米アップルの共同創業者、故スティーブ・ジョブズ氏(5日死去、享年56)が死期を予感し、ごく親しい友人を招いて“お別れ会”を繰り返したすし屋が米カリフォルニア州シリコンバレーのスタンフォード大近くにある。2人のすし職人、金子典民さん(46)と高橋一郎さん(39)が共同経営する「陣匠(じんしょう)だ。高橋さんが取材に応じ「決して泣き言を言わない人だった」と病と闘う姿を語った。すし職人が見たジョブズ氏とは。【パロアルト(米カリフォルニア州)で堀山明子】
「この巻物のトロ、何時にたたいた?」
08年夏のランチタイム。1人でふらりと来てカウンターに座った男性客は、やたらと質問が多かった。「このサバはどこから来たの?」「冷蔵庫の魚は、カウンターのと同じもの?」。注文のたびに細かく確認し、新鮮な魚と分かると、うれしそうに味わっていた。それがジョブズ氏だった。
04年の膵臓(すいぞう)がん発覚後、手術が成功し、体調が回復していたころだ。握り以外にもエビの天ぷら、ざるそばを注文し、オレンジムースで仕上げるのがパターン。酒はほとんど飲まなかったが、昨年夏にゴア元副大統領と2人でカウンターに座った時は、梅酒で顔を赤らめていた。
サービスにも厳しかった。従業員がお茶をつぎ足した直後、「ねえ、サービスって何だと思う?」とカウンターの高橋さんに突然聞いてきた。「客が店に行くのは、おいしいか、サービスがいいかどちらかだ。ここはおいしいから来ている」。すぐに高橋さんは、温かいお茶と差し替えるべきだったと気づいた。
食欲がガクンと落ちたのは、3度目の休職をした今年1月の前後から。握りを少しつまんだだけで鍋焼きうどんを頼むようになった。相棒の金子さんが一緒に写真を撮りたいと頼むと、ジョブズ氏は考え込んで「もう少し太ってからでもいい?」とやんわり断った。
ジョブズ氏は6月上旬、ネットの新サービス「iCloud」の発表会や新社屋についての地元市議会説明会でプレゼンテーションをした後、公の舞台から姿を消す。店の予約が増えたのは、そのころからだ。今月7日の米紙ニューヨーク・タイムズは、陣匠に旧知の医師らを招き「親しい仲間に別れを告げた」と報じた。
「6月下旬から7月初めまで、多い時は週3回来ていました。3~4人ぐらいの少人数で。弱音を吐かない人なので、それがお別れ会とは思わなかった」。高橋さんは、真っ青な顔色でも、注文して手をつけなかったオレンジムースを持ち帰ったジョブズ氏の姿を思い出す。
友人との会食が一段落した7月中旬、今度は妻ローレンさんと2人で昼時に訪れた。ウミマス、タイ、サバ、穴子。好物を8貫頼んだものの、時折苦しそうに頭を抱え込んだ。半分食べ残したまま、鍋焼きうどんを注文。しかし、うどんには手をつけず、じっと見つめるだけだった。
「食べて元気になりたかったんだと思います。あきらめてなかった。痛々しいぐらい必死で生きようとしていた」。高橋さんは、食べられない状態でも注文を続けるジョブズ氏の姿に、わずかな可能性でも挑もうとする気合を感じた。
「おいしかった。またね」。いつもの感じで店を出て行った。それが最後に見たジョブズ氏になった。
2011年10月24日