青色LED訴訟の「真実」
問われる相当対価「604億円」の根拠
高輝度青色発光ダイオード(LED)や青紫色レーザダイオード(青色LD)などの製造方法をめぐる特許訴訟。沈黙を破った日亜化学工業の主張をきっかけに,本誌は独自に検証を開始した。その結果,原告である中村修二氏の主張とは反する「事実」を得た。東京地裁は中村氏の主張をほぼ全面的に受け入れ,巨額の相当対価の支払いを日亜化学工業に命じている。この判決の根拠となった「404特許」の効力と,中村氏の貢献の度合いについて,日亜化学工業の主張との対立点を改めて検証する。(近岡 裕)
高額対価の算出根拠となった
実施料率と貢献度の高さに疑問符
Part 1―二つの争点
中村修二氏が発明した,窒化ガリウム(GaN)系化合物の製膜装置に関する特許第2628404号(404特許)。この特許に関して東京地方裁判所は極めて高額の相当対価をはじき出した。「基本特許」であり「個人的能力と独創的な発想」に基づく発明という判断からだ。結果,仮のライセンス実施料率は「20%」,発明者の貢献度は「50%」と破格のもの。だが,検証を進めるとこうした判断に対して疑問が生じてくる。
2004年1月30日,東京地方裁判所は産業界がかたずをのんで見守る特許訴訟に判決を下した。「被告(日亜化学工業)は原告(中村修二氏)に対し,200億円を支払え」。
個人が起こした裁判として前代未聞となる高額の支払いを認めたこの判決は,高輝度青色発光ダイオード(LED)や青紫色レーザダイオード(青色LD)の製造方法に関する特許訴訟に対してのもの(図1)。現在University of California Santa Barbara校教授の中村修二氏が,かつて所属していた日亜化学工業を訴えている(図2)。
高輝度青色LEDや青色LDは,窒化物半導体の光素子(光デバイス)。具体的には,窒化ガリウム(GaN)や窒化アルミニウムガリウム(AlGaN),窒化インジウムガリウム(InGaN)といったGaN系化合物を,ごく薄い結晶膜として基板の上に順次積層(成長)させていくことで高輝度青色LEDや青色LDを作製する(図3)。
中村氏はこうしたGaN系化合物を製膜する手法として独自の「ツーフローMOCVD(有機金属を使う化学的気相成長法)」と呼ぶ装置を考案し,1990年10月にこの発明を特許第2628404号(404特許)として出願したのである。発明者は中村氏,出願人は日亜化学工業だった。
それから10年以上経過した2001年8月23日,中村氏は自ら発明したこの404特許に関して「特許権の帰属」と「『相当の対価(相当対価)』として20億円」を求めて日亜化学工業を提訴した。その後,前者については中村氏の敗訴となるが*1,後者については請求額を200億円と10倍に増額して裁判に臨んだ。
これに対して東京地裁は中村氏の請求通りの判決を下す。それだけではない。東京地裁は相当対価の総額を,200億円をはるかに上回る「604億円」と算出したのである。
ライセンス供与したと仮定
通常,相当対価は,対象となる特許を他社にライセンス供与することで得られる「ロイヤルティー収入」に,発明者の「貢献度」を掛けて計算する。だが,日亜化学工業は404特許を他社にライセンス供与していない。そのため,東京地裁は404特許をライセンス供与したと仮定し,その結果同社が得られるであろう「推定のロイヤルティー収入」を増分利益*2として設定した。ロイヤルティー収入は,他社の売上高に実施料率を掛けることで計算する。
ここで,推定の他社の売上高は,404特許を独占する日亜化学工業の売上高と,仮にライセンスを供与された場合にその他社が獲得するであろう推定の市場シェアから割り出した。両者を掛け合わせて計算するのだ。
すると,相当対価の算出式は次のようになる。
「相当対価」=「日亜化学工業の売上高」×「推定の他社の市場シェア」×「推定の実施料率」×「原告の貢献度」このうち,日亜化学工業の売上高に関して,東京地裁は高輝度青色LEDが製品化された1994年度から,404特許が特許としての効力を失う2010年度までを対象とした。つまり,判決時に既に確定していた部分だけでなく,将来にわたる同社の売上高を想定したのである。そして売上高の対象は,高輝度青色LEDや白色LEDなどを含むGaN系LEDと,青色LDを代表とするGaN系LDの両方だ。
2003年度以降の売上高については,(1)GaN系LEDの市場全体の成長率(2)日亜化学工業の市場占有率(市場シェア)(3)日亜化学工業の成長率―の3点を基に試算し,東京地裁は2010年までの同社の推定売上高を合計1兆2086億円と計算した。
実施料率は「20%」
続いて,推定の他社の市場シェアについて,東京地裁は日亜化学工業の競合である豊田合成と米Cree社に対して404特許をライセンス供与したと仮定し,両社を合わせた市場シェアを「50%」と決定した。
判決文にはこの市場シェアについて次のような理由が示されている。「青色LED及びLDの市場は,被告会社のほか豊田合成及びクリー社により占められた寡占的な市場であり,証拠上,これら三社の間に,製品自体の競争力のほかにその売上高を大きく左右する事情(例えば企業規模や販売力の顕著な差等)が存在するとは認められない。上記の諸事情を考慮すれば,仮に被告会社(日亜化学工業)が本件特許(404特許)発明の実施を競業会社である豊田合成及びクリー社に許諾していれば,(中略)売上高(1兆2086億円)のうち少なくとも二分の一に当たる製品は,豊田合成及びクリー社により販売されていたものと認められる」。
一方,推定の実施料率に関しては,東京地裁は「20%」という値を採用した。その理由はこうだ。「被告会社(日亜化学工業)が,競合会社である豊田合成及びクリー社に対して,輝度のまさった高輝度青色LED及びLDを製造し続け,市場における優位性を保っているのは,本件特許(404特許)発明を独占していることによるものであり,さらに(中略)諸事情をも合わせて考慮すると,仮に豊田合成及びクリー社に本件特許(404特許)発明の実施を許諾(ライセンス供与)する場合の実施料率は,少なく見積もっても,販売額(売上高)の二〇%を下回るものではないと認められる」。
原告の貢献度は「50%」
残るは,原告の貢献度だ。ほかにも数多くある特許や,高輝度青色LEDや青色LD,白色LED*3などの研究開発に携わった中村氏以外の貢献者たち,製造部門,営業部門,知的財産部門など会社の他部門の努力がある中で,同氏の発明した404特許がどの程度の貢献を占めるのかが,これによって決まるのである。
東京地裁が出した原告の貢献度は「50%」。判決文は次のように説明する。「本件は,当該分野における先行研究に基づいて高度な技術情報を蓄積し,人的にも物的にも豊富な陣容の研究部門を備えた大企業において,他の技術者の高度な知見ないし実験能力に基づく指導や援助に支えられて発明をしたような事例とは全く異なり,小企業の貧弱な研究環境の下で,従業員発明者が個人的能力と独創的な発想により,競合会社をはじめとする世界中の研究機関に先んじて,産業界待望の世界的発明をなしとげたという,職務発明としては全く希有な事例である。このような本件の特殊事情にかんがみれば,本件特許発明について,発明者である原告の貢献度は,少なくとも五〇%を下回らないというべきである」。
以上から,404特許による相当対価が次のように計算できることになる。 「相当対価」=「1兆2086億円」×「50%」×「20%」×「50%」=「604億円」(図4)。
ところが,かたくなに沈黙を守ってきた日亜化学工業が,この特許訴訟に関して本誌に見解を語った1)。その内容は,それまで中村氏がマスコミや著書,裁判で訴えてきた内容を,具体的かつ明解に否定するものだった。特に「404特許は量産工程では使えない」「中村氏の貢献は限定的」という2点は,東京地裁が算出した相当対価に大きく関係する。
誰も使っていない特許
これらについて本誌が独自に検証すると,次のようなことが分かった。
まず,高輝度青色LEDや青色LDなどの競合他社は,GaN系化合物の製膜方法として別の技術を確立させており,404特許について興味を持ってはいなかったということだ。例えば,日亜化学工業の最大のライバルである豊田合成は,中村氏がツーフローMOCVD装置を開発する以前から製膜方法を確立させていた。Cree社にも404特許の方法を実施している事実は見られない。しかも,1996〜1997年ころからは,MOCVD装置メーカーの努力により,良質なGaN系化合物の結晶膜を作製できるMOCVD装置が販売されるようになっていた。
これを踏まえると,東京地裁が推定した実施料率20%という数字は非常に高いことが分かる*4。それどころか,他社が興味を持たない404特許をライセンス供与し,ロイヤルティー収入を得られるという仮定そのものに無理が生じてくる。
加えて,日亜化学工業の研究者によれば,中村氏の貢献は限定的だという。例えば,高輝度青色LEDを生み出すには,最低でも次の三つの要素技術が必要となる。(1)良質なGaN単結晶(2)p型GaN単結晶(3)InGaN単結晶─だ。このうち中村氏が1人で成し遂げたのは,(1)の良質なGaN単結晶の作製だけ。それも「実験室レベル」であって量産に使える水準ではなかった。同社が高輝度青色LEDを製品化するためには,ほかにも電極の工夫などを要したが,それらにも中村氏は貢献していない。
もちろん,中村氏に対するこうした評価は日亜化学工業の主張だ。同社内部での話であり,完全に客観的な検証はできない。それでも,同社の研究者は「研究記録」に基づいて証言していることに加え,上記の三つの要素技術に関しては同社が達成する以前に,外部の研究者による成功事例があったことは事実だ。いわば,中村氏には「お手本」があったのである。
法廷において中村氏は「青色LEDを独力で発明した」と訴え,東京地裁もそれを支持した。だが,実際には青色LEDの開発には「公知の技術」が存在し,日亜化学工業の研究者によれば,中村氏の貢献は「一部」だった。それに対して貢献度50%という判断には疑問がぬぐえないと言える。