2010/11/19
「ダンテ神曲ものがたり その18」
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1-20. 地獄に悪の溝と呼ばれる場所がある:10個の溝(マーレボルジア[原文は”Malebolge”で”bolgia”の複数形])を持つ第8連環のこの詳細に述べられた描写は読者を驚かすかもしれないし、また巡礼者がその始点にまさに到着するまでになされているのである。我々は巡礼者自身が知り得なかった情報で我々を満たす詩人ダンテの声を聞いていると想像してはどうだろうか。もちろんそうではない。詩人ダンテが決してこのように現実的な(そして非芸術的な)思いやりに干渉することはない。それは巡礼者であり、彼がゲーリュオーンの背中に乗ってゆっくりと地上”gyre”を離れて(第17章、115−26行参照)、空中からそれ[第8連環]を眺めてきているように、第8連環の描写をしているのである。この絵はここでは空中の眺めでしかあり得ない[「鉄鉱石の色」とあるのは、アペニン山脈では鉄鉱石が多く含まれているためで、北イタリアでは石灰石が多く含まれている]。【資料18-1参照】
16-18. 岩の輻が突き出し:[輻(や)とは「車輪の中央にある轂(こしき)と外輪を放射状につなぎ、車輪を支える棒」のことで、英語の"spokes"にあたる。同様に18行目の轂(こしき)は「輻(や)の集まる車輪の中心部」のことで、英語の"hub"にあたる。原文は"così da imo de la roccia scogli/movien che ricidien li argini e' fossi/infino al pozzo che i tronca e raccogli."で「そのように、この断崖の基部から、岩礁が動き出し土手と溝を横切り、穴が先端を切りそれらを集めるまで」であるが、Musaは"spokes"と"hab"を用いることで、「ヒョウの罪」の図(p.171)に示すような車輪のイメージを見事に訳出している。日本語での輻(や)も轂(こしき)も「牛車」を説明するときにしかあまり用いられないが、Musaのイメージを重視した。なお、"spoke"には「(はしごの)段」の意味もある。同様に"hub"は「中心」である]
26-27. わたしたちに近い一隊は通りすがりにわたしたちと顔を合わし:第一のボルジアは二つの種類の罪人を収容していて、それぞれが「急いで」によってとじ込まれているが、方向において分離している。売春あっせん人達は巡礼者と導者に向かって歩いていて、女たらし達は巡礼者と同方向に動いているのである。
28-33. ローマ人もまた、聖年の年に:ダンテは第一のボルジアにいる罪人達の動きを1300年に聖年(ヨベル)のためにローマにやって来た多くの巡礼者のそれと比較している。彼らは橋を超えて群れをなし、半分は聖天使城とサン・ピエトロ大聖堂に向かって歩き、他の半分はジョルダーノ丘Monte Giordano(テヴェレ川対岸の小山)に向けて歩いた。
聖年giubileo, Jubilee:キリスト教における特赦の期間。最初ボニファキウスBoniface 8世によって制定され、彼が1300年にその年にローマを訪れるすべての巡礼者に、告白と、悔悛と、聖ペトロ大聖堂礼拝出席の条件で、無条件の贖罪を免除するため牡牛を支給した。この名はヘブライの慣習[羊の角笛でヨベルの年が宣せられた。ヘブライ語”yobel”は「牡牛」のこと]からきている。レビ記25参照[ユダヤ民族がカナンに入った年から数えて50年。奴隷などの解放、物品の返還が行われた]
50-57. ヴェネディコ・カッチャネミーコ:この人物(およそ1228年生まれ)は1260年から1297年までのボローニャでのゲルフ党領袖であった。彼はさまざまな時にピストイアPestoia[イタリア中部トスカーナ州の都市]、モーデナModena[イタリア北部エミリア・ロマーニャ州の都市]、イーモラImola[イタリア北部エミリア・ロマーニャ州の都市]とミラノMilano[イタリア北部ロンバルディーアの州都]の行政長官であった。彼は、とりわけ、いとこ殺しで告発されたが、彼がこのボルジアに居るのは、巷で言われているように、自分の妹ギゾラベッラを、お世辞を言って取り入ろうとするためにエステEsteの公爵夫人(オービッツォObizzo 2世またはその息子アッツォAzzo 8世のどちらか)に引き渡したという売春あっせん人として演じたためである。
51. どうしてあなたはこんな漬け汁に身を置いてきたのです:ダンテは疑いもなく”salse”[salsa:ソース]の語をもじっている。それはこのボルジアにおいて蒙っている苦痛を特徴づけるとともに、また犯罪者の身体が投げられたボローニャBologna(ヴェネディコVenedicoの町)近くのある峡谷(あなたが意図するならば、とあるボルジア)の名前でもある。[「漬け汁に身を置く」とは「苦境にたたされている」ことを意味する。原文は"pungenti salse"で「刺激のあるソース」であり、英語でも"pungent sauces"でよいが、Musaは"a pickle"と訳し、しかも単数を用いている。"pickle"には「苦境」の意味がある。野上は「きみをこんなつらい刑罰にあわせたのは何だ」と訳し、「刑罰」に「サルセ」とルビを振り、「サルセは塩、しょっぱいもの、苦い刑罰なる意味で、かつて処刑された罪人の死骸をなげすてたという崖の名サルセにもかけてある」と注記している]
61. その舌は、サヴェーナ川とレーノ川の間で、『ソウダベ』と言っている:ヴェネディコは自分がこのボルジアで懲らしめられている唯一のボローニャ人ではないと暴露し、そしてむしろ、「そうです」"Si"の方言である「ソウダベ」"Sipa"という言葉で指摘された、サヴェーナ川とレーノ川の間の地域の現在の[生きたる、60]住人よりも、その町からここには多くの売春あっせん人がいることを申し立てているのである。33章80行と注解を参照のこと。[「ソウダベ」とは"Sipa"の訳出である。"Sipa"(シッパ)はボローニャ地方の方言だが、「(特に子供が)不満で下唇を突き出すこと」ないしは「突き出した下唇」のことである。日本語の「あかんべー」(相手を疑うような少し不満げな返事、また舌の「ベロ」)に合い通じるものがある。ドイツ語に同意語のSchippe(シッパ)がある(シャベルの意味でもある)。第17章75-76行でのパドゥア人の「最後の言葉だったが彼は舌を跳ねたのです――/まるで牡牛がその鼻を舐めるようにでした」が思い起こされる。ダンテの「舌lingue――言葉linguaggio」での連想であろうか。他の日本語訳では、このあたりの訳に苦労されているようで、「舌」という語で訳出しているのは山川のみである:「シパといひならふ舌もなほその数これに及びがたし」と訳されていて、注に「シパ:ボローニャ地方の方言にてシアsia(si然り)の意に用いる、故にシパといひならふ、舌はボローニャの方言をもちいるもの即ちボローニャ人なり」と説明されている]
86-96. その者イアーソーンなり、勇気と研ぎ澄まされた機知によって:イアーソーンIasón, Jasonは、アルゴー号乗組員達Argonautsの指導者で、子供のとき、異母兄弟ペリアースPeliasによってイオールコスIolcusの王権を奪われていた。イアーソーンが成長したとき、ペリアースはイアーソーンがコルキスColchisの王アイエーテースAeëtesの金の羊毛を手に入れることを条件に彼に王を約束した。イアーソーンはその企てをすることに同意し、コルキスへの途中にレームノスLemnosに寄港した。そこで彼はレームノスの王の娘であるヒュプシピュレーHypsipyleをそそのかしそして捨てて立ち去った(92行)。コルキスでは王アイエーテースがもしイアーソーンが二頭の強暴な牡牛を軛(くびき)につないだ後、羊毛を護っている竜の歯を播くならばその羊毛を彼に与えると同意した。メーディアMedea(96)は、女魔法使いでその王の娘であったが、イアーソーンに恋をして魔法で父の条件を満たして羊毛を手に入れる彼を助けたのである。この二人はギリシアにもどり、そこでイアーソーンは彼女と結婚したが、後になって彼はコリントスCorinthの王クレオーンCreonの娘グラウケーGreusaと恋に陥り、彼女と結婚するためにメーディアを見捨てたのである。メーディアは、激怒で気が狂い、毒薬の浸してある衣を送ってグラウケーを殺した。それから自分の子供達も殺害したのである。イアーソーン自身は悲しみのうちに死んだ。
ヒュプシピュレーは、レームノスの女どもがその島にいる男をすべて虐殺したとき、父であり王のトアースを殺害したと誓うことで、レームノスの「他の女を惑わして」(93)いたのであった。【資料18-1参照】
87. コルキス人から金の雄羊を騙し取ったのである:[「騙(だま)し取る」は、原語では"privare"で単なる「奪う」であるが(英語では"deprise"または"rob")、Musaは"fleece"という単語を使っている。この語は名詞では「羊毛」であるが、動詞となると、「毛を刈る」から「(人から財産などを)巻き上げる、騙し取る(strip)、略奪する」の意味が派生している。Musaの妙である]
104-105. 哀れっぽい声で訴えるのを聞くことができました、ぶうぶうと鼻で鳴らし:第2のボルジアの排泄物の中に居る罪人達はおべっか使い達である。この言葉の「豊富な」本質に注意のこと。第1のボルジアでのそれとは違って、お世辞の罪と罰の本質の変化した叙述法である。
122. 君はルッカから来たアレッシオ・インテルミーネイだろ:このインテルミーネイ家はルッカでは白党として目立っていた。しかしアレッシオについてはほとんど何も知られていなく、13世紀後半の若干の記録にその名を留めているにすぎないが、1295年では、おそらく彼は生存していた。
124. 其れは汚らしい額を打ちながら答えました:[「汚らしい額(ひたい)」は原語では"zucca"で植物の「カボチャ」であるが、Musaは"slimy forehead"と訳している。日本でもそうだが、おべっか使いが額をぺんぺんと打ちながら話をする様である。この"zucca"を「カボチャ」と直訳しているのが少ないのでおもしろい。日本語では、山川が「頂(いただき)」、寿岳が「頭顱(とうろ)」であるが、平川が「かぼちゃ頭」と訳している。Durlingは"noggin"(俗語で「頭」だが、小ジョッキの意味)である]
135. 『大いにですって?とんでもござません、信じられないくらいですわ!』:ここのタイスThaïsは同名の歴史的人物(時代を超えて最も有名な[金持ちや上流階級相手の]売春婦[日本でいう「大宮人」])ではないがテレンティウスTerenceの『宦官』Eunuchusにおける登場人物である。ダンテはおそらくその劇に不慣れであったが、キケロの『友情論』De amiciziaからこのタイスを知っていた。そこでは彼女の愛人への返答がお世辞による誇張の見本として示されている。この劇の中では愛人がタイスに奴隷を送り、後で召使をやって彼が彼女の感謝に値するかどうかを尋ねさせるのである。ダンテはこの誇張した返事『大いにですって?とんでもございません、信じられないくらいですわ!』がタイスにふさわしいとしているが、その劇ではこのように彼女の返答を大げさにしているのは召使のグナートウGnatho[蚊の意味]である。
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