■ローストビーフは好きですか?
例えば、お前はローストビーフか、と聞かれたとしよう。
はい、そうです。なんて答える奴はまずいない。もしいたとしたらそれは本物のローストビーフか、あるいは頭のおかしい奴かのどっちかだ。で、普通に考えてローストビーフが喋るわけがないから、そいつは頭のおかしい奴ということになる。
いや、実際ローストビーフはどうでもいいんだ。この際関係ない。別に俺がローストビーフ大好きっていうわけではないし、ただなんとなく思いついた単語なだけだ。あまり深く考えないでくれ。
つまりまあ、それぐらい衝撃的だったわけだ、俺にとっては。何がと言うと、そこにいる小娘が言った台詞がだ。
「ボクを相棒にして下さいよ」
女のくせにボクである。世の中時代が進むにつれて中身が成熟した子供も増えてきているが、こいつは駄目だ。女のくせにその自覚が全くない。つまり中身も本物のガキだ。しかもこいつときたらコレが開口一番なのだ。言い方からしてもう何度も頼み込んでいるような口振りだが、初対面の初っ端からこういう言葉が出てきたのだ。失礼にも程があるだろう。正直殴りたい。
「…………」
こいつなら絶対に自分がローストビーフだと言う。そういう頭のおかしい奴だ。状況をよく見て考えなくてもこの小娘が話しかけているのは俺しかいなかったが、それでも無視することに決める。馬鹿には近寄らない方が賢明だ。病気が移る。
見た目が怪しい。膝の裏ぐらいまである、青みがかかった黒髪。服装は肩の露出したぶかぶかの白い長袖シャツに、白のラインが入った黒のスマートパンツ。ここまでは良い。強いて言えば髪が長すぎる気もするが個人の趣味だ。とやかく言う気はない。だが何だそのサングラスは。似合っていないにも程がある。サングラスをかけているとは言えない。サングラスにかけられている、と言った方が表現として正確なんじゃないだろうか。
俺は横目でその小娘をじっくり頭の天辺から足の爪先までつぶさに観察した後、ぷい、と顔を背けた。
「あっ」
小娘が抗議めいた声をあげる。文句を言いたいのはこっちだ。いきなり訳のわからん子供に『相棒にして下さい』なんて言われてひどく不愉快な気分なんだ。やってられっか。
「ねぇ聞いてます? っていうか聞こえてるんでしょ? あからさまな無視はやめてよ。大人げないじゃん。ねえ。ねえったらねえ。ねーえー」
しつこく話しかけてくる怪しい小娘に、俺の忍耐力は一気にレッドゾーンへ突入した。
「だぁぁぁもううるっせえっ! お前なんか知るかっ! ガキは家に帰ってクソして寝てろ!」
と、言いたいところだったが、ぐっ、と我慢した。大人の余裕という奴だ。いや違う。すまん嘘だ。
ここは喫茶店を兼ねた仕事斡旋所だ。広い空間に、白い床と全面ガラス張りの壁。清潔感を感じさせる照明に、光を受けて輝く赤と白のテーブルと椅子。そこに腰掛けて茶を飲みながら仕事情報誌をめくる様々な種類の人々。むさ苦しいおっさんもいれば、スタイリッシュな美女もいる。装いからして一見すれば『女性に人気のデザインチックなカフェ&パーラー』という感じだが、それでもここは仕事斡旋所だ。俺のような職種の人間でも仕事をくれる特別な。
でもまあ、穏やかな音楽がかかっていて気軽な会話が交わされているこの雰囲気は、やっぱり喫茶店と同じだ。人もたくさんいる。だから大声で騒ぐととても恥ずかしいことになる。だからだ。そうでなければこんな妙なガキにはとっくにお帰り願っているところなのだ。
「ふーん、そうなんだ。無視するんだ。へぇぇ。じゃあいいよ。それならそれで」
そうかいそうかい。そいつは良かったな。それじゃさっさと家に帰って……っておい。どうして俺の対面の椅子に座りやがる。
「ボクの名前はマテリア・オールブライト。お兄さんはゼテオ・ジンデルさんだよね?」
そして勝手に自己紹介した挙げ句にこっちを特定かい。やってくれる。良い度胸じゃないか。
「お前、何の用だ」
俺はようやく声を出した。無論、とびっきり不機嫌なものを。こちとら仕事を探しながら、のんびりコーヒータイムを楽しんでいた所だったのだ。俺は一人で過ごすこの時間をとても貴重に思っている。それを邪魔したこいつは許せない。泣いて帰らせてやる。
「あ、ようやく喋ってくれた。なんだ喋れるんじゃん。何でさっきまで無視してたのさ? ボクのこと邪魔?」
我ながらドスを利かせたつもりだったが、近頃のガキの神経は図太いことこの上ないらしい。平然としてやがる。
「ああ邪魔だな。うっとうしい。あっち行け」
俺も努めて冷静に対応した。テーブルに広げた仕事情報誌に視線を落とし、出来る限り苛立たしい声で言ってやる。子供の遊びに付き合う気はない。例え仕事がなくて暇していようとも。
「ねぇ、ボクを相棒にしてよ」
もう敬語が消えていた。さっきは『相棒にして下さいよ』って言ってなかったか? 子供は本当に図々しい。ちょっと口を利いてやるとすぐこれだ。
「やかましい。誰がするか。さっさと帰れ」
「やだ」
ガキは即答しやがった。ちょっと本気でカチンときた。
「せめて理由ぐらい聞いてよ。本当に大人げないなぁ、ゼテオさん」
待てこら。誰が『ゼテオさん』だ。お前にファーストネームを呼ばれる筋合いはないぞ。
「……ジンデルさんと呼べ」
「やだよ。ゼテオさんの方が呼びやすいし。あ、ボクのこともマテリアでいいよ。これから相棒になるんだし」
にへへ、と笑うマテリアとやら。おいおい決定事項かよ。ふざけるのもいい加減にしてくれ。
「ちょっと待て。勝手に話を進めるな。大体、お前は誰だ? 俺に何の用なんだ? はっきり言うがさっきから訳がわからん」
「だからボクの名前はマテリアで、ゼテオさんの相棒になりたいって用件だよ? はっきり言ってるんだからちゃんと理解してよ」
きょとんと素で言ってのけやがった。んもー、と唇を尖らせている姿はただ拗ねているだけで、別に喧嘩を売っているつもりはないらしい。台詞はこっちを舐めているとしか思えないが。
「だからそれが訳わからんと言ってるんだ、バクテリア。単細胞が考えることは上等生物の大人にはうまく理解できなくてな。悪かったな、バクテリア」
「まてりあ! マテリアだよ! ひどいよバクテリアなんて!」
ばんばん、とテーブルを叩いて抗議する。お前なんかバクテリアで十分だ。いや、有害物質を無害な物に変えてくれるだけバクテリアの方がまだましか。
「わかったわかった。なるほどお前の名前はようくわかった。で、相棒が何だって? 何にしてくれって? 悪いが俺は見ての通り仕事を探してる真っ最中でな。子供の遊びには付き合ってる暇はないんだ。わかるか?」
言い含めるような俺の言葉に、小娘は、もー、と憤懣やるかたない様子で溜息をつく。
「だから相棒にしてって言ってるんじゃないか。いい加減ちゃんと相手してよ、子供扱いしないでさ。ボク本気なんだよ? ついでに言うと帰る家もないしミルクを吸わせてくれるママもいないからね。だからつまんない追い返し文句だけは言わないでよ?」
随分と慣れた対応だな、と少し驚いて俺は仕事情報誌を閉じた。この反応からすると、既に何人かに同じ事を頼み込んで断られてきた口だな。それで今度は俺のところってわけか。なるほど。そこまで言うなら真面目に応じてやろうじゃないか。俺はマテリアという少女の顔をじっと見つめる。
「お前を俺の相棒にしてくれ……って本気でか?」
マテリアはうんうんと頷く。サングラスのせいでやたらと無表情に見えるが、仕草だけは多彩な奴だ。
「じゃあ本気で返事するが、絶対に駄目だ。よしこれで解決したな悪いが他の奴を当たれそれじゃあな」
再び仕事情報誌を開く俺。返答など最初から決まっていたのだ。
「うわあ無情じゃないかそれぇっ! もうちょっと何かないの!? なんでそんな事を言うんだ理由を聞かせろよとか! ボクが一生懸命話しかけた意味ないじゃん!」
ばんばんばんばん、とテーブルを連続で叩く。うるさいったらありゃしない。騒ぐな。
「ンなことは知らん。大体ここは子供が来るところじゃないし、相棒探しをするところでもないし、そもそもドリンク一つ頼まん奴にいていい理由はないだろうが」
かく言う俺の手元には、ここで一番安いメニューのブレンドコーヒーがある。いや、言い訳ではないが、別に安いから頼んでいるわけではない。安い割にけっこうイケるのだ。だからこれを好んで注文しているのであって、貧乏なわけではない。金持ちってわけでもないが。
「いいよわかったよじゃあちょっと注文してくるから待っててよね!」
言うが早いか疾風の如く販売カウンターへ走っていく。ここは販売カウンターの右側で注文した物を受け取り、金を払う。食器などは左端で返却する。テーブルはどこに座ろうと自由だ。ドリンクだけではなく、簡単な食事も頼める。
さて。ここで俺はまだ残っているブレンドコーヒーをあっさり諦めた。やっぱり子供の相手なんかしていられないのだ。実際、さっきから周囲の視線が煩わしい。何も考えずにあの小娘がテーブルを叩くから何事かと思われてしまったのだ。このまま逃走……というと語弊があるので、戦略的移動という表現が好ましい。立ち上がり、椅子の背にかけていた黒のジャケットを手に取る。素早く袖に腕を通すと仕事情報誌を丸めてポケットに入れて、出入り口へと何気なさを装って歩き出した。途端、
「ああぁ────────ッッ!?」
見つかった。湯気を立てるカップの乗ったトレイを両手で持ったサングラスの少女が、顔の下半分を口だけにして大声を出す。もちろん他の客の視線はあいつに行って、次にこっちへ移る。冗談じゃない。目立つのは嫌いなんだよ。
俺はテーブルとテーブルの間を走り出した。背中に怒声が降りかかる。
「待っててって言ったのにぃ────────ッッ!」
勝手なことを言う。了解したと返事した憶えはない。それはお前の思い込みだ。これが世の中の厳しさというものだ。わかったかふはははは。
両手が塞がっている奴は簡単には追いかけてこられまい。俺は出入り口の扉を開けると、そのまま喫茶店兼仕事斡旋所を悠々と出て行った。
「んもー! わかっちゃいたけど本当に行っちゃうんだから!」
ボクは憤然とさっきの席に戻って腰を下ろした。注文した紅茶をトレイごと、でも気持ちとは裏腹に丁寧にテーブルに置く。テーブルのちょっと向こうにゼテオさんが置いていったブレンドコーヒーもある。
ああいう性格だっていうことは知ってはいたけど、本当にろくでもない男だと思う。ゼテオ・ジンデルという人は。でも彼じゃないとダメだということも視えている。どうにもならないかな、このジレンマは。
紅茶に砂糖をたっぷり、ミルクもとっぷり。ぐるぐるかき混ぜる。立ち上ってくる甘い香りが、脳みそがとろけそうになるぐらいに幸せ。
さて。どうしてくれようか。とりあえず紅茶は勿体ないから飲んで行くけどさ。あのゼテオ・ジンデルにどうやってボクを相棒にさせるか。
サングラスの薄暗くなった視界で、カップの中のミルクティーがくるくると回っている。
「うーん……」
やっぱり追いつめてやるしかないかな。とりあえず正攻法──だったと思うんだけど──は失敗したし。こうなったらボクが本気だって証を見せるためにも、ガッツリ追い込むしかないと思う。
紅茶を飲む。糖分が頭に昇ってる感じ。くぅぅぅ、冴えてくる冴えてくるっ。
まあ実際問題、ボクが〈エクステンド〉って名乗ればすぐに話を聞いてもらえそうな気もするんだけれども。それはそれでなんか嫌だし。なんかムカついてきたから絶対まともに話を聞いてくれるまで正体明かしてやんないことにしよう。とか思う。
目を閉じて、紅茶を飲みながら、彼を思う。ゼテオ・ジンデル。真っ黒な髪と金色の眼。まるで狼みたいな顔。髪の毛と同じぐらい真っ黒なカッターシャツとズボン。あと椅子にも真っ黒なジャケットがかかっていたっけ。真っ黒くろすけだ。でも背は高そうだったな。
ボクと同じ〈エクステンド〉の人。
彼と一緒にいた方が良い。それがわかっている。ボクの目にはそれが視える。
なら、その彼と一緒にいるのに最適なのは? やっぱり相棒っていうのが一番じゃないだろうか。彼の職業を考えると。性格的にはダメっぽいけど、そこは我慢しよう。
「ふむ……」
っていうかこのミルクティー美味しいし。ちょっとビックリ。また来ようっと。
うん。そういうわけで彼に再会するための未来を視よう。紅茶を飲んだ後、ここを出て、ばったりと彼に出会う未来を。その通りに行動すれば、おのずと未来は描かれるはずなんだから。ま、もっと言えばちゃんと相棒にしてくれる未来を視たいところなんだけど、それは無理っぽい。ボクの実力不足なのか、それとも能力の限界なのか。わからないけれど。
よし決まった。こくこくっと喉を鳴らして一気にミルクティーを飲み干す。カップを空けると、ゼテオさんのコーヒーと一緒にトレイに乗せる。立ち上がって二つのカップを返却口に……ってあれ? どうしたんだろ?
なんかみんなボクを見ている。全員とまではいかないけれど、テーブルについているほとんどの人が『大丈夫かしらこの子?』的な視線をボクに向けているのである。
「? ……なんですか?」
試しに一番近くにいた女の人に聞いてみた。するとその人はちょっと驚いたみたいだったけど、わずかに視線を逸らして言葉を選ぶような沈黙を置いてから、
「あ、あたしね? 女の人生って男だけじゃないと思うわよ?」
となんだかわからないけれど助言のようなものをくれた。
はて? もしかしてボクは周りの人達にもの凄い勘違いをされているのだろうか?
ま、いいか。別に無理して解くような誤解ではなさそうだし。適当に、
「ありがとうございます」
と満面の笑顔──と言ってもサングラスでよく見えないだろうけど──で返しておいた。女の人が目をぱちくりとさせる。あんまり長く見ていると思わず吹き出してしまいそうだったので、そのままトレイを返却口に持って行った。
そうこうしている内にボクの目が本領を発揮して、これから向かうべき場所を教えてくれる。そこに行けばもう一度ゼテオ・ジンデルに会えるはずだ。出入り口に向かいながら、ボクは心の中で固く決意する。
絶対追いつめてやる。もとい。
絶対相棒にさせてやる。
俺ことゼテオ・ジンデルの職業が何であるかと言えば、大まかには傭兵業ということになる。いや、それ以外にも細々とした仕事をこなしてはいると言えばいるんだが、やはり一番の収入源は傭兵業になる。
このど真ん中に巨大な塔を押っ立てて象徴にしているサーゲトワという国は、別に戦争をしているわけではない。世界……というか惑星レベルで見ればそこかしこに戦争はあるが、それだって俺には関係ない。実際問題、星の裏側ではでっかい戦争が始まって世界情勢的には大騒ぎなんだが、そこまで行ってドンパチやるつもりは俺にはない。
目立たない。俺は仕事をやる上でそこを重要視している。この稼業では強い奴、賢い奴はとにもかくにも目立つ。そしてとんでもない早さで消えていく。当然だ。戦場で腕が立つ奴、頭が切れる奴が敵側にいるってわかったら普通どうする? 集中的にそいつを叩こうとするだろう? そういう状況を打破出来るほど強い奴か賢い奴なら問題ないんだろうが、そんな奴はほんの一握りだ。俺はそんな馬鹿な自滅の道を行く気はない。
本当に強い奴ってのは実力を隠すものだ。『相手を知り己を知れば百戦危うべからず』って言うだろう。相手にこっちの能力を知られるっていうのはそれだけヤバイってことだ。だから本当に強くて今でも生き残っている連中は、誰にも自分の底を見せないでいる奴なのだ。そういった悪知恵を含めてのものが『本当の強さ』ってやつだ。筋肉や技術だけが強さじゃない。
賢い奴だって、それと悟らせないから『実は頭の切れる奴』ってなるんだ。突き詰めれば、頭の良い奴は誰かを騙せる奴だ。だからそういう奴は普段から周囲を欺いている。馬鹿な振りをして、決して素顔を見せはしない。警戒されていては騙すことが難しくなるから。だから常日頃から頭の鈍い奴の振りをする。臥龍って言葉があるだろう? 賢い奴はどんな時だって伏線を張って、そうとは見せずに、のらりくらりとしているものなのだ。でもって機会が到来した時にしかその本性を現さないのである。
というわけで、俺は目立つことを好まない。自分にどれだけ実力があろうと、それを誇示するなどもってのほかだ。ひっそりと地味に傭兵を続けて、いつかは「あいつ、なんだかんだと生き残ってるよな。堅実な奴だ」なんて言われるのが俺の目標だ。くだらないとか言うな。一発派手に稼ぐより、確かな実績の方が将来的には有効なんだよ。傭兵って職業は。
というわけだから先刻のマテリアとかいう小娘は俺にとって疫病神以外の何者でもなかった。あいつが出てきたせいで、あの場でやたらと目立ってしまった。それでなくても俺は他人に目を向けられるのが嫌いなんだ。他人なんざ俺の人生には関係ない。世の中、物珍しさだけで介入してくる馬鹿だっている。だからどんな時だって目立つのは嫌いなんだ。
街を適当にうろついて落ち着ける場所を探す。戦争に行かない傭兵がする事と言えば、代表的なのは警備員かボディガードだ。勿論、そうそう転がっている仕事じゃない。だから先程みたいな仕事斡旋所や情報誌で探していたりする。戦争中の国ではないとは言え、世の中はまだまだ物騒だ。安全のために金を出す奴はごまんといる。だが、そのくせ仕事は簡単に転がってはいない。この辺りが傭兵業の辛いところだ。誰かそんなジレンマをどうにかする社会機構でも作ってくれないものか。とは、傭兵仲間が常々ぼやいている文句だ。まあ、俺は傭兵が必要な社会ってものがそもそも間違っていると思うんだがな。
いや、これは当の傭兵が言う台詞じゃないか。
石畳の大通りを抜け、別の仕事斡旋所を目指す。さっきの所と違って小さいし喫茶店もないが、あっちに行っていない仕事があるかもしれない。あの小娘がついてきていないか、チラチラと背後を気にしながら俺はそこへ向かった。
まさかそこで再会しようとは。
「遅かったね、ゼテオさん」
扉を開けた途端。俺の視界に入ってきたのは、でかすぎるサングラスに取り憑かれたような少女。
「……お前、なんでここに」
一瞬だけだが心に空白が出来て、俺はそんな馬鹿な事を口走った。何かを言う必要などなかったのだ。こいつの顔を見た瞬間にきびすを返せば良かったのである。
小娘は口の端を、にやり、と吊り上げて、
「あのね、それは実はね」
「いや、いい。やっぱり興味がない。それじゃあな」
すっぱり斬り捨てると俺は背中を向けて走り出した。残念だがここは戦略的移動だ。ここでまで目立つのは絶対に避けたかった。
どうせまた「あー!」などと大声を上げるものと思っていたんだが、意外にもあいつは静かだった。気になって走りながら背後を一瞥すると、
「ふふん」
という感じで腕を組んで出入り口に佇んでいるではないか。なんだあの笑みは。
まあどうでもいい。走ってりゃ追いつくこともできないだろう。念のため、遠回りして別の仕事斡旋所へ向かおう。
が、そこでも再会する。出入り口の傍らで待ち伏せていた小娘は片手を上げると、
「やっ、ごくろーさんっ」
今度は問答無用で戦略的移動である。何故だ? 何故あいつが俺より先にあそこにいるんだ?
この街には俺が知る限り五つの仕事斡旋所がある。先回りするにしても、その予想が当たるのは四分の一の確率しかない。それが二度も連続で正解するものなのか? それとも地図でルートにあたりをつけられているのか? 何にせよ自分の行動が読まれるっていうのは、随分と癪に障るものだな。
じゃあその予想を完全に裏切ってやろうではないか。次に行こうと思っていた仕事斡旋所をやめにして、最初の場所へ戻ることにする。喫茶店兼仕事斡旋所のあそこへ。まさか一度行った場所に戻るとは思うまい。
が、しかし。
「ねぇ、そろそろボクの話を聞く気になってくれたかな?」
いやがった。しかも物陰に隠れてやがった。人が再度ブレンドコーヒーを注文して腰を下ろしたところで現れやがった。すぐには逃げないだろうっていう状況になってから出てきやがったのだ。
「……お前な」
「残念。ボクからは逃げられないよ。さぁボクを相棒にして一緒に仕事に連れてって。でなきゃここで大騒ぎして目立たせちゃうよ? ゼテオさんの名前連呼しちゃうよ? ロリコン傭兵だって」
なんつー脅し文句だ。しかし俺に対して有効であることは否定出来ない。そんな目立ち方など死んでもゴメンだ。
多分、俺の顔は妙な表情になっているのだろう。サングラス越しにそれを見た小娘は楽しそうに口元を綻ばせ、
「ほおら、相棒にしてくれたら静かにしていてあげるって言ってるじゃん。話聞いてくれたらなんで先回り出来たのかも教えてあげるしさ。大人しくした方が身の為だよう?」
「まったくもって興味ないんだがな」
他人なんてどうでもいい。これは嘘偽りない俺の本心である。だが、現状ではそうも言っていられないようだった。
「仕方ない……話は聞いてやる。それだけだ。相棒とかふざけた事は言うな。後、あんまり時間とらせるなよ」
不機嫌丸出しで言ってやる。本当は聞きたくないのだ、という空気を言外に迸らせてやる。が、この小娘には効きはしなかった。
腰に両手を当てて、実に嬉しそうに、
「うんうん、最初からそう言えばよかったのに。余計な手間を取らせるもんじゃないよ、全くぅ」
「…………」
言いたいことが幾十幾百と脳内に溢れ出したが、全部封印した。ああ、満足げなその顔がひどく気に入らない。殴りたい。
「じゃ、ボクもちょっと注文してくるね。今度また逃げたら容赦なくゼテオ・ジンデル名義で騒ぎ立てるからねっ」
他人名義で騒ぎ立てるっていうのはどういう意味なんだ。本当に訳のわからないことばかり言う奴だ。
仕方ないから大人しくブレンドコーヒーをかき混ぜながら、あいつが戻ってくるのを待ってやる。砂糖もミルクも入れない主義なので、かき混ぜるという行為に意味はない。ただの時間つぶしであり、周囲への誤魔化しだ。
なんと言えばいいのだろうか。周囲のこの視線の束は一体何なのか。軽蔑でも好奇心でもない、妙に生暖かい目が多い気がする。針のむしろに座らされている、とまではいかないが、やけに居心地が悪い。
ふと見ると、見知らぬ女が販売カウンターへ向かうガキに「良かったね、仲直り出来て」などと話しかけていた。どういう意味だ? もしかして俺とあいつ、もの凄く勘違いされていないか?
「うん、ありがとうございます」
いや何でお礼なんか言ってるんだ。ちょっと待て。激しく待て。お前か。お前のせいなのか。戻ってきたら文句つけてやるぞ。俺はそういう勘違いをされるのが目立つことと同じぐらい大嫌いなんだ。ああもういいからさっさと注文してこっちへ戻ってこい。
と、やきもきしている俺の視線の先で、真っ白な服を着た男がガキの隣に現れた。突然ふらっと出てきたように見えたのは、そいつが足音を立てていなかったからだ。そうわかった瞬間、いきなり嫌な予感が俺の背筋を駆け上がった。
男──といってもまだ子供だ。少年と呼んでいいだろう──がいきなり小娘の片腕を掴んだ。
「へっ?」
驚いて振り返る小娘。少年はここからじゃ横顔しか見えないが、随分と真剣な目で小娘を見つめている。
「……っ!?」
少年の顔を見た途端だった。小娘の表情が劇的に変化した。嫌悪、そして怒り。ああ、ものすごい勢いで胸騒ぎがするぞ?
小娘は少年の手を振りほどこうして、出来なかったようだ。女子供の力じゃ簡単にほどけないぐらい力を込めて掴んでいるらしい。
「はなして! 離してよ! ちょっと……ゼテオさぁん! ゼテオ・ジンデルさあん!」
はい嫌な予感的中。小娘は俺の名前を大声で呼びやがった。あいつの甲高い声が店内中にこだまする。
はっきり言ってやろう。腹が立つ。大声で俺の名前を呼んだ女のガキにもムカツクが、それ以上にはらわたが煮えくり返るのは、こんな時、こんな場所で、あんな真似を始めた男のガキの方だ。何も今でなくても良かっただろうに。俺がいなくなってからなら好きにすれば良かったものを。
ここで逃げたらゼテオ・ジンデルの傭兵としての名前が地に落ちる。そうなれば俺は食いっぱぐれる。目立ちたくはないが、評判を落とすよりはマシだ。地味にブッ倒してここからさっさと逃げる。それでいこう。
俺は無言のままコーヒーカップを手に持って、中身を床にぶちまけた。水音に周囲の何割かがこっちに目を向ける。少年だって耳で反応したことだろう。その隙を狙って電光石火。
コーヒーカップが一直線に少年の側頭部に炸裂して砕け散った。
「!?」
一瞬の出来事だったから、ほとんどの奴には一体何が起こったのかわからなかっただろう。少年本人にもな。それでも頭への衝撃は人体に大きな影響をもたらす。掴む力が緩んだのだろう。小娘がようやく腕を解放されて、こちらへ逃げてくる。さっ、と俺の背後に隠れると、
「助かったよ……ねぇ、助けてくれたってことは」
「勘違いすんな。成り行きだ馬鹿。冗談じゃねえぞまったく」
頭を押さえてふらふらしている少年は、しばらくは回復出来ないだろう。その間に逃げるのが得策だな。
「行くぞ」
小娘の手を引く。とりあえず場所を変えて、こいつの話を聞いて、それで終わらせよう。
それにしても、どうして一銭にもならんのにこんな事をしなければいけないんだ。今日は厄日か?
小娘は、きゅっ、と俺の手に柔らかい感触を返してきた。一瞥するとこいつは笑顔で、
「うん、ゼテオさんに任せるよ。よろしくねっ」
などと、これから相棒としてよろしくね、みたいな感じで言いやがった。まずい。今、俺の中で『こいつやっぱり捨てていこうかな』って誘惑が。だが置いていくわけにもいかない。どうしたもんだ、このジレンマは。
周囲の客共も総立ちの大騒ぎだ。女がいるにも拘わらず悲鳴一つ上がらないのは、ここがまがりなりにも『特別な』仕事斡旋所だからだろうな。
少し見回すと、すぐそこにどこかで見たような顔があった。名前は覚えてないが、一度か二度、仕事現場であったことのある男だ。あちらもこちらの視線に気付いて、口を『あ』の形にした。どうやら憶えていてくれたらしい。だがそれがお前の不幸だ。
「すまん、よしみでここは一つよろしく頼む」
「え? ちょっ、おまえ、あっ!?」
言い置くと俺は小娘の手を引いて走り出した。悪いな、名前も覚えていない仕事仲間よ。運の悪い俺の代わりに不幸になってくれ。
「うわあっ!?」
せっかく走り出したというのに、小娘はそこらの椅子やテーブルに何度も脚を引っかける。鬱陶しい。
「っあ──わぁおっ!?」
ひょい、と片手で宙に浮かせて、肩で抱き上げる。これで良い。多少重いがこっちの方が迅速に動ける。
「あれれ? ちょっとこれどうなってるの? よくわからないんだけど……」
俺の肩にタオルのように引っかかっている小娘の言葉なんて無視だ。じたばた動く脚を押さえて、再び走り出した。
扉を蹴飛ばし、出入り口から飛び出す。
騒動のざわめきを背にして石畳の上を駆け出す。でもって、しみじみとこう思う。
目立つのとガキは大嫌いだ、と。
大通りを人間一人担いだまま走るなんて有り得ない。だから俺はすぐに裏道へ飛び込んだ。
日陰にあってぬかるんだ地面を一気に駆け抜け、さらに建物同士の隙間へ滑り込む。
そこでいったん足を止めて、小娘を肩から降ろした。
そんなに離れているわけではないが、ここまで来ればひとまずは大丈夫だろう。あちらに人数がいて、大勢で探し回されれば見つかるかもしれないが。どうせ少年一人だろうしな。
「はう……あう……うう?」
地面に降ろしてやった小娘は、目を回したのか、ふらふらしている。まぁ俺だってそれなりに一生懸命走ったからな。それこそ肩に担いだものを気遣う余裕もなく。それはよく揺れたことだろう。
「あふぁ……ほおおっ?」
足下がおぼつかない小娘は、頭を大きく振りながら壁に寄りかかった。バランス感覚がおかしい時は体の操作がおおまかになってしまうものだ。見ていると、予想通りに小娘は壁に軽く頭をぶつけた。その際、こつん、とでかすぎるサングラスが石の壁に当たる。
ずるり、と落ちた。
「あっ」
その瞬間、冷水でも浴びせかけられたように小娘は慌てた。落ちていくサングラスをわたわたと掴もうとして、失敗に終わる。
「……!」
俺は息を呑んだ。小娘がサングラスの下に隠していたものを見てしまったのだ。
それは異彩の瞳。
「お前」
「あっ、やっ、そのっ」
動揺する顔に填め込まれた二つの眼球。その瞳はグラデーションをかけたように常に色が変化していた。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫。つまりは虹色。ゆっくりと時間が進む毎に色合いを変えていく、不思議な瞳。それが印象的なのは、何も色が変わるからだけではない。
淡く輝いているのだ。
虹色の瞳、それ自体が光を放っている。だからこんなにも印象的なのだ。
「えっと……あ、あはっ☆」
異色を放つ双眸を隠そうとして失敗した小娘は、追いつめられたように頬を引きつらせて、無駄に茶目っ気のある動作で笑って見せた。アホか。それで誤魔化したつもりか。
「あはじゃねえだろ。バカかお前は。その目は何なんだ。隠してたってことは何かあるんだろ」
「あは、あははは……」
「笑うな。さっきの奴もそれに関係があるんだな?」
「えーっと……なんて言えばいいのか……」
俺は小娘に近づいて、その片腕を掴んだ。ぐっと力を込める。絶対に逃がさない。意地でもその目のことを聞き出してやる。
七色。虹色。それは他でもない俺と同じ色だ。見逃すわけにはいかない。絶対にその正体を暴いてやらねば、俺の心はもう止まりそうになかった。
「話せ。なんだその目は。お前は何者だ。どうして俺に近づいてきた。何が目的なんだ」
もう片方の手で小娘の頬を挟む。顔を近づけ、七色に変化する瞳に視線を射込む。小娘の顔からはもう笑みは消えていた。
俺は殺気も隠さずに言い放った。
「言え。さもなけりゃお前を殺す」
殺すときたよ。
どうしたものか。奇策を弄しすぎて思わぬ邪魔が入って予想外の展開になっちゃった。やっぱり最初から素直に説明しておけばよかったかなぁ、と後悔する。でも、ゼテオさんが真面目に聞いてくれていたとは思えないし。これはこれで良かったのかも。
ああでもほっぺたが痛い痛い痛い、
「いたひ、いたひ、はなひてっ」
ボクが涙目でそう訴えると、ゼテオさんは頬を掴む手の力をやや弱めてくれた。それでもしっかりとボクの顔を離さないあたり、どうも逃がすつもりは毛頭ないみたいだ。
じゃあまぁ会話の主導権ぐらいは握らないと。ボクは無表情になったゼテオさんの顔を上目遣いで見上げ、余裕のある口調で、
「……ふーん。この目に反応するって事は、やっぱりゼテオさんも関係あるんだ?」
「質問しているのは俺だ」
いきなり頬が締め付けられる。
「ひたひっ! ひたひほっ!」
痛い、痛いよ! ら、乱暴だあ! こんなの横暴だあ!
「ぅひーっ」
幸い、責め苦は数秒で終わった。ボクは自分の頬をさすりたいのを我慢しながら、
「うー……暴力による支配は反抗心を生んでいつかは革命を起こされるんだよ……あ、言います言います言いますから力入れないでっ!」
文句一つ言っちゃいけないらしい。すぐに力がこもる気配がしたから、ボクは慌てて弁解した。本当にろくでもない男だよ、もう。
ボクはいっそ頬を掴む手にもたれ掛かるようにして、投げやりな気持ちで説明した。
「じゃあ単刀直入に言いまーす。ボクは見ての通り『EXTEND・CHILDREN』でーす。この眼は〝フェアリーアイ〟と言いまーす。色んなものを視るのが得意でーす。ゼテオさんの行き先もこの眼で先読みしてましたー。それで先回りできたのでーす。ついでに言うとあなたがボクと同じ〈エクステンド〉っていうのも知ってまーす」
「真面目に喋れ」
顎が、ごきっ、と鳴った。
「ひづっっ!?」
目の前で火花が散るほどの激痛だった。瞬間、ボクは全力でゼテオさんの手から頭を逃がした。彼の方も捕まえておく意志をなくしてくれたようで、それはすんなりと成功した。にしても痛かったー! ひどい!
「ひどいよ! 痛いじゃないか! ボクちゃんと説明したじゃんっ!」
涙目でほっぺたを両手で押さえながら、断固抗議する。理不尽だ。ボクは何も悪いコトしてないのに。
「やかましい。俺を騙そうとした罰だ。甘んじて受けろ」
「そんなの無茶苦茶だよっ」
「で、それが俺に相棒にしてくれって言ってきた理由か」
それは質問じゃなくて確認だったから、ボクは答えなかった。代わりにもっと別のことを話す。
「さっきの男の子、アレス・フォルスターって言うんだけど。『水晶機関』って名前は聞いたことあるでしょ? エーテルストライカーを保護って名目で閉じこめて調教するところ。そこの人なんだ。でも、あの子も〈エクステンド〉なんだよ? あっちの考えに染まってるから全然話聞いてくれないけど。で、もうわかっていると思うけど、ボク狙われてます。追われてます。捕まるの嫌です。だからあなたに助けを求めに来ました」
ボクがそこまで言うと、ゼテオさんは大袈裟な溜息をついて見せた。
「あのな。俺は傭兵だぞ。それぐらいわかってるんだろ?」
「うん、そう言うと思った。お金出すんならいくらでも依頼として請け負ってやる、ってんでしょ? でもそれはダメ」
「なんでだよ」
「ボクお金ないから」
単純明快、簡潔すぎる答え。ひくっ、とゼテオさんのこめかみが一度だけ脈打った。あー怒ってるなこれ。短気だなぁ、しかも自覚してないんだろうなぁ。困るよねぇ、こういう人。
「……それで相棒ってわけか。なるほど、納得はいった」
でも怒鳴ったりして大人げないところを見せる愚は避けたみたい。一生懸命、怒気を抑えてるのがわかる声でゼテオさんは言う。ボクは軽い調子で、
「でしょ? お金ないんだけど助けて欲しい時は、やっぱり親しい友人とかになるしかないじゃん? じゃあゼテオさんちょうど傭兵だし、他にも色々やってるし、相棒ってアリかなーとかね。あ、でも、こう見えてもボクちゃんと役に立つよ? 実際、ゼテオさんのこと先回りして追いつめたでしょ?」
これは誇ってもいいはずだ。実際、ゼテオさんはボクの力に困っていた。事実は雄弁な説得力を持つね。
案の定ゼテオさんは少し唇を尖らせて、ふん、と顔を逸らした。やはりボクの実力を認めざるを得ないのだろう。
「そんなことはどうでもいい。それより、聞きたいことはまだある」
「なになに? この相棒に何でも聞いてよ」
ぴくん、とまたこめかみが脈打つ。わっかりやすい人だなぁ。ちょっとおもしろい。もっとからかっちゃえ。
「相棒には包み隠さず何でも言うよ、だって相棒だもん」
笑顔全開、媚び最大。最高の猫をかぶってボクは言う。すると、ぴくぴくん、とゼテオさん。あんまり刺激すると爆発しちゃいそうだし、さっきみたいに痛いコトされたら嫌だからこれぐらいにしておこうかな。
ゼテオさんは苦虫を百匹ぐらい噛みつぶしたような顔で、
「誰も相棒にするなんて一言も言ってないけどな」
「じゃあ質問には答えないよ?」
にやり、とボクが言うと、彼の金色の瞳が不気味な光を放つ。
「……ほう。じゃあもう一度痛い目にあうか? それともさっきの奴に突き出されたいのか?」
やれやれ。やっぱり乱暴で横暴で理不尽な人。でも、後者に関してはちゃんと言い返せる。
「そんなことしたらゼテオさんだって捕まっちゃうよ?」
「! そこだ。そこが聞きたい」
急にゼテオさんが勢いよく質問を突き出してきたので、ボクは驚いてしまった。え、いきなり何?
「俺は本当にその〈エクステンド〉って奴なのか?」
「へっ?」
何かと思えば。そんな質問。どうしてそんなことを聞くのか、ボクにはさっぱりわからない。
もしかしてわかっていないのか、この人は?
ボクはわざとらしいほど、まじまじとゼテオさんの顔を眺める。
「……えっと。念のために聞くけど、エーテルストライカーってわかるよね?」
むっ、と眉根を寄せるゼテオさん。良かった、これは知っているみたい。
「馬鹿にするな。エーテルを扱える奴のことだろ」
エーテルっていうのはいわゆる自由要素、未知の元素とか言われているアレである。その実体はまるで解明されていないが、この遺産世界では先天的にエーテルを操ることの出来る人間がごく稀にだけど生まれる。それを自分の意志である程度扱える人のことをエーテルストライカーって呼ぶのだ。
「なのに〈エクステンド〉を知らないの?」
「それも知ってる」
『EXTEND・CHILDREN』──略して〈エクステンド〉。稀なエーテルストライカーの中でもさらに珍しい存在を指す言葉。本当かどうかわからないけれど、世界を左右する力を持っている、って言われている。
その特徴は色。ボクの瞳のような七色、虹色がそれである。
エーテルストライカーにはそれぞれ固有の色がある。例えば歴史上の人物で言えば、積層国家シュヴァルツの解放戦争における英雄『アスラーダ・エンドウィズ』は、燃えるような紅蓮のエーテルを持っていたと言うし。地底帝国スレイドニブルの八代目皇帝ラル・ドルド・グラングニルは、妖しい毒霧のような紫のエーテルだったって聞く。
でも〈エクステンド〉は過去に例のあるどの色とも関係がない。七つの色を持つ、得体の知れないエーテルストライカーの中でも、さらに正体不明の存在。俗な言い方をすれば、レア中のレア。極めて希少価値の高い生き物なのだ。
まあ、こんなものは常識だ。宝石の中で何が一番高くて硬いのか、そんなのは小学生だって知っている。それぐらい当たり前な知識。
「なのに、自分が〈エクステンド〉なのか……って。訳がわからないよ。なにその質問? ボクに一体何を求めているわけ?」
半ば呆れ気味でボクは言った。〈エクステンド〉であることを本人が知らないはずはない。だって、エーテルを見れば一発でわかるんだから。実際、ボクだってゼテオ・ジンデルという人に虹色のエーテルを視たからこうやって近づいてきたのだ。
その本人が一体全体どうしてこんな訳わからないこというかなぁ?
「エーテルの色見ればわかるじゃん。え? っていうかゼテオさん、ちゃんとエーテルストライカーだよね?」
エーテルストライカーにちゃんともくそもないんだけどね。すると、彼は無言で顔を逸らした。え、何その反応? もしかして、もしかする?
「……違うの?」
自分でも驚くぐらい落胆の声がこぼれ落ちた。だって、そりゃないよ。そりゃこの瞳で一般人とは違う感覚でゼテオさんを見て、そうだと思ったのはボクの勝手。でもってボクも人間だから、たまには間違えることぐらいある。けれども。
「答える義理はねえな」
冷たい声でゼテオさんは言った。そうやって誤魔化すってことは、やっぱり違っていたのかな? いいや、そんなはずはない。自分を信じるんだマテリア・オールブライト!
この人は何かを隠しているんだ。きっとそうだ。ボクの目に狂いはない。多分!
「……そもそも〈エクステンド〉が何で生まれたのか、知っているよね? 自然発生じゃないんだよ、ボク達は」
「ああ」
これもまた常識問題。〈エクステンド〉は他のエーテルストライカーと違って人から生まれ出る存在じゃない。
作られた存在。もうここにはいない創造主が七体だけ大昔につくった、と言われている。言われている、というのはそれがあくまで噂であって、真実であるかどうかは不明だからだ。
創造主の名前は不明。製造年月日も不明。一説によると〈エクステンド〉をつくりだした創造主はボクら七人を生み出した後、そのまま月の向こうにある別世界へ旅立ったのだという。どんなメルヘンだ。ボクはこの説にツッコミを入れる事やぶさかではない。
空に浮かぶ月が別空間に繋がる『穴』を塞いでいる、というのはおとぎ話だ。
とはいえボク自身、いつ何処で生まれたのか憶えていないし、両親がいた記憶もない。気が付けば『水晶機関』に保護されていた。さっきボクを捕まえに来たアレス・フォルスターと一緒に。彼もまた両親を持たなかった。だからボクらがつくられた存在っていうのはきっと本当のことなんだろう。そう思う。まあ、実は両親に捨てられただけ、という可能性もあるにはあるんだけど。それはそれでヘビーな話だよ。
ボクは腰に両手を当てて、ちょっと怒った声で、
「じゃあ聞くけど。ゼテオ・ジンデルさんのご両親はご健在・な・ん・で・す・か?」
いるはずがない。今この瞬間にも、ボクの目には断片的に彼の過去が視えている。そこに両親っていう単語は一切存在しない。両親なら元気すぎてピンピンしてるぜ、なんて言ったらそんなのは真っ赤な嘘に決まっている。
「いないな」
短くゼテオさんは答えた。何かを抑え込んでいるような声だった。一体何なんだろう、この人は。そう──ボクの中からどんな答えを引き出そうとしたのか、それがわからない。一体どんな答えを望んでいたんだろう。
〈エクステンド〉であることが嫌なんだろうか。それはわかるけど。でもやっぱり「俺は本当に〈エクステンド〉なのか?」って質問はどう考えてもおかしいよ。
「ねぇ、ちゃんと真面目にボクの質問に答えてよ。ゼテオさんはエーテルストライカーで、〈エクステンド〉で、傭兵で、理不尽で乱暴で横暴な人だよね?」
「喧嘩売ってるなら買うぞお前?」
「ちっ……素直に認めればいいものをっ」
最後につけた本音がやっぱりまずかったか。ボクは指を鳴らして悔しがる。
「ったくいい加減に……ああ、もういい。わかった。俺の用事は終わった。お前もう帰れ」
ゼテオさんは何かを言いかけたが、急に飽きたような溜息をついて、しっしっ、と犬を追い払うような仕草をした。それに対して、ボクは本気で心の底から驚いた。な、何言っちゃってるんだよこの人ー!
「なにそれ! ボクの用事はまだ終わってないよ!? ボクを護ってよ! 帰りたくないんだ、あんな所!」
ボクの必死な訴えを、ゼテオさんは、はっ、と息を吐いて一蹴する。
「俺の知ったことか。金がないなら大人しく捕まってろ」
その冷然たる言い方ときたら。温厚なボクも流石に怒る。
「んなっ……!? 鬼! 悪魔! 人でなし! このゼテオ・ジンデル!」
「人の名前を鬼悪魔と同列に並べるな!」
向こうもさすがに頭に来たのか、大声で言い返してくる。けど負けるものか。絶対に負けないんだから!
「並べるよぅ! ボク達仲間じゃないか! 助けてくれたっていいだろ!?」
ゼテオさんは少し冷静さを取り戻したのか、頭の上で鬱陶しそうに手を振り、
「知らねぇな。俺はエーテルストライカーでもなければ〈エクステンド〉でもない。残念だったな他を当たれ」
ふん。そんな誤魔化しなんかで引き下がるもんか。
「嘘だぁっ! ぜっっったい嘘だっ! なんでそうやって隠すのさ! わっけわかんないよッ!」
とうとうゼテオさんもキレた。
「だぁぁぁもううるっせえっ! お前なんか知るかっ! ガキは家に帰ってクソして寝てろッ!」
「家なんかないもんっ! ク……なんてしないよオバカァ! 女の子に向かってなんてこと言うんだよぉ! 無神経! 恥知らず! ゼテオ・ジンデルー!」
「人の名前を悪口扱いするな!」
「だったら褒め言葉になるような行動すればいいじゃん!」
「俺は慈善事業はしねえんだよ!」
「それは助かります」
最後の科白はボクのものではない。勿論、ゼテオさんのものでもない。
「へっ?」
「ぁあ?」
透き通るような清々しい声。なんか聞き覚えがある。確かこの声は……
脳天に電気が走ってボクは思わずその名前を口走った。
「アレスくん!?」
「見つけましたよ、マテリアさん」
やたらと丁寧な喋り方。もう間違いない。なんて早さだろうか。もう見つかってしまった。
ボクは路地裏の入り口に目を向ける。そこには逆光を背に立つ人影があった。そこにいるのは『水晶機関』に所属する三名の〈エクステンド〉の内の一人。
アレス・フォルスター。
虹色の脚を持つボクの元・友達。
「もういい加減にしてください。さあ、私と一緒に帰りましょう。みんな待っているんですよ?」
逆光の中でもボクの目にはよく見える。
白地に所々金をあしらった『水晶機関』の制服。まるで軍服のようなデザインだけど、すらりとした長身のアレスくんにはよく似合っている。癖のある跳ねっ返りな金髪に、森のエキスを抽出したような緑の瞳。
予想通り、彼は天使のような微笑みを浮かべていた。でも、それが本当の笑顔じゃないって事は嫌ってほど知ってるよ。
ラフティング・ブレイカー。
それが君の異名だから。
さっきの少年はアレス・フォルスターとか言うらしい。
多分、大声で言い合っていたせいで見つかったんだろう。これはしょうがない。不可抗力という奴だ。だからまあ、
「お迎えが来たぞ、よかったな」
「ちょっ……!? なに笑顔で言っちゃってんだよぉ!? ほんっっっとに人の話聞いてたの!? ボケナス────────ッッ!」
絶叫するな、やかましい。
小娘は両の拳をぶんぶん上下させながら、
「相棒! 相棒っ! 相棒ッ!」
「だから誰が相棒だ! んなこと言ってるとあいつが勘違いするだろうが!」
「おや? 慈善事業でなければ友情ですか?」
路地裏の入り口、逆光を背負った少年の声が言う。ほら見てみろ、今にも勘違いされそうになってるだろ。ったく冗談じゃない。
「ちがうちがう。さっきは悪かったな。でもあんな所で騒ぎ起こすお前も悪いんだぜ。だからそれでチャラな。こいつは好きにしろ。俺はもう関係ない」
「……随分と棒読みな言い方するんですね?」
「気にするな」
俺は一歩退いて、道を譲る意志を見せる。小娘にはもう聞きたいことは聞いた。答えは得られなかった。だからもういいのだ。
「こいつを連れて帰るんだろ? 煮るなり焼くなり好きにしてくれ。こいつは俺の相棒でも何でもないからな」
親指で小娘を示す。と、何を思ったのか小娘は激突するような勢いで、いきなり俺の腰に抱きついてきた。ああ鬱陶しい。俺はすぐにそれを、
「寝たよボク!」
引っ剥がそうとしたら、小娘がそう叫んだ。
「は?」
「え?」
俺とアレス少年の間抜けな声はほぼ同時に生まれた。
「抱いてもらったもんボク! この人に! だからアレスくんは帰ってよ!」
……ん? この人って、もしかして俺のことか? 待て、やばい、頭が展開についていけない。
小娘が俺を見上げる。ご丁寧にも涙目で、
「ねえ、ボクを捨てないで! ボクも連れて行ってよ、ゼテオさん! ボクの体をあんなに可愛がってくれたじゃないか!」
「「……可愛がってくれた?」」
期せずして俺とアレスの台詞が重なる。
そして俺は気付く。これはまずい、と。この大根役者、くさい芝居で俺をはめようとしているのだ。っていうか誰がこんなガキに手を出すか!
「なるほど。あなたは万死に値しますね」
俺が何か言うより早く、氷の剣のような声が俺の耳に突き刺さった。背筋に悪寒が走る。それは相手に対する恐怖から、ではない。とんでもない大嘘を事実として認識される恐ろしさからだ。
ってか何で信じるんだ、こんな嘘を!?
しかもアレスの声は冷え冷えとしているくせに、笑顔の抑揚がついていた。それだけに話し合いによる和解は絶望的に思えた。
いや、まだ何とかなる。必死に弁解すれば奴もわかってくれるはずだ。そもそもこんな小娘に俺が手を出す道理がない。ギリギリの崖っぷちだが、まだ道はあるはずだ。
だが俺の口が開くより先に、小娘が致命的なことを言い放ちやがった。
「何が万死に値するだよ! ボクとこのゼテオさんは愛し合っているんだから邪魔しないでよね!」
全ての可能性が崖から真っ逆さまに落ちていった瞬間だった。
俺はこの理不尽さを何かに叫びたくなった。何でもいいから殴りたくなった。だが現状ではどうしようもなかった。どうすればいいんだ、このジレンマは。
小娘はわけのわからん嘘をつくし、少年はそれを頭から信じやがった。
とりあえずお前ら二人が万死に値するわ!
戦闘になれば嫌でもゼテオさんはエーテルストライカーとしての能力を使わざるを得ないはず。
そう思ったから、ちょっと……いや、かなり恥ずかしかったけど、アレスくんを挑発してみた。彼はああ見えて直情的だからあっさり信じてくれるだろうし、優しそうに見えても暴力的だから間違いなくゼテオさんとの勝負になるはずだよ。
アレスくんが動き出すのを感じたから、抱きついていたゼテオさんから離れる。にしても体硬かったなぁ。筋肉?
先手を打ったのはもちろんアレスくん。逆光の中から彼は高速で飛び出す。彼のエーテルは〈エクステンド〉を示す七色。その発生源はボクと違って両脚だ。
同じ〈エクステンド〉だからってその能力まで一緒というわけではない。ボクの場合は目において特化しているし、アレスくんは両脚に大きな変化が表れる。ここにはいないけど『水晶機関』に所属している他の〈エクステンド〉エルザリオンとベルゼリオンも、ボクとは全然違う能力を有しているのだ。
アレスくんの能力は両脚を駆使した高速移動。目にも止まらない速度で動くことが出来る。今だって、ほら。
もうゼテオさんの背後にいる。
「!?」
やっぱり速い。そこに出てくるまで全然見えなかった。まるで瞬間移動だ。
アレスくんはこんな時でも笑顔で、腰の鞘から抜いた片刃の剣を上段に構えている。本気でゼテオさんを殺す気だ。肝心のゼテオさんはまだ気付いていない様子。アレスくんは容赦なく剣を振り下ろして、血飛沫が、
「!」
飛ばなかった。
「随分と速いな」
そんな簡潔な感想を添えて、ゼテオさんは振り向きもせずに斬撃を避けた。するりと、自然な動作で。
かと思ったらその長い足が伸び上がり、勢いよくアレスくんの剣の腹を横から蹴りつけた。アレスくんも剣を手放すようなことはしなかったけど、ゼテオさんはより上手だった。そのまま靴底と壁の間に刃を挟みこんで、完全に自由を奪ってしまったのだ。ちょうど壁に向かって剣を踏みつける形になる。
ずん、とすごい音がした。何かと思ったら、刀身ごとゼテオさんの靴が壁にめり込んでいた。エーテルを使用しているわけでもないのに、とんでもない威力だ。
「おやおや?」
だけどこれだけで諦めるような人なら、ボクもアレスくんに苦労したりなんかしない。武器としての価値を失った剣をあっさり捨てて、アレスくんはその両脚を駆使して高速移動。虹色の残像を残しながら彼は左右の壁を蹴って、縦横無尽に三次元空間を飛び回る。
「ちっ……」
鬱陶しそうに舌打ちするゼテオさん。でも、それが蚊や蠅に対するような感じなので、やけに頼もしく思える。っていうか普通にすごい! アレスくんはエーテルストライカーの本領を発揮している。なのにゼテオさんは全くエーテルを使っていないのに攻撃を回避して、あまつさえ武器を封じたんだから。すごすぎる!
と、この瞬間、ボクの〝フェアリーアイ〟に未来が映る。この両目、勿論その気になればいくらか制御できるし、そのおかげでゼテオさんの行き先を先読みしたり過去を視たり出来たんだけど、時折こうやって勝手に映像を見せる場合がある。その時は大抵が未来で、それが『めちゃくちゃ良い時』か『めちゃくちゃ悪い時』だ。まぁたまにどうでもいい映像とか過去もあるけれど。
今回見えたのは、もちろん上等な未来。
路地裏を跳弾のように飛び回っていたアレスくんが死角から蹴りを放つ。彼の蹴りは下手な斬撃よりたちが悪い。大量のエーテルが込められた一撃はそれだけで人体を木っ端微塵にする。
ゼテオさんは背後からのそれを、見透かしたように片腕だけでガードする。エーテルも何も纏っていない、ただの腕でだ。瞬間、笑う壊し屋の顔から余裕が消える。久しぶりに視る、笑顔以外のアレスくんの表情。
その時、脳裏に映っていた未来が消えて、現実と重なった。ボクが未来を視ている間に、現実が追いついてしまったのだ。
ゼテオさんがつまらなさそうに言う。
「手ぇ抜きすぎだな。見た目で判断している内は傭兵としちゃまだまだだぜ?」
防御した腕を巧みにアレスくんの脚に絡め、強く掴んだ。
勢いよく振り回す。
「──ッ!?」
動きに躊躇いも迷いもなかった。アレスくんは玩具の如く壁に叩き付けられた。
肉が石を打つ鈍い音が響き、アレスくんの体は壁の中にめり込んだ。痛そう、なんてものじゃない。死んだかもしれない。っていうかボクなら間違いなく死ねる。
「ぐぅっ……!」
それでもアレスくんが生きているのはちゃんと鍛えているからか、それともゼテオさんが手加減したからか。ぱっ、とゼテオさんがすぐに手を離したところを見ると、後者のおかげが強いと思う。にしたって、しつこいようだけどエーテルも無しでよくやるもんだよ。ゼテオさんの筋肉って何で出来てるんだろう。金属繊維?
脚から手を離された瞬間、アレスくんはその場から弾かれたように飛び退いた。壁を何度か跳ねて、ゼテオさんとある程度の距離を置いて路地裏に立つ。
顔の右側に大きな痣が見える。そりゃそうだろう。あんな勢いで壁に叩き付けられたんだから、痣で済んだだけでも幸運な方だと思う。
アレスくんは真剣な瞳でゼテオさんを見つめている。彼を良く知っているボクだからわかることだけど、あれはほとんど睨んでいるようなものだ。アレスくんのあんな顔、本当に久しぶりに見る。
「あなたは、一体何者ですか」
単刀直入にアレスくんが言った。もちろん、あなたとはゼテオさんのことだ。っていうかそれはボクも知りたい。〈エクステンド〉だと思っていたけど、もしかすると全然別のものかもしれない。
それを何と言うことだろう、ゼテオさんはこう答えたのだ。
「ただの傭兵だ」
「うっそだぁ────────ッッ!?」
思わず突っ込んでしまった。ゼテオさんが鬱陶しそうにボクを見る。いや、だってさ。それは嘘でしょ。エーテルストライカーと生身で向き合える人が『ただの傭兵』なわけないんだもん。
ゼテオさんは再びアレスくんに視線を戻して、
「まぁ成り行きでこうなったがな、俺は目立つのと慈善事業と、もう一つ嫌いなものがある。何かわかるか?」
いいえ、とアレスくんは首を振る。初対面の人間の好みなんてわかるはずなんてない。当たり前の反応。
ゼテオさんはきっぱり言った。
「舐められることだ」
アレスくんもボクもきょとんとする。舐められる……って、どういう意味だろう? ボクはわからなかったけど、アレスくんはすぐに理解したみたいだ。呆気にとられた表情から一変、ふっ、と口元を綻ばせる。
「わかりました。それではこれよりあなたを強敵として認識します」
それは宣誓だった。背筋を伸ばして、片手を胸の前へ。目を閉じて、そっと呟く。
「私の名前はアレス・フォルスター。あなたの敵です」
瞼を開く。森という聖域に流れる精髄を抽出して、凝り固めたような深い緑の瞳。静謐なその視線でゼテオさんの顔を優しく撫でると、
「今度は全力で行かせて頂きます」
と微笑んだ。
途端に全身から噴き出す虹色のエーテル。七色の強烈な輝きが全方向へ迸って、薄暗い路地裏を明るく染め上げる。
「手を抜いたことは謝罪します。ですが、マテリアさんの体を弄んだあなたを許すつもりは毛頭ありません」
膨大な七色の光の中、その両脚から一際強い虹の輝きを放っているアレスくんは、しっかりした声でそう言った。
その姿は、まるで稲妻を孕んだ竜巻だ。見ただけでもとんでもない量のエーテルがその場で渦を巻いているのがわかる。
あれは本気だ。間違いなく本気の姿だ。これからは、今までとは比べ物にならない速度と威力でゼテオさんに襲いかかるつもりだ。
にしても勘違いってすごい。嘘でも信じちゃったら、こんなにも凄い力が引き出せるんだから。
それじゃあゼテオさんはどんな余裕の表情で迎え撃つのかな、と思って見てみれば、
「──ってなんで目を泳がせているんだよっ!?」
「ば、バカ言え! あんなの誰が予想するか! 今まで見たどのエーテルストライカーよりすごい勢いだぞ!」
「あったり前だよおっ! 聞いてなかったの!? アレスくんは『水晶機関』の人で、『水晶機関』はエーテルストライカーを捕まえて回ってるんだって! 並のエーテルストライカーより強いの当たり前! しかも〈エクステンド〉だし! っていうかアレスくん挑発したのゼテオさん本人じゃん!」
「知るか! 金も出ないのにあんなのマジで相手してられるか! 俺はもう降りる!」
「降りるってどうやって!? さっきはともかく、今のアレスくんから物理的に逃げるなんて不可能──!」
その瞬間、ボクに天啓が下った。ぴん、と閃いたのだ。いける。この手なら絶対いける。
「──じゃないよ! このボクがいれば何とかなるけど! どうする!?」
「ってかお前が何とか出来るんなら何とかしてみせろ!」
ずびし、と音が聞こえてくるぐらいの勢いでアレスくんを指差すゼテオさん。
「なら相棒の件、考えておいてよねっ!」
返事を待たずにゼテオさんの前へ躍り出た。だってゼテオさんの答えなんて決まっているもの。それは駄目だ、とか、そんなの関係あるか、とか。だから先に既成事実を作って、それをネタに相棒話をもう一度ふっかける。これっきゃない!
「というわけでアレスくん! お話しがあるよ!」
「何でしょうか?」
うっ、恐い。虹の閃光を放ち続けながら、彼はボクに微笑みかける。その状態で笑顔って何か裏がありそうで思いっきり恐いんだけど。
それはともかく、ボクは、きっ、とアレスくんを睨んだ。そもそも彼だって悪いのだ。あんなに仲良くしていたっていうのに。ボクの希望を誰よりも近くにいて知っていたはずなのに。『水晶機関』にいるからって問答無用で連れ戻そうとするなんて。
「そろそろボク達を見逃さないと痛い目を見ることになるかもしれないよ!」
「とっくに受けていますよ? それにマテリアさんが一緒でなければ私も帰られませんし」
そうやって話しながらボクは〝フェアリーアイ〟を使用する。
〝フェアリーアイ〟は制御することによってボクの望む映像を視せてくれる。例えば、それは未来の可能性。ボクがそう望めば、アレスくんに連れて帰られる未来が視えるだろう。だが、今のボクはそれを望まない。だから、ボクが求めるのは彼から逃れる未来の映像。
それは可能性の数だけある。だからボクはその中から一番簡単で、手早いものを選んだ。
「……あれ?」
その未来を視た瞬間、ボクは笑ってしまった。だって、あんまりにも単純だったから。これなら別に〝フェアリーアイ〟を使うまでもなかったかな。いや、でもまあ、確実にするためにはきっと必要だったのだろう。
「? どうかしましたか?」
突然くすっと笑ったボクに、アレスくんが小首を傾げる。いけない、いけない。彼はボクの力を知っているからね。妙な仕草を見せたら疑われてしまう。それは避けたい。
何も未来を視るだけが〝フェアリーアイ〟の能力じゃない。その真髄はここからなのだ。
この目に視た、いくつもの未来の可能性。その中でボクが望む未来を、現実へと呼び寄せる。
それが〝フェアリーアイ〟の真の力。『水晶機関』がボクを確保しておこうとする理由。
ボクはアレスくんに軽く首を振って見せた。
「ううん、こっちの話。それより、どうしてそんなにしつこいかなぁ? ボクはね、何も我が儘言ってるわけじゃないよ? 自由が欲しいって言ってるだけじゃないか」
依然エーテル全開状態のアレスくんは、眉根を寄せて困ったような笑顔になった。ふぅ、と息をつく。
「それがいけないんですよ。私達〈エクステンド〉は存在そのものが世界を揺るがします。『水晶機関』で大人しくしているべきなんですよ」
「そんなの『水晶機関』のお偉方が勝手に言っている事じゃないか。ボクには関係ないよ。っていうか、ボクにとっては鬱陶しい束縛以外のなにものでもないね。アレスくんこそ、どうしてあいつらの言うことを全然疑わないの?」
こんな何度交わしたかわからない会話を、今もまた繰り返すのには理由がある。ボクは待っているのだ。〝フェアリーアイ〟で呼び寄せた未来が、ここにやってくるのを。
そのための時間稼ぎだ。そろそろ、近い。もう少し。後、ほんのもう少し。
「疑う余地がないからですよ。エーテルストライカーも我々も未だ解明されていない部分が多く、一説では世界を滅ぼす危険要因でもあるのだと、何度言えばマテリアさんは」
「来たっ!」
「え?」
アレスくんの言葉を遮って叫んだ瞬間だった。
ざっ、と。路地裏の入り口、つまりアレスくんの背後にいくつもの人影が突如として現れた。
「?」
アレスくんは肩越しに振り返り、その姿を確認する。そこにいたのは近代的な鎧や武器などの装備に身を包んだ、屈強な男の人達だ。彼らはそれぞれ微妙に違う装備を身につけ、手にした武器も千差万別だが、共通点はある。胸に燦然と輝く、『零』という文字を意匠化させた紋章だ。アレスくんがその名を呟く。
「……刻零騎士団?」
ビンゴ。見事ボクは望む未来を引き当てた。ボクは事態を加速させるための呪文を紡ぐ。
「どうするの、アレスくん? あの人達もボクら〈エクステンド〉を捕まえに来たんだよ。『水晶機関』としては戦うしかないよね? ボクを逃がすために」
「……! まさか、あなたが……!?」
ようやく気付いたみたいだけど、もう遅いよ。〈エクステンド〉を狙っているのは何も『水晶機関』だけじゃない。世界各国の秘匿機関がボク達〈エクステンド〉を獲得しようと動いている。こうなったらアレスくんは『水晶機関』としてボクを刻零騎士団に渡すわけにはいかないし、〈エクステンド〉として捕まるわけにもいかなくなる。
つまり、ボクらを放って刻零騎士団と戦わなくっちゃいけない、ってことだ。
「おい小娘、何がどうなってるんだ? お前何をした?」
状況の流れがよくわからないのだろう。背後のゼテオさんがそう聞いてくる。だけど説明するのは面倒くさい、っていうか長くなるから無理。この場は適当に誤魔化して、後で詳しく説明することにしよう。
「えーとね、なんて言えばいいのやら」
とか言っている内に刻零騎士団のお偉いさんと思しき人が、
「〈エクステンド〉を発見! これより確保に移る!」
などと部下に指示を飛ばし始めた。まぁ正確に言えば彼らがここを嗅ぎ付けたのは、多分アレスくんのせいだろう。今なお派手にエーテルの飛沫を撒き散らしている彼は、どうあったって目立つ。〈エクステンド〉がここにいるぞーって大声で宣伝しているようなものだ。
「しかたありませんね」
と、アレスくん。本人にもそれなりに自覚があったのだろう。仕方なさそうに刻零騎士団の方々へ向き直る。
「ここは譲ります。ですが、ここだけです。後、そこの方。お名前をお聞かせ下さい」
そこの方、と言われたゼテオさんは即答しなかった。ほんの数秒、無言を通す。痺れを切らしたアレスくんが、
「あなたですよ。マテリアさんを手込めにした」
わぁ、本気で信じてる。ゼテオさんを見るとこめかみの辺りが、ぴくん、と脈打っていた。あー、これは間違いなく後で怒られるなぁ。でも仕方ないじゃん。ああでも言わなきゃ絶対連れ戻されていたし。
怒気を孕んだ恐い声が、
「マイケル・ジョンソン」
と名乗った。って、誰それ?
ゼテオさんの偽名を聞いたアレスくんは可笑しそうに、くすっ、と笑うと、
「わかりました。再会を楽しみにしていますよ、ゼテオさん」
ちっ、とゼテオさんが悔しそうに舌打ちした。アレスくんはきっと、さっきボクがゼテオさんの名前を呼んだことを憶えていたのだ。ふーん、ああ見えて結構意地悪なんだなぁ。
と、アレスくんの姿が掻き消えた。と思った次の瞬間には、轟音。
いきなり、刻零騎士団の人達が枯れ葉のように宙を舞うのをボクは見た。……うっわー、相変わらず本気になったらすごいなぁ。
弾ける怒号。刻零騎士団の人達はそれぞれが雄叫びを上げて武器を振り上げる。だけど、目にも止まらぬ速度で動くアレスくんを捉えられるはずがない。真新しい頑丈そうな鎧を着た人達が、路地裏に切り取られた狭い空を次々に吹っ飛んでいく。
目眩がした。いや、これは修辞表現じゃなくて。ボクは真実、立ちくらみを憶えていた。〝フェアリーアイ〟の副作用だ。今回は意外と早い。
「あ……あれ……?」
ボクはふらふらとよろめき、背後のゼテオさんにぶつかって、そのまま寄りかかった。
「……おい?」
どっと疲労感が、急激にボクの全身を浸食する。あ、まずい。眠たい。っていうか寝る。意識が途切れる。
「ごめ……眠い……あと、よろしく……」
そう言い残すのが精一杯だった。耳の向こうでゼテオさんが何か言っている。多分、怒っているんだろうな。でも聞こえない。っていうかわからない。
本当に、後はゼテオさんに任せるしかない。置いていかれたらどうしよう……なんて考えながら、ボクの意識は暗闇に沈んでいった。