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連載 御法主日顕上人猊下 御講義 「戒壇」 【完】

 投稿者:黒川和雄  投稿日:2011年10月25日(火)19時42分25秒 p7141-ipbfp4501osakakita.osaka.ocn.ne.jp
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  > No.67661[元記事へ]

 そしてまた「須弥壇の基底部に桐の箱を納めた」というようなことも言っているのだけれども、このうちの日達上人の記念品は現在、きちんとお山で保管してあります。池田大作のモーニングなどはどうか知らないけれども、日達上人のお衣や願文等は、きちんと保管してあります。

 それで、昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。

 あのなかでは、王法や勅宣・御教書に対する解釈を述べるなかで、「建築許可証」というようにも書いてしまってある。これは当時の在り方において、学会からの具申的な勧誘もあり、私がそのように書いてしまったのです。けれども、今考えてみると、やはり今は、勅宣・御教書は、その現代的な拝し方としても、そういう軽々しいものとして考えるべきではなく、もっと深い背景的意義を拝すべきと思うのです。

 それから『一期弘法抄』の「国主」ということの考え方、これもそうです。今は国民主権だから、国主というのは今ではたしかに民衆なのです。けれども、政治の在り方等というものは、いつどこでどう変わるか、未来のことは判りません。日達上人も「未来のことは判らない」ということをおっしゃっておりました。

 とすれば、我々は本当に全人類を救済するという大目標の上において、御本仏大聖人様が最後に御遺誡また御命題として我々にお残しくださった『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々にああだこうだと言うべきではないと思います。もちろん今、ある時点を予測して考えれば、こうともああとも色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。だから、そんなことに関して今、どうのこうのと具体的な形で言う必要はないのです。一番最初に言ったように、戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確性が顕れません。よって『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。

 そこでまた、なぜ正本堂を壊したのだということですけれども、やはり創価学会のあのような謗法の姿が平成二年・三年から出てきて、しかも正本堂の発願主である池田大作は、平成四年に既に信徒除名されているのです。たしかに日達上人も御苦労あそばされ、正本堂のことに関しては大聖人様への御奉公のお心をもって真剣にあそばされたけれども、今日の状況から見るならば、結局、総本山に正本堂が存在することは広宣流布への大きな妨げとなるということに、一言もって尽きると思います。したがって、このような謗法の姿があるのであり、まして正本堂が『三大秘法抄』『一期弘法抄』の意義を含むと言っても、それは大勢の信徒が本当に御戒壇様を拝する姿があって初めて、そう言えるのであります。しかし現在、その姿は全然なくなっているではないか。最近では、戒壇の大御本尊様にすら疑いや文句を付けているようなことも聞いています。そういうような莫迦どもが今日、大勢充満しているような姿があり、しかも「我々が造ったのだ」と言って威張り返っているような意味においては、正本堂はやはり未来の真の正法広布の妨げになると思っておるのであります。そこで大客殿に続いて正本堂を解体し、奉安堂を造らせていただいた次第であります。

 この奉安堂については、池田大作が正本堂に関して『三大秘法抄』だ『一期弘法抄』だと言って強いてめちゃくちゃに意義づけしたようなことは、私は何も言っていないし、宗門でももちろん言っていません。奉安堂は、ただ戒壇の大御本尊様の安置の殿堂であります。しかし、今日においてはあれ位の大きさがないと、実際問題として困るのです。今年も例年同様、信徒の夏期講習会が十回にわたって行われましたが、だいたい四千から五千人、多い時だと五千数百人の方が、その日一日で来ておるわけです。そういう面からも、かなり大きい建物でないと、今の法華講の方々の信仰心による参詣行事等の対応の必要性においては不適当な意味もあります。したがって、敢えてそういう大きさの奉安堂をお造りさせていただいたわけであります。

 さて、この奉安堂においても、日達上人の時と同じように御戒壇説法があります。これはもちろん二大法要の時にだけ行う例になっておりますから、今日も行わなかったし、普段は行いません。しかし、昔はそうではなかったのです。このことを知る人も、ここにはないだろうけれども、昔、まだ私が小僧から所化のころ、御宝蔵で御開扉をお受けしました。だいたい日開上人から日恭上人のころで戦前の話だが、そのころはしょっちゅう御戒壇説法があったのです。

  例えば、ある日は十人なら十人、十五人なら十五人の登山者があると、そのなかに新登
山者がいる場合には、それを内事部で聞いておいて、きちんと御法主に報告するのです。すると、新登山者が一人でも二人でもある時には必ず、御法主が御戒壇説法をされたわけです。だから今も、私もしようかなと思ったりもしているのだけれども、ずっとしないで来てしまっているから、今のところまだしておりません。もっとも、今は大勢だから「あなたは初登山ですか」と一々聞くのも大変だから難しい意味もあります。とにかく、昔はそういうように御戒壇説法をしたのです。

 その時の御戒壇説法は、私もだいたい伺っておったのですが、そのなかには「この所すなわちこれ本門事の戒壇」という御文はありませんでした。ところが、先程話したように私と観妙院日慈上人が宗務院の役員として日達上人に伺った時には、日達上人が御先師の説法本をお示しになり、そこには「この所すなわちこれ本門事の戒壇」というお言葉があったのです。

 それから、もう亡くなったけれども、日開上人の弟子で私の法類に奥法道という人がいまして、この人が非常に書き物が好きな人で、ありとあらゆるものを書き写していました。その奥法道師の写本のなかに、日開上人の御戒壇説法というものがあったのです。今でもどこかに残っていると思いますが、そのなかには、ちゃんとその文があるのであります。

 ところが、またおもしろいことに、日開上人が当職の当時は、御戒壇説法を扇子にずっと書かれていたのです。たしか金銀の扇子だったが、それを開くとずっと墨で書かれてあって、それを読まれていました。しかし、これは割に簡単な御説法で、それには先程の御文はなかったのです。小僧のころだったが、私も聞いていて、「本門事の戒壇」ということはたしかにありませんでした。また御先師の日応上人の御戒壇説法にもないのです。だから、いつ、どこで、どなたが、どう始められたかは判らないが、六十世日開上人の写本としてはあったのです。

 もう一つは、日達上人が我々にお示しくださった御先師の御説法本のなかに、それがあるということです。よって、先程の意味から言っても、また日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても、本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおりだと思います。

 ただ、私が今考えていることは、今日こういう話をすることは一つのけじめだということを言ったけれども、やはり今日は創価学会の、一時、八百万とも称したような人数が御戒壇様に御参詣するような状態ではない。しかし三十万の総登山があったように、これからさらに未来に向かって、日達上人が仰せの「因の広宣流布」に向かっての行業を進めるわけであります。要は、日寛上人が『法華取要抄文段』で、

 「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」
(日寛上人御書文段五四三㌻)

とおっしゃっておりますが、この「根源」というところに当然、深い意味があるのであり、つまり本門戒壇の大御本尊まします所が根源なりとおっしゃっているわけです。だから、御戒壇説法の「この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」ということについては、「この所すなわちこれ本門根源事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」というように、「本門」と「事の戒壇」との間に「根源」という文字をお入れするこが、現時においては適切ではなかろうかと、私は思うのです。

 もちろん、これは御戒壇説法の時のことであって、普段からそういうような意味の定義だということではないのだけれども、しかし考えてみると、「本門根源事の戒壇、真の霊山、事の寂光土」ということだから、意味としては、事の戒壇であることを否定しているわけでは絶対にないのです。ただ「根源」の二字が「本門」と「事の戒壇」の間に入れることにおいて、日寛上人が「本門戒壇の大御本尊の所は根源である」と仰せになった意味を、そのままお受けするということです。このことは一年に二回だけのことではありますが、そういう意味で考えております。

 ではそれならば、未来における広布の上からの『三大秘法抄』『一期弘法抄』の事の戒壇の目標と、その戒壇の建物というのはいったい、どういうものかと言うと、これは今、論ずるべきことではありません。それこそ本当に不毛の論であります。しかし考えてみれば、今もイスラム教の聖跡を巡拝する信徒達の数たるや、すごいものがありますが、将来、一日に二万、三万、五万以上の大勢の人が総本山に参拝するような形があると、大聖人様の御仏意の上から一往考えるならば、奉安堂などは小さいものだと思うのです。だから、そ
の時になればまた、建築技術も盛んになっているでしょうし、いくらでも大きい物を造ればよいのです。

 要するに、御遺命の戒壇は『一期弘法抄』の「本門寺の戒壇」ということであります。だから未来の戒壇については「御遺命の戒壇である」ということでよいと思うのです。そして、その御遺命の戒壇とは、すなわち本門寺の戒壇である。さらに本門寺の戒壇ということについて、浅井達は「国立戒壇」と言っているけれども、御遺命という上からの一つの考え方として「国主立戒壇」という呼称は、意義を論ずるときに、ある程度言ってもよいのではなかろうかと思うのです。なぜならば、大聖人様の『一期弘法抄』に、

  「国主此の法を立てらるれば」(御書一六七五㌻)

とありますが、国主が立てるというお言葉は、そのものまさに「国主立」でしょう。国主立とは、『一期弘法抄』の御文のそのものずばりなのであります。

 また同時に、その内容を考えてみたとき、今は主権在民だから国主は国民としたならば、こういう主旨のことは日達上人も仰せになっているし、学会も国立戒壇に対する意味において色々と言ってはいたわけです。だから国主が国民であるならば、国民が総意において戒壇を建立するということになり、国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われることもありうるでしょう。ところが、国立戒壇ということにこだわるから、あくまで国が造るということになり、国が造るとなると直ちに国の法律に抵触するら、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。だから国主立、いわゆる人格的な意味において国民全体の総意で行うということであるならば、憲法はどうであろうと、みんながその気持ちをもって、あらゆる面からの協力によって造ればよいことになります。要は、正法広布の御遺命を拝して、倦まず弛まず広布への精進を尽くすことが肝要であります。

 しかし、私は「国主立ということを言いなさい」と言っているわけではありません。ただ私は、国主立という言い方もできるのではなかろうかという意味で言っているだけで、正規に大聖人が我々に示され、命令された御戒壇は何かと言えば御遺命の戒壇、いわゆる本門寺の戒壇であります。そして、これは本門寺が出来た時に行うということです。ですから、正しい御遺命の意義における本門寺は、まだ当分は出来ないだろうけれども、これからの我々の信心修行、折伏の成果において具体的に現れてくるということを考えていき
たいと思うのであります


 以上をもって本日の話を終わりとします。

http://blog.livedoor.jp/sokadakkai/archives/52931404.html

 
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