2010/10/9
「蛮族戦闘団体と文明 その1」
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羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より
これが人間支配のやり方。雄を去勢して群れの先導役=各国のリーダーの意味。
今までの記事あるいはこの記事は単なる知識のコントロールという暗記で有名大学と言われるところを卒業し,これまた有名企業というサティアンに就職している方々には理解不能な内容です。ですからそういう管理職を含むサラリーマンにとってここのブログは百害あって一利なしです。サラリーマンで管理職の意味分かってんの,そこのあんた。スト破り要員なのよ。そういう莫迦は読むなってこと。裁判所によると平社員から部長まで単なる従業員なのですよ。 職制は仕事の延長線上のことだけのこと。それで取締役がすごいかと言うととんでもない。取締まられ役なのです。常務会ってあるでしょ。あれは上がりのポストの人たちの憩いの場。莫迦は死んでも直らないのです。なぜなら莫迦は莫迦子孫を沢山残すのです。ところで今まで聖書ものがたりを連載してきましたが日本語訳は4種類あります のでお好きなものを選んでお読みください。聖書なんて春分点歳差と分かった以上そんなものはいらないという乱暴なことはいわずに壮大な叙事詩として読まれたほうがいいでしょう。ルカやマタイはとてもためになりますよ。ルカ,マタイは必読ですがとくにルカ6章37節に『人を裁くな』という言葉があります。とかく我々は人を無意識のうちに裁きがちですが忘れてはいけない言葉です。
不平不満は何事にもつきものですが,自らの生き方・立場に自信とプライドがあれば,相手を非難したり羨んだりする気持ちは自らのゆとりの気持ちの中でおおらかに処理することができるでしょう。
昭和の名大蔵大臣と言われた高橋是清もアメリカで放蕩三昧の生活をしていたときルカによる福音書12章(思い悩むな)に出会いその後の人生を変えたことで知られています。
Please bear all this in your mind..... 胸に手をあて心して思い出しなさい。(管理人より)
「だから,言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと,また自分の身体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり,体は衣服より大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず,刈り入れもせず,倉に納めもしない。だが,あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは,鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが,思い悩んだからといって,寿命をわずかでも延ばすことができようか。衣服のことで思い悩むのか,野の花がどのように育つのか,注意して見なさい。働きもせず,紡ぎもしない。しかし,言っておく。栄華を極めたソロモン王でさえ,この花一つほどにも着飾っていなかった。今日生えていて,明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ,神はこのように装ってくださる。まして,あなたがたはなおさらのことではないのか,信仰の薄い者達よ。だから,何を食べようか,何を飲もうか,何を着ようか,と言って思い悩むな。.........だから,明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は,その日だけで十分である」
<ルカ12章22〜32>
日本ではどうして自殺者が余りにも多いのでしょう。こうしている間にも死を選ぶ人がいるのです。新幹線が10分遅れればニュースになる国です。渇いた雑巾を絞るような社会構造,人心そして家族に問題があるのでしょう。結婚にしても殆どが仲人口ですからね。最大の課題は『日本人は個を貫けない』ということです。ですからいつまでも12歳なのです。管理人は20年以上フランスを中心とする仕事をしてきましたがその後シンガポール,タイで経営者をしていました。シンガポールは息がつまるとよく言われる国ですが,世界に冠たる絶世の美女を有する売春宿のゲラーンで知られる場所も公認されています。江戸時代を見習ったのでしょう。タイはカーナムチャーといって適度の賄賂は潤滑剤として公認されています。銀行の通帳なども振込み人などの名前はないのです。つまりハイ・チュアイ・ドワイ=助け合うという当たり前のことなのです。例えば驚かれるかも知れませんが一例を挙げましょう。家族を養っているトラックのドライバーが今度違反で捕まったら免許停止,つまり一家を養って行くことが出来ない。日本では情け容赦なくそうします。しかしタイの場合免許証の間に200バーツはさめば見逃してくれるのです。安月給の警察官も家計の足しになるしトラックの運ちゃんも家族を養うことが出来るというもの。管理人は本になるほどの経験を積み多くを学びました。書きたいこと半分、書きたくないこと半分でしょうか。日本もそうなりつつありますがタイなどはいくら待っていても順番が回ってきませんからね。銀行強盗を捕らえてみれば女子大生だったなどは日常茶飯事。拳銃は身分証明だけで買えますから怖いところです。わが国のように現金輸送車の警備員が拳銃もっていない国も珍しいですがこれも警察の利権なのでしょう。これから必ず人生に失敗するタイプは『真面目すぎて融通が利かず正義感が強すぎ人を裁く(悪口を言う)人』。正義感で失敗する人は世界共通です。飲み屋で上司や社長の悪口を言ってはいけません。嫌いな人ほど誉めてあげるのです。そうすればその人に伝わるんですよ。会社を辞めなくてはいけなくなった場合,喧嘩別れは慎むこと。つぎの会社を受けても必ず評判を聞いてきますからね。外国のことは別にして日本は完全なる『金太郎飴集団』ですからいくら何回も転職しても同じなのですよ。自分より10歳も若い女子社員にも頭を下げなくてはいけないのです。そんなこと嫌でしょ。会社に勤めるということは社長でない限り生活の糧を得る場所に過ぎないのです。会社ではうまくやるように,だから,皆から愛される人になるように。
我が家のマー君は色んな子ども達に愛されています。写真の子どもは三浜小学校三年生。学校全体で28名しかいないのでこれで三年生全員。先日もマー君とスー君を連れて運動会を見にゆきました。スー君は人見知りをするのでこの写真のようにはゆきません。ここの小学校の生徒はちゃんと挨拶が出来ます。
小さい頃のマー君とスー君。いつも一緒です。
今はバイクで毎日8〜9キロ走っています(休み休み)が,この頃はよくここに二人で来て海をいつまでも見ていたね。
最近の紀州犬のマー君と薩摩ビーグルのスー君。マー君は1歳3ヶ月,スー君は1歳2ヶ月になりました。つい最近もゲストハウス下の柵を掘って子どもの猪(約13キロほど)が入って来た時最初に噛み付いたのはスー君ですぐマー君も応援にかけつけ柵から必死に逃げようとする猪君の尻を噛み逃げないように格闘していました。そこに主人が駆けつけ木刀で面〜〜〜〜ん,で即死。柴犬の場合逃げてしまいますからね。この子たちは猟犬なので本能なのでしょう。武勇伝はこの外にも沢山あります。
ここの記事は40歳を中心としたピラミッドになっている統計は貼りましたがサラリーマンから会社の経営者などになられる方も多くいると思います。経済学とは何でしょうか?一ツ橋大学なんて行く必要はないのですよ。一言で言えば『恐怖と欲望』。ですからマキャベリ式経営術の記事を読んでみてください。愛情などという恩義で結ばれている男女関係などはあっという間に断ち切られてしまうということです。孤独によって結ばれた恋愛以外はすべて仲人口です。その孤独の意味なんですが,友だちがいないとか一人ぼっちで寂しいとかそういうことではないのです。Easily made is easily brokenです。(簡単に出来ることは簡単に壊れる)。肝に銘じてください。壊れてからじゃ遅いのです。
タイにはこういう諺があります。『雨季には魚が蟻を食べ,乾季には蟻が魚を食べる』。タイ語では『ナーム・マー,プラー・キン・モット,ナーム・ロット,モット・キン・プラー』タイ語には助詞がありませんから直訳すればこうなります。「水・来る・魚・食べる・蟻,水引く,蟻・食べる・魚」。タイで永住する人も増えていますが騙される人も同様に増えています(笑)。タイの人がよく言う『タム・アライ・メダ〜イ』とう言葉があります。これはどうすることもできない,という意味です。
本物の十字軍。十字架は軍旗であり,キリストは総指揮官でもある。ローマ人への手紙6章23節「罪の支払う報酬は死である」と書き,2世紀の神学者テルトウリアヌスは軍隊用語に書き改めて,「職務怠慢の支払う給料は死である」とした。ローマ人への手紙6章23節には除隊のさいに,「金の賜金」をほうびとして与えられる。
ヘレニック文明:ミノス文明の遠い間柄の子で西欧および正教キリスト教文明の親。エーゲ海沿岸ならびに諸島で紀元前1100年以前に発生。世界国家:ローマ帝国。哲学者としてプラトン,ストア,エピクレス,ピュロンの各派。詩としてはアイルランド叙事詩,チュートン叙事詩。イスラム以前のアラビア詩。キリスト教(外来シリア),イスラム教,ミトラ教(外来シリア),マニ教(外来シリア),イシス崇拝(外来エジプト),大乗仏教(外来インド),キュベレ崇拝(外来ヒッタイト),新プラトン派(固有),極西キリスト教(注),はじめはチュートン諸神崇拝,のちにアリウス派キリスト教,はじめはチュートン諸神崇拝,のちアリウス派キリスト教。蛮族:東北〜ユーラシア遊牧民(サルマチア人,フン族),西北〜島興ケルト族,北〜大陸チュートン族,東南〜アラブ族,西南〜ベルベル族。
注:極西キリスト教文明は紀元375年ごろ以後,いわゆる"ケルト外辺”主としてアイルランドにおいて,新しい土地の自然的挑戦と,ヘレニック社会の解体と西欧文明の発生という二重の社会的挑戦とに応じるために発生した。分離の時期は450年頃から600年頃までの間である。ケルト人はキリスト教を,自己の野蛮時代からの社会的伝統に適合するように改めた。6世紀頃にはアイルランドは明らかに西欧におけるキリスト教の中心になっていた。その特異性は教会組織と,文学および芸術の中に現れている。この文明に決定的な打撃を与えたのは,9世紀から11世紀にかけてのヴァイキングの侵略と,12世紀におけるローマの教会権力とイングランドの政治的勢力である。極西,極東キリスト教ならびにスカンジナビア文明の萌芽は,過度に厳しい一連の挑戦に応じなければならないという無理な緊張のために,流産におわり流産文明とも呼ばれる。
ヘレニック文明の世界国家はローマ帝国(神聖ローマ帝国ドイツ参照;16世紀前半の神聖ローマ帝国中部)でしたが,『ローマの神サートウルヌス(土星)が何千年もの間,世界的に人々の中心的な崇拝対象であったという事実はほとんど知られていません。「サートウルヌス神話」(ギリシャ神話ではクロノスと考えられる)という本は,内々ではあるが広範に行われてきたこの世界的なサートウルヌス信仰について詳細に検討しています。太陽信仰もサートウルヌス崇拝も悪魔崇拝と結びつくものです。両者とも悪魔崇拝の姿を変えたものにすぎません。オカルト世界はこのことを知っていますが,それ以外の世界ではほとんど知られていません。ローマはサートウルヌスの都であり,何世紀もの間,悪魔主義とその神秘宗教の重要な中心地でした。悪魔主義者の指導部は九つの評議会と13人大ドルイド評議会(カウンセル),その他多くの下位集団で構成されています。血の人身供犠を定期的に行うイルミナティの幹部は,善と悪を超越した生きた利己的な神です。悪魔は,悪霊ベルゼブルを片腕に,悪霊にも位階制度を設けました。オカルトの考えは「悪魔の狂気の論理」以外には全く論理的基盤を持っていません。
世襲される悪魔主義は少数独裁制に基づいています。英国の王室も彼らの親戚のヨーロッパの王族達も,悪魔主義者の血を引く家系です。デンマーク王はひそかに儀式に参加しています」と元イルミナティ11位階で暗黒の母であったシスコさん(今はキリスト教徒)は言います。』
それはイエス自身がいてイエスかバラバかの後に磔という世紀のイベントが歴史的に存在した事件であったのかということは悪魔や天使が実在しているのかどうかが魔術師にとってさほど重要でないように(重要なのは,そうしたものが,現に存在しているかのように働くという事実なのである),そのような形で行なわれたという聖書の記述と,それらを信じた信者の存在と,アラム語を話すナザレ人の新興宗教の教義がユダヤとシリアとに燎原のように広がってゆき,それが世界宗教へと格上げされていったという歴史的事実こそが重要なのである。
『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュベレーとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタルの名で知られていた女神であることが判明する』(Study of Historyサマヴェル縮小版より)
その結果高次元の邪悪な霊は地上に降りてきた。
その蛮族戦闘団体の現代文明のなれの果てがこの組織図である。(Black Pope以外は概ね正しい)従ってわれわれは何処にも逃げ場所がない。NWO(New World Order=新世界秩序(世界統一国家)は今までに多く存在し滅んでいった。だから何も心配することはない。それよりも2150年に来る「水瓶座」の時代には魚座の象徴であるキリスト教はもう存在しないし,それよりも地球が極の移転(ポールシフト)で消え去る方が早いでしょう。ある読者が拙稿をコピペしたものですがもはや現代はオカルトが支配しているようだ。つまり正常と異常の区別がつかなくなっている。
ここにハマスの記事がある。いわゆる一般的にテロリストとされている組織だ。右上にリンクがあるでしょ。そこの「イスラエル盟主の下請けテロ組織・団体」を読めばテロ組織なんて存在しないことが分かります。ぜ〜んぶやらせ。
シュメル文明:バビロンおよびヒッタイト文明の産みの親。世界国家:シュメル・アッカド帝国。詩および哲学:サンスクリット叙事詩,タンムズ・TUMMUZ崇拝(注),ヴェーダ諸神崇拝,ヒッタイト諸神崇拝(マヤ,ヒッタイト,およびインドの各文明社会は,解体してゆくにつれて,かれらの宗教の放恣な性欲謳歌と,哲学の過度の禁欲主義との間のギャップに一向無頓着に見えるという点で,未開人の気風に逆戻りしたように思われる。これらの社会は,古い社会構造の瓦解を目撃した衝撃から,罪の意識に目覚めたことを示している)。ティグリス・ユーフラテス下流地域で紀元前3500年以前に発生した。蛮族東北:グテア族,ユーラシア遊牧民(アーリア人),西北:ヒッタイト族。
質問:十字架は偶像崇拝になりますか?
参考:出エジプト記20章4節,エレミア書10章2節参照
12月25日のクリスマスの意味は?
(注:解説)彼はわたしを,主の神殿の北に面した門の入り口に連れて行った。そこには,女達がタンムズ神のために泣きながら座っているではないか。そこで彼はわたしに言った。「人の子よ,見たか。あなたは,これより更に甚だしく忌まわしいことを見る」と。(エゼキエル書8章14,15節)
アンダーラインはエホバの証人の公式WEBサイトからのものですが,七つの時の解説も併せ的を得ている解説も多い。エホバの証人がカルト宗教というのは間違いでむしろキリスト教がカルトではないかと頭の中をよぎる。
He walked in the PALACE of the KINGDOM OF BABILON.空中庭園は世界七大不思議の一つです。「このことはすべて,ネブカドネツァル王の上に起こった。12ヶ月が過ぎた頃のことである。王はバビロンの王宮の屋上を散歩しながら,こう言った。<なんとバビロンは偉大ではないか。これこそこのわたしが都として建て,わたしの権力の偉大さ,わたしの威光の尊さを示すものだ>まだ言い終わらないうちに,天から声が響いた。<ネブカドネツァル王よ,お前に告げる。王国はお前を離れた。お前は人間の社会から追放されて,野の獣と共に住み,牛のように草を食らい七つの時を過ごすのだ。(ダニエル書第4章26〜29節)
バビロン(バビロニア)文明:シュメル文明に近い間柄。世界国家:新バビロニア帝国。哲学,詩,宗教として占星術,ユダヤ教,ゾロアスター教(ともにシリア外来)。イラクに紀元前1500年以前に発生した。蛮族東北:ユーラシア遊牧民(スキュト族)(注)。
(注:解説)ユーラシア遊牧民=スキュト族王集団。蛮族西北:パスタルナイ族,東:サルマチア人。カザール族集団。蛮族西北:ヴァラング族,東:ペチェネグ族。詩=ロシア英雄バラッド。宗教:正教キリスト教。金帳集団:蛮族西北:コサック族,東北:キルギス・カーザーク族 詩=キルギス・カーザーク族英雄バラッド。
エジプト文明:ナイル川流域に発生。世界国家:中帝国,新帝国。詩,哲学=ホメロス叙事詩,アトン崇拝(流産)宗教:セト神崇拝,オリュンポス諸神崇拝,オシリス崇拝(外来:シュメル?)蛮族南:ヌビア人,東北:ヒュクソス族,北:アカイア族,西北:リビア人,東:ヘブライ人およびアラム人
フリーメーソンのオカルト知識はエジプトを模範とした。
上のナイル川をクリックするとギリシャ神話の解説があります。非常に高度な解説なのですが魚座の象徴はイエス・キリストなのであり,たとえば聖ペテロはイエスに出会う前の名前はシモンであるがガリラヤ湖には聖ペテロというスズメダイに属する魚がいたらしい」。学名は「Chromis simonis」。
拙稿:いつも一緒参照のこと
紀元前1600年頃クレタ文明当時のクノックスで描かれたイルカと思われる二匹の(魚)の壁画。次の時代は魚座と暗示している。イエスの時代は魚座(PISCES)。
イエスは言われた。「都に入ると,水がめを運んでいる男(注:水瓶座のこと)に出会う。その人が入る家までついてゆき........」ルカによる福音書22〜10>これはイエスに象徴される魚座の時代の次は水瓶座(2150年)を意味している。
拙稿:マタイによる福音書の中にイエスがガリラヤ湖の水の上を歩いた記事があります。イエス様には大変申し訳ないのですがごく正確には『泳いだ』が正しいのでしょうか。魚は歩けませんから。
蛮族をおりこうちゃんにするにはキリスト教の果たした役割はおおきい。もし,なかったら大変なことになっていたでしょうね,きっと。徳川幕府も蛮族だったんでしょうね。あの長い間一体何をしたというのでしょうか。
「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されたものだ。このことは血と肉によってでなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペトロあるいはペテロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」マタイによる福音書の 16:18-19
彼はこの町に来て住んだ。マリアとヨセフの故郷である。『彼はナザレの人と呼ばれる。』マタイ2:23
『ある人は言うだろう。どんなふうにして,死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか。愚かな人である。あなたのまくものは,死ななければ,生かされないではないか。また,あなたのまくのは,やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても,ほかの種であっても,ただの種粒にすぎない。ところが,神はみこころのままに,これにからだを与え,その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。死人の復活も,また同様である。朽ちるものでまかれ,朽ちないものによみがえり,卑しいものでまかれ,栄光あるものによみがえり,弱いものでまかれ,強いものによみがえり,肉のからだでまかれ,霊のからだによみがえるのである........聖書に『最初の人アダムは生きたものになった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった.....『第一の人は地から出て土に属し,第二の人は天からきた主でアル』<コリント人への第一の手紙第15章35〜8,42〜5,47節>
この「コリント人へのパウロの第一の手紙」の一節の中に,四つの考えがある。第一は,秋に姿を消した穀物が春に復帰するのを見るのは,復活をまのあたりに見ているのであるという考え方である。第二は,穀物の復活は死んだ人間の復活の前兆であるという考えであって,これはずっと前からヘレニック社会の秘教で説かれてきた教えを再確認するものである。第三は,人間の復活は,死と,生への復帰との中間の待機期間中に,神の働きによって人間性がある種の変貌をとげることによって,はじめて可能になり,考えられるという考えである。この死者の変貌の前兆は,誰の目にも明らかな,種が花となり実となる変貌である。人間性に起るこの変化は,より大いなる忍耐,美,力,および霊性に向かう変化でなければならない。第四の考えは,この一節のうちの最後の,もっとも崇高な考えである。”第一の人”と”第二の人”という思想において,死の問題は忘れ去られ,個々の人間の復活という問題に対する関心もしばらく棚上げにされる。『天から来た主である第二の人』の出現によって,ただ一人の人間から成る新たな種が創造されたこと, すなわち,神から与えられた霊感を仲間に吹きこむことによって,人類全体を超人のレベルに引き上げることを使命とする。"神の補佐者”Adjutor Deiが創造されたことを,パウロは謳歌しているのである。それは明らかに,あまねく宇宙全体に及ぶ主題であって,普遍的真理の認識ならびに表現の直感的な形式である神話の,もっとも古いイメージの一つになっている。
このモチーフの神話的変形に,捨て子物語がある。王位を継ぐ者として生まれた子どもが幼いうちに捨てられる.....時にはオイデプスやベルセウスの物語のように,夢の中で,あるいは神話によってその子どもが自分を押しのけることになると知らされる父もしくは祖父の手で,その子どもの父親から王位を奪い取った,そして,その子どもが成人して復讐することを恐れる簒奪者の手で,またときにはヤソンや,オレステス,ゼウス,ホルス,モーゼ,キュロスの物語のように悪人の殺害計画から子どもを守るために心を砕く同情者の手で。物語の次の段階では,捨てられた幼児が奇跡的にいのち拾いをする。そして第三の,同時に最後の段階では,今や立派に成人し,それまでに嘗めてきた辛酸によって英雄的気性にきたえ上げられた運命の子が,力と栄光に満ちて戻ってきて,かれの王国にはいる。
イエスの物語のうちに,引退〜復帰のモチーフが絶えず反復して現れる。イエスは王位を継ぐ者として生まれた子ども〜ダヴィデのすえ,もしくは神自身の子であって幼いうちに捨てられる。かれは地上に生まれるために天からおりてくる。かれはダヴィデの町ベツレヘムに生まれるが,宿るへやがなく,モーゼが箱舟(聖書ではパピルスで作った籠)の中に,ベルセウスが箱の中に入れられたように,かいばおけの中に入れられた。うまやの中で,ちょうどロムルスが狼に見守られ,キュロスが犬に見守られたように,かれはやさしい動物に見守られた。かれはまた羊飼たちにかしずかれ,ロムルスやキュロスやオイディプスを同じく,卑しい生まれの養父に育てられる。その後かれは,モーゼが葦の中に隠されてファラオの殺害計画から救われ,ヤソンがペリオン山(ギリシャの東北部,テッサリア東部にある山)のとりでに隠されたペリアス王の手の届かぬ場所に置かれるように,ひそかにエジプトに連れてゆかれて,ヘロデの殺害計画から救われる。それから,物語の最後にかれは,他の英雄たちが復帰するように,復帰してかれの王国に入る。ロバに跨ってエルサレムに入城し,群集にダヴィデの子として迎えられるさいに,かれはユダの王国に入る。そして,昇天のさいに天の王国に入る。
これを述べた限りでは,イエスの物語は捨て子物語のありふれた型と完全に一致する。しかし福音書のなかでは引退〜復帰の基本的モチーフが,さらに別の形で現れる。それはイエスの神性がしだいにはっきり示されてゆく,あいついで起る精神的経験の一つ一つにおいて姿を現す。イエスは,ヨハネから洗礼を受け,自己の使命を自覚すると,40日間荒野にひきこもり,そこで悪魔の試みにあったのち,霊の力に満ち溢れて(ルカ福音書4:41)帰ってくる。その後,自分の伝える教えのために死をまぬがれたいことを悟るとき,イエスはふたたび『離れた高い山』<マタイ福音書17:1>にひきこもり,そこで変貌を経験した後,死を観念し,決意して復帰する。さらにその後,”十字架上の死”において,死すべき人間の死を甘受し,墓におりてゆくが,"復活”において不死の者としてそこから立ち上がる。そして最後に,"昇天”において,『栄光と共に再臨し,生ける者と死せる者とを裁き,限りなく王国を築く(二ケア公会議での二ケア信条の一節)ために,地上から天国に引き上げる。
By the Brink of OLD NILE。そこへ,ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りてきた。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は,葦の茂みの間に籠を見つけたので, 仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり,しかも男の子で,泣いていた..............。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」<出エジプト記2:4〜10>
このように,イエス物語の中に何度も現れる,重要な引退〜復帰のモチーフにもやはり類例がある。荒野へのひきこもりは,モーゼのミデヤンへの逃避(出エジプト記,第二章16節以下参照)の再現である。「離れた高い山」の上での”変貌”はモーゼのシナイ山上における変貌の再現である。神性をそなえた者の死と復活は,ヘレニック社会の秘教の中に先例がある。現在の世界秩序の終末をもたらす危機に出現して支配権を握る驚くべき人物はゾロアスター教(管理人注:ゾロアスター教はミトラ教の一部と考えた方がいいでしょう)の神話の中に現れる救世主や,ユダヤ教の神話の中に現れるメシアもしくは"人の子”のうちに先例が見出される。
しかし,キリスト教の神話には,どこにも前例がないように思われる特徴が一つある。それは,未来における救世主もしくはメシアの到来を,すでに人間として地上に生活したことのある歴史的人物の,未来における復帰と解釈する点である。この直感のひらめきによって,"再臨”思想において,引退〜復帰のモチーフはそのもっとも深い精神的意義に到達する。キリスト教の再臨思想を生んだ直感のひらめきは,明らかに,その時代ならびにその場所のある特殊の挑戦に対する応戦であったに違いない。事実はその起原の中に見出されるもの以上のものを何一つ含まないと考える誤謬をおかす批評家は,このキリスト教教義が失望の中で生まれたという理由で,その価値を低く見るであろう。この教義は原始キリスト教徒の集団が,かれらの師が待ち望んだ結果をもたらさずに世を去ったことを悟ったときの失望の中で生まれたのである。イエスは死刑に処せられた。そしてかれの死はかれの弟子たちを,前途の希望を全く失った状態であとに残したに相違ない。<Study of Historyサマヴェル縮小版より要約・編集・解説>
聖書ものがたりを理解した人はダンテ神曲にそろそろ入って行きましょうか。
↑「ダンテの時代には天文学のプトレマイオス体系(Ptolemaic system、天動説)は習わしであった。全ての天文学上の計算は地球が宇宙の不動の中心であることを基本になされていた。惑星の諸天体は、一群の透明な同心の球体または「天球」の中で、地球の周囲を駆動させられているいると考えられていた。それから、地球は七個の天球に囲まれている、すなわち地球は、月球、水星球、金星球、それから太陽、火星、木星そして土星の球体に囲まれている。これを越えてその全てを囲んで定置された星々があり、それらは順番に第十天または第一番に動くもの(原動力)によって囲まれている。九個の天体を越えた所に至高天、または第十天がある。すなわちそれが神の真の居所であり、動きまたは時間の継続を持たず、大きさにおいて果てしがなく時間において無限である,と。」
以下はメッセージボックスに入っていた投稿ですので転載します。
シンクロニシティについて 送信者:りょう 送信日:2010年10月27日(水) 16:35:35
『 はじめまして、いつも有難く読ませて頂いてます。すみません、初めてのメールで質問などして申し訳ありません。知識不足で恥ずかしいのですが、先日からずっと気になっていましたので思い切ってメールしました。カールユングを始める前にの中の「二つの事象がイメージにおいて〜シンクロニシティの作用という」の箇所ですが理解しようと思って何度も読みましたがなかなかわかりません。それで私の勝手な解釈なのですが、三次元の空間と一次元の時間を瞬時に埋める空間というのは例えばタイムスリップ(タイムトリップ)みたいなものと理解していいのでしょうか?もしそう理解していいのでしたらそのような事が起こる(短時間ではなく数ヶ月の間とか)理由としてはどのような事が考えられますでしょうか?場所と時間と人といった組み合わせがぴったりと一致した場合などの現象という事はありえるでしょうか?tatsujin様のお考えなどお聞きしたいのですが。説明不足とわかりにくい文章で申し訳ありません。お忙しいとは承知で質問してしまいすみません。宜しくお願いいたします。』
三次元の宇宙というのは我々の生きている宇宙のことです。私は量子力学の相関関係(変数理論)の専門家ではありませんのであしからず。カールユングに関しては著作が多くありますのでご自分でお調べになってください。ユングをすぐ理解できる人なんていないですよ。
『二つの事象がイメージにおいて類似性を備える時,この二つの事象が三次元の空間と一次元の時間を瞬時に埋めるという不思議な時空間として現れることがある。
その時空間の秩序であてはめられている中で,因果性では関係ないと思われる場合でも随伴して,現象として起こる場合これを「シンクロニシティ」の作用という。』
遠く離れた出来事が,物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは,量子力学の相関関係において表されている。衆生にとって肉親が死んだ時に,いわゆる「虫の知らせ」という精神波動が必ず起きることは知られている。この精神波動は一億光年先もわずか一秒で到達する。
多賀千明:四次元時空理論
多賀千明[タガチアキ]
1960年、京都に生まれる。1980年、キリスト教系のある宗教団体に入信。精霊の賜物を得ることによって霊感を受けるようになる。1983年、大阪学院大学商学部経営学科卒業。その後就職するも、会社を転々とする。1988年、4次元の概念がひらめく。1993年8月、タイム・スリップの理論を完成。同年9月、ワープ、重力コントロールの理論その他、ほとんどの理論を完成。2000年6月、テレビ出演
アリストテレスが第五の元素として仮定した「エーテル」という物質はアインシュタインによって否定された。幽体離脱に関しては物質が三次元(実次元)であれば,虚次元での虚質があると考えられる。サイ現象では三次元と虚次元とは次元が違うので,同一空間を共有できることになる。霊魂は虚次元であるから実次元(三次元)と空間を共有できることになる。虚数を虚数乗するとマイナスになる。こんなとこから紐解いて行くと面白いかもしれない。
宇宙の年齢↓
2006/6/21
「宇宙の年齢」
宇宙には二つの要素が用意されている。一点に収縮するか,無限に膨張するか。今有力なのド・ジッターやフリードマン理論・宇宙は膨張を続ける「インフレーシオン理論」です。僕は素人ですが,素人なりの受け売り理論で考えるとこういうことです。「宇宙が無限に大きいとしたら星の数も無限になるので,宇宙全体から地球に届く星の光によって夜でも空は昼間のように明るいはずである。しかし現実には夜は暗いのは実際に宇宙が膨張しているためと考えられる。後退速度が光の速度を超えてしまう領域からの光は,永遠に地球には届かないので昼のようになることはない。」
地球が24時間で自転する間に,月は地球と同じ方向に約27日間かけてゆっくりと公転している。この結果,毎日の月の出は,一日の公転分(50分)ずつ遅れる。潮汐の周期もこれに符合して24時間50分間隔となる。いわゆる太陽暦と旧暦(ルナ・カレンダー)の違いとなる。
ゲームの達人のリンクにある「TOSHIYUKI」さん(楠田敏之)の統一磁場理論のHP関連に「宇宙の年齢の計算」がある。宇宙は「ハップル定数」に従って膨張しているとされている。ハっプル定数Hは,銀河が遠ざかる後退速度Vを,銀河までの距離Dで割った宇宙膨張の係数として求められる。
@H=v/d
現在のハップル定数Hoは,100万パーセク(1パーセク=3.26光年=約30兆キロ)あたり秒速50キロから100キロとされています。
ハップル定数の逆数(v/d)は「ハップル時間」ともよばれ,宇宙の年齢を算出するのに使用される。宇宙の密度が臨海密度(50センチ立法に水素原子が1個存在)に等しい場合は,宇宙の年齢は
@t::2/3.1/H
で与えられる。宇宙の密度が臨海密度より大きい場合は
@O<2/3.1/H
小さい場合は,
@2/3.1/H<1/Hでそれぞれ得られる。
現在の宇宙密度が臨海密度に近いと仮定して,現在のハップル定数Hoを50(100万パーセクあたり秒速50キロ)とすると,tは,
@t::2*3*10の19乗/3*50::4*10の17乗(秒)::1.3*10の10乗(年)でおよそ130億年となり,現在発表されている,最も古い球状星団の年齢(約150億年)と,ほぼ一致します。
しかしHo=100だと,宇宙年齢はおよそ60億年,Ho=75でも約80億年で宇宙のほうが銀河よりはるかに若いという矛盾が起きてしまいます。ハップル定数Hoはあくまで現在の値であり,宇宙はビッグバン以来,重力によってその膨張速度を鈍らせてきています。
その減速パラメーターqoは,宇宙の臨海密度soと宇宙の実際の平均密度sと@qo=1/2・s/soという関係にあり,qoが0.5よりも小さいと,膨張は永遠に続き,宇宙は無限の広がりを持ちます。
1.5より大きい場合は,膨張はいずれ収縮に転じ,宇宙は有限の大きさしか持たない事になります。
ところが現時点では,ハップル定数Hoは50から100の間と,とても実質的に使える正確さは持っていませんし,減速パラメーターqoの値も,観測的には不確定でしかありません。ビッグバンがどれくらい前の事件なのか,宇宙は有限なのか無限なのか,その答えが出る日を待ちましょう。
とこんなことです。ですから宇宙の法則で癒しなんてうたっているブログの管理人は一度この計算式を読んでください。ブラックホールだって断言できる天体はなにも発見されていないのです。
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