この記事はまだ途中です。後でまとめて肉付けを行います。
1-9
この自殺者の森は一連の否定句(「まだネッソスが対岸に着かなく……緑の葉はなく……繁りなく……」)で表されていて、[原文では]実際にこの最初の三つのテルツェットが否定語Non……で始まっている。この仕掛けは否定というものが自殺に固有のものでありかつこの章での活動状態が揺れ動くであろうという雰囲気(不信と疑い深さ)を連想させることを予期している[英語訳では同じ表示法が可能だが、日本語訳では語尾で否定語を示せるに過ぎないので、これらのテルツェットの仕掛けが翻訳・表現できないのが残念である。しかし、英語訳でも、訳者の知る限りでは、MusaとDurlingぐらいであり、他の大半は「この仕掛け」を翻訳していない。なお、第3章1-9行の銘刻文および第5章100-108行のフランチェスカの語りにおける首語句反復(修辞学:同語句を文首または節首に反復すること)を比較してみるとよい]【資料13-1参照】
8-9.チェチーナとコルネートの間にさえなく:「トスカーナ湿地帯」la maremma toscanaとして知られているこの広大な湿地帯[樹木は生えるが耕作には適さない肥沃な湿地帯で野獣が多い]はチェチーナCecinaとコルネートCorneto(それぞれその北と南の境界である)の間に横たわっている[地図上では210km離れている]。この3行の歪められたシンタックスsyntax(構文法)はこの章の美的様式と一致していて(注解25行および68-72行参照)、この耕作されていない土地の岩だらけの[険しい]地勢を特に連想させているのかも知れない。【資料13-2参照】
10-15. ここでは醜いハルピュイアどもが巣を絡ませています:ハルピュイアArpie, Harpy, HarpyiaとはタウマスThaumasとエーレクトラーElectraとの娘たちであった。その悪意ある行いにより彼らはストロパデスStrophades島に追放された。そこでは、アイネイアースAeneasとトロイアからの従者が彼女らに出くわして、彼らは彼女らの卓を汚し自分たちのために未来の苦難を予測した(11-12行)――今でも半人、半獣の別の例である。【資料13-3参照】
20-21. 汝自身の目でわが描かぬことを見よ:[原文からの直訳では「汝は全てが真実であるわが言葉を否定するような光景を見るに違いない」という意味である]
25-27.思いますに、おそらくはその人が……とわたしが考えているのだと、思われたのでしょう:巡礼者の「うろたえさせられた」(24行)状態がこのシンタックスによって再現させられ、それは、それ自体で、困惑した心の状態に似せている。
29-30. 汝がいま考えていることもまた切り取られよう:[「その木の枝を折って見てご覧、そうすれば(それが木であるか、それとも人間であるかが)分かるよ」【資料13-4参照】]
34.そしてそのものの血が傷の回りに黒ずみますと:この輪環と前の輪環との間の審美的な繋がりは血の表現の続行である。
47-49. もしこの者われがかつて書いた詩の中で読んだことを/自身をしてただ信じさせているだけならば:ベルギリウスはアイネイアースが低木から枝を折るアイネーイスAeneidの一節を引き合いに出している、その時は、外へ血が流れ始めるのである。同時にその低木の下の地面からある声が流出する。そこにはポリュドーロスPolydorus, Polydorosが埋められているのである。第30章18行参照。【資料13-5参照】
50-51. しかし真実それ自体かく信じがたく:[枝をおる話はベルギリウス自身の創作であるが、当の本人にも信じがたく、またそれをすることがしのびないのであるが、ほんとうかどうかを試すためにダンテに枝を折らせたのである]
52-54.しかしお前が誰であるかこの者に告げよ:第6章88-89行および第16章82-85行を比較せよ。
58-78
ヴィーニェのピエールPier delle Vigneは、イタリア南部の都市カープア Capuaに生まれて(1190年頃)、ボローニャBolognaで学んだ。そして、皇帝(フェデリーコ2世Federigo, Frederick U)の注意を引いて、パレルモPalermoにある彼の宮廷の一員となった。そこで彼は皇帝の最も信ある大臣となったのである(「我が輩は双方の鍵を握った者である。/それはフェデリーコの心情に適っておった」すなわち、ピエールの「よい」という助言は皇帝の心を開き、「だめ」は閉じたのであった)。しかしながら、1248年あたりで、彼は皇帝の寵愛を失い、牢屋に置かれ、そこで自殺したのである。ピエールは、いかにして嫉妬(「かの売春婦」64行)がフェデリーコ二世の宮廷(「皇帝の家中の者」65行)でいつ現れ、フェデリーコ二世(「尊厳者」68行)が他の者達の態度に影響されてきたかを物語る。この拘禁という不名誉と死を通して直視した自己正当化が刑務所の壁に頭を打ち砕くことで彼自身の命を獲得するように導いたのである。彼は彼の潔白を言明することで結論し(73-75行)、彼の地上での名声を保証するであろう彼の功績の、再評価の希望を表明するのである(76-78行)。
58. 双方の鍵:[マタイ伝16:19:私は天の国の鍵をあなたに与えよう。あなたが地上でつなぐものはみな天でもつながれ、あなたが地上でとくものはみな、天でもとかれるだろう]
68-72.かように、火が移り、回り回って尊厳者に火がつけられ:ピエールはまたシチリア島にある学校の名高い詩人であった。それはフェデリーコ二世(尊厳者)の庇護の下に栄えそれは複雑な自尊心という愛とぐるぐる巻きのしゃれで注目される。詩人ダンテはピエールに、彼が良く知られていた詩的言語形式を授けている(特に68行と72行を参照のこと)。
84.なぜならわたしはできないのです、こんなにも哀れみがこころを息苦しくさせています:巡礼者はピエールに哀れみを感じているが、それは寵愛からの彼の墜落を促進した、誤った告発という理由であって、自殺していたことでこの亡霊に分け与えられた処罰によるのではない。これはダンテがフランチェスカやチャッコに感じたもの(第5章、6章)とは全く違う種類の哀れみである。ピエール自身でさえ彼の処罰の正当と自殺の罪深さを認めていた。「我が輩の知力は、……我が輩を我が輩に不実としたのである。我が輩はすべて誠実であったが故に」(70-72行)。
95-108.それは自身を引き裂くのであるが:地上で神が与えたまいし彼らの肉体の神聖を否定してきて、地獄では自殺者達が完全に肉体的に否定されている。彼らの魂は、ミーノースによってこの輪環に投げ込まれ(96行)、手当たり次第に自らの肉体を墜落させるように扱ってきたと同じぞんざいな方法で種のように芽を出すのである(97-100行)。最後の審判の後でさえ、その時自殺者達は、地獄での全ての他の魂と同じく、彼らの死を免れない肉の変換を要求して互いへ戻るのであろうが、互いがその身体の使用を否定されるであろう。それから「己自身の互いに対立したる亡霊の刺に」ぶら下がるのであろう(103-108行)。
これらの罪人に加えられる応報contrapassoの区分はハルピュイアによってなされる身体の苦痛である。それは木々の枝々をかきむしり、「苦痛」を引き起こし、「苦痛のはけ口」を創造するのである(102行)。それは亡霊が言語音を出せるのが、木や薮の部分がもぎ取られるか引き裂かれる時だけなのである――このようにピエールが話せる前にダンテが枝を引き裂く必要性があったのである。
115-21.その時、わたしたちの左手に現れた二人の亡霊:ここで懲らしめられる魂の第二の群れは放蕩者達であり、彼らは尊重すべきであるのに、そうしないで、彼らの地上での財産に暴力をなしたのである。ちょうど自殺者達が自分達の身体を尊重しなかったように。彼らはラーノLano(120行)として、おそらくはシエナSienaの裕福なマコーニMaconi家の一員である、そしてパドヴァPadova出身の聖アンドレアのヤーコポIacopo da Santo Antrea(133行)として思い描かれている。二人共富と資産のほとんどを浪費する救い難い自己破壊者としていかがわしい名誉を持っていた。「トッポの馬上試合」(121行)はアレッツォArezzo近くの浅瀬での、1287年のアレッツォ人の手になる、シエナ軍の悪い星の(思いがけない)敗北を想起している。ラーノはこの闘いに行き、彼の運を浪費したために死んだのである。言い伝えだが、彼は徒歩で遁れるよりはむしろ戦うために居残って(それゆえにヤーコポの彼の「足」への言及がなされているのである:120行)、殺されたのである。
125-29.束になった黒い雌犬のがつがつ貪り食うすばやさで:放蕩者達を追跡するこれらの犬は多くの解釈(道徳意識、貧困、没落と死、悔恨、債権者)を招いてきているが、私(Musa)はそれらがおそらくは放蕩者達を終結に追いやる猛烈な力を表していると考えている。それは放蕩者達を浪費家達と識別する暴力である。浪費家は第4連環において守銭奴と関係づけられている(第7章)。これらは単に無駄遣いするだけで、彼らの無駄遣いには「暴力」は無い。第7連環における人影はこれに反して、できるだけ早く彼らの資産を使い果たす猛烈な(暴力的な)激情に駆り立てられてきているように見える。実際、聖アンドレアのヤーコポは彼の所有地の多くの家をちょうど「痛快味(スリル)」を求めて(for "kicks")火を付けていたと記録されている。
143-50.わしはバプテスマのヨハネを獲得した街から来たのだ:このフィレンツェ人の自殺者の身元は不明なままである。フィレンツェの「最初の守護人」はマールスMarte、すなわち軍神であった(このように彼の「策略」(145行)は戦争である)。彼の彫像の破片は1333年まで「古橋」ponte Vecchio(アルノ川に架かる橋:146行)の上に見つけ出されたに違いなかった[6月17日ピサでは「橋取り合戦」という伝統行事を催す。市を南北に分けるアルノ川に架かる「中央橋」il ponte di Mezzo(=ponte Vecchio)を市の南組と北組とが争奪する催し]。この匿名の自殺者が申し立てるのは、もしその彫像の破片がそこに残っていなかったとしたら、その時は「街を新規に造ったそれらの市民たちが、/アッティラが忘れた灰の上にだが、」(148-49行)街を造った後にフィレンツェが完全に破壊されてきているだろうことである。アッティラAttila(フン族の王)に関しては間違っている。ダンテは6世紀にフィレンツェを完全に破壊した東ゴート族の王トティラTotilaを意味したに違いない。アッティラとトティラとの取り違えは中世では普通であった。
この街の第二の守護人はバプテスマのヨハネであった(143行)。彼の聖像はフィレンツェ・フローリン金貨[1252年にフィレンツェで最初に発行された金貨]に載っていた。これはフィレンツェの守護人交代が(マールス下の)戦闘的優越の要塞から(バプテスマのヨハネ下の)こびへつらう金もうけになる要塞への変化の兆候であるとほのめかされてきている。
151. わしはわしの家へ、わしのぶら下がり場へ戻ったのだ:このフィレンツェ人の匿名者は彼の街の代理人として彼の象徴的価値を裏付けている。その自殺者がこの輪環で咎められたように、フィレンツェの街が、ダンテの判断では、その血なまぐさい(多数の死傷者を出す)闘い(守護人として放棄されたためのマールスの報復)を通して自殺してきたのである。彼女[フィレンツェ]は自分のためにぶら下がり場を作っているのである。
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