2010/11/19
「ダンテ神曲ものがたり その29」
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1-12. 古代においてユーノーがセメレーのせいで:ユーピテルJupiterの死を免れない(人間の)女たちに対する偏愛は常にその妻であるユーノーJunoを激怒させるのである。ここの場合彼女の怒りはテーバイThebes(テーベ)王カドモスCadmusの娘でバッコスBacchusを産んだセメレーSemelèとの夫の戯れが原因であった。彼女と彼女の家族に対して復讐を加える誓いを立てていたので、ユーノーは雷霆でセメレーを射っただけでなく、イーノーIno(セメレーの妹)の夫であるアタマースAtamante王を狂人にさせたのである。発狂した状態で彼は息子のレアルコスLearcoを殺した。イーノーは別の息子メリケルテースMelicertes, Melikertesと身投げしたのである【資料30-1参照】。
16-21. ヘカベーが悲しんだのだ、哀れな境遇の中で、奴隷として:トロイアを打ち破って、ギリシア人は彼らの生まれ故郷に帰り、トロイア王プリアモスPriamの娘ヘカベーEcuba, Hecubaを奴隷として連れていった。彼女はまたいくつかの悲劇の発見をすることになった。彼女はアキレウスAchillesの墓で殺害された娘のポリュクセネーPolissena, Polyxeneを見(17)、また息子のポリュドーロスPolidoro, Polydorusが死んだのにトラーキアThraceの海岸で埋葬されていないのを発見したのである(18-19)【資料30-2参照】。
31. アレッツォの者が言いました:アレッツォ(トスカーナ州)のグリフォリーノGriffolino da Arezzoで錬金術師。29章109-20参照。
32. お前さんあの気が狂ったような亡霊が分かるかね?あいつはジャンニ・スキッキだぜ!:フィレンツェのカバルカンティ家の一員であるジャンニ・スキッキは模倣癖のある美術品愛好家(骨董通)としてよく知られていた。シモーネ・ドナーティは、父の死をその遺言が彼に有利に変えるために秘密にしておいて、ジャンニに死んだ父(ブォーゾ・ドナーティ、44)の振りをして最終のの遺言を変更するように約束させた。その計画は完璧に進められ、その過程でジャンニが、多数の中に、懸賞の雌馬(『馬の女王』43)を遺言したのであった。
33. あいつは強暴でさ俺達をみんなあのように遇(もてな)すのさ:ジャンニ・スキッキは、その時、気が狂っていて、彼の仲間もまたこのボルジアの中で狂った逃走状態にあったに違いない。「神曲」の中では、精神的に狂わさせられている罪人が二人しかいないので、この章が古典神話における狂気の二つの有名な場面の記憶を促すことで開始したことは非常に適っている。
37-41. あいつはミルラという/古代の亡霊でさ:ジャンニ・スキッキと共にこのボルジアを突進しまくっている別の偽造者はミルラで、彼女はその父であるキュプロスCyprusの王キニュラースCinyrasに対する近親相姦の欲望に制圧されて、お忍びで(匿名で)彼の寝室へ行き、そこで二人が情交したのである。この策略に気が付いて、キニュラースが彼女を殺そうと誓った。しかしながら、ミルラは遁れ、神が哀れみをかけて彼女をミルラの木[mirra, myrrh、ミユラ、没薬(もつやく)[アフリカ、アラビア産のカンラン科ミルラノキ属Commiphora植物の樹脂から採った香料]に変身させるまでさ迷ったのである。その木からは近親相姦の和合をした子供アドーニスが生まれたのであった【資料30-3参照】。オウィディウス『変身物語』巻10参照。
49. そしてそこでわたしは琵琶(リュート)のような形をした魂を見ました:[Durling:すなわち、もし人がその脚を無視したとしたら、その形状がリュートliuto(琵琶)のようなものであったのである。それは細い首(指板、フィンガーボード)が載せられた卵の形をした膨らんだ部分を持つ。すなわち弦のための糸巻き(ペッグ)を載せるために反り返っているのである(リュートはギターなどと違って糸倉が腹のほうに直角に折れ曲がっている。この隠喩的表現はこのようにこの魂がその首を(ツルのように)延ばしていることを意味している)。ダンテは、弦楽器のように腱が木に張り渡されたものとしての、十字架上のキリストの伝統的な概念を身に着けている。これはキリストのはりつけをもじっている非道の罪の特別に豊かな例である。102行の「その膨らんだ腹」は木の枠で延ばされた皮膚からもじられているのかもしれない]
52-53. 膨らまされている水腫、不均衡に:言い換えれば、アダムAdamoの水腫が、自然な交換路を辿るための彼の身体にある体液の欠乏によって引き起こされていたのである。水腫idropesi, dispaia, dropsyとは、体の漿液腔(しょうえきくう)または結合組織の中に漿液がたまる状態である[Durling:中世の医学作家によれば、アダム親方が苦しんでいる水腫の型は"timpanite"(drum dropsy「鼓室炎」)であり、猛烈な渇きをもたらすもので、肝臓の機能低下により引き起こされる。それは通常胃の熱によって「消化」され中間生成液(「体液」53)へと砕かれ血となるように食物を交換し、心臓がそれから体の残りへと分配するのである。この機能低下は不純な体液をつくって腹をふくらませ、一方他の器官、とりわけ顔が新鮮さを失う(この顔は「その太鼓腹と取り組んで、弱よわしい」のである、54)。体の液体の調和ないしは調節が破壊させられ、そのために体が不協和音の楽器のようなのである(「不均衡に/肉体は体液が流されていず」52-53)]。
61-75
初期の注釈者達はアダム親方maestro Adamoの生誕地に関して(ブレッシャBresciaか、カゼンティーノCasentinoか、ボローニャBolognaか)意見が異なっているけれども、現在では彼がイタリア人ではないことが一般に信じられている。彼は彼の芸術であるフローリン金貨(「洗礼者の刻印された金貨」74、すなわちフィレンツェの守護神である洗礼者ヨハネの肖像が刻印されている)偽造に励んだのである。北イタリア中で、ロメーナRomena領主グイード伯爵家Conti Guidiにそのように助言されて(73)。彼はフィレンツェ当局によって逮捕され1281年に火刑されて死んだ。
64-66. その小さな流れはなカゼンティーノの緑の丘から:このカゼンティーノはフィレンツェの南東の丘陵地帯でアルノ川Arnoの源流が延びている[ダンテの故郷である]。
76-78. でもな、俺様がここでよ、あの卑劣な:アダム親方は、「水の一滴」(63)を懇願しているように、地獄のここで自分を罪に陥れたグイード伯爵家(グイード、アレッサンドロAlessandro、アイーノルフォAghinolfo、イルデブランドIldebrando:「グイードやアレッサンドロやそいつらの兄弟達」77)の者らをただ単に見れるだけの楽しみを放棄しようとしているようである。「ブランダの泉Fonte Branda」(78)はロメーナ近くで昔あふれていたわき泉の名前である。しばしばシエナにある同じ名前のいまだに機能を果たしているものと間違われた。
79. 一人がすでにここに居るんだが:グイード(1292年死亡)は1300年以前に死んだ4人のグイード伯爵家の一人にすぎない。
82. かりによ、百年ごとに一オンチャ動くのに十分によ:[オンチャonciaとは英語のオンスounceになった言葉だが、もともと「ごく少量」を表した。これに対してミリオmiglio(migliàio(86)は「たくさん」を意味した。ここでは距離の単位でオンチャは約2cm、ミリオは1マイル、1,609.3メートルである)
88. このえり抜きの一家:[原文では"fatta famiglia"で「僕のような輩」であるが、Musaは、"this choice family"と訳している。15章22行にも"cotal famiglia"「かような召使たち」が出ているが、Musaは"this strange crew"「この奇妙な一団」と訳している。"famiglia"には「家族」の他に、「一族、一門」、古語では「召し使い、僕」の意味がある。Durlingは"household"「(雇い人をも含めた)家内中のもの」と訳して次の注を施している:アダム親方のそれの軽蔑的な使用は彼の学識と高い社会的地位における彼の誇りを表明している。我々はまた地獄に落とされた者全てがサタンの一員でありまた究極には彼の僕であることを思い知らされる。アダム親方の名と彼の罪の背景の中にある聖書にあるアダムに対する明きらかな言及において、我々はまた、全てがその子孫であるところの人間家族という考え方に言及されてきているのである]
90. その金は三カラットの合金を含んでたんだぜ:フローリン金貨は24カラットの金を含んでいたと想像された。アダム親方のそれは21カラットであった。
92. あなたの体の境目ぎりぎりに居て:この言い回しによって暗示された人間らしさを失わせることに注意せよ、これはこのボルジアにおける肉体的低下(悪化)の進んだ状態と十分よく調和している。アダム親方は人間というよりも土の塊なのである。94行「俺様がこの溝に流れ込んだ時に」も同様である。
97. 一人は若いヨセフを惑わす告訴人で:ポテパルPotipharの妻がヨセフGioseppo, Joseph(ヤコブとラケルの息子)を自分をそそのかすとして惑わすように非難した。一方現実には不穏当に好色な言い寄りをしたのは彼女であった。創世記39参照【資料30-4参照】。
98. もう一人は人を惑わすようなシノンで、トロイアにいたギリシア人でさ:シノンはトロイア略奪のための基本計画にしたがってギリシアの友軍によって後に残されたのである。トロイア人の捕虜となって、彼の立場をギリシア軍とともに誤って伝え、彼は彼らを信じ込ませて木馬(26章、59)を町の中へ運び込ませたのである。
100. すると彼等の一人が、おそらくは彼が受けた:シノンのこと。
129. ナルキッソスの鏡:水のこと。神話によれば、ナルキッソスNarcisso, Narcissusは、泉に映った自分の姿に魅惑され、死ぬまで見詰めつづけた。
131-32. まったく。見つづけておれ:[原文は、"Or pur mira"である。Durling:「見る」のダンテの言葉"mirare"は、彼が知っていたように、"miraglio"("mirror"、「鏡」)としての普通の単語の原型であった。巡礼者の凝視"mira"は(鏡のように)映している形態であり(32章54行と比較せよ)、そしてもし彼とウェルギリウスが諍えば、二人はシノンとアダム親方との反映(映った影)となるのであろう]
131-41. 人が眠り自分が困っている夢を見て:この閉じている映像の混乱している複雑さはこの章を駆けぬけている狂気の主題に従っている。読み始めにおいて、我々はダンテの比喩の構成と意味の両方によって混乱させられる。したがってこれらの行が読者に巡礼者の混乱を経験させるがそれを目の当たりには見させないと言えるであろう。この瞬間の巡礼者の精神状態を理解するために、読者は、立ち止まり、部分を読み返し、そして注意深くその意味と印象をよく考えることを余儀なくされるのである。
この比喩によって伝えられている着想はそれが現実の理解に対処せねばならないために難しいものである。巡礼者の望みは謝ることであるが、そうすることを許さないと感じている。彼が彼の伝言を伝えるためのうわべの無力さを予期している時でさえ、彼は、事実、それが成されたものと明かすのである。このように、彼が言っているが、彼は困っていると夢見る寝ている人のようではなく、彼の夢のなかで、彼が夢を見ていたと望んでいるのである。この望みは、どの場合でも、すでに在る何かのためである。
この比喩の言語はそれ自体の中で混乱している。それは定義を超えていくに過ぎない――それは実際にその立場を反映しているのである。繰り返しの、特に現在分詞の反復の大量の使用は、読者をある種の渦巻きに、ないしはおそらくは一続きの同心円に閉じ込めるのである。この言語の幾何学的な様相はこの詩においてここかしこで使われている仕掛け(装置)である。例えば、地獄編第13章25行では、言語によって連想させられた幾何学的な配列は直線的なものである
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第30章は、罪人によって経験される苦しみが彼等の外見の何か、身体的状況の何かによってではなく、彼等の中にある何か、彼等自身の病弊――精神的なものないしは肉体的なものによって引き起こされるという点で独得のものである。錬金術師がライ病で苦しみ、まねしは気が狂っており、偽造者は水腫で苦痛を受けていて、そしてうそつきが悪臭を放つ熱で苦しんでいるのである。この、悪の溝(マーレボルジア)の最後において、我々はその最縁端で単純な詐欺を見るのである。そしてこの偽造者の罪の多面的な本質のために、我々はおそらく一般に単純な詐欺の罪の真髄を見るのである。その場合、ダンテは我々に一般的な詐欺は(精神・社会などの)病弊であると告げているのであろう。詐欺を行う価値の堕落した意味は、偽造者の場合に、彼等の精神と肉体の堕落した状態によって、ここで象徴的に扱われているのである。
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