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きょうのコラム「時鐘」 2011年10月25日
田中内閣で日中国交正常化交渉が進展している時、問題になったのは日本の「侵略戦争」の表現だった。こんな伝説がある
日本側高官が「日本も侵略された」と「元寇(げんこう)の役(えき)」を持ち出したところ、中国側は「あれはモンゴル帝国のこと」と一蹴したという。日本でいう「中国元の時代」は、現在の漢民族主体の中国では別のものとしているようだ その元寇の船の残骸(ざんがい)が、海底から発見された。2度目の弘安の役(1281年)には約4400隻の軍船が押し寄せ、大半が台風で沈んだ。その中の1隻だろうか。700年以上も眠り続けていた残骸は、いま何を語り始めるだろう 空路の小松―福岡便は、博多湾の志賀島をかすめて着陸態勢に入る。国宝の「金印」出土で有名な島だが、元寇の役では主戦場だった。浜は元軍の遺体で埋まり、別の島では、島民が惨殺されたため数百年もの間、無人島になったという 「国名」は別として、大陸・半島と日本列島の間では、古くから様々な戦いがあった。元寇の残骸は一遺物に過ぎないが、繰り返される戦争の歴史に目を背(そむ)けるなといっているようにも思える。 |