パリ日記 | ||
(エルンスト・ユンガー著/山本尤(ゆう)訳 月曜社 3990円) | ||
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占領下都市 知性の目で 両大戦間期におけるドイツのナショナリスト的作家として既に高名な存在でありながらナチス党からは常に距離を保ってもいたエルンスト・ユンガーは、第2次大戦の開戦後、勧められた外交官の地位を断って大尉として招集されることを選び、やがてパリ占領軍参謀本部の幕僚としてこの都市に赴任する。本書は、克明な日記の書き手でもあったユンガーのパリ駐在時代の記録であり、大戦下のヨーロッパを占領軍の視点から切り取った貴重なドキュメントである。 だが、例えばマラパルテの「壊れたヨーロッパ」のような類書と異なって、ユンガーの日記は、少なくとも表面上は知的な静謐(せいひつ)さに湛(たた)えられている。ドイツのフランス占領軍は東部戦線のスラブ人地域に比べてはるかに寛大な施策をとっており、参謀本部での著者の上官も同僚も、フランス語に通じた学識者で固められていた。こうした雰囲気のなか、特別に軍装を解くことを許されていたという著者は、ピカソのアトリエを訪問し、モンテルランの出版に協力し、プルーストや奇妙な窃盗犯ジュネについてコクトーと語り合い、セリーヌの反ユダヤ主義論を聞いて内心でたしなめさえする。あたかも軍人が貴族的な階級の専有物であった過去を回顧させるかのように、華麗に振る舞ってみせるのである。 本書に見える著者の生活は、パリという文化都市を媒介にした人文的ヒューマニズムへの回帰とも、逆に反動的で唯美的なダンディズムの発露とも、解釈することができよう。とはいえユンガー本人は、両者の態度をともに可能にしてきた古典的ヨーロッパ世界の崩壊を確信していた作家であって、そのペシミズムは日記でも放棄されてはいない。社交を楽しむ傍らで著者は、ふとした契機からさまよい込んだ、崩壊の予感に満ちた幻視や夢を、実に詳しく書き留めている。小説的ですらあるこうした断片群こそ、本書のもう一つの核心をなしている。 評・長谷川晴生(東大大学院総合文化研究科博士課程・思想史) |
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