2010/11/19
「ダンテ神曲ものがたり その23」
この記事はまだ途中です。
3. まるで下級の修道士が旅路に心を傾けているようでした:この一列になって歩く「下級の修道士」”frati minor”(フランシスコ会修道士で「灰色の服を着た修道士」とも呼ばれる)のイメージは偽善者達の出現の準備をしていて、その衣服が修道士”monaco”(61-66)のそれと比較されるのである["ftate"はフランシスコ会修道士を指す。左図で、1:”cocolla”頭巾つき修道服、2:”saio”修道服、3:”sandali”サンダル、4:cingolo”ひも(小学館伊和中辞典より)]。
4-9.わたしはイソップの寓話の一つを考えていました:ダンテは蛙と鼠の寓話を間違ってイソップの作としている、中世の間はこのような物語すべてがイソップの作とされていたのである。この寓話は流れに辿り着いて蛙に渡らせてもらうよう頼む鼠の話である。蛙が同意し鼠を足に紐で結び付ける。しかしひとたび水に入るや蛙が潜って鼠を溺れさせようと企てるのである。しかし鼠が浮かぼうともがいていると、鷹が襲いかかり両方を運び去る。そして(大抵の版では)鼠を自由にしてやり蛙を食べるのである。ダンテはこの比喩を「両方の出来事の始まりと終わり」(9)に狭めている。多くの批評家は蛙をチャンポーロに鼠を翼曲り野郎(アリキーノ)に同一視してきている、前者が後者を騙そうと企み(そしてそうした)ために、そして彼等はこの寓話の終わり(結末)――鷹が蛙と鼠に襲いかかる――を仲間によって悪魔を打ちのめした二人の救出として見る。この物語と「間近の小競り合い」との間の確かな同一性はダンテによってなにも意図されていないが、この寓話の始まり(蛙による鼠への策略)が悪の爪一族(マーレブランケ)によるダンテとベルギリウス(彼らは第6のボルジアを越える道を探していた)への企てられた策略をよりよくほのめかしており、またダンテが比べる(9)この寓話の終わりがこの物語それ自体の終わりではないことをほのめかしていると思われる。しかしその寓意は、中世においてはこのような寓話に必然的に追加されていたのである。この場合神の正義が罪を犯したものを懲らしめ(蛙が捕まえられ、そして悪の爪一族の2人が瀝青に落ち込み)――そして、汚れのない[お人よしの]「鼠たち」である、ダンテとベルギリウスが逃げ去るのである。
7.というのは「今しがた」と「目下」が:原文では"mo"と"issa"でどちらも古語(ルッカ方言における同意語)で「今」を意味するが、Musaは"yon"と"there"と訳している。英語の"yon"は同じく古語・英方言で"yonder"(situated over there)(あそこに、向こうに)である。Durlingは"mo and issa"とイタリック体にしながらもそのまま用い、注にmo and issa both mean "now" or "soon"と説明している。日本語訳でも様々で、山川が『モとイッサ』、壽岳が『目下と即今』、平川が『「そう」と「左様」』、野上が『モとイサ』である。ただし、中山昌樹は『moとissa』と原文のまま使っていて、その註解に「トスカナにてはmoといい、ロンバルディアにては、issaといへり」と説明している。
25.たとえわれが鏡のようであっても:「箴言(しんげん)」(旧約聖書:「格言の書」)第27章19を比較せよ。『顔がそれぞれ似ていないように、/人の心もちがう』[[ドン・ボスコ社版聖書]の注に『ほかの訳、「水にうつすと顔が顔にこたえるように、自分の心は他人の心にうつる」ギリシア語訳とは正反対である』とある]。[Durling:ベルギリウスはここでは人類の理性の擬人化に近く、それは(肉体的な)像をつくる機能とともに働いている]。[なお、「鏡」は原文では、"piombato vetro"で「鉛でおおわれたガラス」である。動詞"piombare"は「急襲する」という同音異義語がある。65行目の「鉛で縁取りされ」では名詞の"piombo"が使われている。「ずっしり重い」意味がある]
28-30.実を申せば、確かに今それらがわれと合わさった:[「それら」とは巡礼者の「心の内」と「外に現れた像」である]。[Durling:巡礼者とベルギリウスとの思考の出くわす擬人化である。ベルギリウスは自分の思いがちょうど巡礼者のそれ(その「ふるまいと顔」が恐怖に襲われていたのに違いない)のように苦悶していると主張しているのである。「一つの目標に向け合体せんとしよう」とは「私は基本において決心に辿り着いた」という意味である]。[30行:Musaは"and since they were alike in birth and form"と訳しているが、分かりづらい。原文は"con simile atto e con simile faccia"で「そのようなふるまいとそのような顔と共に」である。こここでは原文どおり訳した。また30行の「それら」は巡礼者とベルギリウスとの二人の「思い」である]。
37-42.導者さまは本能的にわたしをしっかりつかみ:ベルギリウスの本能的な反応に注意のこと。彼は、この瞬間、理性の立場で行動していない。注解140-41参照。
44-45.その人が滑られ、その人の背には、坂をなす岩:[Durling:すなわち、ベルギリウスが、ダンテを胸に掴みながら、次のボルジアへ向けその土手を滑っているのである。彼は、その土手がとても急勾配なので滑るために座ることができないため「あおむけ」なのである]。
61-63. 全ての者がその目まで蔽う:クリュニーの修道士の祭服はその盛装さと優雅さにおいて特に有名であった。ベルナールSt. Bernard(フランス)は、もしもこの服の優雅さが神聖を指し示したとしたら、彼もまたクリュニーでベネディクト修道士になっていたであろう、と書いた。おそらくダンテは彼らの衣服の選択における修道士たちの偽善行為(見せかけ)を批判するための比喩を用いているのである。
64-66.まぶしく光り、外側が装飾された外套ですが、しかし内側は:鉛の内装を隠して美しく飾られた外装に対するダンテのイメージはおそらくマタイ伝第23章27から引かれている。『のろわれてあれ、偽善者の律法学士ファリザイ人よ。あなたたちは白くぬった墓のようだ。外は美しそうだが、内は死人の骨とさまざまな汚れとにみちている』[ドン・ボスコ社版聖書]
おそらくUguccione da Pisaの"the Magnae Derivationes"[「大語源」]もまたダンテに知られていたが、彼はギリシア語から派生したypocrita, ipòcrita[偽善的な]が、superauratus[金鍍金された]ないしは"gilded"[金めっきされた、装飾された]を意味すると述べている[ダンテは"dorate"(金めっきする、装飾する)を使っている]。
「大変重い外套を/フェデリーコ王がよくしていましたが」(65-66)はフェデリーコ赤ひげ王Federico Barbarossaの孫のフェデリーコ二世によって制定されたと伝えられている反逆者に対する懲罰の様式に触れている。死刑宣告者達は鉛の外套を身に纏わせられて、それから身体まで溶かされたのであった。フェデリーコがこの懲罰を実際にしていたかどうかは不確かである。
103-108. 快楽騎士団でっせ我々は、二人ともボローニャ出身でさ:1261年ボローニャで設立された聖母マリア騎士団Cavalieli di Beata Santa Mariaの修道院は政治的党派と構成員の間の平和維持に、また弱者と貧者の擁護に捧げられた。しかしながら、そのむしろ自由な規則のために、この高尚な原理集団は「快楽騎士団」” Frati godenti”[Musaは"frati gaudenti"としているが、それは小学館の辞書によると14世紀に設立されたとある。原文は”Frati godenti”。”godente”は「快楽的な、現世享楽的な」の意、”gaudente”は「享楽的な、放埓な」の意である]というニックネーム(俗称)をもらった――それは、疑いも無く、そのシリアスな(まじめな)職務をある程度は傷つけられていたのである。このボローニャ出身の修道士カタラーノCatalano de' Malavoti(およそ1210-85)とロデリンゴLoderingo degli Andalo(およそ1210-93)は前者(ゲルフ党)と後者(ギベリン党)の組み合わせ(連合)が町の平和を確実にするであろうと考えられたのでフィレンツェの行政長官(市長)の公職に連れだって選ばれたのであった。現実には、彼等の保証期間は、短いものであったけれども、ついに1266年フィレンツェからギベリン党の追放となった争いで特徴付けられていた。ガルディンゴGardingo(108)はヴェッキオ宮殿Palazzo Vecchio[「旧政庁」vecchioはold]の回りの、フィレンツェの一区画の名称である[現在はシニョーリア広場(政庁前広場)la Piazza della Signorìaと呼ばれている。" signorìa"は(中世およびルネッサンス期の)領主(君主)の権力ないしは制度またはその領地である。"gardingo"はDurlingによれば"watch-tower"「望楼、見張りの櫓」である ]。この地域にフィレンツェ・ギベリン党の頭首であるウベルティ家が宮殿を持ち、1266年の反乱の間に倒壊された。現代史家たちはクレメンス4世ClementWが、ギベリン党を追放しゲルフ党の権力を確立するために、カタラーノとロデリンゴの選定と行動の両方を支配したと証明してきている。
115-24.あんたがそこで見ているのはくし刺しの刑にされた姿でさ:カヤファCaiaphasは、ユダヤ民族Jewsの高僧で、ヘブライ人Hebrewの国が滅びるよりは一人の人間(イエズス)が死ぬのがよりよいと主張した(「ヨハネによる聖福音書」Joannes, John XI:49-50)。アンナは、カヤファの義父で(121)、イエスを裁きのために彼に引き渡した。彼等の神に対する行為のためにこれらの者らとキリストを裁いた他の悪の助言者達がユダヤ人すべてにとって悪の種」であった(122)。神を報復することでエルサレムJerusalemが破壊される原因となりヘブライ(ユダヤ)の民族が世界のあらゆる場所へ散らされたのである。それゆえに、罪のために全偽善者の重さを支え(担い)、かつ「三本の火刑柱」(111)で地面に磔にされることが、カヤファとアンナと他の者達のためにふさわしい懲罰なのである。
これらの磔にされた偽善者達もまた悪の助言者であるということは注意されるべきである。
124-27.そしてわたしはベルギリウス様が十字架に伸ばされた身体に:多くの注釈者達は、磔(はりつけ)にされたカヤファを見たベルギリウスの驚きが、ベルギリウスが始めて地獄に下りたときにはカヤファがそこには居なかった事実によると考えているように思える。しかしながら、ダンテとベルギリウスによって見られた亡霊の多くはベルギリウスの最初の降下の時にはそこに居なかったのであるし、このローマの詩人は彼等を見ての驚きを何も外に表してはいないのである。ベルギリウスが仕返し(応報)contrapassoが取るふつうでない形態である「磔」によって打ちのめされたというのがもっとふさわしいと思える。
126.永遠の捕囚:[(紀元前6世紀のユダヤ人の)バビロン補囚]
140-41.あの者はこのやっかいのためうそを付きおった:審美的に、第5のボルジアは、壊れていない橋に関する悪の尾野郎(マーラコーダ)の言葉(21章110-11)がうそであったというベルギリウスの認識を伴って、ここで終わるのである。この第21から23章の出来事は、実際、詐欺行為としての一般的なうそを明らかにする一連のうそを一巡している。最初は、悪の尾野郎と他の悪の爪一族が、ダンテとベルギリウスに、第6のボルジアの上の「当初の」橋は粉砕されているが遠くないところに全部そろった別のものがあると思わせることで彼等を欺く(惑わす)。次には、ナバーラ人のチャンポーロがダンテとベルギリウスを欺いて、彼が彼らと話をするためのイタリア人を瀝青の下から呼び上げようとしていると思わし、そして彼は悪の爪一族を騙して彼らが苦しめる新しい罪人を呼び上げると約束して自分を一瞬自由にさせるのである(22章97-132)。それから、悪の爪一族が、チャンポーロが逃げると(彼はそうしたが)彼らの中で一争いが起きるかもしれないような彼のうそをついている提言に同意することによって、狡猾にお互いを欺くのである(22章106-41)。そして最後に、我々が第23章で見ている偽善行為の罪が、以前に行き交ってきたうそのすべてを再現しているのである。事実悪の尾野郎とチャンポーロによって類型化されたうそを付く方法が――明確な真実はうその申し立てによって結果として起こる(21章注解112-14、22章注解97-132参照)――偽善者達のうその実体を覆い隠した真実の外観(きらきら光る外装)を伴った彼等の罰によってより大きな意味で叙述されているのである。
ベルギリウスもまたうそによって捕らえられ、そしてこの章では巡礼者よりもほとんど弱者の様相であるというのは興味深い。21章で彼は巡礼者が悪の爪一族に疑念を示したとき彼の恐怖を小さくし[実際にはけなしているのかもしれない](127-35)、また23章では彼を不意に掴み上げ次のボルジアへと滑り降りる前に彼の警告を遅らせるのである(21-24)。ベルギリウスの、うそと互角に対抗しようとした(うそを切りぬけようとした)ための失敗はおそらく詐欺を認めるための理性の無力を直接にほのめかしている。その詐欺は常に道理にかなった言い回しに偽装されている(明確な真実はうそに先行する)のである。そしてこの見方においては、第6のボルジアのうそつき悪魔からのベルギリウスの脱出が本能的であり理性的でないこと(23章37-45)は注意されるべきである。
146-48.その顔には怒りの跡がうかがえました:ベルギリウスが怒っている。もちろんのことである。なぜなら彼は悪の爪野郎を信じてきてそして騙されてきたのである。そしてまた彼の純真さに対する修道士のわずかに愚弄している戒めのためでもある(142-44)。ベルギリウスの一時的な失敗が巡礼者の尊敬と敬愛をどのような場合にも減らしてきてはいないことは終わりの行に明らかである。「その大切な足跡の後ろに道を進めました」
* * * *
ダンテはこれらの間近の3章を統一する手法の完全な熟練を明らかにしている。最初は、もちろん、聖職売買人と偽善者(その罪は第5と第6のボルジアで懲らしめられている)が密接に関連し、第5のボルジアにおける人物によって語られたうそ(21章と22章)が第6のボルジアにおける欺瞞(23章)として暴露されるのである。悪の爪一族(マーレブランケ)は3章全てを通して連続して姿を現し、そしてユーモア、時にはグロテスクさが悪魔のその軽薄な(ふまじめな)言葉遣いとキーストーン巡査Keystone Kopのようなアクションで通りぬけるのである。そのユーモアはおそらくベルギリウスに対する修道士の皮肉な(嫌味な)言葉「一度だけですが、ボローニャで、/悪魔の多くの悪行を議論してますのを聞いたことがおました。それらの一つは/そいつはうそをつき全てのうその父親なりというものでしたが」(23章142-44)で終わりとなる。この比喩的表現(描写)もまたこれらの章をお互いに結び合わせている。21章の始まりのイメージ(ベネチアの造船所)は来るべき瀝青の回りの、悪の爪一族の忙しく、半ば軍人的な活躍を予測してるいるし、22章の似非叙事詩的な始まりは21章を終える放屁へと戻るようにこっけいな軍人的なイメージを持続している。そしてイソップの寓話もまた、それは巡礼者が22章の終わりでの小衝突(小競り合い)によって23章の始まりで思い出させられたものだが、蛙たちや、鼠や、鷹を巻き込んだ動物の直喩によって22章に予表されている(前兆となっている)。最後には、ダンテが描写された活躍を再現しこれらの章を結びつけるために彼の詩の中で速度の緩急を上手に交代させている。ベネチアの造船所の急速な忙しさの比喩は悪の爪一族のしゃべりの忙しさに再現されている:
「おーい、悪の爪一族ども、
ここにお前等の為に聖人ツィータの長老達の一人が居るぞ!
お前等こいつを刺し降ろせ――俺はしばらくの間戻るからな」
(21章37-39)
この忙しい言葉は22章を通して続けられている、しかし23章の最初のテルツェットは対照的な遅さと重苦しさによっている:
無言で、孤立して、道案内なしに、
わたしたちはどんどん歩きました。一方が他方に隠れて、
まるで下級の修道士が旅路に心を傾けているようでした。
これらの行はもちろん偽善者達の重くて、ゆっくりした動きの前兆となっているが、まもなく、ベルギリウスとダンテが悪の爪一族から逃れると、その歩調は再び上げられ、そしてそれが、詩人たちの土手の滑り降りが粉引き水車を駆け下りる水(46-51)と比べられるように、その熱狂的なクライマックスへと至るのである。しかし彼らが安全に第6のボルジアの地面に至るや、彼らは偽善者達を見、その歩調が再びのろのろと遅くなるのである:
さて今、そこに降りて、わたしたちはとある色塗られた人々を見つけました。
ゆっくりとした動作。一歩ずつ、彼等が歩き、回りは
(58-59)
これらの3つの章は独特の効果をもつ審美的な仕掛けで結び付けられているのである。
1
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。