2010/11/19
「ダンテ神曲ものがたり その31」
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1-3. もしも私が、/十分な/刺々しくかつ無情な言葉を持っていたとしたら:ダンテはそれ(「刺々しくかつ無情な」場所)を表現するのに語るまさにその言葉で彼の願いをかなえる。
7-9. この宇宙の底について語ることは:[原文では、"pigliare a gabbo/discriver fondo a tutto l'universo"で「全宇宙の底を描写するのに、からかえない」であろうか。日本語訳では殆どが「全宇宙」となっているが、英語ではほとんど"universe"である。Musaは「子供の遊びではないし」「赤ちゃん言葉を喉を鳴らして言う舌」と訳しているが、原文では、"ne lingua che chiami mamma o babbo"で「ママやパパと呼ぶ舌」である。「赤ちゃん言葉」とは「本性に則した自然な愛情表現」で、これらの表現で、この章では自然な人間関係が追い払われているのである。この" mamma o babbo"は『俗語論』2.7においては「悲劇」形式から明確に締め出されている【資料32-1参照】。また、139行「わたしの舌がわたしが死ぬ前にすっかり乾くまでですが」参照]
11. かの天国の淑女たちが私の詩を助けるかも知れぬ:ムーサたちMuses(「かの天国の淑女たち」)はユーピテルJupiterとアンティオペーAntiopeとの息子であるアムピーオーンAmphionを助けて、テーバイの周りに壁を建設させた。伝説に拠れば、アムピーオーンがリラlyre(古代ギリシアの竪琴)を奏でた、するとキタイローン山Cithacron, Kithaironの石をたいへん魅了したのでそれらが自分の意志でやって来てその壁を形作った。
15. 汝ら羊や山羊の如く生き長らえてきたのをよしとせんや!:[Durling:すなわち、理性的な魂を有しない動物である。マタイ伝26.24参照:「その人は、むしろ生まれない方がよかったものを!」(【資料32-2参照】)。最後の審判の背景での羊と牡山羊に関しては、マタイ伝25.32-33参照(【資料32-3参照】)、また50行参照。ひつじに関しては19章132参照。矢内原注:この地獄の底には裏切り者が入れられているのです。ですからキリストの言を応用してここにこう書いたのです。人を裏切る裏切り者となるよりは山羊か羊であった方がまだよかった]
16-18. わたしたちがその巨人の足下にある:[Durling:これはこの巨人がコキュトス自体の溝の上の岩井戸の岩棚に立っているに違いないと暗示している。例えて云えば(寓意的に云えば)、「巨人の足下にある」ことは巨人――「地球の子」――がはっきり提示する地球の重力の下にいることを意味する。この巨人たちは湾曲している城壁になぞらえられた(31:40-44)]
20. この哀れな魂のはらからの頭を:[Durling:イタリア語がしばしば所有格を省略するように、ダンテの"de' fratei"(「はらからの」)はあいまいである。この話し手は、彼の「兄弟」と同様地獄に落ちた者達を引き合いに出して、巡礼者との兄弟の縁を主張しているのかも知れない。ないしは、もし彼がマンゴーナのアルベルトの息子の一人であるならば(40-42)、単に彼自身と彼の兄弟を引き合いに出しているだけである。いずれにせよ、兄弟の縁の言及は皮肉なもの(反語的)である。それはここにおいて懲らしめられている親族を裏切る輩なのである]
27. またドン川もまた厳寒の空の下で見せなかった:ドン川は、ロシアの中心に源を持っているが、もちろん厳寒のロシアの冬には氷に閉ざされるのであろう。ダンテはドン川の代わりに"Tanai"という古代名を用いている。[Durling:ダニューブ川Danubeもドン川Donも両方とも黒海に注いでいる。ダニューブ川は現代のオーストリアとハンガリーを通り、ドン川はウクライナを通っている。イタリア人にとっては、これらは北方の川をはるかに越えた極限であり、冬には凍りつくものと知られていた]。
28-30. なぜならもしタンベルニッキか/ピエトラパーナの山が:タンベルニッキTanbernicchiは決してうまくは特定されてきていない。古い注釈者達はそれをバルカン州Balkansに置いた。ピエトラパーナPietrapanaはおそらくはトスカーナの北西側にある岩嶺であり、今日ではクローチェの(十字架の)鳥もちPania della Croceと呼ばれている。[Durling:タンベルニッキTanbernicchi /Tanberlicchiはトスカーナの北西ルッカ近くのアプアーノ・アルプスApuan Appennino地方にあるタンブラ山Tamburaであると考えられている。ピエトラパーナPietra Apuanaも同地である。その地理は遠くのテーバイ、ダニューブ、ドンなどのよく知られているものに対して移し変えられている(33章30行参照)。反逆人の連環はダンテの同時代人に近いトスカーナ人で蜜に住まわされているのである]
31-32. 収穫が/百姓娘の夢に取り付くであろう季節に:[秋の終わりの収穫の末期で、毎日の収穫が村娘の夢にまで出てくる季節で、肌寒くなる頃である]
35. 人の恥辱が現れるまでに:顔まで[Durling:他の「沈む」イメージを参照:8.54、12.116-17、17.9、31.32-33]
36. その者らの歯はコウノトリが食らいつくのを中断するような叫び声を鳴らしていました:[Durling:ラテン語(ciconia、キコニアと発音される)においてコウノトリ(イタリア語でcicogna)の名は本来は擬声語であり、コウノトリがそのくちばしをカチカチならず印象を表している]
41. 一人の髪が他方のようであるかのように:[Durling:天国編32.68-72でエザウとヤコブが(二つの街の原型であるアウグスティヌスの代わりに)彼等の髪の色によって区別されたと言われている(創世記25.25)【資料32-4参照】]
43. お互いに胸を圧しつけあっていますが:[Durling:中世の多くの黄道帯の絵では、ふたご座の二人(しばしばカストールCastorとポリュデウケースPolluxと同一視されている)が抱擁している(抱きしめあっている)と描写された。カストールとポリュデウケースが兄弟愛の象徴であったが、テーバイの兄弟は兄弟憎の象徴であった。パウロとフランチェスカ参照、地獄における最初の組み合わせであり、その運命は5章136-38行における接吻によって決定されたのである。「圧しつけあう」の原文は"stringere"で「圧しつけあう」と同時に「抱きしめる」意味がある]
51. お互いに頭で突つきあい:[木と木を鉄(鎹:かすがい)で硬く留める以上に硬く留められていたまぶたであったが、一瞬明けた目から涙に滴り落ちてこの二人はお互いを見る事になり、かつての憎悪を思い出して突き合ったのである]
55-58. もしお前がこいつ等二人が誰だか知りたがってるんならよ:この二人の兄弟はナポレオーネとアレッサンドロで、フィレンツェ近くのビゼンツォ渓谷の一部を所有したマンゴーナのアルベルト伯爵の息子であった。この二人はしばしば喧嘩してついには相続財産をめぐる争いで殺しあった。
59. カイーナ中:コキュトスCocytusの氷のより外側の環は弟アベルAbelを殺したカインCainに因んでカイーナCainaと名づけられている。このように、第9連環の最初の地域では、親族を殺害して冒涜したそれら裏切りの亡霊が懲らしめられているのである。[Durling:5章107行でフランチェスカによって彼女の殺害者(彼女の夫のジャンキオット)として名づけられた。]
60. この凍った煮汁:[「煮汁」はゼラチンとカナをふったが、原語は"gelatina"である。また、「凍った」という修飾語がないが、「凍った煮汁」で冷製料理に用いる「アスピック」aspic(肉汁や魚の煮汁にゼラチンを加えて作るゼリーのこと)の意味合いである。元はラテン語のgelu「ゲル」である]
61-62. アーサー王の手のやりの一刺しで:モードレッドMordredは、アーサー王の堕落した甥であるが、王を殺して王位を得ようとした。しかしアーサーがこのような力強い一撃で彼を突き刺したので、そのやりが死につつある反逆者から抜かれた時は一条の光が彼の体を横切りそしてモードレッドの影に光の穴が開いたのであった。この物語は古代フランスの騎士道物語romance「湖のランスロット」Lancelot du Lacの中で語られていて、その本をフランチェスカが地獄編第5章127行でパオロとの路を踏み外させたと主張しているのである。
63. フォカッチャでないんで:彼はピストイアPistoiaのカンチェッリエリCancelliri家の一員で白党員であった。彼の従兄弟であるデットDetto de' Cancellieri(黒党員)への裏切り的殺害は、おそらくはピストイア事件におけるフィレンツェの干渉に従った行為であった。
64. そいつの頭が邪魔になっててよ:[Durling:この魂達はお互いに障害物で邪魔になっている(彼等は字義的に躓きの石(障害物)で、巡礼者にとっては「恥辱」であった。78行参照)。腹で視界が遮られているアダム親方(30:123)ならびにピサ人(33:29-30)を参照]
65. 世の中じゃサッソール・マスケローニとして知られているんで:初期の注釈者によるとサッソール・マスケローニSassol MascheroniはフィレンツェのトスキToschi家の一員で財産相続を得るために従兄弟[叔父のただ一人の息子]を殺害した[Durling:彼はくぎだらけのたるに入れられて街を転がされて罰せられ、それから首をはねられた(作者不詳)]。
68-69. 俺はパッツィ家のカミチョーネでさ。ほんでさ俺はよ:パッツィ家のカミチョーネCamicione de' Pazziについては彼が親類のウベルティーノUbertinoなる者を殺害したこと以外はなにも知られていない。カミッチョーネの親族の別人であるヴァルダルノVardarno出身のカルリーノCarlino de' Pazzi(69行)は巡礼者がカミッチョーネとの会話が行われている時はまだ生きていたのである。しかしカミッチョーネはすでに、カルリーノが、1302年の7月に、フィレンツェの黒党にピアントラヴィーニェPiantravigneの城を明け渡すためのわいろを受け取るだろうことを知っていたのである[Durling:この魂はカルリーノがさらに悪党であるために言い訳となっているのである]。
70. 犬畜生のような顔:[Durling:原文は"cagnaccio"で「きたならしい犬」であるが、曖昧な表現である。犬の唇と鼻の色である「紫」を意味しているように思える(他の犬のイメージとしては、105行、33:78参照)、「野良犬野郎」と訳した「カニャッツォ」Cagnazzoという悪魔が21章119行に出ている]
80. お前さんはモンタペルティのせいで:106行注参照。
88. ほんならお前さん、あなたは誰かえ? お前さんは他の奴等の顔を蹴りながら:[Durling:マタイ伝7.1-6参照【資料32-5参照】]
89. アンテノーラを通って堂々と歩いているんでっせ:ダンテとウェルギリウスはアンテノーラAntenoraと名づけられたコキュトスの第2地域へと入ってきている。それはある伝説によれば、ギリシアに彼の町を売った(裏切った)トロイア戦士に因んでいる[【ギリシア神話】ではアンテーノールAntenorでオデュッセイを救った]。この環においては国、町、または政党に対する裏切り行為を犯した輩が苦しめられている。
106.どうしたんだ、ボッカ?:アバティのボッカBocca degli Abatiはフィレンツェのゲルフ党を支持したと思われるギベリン党員であった。しかしながら、1260年のペルティ山Montapertiの戦いでゲルフ党側で戦っている間に、彼は旗手の手を切ってしまったといわれている。旗が見えなくなった事はフィレンツェ・ゲルフ党の間にパニックを起こし、彼等はそれからマンフレッドManfredの指揮の下シエナのギベリン党とその同盟によって決定的に負かされた。
110. 邪悪な反逆者め!:[以下は名前が分かり反逆者であることが分かったボッカに対して述べている]
116. ドゥエラからの者:ドゥエラのブォーゾBuoso da DueraはクレモーナCremonaのギベリン党の首領でよく知られた反逆者であった。アンジュー家AnjouのカルロCharlesが1265年ナポリに進軍した時、マンフレッドは彼等を食い止めるためにブォーゾ指揮下の一隊を派遣した。しかしブォーゾはカルロからわいろを受け取って(「フランス銀貨」115)フランス隊が妨害されずに通りすぎるのを許したのであった。
119-20. お前の傍の右に居るのがベッケリアの者で:パヴィーアPaviaのベッケリアのテザウロTesauro dei BeccheriaはヴァッロンブローサVallombrosa大修道院長でトスカーナにおけるアレクサンドロス4世への教皇特使であった。彼は国外追放されていたギベリン党員と秘密に交際した過度で拷問にかけられついには1258年フィレンツェのゲルフ党によって首を切られた。
121. ソルダニエリのジャンニに関しちゃ:ソルダニエリのジャンニGianni de' Soldanierはフィレンツェのギベリン党の重要人物で、フィレンツェ(ほとんどがゲルフ党員)がギベリン党指揮下に苛立ち始めた時に、自党を見捨ててゲルフ党に寝返った。
122-23.ガヌロンとテバルデッロと一緒に居るそいつを見つけるだろうよ:ガヌロンGanellone, Ganelonはイスラム教徒SaracensへローランRoland(およびカール大帝軍の後方支援部隊)を売った裏切り騎士であった。31章16-18参照。
テバルデッロTebaldello, TibbaldはファエンツァFaenzaのザンブラーシZambrasi家の一人である。ギベリン党のランベルタッツィLambertazzi家(1274年にボローニャから国外追放されてファエンツァに保護されていた)に復讐をするために、彼は1280年11月13日の朝にボローニャのゲルフ党敵兵に町を明けたのであった。
130-31. テューデウスは/この者が肉と骨の頭を噛み砕くよりも強い嗜好で:テューデウスTideo, Tydeusはテーバイと戦った七人の長の一人で(14章68-70参照)、格闘してメラニッポスMelanippos, Menalippusを殺害した――しかしながら、彼はなんとかテューデウスに致命的なき傷を負わせた。テューデウスは彼の敵の頭を呼び求め、それをアムピアラーオスAmphiarausによってもたらされた時、彼は激怒してがりがり齧り続けたのである。
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