2011/7/5
「フリーメーソンとは何か」
支配者は奴隷が結束しない様に奴隷間に憎しみを起こさせる問題を作る。日本と近隣諸国との問題も同じなのである。(下段のビデオ参照)
三菱の創始者、岩崎弥太郎がチャンスをつかむのは、同郷の坂本龍馬が暗殺されてからで、後藤象二郎が「海援隊」 を自分のものとし、「土佐商会」 と改名し、その主任として岩崎を雇いましたが、後に岩崎が譲り受ける事になります。
騎兵隊天皇
『1867年最後の将軍徳川慶喜は大政奉還(政権を朝廷に奉還)する。それから4年後の1871年12月政府は岩倉具視を正使とする使節団を欧州諸国に派遣した。しかしこれまた奇行珍談ばかり。たまらず伊藤博文は今度は欽定使節(天皇が定める)として渡欧しゴッドという存在を目の当たりにする。
南ドイツの君主的絶対主義的憲法を学び,意気揚々と帰国した。1889年の紀元節である2月11日「大日本帝国憲法」が公布され日本の暗黒の歴史が始まる。』


なかでも、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれました。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからです。
さらにヒューマセソンの上には、世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいました。
ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちは日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となります。
いわば、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていたわけです。(写真・文ともThinkerより)

↑長州こそ、「大日本帝国」の主体であり、その真の創設者である。
従って、敗戦と共にこの「大日本帝国」が崩壊したとき、
蜷川新先生のような徳川幕府陣営の人物は、
「長州」も、そして「長州天皇」も、
当然、退陣するものと考えた。
しかし、徳川家広によれば、敗戦後も長州勢力は、うまく立ち廻って
主導権を握った、と言う。
ここに、現代日本史の核心が存在する。
坂本龍馬関係目次
黒船襲来
メーソンペリー
メーソンだらけの明治維新
大政奉還
長州ボーイズ
メーソン中のメーソンリ・大東社
原文はここから
特に龍馬から受け継いだ海運事業や武器取引は、後に西南戦争、日清戦争、日露戦争で、三菱のドル箱事業となってゆく事になり、坂本龍馬が暗殺されて、最も得をしたのは、同じ土佐藩の岩崎弥太郎であります。 すなわち、坂本龍馬がいなかったら、三菱財閥は存在し得なかったでしょう。
フリーメーソン-57 龍馬暗殺 〜幕末の政情〜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/649.html
フリーメーソン-58 龍馬暗殺 〜真犯人〜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/650.html
この二人の悪事は、坂本龍馬の海援隊だけではなく、後藤象二郎はトーマス・グラバーの高島炭鉱も二束三文で払い下げを受け、自分のものとし 「蓬莱社」 と改名し、これまた後に、岩崎に譲っています。
三菱高島炭鉱PDF版
また、維新政府が全国統一貨幣制度に乗り出した時に、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前にキャッチした弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得ていますが、この情報を流したのも新政府の高官となっていた後藤象二郎であります。 これは明らかなインサイダー取引で、この2人は国を食い物にして私腹を肥やしていたのです。
岩崎弥太郎は、高知県安芸市の地下(ちげ)浪人の長男として生まれましたが、とにかく貧乏で、幼少の頃から奇行や盗み癖が目立ち、泥棒をしては何度も刑務所に入っていました。 確か、司馬遼太郎の 「龍馬がゆく」 にも、この事は書いてあったと記憶しています。
また、岩崎は、25歳の時吉田東洋の門下生となり、土佐藩の命で長崎に派遣されましたが、藩費を浪費・使い込み、翌年解職されています。 もっとも、何度も刑務所にブチ込まれている彼としては、何ら経歴に傷がつくほどの事ではなかったと思われます。
17-18世紀にヨーロッパで興った 「啓蒙思想」 が産み落とした 「理性」 「自由」
「平等」 「博愛」 「自然科学」 の 「フリーメーソン思想」 により、欧米諸国は近代国家として大きな発展を遂げ、
江戸末期に、フリーメーソン思想に染まった欧米諸国に開国させられ、明治維新を成し遂げた日本も近代国家の道を歩むようになりますが、封建制度が廃止され、職業軍人としての特権を奪われた武士階級に代わる、国民皆兵の徴兵制度によって、農民や一般庶民が武器を手に取り、国家総動員での戦争が始まるようになりました。
これこそが、フリーメーソンに寄生した 「イルミナティ」 、戦争男爵ロスチャイルド、など軍需産業の死の商人達の望むところなのであり、日本は明治維新後、日清・日露戦争、そして第一次・第二次世界大戦と戦争に明け暮れるようになり、政府とべったり癒着した軍需産業から、多くの財閥が生まれることになります。
フリーメーソン-63 西南戦争と新興財閥
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/655.html
フリーメーソン-64 大倉財閥
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/656.html
フリーメーソン-65 伊藤博文とアジア侵略
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/657.html
新政府の国民皆徴兵制より、職業軍人としての特権を奪われた士族の反乱が続く中、西郷隆盛は、明治10年(1877年)に私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるも、田原坂の激戦を経て、生まれ育った鹿児島に戻り、城山での最後の決戦に散りました。
こうして、徳川封建制度で長く続いてきた士農工商の身分制度はなくなり、明治維新は事実上、成し遂げられる事になります。 西郷隆盛、享年49歳。
フリーメーソン-60 田原坂 (たばるざか)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/652.html
ある意味で西南戦争も、旧式の武器である刀を持った職業軍人としてのプライドを持つ武士たちが、銃を持った農民・一般庶民で構成された新政府軍に敗れて、散ってゆく姿は象徴的であると思います。
日本を開国させた欧米の次のターゲットは朝鮮、さらに日本を使って中国からロシアを追い出すことでした。 そして、1874年(明治7年)に台湾出兵が行われ、朝鮮開国、日清・日露戦争に突き進んでゆきました。
そして、中国に進出した三菱は、阿片ビジネスに手を染めるようになります。
フリーメーソン-66 台湾出兵
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/658.html
フリーメーソン-67 朝鮮開国
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/659.html
フリーメーソン-68 日清戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/661.html
フリーメーソン-69 日露戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/662.html
フリーメーソン-70 ジェイコブ・シフ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/663.html
フリーメーソン-71 日韓併合
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/664.html
フリーメーソン-72 戦争男爵 ロスチャイルド
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/665.html
フリーメーソン-75 カールマルクス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/668.html
フリーメーソン-76 ロシア革命
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/669.html
フリーメーソン-73 三井・三菱の阿片ビジネス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/666.html
『若い頃から泥棒癖があり刑務所にもブチ込まれた岩崎弥太郎は、
維新政府が、藩札を買上げ、全国統一通貨制度を導入するという、インサイダーを情報を後藤象二郎から貰い、藩札を買占め莫大な財産を築き、
坂本龍馬暗殺では、海援隊を後藤象二郎が手に入れた後、払い下げを受け、それが基礎となり日清・日露戦争で海運事業を独占し、巨万の富を蓄え、坂本龍馬をしゃぶりつくして、三菱財閥の基礎を築きました。
さて、そんな盗人癖があり、金に汚く下品な男を、創始者に持つ三菱が、満州で阿片ビジネスに手を出さない訳がありません。
1840年の阿片戦争以来、中国では阿片患者が急増し、阿片の消費量は700万満貫(5億円)にも上っていました。
当時、日清・日露戦争で台湾、朝鮮、中国侵略の足がかりをつかんだ日本政府の軍部と癒着していたのが、三井・三菱・大倉などの財閥でありましたが、日清戦争後に台湾を領有したことで、日本は阿片中毒者対策で阿片を必要とし、ケシ栽培と阿片輸入は本格化することとなりました。
大阪府三島郡福井村の二反長音蔵(にたんおさおとぞう)は、台湾で必要な阿片の殆どを輸入に頼っている貿易赤字を改善するため、内務省の後藤新平の支持で、ケシ栽培に取り組み、モルヒネ純度の高いケシの品種改良に成功して、大阪府・和歌山県・京都府・岡山県・福岡県の医薬品原料の商品作物として、農村の収益を高めました。
三菱は、阿片ビジネスをはじめる事を決め、ペルシア(イラン)から阿片を輸入し、中国の人に売りつけましたが、三井もその仲間に入れることにしました。 これは、三井は老舗の財閥で、従来から政府と癒着していたので、三井をいれておかねば、後で痛いしっぺ返しをくらう可能性があったからです。
そうして、三井と三菱は隔年ごとに阿片をペルシャから輸入し、中国に送り込み、日本政府は、厚生省に後の内大臣の木戸幸一を入れ、阿片政策を推進させました。
さらに、遼東半島・山東半島・満州そして上海租界地では、日本陸海軍の特務部が、治外法権の特権を利用して阿片の密売を公然と進め、拡大した市場は、もはやイギリスの阿片密売の比ではなく、大規模なものとなっていきます。
植民地朝鮮半島でも、中国への阿片輸出のため、3万〜8万人が従事して、毎年約8千haのケシを栽培し、毎年、約4万キロもの阿片を製造。 阿片・麻薬の需要は増大し、三井物産と三菱商事が、ドイツ・イラン・トルコ・シンガポールの阿片・麻薬を一手に輸入していました。
三井物産は上海へ、1938年4月に約3万トン、1939年1月に約7万トンもの阿片を運び込み、南京維新政府の財政を助け、三菱商事は三井の3.5倍もの量を1939年2月に満州の大連へ運び込んでいます。
そうして、日本は満州進出、21ケ条要求、満州事変と日本の侵略は拡大し、日中戦争に突入し、日本は中国の占領地に満州帝国を始めとする傀儡政権を樹立してゆきました。
これらの傀儡政権や親日の軍閥は、日本軍の擁護の下に、阿片を政府・地域の許可・専売制として、阿片・麻薬の利潤を日本軍と分け合い、傀儡政権の満州・内蒙古では堂々とケシが大量栽培されました。
満州帝国では、約3000万人が20万貫の阿片を吸引し、毎年4万貫の阿片が輸入され、約7万町歩のケシ栽培が行われていたと言われています。
阿片王と呼ばれた二反長音蔵は、満州の長白・臨江・安図へ3回、また満州の熱河省へと指導に赴き、長白市だけでもケシ栽培は216万坪にもなっていました。
中国軍閥の張宗昌(阿片将軍)は日本軍と組んで、吉林・黒竜江省で50〜60万貫のケシ栽培を扱ったと言われています。
内蒙古の山西・チャハルの傀儡政権「蒙古連合自治政府」でも阿片が製造され、張家口には阪田組のヘロイン製造工場があり、阿片・塩・鉱山物が政府の重要な財源となっていたのです。
日本の占領地経済をまとめていた興亜院が阿片・モルヒネを製造・輸入・販売を管理する組織となり、中国民衆を阿片漬けとしていきましたが、満州での日本政府の阿片販売は国際連盟の議題にもなりました。
そんな国際社会からの非難をよそに、三井・三菱の幹部たち、また彼ら財閥から賄賂をもらった政治家や軍人たちは、阿片で儲けた金で、遊興に明け暮れていたのです。
動乱:阿片戦争の紙芝居
フリーメーソン-68 日清戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/661.html
フリーメーソン-69 日露戦争
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/662.html
フリーメーソン-70 ジェイコブ・シフ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/663.html
フリーメーソン-71 日韓併合
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/664.html
フリーメーソン-50 亀山社中
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/642.html
フリーメーソン-58 龍馬暗殺 〜真犯人〜
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/650.html
フリーメーソン-29 サッスーン財閥
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/621.html
フリーメーソン-30 ジャーディン・マセソン商会
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/622.html』

写真(上):1944年10月20日,レイテ島上陸を演じるマッカーサーDouglas MacArthur元帥(1880年1月26日生 - 1964年4月5日没);2005年にレイテ攻略50周年を祝う米国国防省のバナー。フィリピン亡命政府大統領オスメニャを引き連れて何回も撮影し,取り直したヤラセの映像(鳥飼行博研究室)。

東京都港区麻布台2−4−5 メソニック39森ビル
1945年8月15日、ポツダム宣言受諾から2週間後の8月30日、日本の運命を握る、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが厚木飛行場に降り立ちました。
マッカーサーは、フリーメーソンで、彼が所属していたロッジは、Manila Lodge No. 1, Phillipinesであります。 マッカーサー元帥は、厚木飛行場を降り立つとすぐ、フリーメーソン東京支部用の建物の確保を指令し、東京・麻布の旧海軍水交社の建物を接収し、屋上に、定規とコンパスのフリーメーソンのシンボルが掲げられました。
この、東京・麻布の旧海軍水交社が、第38メソニック森ビルにある日本グランドロッジになっています。 ビルの名前からして、フリーメーソンです。
児玉誉士夫と笹川良一
児玉誉士夫と阿片
ある日突然
『占領日本を支配したダグラス・マッカーサー元帥は,CIAをその草創のころから嫌い,信用していなかった。1947年から50年まで,東京のCIA支局を極力小さく弱体にして,活動の自由も制限していた。元帥には同時のスパイ網があったのだ。広島、長崎に原爆を投下した直後から構築し始めたものだった。CIAはこのスパイ網を,元帥から受け継ぐことになったが,これはいわば毒の盛られた遺贈品だった。
マッカーサーを軍事諜報面で補佐していたのはチャールズ・ウイロビー少将だった。ウイロビーの政治的立場は,米陸軍の将官の間では最も右よりであった。ウイロビーは1945年9月,最初の日本人スパイをリクルートすることで,敗戦国日本の諜報機関を牛耳ることになった。この日本人スパイは,戦争終結時に参謀本部第二部長で諜報責任者だった有末精三である。有末陸軍中将は1945年の夏,戦勝国に提出するための諜報関係資料を秘密裏に集めていた。
それが,敗戦後自分自身の身を守ることになると考えていた。多くの高位にある軍人同輩と同じように,戦争犯罪者として起訴される可能性もあった。が,有末はかつての敵の秘密工作員となることを自ら申し出たのである。それはドイツのラインハルト・ゲーレン将軍がたどったのと同じ道だった。ウイロビーの最初の支持は,日本の共産主義者に対する隠密工作を計画し,実施せよというものだった。
有末はこれを受けて,参謀次長の河辺虎四朗に協力を求め,河辺は高級指揮官のチーム編成にとりかかった。1948年,アメリカの政治戦争の生みの親であるジョージ・ケナンは,日本については政治の改革よりは経済の復興の方がより重要であり,実際問題としても,実現が容易であると主張していた。日本の産業界を解体し,解体した機材を戦争保障のために中国に送る,共産主義者が今にも中国を制覇しようとしているときに,そうした措置をとることにどういう理屈があるのか,とケナンは問いかけた。ケナンの力によって,アメリカの対日政策は1948年までに急転換を遂げた。日本の当局者に対する戦争犯罪訴追の脅威と占領の懲罰的な性格は,緩和され始めた。これでウイロビー指揮下の日本人スパイにとっては仕事がやりやすくなった。
ウイロビーはその年の冬,暗号名「タケマツ」という正式な計画を発足させた。この計画は二つの部分に分かれていた。「タケ」は海外の情報収集を目的とするもの,「マツ」は日本国内の共産主義者が対象だった。河辺はウイロビーにおよそ一千万円を要求し,それを手にした。スパイを北朝鮮,満州,サハリン,千島に潜入させること,中国,朝鮮,ロシアの軍事通信を傍受すること,それに中国本土に侵攻して制覇したいという中国国民党の夢を支持し,台湾に日本人の有志を送り込むこと,などを約束した............CIAはその実体を知り,驚愕する。日本人スパイは諜報網などというものではなく,右翼団体の復活を狙う政治活動であり,同時に金儲けのためのもの,とうのが結論だった。「地下に潜った右翼の指導者」は諜報活動を「価値ある食いぶち」とみなしていた,とCIA報告は当時の状況を要約している。
アメリカの諜報機関が日本で行った「お粗末な仕事のやり方」の古典的な見本は,政治的マフィア児玉誉士夫との関係だった。児玉は1911年生まれ,21 歳の誕生日を迎える前に,帝国議会議員に対して殺害の脅迫をしたかどで五ヶ月間,投獄された。21歳のとき,暴力団・右翼反動派の集まりである「天行会」とともに政治家と政府当局者に対する暗殺を計画したが発覚,投獄されたが,四年と経たないうちに釈放されて極右青年運動に着手,これが戦前の日本の有力な保守派の指導者の支持を得た。
戦時中は上海に足場を置き,五年間にわたって戦時の最大規模の一つと言われる闇市を取り仕切った。占領中の中国を舞台に数千人の(児玉機関の)工作員が,戦略金属から阿片に至るまで,日本の戦争遂行機関が必要とするあらゆるものを買い付け,盗み取った。戦争が終結したとき,児玉の個人財産はおよそ一億七千五百万ドルに上った................児玉は1948年,アメリカ占領下の拘置所から釈放され,日本の政治の行く末に重要な役割を果たすことになる.......アメリカがその狙いを達成するのを助ける,真に強力な日本人工作員を雇い入れるまでには,さらに数年を要することになる。その任務はまさに,アメリカの国益に資する日本の指導者を選ぶことに尽きていた。CIAには政治戦争を進めるうえで,並外れた巧みさで使いこなせる武器があった。それは現ナマだった。CIAは1948年以降,外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で,将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった』。<LEGACY OF ASHESより一部転載(文芸春秋発行:CIA秘録)
戦前の駐日大使館付(ジョセフ・グルー大使)であった米国特務機関工作員ユージー・ドーマンを中心とする米国対日評議会(ACJ)はGHQの民生局(GS)にたいし圧力をかけ占領政策の主導権は治安情報局(G2)に移った。このG2が通称ドーマン機関(G2−D)人脈と呼ばれ日本の政界に様々な工作をした。そして上の三人(ある日突然をクリック)も加わっていく。』
対米従属の原点
↑『「かつてアメリカがリクルートした二人の一番影響力のあるエイジェントが
CIAの日本政府を支配する任務を遂行するのを助けた」
で、其の二人の男とは、岸信介と児玉誉士夫である。
そうこの人たちCIAに雇われた人達だった。
つまり彼らの雇い主は日本国ではなくアメリカ政府なんだね。
これが残念ながら自民党の原型だし、そこから枝分かれした経世会の民主党の
原点でもあるわけだ。岸さん(安倍さんのおじいさん)の時代我々日本人はアメリカのエージェントを首相として崇めていた間抜けということになる。まあ、よくある傀儡政権というやつだ。
そしてその流れが今でも脈々と清和会或いはその傍流として続いている。
「対米従属」「日本属国論」というのは戦後史を辿れば十分アリのシナリオだ。
日本の政治家は世襲が多いからね、そういうレガシーも引き継がれる。
ワイナー記者によれば、
1.岸信介と児玉誉士夫は、CIAのエイジェントとなった。
2.CIAの助けによって、岸信介は自民党の党首となり、首相となった。
3.児玉誉士夫は暴力団のナンバーワンとなり、CIAに協力した。
4.岸信介と、児玉誉士夫が、戦後の日本の政治の形を作った。
5.岸信介は、児玉誉士夫の金を使って選挙に勝った。
代議士になると、岸信介はその後50年に渡って日本を支配する自民党を作り上げた。
6.岸信介の作った「自由民主党」は自由主義的でもなければ民主主義的でもなく、戦争で亡びたはずの日本帝国の灰の中から起き上がってきた右翼的で封建的な指導者たちのクラブだった。
7.CIAと自民党との相互の間で一番重要だったのは、金と情報の交換だった。その金で党を支援し、内部情報提供者をリクルートした。
8.アメリカは、一世代後に、代議士になったり、大臣になったり、党の長老になったりすることが見込める若い人間たちとの間に金銭による関係を作り上げた。
9.岸信介は党の指導者として、CIAが自分の配下の議員たち1人1人をリクルートして支配するのを許した。
戦後の指導者層(政官報)にその後CIAがずっと人脈を作っていたわけだ。
ワイナーは1994年10月9日付けのNew York Timesに
「CIA Spent Millions to Support Japanese Right in 50’s and 60’s. 」
(CIAは日本の右翼を助けるために1950年代から60年代に書けて何百万ドルもの
金を使った)と言う記事を書いている。』(その後それを報道したのはポダムY新聞であった)
フリーメーソンとは何か まとめ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html
カールマルクス
マルクスとサタン翻訳
拙稿:欧米から見た日本 その1でアーネスト・サトウはこう言っている。『、日本の下層階級は支配されることを大いに好み、権能をもって臨む者には相手がだれであろうと容易に服従する。ことにその背後に武力がありそうに思われる場合は、それが著しいのである。伊藤には、英語が話せるという大きな利点があった。これは、当時の日本人、ことに政治運動に関係している人間の場合にはきわめてまれにしか見られなかった教養であった。もしも両刀階級の者をこの日本から追い払うことができたら、この国の人民には服従の習慣があるのであるから、外国人でも日本の統治はさして困難ではなかったろう。』と。見透かされていたのである。
サトウの言う「両刀階級」を追い払うまでもなくメーソンごっこをさせるのが一番手っ取り早かったのであろう。
『秘密結社に喜んで入ってくるのは、世渡りがうまく出世第一主義で、一般人の中では軽薄に属する人物が多いので、彼らを御してわれわれが仕組んだことを片付けさせるのは、さして苦労のいることではない。』(15議定書)
ですから人間に対する洞察力は必要です。シオン長老の議定書1〜24はコピーして理解出来るまで読まれるといいでしょう。
『基本的には、われわれが作った秘密のメーソン、かの家畜ゴイが存在を知らず、知ってもその目的を考えてもみなかったメーソンを作ったことが役立った。ゴイ御一同様の目を晦ませるべく、われわれがメーソン・ロッジ[結社の集会所・支部のことだが小屋≠フ意味もある]の見世物∴鼾タに彼らを惹きつけておいたのである。』(11議定書)
デヴィッド・アイクの役割はその”見世物”一座にどうせ意味も分からない一般大衆をひきつけること。(実はわれわれの代理人が書いたのであるが.....20議定書)
『われわれが世界の王座に昇る時は、われわれの利益に反するかかる財政上の窮策を痕跡も残さず一掃し、併せて金融市場をすべて廃止する。われわれの権威は価格変動に左右されるべきではないから、価格上昇も下落もできないように、法令をもって価格というものを固定してしまう。(価格を吊り上げるのは落とすためであり、実にこの方法によってわれわれはゴイムとの関係の初期に彼らを弄んだのである)。』(21議定書)
『われわれは、われわれが教え込んだことではあるけれども、ゴイムの若者たちに、われわれには嘘と解っている主義や学説を注入することによって、彼らを翻弄し困惑させ堕落させてきた。』(9議定書)
『神に選ばれた者≠ヘ、理性ならぬ本能によって、また人間性ならぬ獣性によって動くバカげた力を粉砕すべく天から下される。この力は今は自由の原理という仮面をつけて、略奪とあらゆる種類の暴力をはたらき、凱歌を挙げているが、この力が秩序破壊の跡にイスラエル王を王座に据えるのである。だが、彼らの役割は王が王国に入ったその瞬間に終る。王国の路からは、その残骸の一片すらも残さないように一掃される必要がある。』(23議定書)
代理人をすべて殺すという意味。
『諸兄の中には、来たるべき時が来ないうちに、もしもゴイムが真相を嗅ぎつけたら、彼らは武器を手にして蜂起すると言われる方もおられるようが、それに備えるに西欧においては、最も太い肝玉の持ち主をも戦慄させる恐怖作戦をもって対抗する・・すなわち、決定的な瞬間が来る前にすべての首都に地下鉄道、大都市の地下通路が設けられ、事到ればそれらの首都を建物や書類もろとも空中に吹き飛ばすのである。』(九議定書)
『群集の何人かが天才的な賢者であったとしても成上がり者であり、政治を理解することはできず、指導者として前を進めば全国民を滅亡の淵に落としこむのは必然である。幼児時代から特別の方式によって訓練された者だけが、政治の基本を成り立たせているABCを理解することができるのである。
人民が人民に任せれば、すなわち人民の中から出た成上り者に任せれば、権力と名誉を追うあまり党派間の軋轢と、そこから生ずる無秩序状態に自滅するのが関の山である。』(1議定書)
『ゴイの社会には、根深く対立抗争の種を植え込んでおいたので、秩序を回復するには権威の力を直接見せつけた容赦ない手段を執るよりほかはない。苦しむ者に一顧だに与えてはならない。未来の幸福のために苦しみを引き受けさせるのである。いかなる犠牲を払ってでも福利を達成することこそ、どんな政府でも自分たちの存続を忠実に考え、特権維持ではなく職責完遂を顧みるならば、断じて遂行しなければならない義務である。支配を揺ぎないものとする原則は、権力の後光を輝かせることにあり、その後光というのは、その表に神秘的なもの・・神に選ばれた・・から来る不可侵性を顕現する紋章を帯びるというような、不退転の威厳に満ちた力を発揮していることが要諦である。近年までは世界中では、ローマ教皇を数に入れなければ、帝政ロシアがわれわれの唯一の競敵であった。記憶に留めていただきたいのは、イタリアである。流血にまみれたイタリアであるが、その血を注いだスッラに対しては、髪の毛一筋も手を触れることができなかったのである。彼は人民を虐げていたにもかかわらず、大胆不敵なイタリア帰還をやってのけ、不可侵性の網に囲まれ、人民の目には神と崇められたのである。人民は大胆勇敢な者には催眠術をかけられて、指一本触れないものなのである。
しかしながら、われわれの王国を実現するまでの期間は、われわれは正反対のことを行う。フリーメーソン支部を世界各国にどんどん増設し、そこへ名士になりそうな人物、現に名士である人物を引き入れる。それというのも、それら支部は重要な情報集積所であり、情報を流す出口でもあるからである。』(15議定書)
これが世界統一政府(我々のためでなく彼らの(機会主義者)ためのシャングリラ・楽園)の意味です。彼らは弁証法を使いますがそのシャングリラを日本のためにするには余りにも国や国民自体が財弱すぎる。とは言ってもヒラリーが先日来日した目的は米国延命装置としての天皇カンパニーからの支払保証手形(Promissory Note)でありそれによってしばらくは暴落はないであろう。しかし21議定書にある「価格を吊り上げるのは落とすためである」ことかもしれない。
ビールは放射線防護にいいらしい
5月は記録的に若い人の自殺が急増した模様ですが低気圧という殺人兵器もあるのです。ロシアの気象操作によって。そんな時サウナに入ってたっぷり汗を流しマッサージでもするといいでしょう。2039年までに面白いことがてんこ盛りですからね。命を自ら絶ったら勿体ないでしょ。ただし認知症などで迷惑をかける前にこういう歴史に残る遺書を残して死んだらどうでしょう。
I have decided to finish myself before I am unable to decide myself。
自分で判断できなくなる前に自分を終了することに決めた,と。こういう勇気も持つべきでしょう。寝たきりで垂れ流し.......いやだ,いやだ。このセリフはある映画の中のセリフです。とても素晴らしい大人の映画でした。題名は忘れましたが。
バーバラ・ストライサンドが歌う「イスラエル国家」
ユダヤ人教会(Synagogues)のユダヤ人巡礼者の新年にはミカ書第7章18〜20節に由来するPropitiatory rite of Tashlikという儀式を水の流れの前で行う。前列の人が読んでいるのは勿論ミカ書の一節である。「あなたのような神がほかにあろうか..........すべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか,ヤコブにまことをアブラハムに慈しみを示してください。その昔,我らの父祖にお誓いになったように。」
聖書ものがたり・ホセヤ書からマラキ書まで参照
上の聖書ものがたりには三島由紀夫を死に追いやった聖書の「予定説」の記述があります。「仮面の告白」に三島は予定説を書いています。西欧文学をやるにはこの予定説を理解しないと一歩も進みません。語学だけならいいのですが文学の深淵さに触れるには聖書の知識が必要です。哲学でもキエルケゴールもそうです。管理人はキリスト教徒ではありませんがある程度聖書を理解するのに40年かかりました。ただ,一つ言えることは「結婚式は教会で,新年は神社へ,葬式は仏式で」では駄目なのです。毎日がチャチャチャでアチャラカの日本人の裏の顔は違うでしょうが日本人は嘘つきですね。そういう実感を長い間持っています。これは変わらないでしょう。そういう中でどういうふうに自分の立脚地を持ったらいいのか.......それがこのブログの目的です。ただ,それだけです。
日本人社会では隣り近所との仲が悪いですね。ですから聖書では「隣人を愛せよ」とあるわけです。近くにホームレスの収容施設が出来ると聞きつけるやいいおじさん,おばさんがよってたかって抗議をするのはなぜでしょう。ホームレスの中には元中小企業の経営者も多くおります。リスクをとったのに銀行と言うシステムに殺られたのです。この現場をテレビ中継したのは何回あるでしょう。相手が弱い立場の人間と見るや日本人はこれをやるのです。これが日本の社会なのです。相手が自分と比較して上か下かそれとも同等か.......上の身分ならすぐに卑屈な態度にでる......大学でもヘーゲルはああ言った,こう言ったの権威主義ばかりです。学生はまるで檻の中にいるも同然の弱い存在です。大学の教師は何の権限も持っておりませんが学生を落第させる権限だけはもっているのです。
二年生に進級させないとか,親がそろそろ卒業の頃と大学に連絡するとまだ一年生だったなんてことも日常茶飯事のこととしてあったのです。学生が絶望して自殺しても出席をとり続けるという悲劇が多くの大学にかつてありました。こうなるとその権威の壁に対していつまでたっても学生が教師に対してうち溶けるなど100%不可能です。(京都大学にはその壁がないようです。)管理人は幼い頃よりそうしたものが嫌でたまたま母子家庭であったため中退し航空会社に生活の糧を得て,その後も海外で長いこと生活していました。そして「ヨブ記」のヨブ並の体験をしてそれが泥の中で栄養をとり美しい花を咲かせる蓮の華のように海外で経営者として花開いたということです。そして高年収をあっさりと捨て52歳で引退して自分を何回も何回も解体・分解し直して今があるわけです。人間万事塞翁が馬。誰でも「悟り」までは簡単ですがそれからが難しいのです。
祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色,盛者必衰のことわりを
あらわす。おごれる人も久しからず,只
春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には
ほろびぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)
に同じ。 __平家物語より__

諸行無常・・この世に存在するすべてのものは
関係することであり,現象としてあらわれる全て
のものが流転し,一刻一刻変化しその全てが
また真実である。この世には実体と呼ばれる
ものはない。
現実をあるがままに認め,願っても叶わないような
ものは追い求めない。これが苦しみから救われる
路。
いかなる者もいつかは滅びる。あの泥のなかで
栄養を吸収し美しい華を咲かせる蓮の華を見て
ごらん。泥に汚されることなく転生し泥という
煩悩のなかで綺麗な華という菩提花を咲かせる。
これぞ涅槃なり。だから事実をありのままに
受け止めなさい(如日知見)。
過去ログ:生きることと考えること
『日本ですでに自己形成を完了した私が,ヨーロッパにあってどういうふうに生きてゆくか,ということだけであって,それ以外ではなかったのです。崩壊の瀬戸際に立つかもしれないような歩みは,むしろ現在はじまりつつある。そういう感じが強くしています。』
厄災の星「エレニン」
一応注意しておいた方がいいでしょう。米国は72時間前には何も知らせないがNASAは事前に知らせている。7月28,29は地震,新幹線には注意しよう。7月28=17 7月29=18(666)
8分45秒よりじいちゃんの話。
11分14秒........ここに信じてよいことがある。いかなる形の講和になろうとも日本民族が将に亡びんとする時に当って身を持ってこれを防いだ若者たちがいたという歴史の残る限り五百年後,千年後の世に必ずや日本民族は再興するであろう。(その若者の一人に管理人の叔父もいた)
特攻隊のフィリッピン戦・鳥飼行博研究室
過去ログ:なつかしい母上様,母ちゃんよ
過去ログ:恋人智恵子への遺書
わが子への遺書
父親の母校立教大学で日本舞踊を披露する素子さん。
韓国ドラマ「ホジュン」の公式サイト・日本人はもっと近隣諸国の歴史を知るべきだろう。
チャングムの誓い
コメントにありました南京事件......49秒には!!!
コメントのアイリス・チャンはここのビデオの3分28秒
南京とは関係ないんですがついでに.........国税庁のOBが税理士になり今度は脱税指南なんてニュースがありましたが日本は天下りという利権だけで成り立っている。
高崎廣の名前をだすとシステムでコメントできませんので書きに書きます。
Kさん
http://twitter.com/#!/koji_inoue/status/80341930139070464
高崎廣氏はメーソンンの名前を出した一ヵ月後に死亡した裏づけはありますか?

278
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:tatsujin
ここのあったね。
ILL. Joe A. Diele 33 Grand Cross Deputy of the Supreme Council 33
ILL. James L. Johnston 33 Deputy's Representative
ILL. Chester L. Ditto 33 Almoner
ILL. William D. Patterson 33 Secretary
ILL. Philip A. Ambrose 33 Treasurer
HON. Yuya Hirose 32 KCCH Venerable Master
ILL. Keith Hager 33
ILL. Hideo Kobayashi 33
BRO. Saburo Katagiri 32
HON. Eliano S. Fiore 32 KCCH
BRO. Robert H. Koole 32
BRO. Henk Dennert 32
BRO. David Tait 32
投稿者:tatsujin
TKさんとKさん
続・緊急ニュースで記事にしたサンヘドリンのブログは........
ガオン=イスラエル宗教省が直々に送り込んできた神戸のユダヤ教シナゴーグの主席ラビ
の可能性も否定できない。
>>日本初の33階位がいるそうですね。前原と食事していたとか。
>
>これではコメントになりませんよ。そうですね.......誰ですか?
広瀬祐也のことだと思います。
投稿者:tatsujin
>日本初の33階位がいるそうですね。前原と食事していたとか。
これではコメントになりませんよ。そうですね.......誰ですか?
>markyさん
ビデオを上に貼ってあります。犯人は日本人じゃない証拠。ある程度はやったでしょうが。
投稿者:marky
近隣諸国の歴史を知る事は大切だと思いますが、ドラマはフィクションですよね。実際、韓国のドラマなどは、全作品に置いて、演出家や監督も、『資料が何も無く、こうであったろう』を日本や中国の歴史や文化背景を参考にドラマにしたと言ってるわけだし、亡くなられた騒動中の江沢民氏などは南京大虐殺などあった事実も知らないと1985年当時、記者会見でのインタビューに応えていました。祖父が当時、上海や南京に軍人として行っていましたが、そのようなことはなかったことで、82年(?)に朝日新聞の某記者が米国のいうように書いたものだと記憶しています。『ザ・レイプ・オブ・南京』のアイリス・チャン氏は事実と信じてきたことが政治利用だと知って自殺しました。(米の大学で彼女と行動を共にしていた中国研究の教授も同意見です)
投稿者:TK
京大哲学科卒で日本初の33階位がいるそうですね。前原と食事していたとか。