先生は、絵で放浪の旅をされた後は政治家の相談役として、これまた全国を転々としておられましたが、絵自体はずっとお描きになっていました。益城にお住まいになってからもそれはお変わりなく、近所の子供達から、東京から訪ねてきた政治家、果てはアメリカの軍人さんにまで…喜んで絵を描いて渡しておりました。
それで、ある時…あれは三十年ほど前だったと思いますが、熊本の市内のほうに大変に優しくて頭が良いと評判の女医さんがおりまして…、彼女は新婚さんで、その時は妊娠していらっしゃったのですが…先生の庵までいらっしゃいまして、門前にいた私に、
「予てから先生のお噂の数々を聞いております。私は市内の方で医者をやっている倉下と言う者ですが、この度結婚して子宝にも恵まれ、心から幸せが溢れるような気持ちで御座います。産休のこともありまして、まとまった時間が作れましたので、かくはと思い、先生に私の絵を描いていただけたら…と思って、本日足を運ばせてもらった次第です。もしよろしければ、先生にお取次ぎ頂けないでしょうか?」
と、言いました。このような礼儀正しい方なら取り次いでも問題無いであろうと、話を通すと、先生は少し考え込むような顔つきで、
「今日は朝から気分が優れない。大変に申し訳ないのじゃが、また後日にして欲しいと伝えてくれんかの」
と、おっしゃった。先生がそう言われてはそう伝えるしかありません。彼女に、
「本日先生は体調を崩しておられまして…大変申しわけありませんが、また後日にお願いできないでしょうか?」
と言いますと、彼女は、
「わかりました。わざわざありがとう御座います。くれぐれもお体は大切になさって下さい」
と言って、ペコリとお辞儀をして帰って行きました。その数日後に、
「先日は大変失礼致しました。先生の具合はいかがでしょうか?」
と言って、彼女はまたやってきました。同じように先生に取り次ぐと…先生はまたも難しい顔をして、
「今日も気分が優れない。すまないが、また後日にして欲しいのう」
とおっしゃる。こんな対応は先生にしては珍しい。それに体調が優れていないようにも見えない。しかし、逆らうわけにも問い質すわけにもいきませんので、彼女には先日と同じように対応しますと、これもまた同じように、非常に丁寧にお礼を言って帰っていく。…もちろんまた数日後に彼女はやってきまして、
「何度も申し訳ありません。今日は先生の具合はいかがでしょうか?」
と言います。先生に取り次ぐと、いやに神妙な顔つきで,
「ふむ…やっと準備ができよったわい。いつも通りこれへ通してくれい」
と言って、客室の一つを指差しました。
その部屋は和室で、たまにしか使われません。畳敷きに襖と障子、天井は宮崎産の杉板で組まれ、欄間も…物事を見栄えさせることを好まない先生にしては、豪勢に装飾があしらわれており、床の間と広縁もあるという、家屋敷内で最も豪華なつくりの部屋でした。
私が彼女を部屋に通すと、部屋には香が焚いてあり…普段と違う匂いが充満していまして…さすがに私ごときでも、先生の雰囲気が異質であることに気づきました。目が見えない先生にとって、嗅覚というのは大切な感覚の一つなのです。香を焚けば、その場は清浄な雰囲気になるのですが、先生の嗅覚が潰されてしまう可能性もありますので…通常先生の自宅で香が焚かれるということは少なかったのです。
先生は絵をお描きになる時は。いつもその方と一時間から長い方であれば五、六時間ほどお話をされます。初対面の方であったらなおさらです。目が見えない先生は、そのお話の中で相手の姿を見極めていかれるのです。その話の中でで相手の真実の姿を心で見極めてゆくのですね。それが終わると、いよいよ絵を描くのを始められるのですが…その日はとても長くお話されていまして…一向に話が終わらない。すると、その女性が帰り支度をして出てくるので(??)と思い、話を聞くと、
「随分長くお話をさせて頂きました。絵を描いて下さらなかったのは残念ですが、私の人生でこれほど貴重だったと思える時間は他にありません。本日先生に教えて頂いた様々な考え方を自分の糧として、これからも頑張って生きていこうと思いました。お弟子さんの方々も、先生に負けないような偉人になってくださいね!」
と、ニッコリ笑って言います。彼女はすこぶる満足気なのですが…先生は何故絵をお描きにならなかったのだろう??と思っていますと、先生が和室から出てきて、
「大久保君、彼女は妊婦さんではないか。家まで車で送って差し上げなさい」
と言う。私は疑問をいったん横に置いて、彼女を車に乗せて、家まで送ることになりました。
先生のご自宅から、熊本市内の彼女の自宅までは一時間ほどでして、車内で彼女と話しておりますと、先生は私どもにも話されないような難しい話を彼女にされたそうで…彼女は、
「中でも人物像の見分け方などは、大変ためになりました。先生はその方の趣味と恐れるものを聞いて、その方が何をもって心が安らぐのか、何をもって心を乱すのかを大きく参考にして…心が安らぐものと協調性のある言葉を特に選んで口にするのだそうです。私も職業柄、たくさんの病を抱えた方に出会いますので、彼らと話をする際には心したいと思います」
「先生は目前の人が嘘をつくと、その方からまるで鈴が鳴るかのようにわかるそうです。よくドラマかなんかで使われる嘘発見器ってあるじゃないですか?ひょっとすると、先生はお話される方の心音まで聞こえていらっしゃるのかもしれませんねぇ??」
「先生が言うには…お魚が住みつくには水がある程度は泥などで汚れていた方がよく、あまりにキレイな水だと魚はそこに居着かないそうです。人も同じらしく、あまりに厳しく潔癖であると…居辛いですものね。ある程度は人間臭いような環境の方がいいのですね」
「人が金銭や地位や名声を求めるのは、まるでお猿さんが池に移った月を見て、宝玉だと思って掴もうとするようなものらしいです。そんなことをしたら、お猿さんは池に溺れて苦しいばかり。私も医師としてのキャリアを考えないことはありません。しかし、それが自分に相応する立場かどうかを考えること…今後はよくよく心したいと思います」
「人の心というのは、日々のお天気のように変わるものだそうです。たとえある時は失礼な人間だと思ったことがあったとしても、また次に会えば違う心持ちでいらっしゃることもあるそうです。第一印象や思い込みでその人のことを決め付けてはいけないのですね…」
…などど、感動のせいか、かなり興奮されてひっきりなしにお話されていました。彼女はご自宅へ着くと、
「今日は本当にありがとう御座いました!くれぐれも先生によろしくお伝え下さい!!」
と言って、笑顔で深々とお辞儀をして、家の前で私を見送って下さいました。先生の家へ戻って、先生に、
「先ほどの女性を無事にご自宅までお送り致しました。ところで、何故にあの方の人物像を描いて差し上げなかったのです?」
とたずねると、先生は画材を庭へ放り、門弟に火で焼くように申し付けました。そして、
「私はもう絵は描かぬ」
とおっしゃる。