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かつて「おニャン子」という高校野球チームを優勝に導いた監督が、秋葉原でイチから野球部を作り甲子園を目指した物語

BLOGOS 編集部 10月26日(水)11時59分配信

10月20日から22日まで、デジタルコンテンツ分野の国際的イベント「DIGITAL CONTENT EXPO 2011」が都内で開催された。21日には作詞家、放送作家、テレビ・音楽プロデューサーなど数多くの顔を持つクリエーター、秋元康氏が講演し、自身の手がけるアイドルユニット「AKB48」誕生にまつわるエピソードなどを語った。以下、秋元氏の発言をまとめた。


「会いに行けるアイドル」を思いついた背景

秋元氏:ヒットした後に語られる「あのときはああいうふうに考えていた」という話はだいたい後付けです。AKB48は2005年12月にスタートしました。そのときのことを振り返ると、私はそれまでラジオやテレビの仕事をしてきましたが、実際どれくらいの人に見られたり、聴かれたりしているかがわからなかったんです。

人気が出てきたロックバンドがだんだんと大きなコンサート会場に移っていくと、目に見えてお客さんが増えていきます。そういうことが大事だと感じていました。だから初めは劇団を作りたかったんです。徐々に大きくし、毎日公演し、毎日見てもらえたらコンテンツとして成長するのではと考えていました。

当初は青山や原宿で劇場の候補地を探していましたが、当時は秋葉原がたまたま人気の地域で、ドン・キホーテの8階が空いているのを見つけました。そこで毎日やるには同じ内容の演劇では難しい、歌とダンスのレビューにしようと考えた。イメージはクレイジーホースやムーランルージュのようなものです。そして、どうせならアイドルの方が面白いと思い、だんだん今のAKB48に近づいていった。最初から狙ったものではないんです。

候補生やメンバーのオーディションでもアイドルを集めました。私は毎日公演をやりたかったんです。いままでのアイドルは毎日、テレビ局に通ったり、地方をまわっていた。そんなことしなくても定時になればここにいますよ、というのは面白いんじゃないかと。それが「会いに行けるアイドル」という形になった。

おニャン子クラブやその他のアイドルとの差別化

秋元氏:おニャン子はテレビが産んだアイドルです。テレビの力を活かしていました。テレビは最大公約数。おニャン子はお年寄りから子どもまで、人気が出るのが速かった。一気にマスを掴んだんです。

おニャン子が当たるだろうなと思ったのは、自宅で「夕やけニャンニャン」という番組を見ていた時。司会のおニャン子の1人が、「新田恵利は今日中間テストでお休みです」と言ったんです。これはナメてるだろと思いましたが、実は視聴者も中間テストでした。だからブラウン管の中の彼女を身近に感じた。それがおニャン子クラブ。

おニャン子のファンにつんくがいました。おニャン子は音楽として優れてはいませんでしたが、つんくはミュージシャンなので、音楽的に先進的です。モーニング娘。は衝撃的でした。こんなにかっこいいアイドルはそれまでにいませんでした。おニャン子と似ていますが、中身は全然違います。

おニャン子は特訓しません、レッスンもしません。モーニング娘。は特訓し、レッスンして、才能を発揮しました。一方でAKB48は過程を見るドキュメンタリーです。どのように成長するかを楽しみます。

AKB48が2005年12月に劇場でスタートしたときのイメージは、かつておニャン子という高校野球チームを優勝に導いた監督が、秋葉原で新しく野球部を作り甲子園を目指そうという感じです。でも集まった子たちはバットもボールも持ったことがありませんでした。はじめは秋葉原の住人、地元商店街みたいな方たちが優しく、差し入れのように、金網越しで応援してくれていました。

そういうチームが地区の大会に勝ったり、甲子園に行って、優勝するまでの過程がAKB48なんです。いまどれくらいまで来ているかと聞かれますが、私は甲子園で優勝したくらいだと思っています。そしてプロのチームのスカウトが「あの子をスカウトしたい」と思っているところ。AKB48を卒業して、プロ野球でどこまで成長できるかという段階にいるんです。チームを作るにあたって揃えたメンバー

秋元氏:経験がある子は外しました。あるいは芸能界とはこういうもの、アイドルとはこういうものというイメージを持っている子は不合格だったと思います。集まったのは何もわからない、海のものとも山のものともわからない感じの22〜23人でした。スタッフも同じです。そういうステージを組んだことのない人たちでした。そういう人たちが集まってやったので、「舞監」(舞台監督)という言葉や「バミる」という言葉もわかっていませんでした。

有名なグラビアアイドルが週末にイベントを開いても50人くらいしか集まらない時代。「秋元さんでも毎日250人は埋められないのでは?」と言われていました。AKB48の初日公演のお客さんはわずか7人でした。でも何か面白いことが起き始めていると自分に言い聞かせました。この7人から始めることを、自ら望んだのですから。そして2カ月後に劇場が満員になりました。

なぜ満員にできたからというと、ネット社会だったからです。ネットがなかったらもっと時間かかっていたでしょう。公演を観た人がブログや掲示板などネットで発信してくださった。それが大きかったです。AKB48はネットとリアルを行ったり来たりしているところが面白いんです。

AKB48にあるサバイバルの仕組み

秋元氏:いまは運動会の徒競走でも順位をつけないですよね。僕も無理な競争や格差は本人が望まないならばあってはいけないと思っています。でもAKB48の彼女らは、芸能界を目指すと宣言したんです。もちろん思春期の女の子のなのでいろいろありますが、AKB48は競争よりももっと上を見ています。AKB48での順位よりもプロ全体での順位を見て、考えています。総選挙をやった結果、もしギスギスしたらやめようと思っていましたが、反応はポジティブだったので続けています。

総選挙やじゃんけんは基本的にはお祭りです。いまはネットがあることで、ファンの声を聞き取りやすくなっています。昔は公演をしている劇場の脇で、その日のお客さんにどんなところが良かったか聞いていました。そして「あいつをエースピッチャーにしろ」みたいな感じでアドバイスをもらっていました。それがネットに移ったんです。

AKB48は当初、二十数人だったのでCDジャケットにみんな出られました。でも人数が増えてくると全員は出れなくなり、音楽番組に出るメンバーも選ぶ必要がでてきた。そこで選抜組が生まれました。人数が多く、「顔がわからない」と言われたので、わかる配列にしたんです。それが前田敦子のセンターでした。

そうするとお客さんが「秋元さんの目は節穴か」と。「あの子を入れろ」とか「あの子を外せ」とかいろいろ言われるんです。じゃあ年に1回ファン投票をやればいいじゃないかとなった。でもメディアに露出しているメンバーが有利になります。私は、総選挙は不公平なものだと最初から言っていました。テレビに出ている子が当然有利ですから。

そして次に、「わかりました。じゃあじゃんけんしましょう。みんなにチャンスがあるから」となったわけです。AKB48の何が面白いかというとオーディエンスとの対話なんです。実際に対話をしていなくても、まるでやり取りをしているかのようにコンテンツを作るところが、いまの時代にあっている。昔はテレビの力が強かったため、例えばとんねるずとこういうことをやればウケるだろうと考えていましたが、いまはみんなが何を言っているか聞いています。

ネット社会のおかげで受け手が変わってきた。ファン同士が横でつながり、お互いに情報の送り手、受け手になったりする。「今度のCDはすごくいい」あるいは「買う価値なし」という情報がすぐに飛び交う。それがネット社会の良いところなんです。

最終更新:10月26日(水)17時21分

BLOGOS 編集部

 

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