社長挨拶

リーマンショック以降、未曾有の不況の中で、創業3ヵ月にして1億円を調達した若いベンチャー、情報通信分野における創業初期の1億円の調達は、GREE社以来となる大規模資金調達です。
会社名は、milog(ミログ)、創業者は東大在学中の城口洋平でした。
まだ創業間もなく、"実績"には欠けるこのベンチャーが、1億円という資金を調達することができた理由は、強烈なビジョンと夢、そして、日本社会全体の明日への期待だと、私は信じています。
日本から世界に通用する"ベンチャー"が創業されたのは常に時代の転換期でした。明治維新期の三菱、終戦後のHONDA, SONY, 既存の常識・パラダイムが転換する時に、必ずそこにはチャンスがありました。そして、そこに挑戦する若者が存在しました。 HONDA創業者 本田宗一郎氏、SONY創業者 井深大氏、盛田昭夫氏が、創業したのは、同じく1946年。東京大空襲により焼け野原となり、明日への希望が失われつつあった時代において、先人たちは、ゼロからイチを創造する挑戦に没頭し、当時、軍事技術を背景とした圧倒的技術力を誇ったアメリカに対して、小さな日本の町工場で果敢にも挑戦したのでした。
リーマンショックから始まる金融資本主義の瓦解、GM倒産によるモータリゼーションの終焉、Barack Obama氏の大統領就任による人種・民族主義からの超越、民主党政権交代による戦後55年体制の転換。20世紀、私たちが"常識"だと思い込んでいた枠組み、すなわちモダン社会が終焉を告げ、今まさに次の時代、"Post-modern ポストモダン"と呼ばれる時代に突入しようとしています。

"いま、挑戦しなくて、いつ挑戦するんだ。時代の転換期だからこそ、ポストモダンにおける誇り高き日本を復権するために、不可避な挑戦なんだ"、これが唯一にして最大の創業動機です。私を弊社創業に駆り立てたのは、時代観であり使命感でした。
時代を変えてきたのは、常に"挑戦者"です。「大不況だからこそ、僕は勝負した。まわりの友人が、大企業や、官庁、弁護士等の"安定"した職種を志望している状況をみて、"僕ぐらいしか、こんな時代に、ベンチャーを創業するリスクをとれる奴がいない。日本のため、未来のために、誰かが"リスクをとって勝負しないと時代は変わらない。"と感じ、使命感を感じた。創業した理由はただそれだけ。」と私は口癖のように言い続けています。
心から尊敬する本田宗一郎氏、井深大氏、盛田昭夫氏は、戦後焼け野原の中での挑戦でした。それを思うと、衣食住は満たされている今の日本での挑戦なんて、リスクなんかありません。
まだ白紙のポストモダン時代の歴史教科書に、自らの挑戦の印を刻み込む。
その夢を胸に、いま若者たちが走り始めました。
株式会社ミログ 代表取締役社長 城口洋平