この記事はまだあ途中です。後でまとめて肉付けを行います。
1-3. わたしたち二人が故郷の街のために共有した愛が/わたしを動かし:[イタリア語原文では、”Poi che la carità del natio loco/mi strinse,”「それから故郷の地の慈愛が/わたしを余儀なくさせて」であり、caritàはOXFORDではcharity(隣人愛)であるが、ほとんどの英訳者は”love”訳としている。希に、Benjamin Martinezが”benevolence”(慈悲)としているが。日本語訳では、愛情、情け、愛慕などである。Musaはまた、「わたしたち二人が・・・共有した」とこの「愛」がダンテとフィレンツェ人自殺者との共有であることを強調しようとしている。日本語訳では見当たらないが、英語では、Nicholas Kilmer、Allen MandelbaumらがMusaと同様に”for our native city”、John Ciardiが”our common source”としている。しかし、”both shared”「二人が共有した」とdelに対して動詞をあえて入れているのはおそらくMusaのみであろう。この3行は、全章から続くもので、自殺者に心を動かされた詩人ダンテが、落葉(実は体の一部)をひろってやるという巡礼者ダンテの優しさを表現しているのである]
3. 今は消えしその声:匿名のフィレンツェ人自殺者の声。
5-6. わたしは見ました/神の正義を、その恐ろしいばかりの働きの中に:原文は”si vede di giustizia orribil arte”「恐ろしい技巧の正義」で、”arte”であるが、Musaは、”There I saw/God's justice in its dreadful operation”と”operation”を当てている。ここでは、ラテン語の”ars”,” artis”(skill; art)の第一義”skill”であるが、Musaはそれをより強調しているのである。Durling:”one sees a horrible art of justice”、平川「恐るべき神罰の工(たくみ)が見られた」、寿岳「身の毛もよだつありかたを、正義が示すところ」、野上「そこには裁きの恐ろしい働きが見られてのである」。しかも、Musaは”I saw”と巡礼者ダンテが見たこととしている。原文は”si”だから三人称単数である。
7. これらの前代未聞の状況をあざやかに絵に描いたように記述してみよう:[『神曲』の構成は、詩人ダンテの傍に巡礼者ダンテが居て、その巡礼者ダンテが詩人ダンテに過去の出来事を物語り、それを詩人ダンテが聞き書きしているという状況を思い浮かべればよいが、その二人共にそれぞれの述懐をしているし、お互いに語りかける場合もあり、かなり複雑である。ここでは、詩人ダンテが巡礼者ダンテに「これらの前代未聞の状況を絵に描いたように説明せよ」と話し掛け、次行では巡礼者ダンテが説明しているのである。ただしこれら何通りかの語りが作品としてはすべて読者に向けられているので、「記述してみよう」という記述になる]
10. 嘆いている森:嘆いている自殺者の森。
15. カトーの足が昔に踏み固めた種類と違ってはいません:ウティカUticaのカトーCaton(紀元前95年生まれ)はキケロの友人で、ローマの内乱においてポンペイウスを支持した。ポンペイウスがファルサーリアPharsaliaで負かされて後、カトーはアフリカでスキピオMetellus Scipioに連合した。そして彼がカエサルによって捕らえられようとしていると明白になってきた時に、彼は自殺した(紀元前46年)。死の前年彼は従軍を率いてリビアの砂漠を横断したのである(英雄詩「ファルサーリア」においてルカヌスLucanによって記録されている)――したがって第7連環の乾燥した平地をカトーによって横断された熱砂漠に比喩しているのである。
16-18. おお神の正しき復讐よ!:[矢内原注:以下自分の書くことを読む人は、神の復讐ということがいかに恐るべきであるか──神に手向かうことがいかに恐ろしき罰をもたらすかを知るべきである]
22-24.ある魂達は……別の者は……ある者は……:第7連環のこの第3輪環での亡霊は3つのグループに分けられている。冒涜者達が地面にあおむけに横たわり(22)、高利貸達がうずくまっていて(23)、そして男色者達は「決して止まらなく」さ迷っているのである(24)。彼等が置かれているこの砂はおそらく彼等の行為の不毛なることを暗示していて、自殺者の森における黒ずんだ葉、果実の欠乏と同様に彼らの富める生活の誤用を描写しているのである。
33-36.炎の落ち、その地に硬く漂っていました:ダンテの情報源は多分アルベルトAlbertus MagnusのDe Meteorisである。アルベルトはインドにおけるアレクサンドロス大王Alessandro, Alexanderの遠征に関する彼からアリストテレスへの典拠の疑わしい書簡を参照としている。そこでは、アレクサンドロスが最初に大降雪に最後には雨のような炎に遭遇したと言われた。その書簡によれば、アレクサンドロスは兵士達に雪を踏みつけさせたが、アルベルトが(引いてはダンテが)雪と炎を混同しアレクサンドロスの軍隊に炎を踏みつけさせたのである。
38. 燃え上がる砂の火打ち石の火口のごとく:[火口(ほくち)とは、火打ち石と火打ち金を打ち合わせて出た火花を捕らえるために火口箱の中で用いた可燃物のことである。切り火を移し取るもので、イチビの茎の殻などで作る]
41.悲惨な手の舞踏が続き、こちらで、あちらで:「手の舞踏」とは古代イタリアでトレスカtrescaといい、農民の間に伝わる手足の動きが激しい民族舞踏である。トレスコーネtresconeはペアを組み手足をたたいて踊る舞踏である。「こちらで、あちらで」の表現に注意のこと。そのリズム(原文ではor quindi, or quinci「時にはあちらで、また時にはこちらで」)は、罪人達が身体から、落ちてくる炎を払いのけようとして、彼らの手の果てしない動きを模しているのである。我々はこれと同等の効果を55行に(「代わるがわる」、原文:a muta, a muta、Musa:one by one)、57行に(『我を助けよ、・・・我汝の助けが必要なり』:原文ではaiuta, aiutaで「助けよ、助けよ」)、そして次章においてさえ、84行に(「時々刻々」ad ora, ad ora、hour after hour)見つけるであろう[MusaはQual io fui vivo, tal son morto.「わたしが生きていた時と、そのそっくりが死んでいるのだ」をWhat I was once, alive, I still am, dead!とリズミカルな名英訳をしている]。実際、ここの導調leitmotiv[ライトモチーフ:特にワーグナーの楽劇で、ある人物・場面・想念などを象徴して反復される楽句。転じて中心思想。独語:導かれた動機、指導動機、主導動機]は、最初は罪人が登場してこない前に現れている。それは旅人たちが燃える砂漠の縁(へり)に到着したまさにその時にである(”We stopped right here, right at the border line.”「わたしたちはここに正確に止まりました、正しく境界線に」(12)。原文はa randa, a randaで「端(はじ)っこに」)[日本語訳では、平川「その平地の端の端のところで」、野上「縁のいちばん端」、寿岳「その荒地の真際に」、Durlingは”at the very edge”である。なお、縁は「へり」、端は「はじ」と読むのが極端さが出てよいと思われる]。
44-45.強靭な悪霊達:第9章の反抗的な天使達でディースの街に入ろうとした旅人たちを妨害した。この巡礼者が、彼の導者を褒め称えながら、素朴に(天真爛漫に、ナイーブに)、彼の最近の困難を彼に思い出させていることに注意のこと[原文では「あなた」に”tu”が用いられているが、これは親子、兄弟、親族、夫婦、友人など親しい関係にある人や子どもに対して用いられるもので、密接な人間関係でない場合は”lei”を用いる]。
51-60. 我かつてありしこと、生者なりしが、いまもなおある、死者となりても:原文では「生きていた時と同じことが死んでも続いている」だが、Musaの名訳と思える。冒涜者達の典型がカパネウスで、彼は、ベルギリウスが説明するであろうが、テーバイを攻撃した七人の王の一人であった。スタティウスStatiusが述べるのは、カパネウスが、テーバイの壁を攀じ登ろうとして、その時稲妻の矢を彼に射た(54)ユーピテル(イタリア語ではGiobe、英語ではJupiterまたはJove)に対していかに冒涜したか(ののしったか)である。カパネウスは唇にののしりをもって死んだが、今、地獄においてさえ、彼はユーピテルの稲妻の矢を拒むことができないでいるのである(59-60)。プレグライPhlegraでユーピテルはオリュムポスOlympos, Olympusを強襲しようと企てたティーターン族を打ち破った。ウエルカーヌスVulcanoとキュクロープスCyclopes, Kyklopsは、もちろん、稲妻の矢の製造業者達であった。モンジベッロMongibello(50)は、エトナ山(3340m)のシチリア地方の名前で、ウエルカーヌスの溶鉱炉と想定された[”volcano”は火山、ローマ神話で「火の神」である。矢内原注:いきている時も天に向かって神を侮ったが、死んでからも同じことをしているんだ。すなわち神を瀆(けが)すことは少しも変わらない]。【資料14-1参照】【資料14-2参照】【資料14-4参照】
63-66. カパネウスよ、お前の荒びたる自惚れの:[矢内原注:傲慢の罪は罰は傲慢であって、いつまでも傲慢が滅びない。いつまでも傲慢であるというころは傲慢に対する最大の罰なのです。汝は神に向かって怒っておる。その怒りに対する最大の罰、これに対して最もふさわしい苦痛はいつまでも汝が神に対して怒っておるということである。怒り──傲慢は平和でもなく喜びでもありません。いつまでも傲慢で捨てておかれることは傲慢に対する最大の罰であり、怒りに対する最大の罰であるのです。じつに恐ろしいことで、肉体の欠陥でいうと、例えば病気になりますと治るか死ぬかどちらかすれば片がつく。全快すれば全快するで苦痛がなくなる。ところが全快もしない死にもしない。いつまでも病気の苦痛がつづいているというのであれば、それは病気に対する最大の苦痛であり、最大の罰である。精神的の問題でもそうです。神に対して傲慢な態度がいつまでも改まらない。傲慢な心が柔和にもならないし滅んでもしまわない。いつまでも怒った状態──いつまでも傲慢な状態に放任せられているということが最大の罰なのです]
68-69.テーバイをせめたてた七人の/一人である:テーバイは、ボイオーティアBoeotiaの首都だが、共にオイディプースOedipus, Oidpusの子である、エテオクレースEteocles, EteoklesとポリュネイケースPolynices, Polyneikesの間の長い主権争いの舞台であった。アルゴスArgosの王であるアドラストスAdrastus, Adrastosが、ポリュネイケースの利益のために七人の長たち(カパネウスを含む)の遠征隊をテーバイとエテオクレースに向かって導いたのである。【資料14-3参照】【資料14-4参照】
79-80.ブリカーメから流れる流れに似ていて:ヴィテルボ近くに温泉がありブリカーメと呼ばれて、その地獄のような(硫黄の)水は水飲み場にいたる地域を一変させた。住民の中に多くの売春婦達がおり、隔離されていきることを要求された。特別な流れが彼女らの地域を通ってその温泉の水を、溝を掘って引いたが、彼女らが公の浴場の使用を禁止されていたからである。ここでダンテは第12章における川から流れる流れをブリカーメから娼婦たちのために引かれたこの熱い、蒸気のでる流れと比較している。その栄養に富んだ水は疑いもなく赤皿の色合いを持っていたのである。Musaは”prostitutes”(娼婦達)としているが、原文は”lor le peccatrice”「罪を犯した女達」である。
71-72. この者その胸を:[矢内原注:「神を蔑み、神を軽く遇し続け」る、すなわち神を侮ることは彼の苦痛ですが、彼はそれをもって誇りとしておるのですから、彼に似つかわしい飾りだ。皮肉を言ったのです]
86-87. われらがかの門をくぐりて入り口となせしその時から:地獄の第一の門である。第3章1-11.および第8章125-26.参照のこと。
90. その道筋の上では炎が消されている:[矢内原注:プレゲトーンの川では上から降る火の焔が消えてしまうのです。焔が消えるというのはそのところの罰が──地獄の第7連環の罰──第8連環には及ばない、第8連環には別な罰があることを意味するのでしょう]
94-119.この海の真ん中に荒れ地が横たわっておる:クレータという島がアケローン、ステュクス、プレゲトーンの源として仮定されている。その合流した地獄の川の道筋が地獄の底でコキュトスという「よどみ」へついには導かれるのである。クレータはおそらくはダンテによって、ベルギリウスに習って、それがトロイア(それゆえローマ)市民の生誕地であるという理由で選ばれた(トロイアのアイネイアースAeneasがローマの建国者と言われている:第1章73-75、2章13-24と比較せよ)。クレータはまた知られたる世界、すなわちアジアとアフリカ、ヨーロッパ大陸の中心であったのである。クレータにあるイーダ山はレアーによって彼女の幼児ユーピテルJupiterをその父サートゥルヌス(彼は産まれた息子を常にがつがつ食ったのである)から守護するために選ばれた場所であった。レアーは、彼がユーピテルを発見できないように、その子の泣き声をかき消すために「召し使いに大声で金切り声を上げさせ」たのである(102)[コリュバンテスKorybantesは【ギリシア神話】で女神キュベレーCybeleに仕える神官・召し使い。【ギリシア神話】では"Korybantes"は「コリュバースたち」と複数表現している。C/Oによれば、"Corybant"で「コリュバンテス」としている。ただし、原文では、"vi facea far le grida"で、「そこで大声を出すことをさせた」であり、「誰かに」は明示されていない。"facea"も"far"も動詞"fare"の変化形であるが、"facea"は"le grida"がついて「(大声をだすことを)演じる」で、次の"fare"は使役動詞で「誰かに〜をさせる」である]。【資料14-2参照】
イーダ山中にダンテは「クレータ島の老人」の彫像を配置している(明らかに地獄編における最も手の込んだ象徴symbolの一つである)。彼の背中はダミアータDammiataに向けられ、ローマRomaをじっと見ているのである。ダミアータは、重要なエジプトの海港で、東方すなわち異教世界を象徴している。ローマはもちろん現代的なキリスト教世界を象徴している。この老人の姿はダニエル書(U, 32-35)から引かれているが、しかしその象徴的意義symbolismは違っていて、最も近いのは(絶対的では決してないが)オビディウスOvidによって利用された詩的象徴を反映していることである(「変身物語」Metamorphones第1巻)。金の頭は人類の黄金時代(すなわちキリスト教用語での降臨以前)を表す。銀の腕と胸、真鍮の胴体、および鉄の足は人類の3期の衰亡期を表している。土の足(テラコッタterracottaというよく焼いた土で作られている)は教会(一時的な利害関係と政治勢力闘争により弱体化され堕落した)を象徴しているのかも知れない。けれどもこの老人の涙が流す金の頭部を除いた全体の亀裂は、清浄(純真、無知)innocenceという黄金時代を除いた全時代を通過する人類の罪と悲嘆である。この涙がその山を下って進路を取り、ついにはその行路が、明らかに、すべて環状を為して以来それらが支流によって連ねられている地獄の川を形成するのである(我々がここに見るように)。この老人は、イーダ山の暗がりに閉じ込められているが、その首から下って確かにエデンの園における原罪に帰する人類の崩壊状態を象徴している。イーダ山はかつてはエデンのようであって、「かつて山の緑の草木と小川に幸せあり」(98)だったが、今では、降臨の後の人類のように荒廃して、それは「荒れ地」(94)なのである。その亀裂は、降臨によってもたらされた悲しみの涙が流れているが、原罪の不完全な象徴を表している。
126.左へのみ廻り:第9章の注解で指摘したように(132)、左へ廻る通常の手順には二つの例外がある。
134-35.しかし血のように赤い煮えたぎる水が:巡礼者の素朴な質問(130-31)に対して、ベルギリウスがプレゲトーンFlegetonte「火の川」をその極度の熱で認めることができるようになってきているはずだと答える。この川の特性はアイネーイス(6巻550-51)で述べられている:
ほとばしれる炎のごとく勢いよく流れたる洪水で取り囲まれしタルタロスのプレゲトーン……
136-38. かつレーテーを汝見るであろう、しかしこの谷を越えればだが:ダンテはレーテー、すなわち忘却の川を、煉獄の山頂の地上の楽園に配置している。
141.この縁がわれらの道なり、これら燃えてはおらぬ:この「縁」(へり)は流れと並んで走る奇跡的に保護された通り道である。82-84行参照。
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