あやうく遅刻しかけてしまいました(笑)。先ほどまで、長い原稿を徹夜して書き上げておりまして。僕らは、編集者から「こういうテーマで書いて欲しい」と原稿の注文を受けて、仕事をするわけです。
これはファッションの世界でいうとオーダーメイドってことですよね。僕らの世代で小さい頃というのは、服は母親が作るものでした。もっと上の世代になれば、それはもう当たり前で、戦時中なんていうのはあまりお洒落なんてできなかったはずです。
1945年に戦争が終わり、平和が戻ってきますが、そんな時代に、今のファッションスクール、当時で言えば洋裁学校ですね、これと料理のための学校が隆盛を極めます。結局それは、自分で布を買ってきて、自分の腕で作るということです。
これを今度は消費者に向かってやるようになると、デザイナーが職業として分岐してきて、注文服を作ったり、既製服を作ったりするようになります。
よくプレタポルテというような言い方をします。高級注文服のことですね。それと高級既製服というような言い方もあります。既製服っていうのは高級ではありえないんだけど(笑)。プレタポルテは、もともとヨーロッパで王侯貴族のために洋服を作っていたことから生まれたものです。一方、貧しい人たちには、母親が子どもたちや自分のためとか夫のために服を作るということが当たり前でした。これはプレタポルテとは言わない。普通の生活です(笑)。
それが、例えばシャネルみたいな人たちがだんだん出てくるようになる。シャネルは、この世界では最も有名なブランドネームだと思いますが、もともと孤児院にいた人ですよね。12歳にお母さんが亡くなっちゃって、お父さんはちょっと飲んだくれの人で、放浪の旅を続けるような行商の人だったんです。それで、12歳のときに孤児院に入りますが、自分の部屋がずっと灰色なわけです。実際にシャネルのはじめの服は、大体グレーなんです。その生活空間をそのままイメージしたというかたちです。
18歳まで孤児院で暮らし、それから歌手になりますが、あんまり売れなくて、結局失業してしまいます。そんな食うや食わずの時に、たまたま外に着てくために帽子を作る。服を作るだけの布が無かったから帽子を作る。そして、その帽子を作っていたら、町行く人がみんな振り返って、自分にも作ってくれと言われるようになり、やがて帽子屋さんを小さな所で始めることになります。それから「自分の服は自分で作りたい」と言って、1920年くらいにはデビューをし、最も大きなブランドを作ることになるんです。
決して、専門的な知識があったわけでは無い。シャネルは、自分の物は自分で作るというところから出発して、女が、「自分のために一番良いと思う服を作りたい」ということを、世界で初めて言った人なんです。