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[30262] DDS ~竜殺しとパートナー~
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/27 18:44
以下あらすじ

この世界の人は卵を持って生まれてくる。その卵は十二歳を迎えた時に孵化し、己の『パートナー』と対面することになる。人と『パートナー』の関係は密接で特殊なもので、『パートナー』の能力が人生を左右するといっても過言ではない。
 水城歩は、そんな『パートナー』の誕生をいまかいまかと待っていた。そこから生まれるのは、世界最強の存在である竜か、それとも別のなにかか――その五年後、歩は知らぬ間に宿命に巻き込まれ始めた。


一応竜と剣のファンタジーですが、雰囲気はあまりないと思いますwそれでもよければ、見てやってください。楽しんでいただけたら幸いです。
気を付けてはいますが、なにかローカルルールに違反してある等ありましたら、言っていただけると幸いです。

「小説家になろう」様にも投稿させていただいておりますが、ご了承ください。


*早速ミスってましたーすみません……



十月二十四日 投稿開始
二章まで

十月二十五日
三章まで

残りは四章が7(6と書いてましたが、増やしました、すみません)つ、五章が2つです。

大変申し訳ありません。所要で更新が遅れるやもしれません。



[30262] 序章 パートナーと竜
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:04
 序章



――五年前
 夜の病院で怪談が生まれるのも当然だ、と水城歩は思った。
 照明は消され、手元のランタンだけが照らすほの暗い廊下。人の生き血を浴びた数多の機器と、死という非日常を日常として過ごす人が猥雑に存在している。
廊下から枝分かれした無数の部屋では、大小を問わず、なんらかの疾患を持った患者が夜を共にし、少し奥に入ると死体がいくつも並んでいる。彼等の死の慟哭が刻まれている以上、墓よりも生の感情が残されているのはこちらだろう。
 巨大な入れ物の中に、そういったものが詰め込まれている。生者と死者がカオスを描いているこの場に感じるものがない人は、どこかしか壊れているとしか思えない。

――などと偉そうなことを考えながら、内心びくつきながら歩は歩いていた。
 自己陶酔と現実逃避でもしていないと、怖くて仕方がないからだ。かといって急いでこの場を離れようと走ると、余計に何か追い掛けてくる気がして、早足で歩くことしかできない。背中を軽く丸めて、びくびくしながら目的地までカウントダウンをしていくしかなかった。

 歩はため息をついた。どうして十二歳の誕生日に、深夜の病院で心臓の鼓動を聞かないとならないのか。
 もうほとんど罰ゲームだ。十二歳になったこの世界の人間は、皆こんな経験をしているのかと思うと、今まで馬鹿にしていた大人達を尊敬してしまいそうだ。

 そうこう考えている内に、大きめの戸まで辿り着いた。戸を開け、目の前には渡り廊下が広がり、その先に目的の部屋がある。

 夜の寒々しい風を感じつつ、早足で駆けこむ。風の音すらおどろおどろしく感じた。

 入った先には、それぞれ独立した部屋に通じるドアが並んでいる。ドアの隙間から洩れる光を見て安堵しつつ、手前から数えて三つ目の部屋に入った。

「お、ちびらなかったかい? いや、ちびったからトイレ行ってたのか。パンツの替え、とってこようか?」
「うるせえクソババア」

 迎えて第一声は、母親との心温まるやりとりだった。
 肩にかかる位の黒髪を後ろで軽く縛っており、スーツと相まっていかにも活動的な印象を受ける。顔には、にやついた笑みを浮かべていた。
 彼女の名前は、水城類。歩の母親だ。

「クソババアとは誰のこと? ここには可愛らしい女の子が二人とクソガキしかいないんだけど」
「何が女の子だ。一児の母がきもいんだよ。三十過ぎればババアで十分だ」
「あら、年齢なんてのは目安に過ぎないのに、見た目でしか事を測れないなんて。お姉さん悲しいわ。そんなガキに育てた覚えはない!」
「母親が女の子とか言ってんの流すほうが子供としては悲しいわ! 言ってて悲しくなんねえのか?」
「全然。十代の子にナンパされる内は立派な女の子でしょ」

 確かにクソババアの見た目はお化けの類だ。一緒に歩いていると、類のことを知らない友人から、どうやってこんなお姉さん捕まえた云々聞かれるのが定番化してしまっている。
 だからといってクソババアはクソババアなのだが。

「年甲斐もねえな。それに十代の『子』って完全にババア目線じゃねえか」
「あら、そりゃ年季が違うからね。いい年のとり方をすると、女の子といい大人の両立はできるもんよ? 覚えておきなさい」
「あの、もうそろそろ、やめた方が……」

 声のほうを向くと、そこには歩と同年代の、正真正銘の女の子がいた。
 うつむきがちにこちらを覗っている彼女の名前は、能美みゆきというらしい。
 昨日、いきなり紹介された。なんでもこれから類が彼女の親代わりになるらしく、仲良くするようにと言われてから二十四時間もたっていない。

 長い黒髪は艶やかで、怯えた様子には似つかわしくないきりっとした眉が美しい。その下の瞳は薄めの茶色なのだが、左目はどこか灰色がかって見えた。
 その華奢な両手には、大事そうに『卵』が抱えられている。

「あら、怖がらせちゃったか。ごめんね、うちのガキ、しつけがなってなくて」
「みゆきさんがなんで怖がってるかわかってるか?」
「あんたが引けばいいのよ」
「あの、私までお邪魔しちゃってよかったんですか? 私いないほうが……」
「そんなことないよ。馬鹿息子と誕生日が同じってのもなんかの縁だしね。これから仲良くしてやって」
「こんなクソババアと二人きりよりだいぶマシだから」

 みゆきの怯える様子に、歩も声をかけずにはいられなかったのだが、なんとなく気恥ずかしい。

「こんな口の悪い息子だけど、よろしくね。それにしても誰に似たのかしらね」

 お前だ、とは思ったが、話しを混ぜ返すのもどうかと思いどまる。
こちらを一向に見ないみゆきにドギマギしていると、すねのあたりに何か柔らかいものが纏わりつく感触がした。
 視線を下げて確認すると、白猫が身体をすりつけていた。甘えるような動作で、愛らしいことこの上ない。

「どうした、クソババアになんかされたか?」
「ひどいな。流石の私も『パートナー』にはしないって。なあミル」

ミルと呼ばれた猫はにゃーんと鳴いた。どこか品のいい声音は、この場では異質だ。

「どうしてこんな落差あるかな。片や口うるさいババア、片や洗練された美しい猫。『パートナー』とこんな差があるもんかね」
「それを今日あんたは知るんでしょ。さっさと済ませてくれないかね、仕事たまってるのに」
「俺にはどうしようもないんでね。っていうか、十二歳の誕生日に『パートナー』が孵るっていうのは良いけどさ、二十四時間も誤差あるのはなんでかねー」

 歩はちらりと視線を移した。
そこにあったのは、歩の『卵』だ。みゆきのものと何も違いがなく見える。表面はなめらかで、傷一つない。歩が生まれた時から傍に置いていた割に、まるで傷ついていないのは、いつ見ても不思議だ。

「早く孵って欲しいね。ようやく解放されるかと思うと、嬉しくて仕方がない。持ち歩いてないと、こっちの気分が悪くなるってどんな呪いの品だよって感じだったからな」
「不埒なやつめ。そんなこと言ってるとキメラ出ちゃうぞ」
「それは怖い。できれば竜がいいなー」
「選り好みするなんて、ほんとにキメラ出ても知らないよ? 罰あたりめ」
「あ、あの」

 突然、みゆきが話に入ってきた。こころなしか先ほどよりも顔色が青ざめている気がする。

「キメラって、その、良くないんですか?」

 すこしためらってはいたが、質問内容ははっきりしている。どうもパートナーに関しては興味が躊躇に勝るようだ。
 類が笑いながら言った。

「生まれる前から色々考えるのも、まあ不埒なことなんだけどね。ただ、キメラは特殊な能力持っちゃってるから」
「どんなですか?」
「他の人の『パートナー』を食べて、その能力を手に入れられる、っていう能力。狙った能力、例えば翼だったり、牙だったり、炎吐く能力だったりを自由に取れるわけじゃないけど、それでも忌避されるものではあるから」
「なるほど」

 みゆきの顔が心なしか青くなっているように見える。嫌な想像が頭の中を駆け巡っているのだろう。
 それを見て、歩が笑って付けくわえた。

「まあ竜になる可能性だってあるんだし。考えても仕方がないよ」
「あっ」

水をすくうように両手を前に差し出していたその上の『卵』がぴくり、と動いた。
すぐにヒビが卵の表面に入り乱れる。時折揺れ、そのたびにヒビがひろがってゆく。

「時間ね」

 みゆきが彼女に近寄って行った。

「そのまま焦らず待って。ゆっくり出てくるから、何もしなくていいよ」

 みゆきはこくりと頷くと、微動だにしなくなった。
 卵は少しずつヒビを広げていき、小気味良い音を立てながら細かな破片がこぼれていった。
 教室の中にいる人間は固唾を呑んで見守っている。歩も、類も、みゆきも全く口を開かず、ヒビが割れる音だけが聞こえてくる。
 一分とかからずヒビが卵全体にまんべんなく行き渡ったところで、しばし動きが止まった。何か問題が起きたのかと不安がよぎりはじめた矢先、急にヒビから光が漏れ始めた。
 それが合図だったかのように、一気に卵が崩れた。

「っ」

 反射的に光を手で遮ったが、目がくらんでしまっていた。
 ようやく視界が戻ったとき、みゆきの掌には卵がなくなっていた。
 代わりに、『パートナー』がいた。

「あっ」
「精霊系かな? 綺麗なパートナーだね~」

 驚きに目を見張るみゆきに、類が声をかけていた。
 みゆきの『パートナー』は、重力を失った水のような姿だった。無色透明で不純物が一切なく、奥が綺麗に透けて見える。掌の上で踊るように形を変えていくのが、幻想的で美しかった。
 ひととおりぐねぐねとくねらせた後、序々に形が定まり始める。完成した形は、小柄な人そのものだ。人間ほどはっきりしたものではなく、輪郭は絶えず変化していたが、それは間違いなく人型だった。頭から髪が伸び、耳の辺りが気泡とともにぽこんと浮きあがるのが見えた。
最後に顔の部分が出てきた。鼻が伸び、口がへこみ、瞳のない目ができる。どことなくみゆきに似ていた。
 歩は綺麗なパートナーだと思った。みゆきに似た造詣も、まじりけない透明な質感も、ただただ綺麗だ。
 興奮した様子のみゆきに、類が声をかけた。

「いい感じのパートナーだね、おめでとう。そしてハッピーバースデイ」
「ありがとうございます」

 みゆきは軽く頬を上気させていた。類への感謝の言葉も、いつもよりこころなしか感情がこもっているように見える。
 歩は、ふと自分の卵を見てみた。部屋の中央に置かれた机の上に、ぽつんと置かれた鶏のものより少し大きな卵。自分の脳みそが完成する前の段階から手に掴んでいた代物。

 みゆきの嬉しそうな顔を見ていると、急に自分の卵が愛おしくなった。いつ生まれるか分からないからと、これまで二十時間近くじっと待っていたため、存外に扱っていた自分が恥ずかしい。
 ゆっくり近付き、丁寧に掌で包む。
 顔の近くまで持ち上げてから、卵の表面を軽く指で撫でた。一切ヒビはなく、中から返ってくる反応もなかった。
反応の無さに少し落胆し、卵への注意が薄くなった瞬間、目の端に母親の顔が映った。母親は意地悪そうににやにやしている。

「現金だな~みゆきちゃんのが孵る姿見て、急に愛おしくなったって感じかな? いや~見え見えすぎてお姉さん恥ずかしくなっちゃうわ~」

 頬が急激に熱くなるのを感じた。

「うるせえよ、だれがお姉さんだ。三十も半ばを過ぎたおばさんが何言ってんだよ」
「残念ながら見た目若いからさ」
「あら、生まれましたか?」

 そう言い、入ってきたのは、見知らぬ二十代と思しき女性だった。白衣を着ていることから、おそらく病院の人だろう。

「はい、おかげさまで」
「それなら、書類に記入していただいていいですか?」

 類が近付いて行き、なにやら書類を受け取った。
 その時。
 手のひらに、振動が伝わってきた。
 離しかけていた手を戻し、大事なものをつかむように両手で抱える。

「どした? 始まった?」

 母親の言葉もどこか遠くに聞こえた。
 こつこつと殻が叩かれるのがわかる。初めは些細な力で、肌で触れていないとわからない程度だったのが、序々に力強くなっていき、卵を揺らし始めた。
 ぴしりとヒビが入った。

「おっ」
「歩、動くなよ」

 言われるまでもなかった。掌に全神経が集中していて、瞬きひとつ自由にできる気がしない。
 先ほどのみゆきの時のように、ヒビが序々に徐々に広がっていく先を想像したが、そこから一気に卵の全体にヒビが走った。

「大丈夫、落ち着いて。別におかしいことじゃないから、落ち着いて」

 卵の変化はなおも加速した。
 あっという間に光り出す。
 息を呑む暇もなく、部屋を光が包んだ。
 目を閉じる反射が遅れたのか、目の端に鈍い痛みが走る。
 光がやんだのがまぶた越しに伝わってくる光でわかったが、すぐには目を開けられなかった。
 十秒程度たつと痛みもようやくおさまりはじめる。
心臓の音を聞きながら、思いきって目を開いた。
 まだ視界は戻っていなかった、目の前にいるはずのパートナーの姿が、あやふやにしか写らない。生殺しに、少しいらだちを覚えた。

 仕方なく思考に集中すると、すぐに疑問が生まれた。
 母親達の反応がないのだ。歩と同じく強烈な光に目をやられたのかとも思ったが、歩よりも距離が遠く、全員が全員目をつぶされたとは考えにくい。
だというのに反応がないのはどうしてか。口に出せないほどひどい姿なのだろうか。
 しかし、まだ見えない。怖くて周りに聞くこともできない。
 ただただ焦燥感だけが増していく。
 視界がようやく像を結び始めたころ、
声が聞こえてきた。
 渋く、深い、威厳のある声だ。

「視界が戻らぬか」

 その発言の後、すっと視界の靄が消えていった。急激に目の焦点が結び始める。

「我が生まれたことで貴公の身体は進化し始めた。視界の回復も速くなろう」

 大雑把な輪郭が見え始めた。尖った口、やや前傾姿勢ながら二つの足で手のひらに立っているようだ。身体にしては大きな足に、ちょこんと前に出た腕。
 そして……翼。
 ばさりという音とともに手のひらの感触が消え失せ、代わりに軽く風が流れてきた。
 それは上昇し、歩の顔と水平位の位置まで飛び上がった。
 このときに、視界は完全に戻った。

「竜……」

 みゆきのつぶやきが聞こえてきた。
 続いたのは、先程の渋い声。

「我は竜である。それもただの竜ではない。言語を操り他を圧倒する能力を持つ、竜の中の竜だ。そして貴公のパートナーである」

 一角獣のような額の上から真っ直ぐ伸びた角の下に、大きな目があった。
 透き通るようでいて深い緑の瞳と、黒真珠のような艶のある体が競うように強調し合い、それでいて協調のとれた姿。
 翼をはためかせ、空中で静止しているその姿は、卵のときとさほど変わらない大きさだったが、雰囲気を持っていた。
 『強者』の持つ、絶対的な雰囲気。
 竜が言った。

「貴公と命を共にし、生を分かち合い、力を高め合う。我がこの世に誕生したこの瞬間、貴公との契約が成立した」

 歩の喉が鳴った。
 インテリジェンスドラゴン。人語を自在に操る、竜の中でも最も格式の高い存在。人語をしゃべることのできるパートナーなど、竜以外のものも含めても、インテリジェンスドラゴンだけだ。
 余りにも予想外な僥倖に何も言えないでいると、竜の雰囲気が柔らかいものに変わったのに気付いた。
 続いて響いてきた声も、幾分砕けたものだ。

「ハッピーバースデイ」

 歩の頬が咄嗟に歪んだ。現れたのは、すこしばかり意地のわるそうな笑顔だろうか。

「ハッピーバースデイ」











――十五年前(歩の竜誕生から数えて十年前)

「おめでとう!」
「ありがと」
 ×××は、○○○のパートナーの誕生を祝福した。○○○は全身で喜びを表しており、×××も人ごとながら嬉しく思った。○○○とは同じ施設で暮らしており、友人と家族の間のような関係で、○○○の喜ぶ姿を見ると×××も嬉しくなる。

今二人が一緒にいるのは、来たことのない病院。誕生日が同じ日だからで、十二歳の儀式を一緒に迎えている。

 それにしても――驚いた。

「竜なんてすごいね」
「へへへへ」

 友人のパートナーは竜だ。いわゆる宝くじに当たった感覚だろう。黄褐色の鱗に包まれた細長い竜は、○○○の手のひらで穏やかに身を伏せている。大きめの翼はおさまりきらず、手のひらから外れて、だらりと垂れさせられていた。
 ×××は正直羨ましく思った。パートナーが竜である人、竜使いともなれば後の人生は約束されたようなものだからだ。
 ふと、自分の卵を見る。
 全く動きは見えない。

「○○○君、おめでとう」
「あ、ありがとうございます」

 知らない大人の人がやってきて○○○に声をかけた。病院の人らしく、書類やらなにやらの記入を進めてきた。

「それにしても、竜とはね。すごいな」
「ありがとうございます」

 本当に――うらやましい。手のひらにおさまるほどの竜を見て、そう思った。
 再び、自分の卵に視線を移すと、既にヒビが入っていた。
 孵るのだ。
 慌てて近寄り、両手で包むようにして持ち上げた。

「お、君もか」

 病院の人が興味深げに覗いてきた。
 卵のヒビはすぐに広まっていく。ものの数秒で――生まれた。

「これは」
「おやおや」

 炎に燃えるたてがみに、獅子の勇壮な顔。身体もライオンのものだが、ところどころに鱗も見える。尻尾はヘビとなっており、尾の端には蛇の下が覗いていた。
 その姿は、今日まで思い描いてきた中でも最悪を想定したものと、余りにも似通っていた。それは多種多様な姿を持つパートナーの中でも、特に様々な姿を持っていると聞く。それが確実にそうだ、という証拠はない。
 しかし。
しかし、余りにもテンプレートな姿だ。
この雑多なパートナーは。

「キメラだね」

 最も忌避されるものだ。他のパートナーを糧に成長する、忌まわしいパートナー。
よりにもよってこれとは……
 絶望感が押し寄せてくる。
 うなだれていると、肩に手を置かれた。

「そんな肩を落とさなくていいよ。大丈夫、全部おじさんにまかせなさい」

 病院の人の声がいやに優しい。声はすぐ後ろから発せられている。

「さあ、眠りなさい」

 いきなり口に何かを当てられた。息が苦しくなり、必死であがくが、大人の力には叶うわけもない。
 よくわからないまま、意識は消え失せた。



[30262] 一章の一 歩の憂鬱と竜
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:04
 一章



――現在

 歩は盛大にため息をもらした。
セミの鳴き声が所構わず鳴り響いており、ただでさえ高い気温が五度は上がっているような気がする。寝汗を左腕で拭ったが、次から次へと沸いてきりがない。
諦めて黒板を見た。寝てからそれほど経っていないようで、ノートはまだ間に合いそうだ。

「では最後にまた基本に戻りましょう。何度も言いますが、魔物史Ⅲと召喚史Ⅲはそれぞれ細かい生態ばかりを問うているように見えますが、なにより基本部分をしっかり理解していないといけません。両者とも有機的に複雑に絡み合っており、根幹がしっかりしていないとすぐにごちゃごちゃになってしまいますからね」

 担任の中村藤花が熱弁を振るっていた。凹凸の少ない華奢な身体からは想像できないほど、教師としての威厳に満ち溢れた授業をしている。出張から帰ってきたばかりだというのにまるで疲れを見せないのも、教育者として強固な意思をそなえていることを物語っている。
 黒板に走らせていたチョークを止めると、くるりと振り返ってこちら側を見た。

「それでは、先程まで船をこいでいた歩君、『魔物』とはなんでしょうか?」

 しっかり見られていたようだ。下の名前で呼ぶのがこの先生の癖だが、そのおかげか、皮肉も余り嫌みに聞こえない。
 驚きつつも、周りの少し意地の悪い笑みを含んだ視線を無視してゆっくり立ちあがった。

「魔物とは、人と卵生生物を除いたC級以上の生物のことです。社会に害を為すことができるだけの能力を持ち、一般に人間とは相いれません。現在、人間のテリトリーの外でしか見ることはできませんが、時折、テリトリーを侵食してきては、大きな戦争となっています」
「正解です。ただ、授業はしっかり聞きましょう。座ってください」

 ほっとするのと同時に、妙な優越感を抱いて座った。クラスメイトがどこかがっかりしている姿が見えた。

「ではみゆきさん、卵生生物とはどういった存在でしょうか」

 藤花が最前列中央の席に座った生徒を当てた。
 長い髪を散らしながら、彼女は立ち上がった。五年前より随分大人びた姿が目に映った。

「卵生生物とは、私達人間が生まれた時に手にしていた卵から生まれた存在です。生まれる際の状況から召喚獣とも呼ばれますが、一般にはパートナーという呼称が一般的です。姿かたちは魔物とほぼ変わりませんが、命が人とリンクしており、どちらかの命が尽きるともう片方も死ぬという点が大きく違います」
「はいそうですね。ありがとうございます。では、慎一君、それ以外に魔物との相違点はありますか?」

 みゆきが座り、代わりに指名された歩の右隣に座る男子生徒が頬をかきながら立ち上がった。うなりながら、なんとか答えをひねりだしはじめた。

「え、と。パートナーの力が人間にフィードバックされるみたいな、パートナーが強ければ強いほど、人間も強くなるって感じで……」

俯きがちに担任を覗う男子生徒に、教師たる藤花は優しく座ってください、と声をかけた。

「大筋はあっています。もう少し丁寧に言うと。パートナーの能力と召喚者たる人の能力がリンクしています。たとえば、パートナーの腕力が優れていれば、人の腕力も大きなものになり、パートナーの視力が高ければ、人の視力もよくなります。それにより、同じ人間でも全く違った性質を持つことも多いです。このクラスにいる人のなかでも、かなり違いがあることはみなさん知っていますよね?」

クラス全体がざっとうなずいたのを見て、藤花は続けた。

「三人が言ってくれたように、魔物とパートナーは非常に似通っていますが、人間にとっては全く違う存在です。そこを常に忘れないようにしてください。テストにおいて、そこを勘違いさせようとする問題が非常に多いので、相当重要です。テストの後も常に付きまとう問題になるので、身にしみこませてください」

 ちらっと腕時計を見た。歩も壁にかかった時計を見ると、まだ終了まで五分ほど残っている。

「ここで終わりと行きたいところですが、残念なことに時間が余っています。何か質問ないですか?」

 教室に微妙な空気が流れる。質問なんてないから早く終わって欲しいと言いたいところだが、それはできない。誰か手頃な質問をしてくれないかと、みんな思っているのがわかる。歩もその一人だから。

「せんせー、自分いいですかー?」

 声の主は先程の慎一と呼ばれた男子生徒だ。

「どうぞ」
「なら、テストに出てくるとこお願いします! 今度、赤点とったら小遣いやばいんすよ! ほんと、なんでもいいんでよろしくお願いします!」

 どっと笑いが起きた。半分ネタなのだろう、全く悲壮感のない調子に、藤花までも笑っている。
 ひとしきり笑ったところで、不意に藤花が何かを思いついたように目を大きく広げた。
 すぐににんまりという笑みを浮かべて、教卓の端を両手で掴んで前傾姿勢となる。

「じゃあ竜についてでいいわね」

 クラスの空気が一瞬で変わった。やっちゃった、といった感じだ。
 藤花は嬉々として話し始めた。

「やっぱり竜は最高よね。テストで最頻出科目の一つになっているのが、注目度の高さを表してるわ。いわゆる『パートナー』の中でも別格の存在で、他の種族とは一線を画してる最強の生物。全てを踏み抜く膂力! 圧倒的なまでの威力を持つ多彩なブレス! 巨体に似合わぬ俊敏さ! なによりも大空を駆け抜ける飛行能力! 飛べる種族は他にもたくさんあるけど、あの巨体で一、二を争う速度なことは流石の竜! 格言の通り、『竜は飛んでこそ竜。その姿に並び立つものは無し!』」

 目をキラキラと輝かせながら、一人暴走する藤花だが、歩達にとってみれば、面倒なことこの上ない。
 出張が多いことと、ドラゴンに対する有り余る熱意を除けば理想の教師、とは副担任の弁。

「社会的立場は貴族のように高く、竜使いなだけで一生を約束されたに近いわ! その分、竜殺しに狙われる危険はあるけど、それも有名税として帰って名誉なことだわ!」

 竜使いの数あるあだ名の一つに、『貴族』というのが一般的だ。選民意識の高さとその同族意識の高さ、そして一般的な地位の高さがそのあだ名に説得力を持たせている。事実、竜使いになるだけで、一生は約束されたものと同じと思っているのは、人口全体の九割以上は確実だ。
 ただその事実は、歩にとっては憂鬱にさせる。

 うんざり、といった感じで聞き流していると、藤花がキッと歩に目線を合わせてきた。
 叱られるかな、と思っているとすぐに教卓のすぐ前に座っている少女に目線に移った。その少女は堂々としており、いきなり話を振られても全くたじろがない。

「歩君、唯さん! 私はほんとに嬉しい! 私、竜使いの学生を受け持ったことって、担任どころか授業すらなかったのよね! なのにいきなり竜使いが担当のクラスに二人もいるなんて、最高の栄誉だわ! 今度の学年末模擬戦も、楽しみにしてるから!」

 タイミング良くチャイムが鳴った。
 丁度話しの切れ目で鳴ったのが功を奏して、藤花も気付いたようだ。以前、熱中しすぎて五分以上オーバーしたこともあった。

「あら、残念。じゃあ次の模擬戦授業も遅れないように、よろしくね」

 そう言うと、手早く荷物をまとめて出て行った。
 クラスに安堵のため息が木霊する。
 歩もため息を漏らしたのだが、それは一段と重かった。今の話は、歩にとってどこか皮肉に感じてしまう内容だったからだ。
 机の上でうなだれていると、先程歯切れの悪い返答をした男子生徒の声が聞こえてきた。

「さっさと行こうぜ。相方のお迎えもあるし」
「ああ、慎一」

 彼の名前は岡田慎一。クラスの中では比較的仲のいい男友達だ。
 はあー、と再度重いため息をついて立ち上がる。
 歩の様子を見たのか、慎一が苦笑まじりに言った。

「まあ、おつかれ」
「さんきゅ」

 ここでぐだぐだしてても仕方がない。
 パートナーを迎えに行くか。



 歩達が向かったのは、教室と対になるようにして建てられた校舎だ。デザインや色はほとんど変わらないのだが、高さも横幅は倍ほどもある。そこは学生達が授業を受けている間、パートナーの待機室はある。
 二人は、二つの校舎を繋げるように作られた橋を渡っていた。歩達のクラスだけでなく、他のクラスの人達もいるため、かなり混雑している。

「あー面倒」
「そうだなーもうちょい広くつくってくれりゃよかったのにな」

 ぶっくさ言いつつも、流れに任せて進んで行く。
 そう経たない内に中に入れた。
 入口から横にだだっ広い廊下が広がっており、ところどころに巨大な横に引く形式のドアがある。人間用の体育館が横にいくつも連なっているような感じだ。
 歩達は迷うことなくその中の一室に進んで行った。

 そこには、様々な生物の姿があった。
 犬、猫のような比較的シンプルな動物から、妖精、ユニコーンまで、外見の変化は多種多様。似たような犬型でも、目の色、数、尾の形など、ところどころの差異も多い。
 目の端に、自分達に向かってくる姿が写った。心地よいリズムで駆け抜け、慎一の前で腰を下ろしたのは、少し大きめの狼型。青い目は二つ、毛並みのいい尾は一つ、健脚そのものといった四脚と、シンプルな造形だ。

「おう、マオ」

 慎一はそれだけ言うと身をかがめ、マオと呼ばれた狼の首をわしわしと撫で始めた。
気持ちよさそうに目を半目にしているマオと、嬉しそうにそれを眺めている慎一の姿に、歩は微笑ましさと同時に羨ましさも感じてしまった。
 一通り撫で終わると、マオは歩の方をぷい、と向いた。
 そして飛びかかってきた。

「おい、マオ! あぶねえよ! 舐めるな!」

 体長一メートルはあろうかという狼を、危なげなく受け止めたのだが、顔は舐められっぱなし。歩の言葉などどこ吹く風という様子だ。手足をばたつかせ、尻尾をはちきれんばかりに振り回している。
 一向に止める気配はない。

「おい、慎一! いい加減やめさせろ!」
「そんなこと言いながら、内心喜んでるくせに」

 確かにそうだ。多少不満は残るが、こうして全身全霊で喜びを表現されるのはどこか嬉しい。
 それでも口だけは不満げにしておく。

「いや、あぶねえから。普通こける」
「お前なら大丈夫だろ。一応、体力だけは学年でも一、二争ってんだからさ」
「……その言い方、なんか気になるな、おい」
「気のせいだ」

 慎一がちらっと壁にかかった大時計に目をやった。

「マオ、やめ」

 掛け声と同時に、マオはびたっと舐めるのをやめ、お座りをする。相変わらずの忠犬っぷりだ。

「ほら、相方呼んで来い。時間もあんまないし」

 誰のパートナーのせいで時間がなくなったのかと言いたいところだが、時計を見ると、そんな時間ももったいなく感じた。
 マオの頭を軽く一撫でしてから、部屋を見回した。部屋の端当たりで、身体よりも大きなクッションに身体を埋める姿が見えた。

「おい、アーサー」
「ここにおる」

 帰ってきたのは、渋い声。だが、そこには迎えに来いという感がひしひしと伝わってくる。
 辟易しつつ、迎えに行った。
 迎えに行った先にいたのは、黒い竜。角が鈍く光り、緑色の目が輝く、流麗な造りをした、藤花が絶えまなく愛情を注ぐ種族の竜だ。
 だが。

「ほら、肩を貸せ」
「はいはい」

 アーサーは翼を二、三振ってから飛び上がると、歩の肩に乗った。
 その小振りな身体は、歩の肩でも十分に止まれる。

「お前さ、いい加減自分で飛べよ」
「ふん、それほど重くもないのだからいいだろう?」

 アーサーは五年前からほとんど成長していない。肩にのられても、歩の動きに支障はない。
 この五年間で、同級生達のパートナーは大なり小なり身体を伸ばしていき、人の何倍もの速さで大きくなた。慎一のパートナーであるマオも、生まれた時は卵大だった。
 歩のパートナーだけが時から取り残されているようだった。
姿の変わらない小さな竜。
 それがアーサーと言う名の、歩のパートナーだ。

「ほら、行くぞ」
「うむ」

 ひとまず、走って慎一達のところまで戻ると、慎一が苦笑しながら話かけた。

「おう、相変わらず偉そうだな」
「我は偉大なる竜だからな。多少偉ぶるのも威厳故、仕方なかろう」

 歩はため息をついた。

「そんなに竜のこと誇ってる癖に、なんで他の竜のこと苦手なのかね。これまで何度か見る機会があったってのに、全部拒否しやがって」
「ふん、竜の高貴なる姿など、我を見ておればよい。お前のことを思って」
「はいはい」

 このパートナーは、竜のくせに他の竜を苦手とするのだ。新聞やラジオでも、竜の話題となると途端に嫌がる。
 全くもって、変な竜だ。

 アーサーが不満げに口からマッチのようなささやかな炎を吐いた。
 それを見て、慎一が苦笑しながらなにやら取り出した。

「そんなお前にプレゼント」

 慎一が取り出したのはジャーキー。真ん中を綺麗に裂くと、片方をアーサーに向かって投げた。
小さな両手で器用に受け取ったアーサーは、途端にかじりはじめた。目を輝かせてただ目の前のジャーキーをかじる姿は、どこか可愛らしい。
 その姿を満足そうに見つつ、慎一は残った片割れを自分のパートナーに差し出していた。こちらも大きな体で嬉しそうに噛みついた。

「あんまりあまやかすなよ。肩に乗せるこっちの身にもなってくれ」
「まあまあ。こん位いいじゃん」

 軽くたしなめたが、慎一はまるで聞いていない。
 そうこうしている内に、ジャーキーを堪能したアーサーが口を開いた。

「相変わらず気が利くな。歩もそういうところ見習ったらどうかの?」
「はいはい、さっさと授業行こうか。着替えもあるしな」

 ひとまずアーサーは無視し、マオが満足気に鼻を舐めているのを横目に確認してから言った。慎一も「そうだな」と答えてから、足を外に向けた。

「午後は普通の模擬戦だったか。まあ我の出る幕もなかろう」

 腹が満たされてご機嫌な相方を尻目に、歩は肩がいやに重く感じた。



[30262] 一章の二 いつもの模擬戦
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:05


 二人と二体はグラウンドにやってきていた。容易に巻きあがる砂を敷き詰めただけの、だだっ広い簡素な運動場だ。
 周りを見渡すと、皆同じ服に似たような武器を手にした同期達が談笑している。ところどころに衝撃吸収用のパッドを埋め込んだ、黒一色の変わり映えのない戦闘服だ。

 その隣で思い思いに過ごしているのはパートナー達。ただし、牙や爪といった先のとがったものには頑丈な革製のサポーターが被せられており、模擬戦に備えた準備がされていた。勿論、人の持つ剣なども、金属製のものは刃引きされたもので、歩が左手に掴んでいる身長より長い棍棒も、本来なら穂先に刃が付いて槍となる代物だ。

 時計を見ると、まだ開始時間には三分ほど残っていたのだが、秒針が三十回も刻まない内に担任の藤花の声が聞こえてきた。

「それでは、始めます。はーいそこ、始まったよー」

 藤花がぱんぱんと手を叩いて沈黙を促すと、あっという間に喧噪が止んだ。

「いつもどおり、クラス毎に分かれての模擬戦です。ウォーミングアップと柔軟が終わったら、各自の集合場所に集まること。では、外周を始めてください」

 藤花が一度、パンと手を鳴らすと、それを合図にバラバラと走り始めた。歩もクラスメイト達の流れに任せて走り出した。
 一周一キロになるように引かれた白線の円を淡々と進んで行く。歩の体力は学年でトップクラスなのだが、ウォーミングアップでやる気を出すほど感心な生徒ではなく、結局集団の最後尾の辺りから動くことなく走り終えた。それから屈伸、前屈など一通りのストレッチを手早く済ませた後、慎一と分かれて自分のクラスの集合場所に向かった。

 クラスといっても、授業を受けたりするクラスとは別のもので、一般に模擬戦における能力の差によるものだ。学年辺り四百名程の生徒を十クラスに分け、一クラスに四十人ほど配分される。授業の模擬戦では、数クラスまとめて行われるため、歩の前にいるのは十五名ほどだ。
 ちなみに、歩が所属するのはAクラス。一番上のクラスだ。
 ただし、成績はダントツの最下位だ。

 そこにいる面々のパートナーを見渡す。歩の何倍もの背丈を持つ剛腕の巨人型や、大きな翼を持ち、圧倒的に優位な上空から仕掛けてくるグリフォン型。身体能力はそれほど高くないが、伸縮自在の身体を持ち、相手を選ばないほどの応用力を持つ精霊型。どれも卓越した戦闘能力を持つものばかりだ。

 一方の歩のパートナーはというと、間抜けに大口を開けて欠伸をしている小さな竜。一緒に鼻から出るかぼそい炎がせめてもの威厳なのかもしれないが、ぼそっと消えると、それもただ儚いだけだ。
 模擬戦において、この小竜が役に立つわけもない。

それなのに歩達がAクラスに在籍しているのは、歩が超絶な身体能力を持ち合わせて、怪物達と対等にやりあえるから、というわけではない。
アーサーが竜だからだ。
竜は基本的に圧倒的なまでの膂力を持ち、在籍するのはAクラスもしくは、特別クラスが用意される。実際、同じクラスのもう一人の竜は、模擬戦に参加していない。一般の竜にはそれほどの大きな威光があるのだ。

歩にとっては、裏目に出ているだけの憎たらしい制度でしかないが。実力でクラス分けされたらどのクラスに配属されるか、という疑問がしばしば頭に浮かんでくるが、考えてみようとも思わない。みじめになるだけだ。
 歩は考えれば考えるほど、ドツボに嵌っていっている気がした。

 ため息を吐いていると、藤花の声が聞こえてきた。模擬戦においてAクラスを受け持っており、ここでも歩の担当となっている。
 隣には彼女のパートナーである、ユウがいた。巨大な狼の輪郭に炎を纏った姿は、周囲を圧倒して余りある。彼女達が戦闘にも長けているのはその姿だけでもわかった。

「はい、皆さん揃いましたね。それでは始めましょう。ただ、明後日には学期末模擬戦が控えています。無理をしないようにお願いしますね。いつにもまして、最後の一撃の寸止め等は気をつけるように。どんどん回していくので、そちらも気を付けてくださいね」

 そういうと、今日の対戦表を近くの壁に貼った。遠目に見ると、いくつかある第一試合の欄に自分の名前があった。
 相手の名前は……前のやつの頭が邪魔で見えない。
 隙間から見ようと、頭を軽くずらそうとした時、不意に肩をたたかれた。

「一戦目、私達みたいね。よろしく」

 みゆきだった。
 長い髪を頭の後ろで結わえ上げて、腰には一番扱う人の多い両刃の剣をさしている。無骨な戦闘服のはずなのに、妙に似合っていた。全く面白みのないデザインを書かされた人も、彼女の姿を見ればいい仕事をしたと思うかもしれない。

「よろしく」
「アーサーも、よろしくね」
「ふむ、良き戦を」
「じゃあ、行こうか」

 みゆきは顔に冷たく感じさせない微笑を浮かべると、一番近くにあった白線の中に入って行った。その姿は凛としており、出会ったころの気弱な姿はまるでない。
後ろに従えているのは、歩も誕生の瞬間を見た精霊型のイレイネ。大きさはみゆきと同じ程度まで成長しており、形だけ見れば、もはやみゆきそのものという感じだ。流したままにした長髪に、月桂樹の葉をより束ねたような冠を付け、身に纏っているように見えるのが、一枚布の絹をくりぬき、腰の帯で縛った――つまるところ、古代の女神のような装束なため、遠い先祖が隣にいるような、そんな錯覚を覚える。

「おい、歩。行かぬのか?」

 アーサーに促され、慌てて歩も後に続く。
 気を引き締めないといけない。みゆき達は、見た目とは裏腹に、学年で五指に入るほどの実力者だ。模擬戦ではいつもトップ争いをしている。
中央まで歩いていき、二本引かれた白線の片側に立った。
 すぐに藤花も中に入ってきた。傍らにはパートナーを従えている。

「それでは、注意です。装備はちゃんと整えましたね?寸止めを心がけること、無理はしないこと、ちゃんと心得てますね?一応、危険を感じたら止めに入りますが、それでも十分に警戒してくださいね」

 歩とみゆきが頷くと、藤花は少し後退した。アーサーが飛び上がったのを確認してから、歩は腰を落とし棍棒を構えた。

「それでは怪我に気を付けて。始め!」



 開始の合図とほぼ同時に、イレイネが仕掛けてきた。
 開幕の一撃は、左腕を伸ばしての突きだ。まるで、空手の演武のように、その場で突きだされた左腕は、そのまま細く、長く伸びていくことで、歩に襲いかかってくる。先の部分のみを圧縮、硬化することで十分な威力を持たせており、シンプルに見えて凶悪な得物になっている。不定形であるが故の業だ。

 歩は、棍棒を一閃。突くことが主眼ではあるが、棒部分を用いた払いでも防御には十分だ。
 飛んできた手首の辺りに衝突させ、呆気なく散らせた。地面にぼたぼたと飛散したのだが、地面で蠢いてイレイネの元へ戻って行くのが目に入った。身体から離れた部分も操作できるため、いくら散らそうとキリがないのだ。

 一応の警戒のため、地面にちらばるイレイネの破片を避けるように動きつつ、次々と襲いかかってくる突きを避けていく。右に左に、身体をぶれさせ、的を絞らせないと同時に前へと進行。序々に距離を詰めようとするが、相手もそれに合わせて体を動かし、決して距離を詰めさせない。
 イレイネが仕掛け、みゆきも寄り添う形で一緒に動き、なんとか離れまいと歩が追い掛ける、鬼ごっこの様相を呈していた。

 傍目には、鬼たる歩が劣勢に見えるが、それほどではない。幾度となく手合わせしてきた結果、歩は一撃を喰らうことがほとんどない。伊達に一人で怪物達を相手にしてきたわけではないのだ。主導権は握られてはいたが、破局は全く見えない。

 勝負が決するのは、みゆきがこのペースをいつ崩して来るかだ。お互いに決め手を欠く今、主導権を握るみゆき達がどう仕掛けてくるか、その勝負だ。
いつもはイレイネの動きに合わせてみゆきも仕掛けてきて、すぐに勝負がつく。他の同級生はパートナー任せで、人間はほとんど参加しないことも多いのだが、みゆきは時を見て一斉にしかけてくるのだ。その時が勝負を決する時で、歩は如何にそのときに状態を安定させられるかが鍵なのだ。

 いまかといまかとその時を待っていると、不意にみゆきが声をかけてきた。

「歩、新技試したいんだけど、いい?」

 少し茶目っ気のある笑顔を浮かべる。実戦にはそぐわない行動であることと、変に律儀なみゆきの言動が重なり、思わず苦笑してしまう。
 どうぞと答えると、これまで退く一方だったみゆきが単独で仕掛けてきた。

 これまで後ずさりするように下がっていたのが一転し、みゆきが前方に身体をはねさせてきた。一瞬で距離を縮めると、手にした剣を振るってきた。
 歩は余裕を持って棍棒で受ける。人同士のタイマンであれば、歩はまず引けを取らない。
 そのまま二度、三度と撃ち合うが、振るってくる剣にはさほど力が込められていなかった。簡単に防げる。

 四度まで受けたところで、歩は動いた。
 大きく剣を払った後、さっと穂先を向け、出来る限りの速度の突きを見舞う。
 一度で決めようとせず、二度三度と突く。息もつかせないよう、余裕がなくなるよう、追い詰めるように突き、引き、また突きを繰り返す。
 みゆきはなんとか避けるが、序々に剣で受けることが増えてくる。後退し始めるのに、そう時間はかからなかった。

 みゆきが一度足を引いた時点で、歩は詰めず、その場で棍棒を振り被った。
 全身の筋肉を引き絞り、すこしだけ助走をつけ、渾身の横薙ぎ。
 足の浮いたみゆきに避けることはできなかった。
 剣越しに、衝撃が突きぬけたのがわかった。そのまま力を込め、みゆきを吹き飛ばす。

 みゆきの身体が砂地に線を描くのを傍目に、歩はイレイネを注視したが、突っ立ったままでまるで動きが見られなかった。みゆきとの剣戟の間も注意を払っていたのだが、新技はどこにも見られなかった。みゆきと歩が端にタイマンするだけなら、歩の有利は揺るぎない。一人で仕掛けてきたのだから、なんらかの仕込みをイレイネがしているのではと思ったのだが――
 このまま一気に勝負をつけるべく、みゆきに向かって地を蹴ろうと足に力を込めたとき、アーサーの声が響いてきた。

「歩、周囲警戒!」

 見回すが、何も見えない。聞こえない。臭わない。
 ふと唇がべとつく感じがした。こころなしか湿気が高いのか。

なにか違うと思い始めたころ、
 ぽつり、なにかが浮かんでいる。
 目を凝らすろ、空中に雨粒が浮いているのがわかった。
 それは――イレイネの新技か!?

「大分コントロールができるようになったね」

 身体から離れたパーツもコントロールはできることは知っていた。ただ、量が違う。目に見えぬほど薄い状態から、次々と生まれ、膨れ上がり、空間を満たしていく。
 そこでイレイネの身体がいつもの七割ほどまで縮んでしまっていたのに気付いた。気取られぬよう、ゆっくりと身体を細分化し、空中に仕込ませていたのだろうが、見事としかいいようがなかった。

「イレイネ、行きなさい」

 みゆきの合図と共に、雨が降ってきた。
 歩の身体向かって収束するように、雨あられと降り注いでくる。
 歩は反射的に両腕で顔を庇ったのだが、その上から絶え間なく叩き続けてきた。
 威力はさほどでもない。小石を投げ付けられた位のもので、日々鍛えている歩にとっては、一つ一つはどうとでもなるレベルだが、量が違った。身体の至る所を殴りつけられるような状況だ。少なくとも、目や鳩尾といった急所となる部分は晒せない。

 ただ耐えていると、腹のあたりに重い衝撃が突きぬけた。
 地面の感触が消え、雨の感覚がなくなったかと思うと、今度は背中ががりがりと削られる。ほこりの匂いがして、砂利を含んだ地面の上を滑っているのがわかった。
 身体が止まると同時に、すぐ起き上る。見えたのは、足を振り上げたイレイネの姿。腹を蹴られたのだろう。
 と、首元に冷たいものが突きつけられた。

「降参?」

 両手を上げると、すぐに冷たい感触が消えた。振り返ってみると、みゆきが剣を納めていた。素早く回り込んでいたようだ

「どう?」
「驚いたよ。一つ一つはそれほどじゃないけど、いきなりやられると頭が真っ白になるね」
「慣れるまでは、拘束できそうだね。感想、後でもう少しおねがいしていい?」
「全身ねらうより、頭とか目とか一点集中で狙った方がいいかもね。感想の件はいいけど、イレイネは大丈夫なのか?」

 みゆきの隣にいるイレイネの身体はいつもの八割ほどまで縮まったままだ。あの技は大分負担をかけるようだ。

「まあ水飲めば戻るしね。馴染むまでには時間かかるけど、特に辛いってわけでもないみたいだし。まあ、感想考えといて」

 歩が頷くと、藤花のおつかれさまでした、という声が聞こえてきた。
 その場を離れ、次の人に受け渡す。そのまま、みゆきの隣に座りこんだ。

「ふむ、なかなかであったな」
「ありがと」

 空中から降りてきたアーサーがみゆきに言った。
 歩がふ~っと息を吐くと、アーサーが声をかけてくる。

「それにしても情けない。あっさりとやられおって」

 少し頭に来た。

「うるさいな。そんな口叩くならお前も役立てよ」
「技を見抜き、警戒を促したのは誰だ?」
「口動かしただけじゃねえか」
「ふん、喉を動かしただけ有難いと思え。我の手をわずらわすなど、百年早いわ」
「生後五年が何言ってんだ」
「年月などただの目安に過ぎぬよ。何より、お前には、だ」
「それなら百年早いも意味ないだろ。一体、お前は何様のつもりなんだよ」
「アーサー様だ。竜の中の竜である」
「竜のこと苦手な癖になに言いやがる」
「はい、そこうるさいですよ。なんなら、私達の個人授業受ける?」

 藤花の声に反応し、隣で睨みを聞かせている彼女のパートナーを見た。ユウと言う名の、燃える巨大な狼。その威圧感は、間違いなく一級。
 歩とアーサーはあっさりと黙った。みゆきが吹き出すのが見えた。



[30262] 一章の三 無邪気な子供と竜
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:06
 夕日が目に染みる。目だけでなく、怪物達から受けた傷にも染みる気がした。
 みゆき、イレイネとの模擬戦後、巨人、ユニコーン、グリフォンなど、大型のパートナー相手が続いてしまい、身体のふしぶしが痛い。歩く振動で肌がひきつる感触がある。

「はあ」
「おつかれさまでした」

 みゆきの慰めもなんだかむなしい。ようやく一日の授業が終わったというのに、辛気臭いため息をついてしまう。苦笑いしているみゆきには申し訳ないが、自分の肩に乗った馬鹿を見ると、泣きたくなる。

「我は空腹である。あそこの肉まんなどいいのう」
「よだれ垂らすなよ」

 よだれを垂らしそうになっているアーサーは、歩とは対照的に無傷だ。たまに口を出す程度で、ただ飛んでいただけだから当然だ。
 その能天気な姿を見ると、パートナーとはなんなのかと今更ながら考え込んでしまう。みゆきの三歩後ろで粛々と従っているイレイネを見ると、余りの落差に本当に泣きたくなってきた。

「家まで我慢しろよ」
「嫌じゃ」
「酒飲ませんぞ」
「何の権限があって左様な外道を!」
「五歳にゃまだ早い」
「法律では我に飲酒制限はないぞ?」
「自分から飲みたがるパートナーなんて普通いねえだろ」
「まあまあ。私がおごってあげるからさ」

 隣で歩いているみゆきが言った。

「みゆき、甘やかすなよ」
「まあまあ。私も小腹が空いたしね。分けてあげる位ならいいでしょ?」
「本当か!? なら、あそこの肉まんがいいぞ!」

 『あそこ』とは、アーサーお気に入りの駄菓子屋のことだ。風体は昔ながらの駄菓子屋ながら、中身はというと、駄菓子は勿論、肉まんをはじめとした軽食類、野菜、酒、挙句の果てには花火や武器の類まで扱っている。営業時間も昼夜を問わず、寝静まった深夜でも、多少の色を付ければ店を開いてくれるという、よくわからない店なのだ。
 丁度、学校から歩の家までの帰途にあり、今も五百メートル程先に見えている。

「こうしちゃおれん! 早くいくぞ! 肉まんが我を心待ちにしておるわ」
「よく肉まんの気持ちがわかるな」
「早くいくぞ」

 歩のツッコミにもまるで反応せず、アーサーは飛んでいってしまった。

「追わないの?」
「あそこのおっちゃんも馴染みだから、勝手にしてくれるだろ」

 みゆきは少しだけ苦笑の混じった微笑を浮かべている。

「それにしても、無理しすぎだったね。そんなに傷一杯作っちゃって、藤花先生怒ってたよ」
「……言うな。アーサーと一緒に震えあがらされたんだからさ」

 怒った藤花は本気で怖い。もし学期末模擬戦が明後日でなかったら、藤花とパートナーによる個人授業ことしごきが待っていただろう。
 怖いものなしに見えるアーサーも彼女達は苦手なようで、積極的に関わろうとはしない。闘争心がかきたてられる己が怖いのだ、などとうそぶいていたが、半ば怯えている様子は消えなかった。特に、藤花のパートナーに苦手意識があるようだ。
 みゆきは笑った。

「相変わらず仲のいいことで」
「どこがだよ」
「二人揃って先生怖がってた姿とか。それに言いあいできるのは仲が良い証拠でしょ?」
「お前らみたいな阿吽の呼吸の方が羨ましい」

 本日、何度目かわからないため息をついた。藤花のドラゴン話からこっち、気落ちすることばかりだったように思えた。

 なんとなく町を見回してみる。人間と多様なパートナー達の営みが目についた。
 足早に帰途につく学生、なめした竹で作った買い物袋をさげる主婦と思しき女性、威勢よく呼び込みをかける売り子の兄さん。
 学生の足元では、ピンと背筋を伸ばした猫が寄り添って歩いている。主婦の頭上では、四足の鳥が少し小さめの買い物袋をくわえている。売り子が威勢よく呼び込みをしている後ろで、サンタクロースのような可愛らしい小人が、陳列した野菜を丁寧に並べ直している。

 歩達が今歩いている道を見ても、そこかしこにパートナーの存在が見えた。そもそも大型のパートナーも通れるように作られており、砂地の道路を見るだけで、パートナーの息吹を感じられる。
 横を大型の牛車が通り抜けていった。巻き上がった砂に苛立ちつつも、角をそびえ立たせた巨大な牛が引きずる荷台には、『最大積載量十トン』と書かれているのが見えた。

 本日何度目かわからないため息をついていると、いきなり肩がもまれ始めた。振り返るとイレイネがすぐ後ろにいることに気付いた。歩がぼんやりしているのが心配なようで、眉を曇らせている。
 それでようやくみゆきとイレイネほったらかしで、もの思いにふけていたのに気付いた。みゆきは、優しげだがイレイネとそっくりの顔をしており、表情が似ていると、双子を見ているようにしか見えなかった。
 自分の不明を恥じつつ、言った。

「それにしても、イレイネはいい子だな」
「アーサーも可愛いと思うよ? 素直で」

 素直というより、我がままでガキなのではないかと思ったが、そのことを口にはしない。

「性格は諦めてるけど、せめて模擬戦で少しでも役に立ってくれればなあ。どうも辛い」
「歩は一人でも十分戦えてるじゃん。Aクラスのパートナー相手に人間だけで勝ててるんだから、自身を持っていいんじゃない?」
「十回に一回も勝ってないんだけど」
「それだけでもすごいよ。今日だって、私、すぐにやられちゃったし」

 確かに、人間相手のタイマンではまず負ける気がしない。模擬戦の度に強力なパートナーと張り合わないといけないということがあり、日々鍛えている。その成果もあってか、人間としての身体能力はそれなりの自負があった。

「先週は一撃で巨人倒したりしてたし。あれどうやってるの?」
「巨人とかは皮膚と筋肉ぶ厚いからな。避けながらだと大したダメージになんないから、一撃にかけるしかないってだけ。捨て身でやってる分、うまくいかなかった場合は反撃喰らって即終了なんだよ。今日特に傷だらけなのは、そればっかやってたからってのもあるしな」

 思い返してみると、今日は少し自暴自棄になっていた部分があった。少し頭が冷えてきたようだ。
 みゆきが呆れたように言った。

「十分すごいって。捨て身の一撃なんて、よほどの度胸がないとできないよ」
「そうかねえ」

 そうこうしている内に、アーサーが飛んで行った駄菓子屋に着いた。
 中に入ると、すっかり馴染みになっている店主の顔が見えた。少し白いものが混じり始めたおじさんで、気が良く、アーサーが勝手にツケても快く受けてくれる。
 軽く会釈した後、声をかけた。

「アーサー、食べました? どこ行きました?」
「いや、まだだ。とりあえずこれだろ?」

 店主は首を振り、歩に肉まんの入った包みを渡してきた。慌てて代金を渡す。
代金を受け取った店主は、何も言わず店の奥の方で小山になっている学生達の人だかりをさした。制服から見るに、おそらく歩も通っていた小学校の生徒であろう。身体の大きさからして、小学五年生といったあたりか。
 乱雑に積まれた菓子の山を脇に通り抜け、近寄って行くと、小学生達の甲高い喧噪の間から、アーサーの声が聞こえてきた。
 いつも通りの尊大な口調ながら、どこか優しげに聞こえた。

「そんな無茶をするでない。我はモノではないのだぞ」
「うわ~すげ~」「本物の竜だぜ? 角かっけー」「馬鹿、翼のほうがかっけえよ」

 全身を無遠慮に触られている。角を撫でまわし、翼をぱかぱかと広げて閉じるを繰り返していたり、尻尾をひっぱったりされているのだが、怒気を発していないところを見ると、子供に対しては甘いようだ。意外だ。

 小学生達の興奮は冷めやらない。目は爛々と輝いており、頬を上気させている姿を見ると、なんだか自分が年をとった実感が湧いた。

 一番前で、最も興奮していた少年が言った。

「ねえねえアーサー、俺のパートナーも竜だったりしないかな?」
「それよりも竜使いとなり何を望むかが重要だ」
「俺、軍に入りたいんだ。やっぱり軍隊っていったら、パートナーが重要だろ? ねえ、俺のパートナーが竜の可能性ってある?」
「皆もそうか?」

 結構な人数の学生が頷いた。やはりパートナーと共に闘う、というのは男の夢の一つなのだろう。歩もなんとなくわかる。
 アーサーはすこし考え込んだ後で答えた。

「可能性はあると思うぞ。実際、卵が孵ってみないことにはわからんからな」
「何言ってんだよ。竜が生まれるかなんてほとんど血筋だろ」

 冷えた声が聞こえてきた。声の方を向くと、アーサーを取り囲む輪から、離れた場所に座っている少年がいた。ただ一人輪から外れ、群がる同級生達を小馬鹿にしているように見えた。
 先程一番に質問をした少年が笑いながら言った。

「何言ってんだよ。アーサーは一般人のパートナーって今さっき言ってただろ。普通にあり得るって」

 冷めた少年は、嘆息した。重く、どこか呆れた感のある、絶望感が伝わってくる声音だ。

「血筋じゃない竜使い、全国でどん位いるか知ってる?」
「百人位じゃない?」

 冷めた少年はつぶやくように言った。

「五人」
「えっ?」
「だから、五人。三世代さかのぼっても竜使いがいないのに、当人だけが竜使いの人。世界の人口一億人の中で、代々竜使いばかりを輩出する貴族の家系で千人、親戚に竜使いがいる人で二百人。全く関係がない突然変異は五人だけ」

 場の空気が一気に冷えこんでいった。アーサーの回りで起こっていた熱気は昇華され、胡散霧消してしまっている。

「ざっと計算して、十年に一人位。まず無理だよ」

 一番興奮していた少年は、なんとか反論しようとしていたが、何も浮かばないらしく口をもごもごさせるだけで、言葉が出てこない。それ以外の同級生も皆同様だった。
 全員が押し黙り、背筋に流れる汗が感じられる空気が続いた。

その空気を裂いたのは、アーサーだ。

「貴公はそんなに竜が好きか?」
「へっ?」

 突拍子のない問いに、少年の口からすっとんきょうな音が漏れた。
 アーサーは何も聞こえなかったように、厳かに続けた。

「それほど詳しいということは、相応の熱意を持って調べたということであろう? つまりは、それだけ竜に対する思いを抱えていたということだ。違うか?」

 冷めていた少年の顔が真っ赤になった。図星なのだろう。
 続いて、アーサーが何を言うのかと全員が見守っている中。
 いきなりアーサーは頭を下げた。

「感謝を言わせてくれ。それほどの愛情を注いでくれて、竜としてなにより頭が下がる思いがする。ありがとう」

 意外だった。あのアーサーが、心から人に頭を下げるところを見たのは初めてだ。歩が見ていないところでもなかったのではなかろうか。
 それに竜に対してこれほど愛着があるとは。他の竜と対面することはおろか話題さえも避けるのに、竜のことは好きなのか。わけがわからない。

 アーサーが頭を、それも初対面であろう少年に下げている。
驚きだ。

誰も反応できないでいると、アーサーがすっと頭を戻した。その顔は、いつになく真剣なものだった。

「ただ、竜にこだわることはやめよ。竜でなくとも、竜を超えることは可能であろう。確か、我らが国の第一陸戦部隊隊長は竜使いではなかったように覚えがある。困難は伴うが、竜でなくとも竜以上の力を得ることは可能だ。それを目指せ」

 小学生達は黙りこんでしまった。何を答えればいいのか、どう受け止めればいいのか、よくわからないのだろう。熱気のあった少年も、冷めた少年も、等しく黙ってしまっている。
 そのまま一分ほどが過ぎたころ、アーサーが歩に気付いて声をかけてきた。

「おう、来たか」

 小学生達の視線が一斉に歩に向けられた。
 驚きと羨望と、淡い嫉妬が入り乱れたが、すぐに別なものに変わった。

「ああ」
「では帰るか」

 翼を上下に羽ばたかせ、歩のところまで飛んでくると、肩に乗った。
 ふと、一番の熱気を持っていた少年が怪訝そうに尋ねてきた。

「お兄さん、高校生?」
「ああ、高二だ」
「ってことは、アーサーこれで生後二年経ってるってこと? なら、アーサーってE級?」

 人間以外の生物は五段階にランク分けされている。
 A級は竜。B級は天使族、悪魔族、機械族が振り分けられる。C級は上記以外で、社会にダメ―ジを負わせることが可能とされるA級でもB級でもない生物。D級は、一般に食肉や卵、毛等を採取するための家畜のことだ。
 そして、E級とは、生後五年経っても身体が三十センチ以上に成長しなかった生物を指す。
 一般に流布する俗称は失敗作。文字通りの意味だ。

 一週間前、アーサーはE級と判定されていた。

 場が一気に白けていくのがわかった。「何だE級か」「竜じゃねえじゃん」「つまんね、帰ろ」など次々と聞こえはじめ、ぞろぞろと連れだって外に出て行った。先程の少年二人が慰め合うように一緒にいたのが、妙に目に残った。
 あっという間に、誰もいなくなった。残ったのは、歩とアーサー、みゆきとイレイネ、そして店主だけだ。
 歩はなんと声をかけていいかわからない。自分が近寄らなかったら、こういうことにならなかったのではないか、という思いもあり何をするのも躊躇われた。

「肉まんあるか?」

 アーサーに言われて、手に持った肉まんを思い出し、何も考えずに持ち上げた。持ちあげてから、冷めてしまっていることに気付いた。

「あ、冷めてるから……」
「ふん、かまわん」

 アーサーは掴むと猛然と食べ始め、すぐに平らげた。
 アーサーが物足りなそうにしていると、横から温かい肉まんが差し出された。見ると、店主が傍までやってきて手を伸ばしてきている。

「ほら、食え。俺のおごりだ」
「いいのか?」

 店主の首肯を見てから、アーサーは手を伸ばした。再び猛然と胃に納める。
 食べ終えたア―サ―がいつもの調子で言った。

「帰るぞ、歩。別にそこで呆けていても構わんがの」

 いつものアーサーだ。へこんでいる様子は一切見られず、すこしほっとした。

「そうだな。帰るか」
「うむ、さっさと帰るぞ。時間ももう遅い。足早にな」
「なんだそれ。走れってこと?」
「当然」
「お前が飛んだら、その分楽になるんだが」
「ふん、我が身を左様なことに使えるか」
「俺をなんだと思ってんだよ」
「下僕だ」
「まあまあ二人とも」

 みゆきが間に入ってくれるのもいつも通り。
 店主に礼を言い帰途についた。
 空はもう真っ暗になっていた。



[30262] 一章の四 歩の中の竜
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:06


「ただいま」
「帰ったぞ」

 歩とアーサーは家に帰りついた。
 あの後、アーサーといつものように軽口を叩き合い続けた。
 途中でみゆきと別れてからもそれは続き、家に入る前まで結局やむことはなかった。

「お帰り」

 玄関を通り過ぎ、リビングに行くと、母親はグラスを既に傾けていた。テーブルの上には、半分ほど減ったウィスキーの瓶が置いてある。
 その母親が怪訝そうに言った。

「あれ、みゆきは? 帰ったの?」
「ああ」

 半年ほど前まで、みゆきはこの家に住んでいた。事情は結局教えてもらっていないが、養子のような形にしていたらしい。突然できた妹のような存在に戸惑ったが、一緒に暮らす内に逆に世話をやかれるようになり、最終的には姉のような妹のようなよくわからない状況に落ち着いた。
 ところが一年前、みゆきは突然独立する旨を言い、外に出て行った。といっても仲違いしたわけではなく、ただ単に独立したかっただけらしい。金銭はみゆきの親類からもらうものがあったらしく、特に苦労していないと言っていた。類は寂しがったが、結局は快諾し、親子三人+三体の生活はそこで終わった。

「そうか、残念。いっぱい作ったんだけどね。来るんじゃないかなーと思ったんだけどな」
「まあ、そう言うなって。週末一緒に飯食ってんじゃん」

 ただ、類は交換条件として、みゆきに週末は家に来てご飯を一緒にとるように言いつけた。それはみゆきも快く承諾し、週末になるとみゆきがこの家に来て泊まっていく。みゆきの部屋もずっとそのままにされており、家族の一員であることは変わりないように思えた。
そういった経緯も重なり、歩にとってみゆきは、姉であり、妹であり、同級生である、といった感じだ。

「ってか、酒飲むのはええよ。まだ七時だぞ」
「お固いこといいなさんなって。飯はもう作ってあるから、着替えてこいや」

 台所を見ると机の上にはもう準備がしてあった。後はよそって温めるだけ、といった感じだ。
 歩は急いで着替えてくることにした。
 ちなみにアーサーはというと、酒を見た瞬間、肩口から消えていた。

「これは母上殿。我が杯の用意はあるか?」
「もっちろ~ん、飲み友だもんね。ほれ、駆けつけ一杯」
「これはかたじけない」

 早く戻って来ないと、早々に飲兵衛ができあがってしまいそうな気がして、自室に向かう足を速めた。
 バッグを放り、楽な服に着替え、リビングに戻るまでの時間はおよそ二分。
 それでも遅かったらしく、歩が戻ると、アーサーは出来上がっていた。

「おーい、こっち来いよ歩。一緒に飲もうぜ~」

 アーサーは酔いが回ると、口調がやけに若くなることがある。
 そういう時は、大抵潰れる直前だ。
 嘆息しながら、アーサーに尋ねた。

「俺飲めねえから。飯食えるか?」
「あ~余裕っしょ。じゃあ飯食うか」

 翼を広げ宙に浮こうとしたが、右へ左へふらふらするばかりで、まるで移動できていない。
 それでもなんとか歩には近付いてきていたが、いつどこかにぶつかって墜落するか、見れたものではなかった。

「あーもう、そんな無理すんなよ」

 慌てて迎えに行き、両手でアーサーを受けた。
 五年前とほとんど変わらない身体が、手の中に綺麗に収まった。

「あー、あんがと」
「おい、アーサー?」

 そのまま言葉にならない言葉を二、三呟き、アーサーは眠ってしまった。
 ひとまず、ソファの隣にあるアーサー用の籠に乗せて、毛布を被せた。
 その様子を見て、丁度台所からでてきた母親がくすくす笑った。

「相変わらず弱いわね。さっ飯食おうか」
「わかってんなら飲ますなよ」

 リビングに着くと、もう既に用意はできていた。献立は、アジの塩焼きにすき焼き。どうもミスマッチに思えて、考えを巡らした。
 おそらく――

「アジはつまみ?」
「ハハハ、作り過ぎちゃってさ―」

 文句は言いつつ、いただきます、と言ってからアジを摘まんでみる。脂が乗っていて美味しかった。
 おとなしく食べ続けることにした。足元では、類のパートナーである白猫のミルが歩のものと同じ焼き魚をもらっている。随分先に焼いていたのであろう、既に冷えているようで、猫のミルでも勢いよく食べている。

 歩はすき焼きに手を伸ばした。すき焼きにしては甘さが薄めなのだが、それで育った歩にとっては逆にこれ以上甘いと美味しく感じられない。外で食べるすき焼きは逆に食べられない位だ。

 黙々と箸を進めていく。お腹が減っていたのもあり、今日の夕食は格別だった。隣で張り合う相手がいないのが、寂しいといえば寂しいが。

 鍋の中身が七割ほどまで減ったところで、みゆきが言った。

「あ、今大人気の隊長さん出てるね」

 類に振られ、ラジオに耳を傾ける。
 内容は、国軍の第一陸戦部隊隊長のインタビュー。第一陸戦部隊隊長といえば、国で最強のパートナーを持っている人が選ばれるものだ。竜使い以外がなることは少ないのだが、今の隊長のパートナーは機械型のペガサスであり、その親近感から、民衆に人気がある。

「竜使いでないものが、今の地位にまで上り詰めた秘訣は何かあるでしょうか? 卓越したレーダー機能によるところも大きい、と言われていますが、そこについてもお願いします」

「レーダー機能は、確かに有効なものです。敵味方の場所を捕捉、識別できるというのは、戦場においてかなりのアドバンテージです。ですが、機械型の中にはレーダーを無効化できるものもおります。事実、私のパートナーも無効化できますしね。ですので、一概に優れているとは言えませんね。やはり日々の鍛錬と自己の克己、それに尽きます。竜使いに及ばないことは確かですが、象と蟻ではなく、象と猪位までならなることは可能だ、と思います」

「なるほど。少しきな臭い質問をさせていただいてよろしいですか?」
「プライベートはできるだけオフレコで」

 冗談まじりに答える隊長は随分な美丈夫だ。俳優といっても通用しそうな柔らかい雰囲気をもっている。

「以前、所属しておられた第一後方支援部隊の隊員について、第一陸戦部隊に一切引き抜くことはしなかった、というのはどうしてでしょうか? 通例では、腹心の部下も三名までなら連れていける、と聞いたことがあるのですが。第一部隊は隊長を除いて全隊員が竜使いですが、やりづらいことなどありませんでしょうか?」

「また随分ときついことを。部下を連れていかなかったのは、やはり実力の問題です。やはり竜の足手まといになってしまう。私自身、なんとかついていっている、というレベルですので、難しいのではないかと謹んで遠慮させていただきました。
 また、第一陸戦部隊の隊員のみなさんについてですが、よくしてもらっているので、逆にこちらが申し訳なくなる位です。私自身、時折ふさわしくないのではないか、という疑問を持つことも多いですし」

「また御謙遜を。では……」

 これ以上聞く気はなくなってきた。過剰なまでの竜に対する謙遜と卑下は、歩にとってはこそばゆいどころか皮膚をがしがし削られている感覚すらあるのだ。
だが、伝わってくる民衆の反応は熱気に包まれており、そういった部分を疑問に思う人は少ないようだ。

「消していい?」
「どうぞ」

 立ち上がり、ラジオの電源を落とした。そこから再び席に戻ろうと振りかえったところで、母親が嬉しそうに自分をみつめているのに気付いた。気恥ずかしくなってくる。

「なんだよ」
「いや、なんでもない」

 半分程残っていたウィスキーを喉に押し込み、更にグラスに注いだ。

「みゆきやアーサーがいるのもいいけど、こうしてあんたと二人っきりってのもいいね」
「なんだそれ」

 水城家の家族構成は母親に息子にそれぞれのパートナーを加えた、二人+二体。みゆきが加わる以前と以後は、ずっとこうだ。
父親はおらず、俗に言う母子家庭であり、母親たる類は日頃忙しく働いている。そのため、週に三回ほどは、歩とアーサーの二人だけで夕食を済ませることになっている。
 父親のことは聞いたことがない。なんとなくいまになっても聞けなかった。
 手元のグラスの中でウィスキーと氷をくるくると回しながら、類が言った。

「ねえ、今日何があったか話してよ」

 たまにこんな風に大雑把に話を振られることがあるのだが、歩が嫌がっても大抵押し切られてしゃべることになる。
 歩は丁度一時間前にあった出来事を話すことにした。
 甘みの少ないすき焼きを堪能しつつ、思いつく限り駄々漏れで口に出していった。
 全て話終わると、それまで聞き役に徹していた類が口を開いた。

「――そんなことあったんだ」
「ああ。案外アーサーの態度が変わらなかったけど」

 類は、ずっと手のひらで弄んでいたグラスをタン、と置いた。

「あんたはどう思った?」
「え?」
「アーサーが受ける扱いと、そんなアーサー自身について」

 少し考えてみて、答える。

「しょうがないんじゃないかな。くやしいし、どうにかしたいという思いはあるけど、どうしようもないし。アーサー自身も特に変わった様子はないしな。小憎たらしいまんま」

 豆腐を卵にからませてから口に入れた。すき焼き特有の甘辛い味から、肉や野菜のうまみが広がった後、微妙な甘さが口に残る。それでお腹いっぱいになった。
 母が唐突に言った。

「アーサー酔うの早かったよね」
「そうだな、相変わらず弱い」

 氷がからり、と音を立てた。

「いや、今日は特に早かったよ。いくらなんでも二分はないでしょ。いつもはまだ持つし、酒量をコントロールしてできるだけ長く楽しもうとするしね。何より、食いしん坊のあの子がご飯を忘れて酔い潰れる、なんてことは滅多にないよね」

 思い返してみると、確かにそうだ。食い意地の張るアーサーが夜飯前に酔いつぶれたのはそうなかったように思う。
 いや、最近あった。

「あいつ、E級判定受けた時もこんな感じだったかな」
「そうね」
「内心、ショックだったのか」
「表には出すまいと振る舞っていたんだろうけどね。どうしてだと思う?」

 類がグラスの中にとくとくと注ぎ始めた。
その音が妙に小気味よい。

「気を――使ったのかな?」
「そうだね。あの子はなんだかんだで優しいし、空気読むからね」
「なんでわかるの?」
「飲み友だからねー」

 ハハハと乾いた笑いを吐きながら、琥珀色の液体を喉に押し込んだ。

「意外だろうけど、あの子もなんだかんだで内面は普通だったりするからね。竜で、言葉をしゃべって、大きくならないで、それでも傲慢に振る舞って。特別に思えるけど、普通に傷つくし、普通に他人を思いやれる。あんたと変わらないさ」

 歩はふと考えてみた。
 今までアーサーは別格に思っていた気がする。生まれながらにあんな古臭い言葉づかいで、傲慢で、無邪気で、竜のことが好きなくせに、他の竜との交流を避ける、特殊な竜。
 だがその心の内はそれほど特殊なものなのだろうか?

 目の端に、食事を終えて満足そうに顔を洗っているミルの姿が入ってきた。食後の洗顔を終えると、のびをする。

「ミル、美味しかったか?」

類の質問に、ミルはにゃーと鳴いて答える。

「あんたももういいの?」
「あ、ああ」
「そうか。ならミル頼む」

 ミルが再びニャーと鳴くと、背筋をピンと伸ばした。目の色が、濁った青から金色に変わる。そのままどこか遠くを見て、全身を震わせはじめた。
 テーブルの上の食器が震えたかと思うと、浮いた。
 カチャカチャと音をたててぶつかりながら、次々と洗い場に飛んで行く。
 ミルの能力である念力だ。なにげない日常生活に使える程、ミルのそれは洗練されている。

「おつかれさま」

 全て運び終えると、ミルの目が戻った。
類はミルの首を撫で始めたが、ふと何かに気付いたようで、口を開けさせて歯の間に指を突っ込み、何かを取り出した。どうも、魚の骨がひっかかっていたようだ。

 何も言わずにお互いを理解しあえている姿は、歩の心に残った。
 自分とアーサーもこんな風になれるのだろうか?

 類は洗い物を始めていたのだが、ふと何か思い出したように振り返り、聞いてきた。

「今日のすき焼きどうだった? 甘さどう?」
「あ、ああ美味しかったよ」
「なら良かった」

 類のパートナーは猫のミルであり、その影響を受けている。それは身体能力、敏捷性の上昇といった面もあるが、味覚などにも影響してしまうのだ。猫は甘さをほとんど感じられないため、類もまた甘さがよくわからないようだ。
 まさに一心同体である。
 歩とみゆきの好物というのもあり、すき焼きを作ったのだろうが、本来ならば苦手な料理に属している。

 歩はリビングに戻り、寝ているアーサーの顔を見た。のんきに鼻ちょうちんを膨らませており、見事に間抜けな姿があった。
 とりあえず、この間抜けの味方でいよう、とは思った。
 風呂に入とうと、風呂場に足を向けようとしたとき、再度類が声をかけてきた。

「歩、こっち来てラジオ聞いて」

 台所に向かい、耳を傾けた。
 通る声で、アナウンサーがニュースを読んでいる。

「本日、竜使いの死体が発見されました。被害者は、十九歳の学生とそのパートナー。警察による発表では、十年前に起こった『首都幼竜殺し事件』の犯人である『竜殺し』の仕業であるとのことです。長い沈黙を破っての犯行ということですが、犯行現場から……」



[30262] 一章 裏 キメラ
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:07



――十五年前

×××は目を覚ました。
 周囲を見渡そうと頭を振った瞬間、めまいがして再び倒れ込みかけてしまった。少し様子を見ながら身体を起こし、ゆっくりと周囲を覗う。
 真っ白で何もない部屋だ。軽く身体を動かせる位の広さがあるが、何もない。
 ふと下に目をやると、自分が真っ白なベッドの上に寝ていたことに気付いた。
 ベッドの隣には小さめの籠があり、そこを見ると――

「キメラ?」

 意識を失う直前に見た、自分のパートナーの姿があった。
 少し手持ちぶたさなようで、あくびをしている。その姿に、他のパートナーを捕食して強くなる生物の面影はない。

 しかし、なにがどうなっているのだろう。
 自分を気絶させたのは、おそらく病院の人――おじさんだろう。なんであんなことをしたのか?
 意識がはっきりし始め、危機感が増大していく中、声が聞こえてきた。

「起きたね?」

 おじさんの声だ。

「あの、どういうことですか? ここはどこですか? なんで私がここにいるんですか?」
「×××君、君のパートナーは何かわかっているかね?」

 自分の質問は無視されてしまった以上、答えるしかない。

「キメラですか?」
「その通り。君はキメラ使いになったわけだ。だからここにいる」
「どうしてですか?」
「君は、キメラ使いと会ったことはこれまであったかね? 話を聞いたり、ラジオや新聞で見たことでもいい。キメラ使いの実在を聞いたことはあるかね?」

 いざ考えてみると、都市伝説としてはよく聞くが一度も実在する話を聞いた覚えはない。

「ないです」
「それは、キメラ使いは生まれてすぐに隔離されるからだ。いまの君のように」

 意味がわからない。人権やら法律やらがまるで考慮されていない。

「それって違法じゃないんですか?」
「そうだね。でも、実際は起こっていることだよ」

 そこで、いきなり声音が変わった。ねっとりした猫撫で声に、怖気が走った。

「しかし私は大変残念に思っている。同情もしている。だから、君にチャンスを上げよう」
「チャンス?」

 突然、ガコ、という音がした。音の方を向くと、真っ白な壁の一部分がずれている。隠し扉みたいになっているようで、そこから○○○が乗っているベッドと似たようなものが押されてくる。上にはシーツがかけられており、中央がこんもりと盛り上がっていた。
 それを運んできた真っ白い服を着た人は、すぐに元の戸に戻って行った。再び、ただの壁に戻り、自分が逃亡の機を失ったことに気付いた。

「×××君、中身を見たまえ」

 従うしかなく、ベッドから降りたって運ばれてきたものに近付いた。なにか感づいたのか、キメラも隣によってきた。
 シーツに手をかけられる位まで近寄ると、生臭さを感じた。それになにか息使いのようなものが聞こえてくる。その発生源は、シーツの中のように思えた。

「どうした? 早くしたまえ」

 覚悟を決めて、勢いよくシーツをはぎ取った。
 息を呑んだ。反射的に後ずさった。
 そこにあったのは、全身ぼろぼろの狼だ。
 身を横たえ、口から血を流し、腹からは何か黒い物が覗いている。ベッドの上は一面血の海なのだが、それだけでは飽き足らず、地面にもぽたぽたとこぼれ落ちはじめた。
 目を見ると、敵意が伝わってきたが、身体を動かす気力もないらしい。虫の息だ。

「さあ、そいつを食べたまえ」

 意味がわからない。食べる? 何を?
 ×××が戸惑っている間に、隣にいたキメラがベッドの上に飛び上がった。その姿に先程までののんきさはなく、完全に『キメラ』になっている。
 制止することもできず、キメラが狼のはらわたに突っ込むのをただ見ていた。
 狼は最後の力を振り絞り、精一杯の慟哭を吠えたが、まるで意味がない。
 キメラが嚥下する音が聞こえはじめる。
それを聞いて、なぜか○○○の口の中に唾液が溢れた。次から次へと湧き、こらえきれずに一度ごくり、と呑みこんだ。
 おじさんの声が再び木霊した。

「どうした? 君も食べないのか?」

 驚愕の言葉だった。自分も食えと?
だが、なぜか腑に落ちる。目の前の狼が、ごちそうにしか見えない。

「人はパートナーの影響を受ける。ならばキメラの食欲もまた人に影響を与えるのだよ。もう一度言おう。食べないのかい?」

 夢遊病患者のような足取りで、ベッドに一歩近寄った。
 狼の半死体を見る。まだ息があるのか、それとももう死んだのか。
 手を伸ばし、狼の瞳を抉った。
 ぐりゅりと音がして、目玉と赤い紐のようなものが持ち上がる。
 それを口に含んだ。
 キメラがどういった存在か、ようやくわかった。



[30262] 二章の一 クラスメイトの竜と竜殺し
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:07


「え~、今月で二年生も終わり~来月から三年生になるわけですが~」

 歩達は学年主任の有難いお言葉を拝聴していた。
 場所は屋外のグラウンド。初春の日差しがほのかに身体を温めてくれて気持ちがいい。学年主任の間延びした声は耳触りなのが欠点だ。

「パートナーとは~、人生の~友であり~、唯一無二の~友人であり~、生涯の~親友であります~」

 歩にとっては特に放置すればいいだけで、立ったままなのが面倒だなとしか思わなかったが、隣のパートナーはそう思わなかったらしい。
 三白眼で話しかけてくる。

「歩、似たような表現を臆面なしに連発できるのは、最早才能だとは思わぬか? 恥という概念を自覚した者にはできない所業だろう」
「少なくとも、俺にはできないな」

 肩に乗ったアーサーは、不満げに鼻から炎を噴出させている。

 早々に酔いつぶれた日の翌朝、起きてきたアーサーは普段と変わらないように見えた。開口一番に夕食を逃したことを嘆き、歩に起こさなかったことを責め立て、類がアーサーの分を残しているというととっとといなくなる姿は、傲慢で身勝手な、らしい姿であった。
 ただ、歩の中で反感が減った。対応も自然と緩やかになっているのが自覚できた。

 アーサーは続けた。

「時は金なりとも言うが、時を無意味に過ごさせるかような蛮行は、文字通りの暴挙であろうに。何故あのような行為を許すのだ?」
「気持ちはわかるけどな。こういう慣習も重要なことだってあるさ」
「そういうなあなあで済ませようとする姿勢こそ、あやつのような者をのさばらせる要因であろうに。人のそうした悪習を直視せねば、いかなる問題も解決には至らぬ」
「かもしれないな」

 アーサーは更にヒートアップし始める。声も大きくなり、周りにいる生徒の中に、こちらをちらりと覗う人が現れ始めた。

「そういう部分だ。我の言葉にかもしれない、などと答えるからしてダメなのだ」
「すまんな」

 ため息をつくアーサーの姿は、いつになく皮肉に満ちていた。

「すまんな? その言葉は不敬の極みである。我の言葉の深奥を何一つ理解しておらぬ。その言葉に何の意味があるのか? 軽々しく返答するなど、至宝を赤ん坊の玩具にするが如き愚行。不敬の意味すらわかっていないのではないか?」

 ここまで来ると流石にうざい。

「不敬不敬ってそんな言うなよ。一応パートナーだろうが」

 アーサーがふんと鼻で笑った。

「パートナー面したければ、もう少しどうにかしてからこい。その貧相な身体をどうにかするか、頭を人並みにしてくるか。竜の叡智までは求めんぞ? 容易いことであろう」
「ちっこい身体して何言ってんだ」
「目に見えるものでしか判断できぬとは、浅慮にも程がある。だからお前はダメなのだ」

 キレた。

「そういうお前は何できんだよ」
「我にできぬことなどあるわけあるまい?」
「そんな大口叩くなら、たまには真面目に戦えや! 今度の実技試験とかいい機会じゃねえか。お前なら簡単だろう?」
「ほざいたな!? なら我がもし相応の役目を果たしたなら、何かしてもらおうか」
「なんでもやってやるよ。やれるもんならやってみな」
「うるさいよ」

 鐘を思わせる甲高い声がした。
 声の方を向くと、そこには少女がいた。その少女を見て、アーサーがびくっと肩を震わせた。

「今、一応授業中なんだけど」

 見覚えのある顔だった。
 整った眉を不機嫌そうにひそめ、小さな口をとがらせていた。燃えるような暗赤色の髪をうなじの辺りで二つに流しており、腰ほどまで伸びている。どこか幼さの残る風体に、吸い込むような漆黒で大きめの瞳が可愛らしい。居並ぶ同級生より二つは年下に見える。
 しかし、その実態は大きく違う。
 彼女は歩とアーサー双方から返答がなかったからか、再び口を開いた。

「別に聞きたいと思っている人もいないだろうけどさ、万が一聞いている人の邪魔にはならないようにすべきでしょ」
「ごめん、平さん」
「同じ竜使いとして、節度ある行動をおねがい」

 彼女の名前は平唯。
 歩とは違う、本物の竜使いだ。今は傍にいないようだが、彼女のパートナーは歴とした竜である。余り見かける機会はないのだが、彼女の竜は紛うことなきAランク生物だ。

 ちらりと相方の姿を見ると、何やら複雑な態度だった。怯えているというには堂々としており、嫌悪感をむき出しにしているかというと、それもまた違う。
 ただ避けているようだった。
 他の竜を苦手とするアーサーにとって、竜使いである唯もまた苦手な存在なのかもしれない。
 唯は、すねるように口をとがらせたまま続けた。

「本当、迷惑よ。パートナーの躾がなってないんじゃない?」

 その言葉に、アーサーがぴく、と反応したのがわかった。先程まで唯に対して避けるような態度だったというのに、表情を一変させた。
 手を伸ばして抑えようとしたが既に遅く、アーサーは飛び立った。
 唯と目線の高さを合わせて、アーサーが言った。

「なんだ小娘? 躾とは我を馬鹿にしておるのか?」
「しゃべれるだけのちっこいなりした竜未満はペットみたいなもんじゃん」

 唯の言葉は疑問ではなく断定だった。アーサーの鼻から炎が漏れだすのが見えた。意識して出しているのではなく、完全に忘我したときの癖だ。

「ちっこいなりとはどっちのことか? 中学生の分際で何故ここにいる? 帰れ」
「は? 立派な十七歳なんだけど」
「年齢詐称もほどほどにしろ。狼少年の末路は知っておろう? もしや童話も読んだことがない位の年か?」
「決めつけないでくれない!? そんな口叩くのは私の頭より大きくなってからにして!」
「お前のでかい顔の話はしていない!」
「私の顔はそんなでかくないよ!」

 むしろ小顔に分類されるであろう少女は、顔ともども真っ赤に燃えあがっており、止まりそうにない。アーサーを止めようにも、その剣幕が自分に向かってきたら余計面倒なことになることが分かり切っているので、手が出せない。周りの喧噪はどんどん大きくなってきていたが、二人は気に留めそうになかった。

「うるせえ小娘! さっさと幼稚園に戻れ!」
「黙れチビ竜!」

「黙るのはお前らだ」

 一人と一匹に拳骨が見舞われた。
 ゴッ、という良い音がして、思わず自分も頭を押さえたくなる。アーサーはふらふらとし始め、唯は頭を抱え込んだ。
 唯は涙目で言った。

「っ長田先生! 私はこの竜を止めただけです!」
「何にしろ結果的に騒いだなら同罪だ」
「ふん」
「偉そうにしてるがお前が主犯なのは変わらないぞ」

 拳の主は歩達の副担任である長田雨竜だった。まだ二十代なのだが、黒髪の中に白髪が混じっている。百八十センチを超える長身から振り下ろされた拳には迫力があった。
 年代の近いのもあり、他の教師よりは考え方や感覚が生徒に近いのだが、それでもこうして締めるところは締めてくる。

「水城、お前もパートナーを止めろ。一番扱いなれているのはお前だろうに」
「すみません」

 矛先が歩にも向いてきて、ほとんど反射的に謝った。
 雨竜は謝る歩を見た後、未だにいがみ合う唯とアーサーを斜め見して言った。

「とりあえずお前ら。退場」



 連れて行かれた先は、グラウンドから入ってすぐのところにある校舎の一室だった。
 入ってすぐに、直立するように言われた。並びは、唯、歩、そして置かれた机の上にアーサー。

「お前らさ、高二にもなったんだから自制しろ。分別っつうもんを理解してくれ」
「「すみません」」「ふん」

 鼻を鳴らしただけのアーサーに視線を合わせたが、雨竜は何も言わなかった。

「色々理不尽な無駄があるのはわかる。確かに無意味で退屈な演説聞くのは面倒だが、それに無駄に抵抗するよりさっさと流した方がいいことがあるのを学んでくれ。説教するのは苦手なんだから、私にもうこんなんことさせんな。わかった?」
「「はい」」「ふん」
「アーサー。ふん、は返事にならない」
「わかった」

 雨竜はざっくばらんな口調に似合わず、一人称は私だ。一時期男好きなのではという噂が出回ったが、林間学校での深夜の野郎トークを披露した結果、少なくとも男子生徒が同性愛者扱いすることはなくなった。
 唯の様子を覗うと、無駄に抵抗するアーサーを睨んでいた。
 雨竜が疲れたようにため息をついた。

「お前らさ~、明日の学期末模擬戦のトリ務めんだから、仲良くしろとは言わないが喧嘩腰はやめてくれ。醜態さらすのは学校側としても痛いが一番はお前らだぞ?」
「私は相手に応じてです」
「相手によって対応を変えるなど低俗に過ぎる」

 唯のアーサーを見る視線が更に鋭くなった。雨竜の眉間にしわがよるのが見え、歩がアーサーを抑えようと手を伸ばすか迷っていると、コンコン、とドアがノックされた。
 雨竜にどうぞ、と促されてから入ってきたのは担任の藤花だった。その姿を認めて、アーサーが一瞬びくりと身体を震わせた。本当に苦手なようだ。
 その後ろにも、巨大な姿が見えた。あれは――

「キヨモリ!」

 竜だった。唯が途端に顔をほころばせ、その名を呼ぶ。隣でアーサーが更に身体を震わせたのが分かった。

「長田先生、二人とも連れ出されたと聞いたのですが、何をしたんです?」
「いえ、少し言い合いをしていて、迷惑になっていたので。私が説教しておいたので大丈夫ですよ。な、お前ら」

 じろりとこちらを見ながら、雨竜が言った。歩はこくこくと頷いて返す。
 返答もそこそこに、唯が藤花に尋ねた。

「先生、キヨモリ大丈夫でしたか?」
「ええ。軽い風邪でしょうって。明日の模擬戦にも出ていいとのことです」
「本当ですか!? よかった」
「ええ、保健室の先生は大丈夫、と言っていましたから」

 どうやらキヨモリこと彼女の竜は保健室に行っていたようだ。唯がほっとしている様子を見て、アーサーに絡んできたのは、苛立っていたからではなかろうか。
 キヨモリは、藤花の後ろからのしのしと唯のところまで歩いてきていた。アーサーとは比べ物にならない巨躯はこの教室にはおさまりきらないようで、天井で頭を擦りそうになっていた。
 唯の隣まで行くと、ぼう、と鼻から炎を漏らした。アーサーと似たような癖だが、まるでスケールが違う。

「寝惚けてるなー、身体の調子は大丈夫?」

 唯が嬉しそうに言葉をかけると、キヨモリは大きな首を下に伸ばし、唯の肩口あたりで制止させた。
 それを見て、唯はキヨモリの喉元と額に手を伸ばし、上下からさすり始めた。途端にキヨモリは目を閉じ、リラックスした様子で頭を委ねていた。尻尾が時折左右に振られ、地面を強烈に叩いている。

 それを見た歩はというと、地面を叩いた時の力強さと、鈍く光る爪と大木のようなふともも、そして今は折りたたまれてはいたが、広げるとこの部屋が占領されてしまうような翼をじっと見ていた。
 今までも幾度か見たことはあったのだが、いざ模擬戦が近付くと印象が変わってくる。
 この竜が学期末のお披露目会を兼ねた模擬戦の相手になることを知ったのは、一週間前のこと。それ以来、この竜を目の当たりにすると気が重くなってしまう。

 だが、隣のアーサーは気が重くなるどころの話ではないのだろうか。あれほど避けてきた竜が隣にいるのだ。先程も身体を震わせているのが見えた。

 ちらり、と相方の様子を覗う。
 どこか挙動不審だった。背筋を伸ばし、前を向いているのだが、時折ぴくぴくと震えているのが見える。時折電流を流されているような感じだ。
 早くこの場を去ったほうがよさそうだ。

 歩の内心の葛藤をよそに、雨竜が言った。

「ま、そういうことだから。お前ら、明日は分かってるな?」
「「はい」」
「……ならいい。教室に戻っていいぞ」
「いえ、少し待ってください」

 ここで、藤花が割り込むように言った。歩としては、早くこの場から離れたいというのに、もどかしい。

「丁度良いですし、『竜殺し』について言っておいた方がいいでしょう?」

『竜殺し』
 歩にとっては非常に遠く感じるが、実は身に迫った危険極まりない話だ。アーサーの急変のことはきがかりながら、これも捨て置けない。

「ニュースで見ましたか? 『竜殺し』については勿論知っていますよね?」

 歩はこくりと頷いた。
 『竜殺し』とは、意図的に竜を殺した人、魔物、パートナーのことを指す。竜の身体はその強力さ故に様々な素材となる。牙や爪はそのまま刃として使うことができるし、皮膚を加工し身に纏えば、その堅牢さは折り紙つきだ。血液や内臓にしても、最高級の滋養強壮剤として使われるなど、竜の死体一つの価値は公務員の生涯収入を上回るとさえ言われている。月に一回は闇取引の摘発がニュースとして流れる位だ。

 また、竜使いが憎悪の対象になることが多い。『貴族』とまで言われる公私問わぬ特権の数々と、その増長はひんしゅくを買うことも少なくない。
つまり、竜を狙うものは多い。

 だというのに、実際竜使いに被害が出ることは余りない。
 それは竜の常軌を逸した強さにある。殺せるものが少ないのだ。
 故に、竜を殺した者には憎悪と憧憬が入り混じったあだ名、『竜殺し』が与えられる。

「報道の通り、『首都幼竜殺し』が出てきました。十年前から未成年の竜を対象として犯行を続けている竜殺しです。つまり、キヨモリさん、アーサー君、両方が対象となっている可能性がある、ということです」
「『幼竜殺し』の件は学校にも、伝わってきている。私達教師陣も気を配っておくから、お前達も気を付けておいてくれ。じゃあ、帰っていいぞ。もう終わってるだろうし、教室に戻ってくれ」

 雨竜の声がやむのとほぼ同時に、重苦しい声が聞こえてきた。

「それだけか?」

アーサーだ。顔を横に向けてみると、いつになく真剣な表情をしているアーサーが写った。先程までのじゃれあっていた様子も、キヨモリの姿を見ての震えもない。
 アーサーがもう一度言った。

「それだけか? 自分達を狙う馬鹿者がいるけど、各自自分で気を付けておけ。一応教師も見ているから、とは間の抜けた話ではないか? やる気があるのか?」

 アーサーの強い口調というのは聞き慣れたものだが、これほどまえに真剣味に溢れるものは余り聞いたことがないように思った。
 雨竜が答えた。

「それだけだ。今回の『竜殺し』の特徴とか、被害者の共通点とか、全く情報はない。ただ気を付けろ、とだけだ」
「お粗末だな」
「大丈夫です! 私とキヨモリは『竜殺し』ごときには負けませんから! むしろ捕まえてやりますよ!」

 唯は勢いよく言った。隣にいるパートナーの絶対的な力を考えると、歩には虚勢には聞こえなかった。むしろ、例え竜殺しであろうと、この竜を倒せるものがいるのかと考えてしまう。

「まあ、そんな感じだ。こっちもできるだけお前らから目を離さないから。アーサー、頼む」

 それだけ言い、その場は終わった。ふと隣に目を向ける。
『竜殺し』のことなど気にも留めず、パートナーの無事を確かめて顔をほころばせている唯の隣で、アーサーは何か深刻に考え込むように顔をしかめていた。
『竜殺し』といえば、アーサーの天敵であり、ひいては歩の命を脅かす存在ではあるのだが、歩には妙に実感がわかない。ニュースで聞いた程度の存在でしかない『竜殺し』に実感を持つのが難しいのだ。
それはアーサーも同じはずだ。
何故これほどまでにこだわるのだろうか?



[30262] 二章の二 閑話休題
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:08



「お前もさー。あんな煽ること言うなよ」

 あの後、歩達は明日に備えて軽い運動をした後、家に返された。
 運悪く類は残業を承ったらしく、夕食は適当に買ってきたもので済ませた。アーサーは少し物足りなそうではあったが、料理をするのは面倒だ。
 後片付けも終え、風呂に入り、後は寝るまでだべるだけ、といったところだ。歩はソファのせもたれにだらしなくもたらかかり、アーサーは専用の籠で横になっていた。

「明日の対戦相手だぜ? それもあんなバカでかい竜の。無駄に敵意ぶつけられるこっちの身にもなってくれ」
「身体の大きさで言えば、幾度もやり合ってきた巨人と変わらぬであろう?」
「相手竜だもん。一度もやりあったことないしな」

 キヨモリは規格外なため、一度も模擬戦に出たことはない。実際に戦っているところを見たこともないのだ。嫌な想像ばかりが膨らむ。

「ふん、まだ戦ったことのない相手に臆するなど軟弱者の思考である」
「いざ相手の目にするときついって。巨大な竜だぜ?」

 それに、アーサーをあの竜の前に置くことは躊躇われる。
 口にはしないが。

「我もまた竜であるぞ」
「……どうするかねー」
「我を無視するとはいい度胸だ」

 アーサーは身体をむくりと起き上らせ、歩を非難の目で見てきた。
 そのまま何も返さないでいると、アーサーは語気を強めて言った。

「なんと覇気のないことよ。もう少し欲を持って臨まぬから万夫と呼ばれるのだ」
「俺初めて聞いたぞ」
「将来を左右する岐路にて、己を賭けようともしないものは万夫と言うほかなかろう」

明日の学期末模擬戦は、ただの模擬戦ではない。教育委員会、企業、大学などから多くのお偉いさんがやってきて観戦しに来て、目に止まった人物をスカウトするのが目的だ。ここでの印象はそれこそ一生を左右する可能性が高く、皆一様に気合が入っている。
 ただ、歩は余り興味が持てなかった。
 いきり立つアーサーに対して、歩はため息すら混ざっていた。

「どちらにしろ、お前が意欲をまるで持たないことは確かであろう」
「俺は日々過ごすだけで精一杯なの」

 アーサーが生まれたばかりのころは、歩も人並みかそれ以上に将来に期待を持っていた。なにしろ竜使いになったのだ。しかもアーサーはインテリジェンスドラゴンと呼ばれる知恵のある竜であり、世界のヒエラルキーの頂点に君臨できる可能性すらあった。

 しかし、半年がたつ頃には消えた。アーサーはほとんど成長せず、竜としての膂力を発揮できそうにもなかった。となると、後に残るのは周囲の失笑の視線と、竜使いとしての歩にとっては有難く無い特権の数々だ。逆効果にしかなっていない。模擬戦での特別扱いなどはそれの最たるものだ。今度の模擬戦でなまじ種族が竜であるからと、本物の竜であるキヨモリの相手をさせられるようになったのなど泣きたくなる出来事だ。

 そうなると、一度期待を抱いた分、逆に消えさった後に残る失望感は尋常ではない。下手な希望など思い浮かべるだけ馬鹿らしい。

 ア―サーは大仰にため息をついた。

「折角、我も力を貸そうというのに。それではやりがいがないわ」
「あれ? 本当になんかやってくれるの?」
「ああ。賭けもあるからな。忘れてはないだろうな?」

 確か今日の集会で、唯にとがめられる直前にそんなことを言った覚えがある。

「本気にしてたんだ」
「無論。我の智謀の前に、かような雑種の竜など敵ではないわ」

 根拠のない自信を語らせると、アーサーに勝てるものはいないのではなかろうか。強がりもそこまでくれば立派なものだ。
 そこでふと竜殺しのことを思い出した。
 藤花と雨竜から聞かされた時、歩も、唯も、キヨモリも余り実感がわかなかったのだが、アーサーだけは反応していたように覚えがある。キヨモリにあれだけ拒絶反応があったのに、その場で質問した位だ。

「そういや、竜殺しに興味示してたけ、どうして? いや、自分が狙われてるかもって言われると、確かに気にはなるけどさ」

 アーサーは不意に表情を引き締めた。本当に表情が豊かなやつだ。

「気になって当然であろう? 竜殺しなど、この世にあってはならぬものだ。むしろ尊ぶべき竜を狙う不届きものに憤りを感じぬ方が愚かである」
「まあそりゃそうなんだけどさ」
「そんなことより、明日のことだ」

 不意に、アーサーが飛び上がった。必要に迫られていないのに飛ぶのは珍しい。
 そのまま歩の顔の辺りまで飛んできた。

「明日はあの小生意気なチビと雌雄を決するときである。何としても勝つぞ」
「つってもねえ」

 相手を思い浮かべる。
 本物の竜とそのパートナー、キヨモリと唯。
 勝てる見込みは少ない。

「何を情けない顔を。我が本気を出すといっておるのだ。歓喜にむせび泣き、ひれ伏すところであろう」
「何を偉そうに」

 アーサーの小さな手を掴み、人差し指と中指の間に力を入れる。そこは竜の急所の一つだ。小さな力であっても、しびれるような痛みが全身を駆け巡る。
 口から気の抜けた音を漏らし、ソファの上にぽとりと落ちた。顔が面白いことになっている。
 転がり落ちたアーサーを放置して、歩は歯磨きをしに洗面所に向かった。
 鏡を見ると、苦笑を浮かべている自分の顔が写る。少し気楽そうに見える。
 無駄なアーサーの飛行も、歩の緊張を紛らわせる意味はあったのかもしれない。



[30262] 二章の三 貴族と竜
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:08



「そ、それじゃ私は移動するね。先生達も、色々接待させられて大変なんだ! そ、それじゃ」
「ありがとうございました」

 別の学年担当の女教師が慌てた様子で去っていった。どうも竜である歩とアーサーの扱いに困っていたらしく、何度もどもっていた。歩はそうした対応は慣れたものだから、得にどう思うこともないが。

 歩は、一息ついた。
 場所は控室。大きな円形の建物の中の一室で、教室程度の広さがある。無造作にベンチが置かれ、数人が思い思いに過ごしていた。
 共通していることはその服装と武器を持っていること、そして緊張で顔を強張らせていることだ。向かって反対側右端の漆黒の戦闘服の具合を確かめようと、生地を伸び縮みさせている。その脇には、緊張を紛らわせようとなにやらパートナーに話しかけている女生徒がいたのだが、そのパートナーたる一角獣も緊張しているのか、神経質そうに鼻をぶるぶる言わせていた。今にも後ろ足を蹴りあげそうで、近寄りたくない。

 歩はというと、身体にぴったりと張り付いた真新しい戦闘服になじめず、居心地の悪さを感じていた。というのも、歩の戦闘服は少し系統が違うのだ。竜使い専用の礼服も兼ねているものであり、妙に仰々しい。金糸がところどころにあしらわれ、肩にはそんなに必要ないだろうというほど、突き出た肩パットが入っている。触った感じはなめらかで、ものすごく上質なのはわかるのだが、どうも馴染めない。
 これは模擬戦のトリを務めるため、強引に藤花に渡されたものだ。『お偉いさんが来るから着てください』と言われ渋々袖を通したのだが、竜使いであるが故の特別扱いは、どうしても気恥ずかしさを感じてしまう。

「アーサー、これどう?」
「ふむ、馬子にも衣装と豚に真珠の中間だな」
「つまり似合ってないと」
「そもそも服が悪趣味だ。素材としてはいいものだろうがな」

 相変わらず容赦がない。周りの目も心なしか冷たく移り、居心地の悪さは増す一方だ。槍が使いなれたものが許可されただけ、まだマシなのかもしれない。身長よりも長い代物だが、手足のように扱うためにはやはり手に馴染むものがいい。やはり穂先は外され、棍棒と化してはいたが、それでも頼りがいのあるもう一つの相棒だ。
 近くにあったベンチに腰を下ろした。隣には目を閉じ身体をゆったりと伏せているアーサーがいる。

「落ち着いてるな」
「お前こそ。相手は図体ばかりでかい若い竜であるぞ? 気になっていたのではないか?」

 そう言われてみると、確かにそうだ。いざ当日の朝を迎えた時、妙に胃のふちが納まった感触があった。腹をくくるとはこういうことだろうか。

「なんか諦めがついたのかな」
「ふん、なんにしろ下手な緊張が抜けたのであれば、それに越したことはない。戦に臨む者をして、気楽すぎるのも下策だが、身体をしゃちほこばらせるのはそれ以上に下策」
「お前戦の経験あったか?」
「我の想像力はお前には理解できん」

 軽口を叩いていると、妙に意識がはっきりしてくる。手元の棍棒をころころころがすと、それがいつもよりスローモーションに感じられた。
 軽く振るおうかと立ち上がった時、声をかけられた。

「あら案外落ち着いてるのね」

 唯だった。後ろにはキヨモリの姿もあり、周りにいた同級生の顔に動揺が走っていた。キヨモリには専用の部屋が与えられており、模擬戦でも出てくることはないので、こうして近くでお目にかかる機会は少ない。初めて見た目の前の巨大な竜に圧倒されているのだろう。

 当のキヨモリはというと、大人しく唯の後に従っていた。大きな身体を器用にあやつり、物をひっかけないように丁寧に振る舞っているのも、以前見た姿と同じだ。竜ということを抜きにしたら、意外と穏やかな性格をしていそうだ。

 キヨモリから視線を外し唯の方を見ると、丁度唯も歩に視線を向けているところだった。しげしげと観察するように眺めてきており、きまりが悪い。

「キヨモリを目の前にしているのに、随分な余裕ね」
「ふん、我を見慣れておるこやつがそんな殊勝なタマか」
「ちびっことはいえ、曲がりなりにも竜ってことかな? なるほど。そのチビ竜自体は苦手みたいだけど」
「これは武者震いというやつだ」

 唯もまた歩と似た衣装だ。違うのはスリットの入った短めのズボンに、長めのハイソックスをはいているところ位だろう。脇には、模擬戦でみゆきが使っていたものと似た常寸の剣が差さっている。それにも様々な意匠がこしらえられており、唯はどうやら武器に関しても改まったものを使うようだ。
 視線が自分の腰辺りに向かっていることを察したのか、唯は口を開いた。

「ああ、どうせ私がメインで戦うことはないだろうしね。別にいっかなーと」
「自分は戦力外であることには自覚があったのか」
「キヨモリの前に、あなた達二人がどうこうできるとは思ってないだけ」

 唯はキヨモリの首に手を伸ばし、誇らしそうに撫で始める。アーサーの挑発にも乗ってこない辺り、強い自信が覗われた
 そのまま唯がパートナーを撫でる姿をぼうっと眺めていると、部屋の中にどよめきが走ったのに気付いた。

「ふむ、なかなか立派な竜であるな」

 声はキヨモリの後ろの方から聞こえてきた。唯に促され、キヨモリがすっと身体を動かすと、姿も見えてくる。
 声の堅苦しさとは対照的に、意外と若い男の姿だった。歩達とそう変わらないのではと思うが、歩には見覚えがない。身につけているのは、フォーマルなスーツであり、磨き上げられた皮靴が眩しい。このままパーティーにも出られそうな服装だ。
 男はキヨモリに視線を合わせたまま言った。

「なかなかに素晴らしい。主にも忠実。翼も大きい。『竜は飛んでこそ竜』というが、十分にその役目を果たしそうだ。市井にありしとは思えぬ格式高さだ」
「あの、どなたです?」

 唯がきょとんとして尋ねた。唯の知り合い、というわけでもないらしい。
 そこで男の視線が唯に移った。驚きに目を見開いている。

「私を知らぬというか?」
「ごめんなさい、知りません」

 男が顔をしかめながら、隣に控えていたものに向かって唇を尖らせた。よく見ると、それは歩達の副担任である雨竜だった。隣の男のものとは比べるまでもなかろうが、なかなか綺麗なスーツを身に纏っている。

「おい」
「すみません、説明しておりませんでした」

 雨竜はしれっと答えた。慇懃ながら、それ以上しゃべる気がないようだ。
 男は不満そうにしながらも、自ら自己紹介を始めた。

「我は中央第二竜学校に籍を置く、ハンス=バーレである。先の高校生全国大会にて飛翔部門第七位になりしパートナーを所有するのだが、知らぬのか?」
「ごめんなさい、知りません」

 そんな細かいこと知らなくて当然だと思ったが、『竜』という単語は気になった。
 つまりこいつも竜使いで、おそらく貴族と呼ばれる連中なのだろう。
 唐突にばさばさという音が耳に入ってきた。ハンスの後方から聞こえてきたそれは、すぐに近付いてきたかと思うと、強烈な風をもたらしながら地面に着地した。
 翼が大きく、キヨモリと比べれば幾分貧相な身体をしており、前足がなく、後ろ足はそれなりに発達したものがある。いわゆる翼竜に分類される竜だ。

 アーサーをちらりと見る。やはり辛そうだ。早く御退去願いたいものだが、それはできそうにない。

「これが我のパートナーである。名はミッヒ。全国七位の竜であるので、相応の礼を持って見るように」

 はあ、としか言いようがなかった。

「それで、何故ここにいらしたのですか?」

 唯の声にいくらか苛立たしさが混じっていたが、ハンスはおお、と思い出したように言った。

「我もそなたらの戦を見るに、予め知らせておった方がいいのではと思ってな。そう思うだろう? 感謝したまえ」

 意味がわからない。割と本気で。
 戸惑っていると、雨竜が補足した。

「この方は、来年から中央第一大学に行くことが決まっています」

 中央第一大学とは、世界で最も優れた人材の集まる最高の大学と言われている。いわば、エリート中のエリートである。入学方法は、倍率百倍を超える試験を受けることだ。
ただ、別の方法もある。在籍者の推薦を受け、なおかつ竜使いであれば、面接試験だけで入学できるのだ。その倍率は一、一倍でほとんど通ると言われている。
つまり、彼は推薦してやってもいい、と言っているのだろう。

「貴公ら二人は竜使いであると聞く。故に我の目に止まることが重要なのではと思ってこうして足を運んでやったというわけだ。貴公らのような一般人であろうと、我は優秀な人材は相応の評価と栄華をもらう権利があると思っているのでな。無論、引き換えとして我への感謝と敬意は誓ってもらうのだが。当然であろう?」

 先程から、はあ、としか返答のしようがない。なんというか、全く別の生き物を見ている気がした。
 と、脇にいたアーサーが飛び上がった。ぱたぱたと翼を振り、ハンスの正面の辺りまで飛んでいき、言った。辛そうではあったが、それでも威厳を含んだ面持ちだ。

「ハンスとやら、随分偉そうだが、貴様は何を成したのだ? 何を持って自分を貴き者としているのだ?」

 ハンスは目をこれ以上ないほど見開くと、アーサーの問いに答えず雨竜の方を見た。

「おい、これがもう一匹の竜か?」
「はい」

 ハンスは眉根を寄せた。両手で頭をつかみ、世界の嘆き全てを背負ったかのように大袈裟に嘆いて見せる。演劇でも見せられているかのような感覚だ。

「貴様は無知か? このようなものを竜とは呼ばぬ。区分もE級であろう?」
「しかし、これから成長する可能性もありますので」
「はっ。初めから血は出るものだ。我ら貴族と一般人に差があるように、竜とそれ以外には比べるまでもないものがある。そんなことも知らぬのか? こやつはもはや竜などではない。ただのまがいもののカスだ。E級などという、この世でも最も低俗な存在の一つだ」

 歩はぎゅっと強く拳を握った。いますぐ殴りつけたい衝動にかられるが、そんなことをしても意味がないし、誰も望まない。
 ハンスはため息をついた後、唯に言った。

「このようなもの相手に何が見せられるか、かすかに期待させてもらおう。まあ、何も見せずとも、竜であることが確認できればそれでよい。では雨竜いくぞ。このようなまがいものは見ているだけで穢れる」

 ハンスは出ていった。ミッヒという名の翼竜も足を交互に出しながら後に続いた。
 残されたのは、重苦しい雰囲気。二日前の駄菓子屋と、夜に母親から聞いたアーサーの内面を思い出す。
 何をいっていいかわからず、とりあえずアーサーをちらりと見た。

「ふん、つまらんやつめ」

アーサーは、意外と大丈夫そうだった。引き続きどこか辛そうにしているのだが、ハンスに手荒な扱いを受けたこと自体にはまるで堪えてないように見えた。口を開く余裕も残っている。駄菓子屋の時のように、無理をしているのかと様子を覗ってみたが、歩の眼にはわからない。
探りを入れてみる。

「アーサー? 大丈夫か?」

 アーサーはこちらを振り返り見た。不思議そうな表情を浮かべている。

「何が大丈夫か? まさかあの馬鹿の言葉を真に受けたとでも思うのか?」
「いや、前の駄菓子屋のときはショック受けてたんじゃないか、と思って」

 ふん、と鼻を鳴らした。

「純真な子どもらの言葉は多少重かったが、あのような馬鹿の戯言、初めから聞くに値しない。我の言もまるで耳に入っておらぬようであったからな。取り入れるべきものを選別できてこその竜である」
「そうか」

 正直なところ、歩には駄菓子屋の時と今のアーサーの差が分からなかったのだが、それでもなんとなく大丈夫そうだ、とは思えた。
 唯が少し躊躇しながら、言った。

「そ、それなら、いいわ! では、いい戦をしましょう」
「小娘には負けてやらんからな? 負けた時の言い訳を考えておけ」

 唯は鼻で笑いながら出ていった。キヨモリは唯が出口に近付いたあたりで気付き、慌てて出ていった。途中、尾でベンチをひっかけてしまい、盛大な音をたてたが、そのまま出ていった。
 そそっかしく可愛らしい一面ではあったが、少しひっかけた程度でベンチを転がせてしまうその膂力は、脅威だ。
 これから、その竜と戦う――
 一段と気を引き締めた。



[30262] 二章の四 竜との模擬戦
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:09



 歩は薄暗い廊下を歩いていた。闘技場へと繋がる道の先から、光と熱狂が伝わってくる。
石床と靴がコツコツと音を立てている。一音奏でる度に、奥から届く光と歓声が強くなっていき、嫌が応にも緊張感を高まらせた。
 肩口には、鼻から炎をもらしながら目をギラつかせているパートナーの姿。手垢のしみている棍棒を左手で握りしめ、鼓動の昂りを慰めるように息を吐いた。

「緊張しているのか?」
「少しね」
「良い塩梅だ。相応の張りを持たせて己を律せよ」

 偉ぶった言葉だが、アーサーにとってはこれが激励なのだろう。これから苦手な竜と戦うというのに、アーサーには日頃との差異は見えない。いつものように胸を張っている。
 頼もしく思いながらも、苦笑と共に返答した。

「お前も働けよ」
「応」

 左足が、出口から差し込んでくる光の影を踏んだ。
 一度息をすってから、一歩外に踏み出す。

 踏み出た瞬間、全身を眩い光と怒号が包んだ。大気を震わせる振動は腹の底まで伝わり、内臓から気分を高まらせていく。ぎゅっと握りこんだ棍棒から、自分の鼓動が伝わってきた。
 周囲を見渡すと、三百六十度観客がひしめきあっていた。ほとんどは学生だったが、一部ゆったりと座席が配置されたところで、見慣れぬ姿がある。おそらく貴賓席であろう席には、スーツやドレスといった、歩には馴染みのない服装ばかりが見えた。その中に先程の馬鹿貴族、ハンスの姿もあった。おそらくキヨモリの品定めが目的だろう。だれも、アーサーのことなど見ていないように思えた。

 すっと正面を見据えると、そこには対戦相手の姿。

「少し遅いんじゃない?」
「主役は遅れるもんさ」
「覚悟を決める暇になったであろう? 負け惜しみの準備はできたか?」
「笑止ね」

 アーサーは竜と対面しているというのに、余り変わりはない。それでアーサーが相当の覚悟を持ってここに挑んでいるのだとわかり、歩は負けられないと思った。

 対戦相手を見る。
 唯の姿は直前にあった時と変わりない。歩のものと似た戦闘服を身にまとい、装飾過多気味の剣を左手にだらりと垂らしていた。
 その隣のキヨモリはというと、少し変わった姿だ。
 四肢の爪に黒革のサポーターを付けるまではいいのだが、何故か身体をぐるぐる巻きにするようにも拘束具が付けられている。特に、翼はその下で折りたたまれ、それのせいかキヨモリは心なしか苛立っているように見えた。
 歩の疑問を察してか、唯が説明を始めた。

「爪は勿論のこと、空を飛ぶことも禁止されたけど、ま、いいハンデじゃない?」

 キヨモリを見やった。
 これほどの巨躯が高速で空を駆け抜け、その力をぶつけてきたら、歩などミンチ状になってしまうだろう。それは確かに必要な措置だが、すこし悔しさも残る。
 だが、気が楽になったのは事実だった。
 ごくり、と唾を飲み込んだとき、拡声されて少しひび割れた担任の声が聞こえてきた。

「本日の最終戦を始めます。目、金的等急所は不可。悪質とこちらが判断した場合、没収試合となるので注意してください。時間は無制限、気絶、降参により勝敗を決します」

 ルールは模擬戦とほぼ同じだ。

「両者、礼」

 軽く頭を下げてから、すぐに上げた。
 唯が数歩下がり、キヨモリが前に出てきた。苛立ちの混じった双眸が歩を捕えている。歩はそれを真っ向から受け止めると、腰を落とし両手で棍棒を構えた。

 観客席との間に、膜のようなものが広がっていく。おそらく観客を守るためのもので、みゆきのパートナーである、イレイネと同タイプの能力持ちがやっているのだろう。
 これで場が整った。
 一息深く吸い込み、一気に吐いた。
 アーサーが飛び上がる。

「それでは、始め!」



「キヨモリ、行け!」
 先手はキヨモリ。巨体で地面を揺らし咆哮を上げながら、驚くべきほどの速度で迫ってくる。前傾姿勢で突っ込んでくると、黒革で包まれた右腕を単純に突き出してきた。勢いはすさまじく、正面から受け止めると、棍棒のほうが折れてしまいそうだ。

 軽く屈みながら、歩もまた前進した。相手の左脇の横すれすれを通るように身体を流し、キヨモリの右腕だけでなく身体からも全身を避けさせる。さながら闘牛士のようにキヨモリをやり過ごし前に出ると、後方からはキヨモリがたてた轟音が響いてきた。

 身体を半回転させて、キヨモリの様子を見る。
 黒革を付けたはずの爪が地面に溝を掘りつけ、粉じんが巻き上がっていた。地面についた傷は、模擬戦で見たことがない深さだ。
 やはり――竜。
 段違いの力だ。

 竜がこちらを向いた。ゆったりと身体を回転させるその姿は、思ったよりも鈍い。

――十分、つけ込む隙はある。

 歩は、キヨモリが加速を付ける前に仕掛けた。勢いに乗られると、あの体重ではどうやっても力負けしてしまうし、歩の棍棒など弾かれてしまいそうだからだ。
 ただし、逆に考えると速度がなければ、キヨモリの巨躯は重りとしてのデメリットが強い。
 案の定、突っ込んだ歩への迎撃は遅かった。
 振るわれた左の爪を屈んで避け、柄の部分で全霊の一撃を差し込んだ。
 が。

 まるで成果は上がらない。柄の先はほんの数ミリ程度しか入りこまず、キヨモリはただ苛立っているだけで、なんら痛痒に感じていない。ぶ厚い皮膚と筋肉が歩の棍棒を完全に上回っているのだ。

 何事もなかったように、キヨモリはぐるりとその場で回転を始めた。
 一瞬戸惑ったが、すぐに狙いがわかり棍棒を左半身に添えるように構えたのだが、その上から襲ってきた衝撃は予想以上だった。
 振るわれたのは極太の尾。その太さ、しなやかさ、そして自重を使った遠心力による一撃は、四肢での一撃よりも上かもしれない。

 なんとか棍棒を間にさし込んだのだが、威力は尋常ではなかった。
 耐える間もないほど一瞬で、真横に弾き飛ばされてしまった。
 すぐさま観客席との間に敷かれた膜に激突。膜が柔らかい分、衝撃は吸収されたのだが、それでも痛みで身体が動かせない。

 わっと観客が湧くのが聞こえてきた。見世物になっている気分だ。

 膜の上をずるりとすべりおち、全身で砂の味を分からされた。
 くらくらしつつも身体を起こすと、仁王立ちするキヨモリの姿が見えた。向かって右には勝ち誇る唯の姿。

「降参しない? キヨモリはこれ以上手加減できないわよ」

つまり、精一杯の手加減をしてこれか。

――舐められている。

口に砂が入っているのも構わず、ギリと歯を噛んだ。
 目前に刃、前傾視線のキヨモリ。目は真っ赤に燃えあがっており、今にもこちらに突っ込んできそうだ。
 そんなパートナーに対し、唯はふとももの辺りを撫でながらなだめるように言った。

「飛べないのがそんなにストレス? ごめんね、我慢して」

 キヨモリの苛立ちは飛べないのが原因か。自分はまるで関係ないのか。
 歩は気合を入れるかのように腹から大声を出した。

「行くぞ」
「懲りないね」

 すっと両足に力を込め、地を這うように駆ける。
 応じるようにキヨモリが前に出てきた。唯は手を引き、後方に下がって行った。

 歩の狙いはそこだ。

 正面からキヨモリが迫り、歩もまた一直線に駆けるという、剣豪同士の真っ向勝負のような形。
それを歩はただのワンステップで変えた。
 愚直なまでに真上から振り下ろされた爪をあっさり避けると、そのまま脇を駆け抜ける。

 視線の先は、だらりと剣を下げたままの唯。驚きで目を見開いている。キヨモリに比べ、彼女のほうがまだやりやすいに決まっている。不意を突けば、勝負をつけられるかもしれない。それが狙いだ。

 そのまま息をつかせぬよう、神速で棍棒を振るった。
 が。
 あっさり受け止められた。
 両腕でしっかりと構えた剣で、真っ向から防がれたのだ。
 力を込めるが、唯の持つ剣はすこしぶれるだけで、一方的には程遠い状態だ。歩と唯の力は拮抗していた。

「私も竜使いですから」

 そうだ。人はパートナーとリンクしている。竜のパートナーたる唯に、相応の力が備わっていて当然なのだ。歩からしたら、戦闘に参加しないのが不思議なほどだ。

 驚愕してしまったためか、意表をつかれ、さっと棍棒をいなされる。そのままたたらを踏んでしまい、隙を晒してしまったのだが、唯は仕掛けてこず二歩引いていった。
 ただ、一言告げてきた。

「キヨモリ、ブレス」

 咄嗟に身体を投げ出そうとしたが、遅かった。

「がっ」

 背中の中央辺りを、強烈になにかが突き抜けた。再度宙の人となり、今度は地面に鋭角に突っ込む。右肩から突っ込んだのだが、砂利でがりがりと削られるのが伝わってくる。
 勢いがおさまり身体を動かせるようになると、よろめきながら立ち上がる。手をついたときに、右肩から腕にかけてみえたのだが、手首の部分からだけ出血していた。戦闘服の堅牢さが有難かったが、晒されていた手首部分の皮は大部分がはげており、肉が見えていた。

 ふっと視線を正面に向ける。キヨモリは大口を開けた態勢のまま固まっており、唯はその隣まで移動しているところだった。キヨモリの口からは薄く煙のようなものが立ち上り、そこからなにかが放たれたのがわかる。

「空気の圧縮弾はどうだった?」

 答えられない。なんとか立ち上がりはしたのだが、息がうまくできないのだ。肺を衝撃が突き抜けたせいだろう、ヒューヒューとかすれた音しか出てこない。

――これが竜。

 十分戦力になりうる唯は最小限しか動かず、あくまで基本は竜任せ。圧倒的な力を持つものはリスクを背負う必要はなく、ただ相手を受け止め、捻り潰すだけ。
 最強であるが故にできる、最も安定して実力の差を決する戦い方だ。

 片膝をついたままの歩に対し、唯が言った。

「降参は?」

 歩は首を振る。

「仕方ない。キヨモリ、決めて」

 再度キヨモリの突進。
 再度同じ技。腕を振り上げ、振り下ろすだけのシンプルな一撃。
 故に最強。

 足が言うことをきかず、避けられそうにない。なんとか頭上で腕を交差し、せめてものクッションと化した。

 肉がわなないた。受け止めた力はあっさり突き抜け、頭に、首に、腰に、足に、そして地面へと次々と伝播。地面が陥没した。
 額より少し上の辺りが切れ、目の間をつうと血が流れていく。

 なんとかその状態で持ちこたえた。竜の膂力を考えれば、それだけでも考えられない成果だ。

 だがその状態から、竜が口を開けるのが見えた。
先のブレスを思い浮かべたが、避けようにも上から押さえつけられた形でなかなか動けそうにない。その上、なんとか真横にずれたところで、今の状態ではまともにバランスが取れるはずもなく、倒れ込んだところにキヨモリが迫って終了。

 絶望が頭をよぎったとき、アーサーの声が聞こえてきた。

「歩、突っ込め!」

 頭上からパートナーの声。
 ほぼ反射で上へ張り詰めた力を抜き、身体を屈ませながらキヨモリ側に身体を倒す。
 避けるのではなく、捨て身で己の全力を込める。

「あああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 全身を振り絞り、ただ前へ。上から身体を抑えつけていた圧力がなくなった瞬間、いままで経験したことがないほど、身体が加速した。歩を抑えつけていた力が、弦を引き絞った弓のように作用したのだ。
 矢たる歩はただ前に突き抜けるだけ。

 棍棒の先をキヨモリの腹につきたてる。先程の一撃はまるで効果がなかったが、今度はかなり奥まで入った。様々な要因が重なっての、会心の一撃だからだろう。
 ブレスを放とうとしていたキヨモリの顎が上がるのが見えた。無防備に喉元が晒された。

 この機を逃しては、歩に勝ち目などない。

 キヨモリが後ずさったため、棍棒を支えているだけで腹から得物が抜けて、それをそのまま上に跳ね上げた。丁度喉の辺りにぶち当たった。
キヨモリの口を強制的に閉じられる。すると中で収縮していた暴風が荒れ狂い、口の中から目に見えるほどの風が漏れだした。

「ギャアアオオオオォォ!」
「キヨモリ!」

 唯がはっきりとうろたえていた。こんなことは初めての経験なのかもしれない。なにしろ、この学校で唯一かつ特別の存在だったのだから。

 更に追撃をかけようと、かなり無理をさせた全身にさらに鞭打とうとしたそのとき。
 はっきりと、空気が凍るのがわかった。

「歩!」

 アーサーの声が聞こえてきたのは、歩が弾き飛ばされて行くのとほぼ同時だった。
 爪の先が腹にめり込み、会場を覆う膜に再び叩きつけられる。柔軟性のあるはずの膜が悲鳴をあげ、観客席に座った女子学生の目と鼻の先まで持って行かれた。
 腹には相当の鈍痛。骨にヒビでも入っているのではないかという錯覚すら覚えた。いままでのキヨモリとはまるで違う。

 膜が序々に収縮し、会場内に押し戻されて行く。砂地に滑り落ちていった。鈍痛がやまない腹に手を当てながらどうにか着地した。
 前を向くと、そこには怒り狂ったキヨモリの姿。
 その目には燃えあがるものが見え、ギラつき、明確な意思を歩に叩きつけてくる。

 ばちん、と音がした。
 その身体を拘束していた黒革が次々と弾かれて行く。バチバチバチバチと加速度的に音は増し、最後の一音が響いた後。
 ばさ、と翼が広がった。
 一気に会場が狭く感じてしまうようになった。
 まさか、飛ぶ気か!?

「キヨモリ! だめ!」

 唯の叫びは、キヨモリの羽音で消された。
 二度、三度はばたくと、足が地を離れ、一気に飛び上がった。

 上空で何度も旋回し、飛び回る。飛ぶ姿は、先程までのどこか鈍重な姿とは似つかわしくないほど、優雅でなめらかだ。膨大な質量を持つ生き物が自由自在に空を飛びまわるその姿は、種族の頂点にふさわしい。
 これが……竜。
『竜は飛んでこそ竜』という、担任の言葉が脳裏をよぎった。

「歩!」

 少しぼうっとしていると、アーサーの声が響いてきた。
 そういえば、アーサーは大丈夫なのか? 勇壮なキヨモリの姿を見て、竜を苦手とするアーサーは気が気でないのではなかろうか。
 そう思い、アーサーを見る。

「馬鹿者! 我でなく、やつを見ろ!」

 むしろ闘志が燃え上がっているようだ。竜が苦手ではなかったのか。
 だが、考えている暇はない。
 疑問をよそに置きひとまず気を取り直すと、キヨモリの姿が近付いているのがわかる。

 咄嗟に身体を転がしその場を離れると、数瞬前に自分がいたところから暴風が襲いかかってきた。
 二度身体を回転させ、片膝をついて起き上り、自分のいたところを見ると、そこには三本の大きな溝が走っていた。溝だけでなく、表面の土が削り取られているのは、指が完全に地面をもぐりこみ、手のひらぎりぎりまで抉ったが故だろう。
 背筋が凍った。

 羽音を探る。音は上空からで、キヨモリはふたたび飛びまわっているのだろう。
 先程から唯が叫んでいたが、聞こえていないのかまるで降りてくる気配がない。
 上空で飛びまわるキレたキヨモリに、歩に何ができるのか。

「歩! 唯! 退け!」

 雨竜の声が聞こえてきた。
 同時に、キヨモリの身体に何かが巻きつくのが見えた。

「中止だ! ここは俺にまかせて退け! もうそこに着く!」

 まきついている半透明の綱の先は、観客を守っていた膜。そこから伸びた綱はキヨモリの身体を次々と拘束していき、飛行に支障をきたし始めたキヨモリが墜落し始めた。

 指示に従い歩は逃げようとした。その前にパートナーの姿を確認しようとしたところ、逃げ始める姿が確認できたのだが、地面の上に茫然と佇む唯の姿が見えた。
 駆けよって腕を手に取る。唯は無抵抗で、完全に我を失っていた。
 そのまま入口へと引っ張って行こうとしたとき。
 咆哮が鳴り響いた。

「ウォォオオオオオオオオオオオオ!」

 キヨモリが咆哮と共に、全身の筋肉を振動させるのが見えた。翼を展開させようとしているようだ。拘束していたはずの綱は一息で無残に散らばされ、ぼたぼたと砂地に水たまりのようなものを作った。

 キヨモリは、そのまま滑空。進む先は歩の方。

「っ!」

 咄嗟に唯を弾き飛ばし、巻き添えにせずにすんだのだが、歩はキヨモリの手に掴まれてしまった。
 そのまま地面を削りながら、キヨモリは着地。背中で地面を抉りながら、歩は必死でこらえていた。

 止まった時、完全に歩は磔にされていた。脇の下からしっかり掴まれており、びくともしない。

 キヨモリの顔を見ると、瞳は自分に集中していた。口の中ではブレスの気泡。
 完全に狙いは歩。
 背中は地面で衝撃を抜けさせることもできず、拘束されたままで満足に動けない。
 受けられるはずも、避けられるはずもない。

――あきらめるしかないのか。

 唐突に響いたのは、アーサーの声。

「歩! 呆けるな! 前を見ろ!」

 声がした方を向くと、アーサーが唯の顔の辺りで留まっていた。
 唯はなにがなんだかわかっていないようで、眼が虚ろだ。アーサーは彼女を正面から見据えている。
 何をしようとしているのか。
 目端で、もう極大まで大きくなっているキヨモリのブレスが見えた。
 もう時間はない。
 アーサーは、いつものように響く低音の声で、いつになく慈愛のこもった口調で言った。

「平唯。耐えろ」

 ぼわ、と炎が巻き起こった。
 それはアーサーの口から出ており、それほどの力があったのかと驚いたが、それが唯に向かってのものだとわかると驚愕した。
 唯の悲鳴が会場に響いた。

「きゃあぁ!」

 キヨモリの力が緩んだ。これまでいくら唯が叫ぼうとも、届かなかったキヨモリが聞いたのか?
 しかし、悲鳴が特別大きいわけではない。むしろキヨモリに向かって叫んでいたときのほうが、声量としては大きい。

 そこで気付いた。
 パートナーだ。唯の危機はキヨモリにつながり、キヨモリの危険は唯に繋がる。命が繋がっているからこそ、何よりも優先して届く声なのだ。
 それで、キヨモリの注意が歩から消えた。

 この機を逃してはならない。

 棍棒を両手で握り、不自由な態勢から竜の手に見舞う。人差し指と中指の中間辺りには竜の急所がある。竜使いたる歩はそれを熟知していた。これ位密着して、じっくり狙えるのであれば、そこを正確に突くのが可能となる。

 突いた途端、歩を拘束する力が抜けた。
 すかさず棍棒を支点に抜けだすと、身体を起こし、態勢を立て直す。
 腰を低く構え、両腕で棍棒を持ち、相手との間合いを測る。
 万全の状態。
 狙いは竜の首元。そこもまた急所だ。

「ウェアアアアアァァァァァ!」

 的確に捉えた。
 歩の巨人をも倒す一撃が正確に入った。竜の強固さは巨人を大きく上回るが、どうなるか。

 ぼん、と何かが弾けるような音がした。
 キヨモリの口にあった圧縮空気が抜けた音だった。
 竜は声にならぬ声を上げ、倒れた。



[30262] 二章 裏 キメラと事件
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:09


――十二年前

「×××君、本日の食事だ」
「はい。食べるよ」

 隣にいた自分のパートナーに許可を出した。×××の脇のあたりまで背丈が伸びたキメラは、牙をむき出しにする。
 目の前には本日の生贄。翼の折れまがった鳥型のパートナー。
 生贄を前にして、やることは一つ。
 ばりばりぐちゃぐちゃごくごく。
 骨を砕き、肉を咀嚼し、血を嚥下する。
 もう手慣れたもので、この程度の大きさなら、私とキメラの二人で十分もかからない。
 今回は七分で済ませられた。
 予め用意してあったタオルでキメラの口をぬぐった後、自分の口元と手を綺麗にする。

 汚れたタオルをどうしようか迷っていると、キメラに変化が訪れた。
 背中がばきばきと音を立てながら割れ目を作る。中からは血みどろの肉の塊が出てきて、二つに広がった。
 そのまま大きく伸びていき、扇のような形を描きだす。それは今食べたばかりの鳥の翼に似ていた。食べた相手の能力を奪ったのだ。質量すら変化させる驚愕の能力だが、もう見慣れたもので、ただの日常と化している。

「それでは、これで終了でいいですね」
「ああ」

 キメラの背中に再び割れ目ができ、中に翼が戻っていく。バキバキバキと音をたててはいるが、その顔に苦痛の様子はなく、もう慣れきったものという感じだ。最初の十度目まではキメラの能力に戸惑ったが、今はもうどうとも思わない。ただそうあるだけだ。

 あっさりと翼は背中に収納され、割れ目が閉じる。手にしたタオルで軽く拭うと、そこにはもう傷口すらなかった。キメラは、手に入れた能力をこうして収納し、自由にコントロールできるのだ。
 タオルを手にしたまま出口に向かったところ、『おじさん』の声が聞こえてきた。

「おつかれさま」

 『おじさん』の声は、嘲笑の色を帯びていた。



 初めてこの施設に連れてこられてから、三年が経っていた。
 キメラは勿論のこと、心なしか×××の背丈も伸び、年月は順調に経過しているのが実感できる。三年間、全く施設外に出たことのないキメラでも年をとっているようだ。
 『食事』を終え、殺風景な施設の廊下を歩いていると、『おじさん』から声をかけられた。

「×××君、今日の講義はまた後日でいいかね? 少し用事があってな」

 作り笑いを浮かべて答える。

「いつも教えていただけているだけ有難いです。正直なところ、私も丁度仕事が溜まっておりましたし」

 ×××はこの施設内で、他の『実験動物』の一部を任せられるようになっていた。従順に従いつづけてきた結果、ある程度の信頼を得ることができたからだ。同じ『実験動物』の身ながら、×××はそれなりの自由と教育を受けられており、言うなれば、牢名主といった扱いだ。
 どうやら今日の講義はないらしい。知識を得るのは食事の次の楽しみなのだが、仕方がない。
 あらがっても何も好転しない。それなら尻尾を振った方がマシだ。

 『おじさん』は、形だけ取り繕った謝罪を述べた後、走って正面の大きい出口から出ていった。
 ×××もそちらに用があるので向かうと、出口のドアをあけたところで『おじさん』と同僚が話しているのが聞こえてきた。直角に曲がった角の先にいるのか、姿は見えない。

「そういや、×××に色々教えてるみたいだけど、大丈夫?」

 『おじさん』は豪快に笑いながら言った。

「ああ。でも大丈夫。パートナー喰いにまともな生活ができると思うか? あいつらは外に出てもいずれ耐えきれなくなり、襲いだすさ。そんな自覚もあるのか、抵抗する素振りもない」
「けど、闇討ちの方法だったり、戦術とか教えたりするのは流石に危なくないか? お前が被害者になっても知らんぞ」
「大丈夫だった。それにな」

 見えなかったが、『おじさん』の醜悪な笑みが頭に浮かんだ。なんとなくわかる。

「無抵抗なのも面白みがないだろう? 希望を持たせた方が、絶望も深くなるってもんだ。色んな事を知れば知るほど、自分の境遇に自覚が出る。そうした姿は、どうしようもなくみじめだと思わないか? ただ淡々と動くモルモットより、苦悩する姿の方がそそるもんがあるだろう? 不死鳥を食って臓腑を燃えあがらせていた時の顔なんて、最高だったぞ」
「相変わらずの悪趣味だな」

 ガハハという笑いが遠のいていく。その場を離れていったのだろう。
 そのままその場に立っていると、角の先から若い男が歩いてきた。おそらく、おじさんの話相手であった彼は、×××の姿を見ると、ぎょっと身体を強張らせたのが見えた。

 ×××は作り笑いを浮かべ会釈した。顔を上げると、若い男の表情は凍ったままだったが、何も言わずに隣を通り過ぎていく。
 先の角を曲がり、先程まで『おじさん』達がいたであろう廊下を歩く。
途中で△△△が身体を擦りつけてきたが、軽く首元を撫でるだけで済ませた。
こんなことは驚くまでもないし、悲しむことではない。
この場から逃げられるとも、キメラの宿命を避けられるとも、自分達がまともな扱いを受けられるとも、思っていない。
 自分達は実験動物であり、キメラなのだから。



 今日は『新入生』が来るらしい。
 時折、新たな『実験動物』が増えることがあるのだが、×××はそうした新入生の世話も任せられている。
 『おじさん』からの情報によると、新たな新入生のパートナーは×××と同じキメラだとのこと。パートナーが生まれた瞬間、捕まえてきたのも同じ境遇だと言われた。名前は□□□というらしい。

 ただ、それを聞いたところで×××のやるべきことは何も変わらない。

 時間の五分前になり、指定された部屋に向かう。真っ白な廊下をいくつか過ぎて着いた先は×××が二年前に連れてこられた部屋だった。
 一分前に到着、そのままその場で待つ。廊下を挟んだ先にはシャワー室があり、そこには着替えや大量のタオルが置いてある。×××の役目は、血まみれになることも少なくない『新入生』の身づくろいを補助することだ。

 突然、ドアが開いた。廊下側からはドアが付いているが、中からは隠しドアになっているのを経験からわかっていた。
 出てきたのは、ぱっと見少年か少女かわからないが、十二歳にしては大人びて見えた。
 全身血まみれで、顔の表情もどこか虚ろだ。
 足元にはパートナーと思しきキメラ。犬をベースに、背中にこうもりのような羽、尾が二股の身なりだった。
 とりあえず、話かけてみる。

「大丈夫? とりあえず、身体綺麗にしようか。そこシャワー室だから、中に入ろう」

 反応がない。足元にいる□□□のキメラはなにやらこちらを睨み、唸りはじめ、敵対心を露わにしていた。脇に控えていた×××のキメラも、威嚇するように唸り始める。
 □□□が、動いた。
 いきなり飛びかかってきたのだ。
 奇声を上げながら×××に迫り、足元のキメラも狙ってきている。
 ×××はキメラを無視して、するりと身をくねらして避けた。□□□が反対側の壁に頭から突っ込み、鈍い音を立てたところに、首筋に手刀。おじさんの講義の一貫として武道も習っており、その中でこれも教わったのだが、×××の成功率はそれほど高くない。
 それでもなんとかなったらしく、壁からずるりと落ちて行き、地面に突っ伏した。

 ふっと息をついたところ、悲鳴のようなものが聞こえてきた。音のした方をむくと、×××のキメラがもう一体のキメラを締めあげているところだった。尻尾の蛇が身体にまきつき拘束していた。蛇の部分から赤く長い舌のようなものが出し入れされている。
 □□□とそのパートナーの無様な姿を見て、×××はため息をついた。



「はい、ココアでよかった?」
「すみません」

 温かいココアを手渡すと、□□□は申し訳なさそうに身を縮めて受け取った。

 あの後、まだ気を失ったままの□□□をシャワーにぶちこみ、服を脱がせ、綺麗にした。同性なのが幸いした。
 その後、気を失ったままの□□□の身体の湿り気を拭いとり、多少てこずりながらも服を着せ、談話室に連れていった。
 その間、□□□の小さなキメラは×××の大きなキメラが拘束したままだった。
 談話室に寝かせて数分たったころ、□□□は目を覚ました。再度襲い掛かってはこなかったが、警戒しているのは明らかだった。当然だ。狼狽しているようにも見えた。
 それが無くなったのは、□□□が×××のキメラに気付いたときだ。そこからは割と素直に応対し始めたのは、ある種の仲間意識が芽生えたからだろう。同じ『キメラ使い』に。
 そこで、小さなキメラを解放し、□□□に渡した後、一通り状況を説明した。説明を終えて、ふと飲み物を出していないことに気付き、買って渡した、というわけだ。

 □□□は黙ってココアを飲んでいる。心なしかほっとしているように見えた。

「何か質問ある? できることなら答えるけど」
「あの、なんでもいいですか?」
「答えられることなら」
「あの、その、貴方の生い立ちを聞きたいんですけど」

 意表を突かれた質問だったが、別にいいと思い、なんでも答えた。微妙に忘れている部分もあったが、□□□はまあ満足したようだった。
 ×××が語り終えると、代わって□□□が話し始めた。
 □□□の場合は、孤児だったらしく、一人で十二歳の誕生日を迎えたとのこと。そこで生まれたのがキメラで、すぐに昏倒させられて今に至ると。
 それだけでなく、自身の生い立ちに関しても話は及んだ。五歳の時に両親を亡くし、施設へ。施設の暮らしは随分辛いものだったらしいが、明るく語った。

 一通り話終えたところで、□□□は言った。

「僕達、仲間ですよね? 境遇も似てますし、パートナーも同じで」

 そうだね、と×××は答えた。確かに少し親近感が湧いてきたところだ。自分の境遇を話したのも、仲間意識を強化したかったからかもしれない、と思い始めた。

「僕、この後どうなるんですか?」
「多分、私と同じだろうね。色んな魔物やらパートナー喰わされて、能力手に入れて、データ取られて。おとなしくしてれば手荒くされないし、それなりに自由も与えられるから、そう悲観することもないよ。ここを出ることはできないけど。私の場合だとそんな感じ」

 □□□は考え込んだ後、尋ねてきた。

「外に出る可能性はないんですか?」
「できない。私の場合、戸籍も死亡扱いにされてるしね。□□□はまだなってないだろうけど、それも手続きだけの問題だから」
「そうですか……」

 この施設内でその手続きの一端が行われることを×××は知っていた。流石にその仕事が回ってくることはなかったが、『おじさん』に聞いたことがある。なんでも、その書類を提出したら、属している組織が手続きしてくれるらしい。その書類の提出は、週末にまとめてやるとも言っていた。
 □□□は再び考え込みはじめた。×××が手にしたココアを飲み終えたころになって、ようやく口を開いた。

「あの、僕の服どうしました?」
「ここにあるよ。はい」

 血まみれになった服を渡す。
 自分の起こした惨劇を思い出したのか、身体をビクつかせながら受け取ると、中を探り始めた。上着の内ポケットに手を突っ込み、そこからなにやら取り出す。
 それは□□□のIDカードだった。本人の名前と性別、生年月日、そしてパートナーの名前が書かれており、自分の戸籍を証明するものだ。

「これ、持っててもらえませんか? もう何の役割も果たせませんが、それでも持っていてほしいんです」

 象徴みたいなものだろう。相手に自分が存在した証明を持ってもらうことで、相手との絆を深めると同時に、仲間意識も強固なものにする。
 会ったばかりの自分にそこまで仲間意識を持つのはどうかと思ったが、これからの生活が不安で、仲間を作りたいのだろう。同じキメラ使いであることも、それを助長している。
 まあ、落ち着いたころに返せばいいかと思い、受けとってポケットの中に突っ込んだ。□□□は嬉しそうに顔をほころばせた。

「そういえば、まだ名前つけてありませんでしたね。×××さんのキメラは、なんて名前なんですか?」
「付けてない」

 今に至っても、自分のパートナーに名前を付けていないのは自分位だろう。なんとなく付けるのが面倒で、それを求められることもなかったため、なあなあで済ませてきた結果、×××のパートナーは無名のままになっている。
 それを聞いて、□□□は憤慨した。

「そんなのかわいそうですよ! 付けてあげましょう! 僕なんて生まれる前から決めていたのに」
「生まれる前から決めてたの?」

 えへへ、と照れながら、□□□は言ってきた。

「はい! 実はIDカードにもう書いちゃってるんです。待ちきれなくて」

 呆れたが、自分が淡泊なだけか、とも思った。
 これを機に名前をつけるのもいいかもしれない。
 自分のパートナーを見る。
 キメラだ。
 キメラに、名前などいるのだろうか?

 その時、突然怒号が鳴り響いた。
 同時に警報。電灯が赤い緊急用のものに変わった。

「あれ!? なんですかこれ!?」

 □□□の困惑する声が聞こえてきたが、それは×××も同じだ。
 避難経路がぱっと思いつかず、壁にかかった案内板に目をやった瞬間。
 何かが崩れる音がした。
 首筋に衝撃が走り、続いて全身が叩かれる。
 意識はあっさりと無くなった。



 頬に冷たい感触がして、手を伸ばした。
 そこにいたのは自分のキメラ。目を覚まさせようと頬を舐めていたようだ。
 起き上って目に移った光景は、悲惨だった。
 ところどころ怪しい炎が立ち上り、形のあるものは全て壊れている。炎に焼かれてパチパチと弾ける音がしていた。炎以外に動く影は見当たらない。

 随分と呆けた後、ふと自分の身体を見回してみた。至る所から出血し、どこが痛いのか分からない位痛覚が悲鳴を上げていたが、ぱっと見てわかる重い傷はない。
 なぜ、自分だけ無事なのか。
 はっと気付き、キメラを見てみると、全身血まみれだった。特に背中の傷は酷い。おそらく自分を庇った時の傷だろう。能力を出し入れするときに見せる、異常な復元力でも回復しきれていない。

「大丈夫?」

 キメラはクゥーンと鳴いた。その声は悲痛なものが籠っていたが、声そのものに濁りはない。×××に纏わりついているのだが、その動きも健康そのものといった感じだ。知らない内に、随分と強くなっていたようだ。

 ひとまず立ち上がり、空を見上げてみた。
 三年ぶりの夜空は、こんなときながら美しいと思った。

――これから、どうするか。
 外に出たところで、自分の戸籍はもうない。戸籍がない人がどうやって暮らしていくかなんて、全くわからないし、もし自分の戸籍が残っていたとしても、再び連れ戻されるのはわかっている。キメラ使いなのだから。

――どうしようもない。

 とりあえずその場を離れようと瓦礫の上に足をかけると、そこに、小さなキメラの姿があった。腹が裂かれ、目は白く濁っている。死んでいるのは明らかだ。
 となると、□□□も死んだはずだ。パートナーと人は、命を共有している。
 ほんの数時間だけの関係でしかなかったが、仲間のことを思う。最後のほうは随分と人懐っこい顔をしていた。

 そこでふと思い出し、ポケットを探る。
 そこには、□□□のIDカードがあった。



[30262] 三章の序 幼竜殺し?
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:19


「なんだあれは! クズに負ける竜など、竜ではない! とんだ無駄足ではないか!」

 ハンス=バーレは憤慨していた。
 わざわざ全国七位の実力を持つ彼が足を運んだというのに、そこで会ったのは竜と名乗るのもおこがましいクズと、そのクズに負けるただの木偶の坊だったからだ。
 会場で木偶の坊が暴走したところで落胆し、その場を離れようとパートナーの背に乗ったはいいが、いざ飛び上がって見えたのは、人に昏倒させられる木偶の坊の姿であった。
 竜が人に負けるなど、あってはならない。名目上は竜使いであったとはいえ、パートナーが竜とは到底思えないクズである。そんなものは竜使いではない。

 跨った己のパートナーを見る。
 ハンスが乗ってもびくともせず、空を悠々と飛ぶ翼竜。全国七位の空戦能力を持つ竜。勇壮に翼をはためかせ、大空を駆ける王の中の王。
――これこそ竜なのだ。
 あのような、雑種とは違う。あれは、全くの別物なのだ。

 そう考えても憤りは収まらない。
 忌々しさは増すばかりだ。

 そう思っていると、正面からなにやら飛行する物体が見えた。
 よく見えないが、大きな翼ではばたいている。大きさは先程の木偶の坊と似たものか。
 舌うちをして、喉を張り上げる。

「そこの! 道を開けよ! 我は全国七位であるぞ! 竜であるぞ!」

 正面の影は序々に大きくなっているが、まるで避ける様子がない。なんたる不遜。
 野良の魔物かとも思ったが、背中にはその主人と思しき姿があった。マントを全身に巻きつけており、顔どころか髪すらも見えないのだが、大きさや影の形からしておそらく人であろう。それも不遜である。

――我は貴族であるぞ!?

 そう叫ぼうと息を吸った時、気付いた。
 正面のパートナーの異形な影。
 その姿は竜のようでいて、竜ではない。ハンスにとって、竜使いにとって最も唾棄すべき存在。
 ハンスは幼竜殺しを思い出した。事前にもらっていた情報と、なによりハンスの勘がささやいた。

――やつだ。

 無意識のうちにハンスの口元が歪んだ。
 これだ。

「我はハンス=バーレ! 貴様を誅滅せしめる竜使いの名だ!」

 返答がないが、それに対して思う物は何もない。
 こいつを殺す。それが竜たるものの役目である。
 ハンスは、腰元の宝剣を抜き取り、相方たる翼竜、ミッヒに命じた。

「ミッヒ、やつを殺せ!」

 足元で流れる景色が加速する。目の前の不埒者の姿がよく見える。
 その背には、全身をマントのようなもので覆った、おそらく人の姿。
 ハンスは宝剣を振り上げ、顔を喜色に染めた。

 その瞬間、視界が赤い炎で包まれた。
 炎が全身を舐める、と思った直後、足元がぐらつき身体の態勢が崩れる。同時に足場になっているパートナーも落下し始めるのが分かった。
 なにかしくったか。
 ちっと舌うちをして重心を下げ、パートナーの身体に張り付かせる。炎が周囲を満たしていたが、竜使いたるものこの程度の炎は何も感じない。

 炎の嵐から抜け落ち、空が見えたと思ったら、そこに何か赤黒い液体が舞っている。
 なんだろう、と思い手を伸ばした。
冷たい感触がつき手を引っ込めようとした時、その手がぐらりとゆらめく。続いて嗅覚が、ゆらぎすぐに薄くなっていく。なんとか嗅ぎとったのは、妙な鉄臭さ。
血だ。
 宙を舞っていた血液の量は、ハンスの身体を絞っても出てくる量ではない。
 そしてそれは、自分の足元から出ている。
 ミッヒがやられた。そうなるとつまり自分の命も……
ハンスの意識はそこで消え失せた。




[30262] 三章の一 肉まんと弁当
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:19



「歩、昼は買ってきたか?」
「……おう」
「ちゃんとアレであろうな?」
「……おう」

 歩が開き教室に入ってきたところを迎えたのは、アーサーの意地の悪そうな顔だった。
 手のひらを上にして小さな手を差し出している。
嫌々、その指に歩が手にした袋をひっかけた。
 それは、今さっき走って買ってきた肉まん。
 アーサーの好物である駄菓子屋のものだが、それは特別仕様で、アーサーの両手で収まる程度の大きさなのに、一つで昼食代の半分を占める代物だ。
 それが目の前に十。
 こうした昼飯生活は七日目。合計七十個。歩とアーサーの昼食代に一カ月分の小遣いを足してもなお足の出る費用。
 それは全て歩の負担だ。
 つい泣きごとを漏らしてしまう。

「どうしてこんなことに……」
「安易な賭けなど挑むからであろう。これに懲りて我に刃向かうことなどせぬことじゃ」
「結局戦ったのは俺だけなのに……」
「我がおらずに勝てたというか?」

 模擬戦で、キヨモリの拘束から抜け出られたのは、間違いなくアーサーがいたからだ。
唯に炎を浴びせかけることで、キヨモリに決定的なまでの隙を作る。
その発想は歩にはなかった。
 つまり、アーサーは立派すぎるほどの結果を残した。
 となると、『仕事をすればなんでも言うことを聞く』という賭けは歩の負けだ。

「なんでこんなことに……」

 要求を通し、ホクホク顔で肉まんにかぶりつくアーサーを見て、これほどこいつを憎たらしく思ったことはあっただろうか、と思った。自分の飯はというと、一番安かった食パンまるのまま。おかずを着ける余裕はない。
 悔しさに肩を落としていると、そこにぽん、と手を当てられた。

「一週間おつかれさまでした。私の弁当、少し食べる?」
「……みゆき、お前はほんとにいい子やあ……」

 みゆきだった。
 少し楽しそうに苦笑していたが、嬉しい。
救いの手が差し伸べられたと思った矢先、アーサーが口を挟んできた。

「賭けに負けた癖に他人に助けを乞うのか? 男らしくないのう」
「他人つっても、みゆきだし」
「どちらにしろ憐れみを乞うておるのは変わらん」
「別に私、憐れんでるつもりはないよ」
「いいやそれは憐れみだ。なあ、お前にもプライドの欠片程度はあろう?」

 アーサーは歩を煽っている間も、肉まんを手にし続けていた。
 確かにその通りなのだが、ここでやめてもアーサーの手のひらで踊っているようで気分が悪い。かといって、みゆきのご飯をもらった瞬間、ささやかなプライドが消え失せる気がした。
 歩は悩んだ結果、みゆきに丁重に断りを入れた。
 ひもじく食パンにかじりつく。
 敗者の味がした。
 と、呆れたような声が聞こえてくる。

「あんたら、いつもこんななの?」

 口に物を詰め込んでいた歩とアーサーに変わり、みゆきが愉快そうに答えた。

「面白いでしょう?」
「面白いとはなんだ。野郎の熱き戦であろう」
「はいはい」

 アーサーの言葉をみゆきが流したところで、近くにあった机が二つ歩のそれにくっつけられ、そこに二人の女生徒が座った。

 一人はみゆき。後方には液状の栄養剤をもらっていつもより張りのあるイレイネ。
 もう一人は――

「唯さんも私の弁当つままない? 今日少し量多めなんだ」
「あ……、ならちょっとだけ」
「どうぞ」

 後ろに竜を控えさせた竜使い、平唯だった。



 キヨモリとの模擬戦から一週間が過ぎようとしていた。
 あの後、気絶したキヨモリは厳重に拘束され、檻の中に入れられた。暴走し、飛行禁止を破った挙句、教師達のパートナーの拘束を解き、一歩間違えば歩の命を奪うことになったかもしれないのだ。その罪は軽くないように思われた。
 しかし、やはりそこは竜。相手が半端な竜使いだったこともあり、特別扱いはここにも及んだ。模擬戦そのものも没収試合ということになり、公式結果は両者引き分け。なんとも言い難い結果に終わった。

 キヨモリは、歩のすぐ近くでのんびりと欠伸をしている。食事は既に済ませていたらしく、夢心地にうつらうつらしていた。
 その主たる唯はというと、差し出された弁当に手の伸ばし口に入れた。
 目を見開いた。

「美味しい。これ、自分で作ったの?」
「うん」
「すごい! 本当においしい!」

 唯はわざわざみゆきの方を向いて言った。なんとも無邪気な様子で、模擬戦前となんら変わらぬ姿だ。
 唯は炎を浴びせかけられたというのに、全く怪我はなかった。髪の端が軽く焦げていた位で、火傷一つなかったらしい。
 これは、竜使いであるからだ。アーサーの炎は見た目には巨大なものだったが、竜の堅牢さを受け継ぐ竜使いにとって、それほど威力のあるものではなかったらしい。
 それでも、炎に視界を埋め尽くされたことで唯はつい悲鳴を出してしまい、キヨモリの注意をひくことができた。
 それでいて、唯に重傷を負わせてはいない。
 もし勝利を収めたとしても、それはやはり模擬戦。相手を激しく傷つけて何も感じない、というわけにはいかなかっただろう。
 アーサーの発想は完璧だった。活躍していないとは言えなかった。

「ふむ、みゆきの料理はなかなかのものだからな。我もこいつらがなければ、手を伸ばしておるところだ」

 アーサーが乗った机の上には、まだ肉まんがいくつか残っている。それを全て胃に納めるというのだから、余裕はないのだろう。
 みゆきが少し照れながらも、さらに唯に進める。
 一方の歩はというと、ひもじく素の食パンをかじっている。言うまでもなく、アーサーは特製の肉まん。
――ひもじい。

 ふと唯を見ると、なにやらこちらを覗ってきている。

「あのさ、もしかしてこれって水城の分だったんじゃない? 私、食べてよかった?」

 見ると、確かにみゆきの弁当はいつものものより大きい。二倍はありそうだ。言われてみると、ひもじい一週間を過ごす歩を見てきたみゆきなら、そういう気遣いをしてもおかしくない。
 みゆきが少し困った表情をしたところで、アーサーが口を挟んできた。

「構わんよ。自ら招いた事態だ。むしろ今になってようやく気付いた挙句に、今更手を伸ばすなど、そやつの面子は粉々に打ち砕かれるというものだ。安心してほうばるが良い」

 はっとみゆきの方を向くと、申し訳なさそうにこちらを見ていた。申し訳ないのはこっちだ、と思い、軽くごめん、と言った。
 そこでふと気付いた。

「最初っから気付いていたなら、お前はみゆきの心遣いを無視して俺を煽ったんだろう? 随分意地が悪いな」
「お前が喰わないなら、我が食えたからのう」
「お前、肉まんだけで腹いっぱいじゃねえのか」
「食おうと思えば食えるさ。みゆきの弁当は格別だからの。母上殿のものも負けず劣らぬが、生憎ここのところ仕事づめのようだで随分食っておらぬ。些か、上手い弁当が恋しくなって追ったところじゃ」
「それなら、私食べてよかったの?」

 唯がすまなそうに言った。慌てて歩が答える。

「いいっていいって。この馬鹿のたるみになるより、食べちゃってよ。俺が言うのもなんだけどさ」
「そうだそうだ! お前のいうことではない!」
「お前のいうことでもねえよ!」

 みゆきと唯の二人がくすっと笑った。どうもアーサーとの会話はこうしたコントみたいになってしまう。

「みゆき! それは我が食う! いいであろう?」

 みゆきは少し小悪魔的な微笑を浮かべて言った。

「平さん、どんどん食べちゃって」
「みゆきーーーーーーーーー!」
「それ以上食べれば太っちゃうよ? それだけ食べれば十分でしょ」

 普通に考えれば肉まんだけでも食べきれない量がある。歩からしても、よく肩にのっかかって来られる身としては、太ることだけは勘弁してほしい。
 アーサーはすねたたように口をとがらせながら、肉まんにかぶりついた。

「ほらほらアーサー、そんなすねないの。今度作ってきてあげるから」
「本当か!? 嘘ついたらお前の乳もむぞ!? 歩が」
「なんで俺が!?」
「いいわよ」
「みゆきも乗らない!」

 歩は、は~っとため息をついた。

「すまんな、色々」
「いーえ。家族みたいなもんだから」
「仲いいのね」

 唯がややノリに遅れながらも言った。

「まあ、一緒に住んでたしね」
「そうなんだ……」

ここでふと唯が考え込み始めた。
 顔を覗うとなにやら迷っているのが見て取れた。
 数秒ほど考え込んだ後、顔を上げ言った。

「あのさ、私本当に混ざっていいの? 家族の団欒邪魔してるんじゃないかな?」
「そんなことないよ」
「それに、模擬戦であんなこともあったでしょ? キヨモリも私も、結局おとがめなしに終わっちゃったし」

 実際、普通に考えたら何らかの遺恨があって当然だ。我を忘れ相手を殺しかけたキヨモリと唯。殺されかけた歩とアーサー。結果は何もなかったとはいえ、やはり被害者からしたら、加害者に恐怖や恨み、少なくともこうして打ち解けることは不可能だ。加害者に何も罰が与えられなかったらそれはより強いものになるだろう。次の日に誠心誠意の謝罪を受けたとはいえ、全てを水に流すのは難しい。
 ただ、歩の中に不思議と二人を憎む感情はなかった。

 ふとキヨモリに視線を向ける。
 完全に眠りこけており、鼻ちょうちんすらふくらましている。尾をだらりと伸ばし、巨躯を窮屈に縮める姿は、自分を殺そうとした姿とは似ても似つかない。
 こうしたどこか可愛らしい姿は、謝罪に来たときも変わらなかった。唯が悲愴なものを浮かべて頭を下げている横で、キヨモリも謝っていたのだが、その姿は悪戯をして叱られる子供の姿を思い起こさせた。大きな身体をしゅんと縮め、どこか泣きだしそうに見えた。
 そんなキヨモリの姿を見ていると、歩の毒気は抜けてしまったのだ。普通なら怒るか、あきれてしまったように思う。だが、歩は違ったのだ。
 それはアーサーも同じだったようで、表向き唯を非難していたが、いつもほど舌鋒は鋭くなく、むしろ擁護するようですらあった。

 そうなると、逆に唯とキヨモリに対して同情の念が生まれた。
 模擬戦以前は、どこか『孤高の竜』として、遠巻きにされながらも、雑に扱われることはなかった。実際に戦うところを目にしたことは誰もなかったのだが、それでも皆敬意を持って扱っていたのだ。

 しかし、負けた。しかも相手はお笑い竜であるアーサーと歩。
 それまでとはうってかわって、クラスメイトは侮蔑のまなざしで見るようになった。特別扱いを受けてきている嫉妬も重なり、唯やキヨモリを見る時の顔は見るこちらの胸糞が悪くなるほど、おかしなものだった。

 どちらにしろ、唯とキヨモリは苦境に立たされていたのだ。
 そんな姿を見て、内心歯がゆく思っていた歩も、どうすることもできなかったのだが、そこに手を差し伸べる人が現れた。
みゆきだ。

 みゆきは歩とアーサーに相談した後、声をかけた。戸惑う唯を強引に誘い、歩達のところに連れてきた。歩達を見て、唯の戸惑いは更に増したが、歩達もみゆきと共謀して有無を言わせず、なあなあの内に習慣づけさせた。
 そうして、ここのところ昼食を共にしていたというわけだ。
 しかし、唯は、なあなあのまま済ませる気はないようだ。
 再度、問いかけてくる。

「やっぱり、私いない方がいいよ。誘ってもらったのは嬉しいし、感謝もしてる。ただ、水城君もアーサーも、内心複雑だと思うんだ。水城君を殺しかけたキヨモリがいるのは団欒の邪魔になってるよ。それを止められなかった私もね。それに、アーサーはキヨモリのこと苦手そうにしてたでしょ? 今も無理してるんじゃない?」

 内心、歩は唯に好感を持った。
 嬉しかったのは本当だろう。昼休みになる度に誘われて戸惑いつつも、それを嫌がったところは見なかったように思う。みゆきの弁当を食べた時は、ほんとうに美味しそうだったし、本当に楽しんでいるように見えた。
 なのに、それを自ら手放すという。
 それはおそらく、歩とアーサーに対する気遣いや優しさ、そして自分への厳しさから来ている。
 本当にいいやつだ。
 彼女を拒絶する理由はない。

 だが、それを伝えようにも、気にしてない、と言ったところで本人は真に受けないだろう。恨んで当然の関係だからだ。

 どうするか悩んでいると、アーサーが口を開いた。

「舐めるな」

 ほんの少し、怒気が込められていた。

「少しばかり痛めつけられたからといって、相手を恨むほど度量は狭くないわ。我には当然及ばぬが、そこの呆けておるアホもそれなりの度量は持ち合わせておる。そもそも、戦に臨んだ時点で命のやりとりの覚悟は必定。いくら安全を期そうと、心がけずに挑むは愚者である。殺されかけたからと恨むなど、竜どころか人の風上にも置けん」
「でも、アーサー、キヨモリ見て少し震えてたじゃない。今は大丈夫そうだけど、内心不快じゃないの?」

 そうなのだ。こいつは竜のことが苦手なはずだ。なのに、唯が、ひいてはキヨモリと共に昼飯をとることを許諾し、こうして擁護すらし始めている。
実は、歩は昼食の件について断ろうと思っていた。アーサーが辛い思いをするのは、やはりためらうことだ。みゆきが一緒にいるだけで、唯は随分救われるだろうとも思っていた。
 だが、アーサーは許諾した。そうなると、歩が断ることもできない。
 それでもなお考えてしまう。
 本当にいいのだろうか?

 アーサーは言った。

「何を言う? そんなことはない。もしあったとしても、このアーサー様がいつまでもそこの幼竜を苦手とする? そんなことはあるわけはなかろうが」
「でも」
「でもではない。我を舐めるな」

 アーサーの言葉は強い。話す内容がどんな詭弁でも、相手を信じさせるようなパワーがあるのだ。慣れるまで、歩が何度この竜にやりこめられたことか。
 歩は最近になって、そのパワーはアーサーの自信から来るもののような気がしてきた。
 つまりこのパワーが出るということは、アーサーが今口にしていることは心から発せられたものだ。
 歩はひとまず、アーサーを信じることにした。

 一方、唯はうろたえ始めた。まさか説教されるとは思っていなかったのだろう。
 うろたえる唯に対し、口調を一転させてアーサーが言った。

「まあ、加害者意識に苛まれて、我らと食卓を共にできぬというのであれば、仕方ない。まあ所詮竜といえど、幼竜。まだまだお子ちゃまには厳しいのかもしれぬな」

 唯の目に、燃え盛るモノが見えた。

「そんなことはない! キヨモリは立派な竜! それは侮辱だわ!」

 ここで歩が口を挟んだ。

「なら、一緒にご飯食べてくれるよね? 俺もアーサーもなんとも思ってないなら、当然できるよね? 俺らはなんとも思っちゃいないからさ」

 唯は顔を赤らめた。こうなると、ノーとは言えない。
 更にアーサーは追撃する。

「誇り高き竜と竜使いが、まさか断るなどありえまい? 己の呵責に負けるなど、まあまともな竜なら耐えられて当然だからな。ま、幼竜なら幼竜だと認めればそれで済むがな」

 唯の負けだ。
 ふとアーサーを見ると、楽しそうに顔を歪めている。いじめっこの顔だ。言っていることは大層でも、その姿はどうも子供っぽい。
 おそらく、これがキヨモリに毒気を抜かれた原因だろう。大きさこそ違うが、キヨモリとアーサーはどこか被る。似たような竜だから当然だろうが、子供っぽい仕草をさせると、本当にそっくりだ。
 ここでみゆきが言った。

「そういうことで、ちゃっちゃと食べちゃってよ」
「なんなら、我が食うぞ? 幼竜にはこの味などわからぬであろうからな。食されるべきは我であろう」
「あ、でも自分の弁当もあるか」

 唯の机には、どこかで買ってきたような味気ない包装の弁当がある。小柄な唯がそれとみゆきの弁当両方を食べるのは難しそうに思えた。
 唯は頬を赤くしつつも、しっかりと言った。アーサーに食われるのは勘弁、ということであろう。あれだけ煽られた相手に、悔しさが残らないわけがない。

「それなら大丈夫。キヨモリ!」

 唯が包装をばりばり剥がし始めた。呼ばれたキヨモリは、腕をまくらに地面に横たえていた頭を起こして、唯の近くに伸ばしてきた。
 唯は弁当のふたを開けると、箸を手に持った。

「はい、あーん」

 キヨモリががばーっと口を開けた。巨大な口とそこに居並ぶ鋭い牙を視界に広がり、ぎょっとする。
 その巨大な口に、弁当を持っていくと、唯は一気に傾けた。
 ばさ、と竜の口の中に中身が落ちた。唯は更にその上で容器をひっくり返し、箸でこびりついたものもこそぎ落とす。その間、キヨモリは口を開け続けており、歩はカバの餌やりを思い出した。

「はい、いいよ」

 唯の合図で、キヨモリは口を閉じ、数回咀嚼しただけで一気に呑みこんだ。豪快すぎて呆気に取られるしかない。
 残った空の容器を適当に脇に避けると、唯はみゆきに席を寄せた。みゆきも一瞬呆けていたが、すぐに我に返りみゆきの弁当を唯に寄せる。
 みゆきの弁当に箸を伸ばし、嬉しそうに笑みを浮かべる唯。隣ではキヨモリが再び眠り始めている。
 歩は食パンをかじった。
 少しだけ、先程より美味しく感じた。やはりひもじいが。




[30262] 三章の二 不可解な指示
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:20



「ごちそうさまでした」

 唯とみゆきが食べ終えた。歩とアーサーは先に終えている。
 時計を見ると、昼休みは後三十分ほど残っていた。次の時間は、久々の模擬戦のはずで、移動して着替えを済ませるのは十分ほどかかる。自由な時間は二十分かそこらだ。

「それにしても、みゆきも随分強いのね」

 リラックスした様子の唯が尋ねた。この短い間で下の名前を呼び合うようになっている。
 みゆきは照れ半分、困った半分の笑みを浮かべた。

「私ら以外の格付け模擬戦で優勝したんでしょ? 最低でもこの学年で三つの指にはいるってことじゃん。本当すごいよ」
「まあAクラス模擬戦で最強の類だったからな。おかしくはないが、それでもすごい」
「我も鼻が高いわ」
「そ、そういえば、唯は模擬戦の間何してるの?」

 みゆきが強引に話題を変えた。本当にこの話題は嫌なのだろう。
 ねむりこけるキヨモリの背をなでながら、唯は答える。

「キヨモリと一緒に自主練。キヨモリはいつも一人で過ごしているからね。まあ遊びに近いよ」

 キヨモリは自分の部屋を与えられていると聞いたが、裏を返せば、唯が授業を受けている間ずっと孤独に待たされるということだ。
 考えてみれば、随分辛い状況なのかもしれない。

「訓練ってなってるんだけど、相手もいないしね。たまに雨竜先生が相手してくれるんだけど、やっぱ人相手だと全力出せないから、いい練習にはならないのよね」
「随分豪気な話だ」

 アーサーがいれた茶々に唯は真面目に返す。

「いや、雨竜先生が弱いっていうより、キヨモリの攻撃が当たらないのよ。なんだかんだで小回り利かないしね。かといって飛んだりとかすると、今度は先生が危ないし。さすがに全力でぶち当たると、もし怪我したら洒落にならないだろうしねえ」
「全部避けられるの?」
「うん、雨竜先生すごいよ。動きが全然違う。歩もすごかったけど、雨竜先生はそれに輪をかけてるよ。本当、当たる気がしないもん」

 雨竜が戦っているところを見たことはないが、確かに雰囲気なんでもできそうな気はする。
今度手合わせ願ってみようかと思っていたところ、校内放送が鳴った。

「中村です。水城歩君、アーサー君、能美美雪さん、イレイネさん、平唯さん、キヨモリさん、南校舎一階にある一番端の空き教室に来てください。繰り返します。水城君……」

 丁度、ここに揃っている面子全員が呼ばれた。
 心当たりはなかったが、とりあえず向かうことにした。

 食後の倦怠感が漂う廊下を通り過ぎ、一階へと降りていく。歩達が昼を取っていたのは同じ南校舎の三階で、そこが二年の空間だ。下って二階は一年、上って四階は三年。一階は様々な用途で使えるよう、意図的に開けてある。
 一年の喧噪を背に、更に一階へと降りた。放送では端としか言っていなかったので右と左、どちらに行くか迷ったが、右側の端にこちらに手を振る雨竜の姿が見えた。おそらくそちらだ。

 歩いていくと、すぐに中に入るよう促された。
 ドアを開けると、教卓に藤花がいて、教卓の前に椅子が五つ置いてあった。

「どうぞ座ってください。キヨモリさんに合う椅子はないので、申し訳ないですが床にそのままでお願いします」

 歩、アーサー、みゆき、イレイネ、唯、そしてその隣にキヨモリが座りこんだ。
 雨竜も中に入ってきて、ぴしゃり、とドアを閉めた。雨竜はそのままドアに身体を預けて経っている。
 視線を前に向けると、藤花が口を開いた。

「わざわざ昼休みに呼び出しをして申し訳ありません。お昼ごはんはもう済ませましたか?」

 頷くと、藤花は続けた。

「今回呼び出しをしたのは、二人に護衛をつけることになったからです」
「……はい?」

 おもわず、間の抜けた返事をしてしまった。
 藤花は表情をひきしめたまま、続ける。

「はい。護衛です。歩君、アーサー君、唯さん、キヨモリさんには護衛を着けさせてもらいます。基本的には二十四時間、同行することになるので、どうかよろしくお願いします」
「二十四時間って、ご飯食べる時も、寝る時も?」
「基本的には」
「幼竜殺しか?」

 低くて深いアーサーの声が響いた。
 はっと気付いた。そんなことを言っていた。

「はい」
「被害者は?」
「ハンス=バーレさんです」
「たしか、この前の模擬戦で閲覧席に来ていたとかいう、貴族様でしたっけ?」

 藤花の返答に、みゆきが返した。
 みゆきは話を聞かされていただけのようだが、歩達は模擬戦前に直接会っている。
 あの鼻もちならない、クソ貴族様の顔を思い出す。
 正直、死んでも悔やむ気持ちは全くなかったが、それでも竜殺しにやられたとなると話は別だ。
 雨竜が説明を始めた。

「やられたのは、先週の学期末模擬戦の直後だ。どうやら飛んで帰っているところを狙われたらしく、ここからそう離れていない。貴族様は空から降って潰れた蛙みたいな有様だったよ。ああなっては貴族も肩なしだったな」
「まるで見てきたみたいな言い草だな」

 アーサーの問いに、雨竜は一瞬目を大きく膨らましたかと思うとすぐに戻し、答えた。

「まさか。聞いただけだ」
「竜はどうした? 連れ去られたか?」

 アーサーの質問は続く。やはり、竜殺しに対して並々ならぬ関心があるようだ。

「痕跡は散乱した血液だけだ。爪のかけらもなかったらしく、全て回収されたと考えるのが妥当だ」
「それで、我らに護衛を?」

 雨竜が頷いて返してくる。

「ならば仕方があるまい」
「助かる」

 アーサーは不満そうにしながらも承諾した。ちらっと見た唯の顔も、不満そうではあったが、何も言わないところを見ると、仕方のないことと受け入れるつもりらしい。
 ここで、みゆきがおそるおそるタイミングをはかって、という感じで言った。

「あの、質問いいですか?」
「どうぞ」
「何故私も呼ばれたのでしょうか?」

 みゆきは竜には余り関係がない。強いていえば、歩と関係が深く、最近では唯とも交流があるといったところ位だ。といっても、歩と四六時中一緒にいるわけではないし、一緒に昼食をとるのも、唯とのことを除いたら稀だ。唯とはつい先程打ち解けたばかりだ。
 それが何故ここにいるのか?
 藤花が言いづらそうに眉尻を下げて、少し溜めてから言った。

「勿論、みゆきさんに護衛をつけるという話ではありません。かといって、この話と関係ないわけでもありません」
「なら、何故じゃ?」
「その護衛になってもらいたいんだ」

 代わって答えた雨竜の回答は、思いがけない内容だった。馬鹿げているといってもいい。
 言われた当人はというと、きょとんとしている。意味がわからないのだろう。それは、藤花と雨竜以外同じことだった。
 アーサーが尋ねる。

「何を馬鹿なことを。みゆきはまだ学生だ。竜殺しと相対するかもしれぬ護衛などさせるわけにはいかない。それ以上に、学生に何さらせるつもりだ?」

 後にいくに連れ、怒気をはらむようになっていた。
 対する教師二人はというと、苦渋の表情、といった感じだ。

「実は、私達もよくわからないんです。ただ、校長から『上からの指示だ』と言われ伝えてるだけで、言われたこっちからしても面くらってる状態です」
「付け加えるなら、私達もおとなしくはいそうですかと受けたわけじゃない。さっきまで校長に怒鳴りつけてなんとか聞き出そうとしてたんだが、校長も知らされているわけじゃないらしく、何も出てこなかった。ほんとふざけてやがる」
「先生が校長を怒鳴りつけた?」
「ああ」

 呆れた。ただの平教師が校長を怒鳴りつけるとは、雨竜達の教師人生は大丈夫なのだろうか。
 それをよそに、話は続く。

「なので、私達もどういう理屈でそうなったかは知りません。ただの仲介役に過ぎないんです。大変申し訳ないのですが、ひとまず受け入れてください、としか言えません。幸いに、あなた達には親交があるようですから、なんとか引き受けていただけませんか?」

 藤花の懇願には、学校と生徒の間に挟まれた苦悩がにじみ出ている。
 これ以上攻めるのは気遅れしたのだろう、アーサーがため息をつきながら言った。

「みゆき、いいのか?」
「仕方がないでしょ」
「助かる。一応、仕事としての報酬があるから、それについても後で説明しよう」

 雨竜の返答に、みゆきはなにやら複雑なものを浮かべた。
 気を取り直して、アーサーは質問を続ける。

「みゆきの件はいいとして、まさか護衛がみゆき一人ということはあるまいな」
「後一人つく」
「一人か。大した護衛だな」

 アーサーの口調はいつになく皮肉に満ちている。

「それで誰だ?」
「私だ」
「……お前か?」
「頼り無くてすまんな」
「どれだけ内々ですませようとしてるんだ? 本当に守る気はあるのか?」

 驚きを通り越して、白けてしまった。
 まるで話にならない。
 だからといって、藤花や雨竜達教師陣が悪いわけでもなく、歩はただ呆れかえった。
 それは皆同じようで、冷めた沈黙が流れる。
 空気を変えたのは、アーサー。
 一際大きなため息をついた後、言った。

「藤花、雨竜、それでこれからどうするのだ?」
「とりあえず、放課後まではいつも通りに。あなた達はできるだけ一緒に行動するようにお願いしてもいいですか? それからのことは、また放課後に」
「わかった。みゆき、唯、それでいいか?」
「はい」「……うん」
「では、教室に戻るぞ」

 アーサーの呼びかけを合図に、ぞろぞろと外に出ていく。
 外に出る時に見た藤花と雨竜の顔が、頭の中に妙に残った。




[30262] 三章の三 不可解は続く
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:20



「大丈夫? 傷だらけだけど」
「まあ、大丈夫。慣れてるし」
「たるんでおるのだこいつは。唯も罵倒してやれ」
「何もしてないお前が言うな」

 いつもの軽口だが、余りキレが良くない。
 アーサーの悪口も歩のつっこみも、どこか散漫。
 唯の心配そうな顔も、傷だらけな歩への気遣い以外にも向いているのは明らかだ。

 放課後になって、歩達は昼休みの教室に集められた。
 午後の模擬戦はいつも通りに過ごした。歩はアーサーに煽られつつパートナー達の攻撃を必死にかいくぐり、隙を見つけては棍棒による一撃を狙う。みゆきとイレイネは、主にイレイネが矢面に立ちつつ、要所を狙いみゆきも参戦する。唯とキヨモリは、別室で自習。
 戦績が完膚なきまでの全敗だったこと以外は、なんら変わらない日常だった。

 その場で軽く手当てを受けた後、教室に戻りホームルームを終えると、藤花が声をかけてきた。
 内容は昼休みの時と同じ。空き教室に集まっておいてくれ、とのこと。ただ、少し遅れるとのことで、適当に時間をつぶしておいてくれ、と言われた。
 仕方なく、適当に歓談している。

「歩、今日は特に注意散漫だったね」

 みゆきが言った。

「ふん、大方、放課後のことに気を取られていたのであろう。先のことに気を取られ、目の前のことをおろそかにするなど、何たる愚行。我は悲しいわ」
「まあ仕方ないよね。私もキヨモリと何したか覚えてないし」

 アーサーの罵倒も唯のフォローも、どこかおざなりに聞こえた。
 大小はあるにしろ、皆これからのことを考えているのだ。

 三十分ほどして、藤花と雨竜が現れた。
 藤花は申し訳なさそうにしている一方、雨竜は何故かいらだっていた。

「ごめんね、遅れて」
「いえ」

 昼休みと同様に、藤花が教卓、雨竜はドアの前に立った。
 すぐに藤花がしゃべりだした。

「まず始めに、大変勝手なお願いになることを謝っておきます」
「前置きはいいから、本題を頼む」

 こちらも苛立った様子のアーサーに急かされてか、藤花が一呼吸置いた後、言った。

「それでは単刀直入に。今晩から、学校で寝泊まりをしてください。今から二手に分かれて家に戻り、当面の生活道具を準備してすぐに学校の宿直室に。そこで、男女それぞれで一部屋ずつに分かれて夜を過ごしてもらいます。食事は学校側が準備しますし、宿直室にはシャワーが備え付けてあります。服に関しては、後で私が回収し、クリーニングに出します。それ以外に何か不都合な点がありましたら、言ってください。できるだけのことはします」

 ある程度は予想ができていた。護衛するなら、対象を一カ所に集めた方がいいに決まっているからだ。各自の家に配置するというのも考えられるが、護衛役に教師と生徒を選ぶ位だ。そんな手間をかけるとは思えなかった。
 だが、もやっとした不満は残る。

「護衛は生徒と教師。場所は学校の宿直室。本当に守る気あるんですかね」
「私も知りたい位です」

 藤花の口調は申し訳なさ半分、呆れ半分といった感じだ。藤花自身、じくじたる思いをしているのは同じなのだろう。
 雨竜が割り込むように言った。

「とりあえず、これからすぐに家に行こう。平と能美には中村先生が、水城には私が付いていく。身の回りのものを持ち出して、宿直室に集合で。陽が沈む前に済ませたい」

 誰も反論はしなかった。
 ただ、心の中にある種のもやを誰もが抱えていた。



 宿直室は、教室のある棟の隣にそびえ立つ棟の一階にある。パートナーが休む大きめの棟の反対側に位置し、正式な入口はそちら側にあった。
 歩は、適当に身の回りのものの回収を済ませ、母親である類に伝言を残してから再度学校に戻ってきた。幸か不幸か、類は今日から長期出張であり、出てくるのに面倒なことはおこらなかった。連絡先もわからないため伝言を残すことしかできなかった位だ。

「ここだ」

 雨竜に先導されて連れて行かれた先は、一階の端。宿直室と書かれたプレートがかけられている部屋が三つある。

「一番端が私と水城、真ん中が平と能美の部屋だ。パートナーもそれぞれの部屋で頼む」

 ドアを開けて中に入ると、部屋の中央にちゃぶ台があった。床は畳を敷き詰めてあり、入口の土間で靴を脱ぐようになっているようだ。
パートナーが泊まることも考えてか、それなりの広さがある。キヨモリでも、なんとか過ごせそうだ。

「ここにあるものは好きに使ってくれ。冷蔵庫は中身がないけど、後で適当に補充するから。シャワーはいつでも使えるから。冷蔵庫の隣にある棚には皿やらコンロやらあるから、それも自由に使え。ゴミはそこ」

 雨竜が入口の土間の端を指した。鉄色のバケツのようなものがあった。
 歩は靴を脱いで畳に上がり、荷物を下ろすと、見回してみた。右奥にシャワーと書かれた戸があり、手前にタオルが積まれて置いてあった。更に手前には水場がある。淡い青色のタイルが貼られた、廊下においてあるものと同じもののようだ。
部屋の反対側に目をやると、冷蔵庫が木の棚と寄り添うように置かれてあるのが見えた。それに皿とコンロが置かれているのだろう。隣に布団が積まれてあったが、遠目に見てもほこり臭そうに見えた。

――ここが、当分の寝床か。
 案外、居住空間としては十分なように思えた。

「ふむ、これが飯か」

 声の主はちゃぶ台の上にいた。
 置かれたあったものの包みを外し、中を覗き込んでいる。

「ああ。それで頼む」

 雨竜は土間から上がって来ない。そちらに目をやると、ちらっと壁時計に目をやっていた。

「私はまだやることがあるから、席外すけど、できるだけここから外に出ないでくれ。後で色々持ってくるから。頼む」

 そう言うと、雨竜は出ていった。
 残された歩はというと、とりあえずもう一人の同居人の所に近付いた。
 アーサーが近付いてきた歩を見た後、言った。

「これを見よ」

 包みを解かれた中身は弁当だった。ぱっと見、何もおかしくないように見える。

「これがどうした?」
「このような粗末なものを夕食にするのか?」
「粗末?」

 注意深く見てみる。なるほど、米はべちゃべちゃして潰れているし、揚げ物はギトギトして容器の端に油が白く浮いている。匂いも生臭いとまではいかないが、余り食欲を湧かせてくれるものではなかった。
 確かに粗末といえば粗末だ。だからといって、特別どうこう言うことには思えない。

 歩はアーサーの不満を無視してアーサーに詰め寄った。
 少し懸念があったからだ。

「アーサー、いいか?」
「なんだ」
「お前、キヨモリと一緒に住むようになるけど大丈夫か?」

 このところキヨモリに対して拒絶反応は見せていないが、それでも気になった。
 もし昼食の時も我慢をしてきたというのであれば、それがこれから一日中になるのだ。部屋は別とはいえ、壁を挟んで隣でもきついのではなかろうか。
 アーサーはあっけらかんと答えた。

「何がだ? 我のなにが大丈夫でないというのか」
「いや、キヨモリとずっと一緒辛くないかなって」
「ふん、そんなことはない。お前の見間違いであろう」
「真面目に答えろ」

 アーサーが歩の顔を見た。あきらめたように口を開いた。

「我が乗り越えるべきことだ」
「それはなんだ」
「言わぬ」
「なんで言わない」
「お前には関係ない」

 突き放して来るような態度に腹が立ってきた。ここにいたってまだ言わないのか。
 昔は何度も聞いたが、そのたびにはぐらかされて終わった。最近では、もうほとんど聞くことはなくなっていた。
 だが、つい口に出してしまった。おそらく今までで最も真剣な雰囲気の中で。

「俺にも言えないのか」

 アーサーの返答は、少し弱弱しくなった。

「……今は」
「俺のことが信頼できないか」
「そうではないが――今は」

 歩は悲しくなった。
 しばらく沈黙が二人を包む。
 膠着状況を破ったのは、入口から聞こえてきた声だ。

「あ、もう来てたんだ」
「おう、早いな」

 みゆきだった。後ろにはイレイネと唯の姿も見える。

「二人の家行くみたいだから、もうちょい時間かかるかなと思ってた」
「私の家こっから近いからね。歩く距離としては、みゆきの家との往復だけみたいなもんだったから」

 唯が遠慮なくずかずかと上がってきた。
 その後をみゆき、イレイネと続いてくる。キヨモリの姿はない。

「キヨモリはどうした?」
「隣の部屋で寝てるよ。あいつねぼすけだから」

 唯は上がってくると、興味深そうにあたりを見回した後、クシャっとした笑顔を浮かべた。

「うん、あんま変わんないね。それでどうする?」
「適当に飯食ってシャワー浴びて寝るだけじゃない?」

 そうか、と唯はまた笑った。笑いの意味がわからないが、少し困ったような顔が輝いて見える。
 ここで、アーサーが口を挟んできた。

「我はこんなもの食えんぞ」
「ん? そんなに美味しくなさそうなの?」

 唯がちゃぶ台の方に寄ってくると、アーサーの頭越しに弁当を見た。

「うーん、まあ美味しくなさそうではあるね」
「これが夕食などありえん」

 ここのところアーサーの食べたご飯といえば、朝は類の作り置き、昼は特製肉まんだし、夜は類がいるのが続いた。舌が肥えているのはわかる。
 アーサーはけわしく眉をよせて歩に言った。

「まさか、我にこのような飯を食わせるというのか?」
「かといっても、どうしろと? 外に出られない以上、これ食うか食わないかしか選択肢なくないか? いっそのこと外に出て適当に買いだしする?」
「それいいね」

 返答はアーサーではなかった。
 声の主は、唯。ニコニコとしつつ、言っていることは過激だ。

「買いだし行こうよ。みんなで動けば大丈夫だって!」
「そうだ。行くぞ! 美味しい飯が我を待っている!」
「お前らなんで息あってんだよ」
「美味しい飯の前では皆同胞となるのだ」

 助けを求めようとみゆきを見る。
 柔らかな微笑を浮かべており、止める気はないようだ。

「じゃあ行くぞ。今から行けばまだ店も空いている!」
「もう夜だけど、大丈夫?」

 窓越しに外を見ると、もう真っ暗になっている。
 アーサーが鼻高々に言った。

「大丈夫だ。ちょっとした伝手があるからな」
「本当?」
「本当」
「何故我を信用せん」

 唯はみゆきに確認をとった。
 歩も伝手があるのは知っている。むしろその伝手は、みゆきやアーサーよりも歩のほうが強い。
 ただいまいち乗り切れない。
 何故ここまで乗り気なのだろうか?
 アーサーはまだわからんこともない、というか相方の横暴には慣れているが、唯の態度は奇異に写った。少し興奮したように頬が赤らんでおり、竜殺しのことなど忘れきっているようだ。

本当に外に出ていいのだろうか。
 学校側の対応にはまるで危機感が感じられない。適当にその場を過ごしているようにしか思えないほど、甘さがある。
 かといって、自分達まで適当に事を済ませていいか。

 どう結論づけようと、燃えたぎるアーサーと唯は歩一人では止められそうにない。

「じゃあどうやって出る? 流石に表からは出られないんじゃないか?」
「そんなことは容易いことであろう」

 アーサーはぱたぱたと飛んで、窓際に移った。

「いい夕闇だ。これならば、空を駆ければわかるまい」
「どうやって?」
「図体ばかりでかいやつがいるだろう」
「あっ」

 唯の顔を見る。
 きょとんとしていた。




[30262] 三章の四 ささやかな冒険と宴
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:21



「これ、気持ちいいね!」

 みゆきが楽しそうに言った。
 風がうなり、その声もかすれて聞こえる。
 全身を風が叩き、今にも吹き飛ばされそうな勢いだ。

 歩達は今、キヨモリの背に乗って大空を駆けている。
 あの後、隣の部屋で寝転んでいたキヨモリを起こし、皆で乗っかった。
 首の真後ろに唯、双翼にそれぞれ歩とみゆき、そしてそれぞれのパートナーがひっかかっている形だ。邪魔になるのではないかとも思ったが、キヨモリはそれくらいでは何の負荷にもならないらしい。歩が昏倒させられたのが百に一つだったんじゃないか、と今になって思わせる程の呆れた膂力だ。

 ばさり、と大きな翼が動かされる度に、強烈な風が舞い起こっているのがわかる。いつもは肩に乗るアーサーを、歩は抱えなければならなくなっている位だ。
 みゆきが再度言う。

「唯! これほんとに気持ちいいよ!」
「私もそう思う! 『竜は飛んでこそ竜』の意味もわかるってもんよね!」
「ほんとにね!」
「けどさ、イレイネも空飛べるんじゃない!? 飛んでるとこみたよ!」
「飛べるけど、こんなに速くは飛べないよ!」

 確かに、イレイネは身体を宙に浮かせることができる。それは歩達に見せた雨のような技からもわかる。ただ、流石にこれほどの速度は出ない。
 風が耳をさくように流れ、大声でないとすぐ隣の声も聞こえない。すさまじいまでの力だ。
 唯が鼻高々に笑顔を浮かべている。

――確かに気持ちがいい。
 見下ろすと、光が線となって伸びている。風がうなる音や、皮膚の表面をけずるように流れる大気など、そうそう体験できることではない。全てが洗い流されて行くような、そんな感覚だ。

 女性陣二人ほどの盛り上がりはなかったが、歩も楽しんでいた。みゆきの影ともいうべきイレイネも、ずっと微笑んでおり、心地よさそうだった。
 ただ、むくれているのがいた。
 アーサーだ。

「ふん! 我も飛ぼうと思えばこれ位」

 どうもプライドが刺激されるらしく、不満げに鼻から炎を漏らしていた。漏らした炎も風に流され、鼻水を垂らしているかのような体たらくだ。
 歩はまだ先程のやりとりから吹っ切れてはいなかったのだが、それを見て笑ってしまった。笑っていると、ひとまずは忘れることができた。

 楽しい時間は矢のように過ぎる。実際、数分足らずで目標地点に着いた。
 場所は、森と住宅街の間の、ちょっとした空き地。降り立ったとき、砂地の足元が舞いあげられた。

「終わっちゃったね―」
「また今度乗せたげるから。次は遠出しようよ!」
「いいね! 楽しそうだ」

 女子二人は既に次の約束をしていた。本来の目的を忘れているのではないかというはしゃぎっぷりで、竜殺しのことも頭の端から消えているに違いない。
 時間ももう大分遅くなっているのもあり、歩は空気を読まず割って入った。

「ひとまず、買い物済ませようか。何食う?」
「鍋などいいのう。酒をたっぷり入れてな」

 アーサーはもう気を取り直して、食い意地を張っている。
 頬を上気させたみゆきが返答してきた。

「そうだね。折角だから作りたいけど、手早くできるのがいいかな。大きめの鍋とかあった?」
「それは流石になかったかな」

 思い返してみたが、棚の中には小さめの手鍋しかなかったような覚えがある。
 アーサーにも聞いてみたが、ない、と端的な答えが返ってきた。

「なら買ってくか。キヨモリ、まだ運べそう? それに、キヨモリどれくらい食べる?」
「あ、うん。キヨモリはまだまだ余裕で運べると思う。食べる量はきりがないから、少し多めの一人分位で、後はいつも食べてるのが学校にあるから……だけど」

 唯に話を振ってみると、何故か反応が薄い。先程までの余波で頬は赤いのだが、眉を下げて困り顔になっている

「どうした?」
「あ、あの、私、料理できないんだけど……いいの? 私、包丁も握ったことないの……」

 ほっと気が抜けると同時に、微笑ましいだと思った。

「関係ないよ。運んでくれるのはキヨモリだし、何もしてないってことはないからさ。それを言うならこのクソ竜とか食うだけのつもり満々だしな」
「ふん! 我には味見という、唯一無二の仕事がある!」
「ははは。確かに、アーサーは舌いいもんね」

 唯はびくびくと覗っていたが、本当に歩達はどうとも思っていない。できるやつがすればいい話だ。

 時間ももう大分遅くなってきている。伝手の相手も、できるだけ早いほうがよかろう。ただでさえ迷惑行為なんだから。

「とりあえず、行こうか。もう遅いしね」
「そうね。唯もさっさと行こう! キヨモリはここで待っててもらっていい?」

 唯の承諾を受け、キヨモリはその場で待機となった。
残った面子で近くの商店街に移る。
 すぐに目標の場所にはついた。行った先は、色々と世話になっている商店街。多くの店のシャッターは閉じられており、閑散としていた。空いているのは、二十四時間営業の礼の駄菓子屋と一、二件だけ。

 歩はまだ空いている店ではなく、既にシャッターが閉じられた店の前に進んだ。
 そこから脇にそれ、人一人がやっと通れる位のスペ―スを通り抜けた先の、小さな勝手口のところまで行くと、戸を叩いた。

「すみません、水城歩です。いいですか?」

 すぐに反応があった。戸ががらりと開けられ、そこから出てきたのは無精ひげの伸びた、赤ら顔のおじさんだった。
 歩を見て、破顔した。

「おー、歩ちゃん! どうした? つっても内に来たなら目的は一つか! よし、店開けるから待ってろ」
「わざわざすみません」

 ガハハという笑いが店先に引っ込んでいく。その音についていくようにして店の表に戻っていった。
 戻ると、困惑顔の唯がいた。妙に心配そうだ。
 歩がついてそう経たない内に、シャッターががらりと上げられた。まだ野菜がいくつか残っており、閉店作業は終わっていないようだった。

「おお、みゆきちゃんも一緒かい! もう一人きれいどころ揃えてるなんて、歩も隅におけねえなあ」
「野菜、いいですか?」
「おうよ、何が欲しい? 何食うんだい?」
「鍋しようかと思ってるんですけど、いいのあります?」
「おうさ! 白菜とか春菊いいのが残ってるよ!」
「私、お肉の方行ってますね」
「調味料も一緒に頼む」

 イレイネを連れてみゆきが去っていった。それを見て唯がどうしたらいいか迷っているようだが、そうこうしている内にみゆきは見えなくなった。
 もじもじしながら、結局歩の後でぼうとしている。
 それを見て、八百屋のおじさんはなにやら唸り出した。

「いや、いい子だね~ほんと可愛い。俺が後十年若けりゃ」
「犯罪ですよそれ」

 それを聞いて、唯が顔をむっとさせた。

「いやいや、歩も見た目が幼いからってことじゃなくって、高校生に手出すことがって意味だからさあ」
「フォローになってないですよ」

 歩は手にした白菜の根っこの辺りを見ながら答えた。
 さらにむくれる唯に、おじさんが豪快に笑い飛ばす。

「いやいや、ごめん。おじさん気が利かなくって。まあ内の野菜食ってりゃ胸も大きくなるさ!」
「下品っす」

 両手で自分の胸を掴みあげながら、おじさんが言った。超重量級のおじさんの胸は、単純な大きさだけなら唯とは比べ物にならないだろう。
 唯の顔が真っ赤になっていると、歩がざっと目利きを終わらせた。

「これと、これも加えて、これでお願いします。あ、あと籠も貸してください」
「おう、結構あるね。まあそこの嬢ちゃんに一杯くわせてやりな!」
「遅くにありがとう」
「類さんによろしく言っといて」
「母さんには頭上がりませんもんね。奥さんにも尻に敷かれて災難っすね」
「うるせえよ。ほらさっさと帰れ、内の母ちゃんの飯が待ってんだよ」
「そりゃすんません。では奥さんにもよろしく」
「はいはい」

 手早く会計を済ませてお釣りを受け取ると、おじさんが閉める前に歩がシャッターを下ろした。買った量は、大きめの籠四つ分にもなった。キヨモリの分もできるだけ、と考えるとこうなってしまう。
 ふと後ろを見ると、唯が顔を真っ赤にして肩を震わせていた。

「いや、ごめんごめん。気はいいんだけど、一言余計なんだよね、おじさん」
「いえ……」

 そこで何か思い出したのか、はっと顔を上げて唯が尋ねてきた。

「それはともかく、八百屋さん、いちいち開けてもらってよかったのかな?」
「ああ、見ての通り付き合い長いから」
「仲いいんだね」
「まあね、母親経由で俺も仲良くなっちゃったんだよ」
「そういえば、しっかり野菜見てたよね」

 少し照れくさいのもあり、歩は鼻の頭をかいた。

「母親がそこらへん詳しかったのよ。それで八百屋のおじさんと意気投合しちゃって、一緒に着いてた俺も二人の講義受けながら育ったからさ。最近は俺一人で買いに行くのも多いしね」
「へー」

 唯の相槌は、妙に気持ちがいい。

「みゆきが言った肉屋も似たような感じで常連になってて。みゆきも双方と仲いいんだよ」
「だから二人に分かれたのか」

 そこでみゆきが戻ってきた。相当量の物が詰め込まれた買い物かごを両手に持っている。脇にいるイレイネは、巨大な鍋を抱えていた。

「いいのあったよ。キヨモリもそれなりに食べられそうな位あるよ」
「あ、ありがと」
「じゃあ行くか」
「あ、私も持つよ」
「ほい」

 四つの籠の内、比較的軽そうなものを二つ渡した。唯はそれを軽く持ち上げた。

「結構なっちゃったね」
「まあね、大食漢の竜が二匹も、って。アーサーどうした?」

 そう言えば、アーサーの姿が見えない。ひどい話だが完全に忘れていた。

「覚えてる?」

 二人とも首を振った。イレイネも覚えがないらしい。

「あの馬鹿どこいったんだろ」
「忘れてた私達もそれなりのもんだけどね」
「それは仕方あるまい。我が気取られぬよう動いたからな」

 声の方を振り向くと、小さな手になにやら籠を下げたアーサーの姿があった。
 ふらふら、と飛んでくると、その荷物を歩の籠の上に乗せる。

「おい、どこ行ってたんだよ。それに中身なんだよ」
「秘密じゃ」
「はいちょっと見るねー」

 みゆきがさっと籠の蓋を広げた。
 そこにあったのは。

「酒?」
「うむ。とっておきがあったのでな」

 開き直って、アーサーがうそぶいた。

「また飲む気か」
「孤独な夜に酒はつきもの」
「どこが孤独なんだよ」
「我の崇高さは誰にも理解できぬ。故に、我は常に孤独なのだ」

 歩はため息をついた。

「そもそも支払いどうしたんだよ」
「母上殿にツケで。駄菓子屋のオヤジは物分かりがよくて素晴らしい」
「……買ったのあそこか」

 仕方がない。一度受け取ったものを返すのも悪かろう。
 気を取り直して、女性陣に言った。

「とりあえず、帰りますか」



「肉どの位の大きさがいい? 好みはある?」
「いえ、特にないよ」
「同じく」
「あい。歩、野菜をお願い」
「おう」

 まな板代わりの厚紙を退いて、果物ナイフが次々とより分けていく。地鶏の堅い肉質を、ちゃちな果物ナイフで切れるか心配だったが、みゆきはなんなく捌いていっている。包丁の事を失念していたのは失敗だったが、なんとかなりそうだ。イレイネが補佐をしながら、効率よくどんどん肉類を小分けしていっている。
 歩も手早く野菜を水にさらしていく。きのこ類は表の汚れだけをぱっと拭い、葉物を適当にちぎっては皿に盛り付けていった。

 買い出しから戻ると、みゆきと歩は適当に分担して下ごしらえを始めた。
 果物ナイフしかなかったのは失敗だったが、イレイネの補佐もありそれでもなんとかやっていけている。その間、アーサー、キヨモリ、唯の三者は手持ちぶたさみたいだった。キヨモリの寝息がBGMに聞こえ、アーサーは先程からずっと後ろを飛びまわっており、うざったいこと、この上ない。
 そして唯はというと、おろおろしていた。
 ちらっと見ると、自分にすることは何かないか、と挙動不審になっている。料理ができず、自分が役に立てていないのを、今になっても引きずっているようだ。
 丁度タイミングがあったのもあり、用づけることにした。

「唯、これ持ってって」
「あ、うん!」

 洗い場に置いていた、盛り付け終わっている皿を唯に渡す。元気よく受け取ると、ちゃぶ台の方にぱぱぱ、走っていき置いた。
 歩の受け持ちは終わったので、自分で持っていってもよかったのだが、唯の顔を見ると、頼んでよかったように思う。

「こちらも終わったよ、唯、お願い」

 戻ってきた唯に、みゆきも皿を渡した。肉が山盛りになったものと、切り分けた野菜の二つ。洗い場にはまだまだたくさん残っているが、ちゃぶ台に置いておいては邪魔になるから、後で取りにくればいい、という判断だろう。

「じゃあ、私、鍋の方に移るから」
「よろしく」

 まだ大量に残っている具材の内、痛みそうなものだけ冷蔵庫に移した。使った厚紙や包丁を水で丁寧に流し、壁に立てかけておく。

 ざっと後始末を終え、ちゃぶ台に戻った時、既に準備は完了していた。
 醤油と酢を混ぜて作ったポン酢の入った小皿と取り皿が並び、中央の鍋の中では、昆布で出汁を取ったのだろう、ほんのり色づいた液体がゆだっていた。既に、火の通りにくいものは投入されており、ぐつぐつと煮えているところだ。

「じゃあいただきますか」

 適当に座る。歩とその隣にアーサー、角度を変えてみゆきとその後ろにイレイネ、歩と対面になる位置に唯と、目をしぱしぱさせているキヨモリが座っている。

「ではいただきます」

 みゆきの掛け声で、一斉に箸が動いた。鍋に入れられた箸の数は四つ。イレイネとキヨモリを除いた数だ。
 さっと豚肉を取り、ポン酢に着け、口に含む。
 うん、うまい。

「美味しい! ほんと料理うまいね!」
「あんま手はかけてないけどね」

 イレイネにだし汁を注いだ器を渡しながら、みゆきが言った。
 唯が美味しそうに鍋に箸を突っ込んでいると、唸り声が聞こえてきた。
 キヨモリだ。

「ああ、ごめんごめん」

 唯は忘れていた、と笑いながら立ち上がると、冷蔵庫の方に走っていった。
 中から取り出したのは、巨大な肉の塊。帰って来てから、キヨモリの待機室に忍び込み、中から取ってきたらしい。歩が野菜を洗っている時にそれを持って戻ってきたのだが、その量を見た後、一日分といった唯の言葉に納得しながらも圧倒された。

 それをキヨモリの前にどん、と置いた。下はそのまま皿になっており、キヨモリはそこに口を突っ込んでむしゃむしゃと食べ始めた。

「キヨモリの分も鍋あるから、食べ終わったらあげるね。底の方は七割がたキヨモリのだから」

 巨大な鍋は、今なかに入れている分だけでも四人が満腹になる量がある。まだ大量に残った具材と考えれば、確かにキヨモリの取り分はそう少なくない。

「ごめんね、キヨモリが大食らいで」
「いえいえ」
「なればこそ我も思う存分食せるというわけよ。唯も早く食うがよい。その貧相な身体を多少はマシにするいい機会ではないか。まあ貧相な身体もそれはそれで滑稽なものだがな」

 アーサーの煽り文句に、唯は一瞬顔を赤らめた後、激しく反応した。

「ふん、食べるわよ! キヨモリ! あの馬鹿竜に食べられる前に、全部食べちゃいなさい!」
「いや、なくなるから」

 歩が突っ込みを入れる横で、アーサーがほくほく顔で白菜を口に入れた。至福そのものといった表情だ。器の隣には封を開けられたウィスキーの瓶があり、小さめのグラスまで用意されてある。

「これで飲み相手がいると最高なんだがなあ」
「何言ってんのよ、未成年」
「ここにはお前以外いないっつうの」
「ひ、ひどい……こうなったらみゆきお前も」
「残念、お一人でどうぞ」

 アーサーがしょぼん、と肩を下ろし、熱い地鶏を口にして目を白黒させている。それを見て、笑いが巻き起こった。

 それからは和気あいあいとした時間が過ぎていった。
 途中、アーサーがイレイネにも酒を飲ませ、輪郭がぶよぶよになってしまったり、鍋の入れ替えを待てないキヨモリが残っていた弁当を、本人はこそっと動いたつもりのようだが、実際には豪快に一気食いして唯に怒られたり、次から次へと笑いすぎて涙すら出てきた。

 歩には、竜殺しに感謝する気持ちすら起こりはじめた。
 それくらい、楽しかった。




[30262] 三章の五 不安と不穏
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:22



 四回目の鍋を作っていると、突然宿直室のドアが開けられた。
 音にびっくりしそちらに目をやると、副担の雨竜だった。開けた先の喧噪にびっくりしているようで、脇には大きめのバッグを抱えている。
 瞳だけ動かして部屋を見渡すと、じろり、とこちらを睨んできた。

「お前ら、外出たな」

 それまでの喧噪が嘘のように静まった。蛇に睨まれた蛙のように、歩は一瞬にして硬直する。
 おそらく自分以外もそうなっているように思った。
 雨竜は深く息を吸った後、吐いた。

「お前らさ、まあ色々鬱屈したものがあるの……」
「まあまあそんなこと言うなって」

 一人、まだ蛙になっていないやつがいた。
 アーサーだ。

「そんな堅いこと言うなよ~、お前も内心上司には色々あるんだろ? まあまず一献」
「いや、お前な、そんな」
「俺の酒が飲めんと言うのか? ほらほらこぼれるぞ」

 雨竜向かってふらふらと飛んで行く。泥酔しており、いつもの厳めしい口調が消え失せる癖が出てきている。両腕で先程まで使っていたものとは別のグラスを掴み、今にもこぼしそうになっていた。それだけでなく、アーサー自体も右に左にゆらゆらと揺れて、いつ墜落するかわかったものではない。
 それは雨竜も同じだったようで、慌てて両手を前に差し出し、アーサーを受け止めた。

「お、これは申し訳ない。ではお礼に一杯」
「いや、おま……」
「飲めぬわけではあるまい?」
「いや、飲めるけど、そういうわけじゃ……」
「飲めるのか? ならいいではないか」
「いやな、な」
「いいから飲めやー!」

 再度ぱっと飛びあがり、雨竜の口元に強引に注ぎ込んだ。
 ウィスキーが雨竜の口の中に一気になだれ込む。歩の見る限り、アーサーは水などで薄めず、ストレートで飲んでいるようだった。雨竜はいきなりアルコール度数の高い酒を飲まされたのだ。
 当然、むせる。

「げほ! げほ!」

 むせる間に、アーサーは雨竜が落したバッグに目をやった。
 雨竜を放置して、そちらに飛び乗り、じりりとファスナーを開ける。

「なんだ、雨竜も遊ぶ気だったんじゃないか。ほら、お前らも見てみ」

 バッグを横に倒し、歩達に中身を見せてきた。
 そこにあったのは、花火。線香花火だけのようだが、バッグ一杯に積みこまれている。
 それはおそらく、歩達のためのものだ。
 アーサーがこちらをちらっと見た。それで歩も気付き、動き出す。

「ほら~。雨竜お前も飯食え。上手いぞ~」
「コホッ。お、お前なあ……」
「先生、そうですよ! 今日は楽しみましょう! 花火ありがとうございます!」

 歩は走り寄ると、まだ少しむせている雨竜の腕を掴み、強引にちゃぶ台の前に連れていく。ちゃぶ台を囲む四方向の内、唯一空いている席に座らせた。
 そこにすかさずみゆきが新たな椀を差し出した。

「ほらほら雨竜、飯冷めちゃうぞ~ 飯を大事にしないのは、教師として、子供を導く者として、足らないところがあるとは思わないか?」
「先生、どうぞ」
「いまならアーサーの買ってきた酒もありますから。先生が折角買ってきた花火もまず腹を満たしてからです! 花火も後で一緒にしましょうよ!」
「……お前ら後で覚えとけよ」

 雨竜は仕方なく椀を受け取った。すかさずみゆきがポン酢の入った器を滑らせ、雨竜の正面になるように置く。歩は新しいグラスを置き、そこにアーサーがそこにウィスキーを注ぐ。イレイネが腕を伸ばして箸を渡した。
 四者息の揃った、連携プレーの完成である。

 困惑する唯をよそに、雨竜は一口つけた。

「クソっ、マジでうめえ」
「ありがとうございます」
「ほらほら、酒も飲めや。濃くて飲めないっていうなら、水で薄めてくるぞ?」
「そのままでいい」

 雨竜は黙々と食べ始めた。
 歩はほっと一息をついた。ひとまず、いますぐ説教というのはなくなっただろう。うまく連携できた。
 そこで一人取り残された唯のことが気にかかった。
 ちらりと横目で見る。
 何がどうなっているのかわからないようで、困惑が混乱に変わり、少し涙目にすらなっていた。

 どうしようか、と思っていると、意外な助け舟が出た。

「……平、もう怒鳴る気は失せたから大丈夫。お前らが腹立つのはわかるし、花火も持ってきたし、私がいうことじゃねえから。明日になって中村先生に怒られて、それでチャラだ」

 雨竜がウィスキーで唇を湿らせた後、見回して言った。

「お前らもう飯はいいのか?」
「あ、はい」
「なら折角だから花火してこい。教室棟と囲われた場所なら、外部からは見えないだろ。あんまはしゃぐなよ。一応、こんなとこで竜殺しはおそって来ないと思うが、気を配っとけ」
「はい! ありがとうございます!」
「アーサー、お前は残れよ。酒も残ってるし」
「当然でしょ~。やっと飲み相手ができたんだから」
「あんま早く潰れんなよ」

 雨竜は黙々と食べ始めた。
 歩は雨竜に向かって軽く頭を下げた後、雨竜のカバンを掴んだ。
 まだ少し固まっている唯に向かって言う。

「ほら、先生もそう言ってることだし。花火しようぜ。キヨモリ! お前も行くぞ!」

 みゆきが唯の腕を掴んだ。一緒に行くよ、と笑顔で引っ張っている。
 それを見て状況が読めたのか、唯も雨竜に向かって軽く一礼した後、キヨモリに声をかける。

「キヨモリ!外出るよ!」

 まず歩が外に出た。続いてみゆき、連れられて唯、その後ろをそっとイレイネ、そしてのっしのっしとキヨモリが続いた。
 廊下に出ると、そこからそのまま庭に出る。ベンチや木が適当に配置されており、規模は小さいながら遊歩道のようになっている。昼飯のときなど、ちょくちょく拝借している場所だ。キヨモリが自由に動くには物足りないが、羽を伸ばす位はできそうだ。
 草の生えていない砂地のところにいき、カバンを下ろした。中腰になりカバンの中を探ると、ろうそくとマッチが見つかった。用意がいい。

「ほら、選んどいて」
「唯、どれがいい?」

 みゆきにカバンを渡すと、二人で中をごそごそと当たりだす。その間に歩はろうそくに火をつけ、平らな地面にろうを垂らし、そこにろうそくを立てた。それほど強度があるわけではないが、風もそんなに強くないので十分だろう。
 ろうそくが安定したのを確認し、みゆき達の方を向くと、二人とも選び終えていたようだ。
 唯は赤と黄色のもの。みゆきは緑と青で、イレイネに淡い青色のものを渡していた。
 歩も近付き、花火を選ぶ。一番上にあった、銀色のものを選んだ。

「キヨモリ、どれがいい?」

 唯がキヨモリに向かって言った。身をかがめ、カバンの中をのっそりと覗くキヨモリ。
 人間でいう人差し指の爪で、緑一色のものを指した。
 唯がそれとつかんだところで、皆ろうそくの回りに移動する。

 四方から伸びた花火の先がろうそくの炎に差し向けられた。
 ちりちりと焦げる匂いが辺りを漂い始め、唐突に火花が散りだした。

「はい、キヨモリ」

 キヨモリは向けられた花火を口の一番先で掴んだ。本当に器用な竜だ。

 色とりどりの火花がその場を満たす。
 赤、青緑、銀。淡い青、そして緑。火花は一転に集うように向けられ、中心部では色の氾濫を巻き起こしている。季節は違うが、それでも十分に美しい代物だ。

 花火の光は、女性陣を淡く映し出してもいた。
 唯はもものような赤っぽい色に照らされている。みゆきは青緑で綺麗に、イレイネは海のような色を映し出していた。歩が思わず息を飲んでしまうほど、眩い光景だ。

 それもすぐに終わる。
 線香花火の先がぽつり、と地面に落ちた。同時に皆を照らし出していた光も消え、闇と戻る。花火の残光が目に残り、余計暗く感じた。火薬の匂いがぷーんと臭う。

「次行こう! 次は三本まとめていくよ!」

 唯が一気にはしゃぎ始めた。カバンの中に手を突っ込み、何本か適当につかんで、一気にろうそくに差し出した。
 再び火花が散り始める。三種類の色が混じり合い、なんとも形容しがたい色で、それでも綺麗にはちきれていく。唯の楽しそうに両目を広げる顔が、なんとも可愛らしい

「グルルルル」

 いきなりの唸り声はキヨモリだった。自分のことを忘れるな、と言いたいのだろうが、巨躯に似合わぬ可愛らしい反応だ。威圧感すら漂う竜のそんな姿に、大笑いしてしまった。

「わかったわかった。ほら今度は五本一気にね」

 唯が今度は五本持ち出した。キヨモリにはその位の大きさが丁度いいのかもしれない。
 それから、花火は加速度的に消費され、その度に歩達は笑った。



「お前さ、あれは卑怯だろー。ああ言われたら私なんもできねえじゃん」
「まあまあ。ほれ一献」
「あ、どうも。つっても騙されねえぞ!」
「いやいや、教師は大変だねえ」
「そうなんだよ~、担任の中村先生はしょっちゅう出張出ちゃうし。竜関係の講演あるとすぐ行っちゃうわ、挙句の果てには自分で講演しちゃうわ。それはいいとしても、なんで私が穴埋めしないといけないのかっての」
「ほんと大変なんだな」
「そうそう、って話変えるな」

 アーサーが注いできたので、雨竜は舐める程度に口に含んだ。

「なんだノリわりいな、男ならばさっといけさばっと」
「……一応、私、護衛役なんだけどねえ」
「まあそう言わず食えよ。鶏肉もういいんじゃないか?」
「おっ、いいねえ。マジうめえ」

 なんだかんだ言いつつ、やはり美味い。
 本来ならこうしてのんびりしていてはいけないのだが、まあ今位はいいだろう。一応気をつけてもいるし。先程から時折、廊下をちら見しているのだが、全員揃っている。水城歩、能美みゆき、イレイネ、平唯、キヨモリ。雨竜の与えられた任務は、竜使い達の護衛だけだが、かといってみゆき達を放置するのは教師としてどうかと思う。

「教師として、か」
「なんだ?」

 つい独り言になっていたらしく、なんでもない、と慌ててごまかした。

「それにしても、よく花火持って来たな。楽しんでるようでなによりだが、良かったのか?」
「ああいう扱いは私も心苦しいんでね」

 照れくさい話になりそうで、話題を振ってみる。

「そういや、お前の相方見てたけど、ずいぶん強いな。百回やって一回勝てるかどうか、とは思うけど、あのキヨモリと平倒したんだからな」
「我の加護を受けているからな。それでもまだ足りぬがな」

 ここでふと思いついたことがあり、口にしてみた。

「お前本性隠してんだろ。水城の身体能力って平も越えてるとか、鍛えてるとはいっても、パートナーの影響下のほうが大きい。実は口から破壊光線吐けますよーとかあったりするだろ? お兄さんに言ってみろ」

 茶化して言ったら、予想外の反応が返ってきた。。
 アーサーがびく、と身体を震わせた。振り返ってこちらを見た顔は、驚愕に目を見開いているものだ。
 まさか、本当に?

「……マジで言ってんのか?」

 マジ、と答えてみたいが、その真剣な眼差しにそこまでの茶目っ気は持てない。

「まさか。お前こそ、本当にそうなるの?」
「んなわけねえだろ」

 だよな、と雨竜は返した。もし万が一そんなものがあったら、こいつがそれを隠すとは思えない。そんな奥ゆかしさはないだろう。

 しかしそれにしても、この竜の今後はどうなるのだろうか。E級判定を受けた以上、最早竜ではないし、差別の目は避けられないだろう。こうなると見た目が竜であることは災いにしかならない。だれしもが竜に対して尊敬と共に嫉妬を持っている現状、嫉妬の念はどこかでこいつにぶつけられる可能性は低くない。あり体にいえば、いじめの対象になることは多くなるだろう。
 どうすべきか。教師として自分になにができるのか。

 そこで、自分のことを再度教師として認識していることに気付いた。
 くく、と笑みがこぼれる。自分は何をしているんだろうか。教師なんて、手段の一つに過ぎなかったというのに。いつのまにか、教師根性が身にしみついてしまっていた。

「どうした? 何を笑う?」

 アーサーが声をかけてきた。
 こいつほど面白い竜はいない。いつもは厳めしい口調で、小柄な身体に似合わぬ尊大な態度をとっているというのに、行動の端々に優しさが見える。色んな意味で特異なやつだ。
 酔ったせいか、堅苦しい口調から若者言葉に変わった竜を見た。

「いや、面白い状況だな、と」
「ふむ」

 アーサーは何か納得したように頷いた。

「まあ確かにお前とこうして二人で話すことになるとは思わなかったな」
「教師と生徒のパートナーが一対一になるとか珍しいわな。しかも酒飲みながら。とんだ不良教師だ」
「そういえば、お前のパートナー見ないな。どこにおるのか?」

 痛いとこをつかれたが、何気ないように装って答える。

「秘密」
「何か理由があるのか?」
「黙秘権を主張します」
「いいから」
「さっきの仕返しか? しつこい男はもてないぞ」
「いいから答えろ」

 アーサーの語尾が確かなものに変わってきた。
 こいつ酔っ払ってたんじゃねえのか?

「元から気になってたんだよ。なんでお前のパートナーは姿を見せないのかって。普通一緒に過ごすし、なんらかの理由があっても、一年も姿を見ないことなんてないだろ。そもそも一緒に暮らせない仕事につくやつはいない」

 酔っぱらっていたはずなのに、舌鋒が鋭い。
 適当にかわすしかない。

「嫌だ。それより、このまえの模擬戦のこととか聞かせろよ。特等席で見てたし、いいとこかっさらってったんだから」

 アーサーは押し黙った。
 そちらを見ると、真剣にこちらを見つめている。そこに酔いは全く見えず、まるでこれから真剣勝負をするかのような顔だ。
 雨竜は、目の前の小柄な竜に気圧されるのを感じた。

「何故そこまで嫌がる? 何か特別な理由があるのなら、何故教師という職業についた?」
「教師になりたいから。はい終了」
「そもそも、お前の目的は何だ?」

 背筋につぅ、と汗が流れ落ちた。
 こいつ、気付いている?
 おどけて答えるしかない。

「目的はお前らを立派な大人にする助けを」
「おどけるな」
「そんなこと言われたってただの一教師に」
「ただの一教師?」

 アーサーの声はどんどん凄みを増していく。

「違うだろ。お前は何かしらの目的がある。それも、教師としてはかけ離れた意図で」

 こいつは何を言っているんだろう。いきなり、大した接点もなかった相手に、陰謀論を振りかざすなんて、ただの電波じゃないか。
 適当に相手するに限る。

 雨竜は必死でそう考えた。
 そうでなければ――見抜かれる。

「なにがだよ。ほら、酒飲めよ。うまいぞー」
「黙れ」

 ふぅ、とため息をついて見せた。仕方がない、とでも考えて真面目な対応をするぞ、というふうに装って身体を動かす。

「何でそう思う?」
「勘だ」

 こいつはただの勘でそんなことを言うのか。意外な言葉に、自分はこいつを過大評価していたのではないか、と思った。
 しかし、それは間違いであった。
 アーサーは滔々を語りだした。

「強いて言うなら、所作。口ではいいつつも、竜を特別扱いしていないところとかな。我を前にした教師は、へりくだるか、邪見にするか、どちらかばかりだ。だというのにお前にはそれがない。藤花もそういった対応をしないのは同じだが、お前の場合は明らかに竜の扱いに慣れている。ただの一教師が竜の扱いになれることなどあろうか
 ああそれに、校長を怒鳴ったとか言ってたのもあるな。一教師が、しかも新任教師が校長怒鳴ってただで済むわけない。なのに、こうして護衛役もやっている。貧乏くじひかされたのかとも思ったが、お前にそんな素振りはない。なにより、教師を首になるかもしれないとかいう危機感もない。お前が仕えているのは、全く別の何かだからだ」

 心臓がうるさい。徐々に徐々に加速し始め、存在を主張しはじめる。

「模擬戦のときもそうだ。怒り狂う竜に対し、俺に任せろといった。そんなことは一介の教師は言えない。例え教師としての自覚が強く、犠牲心に溢れる人であってもなお恐れるのが竜という存在だ。なのに、任せろ、と言った。そこに気負いも何も感じなかった。お前、竜と対峙することに慣れているな?」

 アーサーの目が怖い。服も、皮膚も、肉も、骨も、全て透過して自分の核を見抜かれているような気すらした。その位、指摘は当たっている。
 思わず目をそらしてしまう。目を直視できない。

「どうした? 答えぬか? 貴様は何者だ?」
「私は……」

 どうすればいいのか。答えは見つからない。教師と生徒の立場が逆転し、こちらが問い詰められている。
 タイミングが悪かった。丁度、雨竜は迷い始めていた頃だったのだ。本当に目的を果たしていいのかと。目的を果たすとは、教え子たちを亡き者にする必要がある。当初は何も思っていなかったが、この半年ほどで教師としての自覚が時折出てきはじめ、ただの贄とは思えなくなってきていた。

――本当に、いいのだろうか。
 そんなことを考えているときに問い詰められれば、こうして動揺してしまうのも仕方がない。
 思考が散逸しており、ここをどう切り抜けるか考えないとならないときでも、下手な状況分析ばかりしてしまう。

 どうすれば――

 とそのとき、ふとももに冷たい感触がした。
見ると、何かがテーブルからこぼれおちている。更に視線を上げると、酒の入ったグラスが倒れていた。
その上には眠りこけるアーサーの姿。倒れたグラスによりかかって枕のようにして眠っている。どうやら寝落ちしたようだ。酔いつぶれそうな間際だったから、こんなにも遠慮なく色々聞いてきたのかもしれない。

 ふとももにこぼれ続ける酒を無視して、天井を見上げた。深く息を吐く。
 どちらにしろ、助かった。

 三回ほど呼吸をし、落ち着かせる。
 手を握り、開くを三度繰り返し、正常な動作をしていると自分に言い聞かせる。動揺はないと自己暗示する。酔いのせいだ、と必死でごまかす。

――大分落ち着いた。
とりあえず、目的に戻ろう。
窓から外を覗った。アーサーとの問答に集中してしまっていたせいで、全く注意を洗っていなかったからだ。
 そこにいたのは、三人だけ。水城歩、能美みゆき、イレイネだけだ。
 慌てて立ち上がり、そちらに走る。
 これは目的を果たす機会が来たのかもしれない。だが、本当にその目的を果たしてもいいのだろうか?
どう転ぶのが自分にとってベストなのか迷いながらも、雨竜は駆けた。




[30262] 三章の六 止めなければならない、でも止められない
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/25 10:22



 七つの場所から、火花がこぼれおちている。辺りを煌々と照らしていた。
 それが照らし出すのは四つの影。
みゆき、イレイネ、唯、そしてキヨモリだ。キヨモリは三本を両腕と頭で、それ以外の歩達は一本ずつ垂らしている。

 風が、火花を散らした。
 初春の夜はまだまだ肌寒さを感じさせたが、胃の中でゆたんぽのように熱を発散する雑多な具材達と季節違いの花火のおかげか、余り苦にならない。
 ぼつん、と火のしずくが消え落ちた。
 これが最後の花火だ。

「終わっちゃったね」
「そうだねー」

 祭りの後、といった感じだ。花火は今ので最後になる。カバン一杯に詰め込まれていた花火も、ペースを考えず使えばそう時間はかからず消費してしまう。

もう寝るか、と歩が言おうとした時、唯が声高に叫んだ。

「そうだ! 私、買ってくるよ! キヨモリでひとっ飛びだし! あの駄菓子屋ならまだ空いてるよね?」

 確かにいつも世話になっている駄菓子屋なら、二十四時間だし、花火も置いてあるだろう。
 だがしかし、もう夜中で、人通りもほとんどないだろう。
 そこに唯とキヨモリを行かせるのは流石にどうかと思う。実感は余りないが、自分達は幼竜殺しに狙われているのだ。

 それがわかっているのはみゆきも同じようで、口を開いた。

「もう時間遅いからやめなよ。行くなら私とイレイネが行くから」

 みゆきの弁が正しい。確かに歩が行くのもダメだし、まだみゆき達がいった方がいいだろう。そもそもここで終わりにすればいいのだが、唯が物足りなく思っていることに、ここで終わり、とまでは言いづらいのかもしれない。
 唯はおちゃらけて言った。

「大丈夫だよ。私とキヨモリは竜殺しなんかに負けないって。歩とアーサーには負けちゃったけど、それまで一度だって負けたことなかったんだから! それに、出るとも限らないし」

 さすがに止めようと、歩は口を開こうとした。
 しかし、止めた。唯の瞳が少し潤んでいたからだ。

「それにさ、楽しいんだ。本当に。ここで終わりにしたくないんだ」

 それは、唯の心からの言葉であるのは明白だった。態度もあるが、なにより重みがある。
 歩はのどから声が出なくなった。それを止めるものを、歩は持ち合わせていないのだ。
 みゆきが言った。

「それは私も同じだよ。だけど、私が行けばいい話だから」
「私、何もしてないじゃん。料理の時も何もしてないし、運んだのはキヨモリだし。ただ楽しんでただけで、このままじゃお客さんみたいになっちゃう。私も何かしたいんだ」

 みゆきも黙った。
 おそらく、歩と内心は同じ。止めなければいけないのはわかる。無謀な行動だとも理解している。
 それでも、今の唯を止めることはできなかった。
 それがわかったのか、唯は言った。

「じゃあ、行ってくるよ! キヨモリ! 行くよ!」

 ざっとキヨモリに飛び乗ると、そのまま空に飛び上がった。影はすぐに遠くなっていく。

「唯!気をつけて!」

 歩の声が聞こえたかはわからない。
 ただ、唯の顔は笑っているように見えた。



「行っちゃったね。良かったのかな」
「……さあな」
「……ですね」

 風が冷たく感じた。そう時間もたっていないはずなのに、危機感ばかりが増大する。
 唐突にみゆきは言った。

「唯とキヨモリと昼食食べさせたりしてごめんね。アーサー、苦手なのに」
「いや、あいつが決めたからな」

 あいつに関して俺は何も知らない、とは言わない。

「でもさ、やっぱあのまま放置できなかったんだ。孤高ならまだしも、孤独は辛いよ。前者はまだプライドで立っていられるかもしれないけど、後者はいつか必ず心が折れる。私もそうだったから」

 みゆきの話はどんどん飛び出している。おそらく、不安でいてもたってもいられないんだろう。唯を今から追ったところで、追いつけるはずもないし、二次被害が出ないとも限らないため、自分達にできることは何もない。
 歩もまた語る。不安なのは歩も同じなのだ。

「やってみて、唯が楽しそうだったからいいんじゃないか? 今日も本当に楽しそうだったし。だから止められなかったんだけどな」
「……今日の唯は、本当に楽しそうだね。一回家に帰る時も、最初は学校に止まらなくちゃいけないって話に怒ってたけど、途中から逆に嬉しそうになってたんだ。多分、修学旅行に行ってるような気分になったんだね」

 それで、宿直室で最初に会った時、少し浮足立って見えたのか。

「私も同じ感覚もあったし、唯が楽しんでいるのもわかったから、買い出しに行ったりしたんだけど、やっぱりやり過ぎだったかな」
「……お前のせいじゃないよ」

 みゆきは本当にこういうところがある。全てを背負おうとしてしまうところが。
 日頃はいい面ばかりが見えるが、こうなると自責の念で潰れるんじゃないかと心配になってしまう。

 ここで、不意に雨竜の声が聞こえてきた。

「平とキヨモリはどうした?」

声の方に振りむく。その顔は心なしか青い。
 正直に話した。

「どうして止めなかったんだ!?」
「すみません」

 謝るしかできない。今となれば、なんとしても止めればよかったと思う。後悔先にたたずとはまさにこのことか。
 雨竜に怒鳴られるかと思ったが、それ以上続かなかった。

「とりあえず、私は追い掛ける。お前らは中に入っててくれ」
「すみません、俺らが止めなきゃいけなかったのに」
「いや、悪いのは私だ」

 雨竜は走っていった。その速さは、おそらく歩でも勝てない。
 残された歩達は、ただただ待った。
 どうか、凶報だけは届きませんように、と祈りながら。




[30262] 三章の六 裏 キメラと竜殺し
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:11


――十年前

「いらっしゃいませ」

 ×××は元気よく挨拶をした。
 場所は首都の雑貨屋。雑多な品物が並び、客層も様々で、中には怪しげな人物もいたが、×××にはまるで気にならなかった。

 品物を受け取り、値段を確かめる。出してきた札を受け取ると、細かいお釣りを返す。簡単な作業だ。ずっと立っていなければならないのも、余り苦にならない。時間ばかりが拘束され、給料はよくないが、それでも×××にとっては楽しい日々だ。

 『家』となっていた場所の崩壊から二年がたった。その後、×××は瓦礫の中から適当に金目のものを物色し、当座の資金を確保した。まず先立つものがないとどうにもならないからだ。

 それからすぐにその場を離れ、おじさんから学んだ知識をもとに新たな人生を始めた。幸いにうまいこと入れ替われそうな□□□の戸籍があったので、それほど難しくはなかった。保証人なしの住居探しが面倒だったくらいだ。
 それからこの店のバイトを始め二年。
 キメラに似合わぬ、落ち着いた日々を過ごしていた。

「□□□! もう上がっていいぞ!」
「はい!」

 ×××は、□□□と呼ばれて返事をした。□□□のIDカードを利用して生活しているので、そう呼ばれているのだ。
 時間になり、やってきたもう一人のバイトと交代する。適当に談笑したりする相手なのだが、余りに可愛らしい思考の女性なので、余り長話をしたくない。会釈し、足早に事務室に戻った。

 そこには店長の姿があった。黒いもじゃもじゃした髭に、小さめの瞳、いまにもハゲそうな頭。柔和な雰囲気を醸し出していて、バイト皆から慕われている。
 その隣で撫でられているのは、小柄な犬。真っ白な体毛に真っ赤な三つ目。不吉さを感じさせる外見だが、今はリラックスした様子でゆったりと背を伸ばしていた。

「おつかれさま」
「おつかれさまです」
「あのさ、ちょっといい?」
「はい?」

 更衣室に行こうとしたところで、呼び止められた。
 申し訳なさそうに、くしゃっとした笑みを浮かべている。

「明日、シフト入ってくれない? 朝十時から五時まで」

 本来なら、×××は明日休みのはずだが、別に構わなかった。

「いいですよ」
「本当? いつもいつも気軽に頼んで悪いね」
「いえ、私は暇ですから」

 バイト以外には特にこれといったことは何もしていない。いつも空いた時間は本を読むか、たまにバイト仲間に誘われて飲み会に行く位だ。飲み会といっても酒を飲むわけではなく、酔っ払い達の愚痴を聞かされながらご飯を食べるだけだ。×××にとってはそれも良かった。

 そのまま更衣室に入り、着替える。ファッションにもこだわりがないので、適当にスーパーで買ったTシャツにジーパン、スニーカーだ。
 すぐに着替え終えると、荷物を抱えて事務室に出る。そこにはまだ店長と白い犬がいた。

「帰るよ」
「ほら、ご主人様がお呼びだ」

 白い犬が駆けよってきた。これが私のパートナーだ。キメラの擬態能力を生かし、可愛らしい姿に変えていたのだ。家でも生まれた時の姿に戻ることはなく、ここ半年以上、ただの子犬として暮らしてきていた。

「名前付けてあげればいいのに。まだ付けないの?」
「ええ」

 ×××はパートナーに名前を付けていない。例の施設にいたときからの無名はまだ続いていた。
 書類上は、名前はある。登録が義務付けられているからだ。だが、その名前は死んだあの子のパートナーの名前になっている。
 名前を呼ぶ度に、息たえた姿が脳裏に浮かんで、なんとなく呼べないのだ。
 それでも十分に意思の疎通はできるので、そのままでいいや、と思っていた。
 店長のどこか寂しそうな顔に一礼し、事務室を後にした。



 家に着くと、すぐにカバンをおろした。六畳一間でぼろぼろのアパートだ。ユニットバスではあるが、風呂便所付きなため、十分満足している。
 家具は布団と冷蔵庫、洗濯機など必要最小限のものしかなかったが、代わりに様々な本が壁際に積まれてある。そこから一冊、抜き出すと、壁を背にあぐらをかくと読み始めた。
 読書は唯一の趣味だ。色々な世界があり、実体験するよりは薄い感触しか得られないが、それでも知識としては積み重ねられる。施設にいたときにおじさんの講義を受けていたせいか、頭に何かを叩きこむ作業は、楽しかった。

 今読んでいるのは、子供向けのファンタジー小説。
 それほど面白い内容ではなく、作家もこれ一つしか書いていないようであったが、×××は何度も読んだ。
 ストーリーは、キメラに母親を殺された竜使いの少年の英雄譚。キメラの存在そのものを否定し、正義の名のもとに何匹も殺していく話だ。軍に入り、討伐に精を出していたのだが、途中で同僚と恋に落ち、結婚し、家庭を持つ。その過程で自分を見つめ直しだした。自分はただ虐殺しているだけではないかと。
息子が生まれたのが契機となり、キメラ殺しを躊躇していくようになる。軍もやめようか、というところまで至った。
 だが、悲劇が起こる。今度は息子がキメラに殺されたのだ。そこで憎しみを暴発させ、キメラの存在自体をこの世から消そうとあらゆることをするようになる。
 妻と離婚するなど紆余曲折をたどりながら、最後までキメラを憎み続け、最後にはキメラを殺すための社会システムまで構築して死んでいく、という話だ。

 これを読んだ時の×××の内面はいつも同じだ。
 何度もキメラが殺されるのを想像し、キメラに殺された主人公の感情を感じ取る。それが×××の心を浮き出たせた。興奮も湧きたてられた。
 だが本を閉じると、途端にそれらが冷める。キメラに対しても、どこか他人事のように感じるようになる。それがよかった。

この生活を始めた当初はキメラとしての本能に押され、適当なパートナーを食べたいという衝動にかられた。危険を承知で魔物を食べたこともあるが、魔物は全く美味しくなかった。やはり、パートナーでないといけない。しかしパートナーを食べるのは、人を殺すことに繋がり、殺人ともなれば警察が動き出す。逃亡生活を送る×××としては、それはできるだけ避けたかった。
仕方なく餓えを我慢していたのだが、今度はパートナーが擬態を維持できなくなったのだ。生まれたときの姿とは違うのだが、明らかにキメラであるその姿は、この生活を送るのに余りに適していない。

 どうしようか、と考えているときに、この本を読んだ。
 すると不思議なことに、食欲が消えたのだ。全くない、というわけではないのだが、それでも薄れていった。それはパートナーにも影響し、擬態も随分安定するようになった。
 こうしてこの本は、必需品となった。

 物語は中盤にさしかかった。竜使いが母親を殺した仇のキメラを前にし、その子供に剣を突きつけているところだ。その子供のパートナーもキメラで、まだ成人もしない内に二桁の犠牲者を積み重ねている。
 仇が懇願する。息子は関係ない。俺を殺せと。
 主人公は言う。お前は関係ない。こいつはこいつ自身が殺人鬼で、殺される運命にあるのだと。正義の名のもとに、こいつを殺すのだと。

 そこで仇が笑った。主人公に言う。顔を見てみろ、と。
 主人公は巨大な剣に反射する自分の顔を見た。そこに写る自分の顔は、これ以上ない醜悪な笑みを浮かべていた。
 仇は笑う。ほら見てみろ。お前は私怨で殺そうとしているだけじゃないかと。仇の子供を殺すという倒錯行為に身を染めているだけだと。

 そこまで読んだ時、不意に扉が叩かれた。

「□□□さん、いますか?」

 若い男の声だ。見知らぬ声で、自分の名を知っていることに驚きつつも、とりあえず出てみることにした。パートナーが寝そべりながらも、耳をたてて警戒していた。
 木製の古びたドアを開けると、意外な顔があった。

「やっぱり、×××だったか。ずっと探してたよ」

 ひどく驚いた。まさかの人物だったのだ。五年を経ても、あまり顔が変わっていない。

「○○○君………」

 パートナーが生まれた時に一緒にいた、竜使いの○○○だった。



 とりあえず部屋に上げた。○○○は入ってすぐに、何もない部屋に驚いていた。

「生活厳しいの?」
「まあ」

 冷蔵庫から紙パックのお茶を取り出し、彼に手渡した。それくらいしかもてなすものはない。
 ×××はお茶の隅を手で裂きながら、心臓の鼓動が強く打つのを感じていた。
 何故ここに? 何故私のことを知った? 私がキメラ使いだと知っているのに、何故来たのか? そもそも、自分が昏倒させられた後、なんて説明されたのか?
 そのどれもが、×××を危機に陥らせる危険をはらんでいる。

 ×××の焦りとは逆に、○○○は落ち着いた声で言った。

「今どんな生活をしているの?」

 ×××は答えた。バイトして暮らしていること、学校には行ってないこと、平穏に暮らしていること。
 ○○○はただ頷くだけだった。
 話し終えると、今度は逆に質問した。

「○○○君は、どんな生活?」
「学生やってる。中央第二竜学校に通ってるよ」

 照れくさそうに○○○は言った。
 そう言われて、×××は思い出した。彼のパートナーは竜だ。そして、中央第二竜学校は、認められた竜使いだけが在籍できる、エリート学校だということを。

「すごいね」
「ありがと」

 照れくさかったのか、いきなり話題を変えようとする。
 寝転んで○○○をじっと見ていた白い犬を見て、言った。

「これが君のパートナー? 随分可愛らしく変わったね」

 『変わったね』
 これはどういう意味か。確か、○○○は×××のパートナーが、つまりキメラが生まれる瞬間を見ている。キメラに擬態能力があることを知っているのか?

 問い詰めようとした瞬間、唐突に○○○のお腹が鳴った。時計を見ると、もう七時を過ぎている。
 顔を赤らめた○○○が言った。

「夕食、どうかな? いいレストラン知ってるんだ」

 ×××は従った。



 流石のエリート竜使いだと思った。
 連れて行かれた先は、なにやら怪しげな感じのビルだ。
 一見そうは見えないが、本当に秘密にしないといけない場所は目立たないようにしていると聞く。
 案の定、古びたドアを開けて中に入ると、別世界だった。
 そこは全室個室になっているようで、薄暗い廊下にいくつも枝分かれした道がある。話し声は全く聞こえず、よくわからないクラシックだけが耳に入ってくる。

一番奥の部屋に着くと、○○○は中に入った。
それまでの薄暗い廊下とは正反対の空間だった。
 ×××のアパートの三倍以上のスペースがあり、中央に巨大なテーブルと十脚以上の椅子。そこから少し離れたところにソファが置いてあり、ゆったりとくつろげるようになっていた。

「二人にはちょっと広いけど、いつも使ってるからここでお願い。俺のパートナーもここじゃないと入らないしね」

 そういえば、彼のパートナーを見ていない。

「○○○のパートナーはどこにいるの? やっぱ竜ともなると、なかなか外に連れ出せないもんなのかな」
「もうちょっとで来るよ。少し用事があってさ。まあ座ってよ」

 促され、入口から見て巨大なテーブルの奥に座った。足元にパートナーがうすくまる。○○○はその対角線の席についた。

「料理はおすすめがあるんだけど、それでいい?」

 頷いた。おそらく、どんなものでも口に合うだろう。
 それより大事なのは、疑問点の解消だ。
 このままぐだぐだやっても仕方がない、と率直に切り出すことにした。

「私のこと、どこで知ったの?」
「たまたまさ。ここらへん学校に近いからね。何度かここらへん通ったとき、みかけてあれ? と思ってたんだ。それで少し調べたら、名前を変えて雑貨屋で働いてるっていうじゃないか。気になってね、あの後どうなったか」
「それは私も聞きたかった。私のパートナーがキメラだってこと、知ってるよね? あのおじさんからはなんて説明されたの?」

 ○○○は少し眉を寄せて答えた。

「キメラだから隔離しないといけないって。このことを言っちゃいけないって」
「それだけ?」

 ○○○はちらっと壁に視線を寄せた。×××もそれにつられてそちらを見ると、そこには壁時計がかかっていた。それも何やら品のよさそうな代物だった。

「君は今日から竜使いだよねって。だから相応の特権と地位を引き換えに、義務と秘密を身に納める必要があるよね、って」
「だから従った?」
「それだけじゃない」

 なにやら空気が冷えてきた。○○○の顔が、序々に硬質のものに変わってきたからかもしれない。傍らに寄り添うキメラの毛が逆立っている。赤い目からは炎が揺らぎだしていた。

「僕を紹介してくれたんだ。ある組織に。そこは国に連なる、栄誉ある仕事をたくさん承っているんだけど、常に人手不足なんだ。優秀な人材が足りないせいだって。その優秀な人材が集う組織に、僕も入らないかって誘われたんだ」
「それで、どうしたの?」
「受けるしかないじゃないか。僕みたいな孤児でも、そんな立派な仕事ができるっていうんだ」
「あなた、竜使いだよね? そんな危ない橋渡らなくても、十分いい地位に付けるんじゃ」

 ○○○は首を振った。口元がなにか忌まわしいもので歪む。

「ダメなんだ。今の学校に入って分かったよ。竜使いだから偉いんじゃなくって、貴族の家に生まれた竜使いだから偉いんだよ。僕が入れたのは組織のおかげで、個人だと全くダメみたいなんだ。
 同じクラスにいるんだ。縁もなにもなくって、竜使いになったから入学したやつが。そいつ、みんなからいじめられてるよ。後ろだてがないから、みんな好きにいじめられるんだ。学校に来てるのが不思議なくらいだよ」

 ○○○の顔が、歪んでいた。
 ×××は背中に冷たいものが垂れたのがわかった。これは、あの施設で出会った中でも、最も気味の悪いものと同種だと感じた。
 そこで、ばん、とドアが開いた。何か大きな影がいる。

「ただ、組織にいるにもちゃんと仕事を果たさないといけない。特に、功績を残さなくちゃいけないんだ。特に、僕しか知らない情報源で、僕一人で動いて、危ないやつを僕一人で捕まえたりするといいんだ」

 影が動いた。座った○○○の何倍も大きな背丈で、鱗の生えた身体をのしのしと動かし、近付いてくる。
 証明に照らし出されて現れた姿は、竜。
 ○○○は言った。

「だからさ、僕のポイントになってよ。キメラ使いの逃亡者さん」
「どうして、私を捕まえるとポイントになる?」

 ×××は質問を飛ばした。幼なじみの自分に、とは言わない。会話が続かないからだ。会話が途切れた瞬間、自分は襲われる。
 幸い、答えてくれた。

「君が逃げ出したからさ。キメラは普通、閉じ込められたまま一生を終える。なのにどうして外にいるんだ? 逃げ出したからでしょ」
「逃げだした、と聞いたわけじゃないの? その組織から」
「違うよ。僕がたまたま君がキメラ使いであることを知っていて、探し当てたからさ」
「組織に報告は?」
「しないよ。僕一人で済ませたほうがポイント高いでしょ。調べたけど、組織は君を察知していないみたいだし。組織も知らないお尋ね者を僕が一人で見つけるなんて、大手柄だと思わないか?」

 幸運が重なる。こいつは馬鹿だ。紛うことなき馬鹿者だ。
 こいつを消せば×××は助かると、分かった。
 だが、相手は竜使い。できるか?

 自分のバイブルとなっている小説を思い出す。いくつものキメラを殺した竜。殺すに際し、ほとんどてこずった話はなかった。それほど特別な力を持つのが竜だ。
 登場したキメラは成すすべなく押しつぶされたものばかりだ。

――どうするか。
 迷っていると、突然○○○が笑いだした。どうした?

「そんなにびびらなくていいよ。漏らすなら上からじゃなくって下からでしょ。よだれ垂らすなんて汚いね」

 言われて、手を伸ばす。顎のあたりからぼたぼたとよだれが垂れてきていた。
 これは、どういうことだろうか?
 否。
 理解はすぐに終わった。
 例のファンタジー小説を思い浮かべた。
 まるで意味はなかった。落ち着くどころか、逆に目前の竜に対する関心が増していく。

「じゃあ、もう終わろうか。叩き潰しても、君たちがキメラだってわかるよね?」

 ○○○が一歩引いた。竜が机を挟んでそびえ立つ。
 ×××は思った。
 なんて美味しそうなんだ。

 つばを飲み込んだところで、足元の白い子犬が変体しだした。見ずともわかった。五感を使わずわかった。私達は二つで一つのキメラなのだから。
 巨大化する。真っ赤に燃え盛る。尾が伸びる。羽が生える。
 どれも×××は感じ取った。まるで自分の身体がそうなったように。
 目の前の竜を見た。
 飛びかかった。



 ばりばりぐちゃぐちゃごくごく。
 ああ、美味しい。少し焦げた表面も、噛みちぎるたびに顎が外れそうになる肉も、蕩けそうなほどに熱い血液も、なにもかもが美味しい。久しぶりの食事は、最高だった。
 ああ、なんて美味しいんだ。竜はこんなにも美味しいモノだったのか。いままで知らなかったことは罪だと思った。

 もうやめられない。やめるつもりもない。
 こんなにおいしいものはそうはない。これほど良いものはない。
 キメラも全身を真っ赤に染め、皮膚でも味わうかのように竜の臓腑にもぐっている。
 絶対にやめられない。
 決めた。パートナーを、特に竜を狙って食す。法を犯し、警察に追われる身になってもかまわない。

 それにしても。
 この肉の堅さはどうにかならないのか。顎が痛い。
 もっと柔らかい肉がいい。次は柔らかそうなやつを狙おう。
 柔らかい肉、というと若い肉だろうか。
 これより若い肉というと、数えるほどしかない。中学一年から高校二年までの五年間。パートナーで言えば、生後五年以内か。

 それを喰らう、それもたくさん。
 どうすればいいか。
 ただ狙うのもいいが、やはり竜がいいのだが、そうなると難しくなる。竜といえば貴族達ばかりから生まれ、警護のものもつく。それ以外を狙うとなると、各地を転々としなければならない。それもいいが、よそものに対する視線は厳しいものがあるし、そうなると警察に捕まる可能性が高くなる。それはできるだけ避けたい。まだたくさん食べたい。

 何かないか。
 そうだ。
学校の先生なんてどうだろう。
 生徒達の近くにいれば、よりどりみどり、それなりに転勤もある。ベストだ。

 学校の先生になろう。

 そのためには、大学に行かないとならない。まあなんとかなるだろう。高校を経ずとも大学に行く方法はある。
 とりあえず、この場をどうにかすればいいか。
 食べ終えた後、何もかも焼き尽くせばいい。
 その前に、この竜をたいらげよう。
 ああ、なんて美味しいんだろう。



[30262] 三章の七 そして……
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/26 22:12

 唯とキヨモリが襲われたと聞いたとき、ああやっぱりという冷たい感覚と、まさかという熱くたぎる思いが激しくぶつかった。
 藤花の制止もほどほどに、夜の学校を飛び出した。

 歩は走る。
 息は切れ、喉は冷たい外気でからからに乾いている。全身がだるく、足などは悲鳴すら上げている。
 それでも脳だけは燃え続ける。もっと走れ、もっと全身を振り絞れ、もっと、もっと。

 歩の後ろにはみゆきとイレイネ。肩にはアーサーが乗っているが、歩の動きの邪魔にならないよう、前に屈んで上手く身体の位置を調整している。目は、少し血走っていた。

 目標地点が目の前に迫ってきた。
 病院。まだ日が昇るには遠い時刻ながら、そこからは燦々と光が漏れている。
 深夜用の入口から中にすべりこみ、正面を見た。雨竜の姿があった。どこか達観したような、なにかが抜け落ちたような顔をしている。

「あ、廊下を走らないでください!」

 看護師さんの言葉はほとんど無視した。
 雨竜の傍に行き、息も絶え絶えに聞く。

「先生! 唯は大丈夫ですか!?」

 やはり、止めるべきだったのだ。もしくは、皆で行くべきだったのだ。後悔はいくらでも思い浮かび、浮かんだ分だけ脳を熱く燃やした。
 本当に、何を考えていたのか。危ないに決まっているのに、もし、が起こったらどうしようもないことはわかっていただろうに。

 雨竜は目の前の部屋を指した。歩は祈りながら扉を押しあける。

 そこには、傷一つない唯の姿があった。

「唯! 怪我は!?」

 みゆきの声が先に飛んだ。唯が頭を軽く横に振った。本当に傷一つなさそうだ。
 ほっと安堵する。とりあえず、唯は無事だ。

 だが、ふと気付く。唯の顔に一切の表情がない。無表情というより、感情が欠け落ちた、と言った感じだ。
 もしや、キヨモリに何か? でも、唯が生きているということは、キヨモリも生きているということだ。それはこの世界のルールだ。

「唯、キヨモリは?」

 みゆきが聞くと、唯の腕がゆらりと上がり、カーテンに囲まれた一角を指した。
 カーテンを勢いよく開ける。
 そこにあったのは、包帯で全身をグルグル巻きにされたキヨモリだった。頭は目と鼻を除いた箇所が全てグルグル巻きにされており、口を開くことすらできそうにない。身体のほうも、ところどころ血のにじむ包帯が非常に痛ましい。

 視線が背中のあたりまで進んだ時、背中があわ立つのを感じた。
 背中の中央部分。
 あるはずのものがない。
 翼がない。

「キヨモリ、飛べなくなっちゃった」

 唯の仮面のような顔から一筋の涙が流れた。



 控室には重苦しい空気が淀んでいる。歩、アーサー、みゆき、イレイネ、だれも口を開くどころか、みじろぎの音すら立てない。不謹慎だ、とでもいう風に。

 あの後、狼狽していた歩達は、やってきた看護師達に促され、別室に案内された。そこには雨竜も移っていたようで、そこで色々話を聞くことができた。

 雨竜が駆けつけた時、既に犯人は逃げていたらしい。そこにあったのは、翼をもがれ傷だらけのキヨモリと、泣き叫ぶ唯の姿。それから近くにいた人に病院に連絡してもらい、手当てをしていたとのことだ。
 雨竜には、自分を責めるな、と言われた。お前達は学生で、それを守るのが大人の役目なのだと。おかしかったのは自分達で、目を放した自分が一番悪いのだと。
 おそらくそれは気休めだったのだろうが、歩には全く効果がなかった。

 説明を終えると、雨竜は学校に戻っていった。色々仕事があるらしい。

 沈黙がしばらく続く。その間、加速度的に歩の感情は乱高下していた。表面上は何も変わらず、ただ内面だけが混沌となっていた。
 感情が異常なまでに高まった時、無造作に歩は右腕を振るった。
 耳をつんざく音と共に、木製の壁に大穴があく。手の甲がひりひりしたが、その痛さが弱弱しく余計に腹が立った。

「くそ」
「自分を責めないで。歩に責任はないよ。責められるべきなのは護衛役だから」

 みゆきの声は悲痛の色を含んでいる。
 再び腕を振り上げ、しばらく震わせた後、そっと下ろした。皮膚を血が流れる感触があった。

「いや、誰の責任って話じゃない。全員が悪かったんだ。キヨモリと二人だけで行った唯も、行かせてしまった俺達も、それを見逃してしまった雨竜も、全員に責任があるんだ」

 自分に言い聞かせるように呟いた。答えるものはいない。

 重い、本当に重い沈黙が部屋を満たしていた。木製の片っ苦しい椅子も、無機質な石の床も、全てが自分を責めているような気がする。

 それを破ったのはアーサー。

「いまさら後悔しても仕方あるまい」

 アルコールは抜けているようで、厳かな口調が戻ってきていた。

「過ぎたことは過ぎたこと。悔やむだけでは何も変わらぬわ」

――何だその言い草は。苦手な竜のキヨモリだから、どうなってもいいのか!?
 考えるまでもなく、口から激情がほとばしった。

「随分偉そうな口調だな! 酔って寝ていただけのお前に言われたかねえよ!」

 すぐに後悔する。自己嫌悪する。物に当たったことも、なによりアーサーに向かって暴言を吐いたことを。完全に八つ当たりだ。それも最悪の。

 冷たく燃え広がる歩とは対照的に、アーサーは落ち着いて見えた。いつもと何も変わらず、淡々と口を動かす。

「物に当たっても仕方あるまい。重要なのは、これから何を成すか、だ」
「私達に何かできることがあるの?」

 ため息のような、力のないみゆきの声が響いた。
 みゆきが口にした言葉と同じことを歩は思っていた。
言いつけすら守れない、ただの学生にできることなどあるのか。
 アーサーは言った。

「今回の犯人は件の幼竜殺しで違いないと思うか?」

 歩は頷いた。おそらく間違いない。あそこまでキヨモリを傷つけることができる力を持ち、即座に逃げ出すことができるものが多いとは思えないし、タイミング的にもそうだろう。雨竜も恐らく、やつだと言っていた。

「ならば、竜殺しをやればいい」
「どうやるんだよ。相手は警察でさえてこずる相手で、竜を何匹も殺してきたやつだぜ? なにより、俺達がどうやって見つけるんだよ」

 アーサーはあっけらかんと答えた。

「見つけるのは簡単だ。我がいる」

 はっとアーサーを見返した。平然としていた。

「唯とキヨモリがちょっと一人になった隙に襲ってきた卑怯者だ。我が少しでもそれらしい素振りを見せれば容易く襲いかかってこよう。我のこの姿ならば余計にな」

 確かに、唯が一人になった隙を的確についてきた相手だ。ハンスの時も、誰もお付きがいないところを襲っているからこそ、いままで正体不明なのだ。こちらの動きをなんらかの方法で掴んでいると考えていいだろう。
 ただし。

「相手は幼竜殺しよ!? キヨモリが成すすべなくやられた相手に、何ができるの!?」

 模擬戦では一応の勝利をおさめたが、自力では唯とキヨモリと比べ物にならない差がある歩とアーサー。みゆきとイレイネが加わったところで、キヨモリ達以上の力はおそらくないだろう。そんな四人が組んだところで、何ができるのか。可能性は万に一つもない。
――何ができるのか。
 己に問うまでもなく何もできないと答えが出てきた。

 歩はアーサーの瞳を見た。
 ひどく揺さぶられた。
 アーサーの瞳には熱く滾る激情があった。

「何ができる? 何を言っている? 我はアーサーぞ? 竜の中の竜! この世の頂点に位置するものぞ!? 何を恐れる必要がある! 闇に紛れ、不意打ちばかりの卑怯者に臆する必要がある!? かような駄馬など我の障害になりえるはずもない! やつの腕を折り、牙を砕き、脳髄を引きずりだすことなど容易いわ!」

 アーサー得意の大言壮語だ。いつもなら笑って済ませる部分だ。
 ただ、いつもとはまるで違う。
 怒りだ。隠しきれない、煮えたぎるマグマのような深く、熱く、重い、全てを焼き溶かすような、感情の発露だ。
 そこには思わず後ろ足をふみそうになるほどの深淵な思いがあった。
控室にいる全員がアーサーに飲まれてしまっている。

「奴を殺す。歩、まさか二の足を踏むまいな?」

 ノーとは言えなかった。
いや、言わなかった。
少しずつ自覚がでてきた。
 歩もまた、その思いがあったのだ。力が及ばないから、黙っていただけだ。
 何ができるか、いや、できない。
 違う。
やらなければならない。
 無謀だろう。馬鹿だろう。脳なしだろう。
 だが、歩には否定する理由がわからなかった。

 歩は頷いた。それを見てアーサーは満足そうに鼻から炎を漏らした。



[30262] 四章の一 準備
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/27 18:42

 夕日で真っ赤に照らし出されている廊下で、歩は慎一に声をかけられた。

「歩、今日も図書館行ってたのかよ」
「まあね」
「何この優等生。この前の模擬戦勝ったからって、何真面目ぶってんだよ~」
「まあそう言うなって」

 慎一の隣に彼のパートナーであるマオの姿があった。その前に座りこみ、わしゃわしゃと首を撫でてやると、狼型のマオは嬉しそうに目を細めた。尻尾をぱたぱたと振っている。

「俺と昼飯食わなくなったと思ったら、能美さんと平さんと食ってるみたいだし。何その美人エリートハーレム。黒ストと白ニーハイに縛られて御満悦か? 俺も混ぜろよゴラァ」
「なんだそれ」
「平さんが退院したら紹介しろってことだ」
「気が向いたらな」
「絶対だぞ!? あ、それとアーサーにもよろしくいっといてくれ」
「ああ」

 ここのところ色々あったせいで、慎一とは疎遠になっていた。後で埋め合わせをしないといけない。
 だが――
今はまだやることがある。図書館に通っているのも、そのための下準備だ。
そして本番は、今日の深夜。

 慎一と二、三やりとりした後、仮の宿になっている宿直室に向かう。
 心なしか、心音が高鳴ってきているように感じた。



 歩達は宿直室についた。がらりとドアを開け中に入ると、ちゃぶ台を三つの影が囲んでいた。

「ただいま」
「おかえり」

 みゆき視線をちゃぶ台の上に乗せた資料から動かさず言った。
 歩は畳に上がり、ちゃぶ台の空いている席につく。抱えている荷物を脇に下ろした。

「収穫はあったか?」

 アーサーもまた視線は資料に向けたまま質問してきた 歩はいくつか手応えのあった資料をカバンから出しつつ、答える。

「いや、ない。やっぱもうあらかた探しつくした感があるな」
「大分読んだからね。もう当分活字は見たくない気分だ」
「そっちはどう?」

 みゆきは持っていた鉛筆でモミアゲの辺りを掻いた。

「ちょくちょくって感じかな。同じ記事も丁寧に読むと見方が変わるのは驚いた」
「闇雲に量を追っても仕方あるまい。心眼を持って一つ一つの記事に目を通すのもまた必要だ」

 アーサーはふうと息を漏らした。少し疲れているようだ。ここのところずっと酷使してきたからか、目が少し充血している。

「とりあえずお茶入れるから、三人とも休め。決戦は今夜だぞ」

 直接調べているわけではないが、イレイネもずっと動いていた。アーサーの手の代わりとなりページをめくったり、みゆきの持ってきた新聞を運んだりしている。分かりづらいが、イレイネも疲れるということは知っていた。

 部屋の端に移されていたコンロに近付き、火をつける。その上にヤカンを置き、急須と茶飲みの準備をしながら、歩は今日の夜行う予定の決戦に思いを馳せた。



 唯とキヨモリが襲われてから三日が経った。
 唯達はまだ入院中だ。唯は特に怪我をしていないが、キヨモリの傍から離れようとしなかったからだ。パートナーが傷ついた人にはままあることなので、病院も学校も許可を出している。雨竜も病院に泊まり込んで唯達の護衛の任を果たしているらしく、この三日間授業も全て休んでいた。

 一方の歩達はというと、幼竜殺しについて調べていた。
 囮になるといっても、そうなると相手方の情報が必要になる。幼竜殺しがこの場を去る可能性はわかっていたが、それでも下準備は必要だ。
 下準備の時間を歩達は三日と決め、幼竜殺しの調査を始めた。

 調査したのは、図書館にあった新聞、雑誌の類。古いものは立ち入り禁止の地下書庫にあったのだが、竜の特権で見ることができた。

 昼間は普通に授業を受け、放課後から寝るまで新聞と雑誌に目を通す日々を二日続けた。
 そして今日は三日目。
 当初決めた期限だ。

 歩は淹れたお茶を三者に出した。みゆきには渋いお茶を、イレイネには薄めのお茶を、アーサーには中間の濃さのものを小さめの湯飲みで。
 お茶を軽くすすったところで、切り出した。

「ひとまず、幼竜殺しの事件を追ってみようか。イレイネ、一番左端の頼む」

 イレイネから受け取ったのは、大まかな幼竜殺しの犯歴と主な報道。歩が調べた部分はそこで、昨日までにおおかたまとめていた。

「最初の事件は今から十年前の、首都のレストランで起こった竜殺し。全焼したレストランから当時十七歳の竜使いの少年の遺体が発見されたが、そこに竜の身体が跡形もなかったことから、竜殺しと認定された。
 それから半年で竜使いの遺体が発見され、竜の身体が連れ出される事件が八件発生。その相手がまだ若い未成年であったこと、最初の一件を除いて、竜使いの死因がパートナーを殺されたことによるショック死だったことから、一連の事件は同一犯だと警察が発表し、『幼竜殺し』と呼ばれ始めた」

 十年前というと、歩は小学校に入ったばかり。
 それから十年も経っていると思うと、ぱっと思い浮かんだ幼竜殺しの姿は、おどろおどろしい中年の男になった。

「幼竜殺しが特別なのは、人ではなくパートナーを狙うことにある。フィードバックを受けているとはいえ、竜よりも人のほうが殺しやすいのは確実だ。金銭狙いで竜殺しをする人にとってもそちらのほうが商品になる竜の身体を安全に確保できる利点もあるしな。だから竜殺しは、基本的に人を狙うのがセオリーなんだけど、幼竜殺しは人には見向きもせずに竜を直接狙っている。幼竜殺しはかなり変わった性質の持ち主だ。で、みゆきよろしく」
「はい、幼竜殺しそのものの説明に移るね」

 変わってみゆきが説明を始める。みゆきが担当したのは、幼竜殺しの像を浮かび上がらせるような部分だ。

「まず、幼竜殺しはその名の通り二十歳未満の若い竜を狙ったのが特徴。深夜の、それも人通りの少ないところで犯行がほとんどで、飛行の後を狙われた。当時、幼竜殺しが最も猛威をふるっていたときは、竜使いに飛行禁止令が出て、それで被害者が減っていった経緯があるね」
「飛行禁止令が出るの遅くないか?」
「どうやら竜使いの面子を保つため、公にはなかなか動かなかったらしいね。その件については、社説でかなり叩かれてたよ」
「ふん、無能だな」

 アーサーが眉間にしわを寄せながら口を挟んだが、そのままみゆきは続ける。

「歩も言ったように、幼竜殺しは必ず竜そのものを狙うんだけど、それで竜殺しの傾向がかなり絞れた。一般に、竜殺しの意図は四パターン。組織間のパワーバランスのための政治的発想、竜の希少な身体を狙った金銭狙い、特定の人物および竜そのものに対する怨恨、後は精神異常者による無差別テロのようなものとかだね。政治関連、金銭狙いは非効率な殺し方から除外されて、被害者に関連が見つからなかったことから、個人に対する怨恨もなし。後は竜全般に対する怨恨と異常者の犯行。警察も、幼竜殺しは精神に異常をきたしている可能性が高いって発表した。
以上のことから、幼竜殺しは単独、もしくは少数による個人的な犯行であると断定されるに至ったわけだけど」

 ここからはアーサーが言った。アーサーは警察の捜査に関して調べたのだが。

「ただそこからはまるで進展がない。幼竜殺しの犯行が神出鬼没で場所も国内を転々としていて、先読みが不可能。遺留物も特定できるものはなく、目撃証言は一つ、二件目の犯行の際に、空を飛んで現場から去る影を第一発見者が見かけたもののみ。それも深夜のため、かなり大きめの身体で飛行可能なこと位しかわからなかった。故に十年たった今でも全く逮捕できておらぬ。賞金首にもなっておるのに、情報すら出てこないのだから大したものだ」

 ほとんど情報がなかったようで、調べている間、アーサーは苛立っていた。しかし、警察が捜査方法まで詳しく発表するわけもないし、幼竜殺しが捕まっていない現状を考えると、報道する側としても情報は得にくい。結果が出てみてから考えると、初めから徒労に終わる可能性は強かったのかもしれない。

 歩は話を戻した。

「ひとまず、話しを戻そうか。最初の半年で九件の犯行が行われたわけだが、それからは比較的頻度は下がる。翌年が二件、その次が一件、四年目には事件が起こらなかった。五年目に再び起こるわけだけど、それも二件。七年目、八年目、九年目に至っては0だったんだけど、十年目、つまり今年になって直後の一件、忘れたころに発生した。つい最近にまた一件あって、直後にハンス=バーレ、そして唯」

 キヨモリのもがれた翼と唯の能面を思い出し、冊子をつかむ手に力が入った。
 歩の内面を知ってか知らずか、みゆきがいつもと変わらぬ様子で言った。

「三年ほど間が空いたことで模倣犯も考えられたけど、やはり人ではなく竜そのものを狙うのにデメリットが大きいことで、その可能性は余りないと警察は考えたみたい。捜査のかく乱だけじゃ釣り合わないから、私も模倣犯はないと思う」

 竜の強さを目の辺りにしたことがあるものなら、おそらく皆同じ結論に至るだろう。歩も異論はない。
 ひとまず、仇は十年前からの幼竜殺しであることは確定したわけだ。

 だが。

「……三日調べてわかったのはこんくらいか」

 調べて歩達の計画に使えそうなのは、幼竜殺しの犯行の手口位だ。深夜、人気の少ないところ、飛行すること、竜。その位のもので、初日にわかったことばかりだ。残りの二日間無駄に過ごした気がした。

「まあ、詳しく調べたおかげで手口に関してはおそらく間違いないのがわかったしね。それだけでも十分な収穫だよ」
「それはそうなんだがな」

 どうにも割り切れない。過ぎたことを悔いても仕方がないのだが、それでも、と思ってしまう。
 ここでアーサーが突然言った。

「一つ面白いものを見つけた」

 アーサーが差し出したのは、雑誌の記事。新聞ばかりに気を配っていた歩は、初めてみるものだった。
 記事の内容は、パートナーが殺されたというもの。
犯行日時は三件目の少し前。二十代青年の機械型パートナーが殺された。犯行は深夜で、人気の少ないところであった。被害者は当時大学を卒業したばかりの青年だったのだが、死亡原因がパートナー死亡によるショック死。機械型のパートナーの姿が竜を模したものであったらしい。

「軽く調べてみたのだが、その殺された機械型パートナーとやらも軍に入る直前で、それなりの膂力を持っていたようだ。新聞のほうでも、竜殺しとは関係ないがそれなりの大きさで報じられておった。被害者の種族と年齢以外は、かなり幼竜殺しの犯行と似通っているのは確かなのだ」

 確かに共通点は多い。被害者が竜ではないこと、青年であったことを除けば、幼竜殺しの犯行と断じてもいい位だ。
 だが。

「この事件もてがかりがないな」
「そこがネックだ」

 もしこの犯人が幼竜殺しであったとしても、てがかりがなければ意味がない。それに姿が似ているとはいえ、機械型のパートナーは見ただけで竜とは違うとわかる。勘違いなどもしないだろうし、幼竜殺しがこの被害者を殺す理由もないように感じた。

「確かによく調べれば何か出てくるかもしれないけどな……」
「時間がない、か」
「残念ながらそうだね」

 アーサーが歩の後に続けて言った。自分でもわかっていたらしい。

 みゆきがまとめる。

「ひとまず、この件も置いておこう。最低限必要な情報はあるから」

 おおよその犯行時刻、現場の状況、襲われた被害者の共通点などだ。
 深夜、人気のないところ、それから未成年の竜であり、犯行直前に飛んで移動したこと。

 実は、歩には他に調べていたこともあった。被害者の大きさだ。アーサーのようなE級の身体の持ち主も被害者に含まれるか、が気になったのだ。狙われたのは全て竜とはいえ、アーサーのような竜ではないとも言えるE級も狙うのか、心配になって一人調べた。だが、それをアーサーがいる前では流石に言えなかった。

 いまその結果は、持ち込んだカバンの中にある。五番目と六番目の竜は、どちらもE級とまではいかないが、アーサーより少し大きい位だった。おそらく大丈夫だろう。

 本当に最低限だが、一応は情報が揃った。
 後は決行の時を待つのみとなったのだが、みゆきはどこか不安そうだった。
 様子を覗っていると、みゆきは意を決したように言った。

「本当に、今夜、やるの?」

 歩は即答した。

「「当然」」

 声が重なってしまい、アーサーと顔を見合わせる。
 アーサーの顔は、キヨモリとの模擬戦前のときと似た顔つきになっていた。

 それを見て、みゆきは再度言った。

「本当に、いいの? 相手は幼竜殺し。多分私達が敵う相手じゃない。それに、本当に出てくるかもわからない。ばれたら大目玉を食らう位じゃ済まされない。それでも、やるの?」

 黙って頷く。みゆきは肩を下ろして、仕方がない、といったふうに諦めたようで、それ以上何もいうことがなかった。
 それから用意された弁当を食べ、風呂に入り、それぞれの七時には寝た。



[30262] 四章の二 そして戦場へ
Name: MK◆9adc7e33 ID:21f70e5e
Date: 2011/10/27 18:44
 歩は夜十時には目が覚めた。決行のときまで後二時間あったが、眠れそうにない。
仕方がなく眠ることを諦めたのだが、起きあがることはせず、暗闇のなかでひたすら時間がたつのを待った。被った毛布を熱く感じて足先だけを外に出した。まだ冬の寒気が残る気温の中、歩は一人汗をかいていた。

なんとも言えない二時間を過ごして、ようやく深夜十二時になった。
宿直室を含め、学校の全てが寝静まったかのような沈黙の中、歩達は行動を開始した。

 歩達は起き上ると、照明をつけずに着替えを済ませる。着替えるのは気慣れた戦闘服。ところどころほつれ、サポーターの表面はざらざらと傷ついているボロだが、模擬戦のときの豪華なものより頼もしく感じた。

 着替え終わったころ、みゆきとイレイネが部屋に来た。みゆきも戦闘服に着替え終えており、長い髪を結いあげている。
 それから小声でやりとりをしながら、携帯食糧と水を軽く口に含む。アーサーも何も文句をいわず、ただ胃に流し込むといった感じだ。

 軽い夜食を終えると、宿直室を出て、まず個人武器ロッカーに向かった。そこは生徒個人の武器を置いてあるところだ。武器の持ち出しは基本的に授業のときのみで、鍵は職員室に置いてある。歩達は竜殺しに対して素手で挑むつもりはないが、使いなれた武器は個人ロッカーの中にあり、そこに忍び込む必要があった。
 かといって職員室に忍び込んで鍵を盗むのは難しかったのだが、そこを解決したのはイレイネだ。

 歩達は体育館脇の少し小振りな建物のドアの前まで忍んで行った。軽くドアノブを回してみたが、当然鍵がかかっていた。

「イレイネ、お願い」

 みゆきの指示に答えて、イレイネが前に出た。指先を鍵穴に付けると、そこから指先を液状化し、中に侵入させる。がちゃがちゃという音が数回した後、がちゃり、と鍵が落ちるような音が聞こえてきた。みゆきがノブを回すと、呆気なくドアが開いた。

「家の鍵を忘れた時のために練習した甲斐があったね」

 みゆきの茶目っ気を含んだつぶやきに、歩が小声で返す。

「全く、今は助かったけどそれ泥棒とかのスキルだろ。これでどうにかなる鍵ってどうなんだ?」
「まあ、イレイネの手先の器用さは群を抜いておるからな。さて、行くぞ」

 アーサーの後に続き、中に入る。だだっ広い空間に、縦長のロッカーが全生徒分並んでいる異様な光景の中、歩は自分のロッカーの前まで進んだ。持ってきた鍵で中をあけ、槍を取り出す。昼間の授業の終わりに穂先はつけたままにしていた。鞘を外すと中の刃が見え、薄暗闇の中、きらりと光った。

歩を除く三者はすでにいた。みな合わせて外に出て、イレイネが鍵をかけると、足早に校舎に戻る。
 校舎内に入り、音をたてないようにしながら、できるだけ早く階段を駆けあがっていく。夜の校舎は、それだけで背中の毛を経たせるような雰囲気があり、巡回している警備員がいなくても余りここにいたくはないな、と思った。

 階段の最上階まで上がり、屋上に出た。
 風が吹きすさび、髪が目にかかった。みゆきが結い上げた髪を抑えているのが見えた。
 ここも余り長居はしたくなく、すぐにイレイネの横まで進んだ。

 計画では、ここからイレイネに空を飛んで運んでもらう予定だ。イレイネも、キヨモリほどではないが飛行できる。アーサーが先導する形で先に飛び、歩とみゆきを掴んだイレイネが運ぶ形になる。ここから飛び立てば、三十分ほどで目的地に着く。

「歩、行こう」
「おう。アーサー、注意しろよ」
「言われるまでもない」
「そこまでだ」

 さあ行くぞ、とイレイネの傍に寄ったとき、大きな声が聞こえてきた。
 声の方を向くと、そこにいたのは眉を傾けた担任と唯についているはずの副担任だった。

「何をしてるのかわかってるのか?」

 雨竜は本気で怒っているようだった。眉が吊りあがっており、ぶらりと伸ばした手にはごついグローブが嵌められている。いつものスーツ姿ではなく、歩が着ているものと似た戦闘服姿だ。力づくでも止めるつもりなのがわかる。
 歩は答えず、逆に問いかけた。

「なんでここに?」
「ここにいる中村先生に聞いてだ。お前らがなんかたくらんでるって。多分今夜動くから、そのときに抑えたいのですが、私だけじゃ止められないかもしれないから、ってな」

 雨竜の後ろ斜め後方に、藤花は立っていた。こちらも戦闘服姿で、手にはみゆきのものと同じ剣が握られている。その足元では、彼女のパートナーである燃え盛るような狼、ユウが背筋を伸ばして四肢を踏ん張っていて、あたりを煌々と照らしていた。

「二人ともやめてください。気持ちはわかりますが、どうかお願いします」

 藤花の声は悲痛なものだったが、歩は半ば聞いていなかった。心配をはねつけていることに申し訳ない気持ちはあったが、どうしても譲れないものがある。
必死に思考を巡らし、この場をどうやって切り抜けるかだけを考える。イレイネに掴んでもらい、空に飛びあがるまでの間、どう時間を稼ぐか。おそらくただ飛びあがろうとしても、この距離では雨竜につかまってしまうだろう。
 必死で策を練っていると、アーサーが言った。

「唯はどうした?」
「一時的に他の人に任せてるさ。もうヘマはしない。それはお前らも同じだ。命を無駄にするな」

 雨竜の声には力がこもっていた。なんとしても行かせない、というのが伝わってくる。
普通ならここでやめるべきだろう。自分達を心配してくれている人を振り払って、無謀な死地に赴くのは、ののしられこそすれ褒められるものではない。
 だが、歩はやめるつもりはない。

「すみません。これ以上、幼竜殺しの被害者を増やすわけにはいきません」
「貴方達だけで何ができるの? 囮になるといっても、簡単にひきちぎられる網では意味がないでしょう。お願いだから、私達に従って。なんならその囮作戦に私達も協力するから。ちゃんと機会を練って。大人の力も大事だからさ」
「思ってもいないこと言わないでください」

 意外なことに、藤花の言葉は歩を逆に焚きつけるように聞こえた。歩達を逆なでするような言い方なのだ。
 歩は失望してそれ以上何も言わなかったが、すぐにアーサーが追撃をかける。

「警察に何ができた? 十年間も幼竜殺しをのさばらせ、挙句に唯を被害者とさせた。我らの責もあろうが、誰も何もできなかったのは同じだ。我が囮になるという作戦も、おそらく警察は承諾しまい。違うか?」

 雨竜の顔が途端に曇った。頬をひきつらせ、眉間にしわを寄らせる。悲嘆にくれるというような表情で、今にも吠えだしそうな雰囲気だ。
 それをかみ殺してか、低く唸るような声音で言った。

「水城も同じか」
「はい」

 歩は即答した。
 しばらくこちらをにらんでいたが、雨竜はぱっとみゆきに向かった。

「能美、お前はどうだ? お前は違うんじゃないか? どうにか踏みとどまってくれないか?」

 みゆきは最後まで何度も確認を取ってきた。本当にいいのか、と。もしかしたら、ここでみゆきは降りるかもしれない。
 そうなると、もう終わりだ。

 ちらりとみゆきの横顔に目をやる。
 その顔は涼しげだった。

「いいえ、私も同じ気持ちです。先生方の私達を思っての行動に申し訳ない気持ちはありますが、幼竜殺しを許すことなどできるわけもありません」
「お前らだと、まず間違いなく負けるぞ? ただ死んで満足か?」

 みゆき自身が歩達に投げ掛けた問いと同じだ。
 即答した。

「やってもいないことを断言しないでください」
「考えるまでもないでしょう。相手は幼竜殺しですよ? 万に一つも勝ち目はないんじゃないですか?」

 みゆきの語気が強くなり始めた。それまで抑えていたものが一気に吹き出すように、感情が吐露されていく。

「それでもやらなければいけないこともあります」

 引きづられるように、雨竜の言葉も荒くなっていった。

「それは命があってこそだろう。お前らは、ただ怒りを発散したいだけじゃないのか? 浅慮からキヨモリを傷つけてしまったうしろめたさを、責任感を、何かにぶつけたいだけじゃないのか?」
「そうかもしれません。ですが、誰も幼竜殺しを補足できていない現状、できるかもしれない私達がやってはいけない理由がありますか? 機会があるのに、友人の仇をただ黙って見守ることなんてできますか? お願いです。私達を行かせてください」
「どうしてそこまでこだわる? 能美には直接関係がないことだろ?」
「私は唯とキヨモリと、そして歩とアーサーの友人です。それ以上の関係がありますか?」

 みゆきの声は穏やかで丁寧なものだったが、不思議な圧迫感があった。吹きすさぶ風に煽られて、髪が踊り狂っている。まるで彼女が押し隠している、彼女の内面を表すかのように。
 雨竜達がすこし気圧されるのが見えた。
――いけるかもしれない。
 歩は一人打算的に行動していた。

「それでも、あなた達生徒は私達に守われるべき存在です。お願いですから、おさめてください」
「すみませんが、聞けない願いです」

 藤花は本当にここにいる意味があるのだろうか。逆に歩達をいら立たせているようにしか見えない。
みゆきは藤花のお願いをむべもなく断り、代わってアーサーが口を開いた。

「雨竜、藤花、貴様らは何をもって我らを止める?」

 唐突な質問に少し戸惑ったようだが、まず藤花が答えた。

「教師の役目です」
「雨竜、お前は?」

 意外なことに、雨竜は口ごもっている。視線はアーサーにむいているのだが、瞳に力がない。どうも、心中でなにかが揺れ動いているようだ。
 数秒黙っている間に、歩は後ろ手でイレイネに触れた。手をつかみ、軽く引き寄せる。
 やっとのことで、雨竜は言った。

「俺の正義だ」

 アーサーはおだやかに言った。

「それでは我らは止まらない」

 アーサーが言い終えるのと同時に、歩はみゆきの腕をつかみ、イレイネに身体を預けた。すぐにイレイネの腕が伸びてきて、身体にまきついた瞬間、歩は叫んだ。

「アーサー!」
「おう!」

 アーサーが飛び上がるのと同時に、歩は地を蹴った。初期加速をつけるためだ。軽く飛び上がった後、逆にがくりとイレイネに持ち上げられる。

 あっというまに上昇していった。足元には雨竜達の姿が見える。全く動いておらず、ただ歩達がどこかへ去るのを見ていた。





 雨竜はただ突っ立っていた。
 歩達が飛び去ろうとした瞬間、咄嗟の一歩が出ず、ただ見ていた。動く気にならなかった。
 それはこちらのほうが都合がいいからだ。雨竜の本来の目的にとって、こうなったほうがいいのは分かり切っていた。だから、実力行使はしなかったのだ。
 だが――
 何故だろう。雨竜は喜ぶべきことなのに、どうも気が晴れない。

「行かせてしまいましたね」

 すぐ後ろにいる藤花に向き直った。丁度月が陰ったせいで、表情を覗うことはできない。

「そうですね」
「良かったんですかね」

 お前が焚きつけたんじゃないか、と怒鳴りたくなるがすぐに喉で止めた。
 こいつに言うのは逆効果だ。

「さあ」
「ずいぶん冷たいですね」

 藤花を無視して、雨竜は己の頭の中で問いかけていた。
 本当に、いいのか。

…………………………………………

 決めた。

「中村先生は学校で待っておいてくれますか」
「先生は何を?」

 雨竜は藤花の返事を聞かずに階段のあるほうへ向かった。
 返答代わりに口元でつぶやく。

「全て終わらせる」


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