本欄(HP)には、三つの桜井淳事務所(水戸、サンフランシスコ、アルバーニィ)の(1)業務内容、(2)桜井淳の経歴・著書・学術業績、(3)日米大学での作業内容、(4)学術セミナー開催案内などが記されています。


桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-桜井淳著書1 桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-桜井淳著書2
桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-桜井淳著書3 桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-桜井淳著書4
桜井淳の著書・共著・編著・編集・監修・翻訳47冊及び学会論文誌掲載論文32編・国際会

議論文50編(国会図書館で閲覧可能)。


桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-原発のどこが危険か

「原発のどこが危険か」(朝日新聞社、1995)。

旧ソ連製原発の学術的情報を最初に記した

歴史的書。電源信頼性の問題提起、福島

一原発事故の予言(2011.4新版緊急出版)。


桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-原発事故の科学

「原発事故の科学」(日本評論社、1992)。原

発事故分析の学術書として他に例のない論

理構成と記載内容。2011.4緊急増刷。


桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-原発システム安全論
「原発システム安全論」(日刊工業新聞社、19

94)。NUREG-1150(1990)などのPSAによる

酷炉心損傷事故発生確率の評価法と結果を

まとめた他に例のない論理構成と記載内容の

学術書。


桜井淳カリフォルニア事務所-新幹線安全神話が壊れる日
「新幹線「安全神話」が崩れる日」(講談社、19

93)。日本で最初の工学理論に則った本格的

な「新幹線技術論」。


桜井淳カリフォルニア事務所のHP代わりの硬いブログ-崩壊する巨大システム
「崩壊する巨大システム」(時事通信社、1992)。

大型航空機・新幹線・原発の事故分析。福島

第一原発事故の予言。


$桜井淳カリフォルニア事務所

「原発のどこが危険か」(朝日選書、新版、緊

出版2011.4.8、朝日新聞出版、(2011))。

原子力事故自衛マニュアル」(青春新書改

版、緊急出版2011.4.7、青春出版社、(2011

))。両書ともベストセラー達成。


監修「放射能から身を守るQ&A100」(学研(20

11))。


「原発安全神話の崩壊」(電子書籍、日経BP社

(2011))。


$桜井淳カリフォルニア事務所

「福島第一原発事故を検証する-人災はどの

ようにしておきたか-」(日本評論社(2011))。

事故原因は過去半世紀の原子力開発の矛盾

の積み重ねであることを論証した学術書。


$桜井淳カリフォルニア事務所
「原発裁判」(潮出版社(2011))。原発に対す

る35年間の問題意識を整理し、本音で語った

不条理な世界。日本の未来を示す。


近刊1冊(10月下旬出版、人とその仕事シリ

ズ2「人生と福島原発事故」)。


執筆中2冊(2012年1月と3月に出版予定)。


【無限修行テーマ1】トレッキングとは「山麓歩きや小登山」のことです。しかし、ここでは、垂直壁ロッククライミングやエベレスト登頂まで含めます。バックナンバー写真集は桜井淳の登頂記録(男体山、高山(家族同行)、外山、前白根山、白根山、谷川岳、八方尾根(家族同行、2回)、白馬岳、乗鞍岳、北横岳(夏山1回、雪山1回)、北岳、富士山、立山、槍ヶ岳、穂高岳、御嶽山、加波山、鳴虫山(家族同行)、半月山(家族同行)、社山、黒檜山、山王帽子山、吾国山、難台山、愛宕山・団子山・大福山・難台山・吾国山の縦走(4回)、硫黄岳・横岳・赤岳の縦走、金精山・五色山・坐禅山・白根山・前白根山の縦走、山王帽子山・小太郎山・太郎山の縦走、半月山・社山・黒檜岳の縦走、小丸山・丸山・赤薙山・女蜂山・小真名子山・大真名子山・男体山の縦走、メンヒ、モンブラン、ユングフラウ(調査登山済み)、アイガー/ミッテルレギー稜(調査登山済み)、マッターホルン/ヘルンリ稜(調査登山済み)、世界8000m級14座(エベレスト、K2、カンチェンジュンガ、ローツェ、マカルー、チョー・オユー、ダウラギリⅠ峰、マナスル、ナンガ・パルバット、アンナプルナⅠ峰、ガッシャーブルムⅠ峰、ブロード・ピーク、ガッシャーブルムⅡ峰、シシャパンマ))です(未完)。完遂後、著書にまとめます。


【無限修行テーマ2】桜井淳は、2009年4月より、東大大学院人文社会系研究科で「ユダヤ思想」の研究を開始し、比較宗教学(ユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、イスラーム教、日本神道)の視点から、独自の研究視点を基に、京都・奈良・鎌倉・北鎌倉のみならず、国内外の寺・神社・教会・シナゴーグを対象とした「千寺巡礼」を開始しました。バックナンバー写真集には暫定的に外観写真が掲載してあります。完遂後、著書にまとめます。


【無限修行テーマ3】桜井淳は、バックナンバー写真集に示すとおり、2009年9月1日から、比較宗教学の視点から、曹洞宗禅寺で、月3回の割合で、仏教と坐禅の修業中です。完遂後、著書にまとめます。


【無限修行テーマ4】桜井淳は、2009年4月より、国内外で、哲学修行中です。完遂後、著書にまとめます。

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Tue, October 25, 2011 stanford2008の投稿

桜井淳のこれまでの飯田哲也さん小出裕章さん今中哲二さんとのやり取り

テーマ:ブログ

私は、これまで、福島県と、まったくかかわりがなかったわけではありません。2002年2月12日に、福島県福島市で開催された、「第13回福島県エネルギー政策検討会」で、「原子力発電所の高経年化について」と題する招待講演を行いました(「桜井淳著作集第4巻市民的危機管理入門」、p.614(2005))。(その後、福島県議会主催の講演会でも「軽水炉の安全性-特にプルサーマル-」についての招待講演を行いました。)


「第2回福島県エネルギー政策検討会」で、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さんも招待講演をしていました。その直後、飯田さんの提案と取りまとめによって、飯田哲也・桜井淳・吉岡斉・米本昌平さんらとの連名で福島県知事へ提言書を提出しました(同上)。それを契機に、飯田さんとは、継続的に、意見を交換しました(同書、pp.507-513)。


つぎに、飯田さんと顔を合わせたのは、2002年11月2日、福島県郡山市で開催された日本弁護士連合会主催の緊急シンポジウム「東電不正問題と日本のエネルギー政策」でした。お互いにパネリストでした。その時、弁護士の河合弘之さん(総合司会)と海渡雄一さん(パネリスト)とも知り合いになりました。その直後に、河合さんと海渡さんから、浜岡訴訟の映像証言の依頼があり、協力しました。私は、シンポジウムまで、日本弁護士連合会とは付合いがありませんでした。真相は知りませんが、私をパネリストに推薦したのは、飯田さんではないかと思っています。


飯田さんとは、そのシンポジウム後、2回ほど顔を合わせました。私と飯田さんは、原発の安全性やエネルギー政策において、考え方が非常に近いと感じています。



私は、昔から、京大原子炉実験所の小出裕章さんと今中哲二さんの名前は知っていました。しかし、忙しさに流され、直接のやり取りはしませんでした。しかし、2008年冬頃、今中さんが、私の事務所主催の学術セミナーに参加したのを契機に、やり取りするようになりました。今中さんだけでなく、小出さんともやり取りをするようになりました。


私は、2009年前半(CY)、今中さんと小出さんと頻繁にやり取りをしました。多くの疑問もぶつけました。そのたびに誠実な返事がありました。ふたりの考え方がよく分かりました。人間的にもすばらしく、能力的にも東大教員よりも上だと受け止めました。


そのため、2009年秋に開催される科学技術社会論学会研究大会で「ワークスタディ」セッションで研究発表をしようと提案しました。しかし、小出さんは、どの学会(原子力学会脱退)にも不信感を持っており、今中さんも分野外の学会と位置づけ、結局、研究発表は、実現できませんでした。結局、私単独で、「ベック「危険社会」に象徴されるリスク管理社会の情報の発信法と信頼性」(「科学技術社会論学会第8回年次研究大会予稿集」、pp.40-43(2009))と題し、小出さんや今中さんを高く評価する内容の研究発表をしました。


そして、最後に、「地震国日本で数多くの原発を運転するのであれば、スリーマイル島原発事故並みの炉心溶融は覚悟しておかなければならない」と結論しました。2009年以前にもそのようなことを主張していました(前出著作集参照)。2010年秋の同学会第9回年次研究大会でもそのような主張をしました。それから、わずか、半年後に、福島第一原発事故が発生しました。


私は、2000年以降、社会科学で原著論文を書いたり、東大大学院で社会科学の研究をする過程で、昔に比べ、考え方か大きく変わりました。原研や安解所や原産(兼務非常勤)の頃の私とは違います。東大駒場から東大本郷に移り、考え方(哲学と方法論)が、さらに、大きく変わりました。その成果は、今後、原著論文や学術書として、示したいと考えています。

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Sun, October 23, 2011 stanford2008の投稿

桜井淳による東海第二原発調査と廃炉宣言-檻の中の東大や原子力機構の関係者に頼る愚行-

テーマ:ブログ
東海村村長の村上達也さんには、JCO臨界事故の時に、NHK衛星放送の特別番組の討論会で顔を合わせま
した。それ以降、疎遠です。村上さんは、最近、脱原発、具体的には、東海第二原発の廃炉を主張するようになりました。

私は、実は、そのようなニュースが掲載される前に、7月26日に実施した東海第二原発の野外施設の見学と関係者との質疑応答で、ダメだと感じました。

ダメな理由
①安全審査で長期的な東海村や周辺の人口密度の増加と影響を考慮していない、
②100万都市の中心に100万kW級原発が存在する生存への不確実性、
③津波があと約1m高かったら福島第一原発事故のようになっていた(自然現象の偶然性に救われた)、
④野外施設(特に非常用ディーゼル発電機海水冷却ポンプと残留熱除去系海水ポンプ)の設計と設置法がまったくデタラメ(雨曝し状態で、自然災害やテロ行為に弱い)、
⑤苛酷炉心損傷事故は、地震や津波だけでなく、スリーマイル島原発事故のように、人為ミスや機器故障でも起こる、

ということで、東海第二原発は、廃炉にすべきです。私は、水戸市郊外で生活していますので、東海第二原発の存在は、許容できません。

東海第二原発を設置したのは間違いでした。東海村ほど人口密度の高い地域に原発を設置した例など世界にありません。原研の研究者は、檻の中で人事管理されているため(軽水炉の安全性に疑問を投げかけたら即処分)、軽水炉の安全性について、何も、言えない状態でした。彼らが隣接地の原発建設に沈黙したのは間違いでした。

東海村や茨城県は、いまでも、東大や原子力機構の関係者を中心とした委員会を設けていますが(役所は虚飾の東大の権威にしかすがれない無能集団)、福島第一原発事故前の政治状況とまったく同じです。時代錯誤もはなはだしく、もうそのようなことは止めてもらいたい。

米国では、スリーマイル島原発事故後、原子力研究者、他工学分野の研究者、作家、宗教家など、あらゆる分野の人たちがい知恵を出し合い、原子力の将来を決めていますが、日本では、相変わらず、福島第一原発事故を生み出した東大や原子力機構の関係者のままです。いますぐにそのような体制から脱却しなければなりません。
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Tue, October 18, 2011 stanford2008の投稿

桜井淳の原子力界の古い記憶から(3)-原子力界は原子炉等規制法違反の常習犯-

テーマ:ブログ

私は原子力界のすべての出来事を知っているわけではありません。わずか四半世紀の経験しかありません。昔のことは、昔の人に聞き、自身で体験したことは、できるだけ、詳細に、あるいは、一般化して記しています。


昔、JCOの土地には、住友原子力の臨界集合体(臨界実験装置とも言う)が設置されていました。臨界集合体とは炉物理実験研究をするための熱出力100W前後の小型原子炉のことです。役割を終えて、解体撤去されましたが、その時に、廃棄物として扱われた放射化されたステンレスの構造材が再利用されてしまい、スプーンとして流通しました。昔はその程度の認識でした。明らかに原子炉等規制法違反です。


その頃、東大病院では、医療に利用した放射性同位元素が東大構内の地中に投棄されるという出来事がありました。放射性同位元素の法的管理は、めんどうであるため、担当の医師は、何を錯覚したのか知りませんが、構内の地中に生めて知らん顔をしていました。明らかに原子炉等規制法違反です。


東大は、1970年代初め、東海村の原子力工学研究施設の弥生炉で、無届けの中性子・ガンマ線スカイシャイン実験を行いました。明らかに原子炉等規制法違反です。遮蔽研究者はみなこの件を知っていました。しかし、触れないようにしてきました。


東大は、そればかりか、1980年代初めに、弥生炉のパルス運転の際、認可された原子炉出力をいくぶん超える実験を行いました。明らかに原子炉等規制法違反です。私は、この件について、2009年に、文科省をとおして、弥生炉の運転日誌と原子炉出力チャートの提示を求めました。しかし、「法的な記録保存期間が10年であるため記録が残ってない」という回答でした。日本にいくつもない研究用原子炉の運転日誌と運転記録は、教材としても貴重であり、捨てる人などひとりもいません。原研では永久保存しています。東大は原子炉等規制法違反の証拠を隠蔽しました。いまでも保存されています。


私はあることに気づきました。原子炉スクラムの発生については新聞の茨城版に掲載されます。研究用原子炉のスクラムは、個々の原子炉とも、年間数回くらい報じられていました。しかし、起動回数が研究炉よりも一桁多い臨界集合体のスクラム発生は、1件も報じられていませんでした。人間がいくら注意しても誤操作やノイズなので、必ず発生します。報じられていないということは、発生していないということではなく、経験からして、隠蔽していると直感しました。明らかに原子炉等規制法違反です。


知り合いの協力を得て、大学・原研・サイクル機構の臨界集合体(KUCA、TCA、FCA)と研究用原子炉(弥生炉、KUR、JRR-3M、JRR-4、JMTR、常陽)、さらに、電力九社の発電炉のスクラム発生と無届例を調査しました。原子炉等規制法違反となる無届例は予想どおりの数でした。電力九社は計十数件、大学は計十数件、サイクル機構は数件、原研は計数十件におよびました。


新聞にも掲載されましたが、2000年代後半、文科省は、管轄対象機関のものだけ、スクラム無届例を公表しました。京大炉計数件、原研の軽水臨界実験装置TCA計十数件、同高速炉臨界実験装置FCA計数件でした。文科省の公表基準は原子炉等規制法で定められている記録保存期間の10年間でした。なお、東電不祥事の際の社内調査によって、東電については、計2件が公表されました。


しかし、私の調査によると、少なくとも、四半世紀遡ったならば、いずれの組織においても、公表された数字の数倍に達します。原子力界は原子炉等規制法違反の常習犯です。JCOとそれら組織の違反はみな同一次元のものです。違いは事故になったか否かだけです。


研究炉のスクラムは、正しく報告され、臨界実験装置のスクラムが隠される原因は、非常に単純です。研究炉は、いくつかの課室からなる50名くらいの大きな組織であるため、炉の起動と停止が誰にでも分かるような体制になっています。それに対して、臨界実験装置は、1日に数名程度しか出入りしない隔離されたような小さな施設であるため、密室状態になっていて、隠しやすい条件がそろっています。そこに携わっている人たちの倫理観だけに頼っていました。スクラムの原因は操作ミスと老朽化(接触不良やノイズ)です。


各組織が、いくらスクラムを隠しても、年1回実施される監督官庁検査官立会いの定期点検の際、安全系の作動確認だけでなく、運転日誌・核計装チャート・放射線モニターチャートのチェックもありますから、検査官に解読能力があれば、すぐに分かります。実際には、それらを机の上に並べて、必要資料がそろっていることを確認するだけで、運転日誌と核計装チャートの一致性などの解読まで行っていません。検査官にそれだけの能力がありません。そのため、四半世紀にわたって、日本で100件くらいのスクラム無届という原子炉等規制法違反が野放しになっていました。


私の調査によれば、2000年代初めに、軽水臨界実験装置でスクラムがあり、保安管理室どころか、理事会への説明資料を作成し、大騒ぎになったことがありました。偶然、なぜ、その1件だけ発覚したかと言えば、ちょうど科術庁検査官が立会いの定期検査中での出来事で、隠蔽のしようがなかったためです。原研運営者は、老朽施設を運転したら、どのような問題が生じ、その対策として、毎年、どのくらいの予算を特別に計上しなければならないかくらいのことは、知らなければなりません。しかし、そのような認識がまったくなく、四半世紀にわたり、ふたつの施設でスクラムがなかったのは、現場の人たちの注意深い運転管理による優秀さと錯覚していました。実に無能な人たちです。原子炉の運転管理について十分習熟しているはずの原研の理事会でこのような小学生並みの判断ミスをしていました。


JCO臨界事故の際、原研東海研所長のTさんは、原研の過去の数十件のスクラム無届による原子炉等規制法違反に気づかず、原子力施設の安全管理について、新聞などのインタビューにおいて、現実と遊離した理想論を述べていましたが、あまりにも大きな現実との落差に、直視していられませんでした。原研の安全意識とはその程度のものでした。

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Sun, October 16, 2011 stanford2008の投稿

桜井淳のモンブラン登頂一般コースの真実

テーマ:ブログ

(1)Wikipedia「モンブラン」の項目「登山」の記載内容(2011.8.22現在)への疑問


一般論として言えることは、Wikipediaの記載内容は、素人が書き込んでいるため、信頼性が低く、学術論文には引用できません。


たとえば、「モンブラン」の項目「登山」には、「現在、モンブランは年平均2万人の登山者によって登頂されている。熟練した登山者にとっては難易度はそれほど高くない。モンブラン近くのエギーユ・デュ・ミディの、標高3842m地点までケーブルカーで登ることができ、そこからモンブラン山頂までの標高差は1000m程に過ぎない」と記されています。


この記載内容からすると、一般コースとして、エギーユ・デュ・ミディからモンブランへ登頂可能と読めます。新田次郎の小説にもそのような記載があります。しかし、素人がよく陥ることですが、小説と現実を混同してはなりません。モンブラン登頂への一般コースは、下記(2)のとおりです(植村直己氏や野口健氏などが登ったコースです。植村氏は、最初、別コースの氷河から登り、クレバスに落ちて危うく命を落とすところでしたが、翌年、やり直し、ク゜ーテ小屋コースを日帰りで登頂しました。日帰りは不可能なのですが、それを実行したことに植村氏のすごさがあります。野口氏は、グーテ小屋コースの登山のところで、植村氏のクレバス落下について解説していますが、それは、木に竹を接ぐような不合理な論理展開です。野口氏は事実関係をよく確認した方がよいでしょう)。


エギーユ・デュ・ミディ展望台からモンブランを見ると、非常に近くに見え、最短・最適な登山道と錯覚しがちですが、プロでなければ通過できない危険なコースです。エギーユ・デュ・ミディ展望台へは、厳密な表現をすると、ロープウエイ(空中に吊るす)であって、ケーブルカー(地上の電車をケーブルで引き上げる)ではありません。しかし、英語では、いまでも、ロープウエイのことをケーブルカーと記している資料もあります。(今井道子氏の著書や新田次郎氏の小説には、ロープウエイのことをケーブルカーと記してあります。)外国ではともかく、いま、日本では、両者を区別しています。ロープウエイ、ゴンドラ、ケーブルカー、登山鉄道の区別は、明確にした方がよいでしょう。



(2)モンブラン登頂一般コース(ク゜ーテ小屋コース)


(a)シャモニ・モンブラン郊外のロープウエイ乗り場(エギーユ・デュ・ミディ展望台行きロープウエイ乗り場ではないことに注意、早朝7時頃にホテルを出発)のレズーシュ駅からTMB登山鉄道のベルヴュー駅にアクセスできる終点駅まで、


(b)TMB登山鉄道のベルヴュー駅(標高600m、必ず往復の切符を購入すること)へ、


(c)TMB登山鉄道終点のニ・デーグル駅(標高2386m、モンブランの標準的な登山口、朝8時)へ、


(d)登山(岩がゴロゴロ)、


(e)テートルース氷河の手前まではトレッキングコース(テートルース小屋で食事ができます)、


(f)落石の多い最初の難所のクーロワール(これは仏語で、独語ならルンゼで、意味は急な岩溝、標高3100m、昼12時着、岩がゴロゴロ)、


(g)グーテ小屋宿泊(標高3817m、要予約、登山口からここまで数時間かかります、夕刻4時着、翌朝3時にアイゼン装着し、アンザイレンして出発)、


(h)ドム・ド・グーテ(4304m、このピークのすぐ先にヴァロ小屋4362m、ここから風が強く狭い稜線となります)、


(i)クレバス(このクレバスは、常にあるわけではなく、猛暑の影響であちこちに生じることもあり、幅1m段差2mですが、一箇所だけ飛び移れるくらいのステップが設けられています)、


(j)登頂(標高4300mから、グーテ小屋を3時に出発して8時に登頂、グーテ小屋から登頂まで5時間)、


(k)頂上から下山してTMB登山鉄道終点の二・デーグル駅(下山にすくなくとも7時間かかり、夕刻4時頃になります)、


(l)ロープウエイでシャモニ・モンブランのホテルへ(夜6時頃)。

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Thu, October 13, 2011 stanford2008の投稿

桜井淳による2冊のベストセラーの感想-すべては編集者の速攻作戦勝ち-

テーマ:ブログ

福島第一原発事故後、いつものように、これまでに、新聞・週刊誌・月刊誌・テレビ・ラジオから、300件弱のインタビューを受けました(バックナンバーに詳細リスト掲載)。そればかりか、いつもと異なり、10冊(新著6冊、新版・改訂版・刷増3冊、新監修1冊)の単行本出版の依頼を受けました(バックナンバーに詳細リスト掲載)。すでに出版されている7冊のうち、2冊がベストセラーになりました。


世の中にベストセラーの明確な定義はありません。大雑把には、1万部以上と言われていますが、分野によって異なり、理工系の硬い内容であれば数千部以上、大衆的な小説であれば10万部以上がひとつのめやすになっています。しかし、これまで、そのような世界と無関係に生きてきており、そうありたいと願ったことなど一度もありませんでした。


著書「原発のどこが危険か(新版)」(朝日選書、2011)は、4月第一週の1週間で、3刷を経て、1万部以上のベストセラーになりました。それは、いちばん早く出版できたことによる結果であり、編集者の作戦勝ちでした。出版が1週間遅れただけで結果が変わっていたでしょう。


監修「原子力事故自衛マニュアル(改定版)」(青春新書、2011)は、4月第一週の1週間で、3刷を経て、7万部以上のベストセラーになりました。それは、いちばん早く出版できたことによる結果であり、編集者の作戦勝ちでした。出版が1週間遅れただけで結果が変わっていたでしょう。原子力の専門家でない執筆者たちが、素朴な疑問点をリストアップし、子供を持つ主婦に分かるように、平易に解説したのがよい結果につながったものと思います。私が執筆したならば、学術的になりすぎて、ベストセラーにはならなかったと思います。



「原発のどこが危険か」は1995年に出版されました。福島第一原発事故後、「まえがき」と「本文」は、そのまま一字一句修正せずに、新版のための「新版まえがき」を1頁追加し、初版の「あとがき」を削除し、福島第一原発事故の速報を含めた社会的影響と未来について記した「2011年福島原発事故、どこが盲点だったのか-あとがきにかえて」を16頁追加しました。さらに、編集者が巻頭に福島第一原発事故や津波に関係する写真・図表を8頁挿入しました。ただそれだけでした。


初版は、1万部弱でしたが、社会背景ががらりと変わったため、新版は、わずか1週間で1万部以上に達しました。本文は、一字一句修正していないにもかかわらず、社会背景の変化だけで、世の中にことの本質が理解され、本文の記載内容の価値が正当に評価され(①国際原子力事象尺度のオリジナルな解釈法の提案をしたこと、②米国型軽水炉の中性子脆化問題を学術的に整理したこと、③1995年当時、日本にはロシアの原発についての詳細な技術情報がなかったため、ロシアの原発を調査した際、モスクワの書店で関連する学術書を数冊買い込み、それらを解読して、日本で公開されていない情報を示したこと、④ロシアの加圧水型原子炉の脆性遷移温度が80℃であることを初めて示したこと、⑤日本の専門家による安全性の議論では無視されていた非常用ディーゼル発電機の位置づけと原発の安全性への根源的な問題提起をするため、米国やロシアで発生した事故例を数件取り上げ、軽水炉の危険性を強調したこと、⑥特に⑤のような論理化は他に例がないこと)、評価がドラスチックに変化したことに驚きました。


初版の時からオリジナリティの高さには自信がありました。福島第一原発事故で非常用ディーゼル発電機の問題提起が的中したことは、意外ではなく、これまでのいくつかな重要な問題提起後、早い場合には半年後、遅くても10年から20年以内に発生していましたから、想定内の出来事でした。当然の結果でした。


初版の原稿枚数は250頁分でしたが、編集者との打ち合わせの結果、標準的な長さの200頁に短縮しました。削除した部分は専門的な内容でした。文科系出身者の編集者の判断では、「読者の大多数を構成する文科系の人たちが読んでも分かるような内容にしなければ売れないし、編集者の私が分からないとか難解と感じたら、読者もそのように感じ、学術的であることや専門的であることにこだわるとかえってマイナス」ということでした。私は、「それでは、原発の安全解析に携わった私とそれに携わっていない高木仁三郎との間に差が生じず、強さが生かせない」と反論しました。私と編集者の間できびしいやり取りがありました。最終的には編集者の判断に従いました。それにより、論理構成が明確になり、分かりやすくなり、オリジナルな部分が浮き上がりました。


ベストセラーにつながったのは初版の編集が的確であったためです。私の最初の原稿内容のように、頁数が多く、記載内容の構成が複雑で、専門的で難解であったならば、売れなかったでしょう。ベストセラーになった後で初版の編集者に改めてお礼を申し上げました。


「原子力事故自衛マニュアル」の初版は、JCO臨界事故後に、新書としてのごく普通の1万部出版されました。改定版は、編集者が本文中の省庁再編時の組織名の変更などを反映した修正を行い、監修者が「正しい知識こそが最大の自衛手段になる-監修者のことば」7頁を差し替えただけでした。


出版社が監修者を必要とする理由は、執筆者が無名の場合に、監修者の知名度を利用して売り上げを狙うための作戦です。私はそれに協力しただけです。


初版の仕事にとりかかる前、編集者と執筆者代表と私が、水戸事務所会議室で1時間半ほど打ち合わせをしました。その時に私の監修者としての責任範囲を確認しました。改定版の「監修者のことば」にもあるとおり、「全体の内容構成については、執筆者の考え方を最大限に尊重しました。私が責任を持って行ったのは、記述の事実関係や用語についての、国内外の状況等に照らし、もし不十分であったり不適切であったりした場合に、それを修正するということです。」(9頁)


読者から編集者にエアコンについての問い合わせでありました。「エアコン」とは、air conditioningの略で、空気調整機を略して空調と言います。ビルや店舗や住宅に備わっています。自宅のものは1階と2階の天井裏に大型ユニットが組み込まれた全室冷暖房のエアコンです。空気の給排気口があります。初版と改定版のエアコンの記載内容「空気の給排気口がある」については、ビルや店舗や自宅の経験から、執筆者の原稿をそのまま通しました。読者から編集者へ、「エアコンには空気の給排気口がない」とのお知らせをいただきました。しかし、「給排気口がない」のは「壁掛け式エアコン」だけであり、初版と改定版には「壁掛け式エアコン」とは一切記してありませんでした。読者が勝手に「壁掛け式エアコン」を想定して記載内容が間違っていると考えるのは思考の浅さと狭さです。


ベストセラーは本の学術的レベルとは関係しません。書評の良し悪しにも関係しません。その本を必要としている人が購入を決心するだけの世界です。

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Tue, September 06, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】桜井淳のマッターホルン/ヘルンリ稜の登頂のための訓練

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Thu, September 01, 2011 stanford2008の投稿

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Sat, August 13, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】水戸事務所K2&エベレスト登頂プロジェクト(2008年4月開始)その3

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Sat, August 13, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】桜井淳の「千寺巡礼写真集No.6スイス・フランス編」

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Fri, August 12, 2011 stanford2008の投稿

【事務所報告/メルマガ】桜井淳のトレッキング写真集No.11-スイス・フランス調査登山編-

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