんだい 思う様に生きているかい
寂しがりやの君の名前すら 誰も知りはしない
Scramble交差点では 心を閉ざし解りあうことがない
どんなふうに生きてゆくべきか わかってないねBaby
君の恐がってる ぎりぎりの暮らしなら
なんとか見つかるはずさ
奪いあいの街角で 夢を消しちゃいけないよ
見栄と偏見のふきだまり
気をつけて まっすぐ歩いてほしいよ
Scramblin'Rock'n'Roll
Scramblin'Rock'n'Roll
奪いあいのRock'n'Roll
<ロックン・ローラー>尾崎豊の一面が余すことなく表れた一曲。そう、今でこそ尾崎は「愛の伝道師」や「10代の代弁者」として語られることが多いが、尾崎を尾崎たらしめるその最大の要素は、ハリケーンのように激しく、触れると火傷しそうなくらいに熱いロック魂であるのだ。尾崎はツアーやライブコンサートで、ステージ上を激しく動き回りシャウトし続けた。それはあたかもスプリンターが100メートル走を全力で疾走するくらいに、目まぐるしい躍動感に溢れていた。
尾崎は生前、"ライブ"で歌うことを非常に大切にしていた。この『Scramling Rock'n'Roll』は、ライブで歌われることを前提に尾崎が書き上げたものだ。そして、レコーディングもライブ形式に近いもので録音された。私はこの曲を聴くたび、頭の中で激しく熱い尾崎のライブ姿を思い浮かべている。
<「自由になりたくないかいっっっ~~♪」>
<そうさ、俺達はいつでも自由でいたい。自由に、思うように生きていたいんだ。そんな風に叫ぶ俺達を非難するやつらもいる。そいつらは疲れた目をしてこう言うんだ。
「生きるためには自分を欺かなくちゃいけない。生きるということは自分を押し殺しながら頭を下げるということなんだ。」
俺だってそんなことくらい解り始めてるさ。でも解りたくはねえ。今はただこうやってシャウトしつづけていたいんだ。さあ、今夜は永遠に明けることのない夜を満喫しようぜ。眠ってなんかいるんじゃねえ。俺達の自由は休むことなく踊り狂うことなんだ!>
1984年8月4日日比谷野外音楽堂で行われた反核イベント、「アトミックカフェ」に出演中、高さ7メートルの照明イントレから飛び降り、足首を骨折。痛みに耐えてピアノにつかまり、床に伏せながら、最後まで歌いきって強烈な印象を残す。(「尾崎豊のすべて」 草野昌一)
その後のインタビューで尾崎は、「骨なんか折れるはずもないと思ってた。俺の骨は特別だから」と語った。
やはり尾崎は根っからのロックン・ローラーだ。
そして、この「照明飛び降り事件」は『Scramblin'Rock'n'Roll』の演奏中に起きたのであった。
『Bow!』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
否が応でも社会に飲み込まれてしまうものさ
若さにまかせ 挑んでくドンキホーテ達は
世の中のモラルをひとつ 飲み込んだだけで
ひとつ崩れ ひとつ崩れ
すべて壊れてしまうものなのさ
あいつは言っていたね サラリーマンにはなりたかねえ
朝夕のラッシュアワー 酒びたりの中年達
ちっぽけな金にしがみつき ぶらさがってるだけじゃ NO NO
救われない これが俺達の明日ならば
午後4時の工場のサイレンがなる
心の中の狼が叫ぶよ
鉄を食え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰いつくな
夢を語って過ごした夜が明けると
逃げ出せない渦が 日の出と共にやってくる
中卒・高卒・中退 学歴がやけに目につく
愛よりも夢よりも 金で買える自由が欲しいのかい
午後4時の工場のサイレンがなる
心の中の狼が 叫ぶよ
鉄を喰え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰いつくな
鉄を食え 飢えた狼よ
死んでもブタには 喰いつくな
『bow』(弓のように曲げるが本義) 同音:bough 類音:vow
自動:1、<人が>[~に](敬意・あいさつの印として)おじぎをする、頭を下げる、腰をかがめる
2、[~に]屈服する、従う(submit)
(「ジーニアス英和辞典」)
大学に入って4度目の春を迎えた頃である。その頃になると次第に就職活動も本格化しだし、街中ではリクルートスーツを着た学生達が、久しぶりに染め直した不自然な黒髪を気にしながら、緊張感に満ちた面持ちで歩いていた。御多分に漏れず、そういった学生達の中に私も含まれていた。毎日、毎日つまらない話に耳を傾け、面接官には目一杯の笑顔を作りながら必死に自分を売り込んだ。思ってもないような綺麗ごとや賛美を繰り返した。本音でしゃべったのは一体どのくらいあったろう。ただ毎日のように、媚びながら自分に嘘をつき続ける私がいた。
「俺は一体なにをしているのだろう。」
「自分は本当に会社に入り、仕事をしていくことを望んでいるのだろうか。周りに流されて、自分が仲間達から取り残されてしまうのを恐れているだけではないだろうか。何か違う選択肢があるんじゃないのか。でもその答えがわからない。誰か俺にその答えを教えてくれ。」
そういった葛藤を抱えながら逃げるように酒に溺れていたある日、終電近くの電車の中は仕事帰りのサラリーマン達の群れで一杯であった。皆一様に疲れた顔でうつむき、その瞳はまるで何も映っていないかのように空虚であった。
私はそんなサラリーマン達の灰色の瞳を見ながら思った。
「本当にこれが正解なのか」
今でもその問いは私の中で消えないでいる。それはきっと今の私には大きすぎる問題であるからだ。しかし、私はその問いに正解を出すことが大切なのではなく、問いを持ちつづけることが大切であると思う。問いつづけることを忘れてしまうことが「ブタを喰う」ことなのだ。
「鉄を喰って」生きていきたい。この曲を聴くたび、私の問いは尾崎の歌声と共に耳に入り、そして再確認される。
『ダンスホール』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
安いダンスホールは たくさんの人だかり
陽気な色と音楽と煙草の煙にまかれてた
ギュウギュウづめのダンスホール しゃれた小さなステップ
はしゃいで踊りつづけてる おまえを見つけた
子猫のような奴で なまいきな奴
小粋なドラ猫ってとこだよ
おまえはずっと踊ったね
気取って水割り飲みほして 慣れた手つきで 火をつける
気のきいた 流行文句だけに おまえは小さく うなづいた
次の水割り手にして 訳もないのに 乾杯
こんなものよと 微笑んだのは たしかに つくり笑いさ
少し酔ったおまえは 考えこんでいた
夢見る娘ってとこだよ 決して目覚めたくないんだろう
あたい グレはじめたのは ほんの些細なことなの
彼がいかれていたし でも本当は あたいの性分ね
学校はやめたわ 今は働いているわ
長いスカートひきずってた のんびり気分じゃないわね
少し酔ったみたいね しゃべり過ぎてしまったわ
けど 金がすべてじゃないなんて きれいには言えないわ
夕べの 口説き文句も忘れちまって 今夜もさがしに行くのかい
寂しい影 落としながら
あくせくする毎日に 疲れたんだね
俺の胸で眠るがいい
そうさおまえは孤独なダンサー
尾崎がレコードデビューするきっかけとなった、オーディション選考で使われた4曲のうちのひとつである。
「この歌は、コイツが創ったんじゃないよ」。僕は、テープで最初に『ダンスホール』を聞いた時にそう言いきった。・・・16才の男の子が創ったオリジナルだとは思わなくて、誰か親戚の叔父さんとかで歌ってる人がいて、その人がちょこっと創った演歌みたいな詞だろうと考えた。
(「尾崎豊が伝えたかったこと」)
尾崎の感性は16才にして、聴くものにこのような感想を抱かしてしまうほど早熟であり、素晴らしかった。同曲はアルバムをリリースするにあたって、プロデューサーと尾崎の意向でファーストアルバムではなく、セカンドアルバム『回帰線』に収録されることになるが、この曲が16才の時に創られた詞とは思えないほど完成度が高く、違和感を全く思わせない。
この曲は、実際に尾崎の側にいた、学校を退学してしまった女の子をイメージして作られた。学校という理屈のかたまりのような場所から自由になったその女の子を、尾崎は羨望の眼差しで見たのであろう。彼女は自分の信じた自由の扉を開けたはずだった。
しかし、彼女は自由を手にしたわけではなかった。彼女が選んだ道の上には、学校生活で味わったことのない"現実"の世界があった。そして、"現実"の世界に疲れ切った彼女は、水割りを片手にこう言うのである。
「金がすべてじゃないなんて きれいには言えないわ」
私の周りにも中学生の頃、半歩先を歩く大人びた仲間達がいた。彼らは酒も煙草も当たり前のようにやっていたし、女遊びもしていた。当時の私にとって、彼らがやることなすこと全てが新鮮で、楽しそうに見えた。もちろんそこには「危険な」香りがあったわけだが、その香りさえもがカッコよく見えた。そんな仲間達に追いつこうと、私も必死になって対抗していたこともあったが、結局その仲間達のほとんどは学校に来なくなってしまった。
その後、私が高校に進学した後も仲間達とは何度か会った。私の前では直接言わなかったが、仲間達はきっとこの曲にあるような、女の子が感じた"現実"世界の厳しさを感じていたのであろう。その時の仲間達の異様なくらいのはしゃぎ振りを思い出しながら、そう思った。
『卒業』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた
放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた
行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人たちとの争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業
誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても
やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った
行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業
卒業していったい何解ると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰しも縛られた かよわき子羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう
仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終わる
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業
卒業式のシーズンが来る度、日本各地でこの『卒業』は歌われる。それは学校の中でかもしれないし、あるいは仲間同士の打ち上げの中かもしれない。そして、ある人は働き始め、ある人は更なる勉学を求め、またある人は自分の夢に向かって歩き出す。「卒業」は学校からの「卒業」という意味だけでなく、新しい自分へと飛躍していくための自分自身からの「卒業」を表している。
人はその人生の中で何度も「卒業」を経験する。それは学校や、住み慣れた街からであったり、気の置けない仲間達からであったり、自分自身の内面であったりする。「卒業」は慣れ親しんだ人や場所やものからの別れであり、別れは痛く、そしてはかない。学校の卒業式は涙する顔で一杯になる。このままでいたい、みんなと一緒にいたい。しかし、「卒業」は時に必然であり、宿命という名の番人のように人の前に表れる。「さあ、時間だ。」とその番人は言う。
そして、悲しさと期待と不安で満ち溢れた「卒業」は、人に課せられた強い人間になるための通過儀礼でもある。
(1984年3月14日)
「このポスター、余分あります?」
「ちょっとね、貼っておきたいところがあるんだ」
その夜、彼は翌日に控えた学校の周囲、皆の通学路に、ルイード・ライブの告知ポスターを貼って歩いた。そして、そのポスターに彼はマジックでこう書き加えた。
「みんな、よくがんばった!卒業おめでとう!」
(同15日)
彼の通っていた高校の卒業式があったその日の夜に、新宿のライブハウス「ルイード」で彼のデビュー・ライブが行われた。彼はその時、既に自主退学をしていたので、もちろんその式には参加していない。そして、この日この小さなライブハウスは彼の同級生達で一杯になった。彼はステージの上から精一杯の声で叫んだ。「卒業おめでとう!」
この日、彼は同級生達と一緒に、まだ学生気分を引きずっていた自分から「卒業」したのである。そして、彼はプロ・アーティスト尾崎豊へと更なる飛躍を遂げていくのである。
(1984年3月15日の段階で本題の『卒業』は発表されていない。『卒業』は1985年3月21日発売のアルバム『回帰線』に初めて収録された。)
『存在』
words & music 尾崎 豊
arrangement 町支 寛二
にぎやかな街 隠しきれないさみしさが ほら見つめてる
小さくかがめて守らなければ 自分の存在すら見失うよ
誰もかれもの存在ならば いつも認めざるをえないもの
それでも僕の愛の言葉は 何の意味さえもたなくなる
満ち足りて行くことない 人の心なぐさめられる様な
夢求めていても まのあたりにするだろう
生存競争の中 夢はすりかえられてしまう
受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で立ち向かって行かなければ
受け止めよう 自分らしさに うちのめされても
あるがままを受け止めながら 目に映るもの全てを愛したい
僕に見えるものは いつも当はずれが多かったけれど
現実と夢の区別くらいは ついていたはずだった
何もかもをあるがままに 受けとめ様とするけれど
君は運命 誰かの人生を 背負うこととはちがうのさ
どんな色でなぞればいい 自分の愛を否定してしまうまえに
笑ってもかまわないの でも君が愛や夢に 悩む時は どうか思い出して欲しい
受け止めよう 目まいすらする 街の影の中
さあもう一度 愛や誠心で 立ち向かって行かなければ
受け止めよう 本当のこと口にする君の目を
誰も傷つけぬ 気まぐれの様な やさしいうそすらさえも愛したい
愛は真実なのだろうか 愛は君を救ってくれるだろうか
背中あわせの裏切りに打ちのめされても
それでもいい 愛してる 他に何ができるの
以外かもしれないが、尾崎の曲には哲学的な内容を含んだものが結構ある。それは尾崎が幼年期から、父親の影響で純日本的な短歌の世界に慣れ親しんできたことや、時には父親や兄と宇宙の成り立ちのような哲学的なことについて議論をしていたことが、尾崎の深層心理での物事の捉え方に深く影響したからであろう。
オリジナルアルバム6作品を尾崎の活動中止期間(ニューヨーク滞在期1986年~1987年)で前期と後期に分けたとすると、後期の作品(『街路樹』『誕生』『放熱への証』)では、より哲学的要素が濃くなってくる。1stアルバム『十七歳の地図』では、目を向ける対象が外の世界を中心としていたが、この2ndアルバム『回帰線』あたりから、その対象が次第に内側の世界、つまり自分自身の内面へとシフトしていく。自分自身の内面的世界を読み取っていくことは、かなりの労力を必要とする。なぜならひとつひとつの疑問がダイレクトに、自分という存在を保つためのファンダメンタルとしての価値観、コア(核)の部分に響いてくるからである。
尾崎は作品に関して完璧主義者であり、曖昧に流すことを嫌った。それは作品以外にも言えたことであり、自分という存在そのものに対しての問いさえも曖昧に流すことはなく、限界を超えてしまいそうなぎりぎりのラインまで自分を追いやりながら問いつづけた。尾崎がその後、苦悩の日々の中で悩み足掻きながらドラッグと酒に溺れた日々を繰り返してしまったことを考えると、彼の生涯は自分を救済してくれる存在を探すための長くて短い旅のようなものであったようにも感じられる。
「受け止めよう」
『存在』のさびはこの言葉が繰り返される。言葉のもつ日本語としての響きの美しさは、さらにその意味合いを神秘的なものへと昇華させ、聴くものの耳へと入ってくる。「あるがままを受け入れ、例えそれが嘘や裏切りであったとしても受け入れよう。そこからきっと真実が見えてくるはずさ」
「生存競争の中 夢はすりかえられてしまう」
そう、この世の中は弱肉強食だ。強いものが弱いものを喰らい、強い奴が弱い奴を虐げる。それは自然の摂理だ。いくら奇麗事を言ったって、その法則は変えられやしない。喰われたくなかったら、強くなれ。強くなって、逆に相手を喰ってやるんだ。でも、これだけは忘れるなよ。その姿が本当に自分の望んだものかってことを。
夢はすり変わっちゃいないかい。
『坂の下に見えたあの街に』
words & music 尾崎 豊
arrangement 町支 寛二
まとまった金をため ひとり街飛び出して行くことが
新しい夢の中 歩いていくことだから
でも寂しそうに見送りに立ちつくす母親にさえ
さよならが言えずじまいで アクセルふみ込んでた
あなたの夢に育まれて その夢奪ってくわけじゃない
小さな俺を眠らせた 壊れちまった オルゴールが
バッグの中で 時をかなでている
俺は車を止めて 手を振っていたよ
坂の下 暮れて行く街に
仕事を終えて帰ると 俺のためにストーブをともして
親父はもう十九の俺の頭 なでながら
話す昔話の意味が その日俺にもやっとわかった
飛び立つ日から思い出は 夢の中で語るだけさ
排気ガスにすすけた窓 俺はひとり夢見ている
坂の下のあの街の中で 必死に探し続けてた物
あの日の親父と同じ様にね
坂道のぼり あの日街を出たよ
いつも下ってた 坂道を
家庭を飛び出してきたのは それより上 目指してたから
やがて俺も家族を持ち 同じ様に築きあげるだろう
何もかも分けあって行く様にね
思い出す たそがれて行く街を
坂の下 たたずんでいた街を
俺はいくつもの 傷をきざみこんだ
坂の下に見えたあの街の中
この曲には実家を離れて一人暮らしを始めた尾崎の、等身大の素直な気持ちがよく表れている。ちょうどこの2ndアルバムの製作に取り掛かる前に、尾崎は朝霞の実家から下北沢に引っ越した。その時の気持ちを格好のいい言葉で形容したり、飾ることなく率直に描いた。
ここにいるのは、どこにでもいる普通の少年で、大人になるために誰もが通る、成長の一過程を今通り抜けようとしている。まわりくどい表現もないし、奇をてらったところもない、あえて複雑にしているところもない。両親が見送ってくれて、僕はその日ウチを出たんだ、というそれだけの曲である。
尾崎はそれまで随分と「自分は半分大人で、半分は大人じゃない」という曲を歌ってきた。でも残り半分は何かというと、経済的または精神的に自立していない気分であるという。女の子との付き合いの中でも、自分達二人だけでは、まだ暮らしを設計して、組み立てて行くだけの準備ができていないからという。そんな風に歌ってきた。でもとうとう家を出て、経済的にも自立して、自力で生活を立てようとしている。
一人暮らしを始める少年は、自立することへの強い決意も歌っている。けれどそれに対して、少し恐いという気分もよく出ている。曲の中で何度も振り返って、お袋に手を振っているように。これもまた尾崎の数ある詞の中では、珍しいくらいに素直な少年像だ。絆を切って俺は家を出たのでなく、ずっと家族愛に包まれていたい、でも自分は家を出て行く。それは自分にとって少し恐いことなんだ、と。
「・・・学校辞めてから、愛とか自由とかそういうものを求め始めた時に、甘えていた自分に気がついて。つまり、社会にまだ適応できていない自分が、甘えているんじゃないかと思って。"胎内回帰"っていうのかな。そういうイメージが僕の中にあって、卒業していった自分が、母親の胎内を飛び出してからのもがき、そういうもので何かないかなあと思って・・・」
(「YESに影響されたNO」 藤沢映子)
これは尾崎がアルバムタイトル『回帰線』の意味について質問されたとき答えてものだ。曲を製作していくにあたり、尾崎は一人暮らしという新しい環境のもとで、母親や父親といった家族を強く意識したのであろう。インタビューで尾崎が言った"胎内回帰"という言葉が、そのことを強く表している。
『シェリー』
words & music 尾崎 豊
arrangement 西本 明
シェリー 俺は転がり続けて こんなとこにたどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも 捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり 金か夢かわからない暮らしさ
転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様なかっこうでささえてる
シェリー 優しく俺をしかってくれ そして抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
シェリー 見知らぬところで 人に出会ったらどうすりゃいいかい
シェリー 俺ははぐれ者だから おまえみたいにうまく笑えやしない
シェリー 夢を求めるならば 孤独すりゃ恐れやしないよね
シェリー ひとりで生きるなら 涙なんか見せちゃいけないよね
転がり続ける 俺の生きざまを
時には涙をこらえてささえてる
シェリー あわれみなど 受けたくはない
俺は負け犬なんかじゃないから
俺は真実へと歩いて行く
シェリー 俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いているかい
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
私はこの『シェリー』が尾崎の数あるラヴ・ソングの中で最高傑作であると思っている。『シェリー』は尾崎がひとりのアーティストとして最も輝いていた時期に創られた。『15の夜』や『卒業』によって「10代の教祖」という一種のカリスマ性を帯びたイメージが尾崎豊像を作り上げていった時期でもある。
「・・・尾崎が最も輝いていた10代最後の夏、1985・8・25の大阪スタジアムのコンサートのエンディングで歌ったのは、この『シェリー』だった。2万人の聴衆を前に<シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに>と彼は振り絞るように歌い、頬には涙が映っていた・・・」
(「尾崎豊 魂の波動」 山下悦子、芹沢俊介、児玉由美子)
この頃、尾崎は10代の若者達にとって、現在進行形で五感を通してリアルに感じられる"生きたカリスマ"であった。
【カリスマはある人にとって自分の気持ちを外に向かって吐き出してくれる代弁者であり、またある人にとっては愛のすがたをありのままに表してくれる表現者であった。その時、カリスマは絶対であり、立ち止まることは許されなかった。カリスマは常に皆の先を走り続けなくてはならなかったのである】
そのカリスマはある歌の中でこう言った。
「俺は決してまちがっていないか 俺は真実へと歩いてるかい」
そのカリスマは全力疾走で愛や自由に向かって走りながら、同時に悩みつづけてもいた。自問自答を繰り返し、正しい道を探しつづけた。そしてこう誓った。
「正しい道を選ぶためには、勝ちつづけるしかない。俺は勝ちつづけてやるぞ」
尾崎のカリスマ像は彼のあらぶる魂を表したものであるが、それは彼の一部分であり、全てではなかった。尾崎の内面には様々な顔を持った尾崎豊がいて、カリスマ像とは正反対の、部屋の片隅で小さく怯えている尾崎豊もいた。曲の中に出てくる、シェリーにはモデルがいたと言われているが、それは同時に小さく怯える尾崎の一面を心の中で問いかけた姿でもあった。
『壊れた扉から』
(Through the broken door)
Worn-out tires
pilled up like blocks
traces of frugal life
through the broken door
worms andweeds still
gazing the world
pavement and the gutter
thirsty and hungry all the time
cars rushing in emergencies
small as forget-me-not
among the leaves
『路上のルール』
words & music 尾崎 豊
洗いざらいを捨てちまって 何もかもはじめから
やり直すつもりだったと 街では夢が
もう どれくらい流れたろう 今じゃ本当の自分
捜すたび 調和の中で ほら こんがらがってる
互い見すかした笑いの中で 言い訳のつくものだけを
すり替える夜 瞬きの中に 何もかも消えちまう
街の明かりの中では 誰もが眼を閉じ 闇さまよってる
あくせく流す汗と 音楽だけは 止むことがなかった
今夜もともる街の明かりに 俺は自分のため息に
微笑み おまえの笑顔を 捜している
傷をなめあう ハイエナの道の脇で 転がって
いったい俺は 何を主張し かかげるのか
もう自分では 愚かさにすら気付き 諭す事もなく
欲に意地はりあうことから 降りられない
疲れにむくんだ 顔で笑ってみせる おまえ抱きしめるには
互い失ってしまうものの方が 多いみたいだけれど
街の明かりの下では 誰もが目を閉じ 闇さまよってる
あくせく流す汗と 音楽だけは 止むことがなかった
今夜もともる 街の明かりに 俺は自分のため息に
微笑み おまえの笑顔を捜している
河のほとりに 取り残された俺は 街の明かりを
見つめてた 思い出が俺の心を 縛るんだ
月にくるまり 闇に吠え 償いが俺を
とらえて縛る そいつに向かって歌った
俺がはいつくばるのを待ってる 全ての勝敗のために
星はやさしく 風に吹かれて 俺は少しだけ笑った
街の明かりの下では 誰もが眼を閉じ 闇さまよってる
あくせく流す汗と 音楽だけは 止むことがなかった
今夜もともる 街の明かりに 俺は自分のため息に
微笑み おまえの笑顔を 捜している
おまえの笑顔を捜している
3rdアルバム『壊れた扉から』は、尾崎の二十歳の誕生日の前日、1985年11月28日にリリースされた。このアルバムを持って尾崎の10代を飾るアルバム3部作が完結する。約一ヵ月後の1986年1月1日、"Last Teenage Appearance"ツアー終了をもって、尾崎は無期限の音楽活動休止を宣言し、単身NYへと渡米してしまう。このNYでの生活は一年近くに及び、そこで得た様々な経験は、その後の作品の形成に多くの影響を及ぼす。
『壊れた扉から』は、ギターとロック好きの少年が自己の表現手段として音楽を選び、全力疾走で自由と愛を叫びながら、「10代の教祖」として若者から絶大な支持を受けていく過程と、その過程の中で尾崎が抱えた自分自身に対する葛藤や苦悩が詰まっているという意味で、大きな一つの節目を感じさせる作品である。
尾崎は『壊れた扉から(英題:Through the broken door)』の意味についてこう言った。
「毎回、毎回、作品が出るたびに僕はケリをつけてきたわけ。学生だった時。そしてデビューしていろいろ感じた自分。それから今度はホントに社会人としてっていうか、学生じゃない自分に対して、ひとつの扉を開けたかった。そして、僕は、もう扉を開けたと思う。開ける前は、扉の向こうには夢があり希望もあったんだけど、その扉を開けて一歩踏み出してみると、そこはとっても殺伐とした廃墟なんだ。そして、今、自分が開けた扉を振り返ってみると、もうすでにその扉は、廃墟の中に壊れたドアとして横たわっている。そういうイメージが僕の中にあってつけたタイトルなんだ。」
(「WORKS : YUTAKA OZAKI」 ソニー・マガジンズ )
「廃墟」
尾崎は、次第に大きなプロジェクトへと変化していく周囲の環境や、社会現象化しつつある支持と賛美と嫌悪の声の中で、自分の今までの道のりを客体化して見始めた。成長という名の扉をいくつも開けていく中で、振り返るとそこには殺伐とした「廃墟」があった。「廃墟」は、その当時の尾崎の心境を具象化した像である。
今まで自分の歌ってきたことは何だったのか。「洗いざらいを捨てちまって 何もかもはじめから」やり直してみたくもある。しかし、もはや尾崎は後戻りのできない環境の中にいた・・・
『失くした1/2』
words & music 尾崎 豊
ひとりぼっちの夜の闇が やがて静かに明けてゆくよ
色褪せそうな自由な夢に 追いたてられてしまう時も
幻の中 答えはいつも 朝の風に空しく響き
つらい思いに 愛することの色さえ 忘れてしまいそうだけど
あきらめてしまわないでね ひとりぼっち感じても
さあ心を開く鍵で 自由描いておくれ
安らかな君の愛に 真実はやがて訪れる
信じてごらん笑顔から すべてがはじまるから
ついてない時には 何もかもから目をそらすけれど
僕は壊れそうな愛の姿を 君の心に確かめたいだけ
いつまでも見つからぬもの 捜すことも必要だけれど
ひとつひとつを暖めながら 解ってゆくことが大切さ
あきらめてしまわないでね ひとりぼっち感じても
誰もがみな 愛求めて 世界はほら 回るよ
安らかな君の愛に 真実はやがて訪れる
信じてごらん 笑顔からすべてが はじまるから
あきらめてしまわないでね ひとりぼっち感じても
さあ心を開く鍵で 自由描いておくれ
安らかな君の愛に 真実はやがて訪れる
信じてごらん 笑顔からすべてが はじまるから
あきらめてしまわないで 真実はやがて訪れる
信じてごらん 笑顔からすべてが はじまるから
『失くした1/2』の英題は"ALTERNATIVE"である。その意味について当時の尾崎のプロデューサー須藤晃はこう説明した。
「たとえばネズミを迷路に入れて走らせるだろ。道はふたつに分かれてて、ネズミが二者択一で正しい道を選べば、ラクに最終目的のチーズにたどり着ける。でも間違った道を選ぶと電流を浴びる。最初から二者択一に成功すれば、一度も電流に触れずにチーズにありつける。そのかわりそのネズミは、チーズ以外には、何の経験も得られない。だからふたつのうちひとつを選んでいくことは、半分は獲得するけど、半分は失うんだよね。尾崎はきっといろんな電流を浴びながら、苦労してチーズにたどり着こうとしてるんだよ」
(「尾崎豊が伝えたかったこと」)
人はその人生の中でたくさんのものを得て、自らの血肉とし、成長していく。それは、人生を航海に例えるなら、最終目的地である"死"という場所にたどり着くまで続く。人は航海の中で目で見、耳で聞き、指で触れるといった五感を通して様々なものを得ていくのである。
しかし、その一方で失っていくものも多い。それは、物心がついてからの、「失う」ということの意味を認識できる、何か具体的な対象を持ったものだけではない。なぜなら、この世に生を受けた時点で、限りある"生"の時間をすでに失っているのだから。
人は何かを「得る」ことも、「失う」ことも、その本質として抱えている。それは、どんなに恵まれた環境で、使い切れないほどのお金を持っている人に対しても言えるし、まったく逆のような環境にいる人にも言える。"ALTERNATIVE"は、運命という名の、人間が持たされた必然であるのだ。
生涯を通して、真実の姿を追いつづけた尾崎にとって、"ALTERNATIVE"な現実世界はどう映ったのであろう。「得る」ことの痛み、「失う」ことの痛み、そして「生きる」ことの痛みに目を向けだした尾崎は、『失くした1/2』の中で、幸福へ至るまでの道筋には、「笑顔」が大切であると説いた。実際、尾崎の笑顔には何か言葉では表現できないような不思議な魅力があったと、尾崎に会ったことのある人たちは口をそろえている。
「あきらめてしまわないで 真実はやがて訪れる
信じてごらん 笑顔からすべてがはじまるから」
『Forget-me-not』
words & music 尾崎 豊
小さな朝の光は 疲れて眠る愛にこぼれて
流れた時の多さに うなずく様に よりそう二人
窓をたたく風に目覚めて 君に頬をよせてみた
幸せかい 昨夜のぬくもりに
そっとささやいて 強く君を抱きしめた
初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの
空をいつまでも さがしてた
君がおしえてくれた 花の名前は
街にうもれそうな 小さなわすれな草
時々愛の終りの悲しい夢を 君は見るけど
僕の胸でおやすみよ 二人の人生 わけあい生きるんだ
愛の行く方に答えはなくて いつでもひとりぼっちだけど
幸せかい ささやかな暮しに
時はためらいさえも ごらん愛の強さに変えた
時々僕は無理に君を 僕の形に
はめてしまいそうになるけれど
二人が育む 愛の名前は
街にうもれそうな 小さなわすれな草
行くあてのない街角にたたずみ
君に口づけても
幸せかい 狂った街では
二人のこの愛さえ うつろい踏みにじられる
初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの
空をいつまでもさがしてた
君がおしえてくれた 花の名前は
街にうもれそうな 小さなわすれな草
《わすれなぐさ》【忘れな草】 [英名:Foget-me-not]
庭に植えるヨーロッパ原産の多年草。春、空色で小さな花を房のようにつける。観賞用。[ムラサキ科]
(「新明解国語辞典」)
「わすれな草」の英名は「Foget-me-not」である。その言葉のもつ美しい響きは、曲の繊細で透き通ったメロディラインと重なり、時には神秘的でさえある小さな感情の高鳴りと、感動という名の余韻を与えてくれる。
この曲は10代に作られた尾崎の作品全29曲の中で、一番最後に作られたものである。その最後の曲のタイトルが『Foget-me-not (忘れな草)』であったのは、その後の彼の音楽活動の休止や約一年間に渡るブランクを考えると何か運命的なものをそこに感じさせる。
ひとつの恋には、いつしか終りがある。出会い、互いに愛情を育み、その愛情の中で幸せを感じている時、恋人達はその恋の永遠を信じて疑わない。
「ずっと一緒にいたい、ふたりでなら必ず幸せになれる」
人を本気で好きになった人は、誰しもこう思ったことがあるであろう。そして、今の幸せは永遠に続くと自分自身と、そして相手に言い聞かせる。その時、ふたりにとって「永遠」は真実であり、すべてである。
しかし、人はある一定の気持ちをひとつの時間軸に固定し続けることはできない。今現在の自分は、一分一秒前の自分とはまた違った自分であり、人生とは常に新しい自分へと変わっていくことの繰り返しである。それは相手にとっても同じことが言える。その意味で「永遠」などどこにも存在しない。
恋というものが、ある時間軸に刻まれたひとつの感情であるとしたら、愛は常に移ろう恋を含めた心の起伏を互いに認め合いながら、その差異をなくしていく作業、もしくは行為そのものを指すだろう。つまり、恋は時間軸を持つが、愛には時間軸が存在しない。愛は何ものにも縛られない永遠性を持っているのである。
『Foget-me-not』は愛を歌った曲であるが、上記で示した愛の姿とタイトルの忘れな草はその意味上矛盾する。忘れるという行為は時間軸に刻まれた、ひとつの心の起伏でもあるからだ。きっと尾崎は10代の中で、真の意味での愛までたどり着くことがなかったのであろう。
私自身、恋は何度かしてきたが、その付き合いの中で、恋が愛まで昇華していくことはなかった。これから歩んでいく人生の中で、今後も尾崎に触れながら愛の姿を模索していきたいと思う。
『彼』
words & music 尾崎 豊
もろい暮らし しみついたコンクリート
おきざられた公園 ちぎれた夢
ひろい集め 彼は育った
そこでは何もかもが 彼へとつながった
弱い陽ざしの窓辺から 彼はいつも夢見てた
どこへ行くと言うのだろう いつまでも乾いていた
やがて遠く 街をたどると
水たまりのぞきこみ 闇をなげた
無口にならべた Drug
夢に泣きはらした目 静かに迷いこみ
時のベッドをたどって 形の中でさまよう
散らばる空にさがした あの詩の続きを
ぼやけた瞳で 彼はあの日をのぼった
アスファルトを抱きしめて ぬくもりを失くしていた
ほら 上も下もないさ 求めるとは失くすこと
つながるもの否定すれば 過ちに傷つくだけ
彼は最後に祈った すべて許されることを
彼はその日も眠ることができなかった
夜の闇が深くなるにつれて、左手首にある無数の傷跡は再び痛みだした
意識はすでに混濁の中にあり精神は崩れかけていたが、傷跡の痛みだけが唯一
彼とこの世界をつなぎとめていた
からだは訛りのように重く、指一本動かすのも無理なように思えた
なにも考えることができない
しかし、彼の意識は、その混濁の中で靄がかった輪郭のない【恐怖】だけを
とらえていた
<・・・なにかが俺を殺して、俺にあるすべてを奪おうトシテ・・イル・・>
彼は震える手で、机の上にある錠剤を口に入れた
次第に意識の混濁はその度合いを深めていき、【恐怖】は水面下に沈んでいった
傷跡の痛みはなくなった
やがて、各器官はその機能を停止し始めた 彼の生存を否定するかのように
彼は薄れゆく意識の中で、最後の力を振り絞り、ナイフを手にした
ナイフは左手首を通ったいくつかの血管を裂いた
流れ出る血は暖かくも、冷たくもなく、ただ無機質だった
そして
最後に彼は祈った すべて許されることを
『米軍キャンプ』
words & music 尾崎 豊
行き場のない街を 俺は一人ふらついてた
店も終わり 仲間も消えた 吸殻の道で
街頭の小さなノイズにさえ 心震えてた夜
初めて おまえの胸で 眠った
おまえはあんまり 上品に笑わなかった
人込みの中では 一言もしゃべらなかった
求め合う夜は 傷をなめるように 愛を探しては
二人で毛布にくるまって 眠った
夜の街 小さな店で働く おまえのこと
朝が来て ネオンに解き放たれるまで
俺は待っていた
Oh おまえはこの街を呪い
かたくなに夢を買い占め さまよってるだろう
Oh こんな夜は 報われぬ愛に
失ったおまえを 抱きしめたい
昨夜は店の客にせがまれて 海へ行った
ケンカばかりしてて つまらなかったと笑う
知らない男の名前を おまえが口にする夜
涙ではらました男の リングが光ってた
米軍キャンプ跡の崩れかけた工場
凍りつく闇にとけ 震えてる車の中
力なく伸ばした手で抱きつく おまえの髪を
撫でると 放さないでとつぶやき しがみついた
時には二人の生活が 夢さえ育んでいた
大切なものを 引き裂く何かに
二人が気付くまで
Oh おまえは この街を呪い
かたくなに夢を買い占め さまよってるだろう
Oh こんな夜は 報われぬ愛に
失ったおまえを 抱きしめたい
歌詞に描かれた女性は、『ダンスホール』で学校を辞め、夜の街で働き始めたと歌われた女の子の、その後の姿である。彼女は娼婦としてその身を売ることで日々を生き、その結果妊娠してしまった。そんな彼女を見て、尾崎が感じているのは深い哀れみと空しさである。
「誰が悪いわけでもない。そうなるしかなかったんだ」歌詞にある俺(尾崎)は、自由や愛と叫んでいた少年では、ない。人の人生にある不幸な部分に対して抗うのではなく、それもひとつの運命である、と受け入れているある意味大人な人間である。俺にできるのは、傷をなめあうように抱きしめることだけ、なのである。
この『米軍キャンプ』もそうであるが、『壊れた扉から』に収録された作品は、前のアルバム『十七歳の地図』、『回帰線』にある作品と比べるとテイストが異なっている。それは、夢や愛、自由を求めて、全力疾走で走り抜けようとする沸き立つような少年の熱が次第に影をひそめ、大人の男が持つ少し冷めた視点へと変わってきていることを表している。その意味で、『壊れた扉から』は尾崎の10代三部作として、他の二作品とひとくくりにされて語られることが多いが、実際は前期三部作と後期三作との橋渡しであり、ティーンネイジャーから大人へと成長していく過渡期に生まれた作品であるということができる。
尾崎は小学校5年までの幼少期を練馬で過ごした。そこにはかつての米軍基地跡地があったという。『米軍キャンプ』は、その基地跡地に対する幼少期の思い出と実際の体験を混合させて作られたと推測できる。曲で描かれた基地跡地のイメージは、憂鬱で暗い性質を帯びている。この印象はアルバムタイトル『壊れた扉から』のイメージである「廃墟」と同質である。
「廃墟」と「基地跡地」。尾崎の影をついて回る心の葛藤は、これらの言葉に代弁されているのであろう。
『Driving All Night』
words & music 尾崎 豊
さまようように 家路をたどり 冷たい部屋にころがりこむ
脱ぎすてたコートを押しのけ ヒーターにしがみついた
この部屋にいることすら 俺をいらつかせたけど
疲れをまとい 床にへばりつき 眠った
ちっぽけな日々が ありあまる壁から逃れるように
街へ飛びだすと 冷えきった風に とり残されちまった
街角の白い街燈が とても優しかった
敗けないでってささやく あの娘のように見えた
街までのハーフ・マイル アクセル踏む込む
スピードに目をやられ 退屈が見えなくなるまで
少しくらいの時を 無駄にしてもいいさ
色褪せた 日常につぶやく
俺にとって俺だけが すべてというわけじゃないけど
今夜俺 誰のために 生きてるわけじゃないだろう
Wow wow 行くあてのない Driving all night
Wow wow 慰めのない Driving all night
見あきた街を通りぬけて 寂しい川の上を走った
追い抜いたトラックの向うに 闇に埋もれた日常が見える
あの頃 わけもなく笑えた 俺の友達は
みんなこの橋を 死物狂いで走った
Honey 俺は何処へ走っていくのか
街のドラッグにいかれて 俺の体はぶくぶく太りはじめた
それでもこんなところに のさばっているのか
あの頃みたいに 生きる気力もなくして
街までのハーフ・マイル アクセル踏み込む
スピードに目をやられ 退屈が見えなくなるまで
少しくらいの時は 無駄にしてもいいさ
色褪せた 日常につぶやく
俺はまだまだ だめになりゃしないさ
今夜俺 誰のために 生きてるわけじゃないだろう
Wow wow 行くあてのない Driving all night
Wow wow 慰めのない Driving all night
俺にとって 俺だけが すべてというわけじゃないけど
今夜俺 誰のために 生きてるわけじゃないだろう
Wow wow 行くあてのない Driving all night
Wow wow 慰めのない Driving all night
Wow wow 行くあてのない Driving all night
Wow wow 慰めのない Driving all night
『Driving All Night』は、同アルバム(『壊れた扉から』)収録の『Freeze Moon』とともに、尾崎のロックン・ローラーとしての一面を語る上で必要不可欠な曲である。激しいギターのビートと腹の底から搾り出すようなシャウトが絡まり、聴くたびに私の感情を高ぶらせてくれる。尾崎の純なロックナンバーは、他のバラードやポップ・ロックに近いナンバーに比べるとあまりメジャーではないが、前アルバム収録の『Scrambling Rock'n'roll』と『Driving All Night』、『Freeze
Moon』を聴くと、やはり尾崎はロックン・ローラーであったと再確認することができる。
ライブでは、必ずといっていいほどこの2曲(『Driving・・』『Freeze・・』)は歌われた。ライブ・パフォーマンスを大事にした尾崎にとって、この2曲は聴衆のテンションを上げるためだけではなく、自分自身の感情を高ぶらせ、最高のパフォーマンスを演出するためにも、欠かすことのできないものであったのだろう。
ロックについて尾崎はかつてこう言った。
「【ROCK'N'ROLL】は最大のパフォーマンスであると僕は思ってるんだけどさ。ビートとか、感触とか、それを伝えるためにステージ上でパフォーマンスする。見ている彼らの心を揺さぶるんだ。それこそがROCK'N'ROLLだよ」
(「尾崎豊 魂の波動」)
尾崎のロックをひと言で表現すると、それは【全力疾走】であると思う。10代の抑えきれないようなエネルギーと欲情が、社会への反発、エゴの衝突などをモチーフに作品に描かれてきた。
<高揚し、躍動するこの感情を発散させるためには、全力で走りつづけるしかない。立ち止まらずに、ただ、ただ走りぬくんだ。他には目を向けるな。前だけを見つづけるんだ!>
しかし、尾崎の視線は、ただひたすら前だけを見つづけることができた少年のものから大人のものへと変化していった。
「俺にとって 俺だけが すべてというわけじゃないけど 今夜俺 誰のために 生きてるわけじゃないだろう」
人は自分一人で生きていくことはできない。いくら孤独に生きたって、周りには必ず影響され、影響を与える他者がいる。そんな逃れることのできない人間関係の真実に目を向けた尾崎の視線は、もはや自分の前だけを見つづける少年のものではなくなっていた。
『街路樹』
I'd been in N.Y.C. for a whole
year since June, 1986, wandered about or stayed
in various places of mid town,
down town and up down. I'd found calm passion
in the life of Spanish living on
the 196st, that may be consist in the children who're playing rope skipping.
After giving sigh, I'd sometimes met prostitutes
who're getting drunk and beckoned me to come closer. On the
jalopy, black boys laughed loudly facing each other bringing a radio cassette
with hull volumes. So many buildings crowd in N.Y.C. and they're much higher
than the sky in Tokyo, you know.
The wind flowing in Tokyo had made
me confused. As everybody want, the more avaricious or cool we wannabe, the
more ridicurous we must find ourselves. It had taken me a lot of time to meet
you, to complete this album, because it may be a gap between the business, and
the system and also my ideals….
Tokyo is a big city. Whenever I
walk, I'll bump against something, I wonder if I could feel a little passion in
each time…. We can try to keep our chins up, and we'll find the sky is so high
and the city is so flat. Whenever or wherever I've been walkin', stoppin',
dashin', and dreamin', I've stopped looking for.
July, 1988, Yutaka Ozaki
『核(CORE)』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
何か話をしよう 何だかわからないけど
俺はひどく怯えている 今夜は泊めてくれ
テレビは消してくれないか 明かりもひとつにしてよ
こんなに愛してるから 俺から離れないで
独りぼっちで路地裏 俺の背中の人影に怯えて
抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい それだけなのに
何かが俺と社会を不調和にしていく
前から少しづつ 感じていたことなんだ
いつからかそれをさえぎる 顔を持たない街の微笑み
少し疲れただけよって 君は身体すり寄せる
愛なら救うかもしれない
君の為なら犠牲になろう
愛という名のもとに 僕は生きたい
死ぬ為に生きる様な暮らしの中で
ごめんよ こんな馬鹿げたこと聞かずにいてくれ
抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい それだけなのに
真夜中 盛り場 人ごみ歩いていると
日常がすりかえた叫びに 誰もが気を失う
殺意に満ちた視線が 俺を包む
もたれる心を探す人は 誰も自分を語れない
何から身を守ろうというの 何かがおかしい様な街で
ネオンライト クラクション 地下鉄の風
何もかも もとのままに見えるけれど
見えないかい 聞こえないかい 愛なんて口に出来ない
抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい それだけなのに
ねぇ もしかしたら 俺の方が正しいかもしれないだろ
俺がこんな平和の中で 怯えているけれど
反戦 反核 いったい何が出来るというの
小さな叫びが 聞こえないこの街で
恋人達は 愛を語り合い
俺は身を粉にして働いている
誰が誰を責められる この生存競争
勝つ為に戦う人々を
俺の目を見てくれ
いったい何が出来る
抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい それだけなのに
抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい それだけなのに
抱きしめて 愛してる
抱きしめていたい 愛してる
抱きしめていたい それだけなのに
1986年5月・・・単身渡米、ニューヨークへ
1987年1月・・・ニューヨークより帰国
7月1日・・・"Trees Lining a Street"ツアー、スタート
9月24日・・・急病のため、ツアー中止
9月・・・レコード会社マザー&チルドレンに移籍
10月1日・・・Single『核(CORE)』リリース
12月22日・・・覚せい剤取締法違反で逮捕
1988年2月22日・・・東京拘置所から釈放
5月12日・・・結婚
6月22日・・・フジテレビ『夜のヒットスタジオ』に生出演
9月1日・・・4thアルバム『街路樹』リリース
上記は、尾崎が3rdアルバム『壊れた扉から』をリリースし、"Last Teenage Appearance"ツアー(1985.11.1~1986.1.1)終了後に音楽活動の無期限休止に入ってから以後の、4thアルバム『街路樹』リリースに至るまでの軌跡を簡単にまとめたものである。
尾崎は、10代にしてアルバム3部作をリリースし「10代のカリスマ」という社会現象を引き起こすほどの名声と富を手にし、その絶頂期を過ごした。しかし、絶頂期にあった尾崎は突如として音楽活動の無期限休止に入り、日本での周囲を囲む全ての雑音からその身を遠ざけるようにNYへ単身渡米してしまう。愛と自由を叫び、若者から絶大な支持を集め、2ndアルバムでは音楽チャート1位を獲得し、周りからトップアーティストとして認知され、ツアーでは何万人もの人々を魅了していた尾崎にとって、いったい何が彼を活動の休止とNYへの単身渡米に至らせたのであろうか。そこには、様々な意見が聞かれるが、一番大きいのは、彼が人々に自らの歌で聴かせ訴えたいことと実際の人々の反応と行動との間に大きな隔たりが生まれてきたことであろう。また、また、レコード会社や関係者との確執、特に金銭面での不信感が彼の中で増殖していったことも見逃すことは出来ない。学校という自分を抑圧してきた対象から自由になった尾崎は、学生という身分を脱ぎ捨て、夢のためにそして愛のためだけに歌っていきたいと思ったが、実社会という場所で見たものはレコード会社や事務所などが複雑に絡み合った弱肉強食の世界であり、いたるところに張り巡らせられた資本主義システムの見えない糸であった・・・
尾崎の不信、憎悪、自己崩壊は、NY帰国後も続き、出口の見えない葛藤の中にいた尾崎は、ドラッグという逃げ道に走ってしまう。
『遠い空』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement TOSHIYUKI HONDA
世間知らずの俺だから 体を張って覚えこむ
バカを気にして生きる程 世間は狭かないだろう
彼女の肩を抱き寄せて 約束と愛の重さを
遠くを見つめる二人は やがて静かに消えていくのだろう
風に吹かれて 歩き続けて
かすかな明日の光に 触れようとしている
風に吹かれて 歩き続けて
心を重ねた 遠い空
慣れない仕事をかかえて 言葉より心信じた
かばいあう様に見つめても 人は先を急ぐだけ
裏切りを知ったその日は 人目も気にせずに泣いた
情熱を明日の糧に 不器用な心を抱きしめた
風に吹かれて 歩き続けて
立ちつくす人の間を 失いそうな心を
風に吹かれて 歩き続けて
信じて見つめた 遠い空
風に吹かれて 歩き続けて
立ちつくす人の間を 失いそうな心を
風に吹かれて 歩き続けて
信じて見つめた 遠い空
憂鬱なムードや閉塞感の漂う曲の多い『街路樹』中で、最もポップなメロディで歌われる『遠い空』。この曲は、同アルバムの中で一番最後に作られたものである。シングルとしてリリースされた『核(CORE)』から『街路樹』のリリースまで約1年の空白があった(シングル『太陽の破片』リリースを挟む)。その間、尾崎の身には覚せい剤所持での逮捕、そして釈放後の結婚と、その後の人生を左右するような大きな出来事が続いた。『遠い空』には、そんな尾崎の心機を新たに再出発していこうという、ポジティブな心情を感じ取ることが出来る。
以下は、拘置所から釈放後のインタビュー(1988/3/9)である。
インタビュアー:出たら(釈放されたら)一番最初に何をしたいと思った?
尾崎:街を歩きたいと思った。
インタビュアー:歩いてみてどうだった?
尾崎:感無量、自由だなぁーと思った。
(「WORKS
| YUTAKA OZAKI」)
尾崎の原点は「街」にある。「街」は人々の心を映し出す鏡のようなものであると尾崎は歌ってきた。「街」と自分とのつながりの中で自分というものの存在や位置を確認してきた尾崎にとって、「街」から隔絶された拘置所での生活は自分の居場所を見つけることの出来ないひどく辛いものであったのだろう。尾崎が釈放後、まず街を歩きたいと思ったのもうなずける。
久しぶりに街に出ることで、尾崎は何を見、何を感じたのであろう。おそらく、そこには以前と変わらない人の先を急ぐ姿や裏切りといった汚い人間関係があっただろう。尾崎はしかし、そんな奇麗事ばかりではない人間模様に改めて触れて、「信じる」ことをしてみようと思った。それは誰かを信じるというような具体的な対象を持ったものではなく、明日やこの先にあるであろう幸福といった希望のようなものであったのだろう。拘留中も尾崎を励ましつづけてくれた恋人との結婚も、尾崎の心をよりポジティブにしてくれたのかもしれない。
私としてはこのポジティブな雰囲気をもった曲が『街路樹』にあることを、いちファンとしてうれしく思う。尾崎はこの後も、他の『街路樹』収録の曲と同じ様な自己破壊や猜疑心、空虚感を歌った作品を作っていくが、そんな中で『遠い空』が見せた、少しでも信じてみよう、というメッセージは、尾崎が決して失うことのなかった愛や夢に向かって進んでいく姿を、間接的にではあるが表しているように思えるからである。
『街路樹』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement NOBUHIKO KASIWARA
踏み潰された空き缶の前で 立ち尽くしていた
俺は4時間も地下鉄の 風に吹き上げられてた
昨夜見た夢の 続きを見ていた
甘えるのが下手な 優しさに似た Rock'n'Roll
誰ひとり抱きしめられず 歌ってる
Oh・・・ 答えておくれよ これは愛なのか
Oh・・・ 運命のいたずらと 泣けるかな
別々の答えが 同じに見えただけ
Oh・・・ 過ちも正しさも 裁かれる
足音に降りそそぐ心もよう つかまえて 街路樹たちの歌を
最後まで愛ささやいている 壁の上 二人影ならべて
随分二人の仲も 知れた頃だった
おまえはドアを蹴り開けて 毎日と尋ねた
答えちゃだめさ 答えてごらんよ
街角の紙くずの上 YESとNOを重ねた
積まれたタイヤの上で 夢中になった
Oh・・・ 聞こえているなら 答えておくれ
Oh・・・ その意味は激しく 降り続く
心偽れずに 思い出すことさえも
やがて僕の心を 洗うだろう
足音に降りそそぐ心もよう つかまえて 街路樹たちの歌を
見えるだろう 降りそそぐ雨たちは ずぶ濡れで 夢抱きしめている君さ
足音に降りそそぐ心もよう つかまえて街路樹たちの歌を
最後まで愛ささやいている 壁の上 二人影ならべて
街角にたたずむ街路樹たちを歌った曲である。オーケストラのような重厚なサウンドと尾崎の低音の歌声が、言いようもない物悲しさを見事に演出している。
「巨大なシステムの中で、あまりにも自分が弱小に思えて、ステージを降りたんだよね。もう一度、本論は何だったのか、見直そうと思って」
「俺から愛まで奪い去った。俺には愛を奪われたことが一番辛かった。本当は傷心の旅だったんだ。」
(「尾崎豊 魂の波動」)
日本を離れ、ニューヨークへ渡ったことについて尾崎は後にこう語った。そして、ミュージシャンの聖地と呼ばれたニューヨークで尾崎は様々なことを体験し、失った。失ったのは【自分】である。
ニューヨークは東京以上に刺激と興奮を与えてくれたが、それは表面上の世界だけであった。一歩ダウンタウンに踏み入れると、きらびやかな街は一変し、飢えと貧困と人種差別に満ち溢れていた。ここでは、日本以上に露骨に資本システムが社会の内部まで食い込み、青山競争はまさしく弱肉強食の世界を作り上げていた。愛や自由だと叫ぶこと自体が愚かしく滑稽に見えてしまう。そんな【リアル】な世界であった。
そして、尾崎はこの街で【自分】を失った。今まで尾崎を支えていたコアが、もろく崩れ去ってしまったのである。酒と喧嘩とドラッグに明け暮れる毎日。尾崎はすさまじく退廃的な生活を続けた。
この曲はその頃のニューヨークでの生活が舞台となっている。失いつづける毎日の中で、尾崎は葛藤と闘い、自らの身を削りながら自問自答を繰り返したのであろう。
<結局、システムからは逃れることは出来ない
なぜなら人間の"生"そのものがすでにシステムに組み込まれているからだ>
答えのない問いを問い、悩みつづけた尾崎は、ふと街にたたずむ街路樹に目をやる。降りそそぐ雨の中、街路樹たちはまるで何かを歌っているかのようであった。感情も何もない、虚無の歌。街路樹たちは誰の耳に訴えるもなく、ただ歌いつづけていた。
そう、真実などどこにもない。あるのは、そこに"存在"しているという事実だけである
『誕生』
(BIRTH)
ARTREY & VEIN
Communication
Around the rotary
Of the fundamental life
Shouting, screaming
And spreading out
Tumbling, wedging
And floating
Touching each other
Like dominoes
Affirmative as negative
Succession as interval
『LOVE WAY』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
ひどく煙たい朝に目覚めると俺は
何時しか何かに心が殺されそうだ
俺を捕らえる 不可能な夢 偽善に染まる
答えはすぐに打ち消されて矛盾になる
Love Way Love Way
静寂の中の響きに体休み無く
心の傷みを蹴飛ばしながら暮らしてる
Love Way Love Way
貧しさの憧れに 狂い出した太陽が
欲望の名を借りて何処までも果てし無い
Love Way 言葉も感じるままにやがて意味を変える
Love Way 真実なんてそれは共同条理の原理の嘘
Love Way 生きる為に与えられてきたもの全ては
戦い 争い 奪って愛し合う Love Way
全てのものが置き換えられた幻想の中で
犯してしまっている気付けない過ちに
清らかに安らかに生まれて来るもの
全ての存在は罪を背負わされるだろう
Love Way Love Way
生きる為だけの愛ならば安らかに
祈り続けても心は脆く崩されていく
Love Way Love Way
真夜中の街並みに 狂いだした太陽が
欲望の形を変えて 素肌から心を奪ってく
Love Way 何ひとつ確かなものなどないと叫ぶ
Love Way 足りないものがあるそれが俺の心
Love Way 満たされないものがあるそれが人の心
押されて 流され 愛は計られる Love Way
何時も何かが違う 生きて行くだけの為に
こんなに犯した罪を 誰も背負いきれない
Love Way 何かに裁かれている様な気がする
Love Way 何かが全てを罪に陥れていく様だ
Love Way 何かを償う事すら出来ないとしても
Love Way 生きる為に愛し合う事は出来るだろうよ
欲望の暗闇に 狂い出した太陽が
この狂った街の中で 慰安に身を隠す人々を照らし出してる
Love Way 心と体を支えている炎の欲望
Love Way 全ての終りを感じてしまう時にさえ俺は
Love Way 生きる為に汚れていく全てが愛しい
人間なんて愛に跪く Love Way
【自然の摂理に身を委ねる。目に見えない怯えや説明のつかないものに対して、人は常に戸惑いを持っている。歩みは安らぎを禁じる。こわばった心は凍り付いている。心は盲目であり、また何も聞こえなかった。閉ざされた心は卑しめられ鞭打たれていた。しかしそれは福音の成就に到る道であると信じるがゆえに恐れるには足らないものだった・・・】
(「堕天使達のレクイエム」 尾崎豊)
俺はさ迷いつづけている。「日常」からかけ離れた「非日常」を
「非日常」は俺個人の意識を超越し、現象として存在する
同時に、俺もまた「俺」というひとつの現象である
混沌としたこの世界に「神」はいない。欲望と情動が世界を構成する
そこは、
主体が崩壊し、宙づりになった人間の不安定な状態、
ポスト・モダンな状況を生きてかなくちゃならない俺達の苦悩で埋め尽くされている
そして、人間達は愛に跪く。
混乱と狂気の世界の中で信じられるのは、そう愛だけだ
「いわゆる欲望とは何か、存在意義とは何か、共同条理とは何か。みんなが持ち得ているそういう疑問をひとつの言葉としてまず表してみたかった」
(同上)
『KISS』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
街中ほら Honky-Tonk Blue 息苦しい風
滲み出した汗の雫が 排気ガスに解けてく
打ちつける鉄骨の 地響きが街を黙らせる
彼女の擦り減ったヒールと泣きそうな唇
地下鉄のレールのリズムで 新聞の文字を追う
子供達はイヤーホンで耳を 塞いで漫画を読む
頭の中夢駆け回る
人生未だ語らず ひと駅毎待ち焦がれこみ上げる
敗北者と勝利者が自分の明日に描き出されて
頭の向うで待ってる 全てが 終わるはずなく
踏み出して 走り続けて 勇気に心躍らせ
勝ち抜いて しくじっても 陽気に笑い飛ばし
様子を見て 誘い出して 切り札胸に隠し
調子 合わせ 紛れ込んで 裏も表も感じるまま
デスクの書類の山の中 こめかみ突くテレホーンコール
乗換えと渋滞に骨折る カバン抱えた企業戦士
ハードの画面に ソフトデータからの憂鬱な文字
彼女の指先が セクシーにキーボードを叩く
軽いジョーク 噂話 社内恋愛 残業
家庭 仕事 ノイローゼ並べ
処方箋薬で生きる
まともになりたいのに まともじゃない事に縛られる
苛立ちと吸殻の中
それでも何かが少しずつ蠢いているのが分かるのさ
心が壊れちまいそうだ 何を求めて暮らしているのか
そして俺を何処かに加えておくれよ 愛しい君に
Money money diamond 欲望に身を焦がし
Mad love 分けあえない 愛欲に溺れて
Money money diamond 全ての輝きの様
Pure love sweet home カバンの隅に子供の写真
油まみれのCity energy 泥だらけのCity light
夜の街に天使を装うアルコールの慰安婦
一日中 あくせくと働けば背広もくたくた
三杯目のバーボンを飲み干したら
世界が変わっちまう まだ生きてるぜ
分け合えない傷み持った大人
安らかな心の一つが 励ますよ笑い飲みながら
いつもの調子になる
Hey 彼女 今夜のご機嫌は如何ですか
俺達今日も働きました
明日に僅かな希望を握り締めて最終のホーム
まだ燃え尽きぬ街を去り家に帰れば
HoneyとBabyの寝顔に そっとキスしてやるつもりです
そして俺は
I am a worker, hard worker
休みもない Lonely worker
I am a worker, get so tired
I am working to get some money
I am a worker, hard worker
疲れも見せずに Lonely worker
I am a worker, get so tired
Wasted time leaves little money
Any way...
《尾崎はかつて『BOW!』という曲で、「鉄を喰え ブタには喰いつくな」と歌った。夢や希望に溢れた少年は、社会の矛盾を痛烈に批判する目線で「ブタを喰って」働くサラリーマン達を切った。そんな少年もやがて年を重ね、結婚し、子供をつくり、いつのまにか社会のシステムに組み込まれていた。気付くとそこには「ブタを喰って」働く自分がいた・・・》
家庭と会社に挟まれ、満員電車に揺られながら身を粉にして働いてる。そんな俺を癒してくれるのはアルコールだけだ。
正しいのは金を持つことだ。だって金がなきゃ何も出来ないじゃないか。俺は決して多くない金を手に入れるために、こうやって毎日会社っていう監獄に向かっている。
俺のカバンの隅には子供の写真が入ってる。家では奥さんと子供が夢を見ながら俺を待ってるのさ。俺は家族の幸せのために働いてるんだ。可愛い子供のためだと思えば疲れなんて吹っ飛んじまう。
でも最近俺の中で何かが蠢いているのがわかる。そいつは日増しにでかくなってきてやがる。そいつは俺にこう言うのさ。「本音で生きろ。鉄を喰え」ってさ。
俺だって出来るならカッコよく、鉄を喰って生きていたい。でもさ、働くってことは建て前で呼吸するって事なんだ。頭を下げながら、時にはブタだって喰わなくちゃなんない。
俺はある日、俺の中で蠢いているその何かをチラッと見たんだ。そいつは「鉄を喰え、ブタを喰うな」って叫んでた昔の俺だったんだ。目が合った時、そいつは言ったよ。「それでいいのか」って。俺は何も答えることができなかったんだ....
I am a worker,
hard worker
I am a worker,
get so tired
I am working to
get some money
Lonely worker………
『ロザーナ』
(ROSSANA)
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
心傷む理由のそのひとつひとつを 何度も噛み締めてみたけれど
おまえは弱さを憎む様になり 優しさの意味さえも忘れていた
辛く激しく受け止めたこの愛や 見知らぬ人々の戸惑いの中で
答えを持てずにただ打ち消し合うだけの
長い日々を経ても誰も語り尽くせやしない
ロザーナ まだ俺の知らぬおまえの心の優しさの中へ
手を引き寄せて抱きしめておくれよ
ロザーナ 嘘で取り繕う暮らしに涙だけが
二人を優しくさせていたはずなのに
ロザーナ
さよならを言おうと何度も試したけれど 愛はまるでシーソーゲームの様に
おまえを愛してそして憎んで 二人の悲しみさえ汚れていった
思い出さぬ様に手紙も燃やして 思い浮かべぬ様に夢すら消して
費やした二人の時間と同じだけ
忘れる為の涙を二人はこぼすのだろう
ロザーナ 二人が犯した罪の償いの前に
なんて二人は勝手に生きてきたのだろう
ロザーナ 触れ合うこと出来なかった優しさの意味
これから別々に探すのか
ロザーナ
ロザーナ 二人は特別変わってた訳じゃないから
いつか同じ過ちから解き放たれよう
ロザーナ 新しいくらし見つけることできたなら
互いは互いのままでいれるだろうか
ロザーナ
尾崎の相手(女性や女の子)に対する恋愛観、包括的な意味での愛の中にある異性愛はこの『ロザーナ』でひとつの結末を迎えた。
『OH MY LITTLE GIRL』では中学生から高校生の男の子が持った、大切な相手を守ってやりたいという、純粋さを伴った正義感溢れる恋愛が歌われた。『シェリー』では、自分は特別強いわけでもなく、弱くて不安定な存在であるということを認め、相手と互いの抱える寂しさを分け合っていきたいと歌った。そして、『ロザーナ』では、ひとつの恋が終りを迎え、なぜその恋が終わってしまったのか悩み自問自答しながらも、次の生活(恋愛)に向けて歩き出そうという大人の男の感情が歌われている。
91年3月、ある週刊誌が尾崎とアイドル歌手(斎藤由貴)との交際を報じた。その記事によると、交際は前年の11月頃から始まったという。くしくも、その月は尾崎の5thアルバム『誕生』がリリースされた月であった。
『誕生』に収録された『ロザーナ』は、恋の終りをテーマにしている。この曲を作った頃の尾崎の、夫人とのすれ違いと結婚生活の破綻が大きく影響していると思われる。そのアイドル歌手と何処まで深い関係で、尾崎が離婚といった具体的な別れを考えていたのかどうかは定かではない(実際、この交際はその後何度か報じられたが、夫人との離婚はなかった)。しかし、愛を求めつづけた尾崎のファンダメンタルのひとつである、"恋愛"の大きな節目であったことは確かである。
人間は完全な存在ではなく、何かが欠けている不完全な存在である、と尾崎は歌っている。不完全な存在であるがゆえに、相手の存在を求め、その不完全さを補おうとする。しかし、【愛という名の欲望】は常に満たされることはなく相手を傷つけたり、他の相手を求めてしまったりもする。
では一体、人が本能として持つ恋愛という感情は何を求め、何処へ向かおうとしているのか。結婚や交際といった行為は、確かに人を幸せな気持ちにさせてくれる。しかし、その幸せはやがて新鮮さを失い、馴れ合いに似たものへと変わっていく。その意味で恋愛という感情は刹那性を持ち、永遠の恋などというものは恐らく存在しない。恋愛の幸せが大きければ大きいほど、その幸せを維持していくことの出来ない実生活の実情に不満を抱え、不満はやがて妥協へと変わっていくのである。尾崎はきっと、その妥協や馴れ合いを激しく拒んだのであろう。
恋愛はやがて家族愛的なものにかわり妥協や馴れ合いはその産物である、と多くの「大人」たちは言うであろう。私は自分自身が若く未熟なせいもあると思うが、そのような気持ちは分からないし、分かりたくもない。しかし、年を重ねていくことで何れ分かってしまう時がくるのかもしれない・・・
『銃声の証明』
(IDENTIFICATION)
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
俺は貧しさの中で生まれ 親の顔も知らずに育った
暴力だけが俺を育てた
街角で娼婦の客をとり 路地裏で薬を売りさばき
だけどそれも俺の仮の姿
ある日 役目をまわされた 政治家を一人殺るやまさ
跳べと言われれば今の俺には それしか生きる術がない
Woo 渇いた銃声が 奴の頭をぶち抜いた
Woo 次は俺が殺られる番だ 何も訳など知らないままに
政治なんて俺には分からない ただ生きるための手段覚えた
世間のことなど知りはしなかった
俺はテロリストに育てられ 言われた通りに生きてきた
一六の時初めて銃を手にした
俺にあるのは敵と味方だけ 裏切りが俺の心を
いつでも正しくさせていた だから今まで生きてこれた
Woo 権力を潰すことだけを 教えられてきた 俺はテロリスト
Woo 平和など生み出せやしない 俺の命はテロリスト
この世に生きる人々の 一人一人に責任があるなら
この革命と一緒に命を共にするんだ
Woo 生きていることに罪を 感じることなく生きる人々よ
Woo おまえはこの世のテロリスト 俺を育てたテロリスト
「一生を決めるものが何なのかなんて、人には分からない。留置所で出会った少年ヤクザは散弾銃を抱えて敵の組に殴りこんで捕まった。罪だと知りながらも会社の命令で裏金をさばいて捕まった奴もいる。環境が人の運命を決める。やむにやまれず罪を犯す哀れな人々は、涙を呑むように自分の運命を受け止めている。テレビのニュースで金賢姫が猿ぐつわで連行される姿を見た。舌を噛み切って死ぬことすら出来ない。幼い頃にさらわれテロリストに育てられた彼女は、世間のさらしものにされ獄中で暮らし拷問を受けている。自分の本当の親さえ知らないと彼女は言う。彼女にはそれしか言うことが許されないのだから・・・。いったい誰に責任があるんだ。なぁ、死ぬまで運命を恨み続け、わけも分からぬまま言われたとおりに生きてゆけというのか。運命のなすがままに生き、罪を背負う哀れな人々が救われればいいのだが・・・。」
(「堕天使達のレクイエム」)
尾崎がこの曲を作ってから10年以上たった今でもテロは世界各地で続発し、収まるどころか、むしろ悪化の一途をたどっている。自らの貫く信念のため、神への信仰のため、飢えや貧困を打開するため。人によって理由は様々であるが、テロは現状をその手で打破し、希望の見える明日を手に入れるために起こされる。そこでかかげられる大義や理念は"正義"であるとテロを指揮し命令するものたちは言うが、果たしてそれを実際に行動に移す末端のテロリスト達は本当にテロを望んでいるのであろうか。
幼い時からテロリストとして育てられ、テロリストとしての価値観を教え込まれたものたちは、生きる術としてテロを行う。そういったテロリスト達を動かすものは理念や大義などではなく、運命という必然だけである。彼らはそうするしかなく、また別の選択肢の存在など考えることはできない。
果たして彼らだけを責めることが出来るであろうか。中には運命に弄ばれ、生存の手段としてテロに身を染めたものもいる。盲目的かつ狂信的にテロに走るものが全てではない。
9・11テロ以降、無条件な<テロリスト=悪>の図式が確立されてしまった。しかし、イカれた狂信者や拝金主義者達を別にして、彼らを"悪"であると決め付けることが出来るであろうか。テロリストを生み出した背景・環境が、テロなど関係ないと思って生活している世界中の人たちの手によって生み出されていたとしたら、私達もまたある意味で【テロリスト】なのではないだろうか。
『COOKIE』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
Hey おいらの愛しい人よ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
温かいミルクも入れてくれ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
溢れかえる人混みの気忙しさにもまれながら
とりとめのないほどに孤独を感じて歩く
駅のホームに立ち尽くしていると
目隠しされたまま仕事抱えてるようだ
目頭とがらせて競い合っているだけで
気取って見せる程幸せでもないだろ
言い訳なんかはまだしたくはないけど
生きてゆくための愛し方さえ誰も知らない
Hey おいらの愛しい人よ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
温かいミルクもいれてくれ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
新聞に書かれた人脅かすニュース
美味しい食事にさえぼくらはありつけない
空から降る雨はもう綺麗じゃないし
晴れた空の向こうは季節を狂わせている
正義や真実は偽られ語られる
人の命がたやすくもて遊ばれている
未来を信じて育てられてきたのに
早く僕たちを幸せにして欲しいよ
Hey おいらの愛しい人よ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
温かいミルクもいれてくれ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
好き嫌いなく食べろと言われ育った
大人の言うことを信じろと言われ育った
答えがあるならば出さなければなかったし
嘘をつくなと言われて育てられた
僕たちの親が作った経済大国
だけど文明は一人歩きしている
法律の名のもとに作り上げた平和
だけど首をひねって悩んでいるのは何故
Hey おいらの愛しい人よ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
温かいミルクもいれてくれ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
今日が終わって迎える明日のための
答えはまだ何も出されてはいない
ああ僕は明日を信じて生きてゆこう
急ぎ過ぎた世界の過ちを取り戻そう
Hey おいらの愛しい人よ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
温かいミルクもいれてくれ
おいらのためにクッキーを焼いてくれ
「仕事を抱えて街を歩く。下世話な広告から飛び出してきたような日常への憧れが、街中に散乱している。生きてゆくために必要なものの何を持っているというんだい。マスコミは人の心をもてあそぶようなことを報道して喜び、本当に目を向けなければならないものからは目をそらさせている。そんな無責任な大人たちによって作られてきたこの社会に僕は首をかしげてしまう。思い返せば僕達は大人に従ったり、反発しながら生きてきた。そして僕ももう大人になったんだよ。もう責任逃れする大人を許せないじゃないか。子供を騙して金を儲けてるだけの大人たちを。でもまだ答えは出されていない。僕は明日を信じたい。だからハニー、美味しいクッキーを焼いておくれ。」
(「堕天使達のレクイエム」)
この曲は、子どもの世代から親の世代に向けての痛烈な批判を込めたメッセージ・ソングである。経済大国、ハイテク大国への道程は、この国を物質的に豊かにしたけれど、政治、社会、教育、生活など様々な点に歪みをもたらしたのも確かだ。『急ぎすぎた世界の過ちを取り戻そう』といったこの曲にこめられたメッセージは、よりリアリティーをもちつつあるように思う。しかし、この曲のメッセージを真に理解するということは難しいことだろう。『僕たちの親が作った経済大国』『法律の名のもとに作り上げられた平和』も、今、大きく揺らぎ始め、亀裂が入り始めているが、尾崎の指摘どおり、『答えはまだ何も出されてはいない』。空から降る雨は汚れ、正義や真実は偽られ語られ、人の命はもてあそばれる、未来を信じて育てられてきたのに、といった批判をした尾崎の世代も、もう30代後半である。いつのまにか自分達も人の親となり、腐敗したシステムの歯車になってしまっているのではないか。
『ああ僕は明日を信じて生きていこう』と締めくくった尾崎だが、彼が今、生きていたらどんな言葉を綴ったろう。日常生活に流されてしまっている君たち、一度踏みとどまって、社会や自分自身のあり方を考え、問いなおしてみよう、考えることも一つの行動なのだから。このように言っている尾崎の声が聞こえるような気がする。
『永遠の胸』
(ETERNAL HEART)
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
一人きりの寂しさの意味を 抱きしめて暮らし続ける日々よ
見つかるだろうか 孤独を背負いながら生きていく
心汚れなき証示す道しるべが
色々な人との出会いがあり 心かよわせて戸惑いながら
本当の自分の姿を失いそうな時 君の中の僕だけがぼやけて見える
ありのままの姿はとてもちっぽけすぎて
心が凍り付く時君を また見失ってしまうから
人はただ悲しみの意味を 探し出すために生まれてきたというのか
確かめたい 偽りと真実を 裁くものがあるなら僕は
君の面影を強く抱えて いつしか辿り着くその答えを
心安らかに探しつづけていてもいい いつまでも
受け止める術のない愛がある けしさること出来ぬ傷もある
忘れないように 全ての思い出が与えてくれた
心の糧を頼りに生きることを
そこには様々な正義があり 幸せ求めて歩き続けている
欲望が心をもろく崩してゆきそうだ
人の心の愛を信じていたいけど
人の暮らしの幸せはとても小さ過ぎて
誰ひとり 心の掟を破ることなど出来ないから
今はただ幸せの意味を 守り続けるように君を抱きしめていたい
信じたい 偽りなき愛を 与えてくれるものがあるなら
この身も心も捧げよう それが愛それが欲望
それが全てを司るものの真実 なのだから
断崖の絶壁に立つ様に夜空を見上げる
今にも吸い込まれてゆきそうな空に叫んでみるんだ
何処へ行くのか 大地に立ち尽くす僕は
何故生まれてきたの
生まれたことに意味があり 僕を求めるものがあるなら
伝えたい 僕が覚えた全てを 限りなく幸せを求めてきた全てを
分け合いたい 生きてゆくその全てを
心に宿るもののその姿を ありのままの僕の姿を
信じて欲しい 受け止めて欲しい
それが生きてゆくための愛なら 今 心こめて
僕はいつでもここにいるから 涙溢れて何も見えなくても
僕はいつでもここにいるから
悩み、苦しみ、もがき続けた日々を過ごし、幾多の試練(ドラッグによる精神崩壊、人への猜疑心、不倫など)を乗り越えてきた尾崎は、アルバム『誕生』で遂に一種の悟りともいえる境地を切り開いた。そこには、自分と他者との一体化、個と個を隔てる境界を取り払い全てを受け止め、許し、共に歩んで行こうとする尾崎がいた。『永遠の胸』は同アルバムのタイトル曲にもなった『誕生』とともに、10代の自分の影を取り払い、新たな世界へ飛び出した尾崎の受苦と感謝の思想を色濃く反映している。
ニューヨークからの帰国後も尾崎の葛藤はなくならず、むしろ大きく膨らんでいく一方であった。信じるという言葉を忘れ、周りの人間達には猜疑心剥き出しの姿でぶつかり、浴びるほどの酒とドラッグは尾崎の心と身体を徐々に蝕んでいった。健全な精神と肉体には健全な魂が宿るという。尾崎の崩壊しかけた精神と肉体には、もはや崩れた魂しか残されていなかった。そういった環境で作られたアルバム『街路樹』には、そんな尾崎の孤独感や虚無感で満たされている。
しかし、尾崎は見事に復活を果たした。釈放後には執筆活動を本格化し、音楽以外のジャンルに手を広げ、坂本龍一、村上龍ら一流著名人との交流を深めた。そして、10代の彼を見守りつづけた須藤晃のいるソニーへ再移籍した。アルバム『誕生』は、そういった公・私共に充実した環境の中で生まれた作品であり、10代の3部作に決して劣ることの無い、尾崎の第2の代表作であるということができるであろう。
「何故生まれてきたの
生まれたことの意味があり 僕を求めるものがあるなら」
この曲は今までの生を拒否するような焦燥感ではなく、生そのものへの肯定が歌われている。何故生まれてきたのかといった悩みは誰しもいつかは考えてしまうものである。アイデンティティの確立はそういった疑問と向き合っていくことで成されていく。しかし、その疑問には正確な解答が用意されていない。個人差はあるだろうが、自分なりの答えをすぐに見つけてしまうものもいるだろうし、暗中模索の中でもがきつづけるものもいるであろう。尾崎はそんな生に対して悩み、もがきつづけるものたちに一つの方向を示した。それが上記の言葉である。この「迷える子羊」たちに向けられた「救い」の言葉は、アーティスト尾崎豊という枠を離れ、宗教性ともいえる普遍性を持った「神」の言葉さえ連想させてしまう。尾崎の言葉に欺瞞やエゴを感じないのは、それらの言葉があらゆる経験を通して醸成された尾崎の魂の叫びであるからであろう。
『MARRIAGE』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
埃まみれの都会の空 独りきりの寂しさの訳
探しながら二人は出会った
背負い切れぬ悲しみの数 互いの笑顔の作り方
積木のように重ねて過ごした
人は誰も 心の何かを
隠し続けているものだけど
過ぎ去った時よりも 今は君のこと 愛してる
それが俺の答えだから
I wanna marry you 諦めないから
I wanna marry you
傷んだ心に 君が泣かぬように
壊れた愛の傷跡が 二人を悲しく包む
愛はとてももろいものだと
手探りの優しささえも 見つけられなくなる時に
愛が冷めてしまいそうだから
二人の幸せ 描けるものだとしても
何も語らず寄り添う姿だけだから
ひとつひとつを 覚えておいてほしい
愛を償いながら二人は生きてる
I wanna marry you 諦めないから
I wanna marry you
終りのない 優しさの始まり
I wanna marry you 諦めないから
I wanna marry you
傷んだ心に 君が泣かぬように
半年ほど前になるが友人の結婚式に参加したことがあった。親戚関係などを除くと結婚式には行ったことがなかったので、なぜか無駄に緊張した覚えがある。初めての等身大に感じられるその結婚式は、新郎・新婦の満面の笑みと幸せへの誓いとしてのキスに全てが集約されていた。恋の終着と新たな幸せへの階段である結婚は二人にとって疑う余地のない絶対であり、全てであった。
『MARRIAGE』で描かれた尾崎の結婚観は、上記の二人の幸せに満ちた結婚とはまったく別の価値観で歌われている。尾崎は結婚を「終りのない 優しさの始まり」であり、結婚する二人を「心の中に何かを 隠しつづけて」「愛を償いながら生きてる」と歌った。そこには、満たされることのない愛を知りながらも、何かを補うための術として結婚を選ぶ二人の姿がある。シンプルな曲調、バックコーラス、そして尾崎の震えるような歌声によって、『MARRIAGE』はよりその焦燥感を増している。
この曲を聴きながらこの文章を書いているが、結婚とは何かという疑問が頭をよぎり続けている。友人の結婚式に参加した時は、結婚こそが幸せの最たるものであり、愛の行くべき道であると思ったが、尾崎はまた違う角度から見た結婚を歌った。どちらが正しく、どちらが間違っているとは思わない。ただ人によって結婚さえも対照的になるほど、捉え方が異なることもあるという事実には驚きを隠せない。
個人のライフスタイルは多様化し、結婚を選ばないで同棲したり、未婚で子供を持つことも一般化してきている。所詮昔の儀式に過ぎないと、結婚そのものがなくなっていく時代になっていくかもしれない。愛をわざわざ結婚することで再確認しなくてもいいじゃないか、と。
曲に影響されてか分からないが、結婚に否定的な意見を書いてしまった。しかし、私が見た結婚式での二人は愛と幸せに満ちていた。それは紛うことのない真実だ。
そんな二人を想って、改めて祝福のメッセージを送りたいと思う。
「願わくば、二人の幸せが時間を超えて刻まれ続けますように」
『誕生』
(BIRTH)
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
& KATS HOSHI
俺の時計の針がちょうど午前零時を指した
過ぎ去る時は新しい日の中に消え去ってゆく
訳もない涙が溢れ そっとこぼれ落ちる
分からないものが俺の全てを狂わせてしまった
愛を失い 仕事すらなくし 俺は街を出た
そして今俺は一体何を待ち続けているのか
ポケットには別れた家族の写真がある
皆で笑い俺は兄貴に肩を抱かれている
その写真をながめる度 分けあった訳の中に
それぞれが選んだ生き方を思い浮かべてみる
人生はいつも誰にも冷たいものだから
捨ててしまうことの方がきっと多いものだから
街の風は凍りついたまま吹きつけ心隠さなければ
大切なもの何ひとつ守りきれやしないから
そっと目を閉じて ふっと心閉ざし 暮らしているけど
Hey baby 俺はクールにこの街で生きてみせる
Hey baby 俺は祈りの言葉なんか忘れちまった
俺はきっとまだ マトモにやれるはずさ
街中の飢えた叫び声に 立ち向かいながら
俺は走り続ける 叫び続ける
求め続けるさ 俺の生きる意味を
一人で生きる寂しさに疲れ やがて恋に落ちた
彼女と二人暮らし始め半年が経った
マトモな仕事が見つからずに 荒れ果てた暮らし
投げ出したくなる そんな暮らしが続く日毎に俺は
愛の温もりも忘れて 心はすさんでゆき
自分自身から逃げ出そうと 脅えて暮らした
心の逃げ道に罪を犯した俺は
捕えられ 牢獄の重い扉の奥で息をひそめた
そして裁判の後 俺は手首ナイフで切り付け
気がつけば病院のベッドの上薬漬にされた
あぁ教えてくれ 俺のどこに間違いがあるのか
街の冷たい風から逃れて生きてきただけなのに
やがて俺もマトモな生活を見つめ彼女と暮らした
ある日彼女は涙ぐむ笑顔の中でつぶやいた
二人の新しい命が宿り 生まれてくることを
Hey baby 俺はクールにこの街に生まれた
Hey baby そして何もかも捨てちまって生きてきたんだ
生きる早さに追い立てられ 愛求め 裏切られ 孤独を知り
振り返ることも出来ず 震え暮らした
そして走り続けた 叫び続けた
求め続けていた 生きる意味も分からぬまま
産声を上げ そして立ち上がり やがて歩き始め 一人きりになる
心が悲しみに 溢れかき乱されても
脅えることはない それが生きる意味なのさ
Hey baby 忘れないで強く生きることの意味を
Hey baby 探している 答えなんかないかもしれない
何ひとつ確かなものなど見つからなくても
心の弱さに負けないように立ち向かうんだ
さぁ走りつづけよう 叫び続けよう
求め続けよう この果てしない 生きる輝きを
新しく生まれてくるものよ おまえは間違ってはいない
誰も一人にはなりたくないんだ それが人生だ 分かるか
長男の出産という新しい命の誕生を期に、尾崎がそれまで歩んできた道のりを私小説風に描いた作品である。そこには、NY後の苦悩に満ちた生活、ドラッグによる逮捕、自殺未遂、精神病院への入退院、そして子供の誕生と、尾崎の半生が赤裸々に歌われている。
『永遠の胸』で、尾崎は「僕はいつでもここにいる」と、この世の全てを受け入れ、自分が得てきた心の糧を全ての人と分け合っていきたいという悟りに近い境地を切り開いた。そして、この『誕生』では、「新しく生まれてくるものよ おまえは間違ってはいない」と、この世に存在する全ての生命に対して、その生の全面的な肯定を歌った。自問自答を繰り返し、悩みぬく中で過ちを犯しながらも、新しい命の誕生に触れ、新たな出発を決意した尾崎だからこそ、『誕生』や『永遠の胸』で歌われた詞は非常に説得力があり、心の奥底まで響いてくるように重くもある。
生命の誕生は神秘である。一つの個体から新たな個体が生まれてくることそのものに神秘があるし、新しい命は誰から教わるでもなく、呼吸を始める。その命が人間であれば、やがて話し始め、立ち上がり、そして歩き出す。生命の誕生とその後の一連のプロセスを見て肌で感じた尾崎は、そこに深い喜びと感謝の気持ちを見出したのであろう。この曲にはそんな尾崎の父親としての喜びと、歌という手段によって普遍化された生への感謝のメッセージが表れている。
「生きることは輝きに満ちている。その輝きは決して色褪せることはない。」
人の命がたやすく弄ばれ、生に対する倫理観の欠如が表面化し、しかし、そのことに目を向けずに生きている私達には、もう一度尾崎が歌った言葉をしっかりと受け止めていく必要があると感じる。
人を殺すこと、自ら命を絶つこと、人それぞれにそれなりの理由があると思うが、それは生命という輝きに満ちた神秘を否定することである。そういった行為に走る前に、一度深呼吸し、生の意味を改めて考えることが必要である。人は何故生まれ、生きているのかといったことを。
しかし、現代の社会には生を考える時間さえもないほど全てが早く動き続けているのも事実である。尾崎はそんな社会の矛盾にいち早く気付き、警笛を鳴らしつづけていた。尾崎の悩み苦しんだ人生は生そのものとの戦いであり、生きることの意味を探す長い旅であった。そんな尾崎だからこそ、その言葉には重みがあり真実がある。生を軽んじる風潮を一方で受け入れてしまっている今の社会には尾崎の言葉と、そして歌が必要であると切に思う。
「生命はみな"生きるため"に生まれてきたのである」
『放熱への証』
(Confession For Exist)
1, Bond
2, All Harmonies We Made
3, Get It Down
4, In Your Heart
5, Atonement
6, Two Hearts
7, Primary
8, Last Christmas
9, Monday Morning
10, Exist in The Dark
11, Mama, Say Good-bye
PRODUCED BY YUTAKA OZAKI
All songs written and arranged by
Yutaka Ozaki
『汚れた絆』
(BOND)
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
俺たちは街の流れに すれ違う人混みの中で
まるで運命に選ばれるように出会った
時が幾ら流れても 信じて見つめるものは
いつでも同じだと誓い合う様に語り明かした
心の中を探り合えば 傷みと悲しさを覚え合う Oh
俺はまだ震えてる 二人を止めることもなく
分けあう寂しさに 怯えた二人の絆が
凍えた風に吹かれてる
俺たちは気付かぬ振りをした 別々の人生の意味が
いつか二人を引き裂いてしまうことを
嘘だけは決して付かないと約束したときから 裏切りがやがて訪れた
ふと気付けば互いは互いを演じ
見つめ合うことすら出来ぬ Oh
俺はきっと忘れない 二人はこれで良かったのさ
今は汚れた絆も 何も変わらず信じている
俺たちの輝き奪われぬように
なぁ覚えてるかい 俺たちの笑顔
今日またその意味が静かに流れていく
失うことばかりが やけに多過ぎると
心かばうやつらにすがるよに泣くのか
誰もが皆 一人じゃいられず
二人で分けあうことすら出来ない Oh
いつかまた出会えるさ 俺たちを止めることは何もない
汚れた絆のその意味を 俺たちは決して忘れない
求めつづけた輝きを
人間関係で生じる確執や利害関係の争いに尾崎は悩みつづけた。積もり続ける悩みはやがて尾崎を人間不信に陥れ、尾崎は精神的な孤独の世界の中で生きることを余儀なくされた。
かつて10代の尾崎を全面的にプロデュースし、カリスマへと育て上げたソニーレコードの須藤晃、角川書店の編集者として尾崎の執筆活動をバックアップしてきた見城徹、デビュー以来アルバムジャケットから小説本の装丁などあらゆる作品のデザイン、撮影を手掛けてきた田島照久といった、尾崎を支えつづけた精神的主柱であった人物達ともアルバム『放熱への証』を製作していく段階で決別してしまった。それまで再三に渡ったレコード会社と所属事務所の変更は、尾崎の人間不信から来たものが多かった。
結局、尾崎は『誕生』リリース後、1990年12月19日に(有)ISOTOPE、(株)RADIO ISOTOPEを設立して独立する。上記会社の社長業とアーティスト業の両立は想像を絶するほどの忙しさであったが、尾崎は帳簿や契約書のひとつひとつまでチェックし、自らファンクラブまで運営し、アルバム製作では作詞作曲からトータルプロデュースまで、アーティスト尾崎豊に関わるまさしく全てを自らの手で行った。それは、他人の手によって処理された物事を信じられなくなった尾崎の人間不信の表れであった。ISOTOPE設立に携わった当時のマネージャーはその著書の中で、「尾崎は疑心暗鬼と人間不信の塊であった。しかし、その反面尾崎は相手に精一杯自分を愛してくれと望む。尾崎のそのような繊細で自己矛盾に満ちた精神はいつ崩壊してもおかしくなかった」と語っている。
アルバムタイトルの『汚れた絆』は、尾崎豊と彼に関わった全ての人間を指しているのであろう。「嘘だけは決して付かないと約束したときから 裏切りはやがて訪れた」という歌詞には、そんな尾崎の人間関係に対する想いが色濃く反映されている。
人間というものは完全な存在では決してない。完全でないがために嘘もつくし、時には人を裏切ることもある。それは尾崎自身が一番分かっていたことである。しかし、尾崎は理想と現実のギャップ、本音と建て前の関係を、そんなものだよと流すことはできなかった。「俺は本気でおまえを愛し、おまえもまた本気で俺を愛してくれ」、と相手に求めつづけた。ここで言う愛は、心からの信頼という言葉を含んだ意味での愛である。
尾崎が最終的に信頼できる存在として心を許すことができたのは、父親や兄といった肉親であり、母親であった。その最後の拠り所である母親を亡くした時の悲しさは、同アルバム収録の『Mama, Say Good-bye』で歌われている。
利害関係を激しく嫌った尾崎の死後、各関係者間の間で血みどろの利権争いが起こったのはなんとも皮肉なことであり、尾崎の死を冒涜しているようにさえ感じられる。
『Mama, Say Good-bye』
words & music YUTAKA OZAKI
arrangement YUTAKA OZAKI
夜明けまであとすこし 俺はハイウェイを走る
疲れた心が 今過ぎる時を抱えてる
夜空に揺らめく 静かな星屑たちは生き急いでいる
その答えを知るようだ
たった一人 こうして見つめてる
闇の中 明日が続くならば
溢れて零れる たった一粒の涙
星になった貴方の温もり
貴方を覚えてきた 振り返ることもなく
夜のながさの片隅にだけ 暮らしを見つめながら
愛を育んで 費やした日々
休むことも知らず 生きる答えは何故
ねぇ教えて ささやかな人生の願いは 一つでも叶ったの
誰にも見せぬように 一人零していた
貴方の涙を 今でも覚えている
きっと人は やがて深い闇の中で
一人自由な 夢叶えて眠るのだろう
だからお眠りよ もうなにも悲しまなくていい
貴方の残した人生は さよならの言葉さえ、聞けなかった
本当のさよなら ずっと夢みて その安らかな笑顔で
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」
(「ノルウェイの森」 村上春樹)
同小説の主人公が友人や恋人の死を振り返って、綴った言葉である。人間の生には本来的に死が組み込まれているし、他者の死はそれを見たり経験した者に少なからずも影響し、それらの者の生の中で半永久的に生き続けるという意味である。
唯一無比であり、心の最後の拠り所であった母親の死に直面した尾崎はこんなことを思ったのかもしれない。悲しさだけでは語り尽くせないものがそこにはある。
「僕の半分がなくなったというか、その半分は僕をオブラートのように包んでくれていた存在だったのかもしれない」
(「尾崎豊 魂の波動」)
尾崎は母の死についてこう語った。誰しも母親の死を乗り越えていくことは大きな峠である。利害関係や複雑な問題に絡まれることなく、無条件に自分を愛してくれる最も大きな存在は母親であるからだ。常に自分を見守ってくれ、その礎をつくってきてくれた母親の死は、尾崎にとってかけがいのない存在をなくすと同時に、自分の半分が取り払われてしまったように感じられるほど悲痛なものであったのだろう。尾崎の母親を歌った曲『Mama, Say Good-bye』を聴くだけで、尾崎の言い様もない悲しみが伝わってくる。
死が生の対極ではなくその一部として存在するなら、私達が死者に対して出来ることはその死を乗り越え、そこで味わった悲しみを心の糧にして生きてゆくことであろう。それは、非常に困難で悲しみに満ちた苦しい道のりである。しかし、私は死の悲しみを心の糧に、より強く生きていくことが死者への唯一の餞であると思う。
尾崎は母の死後、約4ヵ月後に後を追う様にしてこの世を去った。その死は裸で民家の片隅で蹲っているのを発見され、病院に運ばれてから自宅に戻り、その後容体の急変によって亡くなるという尾崎の波乱万丈な人生を締めくくるには突然過ぎるものであった。死因は肺水腫であったといわれている。
4月30日、文京区護国寺で尾崎の追悼式が行われた。4万人以上のファンが2km以上の列を作り、参列したという。その日は雨が降っており、その雨はまるで尾崎を愛し続けたたくさんのファンたちが、その死を悲しんで流す涙のようであった・・・
【EPILOGUE】
尾崎豊―。彼は私の人生の師である。彼と出会ったのは中学3年のときであったが、それから今に到るまでずっと彼は私の前を歩き、歩むべき道を照らし続けてくれた。中学、高校時代に抱えた鬱憤した気持ち、自由な大学生活で考え悩んだ生や人生の意義、時に尾崎は私の気持ちを代弁し、またある時には様々なことを教えてくれた。説教じみた本や目上の人間達から学ぶことの出来ないことが、尾崎からは素直に学ぶことができた。それは尾崎の作品に、彼の成長する過程で感じたその時その時の等身大の気持ちが惜しみなく詰まっていたからである
かく言う私もすでに二十三歳となってしまった。尾崎の亡くなった二十六歳という年齢もすぐに追い抜いてしまうだろう。しかし、尾崎が人生の師であることは、たとえ私の年齢がいくつになっても変わらない。なぜなら私にとって尾崎は数少ない一つの【真実】であり、これからも永遠に私の中で生き続けていくからである・・・
【SPECIAL THANKS!!】
この卒論を仕上げるにあたって色々とアドバイスを頂いた加藤哲郎先生に感謝の言葉を送ります。3年という長い間温かく見守ってくださってありがとうございました。
また、すでに卒業し社会で活躍しているゼミテンのみんな、現役のゼミテンのみんな、大学で出会った友人達にも大変お世話になりました。サンクス!!
そして、23年間という私の人生を支えてきてくれた両親、そして兄弟達に改めて感謝したいと思います。
最後に、心の糧となって、いつも私を導き続けてくれた尾崎豊。稚拙な文で貴方を綴ってしまいましたが、どうかお許しを。。。貴方の冥福を祈り、感謝の言葉を捧げます。
”Thank You !! OZAKI
!!!”
【HISTORY】
1965
11月29日―誕生。実家は練馬区春日町の都営住宅。家族は公務員の父、母,5歳上の兄。豊という名前は、父の恩師の名前からもらったもの。
1972
練馬区立田柄第二小学校入学。学校での得意科目は国語、音楽、体育。文部両道を大切と考える父より、躰道と短歌の手ほどきを受ける。4年生の時に作った短歌が雑誌に掲載されたほか朗読が得意など、すでに文学的な才能をのぞかせていた。また、父は尺八を習い、母は民謡を歌うグループに所属しており、音楽に早くから親しめる環境にあった。兄の影響か、他の同年代の子供よりも早い時期に歌謡曲以外の音楽にふれた。
1976
小学校5年生の時に埼玉県朝霞に引越し、朝霞第一小学校へ転校。転校生として特別扱いされたことをきっかけに、だんだん周囲に溶け込めなくなって学校をさぼりだし、小学校6年の時に約半年間の登校拒否を経験。この登校拒否の期間に、しまい込まれていた兄のギターを引っ張り出して弾いて、以来ギターに夢中になる。
1978
練馬中学校入学。小学校転校前の仲間が多い練馬の中学に越境入学。フォークソング・クラブに入り、1年の2学期の文化祭で全校生徒の前で歌う。これが大うけして、1年で生徒会の副会長になる。成績優秀で人気もあるが、一方では喫煙・飲酒での謹慎処分や、『15の夜』に歌われた家でも経験するなど、優等生と不良の両面を見せ、良くも悪くも目立つ生徒だった。
1981
青山学院高等学部入学。高校1年―偏差値がちょうどいいという理由だけで選んだ青山学院高等学部は東京都心にあり、生徒には裕福な家庭の子が多い。そんな環境の中、尾崎は新聞配達や皿洗いのバイトをしたり、先生にポリシーを持って授業をしているのかと問い掛けたりして、他の生徒から浮き上がった存在になる。この頃洋楽を聴き始めたが、ジャクソン・ブラウンに強い衝撃を受け、初めての曲『街の風景』を作る。高校通学時に通った歩道橋や渋谷の街などの情景はその後の数々の尾崎の作品に歌われている。
12月26日―アコースティック・グループ『NOA』として新宿ルイードのアマチュア・ライブに出演。『街の風景』を含むオリジナル4曲を歌った。尾崎は約2年後にここでプロとしてデビュー・ライブを行うことになる。
1982
高校2年生―原宿音楽祭とCBS・ソニーへデモテープを送る。ソニーよりライブ・オーディションの知らせがくるがすっぽかしてしまう。しかし再度の要請に信濃町のCBS・ソニースタジオへ。ジーンズにビーサン姿で『ダンスホール』など4曲をギター一本で演奏して、CBS・ソニー・オーディション82年最優秀アーティスト賞を受賞。
1983
高校3年生・1学期―飲酒やケンカ問題などにより、無期停学処分を受ける。持ち歌のまだ少なかった尾崎はこの期間に、CBS・ソニーの須藤氏のアドバイスを受けながら、デビューを目指して曲作りに励む。
12月1日―アルバム『十七歳の地図』、シングル『15の夜』でデビュー。アルバムの初回プレス数は2,500枚にも満たなかったが、後に数十万枚のセールスを記録する。
1984
1月25日―青山学院高等学部を自主退学。
3月15日―青山学院高等学部の卒業式の日、新宿ルイードでデビューライブを行う。その前夜、尾崎はライブのビラに「みんな、よくがんばった!卒業おめでとう!」と書添えて、友人達と同校周辺に貼ってまわった。当日は卒業式を終えた高校の友人達も駆けつけ、「おまえら、本当に自由か?腐った街で埋もれてゆくなよ」と発言、初ライブにしてすでに独特のMCを聞かせて観客のど肝を抜いた。このライブの成功により、尾崎は業界関係者のなどの注目を集め、本格的な音楽活動をスタートさせる。
5月30日―学生サークルの主催で、京都・ビブレホールでライブ。地元のラジオ番組での呼びかけをきっかけに、高校生や大学生が集まって行った手作りコンサートであった。尾崎はポカリスウェットを客席にぶちまけたり、天井の配水管にぶら下がるなど、派手なステージングを披露した。
6月15日~28日―初のライブツアー。全国6大都市をまわる。
8月4日―日比谷野外音楽堂で行われた反核イベントに出演中、高さ7メートルの照明イントレから飛び降り、足首を骨折。痛みに耐えてピアノにつかまり、床に伏せながら、最後まで歌いきって強烈な印象を残す。全治3ヶ月の重症を負い、ツアーをキャンセルして入院生活を送る
10月―ラジオ番組『誰かのクラクション』(東海ラジオ)放送スタート。選曲や台本の執筆も尾崎が自分で手がけた。
12月3日―怪我のため延期になっていた全国ツアーをスタート。約2ヶ月に渡り全国21都市をまわる。
1985
1月12日―全国ツアーの東京会場、日本青年館でコンサート。
1月21日―シングル『卒業』リリース。オリコンチャート初登場20位。この曲で尾崎の名は全国に一気に知れ渡る。過激な歌詞の内容が生徒に悪影響を与えるとして、尾崎の曲を聴くことを禁止する中学校が続出。「10代の代弁者」といった呼ばれ方があちこちでされるようになる。
3月21日―2ndアルバム『回帰線』リリース。オリコンチャート初登場1位。このとき尾崎は1ヶ月のオフをとってNYに滞在していた。
5月6日―"Tropic of Graduation"ツアー(全国39ヶ所)がスタート。
8月25日―大阪球場に26,000人を動員。この初のスタジアムライブをもって、ツアー終了。
10月25日―写真詩集『誰かのクラクション』出版。20歳になる前に本を出すという希望を実現する。
11月1日―"Last
Teenage Appearance"ツアー(全国27ヶ所)がスタート。
11月28日―尾崎の誕生日前日、10代最後の日に、3rdアルバム『壊れた扉から』リリース。
1986
1月1日―福岡国際センターをもって、ツアー終了。以後、無期限の音楽活動休止に入る。
1月14日―フジテレビ系全国7ネットで『早すぎる伝説』放映。"Last Teenage Appearance"ライブやインタビューで構成されていた。番組は大反響を呼び、再放送の要望が殺到した。
3月25日―『早すぎる伝説』、フジテレビ系全国27局フルネットで再放映。
5月―単身渡米。NYへ。
7月―フィルム『もっともっと早く!』(ルイードデビューライブから85年11月の代々木オリンピックプールまでのライブを収録)を全国100ヶ所で上映し、約20万人を動員する。
1987
1月―NYより帰国。
7月1日―ニューアルバムの完成を見ないまま、"Trees Lining a Street"ツアー(全国30ヶ所)がスタート。
8月5,6日―広島平和コンサートに出演。渡辺美里、岡村靖幸のステージに飛び入りする。
8月29,30日―有明コロシアムでコンサート。2日間で20,000人を動員。
9月24日―急病のため、ツアー中止。
9月―レコード会社をマザー&チルドレンに移籍。
10月21日―ライブアルバム『Last
Teenage Appearance』リリース。
12月22日―覚せい剤取締法違反で逮捕。
1988
2月22日―東京拘置所から釈放。
5月12日―繁美さんと結婚。
6月21日―12インチ・シングル『太陽の破片』をリリースして、音楽活動を一時再開。
6月22日―フジテレビ『夜のヒットスタジオ』に生出演して『太陽の破片』を歌う。再起をかけて頑張っていることをファンに知らせるために、出演を決意した。テレビ出演は後にも先にもこの一度だけだった。
9月1日―約3年ぶりに、4thアルバム『街路樹』リリース
9月12日―東京ドームで、約1年ぶりにコンサートを行う。この復活ライブ"LIVE CORE"では、56,000人を動員。しかしこの後再び音楽シーンから遠ざかり、沈黙を守る。
1989
2月21日―東京ドームでのライブを収録したビデオ『LIVE CORE』リリース。
7月24日―長男・裕哉君誕生。
1990
4月―『月刊カドカワ』に、小説『黄昏ゆく街で』連載スタート(1991年6月まで)。以後、活発な執筆活動を行い、詩、エッセイ、小説を同誌に次々に発表していく。また、村上龍、銀色夏生、坂本龍一、沢木耕太郎らとの対談も掲載された。同時に写真やイラスト作品にも力を入れていく。
4月10日―所属事務所をROAD&SKYに移籍。
10月21日―CBS・ソニーへ再移籍。約2年ぶりに、4thシングル『LOVE WAY』リリース。オリコンチャート初登場2位。
11月15日―5thアルバム『誕生』(2枚組)リリース。オリコンチャート初登場1位。このアルバムにより、真の復活を果たす。
12月1日―5thシングル『黄昏ゆく街で』リリース。
12月19日―(有)ISOTOPEおよび(株)RADIO ISOTOPEを設立して独立。アーティスト活動と社長業の両立を図る。
1991
3月―尾崎豊ファンクラブ"Edge of Street"活動開始。尾崎はアートワークを提供したり、原稿を執筆したり、会報の編集にも積極的に携わった。
3月21日―『I LOVE YOU』がJR東海のファイトエクスプレスのイメージソングになり、7thシングルとしてリリース。
5月20日―横浜アリーナを皮切りに、"BIRTH"ツアー(全国56ヶ所)がスタート。
10月24日~30日―代々木オリンピックプール4DAYSをもって、ツアー終了。
12月29日―母・絹枝さん急逝。
1992
4月―『放熱への証』レコーディング終了。
4月25日―急逝。早朝に泥酔状態で発見され、救急車で病院へ収容される。いったん意識を回復して帰宅したが、容態が急変し、12時6分に息をひきとる。
4月30日―追悼式。文京区の護国寺に、雨の中40,000人のファンが2km以上に及ぶ列をつくって参列した。
5月10日―6thアルバム『放熱への証』、8thシングル『汚れた絆』リリース。アルバムの初回プレス数45万枚に対し100万枚以上の予約が殺到して、即日完売。
6月10日―ツアー'92"放熱への証"中止。
【WORKS】
MUSIC
1st Album 『十七歳の地図 Seventeen's map』 1983/12/01
《1街の風景 2はじまりさえ歌えない 3 I LOVE YOU 4ハイスクールRock'n'Roll 5 15の夜 6 十七歳の地図 7愛の消えた街 8 Oh My Little Girl 9 傷つけた人々へ 10 僕が僕であるために》
2nd Album 『回帰線 Tropic of Graduation』 1985/03/21
《1 Scrambling Rock'n'Roll 2
BOW! 3 Scrap Alley 4
ダンスホール 5 卒業 6存在 7 坂の下に見えたあの街に 8 群衆の中の猫 9 Teenage Blue 10シェリー》
3rd Album 『壊れた扉から Through The Broken Door』 1985/11/28
《1 路上のルール 2 失くした1/2 3 Forget-me-not 4 彼 5 米軍キャンプ6 Freeze Moon 7
Driving All Night 8ドーナツ・ショップ 9
誰かのクラクション》
4th Album 『街路樹』 1988/09/01
《1 核(CORE) 2 ・ISM 3 Life 4 時 5 Cold Wind 6 紙切れとバイブル 7 遠い空 8 理由 9 街路樹》
5th Album 『誕生 Birth』 1990/11/15
《1 LOVE WAY 2 Kiss 3 黄昏ゆく街で 4 ロザーナ 5 Red Shose Story 6 銃声の証明 7 Lonely Rose 8 置き去りの愛 9 Cookie 10 永遠の胸11 Fire 12 レガリテート 13 虹 14 禁猟区 15 Cold Jail Night 16 音のない部屋 17 風の迷路 18 きっと忘れない 19 Marriage 20 誕生》
6th Album 『放熱への証 Confession For Exist』 1992/05/10
《1汚れた絆 2自由への扉 3 Get it Down 4 優しい陽射し 5 贖罪 6 ふたつの心 7原色の孤独 8太陽の瞳 9 Monday Morning 10 闇の告白11 Mama, Say Good-bye》
Single 『15の夜 cw/ 傷つけた人々へ』 1983/12/01
Single 『十七歳の地図 cw/ oh my little girl』
1984/03/21
Single 『はじまりさえ歌えない cw/ 愛の消えた街』 1984/08/25
12inch Single 『卒業 cw/ Scrambling Rock'n'Roll』 1985/01/21
Single 『Driving All Night cw/ 十七歳の地図』 1985/10/21
12inch Single 『核(CORE) cw/ 街角の風の中』 1987/10/01
12inch Single 『太陽の破 cw/ 遠い空』 1988/06/21
Single 『卒業 cw/ 15の夜』 1989/03/21
Single 『LOVE WAY cw/ COLD
JAIL NIGHT』
1990/10/21
Single 『黄昏ゆく街で cw/ 音のない部屋』 1990/12/01
Single 『永遠の胸 cw/ 虹』 1991/01/21
Single 『I LOVE YOU cw/ ダンスホール』 1991/03/21
Single 『汚れた絆 cw/ 優しい陽射し』 1992/05/10
Live Album 『Last Teenage Appearance』 1987/10/21
Live Album 『約束の日 THE DAY volume 1』 1991/10/30
Live Album 『約束の日 THE DAY volume 2』 1991/10/30
Video 『6 Pieces Of Story』 1986/07/21
Video 『Live Core』 1989/02/21
Video 『TOUR 1991 BIRTH』 1992/03/30
Video 『THE DAY Last Appearance』 1993/11/29
WRITING
『誰かのクラクション』 (写真詩集) 1985/10/25
『普通の愛』 (短編小説集)
1991/02/28
『白紙の散乱』 (写真詩集)
1992/02/29
『黄昏ゆく街で』 (長編小説)
1992/06/20
『堕天使達のレクイエム』 (短編小説集)
1993/04/02
(*)一部を除き、尾崎の死後発売された作品を除く
【参考文献&参考URL一覧】
「尾崎豊が伝えたかったこと」 須藤晃 主婦と生活社
「尾崎豊 魂の波動」 山下悦子・芹沢俊介・児玉由美子 春秋社
「尾崎豊のすべて」 シンコー・ミュージック
「WORKS|YUTAKA OZAKI」 ソニーマガジンズ
「尾崎豊ストーリー|未成年のまんまで」 落合昇平 CBS・ソニー出版
「尾崎伝説 愛の伝道師」 永井雄一 データハウス
「GB特別編集 尾崎豊 1983-1992」 ソニーマガジンズ
「音楽誌が書かないJポップ批評35 尾崎豊」 宝島社
「文藝別冊 尾崎豊 YUTAKA OZAKI」 河出書房新社
「誰が尾崎豊を殺したか」 大楽光太郎 ユニオンプレス
「尾崎豊 アイ・ラブ・ユー」 鬼頭明嗣 太田出版
「尾崎豊 卒業」 尾崎健一 角川書店
「天国の豊よ 思い出ありがとう」 尾崎健一 麻布台出版社
「YESに影響されたNO」 藤沢映子 ソニーマガジンズ
「尾崎豊を聞きながら」 佐藤光康 かもがわ出版
「ノルウェイの森」 村上春樹 講談社
「堕天使達のレクイエム」 尾崎豊 角川書店
「白紙の散乱」 尾崎豊 角川書店
「誰かのクラクション」 尾崎豊 角川書店
「普通の愛」 尾崎豊 角川書店
「黄昏ゆく街で」 尾崎豊 角川書店
http://www.ozaki.org/ <YUTAKA OZAKI
OFFISIAL SITE>
http://www.ozaki.co.jp/ <OZAKI.CO.JP>
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/ozaki/ <Sony Music on Line>