9.1 デモ報告@大阪キタ


日曜日の昼下がり
晴れた公園
はしゃぎまわる子ども
ぼんやりと煙草を吸いながら
ベンチで眺めているあなた

目をつむり想像してみて下さい
その小さな身体が
棺に横たわる場面
その唇は もう唄を刻まない

新幹線で五時間の場所で
目の前で起ころうとしていること

可哀想で済ませましょうか
黙り続けていましょうか



こんな痛烈な問いかけを 出来ることなら したくない。
こんな悪夢を現実にしたくない。
でも起こってしまってからでは遅いのです。
何よりも大切な命の問題なのだから...






放射線は生き物の細胞を、遺伝子を、少しずつ壊します。
だから、これから成長していく子どもたちに、より大きな影響をもたらします。
原発の本当の本当に怖いこと。
それは私たちから子どもたちを、未来そのものを奪っていくことです。

原発をやめよう。そう考えはじめる人も増えてきました。しかし、
私たちはまだ、本当の本当に怖いことを直視していないのではないか。
だから、未だに原発を捨て去る決心ができないのではないか。
だったら、未来のためにこそ、きちんと現実に向き合わないといけない。
そんな問題意識からこの企画はスタートしました。

こうした表現については、福島の方を傷つけることになるのではないか?
このような厳しい表現は残酷すぎるのではないか?
様々な議論がありました。
しかし、現実に進行してしまっている汚染の実態を放置すれば、
近い将来にこのような悲劇が起こることは残念ながら避けられないでしょう。

見たくない現実を 『葬列予報』という形で表すことにより
この厳しい現実と向き合い  子ども達が被曝の危険性にさらされていることに
みなさんの関心が集まり  一人でも多くの子どもの命を守れたらと願います。

 


命を弔う職業である お坊さんや キリスト教の方も交えながら
ごく少人数の共感してくれた基本的に無宗教の人たちで
大阪キタの街を夕刻から一時間弱歩きました。
モノトーンの衣服に包まれ 無言で歩く私たちと
鳴り響く鐘と銅羅 そして何よりもお経の調べが
会社帰りの多くの人々の足を止めました。
参加者よりもはるかに多い警察の方達のお陰で
余計に注目を浴びていたかもしれません。
今まで参加したことのあるデモとは全く違う 負の表現なため
嫌悪感を抱く方も居たかもしれません。
しかし 本当に抱くべき嫌悪の矛先は何所なのか
本当に抱くべき希望は何なのか
色々と見つめ直すきっかけになれればと願います。

「お葬式の予行演習なんてものは 絶対にしてはならないこと。
 しかし 今日はこの小さな棺に 心からお経を唱えます。
 決して二つ目の棺を運ぶことにならぬよう。。。」
涙ながらにお話をして下さったお坊さんが 私に貸して下さった銅羅の重みは
帰ってきた今も腕と心に感じます。

自分に子どもが居るとか居ないとか
そこで思考や行動をとらわれることは
日本の現代社会の負の遺産かもしれません。
かつて私が子どもだった頃
私は私の両親だけに育てられたのではないと思っている。
両親や 先生や 名前も知らない近所のおばちゃん
TVに出ている人もそうかもしれない。 全ての大人から育てられました。
子どもは社会に育てられるんだと思います。
じゃぁ今の私が 子ども達に自分の背中を見せられるのか。
私はそこに自信がないからこそ 行動しようと思うし
それが誰か一人にでも響いてくれたらと願います。

参加してくれたり協力してくれた人たち どうもありがとうございました。
またリンクできたら嬉しいです。

at 01:16, fate, 雑記

comments(2), trackbacks(0), ログピに投稿する