2010/11/19
「ダンテ神曲ものがたり その30」
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4-6. まさしくそのように、わたしは、アキレウスの槍が:ダンテは第30章の終わりでのウェルギリウスの言葉の本質をアキレウスとその父ペーレウスの槍(それは打撃を与えてしまった傷を癒したと云われている)に適切になぞらえている。
16-18. 悲劇の敗走の後カルロ大帝が:中世フランスの叙事詩『ローランの歌』La Chanson de Rolandで、カルロ大帝Carro(シャルルマーニュCharlemagne)の「高徳の勇士」(17)の一人であるローランRolandは、スペイン遠征からの帰途、後衛に配置された。ピレネー山脈のロンスボーRoncevauxでイスラム教徒(サラセン人Saracens)が攻撃し、そこでローランが、愚かにも自尊心が高く、全滅が差し迫るまで彼の角笛を吹く事を拒否したのであった[ローランは義父ガヌロンの悪計の犠牲となって奮闘のすえ討死するが、シャルルマーニュがその報復戦に成功するのである。778年]。
19-127
遠いので、巡礼者は、大巨人たちを塔だと間違えていたが、ウェルギリウスに尋ねる、「どんな街が行く手に横たわっているのですか?」、これは第8ないし第9章におけるディースの街に城壁を巡らす門の前での情景を呼び起こす質問である。この仕掛けによって我々は地獄の新しい地区(巨人の穴および嘆きの川)に導かれるだけでなく、下地獄(すなわち、ディースの街から嘆きの川まで)の一様な本質が浮き彫りにされる。そしてウェルギリウスの面前で街の門を閉めた壁に止まっている堕天子(第8章)は、地獄の最下端の境界に立っているここでの巨人に相似である。巨人――異教徒,の神話体系の言い回しとして――および悪魔(堕天子)――ユダヤ教外典伝説の言い回しとして――のどちらもが、それらのめいめいの神に背いていて、お互いに下地獄の部分を繋げるだけでなく、また、下地獄において懲らしめられている全ての罪(異端、暴力、および情欲)の基本が、反逆者としての両方の集団の罪である妬みと誇りであると示唆しているのである。
第31章は、ニムロデNembrotto, Nimrodの「自慢ありげな唇」を通したぶつぶつ云うわけのわからないおしゃべりによって(68)、またウェルギリウスが説得してダンテと自身を穴の床に降ろすためにその狩猟の偉業についてアンタイオスを得意がらせることによっても(115-18)、その例となる巨人たちの誇りの周りを回転している。もちろんのこと、巨人たちの本分に関する妬みと誇りの最大の根拠は、彼等の神に対する彼等の反乱である。ニムロデは、神の統治権をねたんで、その誇りにおいて、天に届く塔を建設しようとしたのであり、またティーターン神族(アンタイオスを助けたが、積極的な役割を果たさなかった)はユーピテルGiòve, Jove, Jupiterに対して反乱を起こした。堕天子は、もちろん(彼等の誇りと妬みによって拍車をかけられて)、神に対して反乱したのである。
55-57行においては、第9連環の他の者と同様に巨人たちの極悪によって象徴される属性の恐ろしい連携が描写されている:
なぜならば知性の働きが
動物的な力や悪の意志と結びつく時、
何人(なにびと)もそのような連携に打ち勝つことができぬ。
不摂生の罪(七つの大罪のうちの最初の五つ)と下地獄で懲らしめられている罪との間の違いは、前者が、貪欲の罪であり、「悪の意志」の産物ではなく、一方、異端、暴力、および情欲の罪は、全て悪を為す意志によって起こさせられていることである。(異端が知性的な(理知的な)誇りおよびその分離できない妬みによって引き起こされることは明らかである)。暴力は「悪の意志」と「動物的な力」との提携であり、一方(悪の溝における)単純な詐欺は「知性の働き」を提携させた「悪の意志」の産物である。しかし複雑な詐欺は、巨人たち、すなわち堕天子や、ルシフェル、および第9連環における他の形姿(人物)によって例証されているが、単純な詐欺と暴力の(この連環での全ての形姿はここでは暴力的な反乱または教唆的な殺人である)、すなわち、「知性の働きが/動物的な力や悪の意志と結びつく」ものとしての連携である。下地獄における罪の手がかりは「悪の意志」、すなわち、悪の結果の積極的な意志決定にあり、大罪すべてに関しては、誇りだけでなく妬みがこのような悪に対する意志の原因となっているのである。
40-41. なんとなれば、ちょうどレッジョン山がその湾曲している城壁の上に:1213年、シエナの人は、自分たちの街から8マイル(約14.5km)離れた丘の頂上に達する要塞レッジョン山を建設した。ここでの特別なほのめかしは巨人の歩哨(番人)のようにその周辺に立つ14の高い塔に関してである。
44-45. 永遠に/ユーピテルが:ティーターン神族が天に反抗した時、ユーピテルは雷霆(稲妻の矢)で彼等を打ち落とした(第14章51-60参照)。地獄のここでは彼等が彼の雷霆によって暗示されている報復を恐れつづけているのである。
49-57. 自然の女神は:ダンテは自然の女神が巨人の一族を途絶えさせようとして示した知恵を誉めている。なぜなら、軍神マルス(51)が、巨人の助けで人類を事実上滅ぼしてしまったかも知れないからである。明らかな差別は残忍な(理性のない)動物(「鯨や象」52)の間に為されるが、それらを自然の女神が間違いなく生存を許したのであり、そして巨人たちは、それらを彼女が絶滅させたのであり、前者が理性の働きを持っていない点で、そしてそれ故に容易く人間による支配下に置かれているのである。
59. まさしく広さといいローマにあるサン・ピエトロ寺院の松かさのようでした:この青銅の松かさ(松ぼっくり)pina(pigna)は高さが7フィート(約2.1m)あり、今ではヴァチカン庭園Giardini Vaticani内部(ピーニャの中庭Cortile d'Pigna)に立っているが、ダンテの時代には、サン・ピエトロSant' Pietro寺院(大聖堂)の中庭にあった[現在はカトリックの総本山にふさわしい壮大華麗な教会堂であるが、元はキリスト教徒となった最初の皇帝コンスタンティヌスが4世紀に建てた聖堂である。ネロの円形競技場で殉死したペテロの遺体が置かれたという場所にバジリカbasìlica(元は古代ローマ時代の会堂のことで、後バジリカ風建築の初代キリスト教聖堂を意味した)を建てた]。
63. お互いの肩の上に乗った三人のフリジア人でも:フリジア人Frisonは、ネーデルランドNederland(du), Netherland(現在のオランダ)の北部の州(古代ローマの属州provìncia, province)で、その背の高さで有名であった。
65. 男たちが外套を留め金で締めるその場所から下へは:[外套(マント)は首の部分の1箇所だけに留め金があるので、ここでは首から下を指す]
66. その男の掌尺の三十倍の開きが十分にある:[「掌尺、パルモ」"palmo"とは、尺度単位の一つで親指の先から小指の先までの長さをいう。古代ローマからのもので、メートル法が導入されてもなお使用されている。地域により多少差はあるが、約25cm。すなわち、巨人の首から下が(腰の部分まで)30×25cm=7.5mあるということである]
67. ラペルノイマダカツテメッカヘザバイオーネハフメツナリ!:原文は、"Raphèl maì amècche zabì almì"である。これらの言葉を明らかにするために多くの試みがあるが、殆どの現代注釈者達に従って、それらが無意味なおしゃべり(わけのわからない話、支離滅裂な叫び)であると信じる――この言語の混乱におけるニムロデの役割の完全な例(見本)はバベルの塔の彼の建設(「その者の汚名を被せられた策略」77)によって惹き起こされたのである[翻訳の多くは原文の読みどおりにカタカナで記されているが、ここではあえて「支離滅裂かつ意味不明となるような」和訳を試みた。「ザバイオーネ」"zabaióne"とは、日本でも使う料理用語で「卵黄、砂糖、マルサラ酒、香料を煮詰めたクリーム」のことであるが、比喩的に「支離滅裂な話」の意味がある。原文の"zabì"をもじったものである。「ラペル」"Raphèl"を「バベル」"Babèle"の「幼児読み」と考えるのは過ぎるかもしれないが。Durling:プルートの言葉(第7章1行)がギリシア語の焼き直しであるように、ニムロデの言葉はセム語のような響きがある。Dronke(1986)は、第十二夜および復活祭での教会劇における笑いを誘う趣向のために多く用いられた作り話の言葉の慣習を指摘している]。
77. この者はニムロデなる。その者の汚名を被せられた策略によって:オロシウスOrosius、アウグスティヌスSt. Augustine、そして他の初期のキリスト教徒たちはニムロデが巨人であると信じ、そして彼の「汚名を被せられた策略」であるバベルの塔は、それを通じて彼が天に登らんと試みたものであり、確かにユーピテルを攻めたてた巨人たちと彼を同一視している。どちらの場合においてもその支配的な罪は誇りである。このことは、それらの恐ろしいばかりの大きさに付け加えて、それらはルシフェルの予示(予告)を為しているのである。
78. 世の中のもはや共通の言葉を話すことはない:バベルの塔の建設の前は全ての人類が共通の言語を話していた。神が彼等の舌を混乱させたのはこの塔建設の罰としてであった。『創世記』11.1-9参照(そこには、しかしながら、ニムロデは明記されていない)[実際の聖書ではかなり意味が違っていて、現在では塔の建設以前にすでにいろいろな言葉がはなされたいたとされている。【資料31-1参照、特に注】【資料31-8参照】]。
94-95その者エピアルテースなり/偉大な企てを成した:エピアルテースはネプトゥーヌスNeptune(ポセイドーンPoseidon)とイーピメデイアIphimedia, Iphimedeiaの息子であった。9歳の時、兄のオートスOtus, Otosと一緒に、彼は神々に登り彼らと戦わんとオッサOssaの頂上にペーリオン山Pelionを載せようと企てたのである。しかしアポローンがその兄弟を殺した。【資料31-2、31-3参照】
98-99. ブリアレオースの/並外れた姿:ウーラノス(天空)とゲー(大地)の息子であるティーターン神族ブリアレオースBrïareo, Briareusはオリュムポスの神々との反乱に参加した。【資料31-4参照】
101. アンタイオスを見るであろう、その者は話す事が出来また繋がれてはいない:123行参照。
102. その者はわれらをまさしく罪の穴に降ろすであろう:コキュトス、嘆きの川で、地獄の第9番目で最後の連環である。
114. その井戸からその頭に至るまで有に五エルありました:[「エル」(alli, ell)は尺度の単位で、フィレンツェでは約1.5m]
123. かつわれらを嘆きの川にある氷の堰に腰を屈め降ろさせよ:アンタイオスAnteo, Antaeusはネプトゥーヌスとゲー(大地)との息子で、したがってティーターン族の一人である。しかし彼が神々に対する暴動に加わらなかったので(119-20)、彼は繋がられてはいない(101)。もし加わっていたならば、ティーターン族(「大地の息子ら」120)がオリュムポスを征服していたことは全く可能性がある。リビアの住人として、彼が狩の大偉業を成し遂げたのはバグラダスBagradasの谷であり、そこはスキピオが後世にハンニバルを打ち負かしたところである。
124. われらをしてティテュオスまたはテューポーンのところに行かせるな:ティーターン神族であるティテュオスTizio, TityusとテューポーンTifo, Typhonもまた、前者はディアーナDiana(【ギリシア神話】ではアルテミス)を襲おうとした企てで、後者は神々に対する反乱で、ユーピテルによって殺された。両者ともに大地に射落とされてエトナ山Mt. Aetnaの下に埋められた。【資料31-5、31-6参照】
131. 偉大なヘーラクレースがその恐ろしい握力にかつて触れた:アンタイオスは大地(ゲー、彼の母)との絶間のない触れ合いから偉大な力を得た。ヘーラクレースとの相撲で、後者が彼を地面から持ち上げて、このようにして彼を殺したのである。【資料31-7参照】
136. ガリセンダがその傾いている側の下から:ボローニャの二つの傾いている塔のうち、ガリセンダCarisendaは1110年ごろ建てられたが、低いほうである。「その塔の傾斜に対して/流されているようにやって来た」(138)雲の通過は塔を倒れているように見えさせているのである[Durlingによると、高さが47mに対して2.37m傾いている。もう一つの高いほうの塔はアジネッリAsinelliで、高さが倍で1109年に建てられたが傾いてはいない。これらは皇帝派と教皇派に分かれて相争った豪族の遺跡である。ポルタ・ラヴェニャーラ広場Pza di Porta Ravegnanaに面している]。
143. ユダと共にルシフェルを呑み込んでいる:[Durling:「呑み込んでいる」の意味合いとしては、34章55-56参照]
145. 船の帆柱のように高く姿勢を正しました:[Durling:「ファリナータを見よ、その者立ち上がりたり」(10章32行)と比較するとよい。これは下地獄における船への言及の最後(34章48行)に次ぐものである(船に関して比較せよ:16章134、17章100、21章7-15、22章12、25章142、26章100-142、27章28-79、28章79、および7章13-14。フル装備された船(帆柱、帆げた、そして帆)は誇りの形姿としてしばしば言及された]
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