2010/11/19
「ダンテ神曲ものがたり その19」
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1-6
使徒行伝(行録)8:9-24に物語られている様に【資料19-1参照】、魔術師シモンSimonは、預言者ヨハネとペトロに備わっている「聖霊のさずけ」に注目して、自分もこの力を手に入れたいと望んだ。するとペテロは神の賜物が買え得ると考えることに対して厳しく彼を戒めた。この魔術師の名前から由来して、”simonìa”(simony)という言葉が「聖職売買」(「牧師の役職の売買または詐欺的な所持」)を意味する違法行為に適用されている。
第18章の終わりでのベルギリウスの穏やかな言葉に直接続くこの出だしの6行の毒舌(罵倒、悪口)によって達成されている劇的な効果に注目しよう。そして我々がこの章が始まることを期待してきたかもしれない物語の静かな調子[7行以下]に直接続けられるのである。この「頓呼法apostrophe」[修辞学において、詩などの途中で感嘆のあまり急転して、その場にいない人や無生物に呼び掛けること]という感情に訴える力(この言葉は明らかに詩人ダンテのものである、なぜなら巡礼者は、形式上いまだ出くわしてはいない、第3の溝(ボルジア)において懲らしめられている罪がどんなものかを知りうることさえできなく、また罪の配列としての言葉に自覚をもって考えることさえできないのであるから)は地獄編においては全て同じ程度ではない。すなわち、この章における(感情の)激発という冒頭の状態は読者にショックを与え、読者により大きな承知(気づくこと)で読むことの準備をさせているのであり、一方この感情は読者の罪への憎悪を原因から結果へと目覚めさせることを意図しているのである。
1. おおそれに従う人間のくずよ:[原文は"o meseri seguaci"で、"O wretched followers"(Durling)「おお不幸な追随者よ」であるが、Musaはさらに厳しく、"scum"「人間のくず」という言葉で訳している]
4. 金と銀とで値をつけて、切り売りしたるか:出だしの毒舌がこの章と前章との間を明確に引き裂いているという事実にもかかわらず、この連結は淫買prostitutionのイメージを通じて美学的に(審美的に)達成されている["prostitute"は、「(卑しい利益のために名誉などを)売る」"sell for base gain"、「才能などを悪用する」、「卑劣な目的に用いる」"put to ignoble use"という意味合いであり、再帰的に「売春する」意味となる]。このように第18章の最後の形姿figuraが、売春婦タイスTaïde, Taïs であり、聖職売買人simoniaco, the simonistへの関連付けを用意しているのであり、彼は「神の賜物を……金と銀とで値をつけて」(2-4)切り売りするのである。このようなイメージの他の反復が本章で見られる、55−57行、108行参照[”figura”とは(言葉、思想の)綾で、修辞法で「語源に因む文彩」:語源上密接な、または関係がありそうな2つ以上の語を利用して荘重、強調、おかしさなどの効果を生む表現方法。特に中世、ダンテの時代に普及した修辞法の一つである。この「切り得る」の原文は"adulterare"という動詞だが、英語でも"adulterate"であり「粗悪なものにする、(内容を)勝手にゆがめる、歪曲する」意味が主で、「売春(密通)する」意味は薄い。ダンテ自身が「売春する」意味では、"puttanesco"、"puttaneggiare"を、「それは売春婦のタイスである。その者の得た答え:Taïde e, la puttana che rispuose(第18章133行)」で使っている。日本語訳では平川が唯一「売りひさいでいる」と訳している。1-4行はシモンをダンテが聖書から引いている以上、「あなたは、神のたまものを、金で買おうと思いついた。このことについては、あなたにはなんのかかわりもなく、その権利もない。あなたは神のみ前に正しいものではないからだ」(使徒行伝8:21)に基づいて訳すべきである]
5-6. 今、汝らを祝して、私は我がラッパを:ダンテは、第3のボルジアで懲らしめられている罪人の本性を告知しようとして、告知がトランペットからの吹奏音を先行させたという中世の(町で布告などを告げ歩く)触れ役に自分自身をなぞらえているのである[「汝らを祝して」は原文では”per voi”で単に「汝らのために」であるが、Musaが皮肉を強調していて”in your honor”と訳している]。
10-12. おお最高の知恵よ:再び詩人ダンテが彼の物語を中断している。ここでは神の正義the Divine Justiceの仕事を賛美しているのである(いままでのところでこの章では述べられていない!)。この中断する頓呼法のすばやい連続は聖職売買の罪に対するダンテの道徳的憤慨を強めているのである。
21. これをして人類の真実の絵となすべきや:多くの注釈者たちはこれらの行を、聖所を汚すこと(聖物冒涜)の容疑から自身を晴らすためのダンテ側に関する企て(試み)として解釈しているが、それは専門的にはこの(明白に人道主義の)行為の結果において彼に向けられてきているはずである。しかしきっとこのような高度に個人的な要素の挿入は、完全にこの章の審美的構成に対して不適切で、ダンテの意図ではなかった。むしろ、彼は洗礼器具の破壊breakageを聖職売買の実践のある象徴として見なしていた。だが前者は愛の為になされ、後者は物質的利益のために(神学において、罪とみなされる)感覚的欲望からなされたのである。ダンテは、それから、この直喩を具体化することによって読者に聖職売買人の真の本性を暴露することを望んだ。キリスト教会の破壊destructionの結果となるある行為は、洗礼盤によって象徴的に扱われている。[たとえば、平川は「ダンテが幼児を救おうとした行為を神にたいする不敬の破壊行為と非難する向きに対してダンテが釈明したのである」と注釈しているに過ぎない。また、Durlingは、「ダンテがいずれかの洗礼盤ないしは一部を壊したという同時代の伝承記録はない。ある影響力の強い注釈において、Spitzer(1943)が、歴史的出来事ではないが、堕落した教会としてのこの章でのダンテの告発は、読者を”惑わす”、ないしは啓発する意図でなされたと思えると提案した。洗礼盤の破壊(20行)はボニファキウスによって教会[=気高い貴婦人]になされた暴力として繰り返されている(57行;Musa)。この出来事はまた、聖職者が不適切としてきた場所における聖職にない人の(俗人の)干渉の実例である」と注釈している【資料19-3参照】。キリスト教絵画によれば、「水の洗礼」は、14世紀までは浸水型(イエスは裸ですっかり水の中に浸かっている)の図像が一般的であったが、その後は灌水型(イエスは腰布をまとい頭に水が注がれる)の図像が普通となった。浸水型期の絵画では、ヨルダン川は水瓶をもった川の神として描かれていたが、灌水型期には消え、代わりに2、3人の天使が衣を手にしてその位置を占めるようになる。これによりイエスを中心に、左右に洗礼者ヨハネと天使を振り分けるという構図上の均衡が保たれる【資料19-12参照】。すなわち、ダンテの時代では、洗礼盤に全身浸かって洗礼を受け、大きな洗礼盤では子供が溺れることもあったろうと思われる]
25. 全ての罪人の足の裏は炎を出していました:ちょうど教会の聖職売買人(シモニスト)達の堕落(倒錯)が洗礼盤に似ている穴における彼等の「邪悪な」"perverted"浸礼[全身を水につけて行う洗礼]によって象徴されているように、彼等の「洗礼」は邪道に落ちている。キリストの教会破壊における結果は、油つぼ(洗礼盤the Font)によって象徴されている["pervert":誤用する、悪用する、誤解する、(人・精神を)邪道に陥らせる、堕落させる;邪道に陥った人、背教者、性倒錯者]。
27. いかなる鎖も縄も切ったでしょう:[原文は"spezzate averien ritorte e strambe"で「身に着けられた(囚人の手足を縛る)縄と布を粉々にした」であるが、多くの訳者は"riorte"をその第一義の「(しなやかな細枝で作った、物を縛る)枝ひも」と訳し、"strambe"を「縄」と訳している。Durling:"have broken twisted withes or braided ropes"、野上:「枝編網(リオルテ)でも縄(ストランベ)でもきってしまいそうだ」であるが、そもそも"spezzare le riorte"で「束縛を脱する」意味があるので、"e strambe"は十一音節詩行endecassillabo故のダンテの工夫と取るべきであろう。よって「囚人を縛るための(鎖状の)枝と(紐状の)布」の意である]
45. そこは脛で思い悩んでいる者のところでした:ニコラウスの注意を引く脚に適用された軽蔑的な用語である「脛」shanks, zanche[zampa:動物の足]に注意せよ。「神曲」においてこの単語のほかの場所での唯一の出現は第34章の79行で、そこではルシフェルの脚を引き合いにして使われている。
48. 音か何かを出してみたまえ」とわたしが言いました、「もしできるならば」:二本の身振りをする脚の異様な(怪奇な)光景に直面して、巡礼者ダンテは彼の心の混乱して確信がない状態を明らかに暴露するやり方で彼等に話し掛けている。彼の念仏(乞い)、「おまえが何であれ」は、魂の「人間的な」本性に関する彼の疑いを暴露している。この接近した命令「音か何かを出してみたまえ、もしできるならば」は、彼の前の物体がそれ[音をだすこと]さえできないはずだという彼の信念を連想させる。
53. ここにすでに直立しておられるあなた様は、ボニファキウス様ですか?:この極悪の亡霊に与えられた予知から、この話者は、教皇ボニファキウス8世が、1303年に死に至り、話者自身が今苦しめられているまさにその容器に取って代わることを知っているのである。巡礼者の声は、このように手短だが、彼の後継者が彼の時代(実際に3年)前に期待せずに到着してしまい、その結果として、神の予表、すなわち「運命の書物」(54行)が彼にうそをついてきていることをこの罪人に信じさせるはめになったのである。
教皇ケレスティウス5世CelestineXの退位を手に入れて、ボニファキウスBonifaceはナポリのカルロ2世CharlesUの指示を得て、したがって教皇職への当選を確約された(1294)。カルロとの彼の取り引き(売買契約)における教会の影響力を誤用することに付け加えて、ボニファキウス8世は彼の家族と腹心の間にキリスト教会の役職を自由に分配した。1300年当初彼はダンテが属していたフィレンツェの政治党派である白党の破滅をたくらんでいた(第6章67-69行と比較せよ)。このように彼は最終的に1302年の詩人の国外追放に責任があった。このことは天国編第17章49-51行にある「預言者の」一節に陳述されている。
57.気高い貴婦人:教会。
67-72. もし我が名を学ぶがこと汝に関わるとして:オルシーニ家のジャン・ガエターノGian Gaetano degli Orsini(文字通りに、「仔熊の」、したがって「雌熊の子孫」と呼び、「我が小熊」へと関連付けている)は1277年に教皇ニコラウス3世NicholasVとなった。一人の枢機卿として彼は誠実で名高かった。しかし、教皇座へ登ってから死ぬまでの短い3か年で彼は聖職売買的な実行のために悪名高くなった。彼は多くの親類縁者をキリスト教会で昇格させ、土地を取得し、一族の手に公権力を導き、そしてヨーロッパの他の支配一家との政略結婚を取り決めたりすることで、彼の強引な願望を推進した。
この70-72行の有名な語呂合せはニコラウスの「応報」"contrapasso"を表している:彼が生存中に富みを「袋(ボルサ)に入れた」と同様に、地獄においては彼自身が「袋(ボルジア)=溝(ボルジア)」に入っているのである【資料19-4参照】。
74.聖職売買の罪を犯したるは:このイタリア語の動詞"simoneggiare"(ここではニコラウス3世によって動名詞gerundio形現在の"simoneggiando"として使われている。「聖職売買の罪を犯している罪人」)は、巡礼者によって用いられた類似の形式"puttaneggiando"(「売春すること」)(107行[原文では108行])を疑いもなく予期してダンテによって考案されたのである[このようにMusaが説明しているが、"simoneggiare"は"simonìa"(聖職売買)+"eggiare"で、"eggiare"はラテン語語源で名詞、形容詞、副詞に付加され、動作の強意・継続を示す接尾辞であり、同様に"puttaneggiare"は"puttana"(売春婦)+"eggiare"であり、ダンテが考案したとするのはどうかと思う。また、Musaは"puttaneggiando"としているが、原文は"puttaneggiar"でジェルンディオ形式ではない]。
77. その者来たとばかりに、我が汝と思った者であるが:ボニファキウス3世のことであり、上述の53行注解を参照。
78. 時に、突拍子もなく、我汝に問いを発したのである:[52行の「そ、それは、あなた様、ですか?」を指す。]
82-84. その者の後たちまちにして西よりある者来よう:ガスコーニュGascony[フランス南西部の都市]のクレメンス5世ClemensXは、1314年に死んだが、最終的な苦痛においてニコラウスとボニファキウスに加わるのであろう。教皇に彼が選ばれた交換に、クレメンスはフランス王フィリップ4世美王Philip the Fairとおびただしい秘密の陰謀に携わることを約束した。フィリップの手の中で彼は傀儡(かいらい)のなにもでもなく、王の不正な計画、とりわけエルサレム神殿騎士Templarsの鎮圧と略奪を遂行するために彼の誓約に束縛された[掣肘を受けた]。クレメンスの統治の間に教皇庁がローマからアヴィニョンに移された。
85-87. その者別のイアーソンであるはずである:シリアの王アンテオケAntiochus[アンティコ]にわいろをおくってユダヤJewsの高位司祭叙任を得てから、イアーソンJason[ヤゾン]は神殿[ユダヤ人がエルサレムに3回建て直した]の聖餐と免罪権をおろそかにして、彼の共同社会の中にギリシアの生活様式を取り入れた。イアーソンが詐欺的に彼の職位を取得したように、メネラーオスMenealusもまた同様であったが、彼は王に多額の金を差し出して、イアーソンの地位を奪った(マカベア後書、:7-27)。イアーソンが王アンテオケから詐欺的に聖務を得たように、そのようにクレメンスもフィリップ王から彼の聖務を獲得したのであろう【資料19-5参照】。
91-93. 聖者のペトロが我らが主に支払わねばならなかったものは?:【資料19-6参照】
94-96. 聖ペトロも残りの者も:ユダJudasの裏切りと続いて起こる追放の後で、使徒達は彼等の数を補充するために多くの(票を)投じた。このように、神の意志によって、金が支払われることなしに、マティアMatthiasが空白の職位に選ばれたのである(使徒行伝。:15-26)。【資料19-8参照】
98-99. さらに不正に得し金を注意して護るがよいぞ:13世紀のフィレンツェの年代記作者ジョヴァンニ・ヴィッラーニGiovanni Villani[Chronicle 7.54,57]は、ナポリとシチリアの王で、ニコラウス3世によって昇進させられ、ギリシア皇帝Michael Palaeologusの「不正に得た金」に支えられたアンジュー家のカルロCharles d'Anjouに対する陰謀をほのめかした。この教皇[マルティヌス4世Martinus]はシチリアのジョヴァンニ・ダ・プロチダGiovaanni da Procidaに彼の援助と影響を引き渡した、それが支持されたのは、シチリア晩祷(ばんとう)事件を背景とした原動力であった、この事件はシチリア人がフランスの統治から自分達を解放した流血の反乱である。[天国編8.67参照]
101-2. 汝が幸福な人生において一度は掴みし全ての鍵の/最高なるもののために:[ダンテの聖職授与としての教皇職に対する敬虔は文書で証明されている。煉獄編20.85-90参照。しかし唯一人の教皇が、聖ペテロを除いて、ダンテの天国に見つけられ(ヨハネスJohn 21世で、スペインのピエトロPeter、論理学者。彼が教皇であったことは言及されない)、また二人だけが煉獄に見つけられる(ハドリアヌス5世Hadrianus〔AdrianX〕とマルティヌス4世Martinus〔MartinW〕)が、一方で4人の教皇が堕落したと語られている(アナスタシウス2世AnastasiusU?、ニコラウス3世Nicolaus、ボニファキウス8世Bonifacius、そしてクレメンス5世Clemens)、そしてもう一人がおそらくケレスティウス5世Coelestinusである:Durlingの注解による]【資料19-2参照】[【資料】ではアナスタシウス2世AnastasiusUはダンテの生まれる以前の教皇なので出てこなく、クレメンス5世Clemensは煉獄におかれているとしている]
106-11. 汝の導いたのはそれが福音伝道者の心に抱いたものであった:福音伝道者聖ヨハネが自堕落なローマの帝国都市について彼の洞察力(「夢」)を詳しく語っている。ダンテにとって、「川に佇む」女は教会を思い浮かべ、それは多くの教皇(教会を「誘導したる」者:指導者)の聖職売買的な活動によって堕落させられてきているのである。この「七つの頭」は七秘蹟を象徴し、「十の角」はモーセのを意味している[煉獄編32.148-60参照]【資料19-7参照:ヨハネの黙示録】
115-17. ああ、コンスタンティヌスよ、いかなる悪魔を汝作ってきたのであろう!:コンスタンティヌス大王Costantin, Constantine the Greatは、ローマの皇帝で(306-337)、312年にキリスト教に改宗させられた。東方の地中海沿岸地方を征服して、首都をコンスタンティノープルConstantinopleに移した(330)。この引越しは、言い伝えによれば、レプラ(ハンセン病、らい病)を癒してもらった教皇シルベステルSylvester(在位314-335)(「最初の富ある教父」)に報いる(支払う)ために帝国の西側を教会の管轄区域下に置くというコンスタンティヌスの決心から起こった。「コンスタンティヌスの贈呈」と呼ばれたものは、15世紀には(by Lorenzo Valla and Nicholas of Cusa)聖職側の完全なでっち上げであると証明されたが、中世においては真実として普遍的に受け入れられた。巡礼者ダンテはこの言い伝えを、教会に最初に富をもたらし、未確認だが、最終的にはその当面の堕落のために責任をとったであろう〔特定の〕個人に対して、彼のあきれた演説の中で再現している。帝政論V,10と比較せよ[帝政論De Monarchia(V.10.1)で、彼は、コンスタンティヌスの皇帝力の譲渡は法的効力がなく、その教皇職による受諾は所有に対する教会の禁止命令から逸脱していた、と論じている]。
地獄編全体は、もちろんのこと、巡礼者の学習過程ないしは精神的発育の物語であるが、ここ地獄編第19章において、ダンテは、細密画のようにその過程の生き生きとした描写で私達に伝えることを選んできている。ベルギリウスは巡礼者に、好奇心が起こった罪人に関して自分のために学べるようにそのボルジアの底まで運んでやろうと告げている(36行)。そして巡礼者がまさしく学ぶのである。ニコラウスが、彼の罪と彼の処罰を描写し、彼の穴に更に深く彼を押し込めるために彼の後から来ようとする二人の教皇を告知することで、巡礼者の先生となる。巡礼者はまたニコラウスの語りの高慢な(気高い)調子から学び、そして、地獄編では初めて、十分成長したような雄弁的な「話し方(演説)speech」で、返答するのである:
わたしが知る由もなく、おそらくわたしはここではあまりにも大胆でしたが、
しかしわたしはその者の言葉のもつ調べにて答えました。 (88-89行)
その「演説speech」の最後の部分は、更に、唯単にニコラウスに向けられたものではなく、このボルジアに居る聖職売買人達全てに向けられており、ダンテがニコラウスだけに話し掛けているときに用いられている"tu"というイタリア語の単数形から[101行の「汝が」]、104行からは複数形の"vosta"ないしは"voi"[「汝等の」ないしは「汝等」]へと変化させることによって表現しているという事実がある。ダンテは単に聖職売買の罪の本質を学んだだけでなく、その罪がニコラウスのように特定の罪人よりもさらに重要であることを認識しているのである。そしてちょうど詩人ダンテがこの章を、魔術師シモンに対する著作者の頓呼法的毒舌で開始してきたように、巡礼者ダンテは、詩人の知識状態に到達してきたかのように、コンスタンティヌスに対する頓呼法的毒舌でもって聖職売買人達と取り引きする部分で終えるのである。このように巡礼者の学んでいく過程は彼の話し方(演説)における審美的な「模倣された」ものなのである――彼の口の利けぬ(程驚いた)状態で始まったのだが[二人称での単数/複数の区別が英語ではないためにMusaは、言いまわしの転調にて表現しようとしているが、かなり難しく、このように論じているが、日本語訳でも壽岳、平川がこの問題を論じている]。
ベルギリウスは巡礼者の成就に相当に満足させられて彼を「それからその人は両の腕(かいな)でわたしを抱き上げられ、/そしてその人の胸にしっかりとわたしを抱えられて、/その人は降りてこられた道を登り戻られました」(124-26)と受け入れる(理解する)のである。ベルギリウスが彼の後見人をボルジアへと運び降ろした時、傍らに彼を握り締めていた(43)が、いまは胸に抱えて彼を運び上げ、喜び(満足)を表して、そしてとある入り口(通路)への移動し、(筋の進展として)の連環へ至らせるのである。
詩人ダンテが、巡礼者が聖職売買の卑しい本性を徹底的に学ぶことに、多いに重きを置いたことは、この章の中での教訓的な毒舌から明らかであるだけでなく、穴に居る聖職売買人達のいきいきとした描写が地獄編の最終章(34章88-90)において呼び起こされる点からも明らかである。この二人の旅人がルシフェルの巨大な体の一部分に沿って彼らの旅を完遂させて後、その間のある時に彼らは地球の中心を過ぎて行くのだが、ダンテは一息ついて、ニコラウスの脚の拡大のように、凍結されている裂け目から突き出しているルシフェルの誇示された脚を仰ぎ見るのである。ちょうどニコラウスが神の教会を騙し取ったように、ルシフェルが神それ自身を騙し取ろうとしたのである。
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