ティべりア(Tiberias)からティルス(Tyre)にかけて北に走る道。この道をイエスはカファルナウムからの旅でティルスとシドン(Sidon)の国境へやってきた。そこで「女はギリシャ人でシリア・フェニキア(Syro-Phoenician Woman)の生まれであったが,娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ.......(マルコ7章26節) HE CAME INTO HIS OWN COUNTRY.彼はこの町にやって来た。彼の父と母(ヨセフとマリア)に会うために。 上のナザレへ行く道を進んで行くと町が見える。この写真はイスラエル建国前であり現在のナザレはここをクリック。 サマリアの町の一部として建てられたこのアラブ人の村のSebastiehはまるで要塞のような建物があるが聖ヨハネのために十字軍が建て聖堂跡である。マルコ6章29節参照。 絵:School of Rembrandt(Christ Blessing Children),National Gallery of London所蔵。イエスに触れていただくために,人々が子どもたちを連れてきた。弟子たちはこの人々を叱った。しかし,イエスはこれを見て憤り,弟子達に言われた。「子どもをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ,決してそこに入ることはできない。そして,子どもたちを抱き上げ,手を置いて祝福された。(マタイ10章13〜16節) CERTAIN MAN PLANTED A VINEYARD AND BUILT A TOWER.ある人がぶどう園を作り,垣を巡らし,搾り場を掘り,見張りのやぐらと立て,これを農夫たちに貸して旅に出た。マルコ12章1〜9節参照。 絵はMurilla(1617-1682)「The Miracle of the Loaves and Fishes・パンと魚の奇跡」。マルコ6章39〜41参照のこと。 ナザレの大工さんの店。今でもあるらしい。 HE WAS IN THE HINDER PART OF THE SHIP ASLEEP(彼は艫の方で枕をして眠っておられた)。マルコ4章37〜39節) ”EYE OF NEEDLE"IN THE GATE OF A KHAN AT NAZARETH.金持ちが神の国に入るよりも,ラクダが針の穴を通る方がまだ易しい。マルコ10章25節。 BLIND BARTIMAEUS STAY SAT BY THE HIGHWAY SIDE.当時エリコ街道(Jericho Road)では物乞いが多くいたのが一般的であった。盲人バルティマイという名はマルコ],46にのみ残されている.........一行はエリコの町(注:エルサレムに向かう途中)に着いた.......ティマイの子で,バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと,叫んで,「ダビデの子子イエスよ(thou son of David),わたしを憐れんでください」と言い始めた.... ガリラヤ湖の畔で網を直す漁師。イエスは,ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき,シモンとシモン(Peterはイエスに会う前はSimonと名のっていた)の兄弟アンデレ(Andrew)が湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは,「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。マルコ1章16節。
魚座の象徴はイエス・キリストであり,たとえば聖ペテロはイエスに出会う前の名前はシモンであるがガリラヤ湖には聖ペテロというスズメダイに属する魚がいた。学名は「Chromis simonis」と言う。 オリーブの山にあるゲツセマネの庭(Gaden of Gethsemane)の壁はイエスを裏切り逮捕した伝説的な場所である。「イエスを裏切ろうとしていたユダは”わたしが接吻するのが,その人だ。捕まえて,逃がさないように連れて行け”と,前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに,イエスに近寄り,先生と言って接吻した。人々はイエスに手をかけて捕らえた。マルコ14章44〜46節。 このChapel of Flagellationはイエスを苦しませた伝説的な場所である。この中でイエスはつながれ十字架にかけるためピラトに引き渡した。マルコ15章15節。
庭の反対側にはヘロデ王が建造したAntonia Fortressがありそこでピラトは判決をくだした。 イエスは12人の使徒たちを連れて夕方ここへ来られた。この風景はBethanyからエルサレムへやって来たときの光景を想像するに充分である。オリーブ山の低地からエルサレムの寺院を見る........除酵祭の第一日,すなわち過越の子羊を屠る日,弟子たちがイエスに,「過越の食事をなさるのに,どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで,イエスは次のように言って,二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると,水がめを運んでいる男に出会う(この表現は魚座の次は水瓶座を意味し春分点歳差という天文学的なこと。)その人についてゆきなさい。マルコ14章12〜13節) キドロンの渓谷より見た今でも残っているGOLDEN GATE。ほぼ反対側にはDOME OF THE ROCKがある。
墓石の周辺に家畜がいるところはかつてのこの渓谷にあった古代ムスリムの墓。
Temple of AUGUSTUSへの階段。この寺院の遺跡発掘調査により多くのヘロデ時代の発見があったとされる。 THE GATE OF HEROD'S.ダマスコ門からエルサレムの北の壁の外側の道路にそって東に向かうと欧州人に馴染みの深いヘロデの門がある。アラブ人にはBab es-Zahirehあるいは花の門として知られる。 The Master saith,Where is the guestchamber,where I shall eat the passover with my disciples?.パレスティナのアラブ人村では二階がゲストルームになっている。聖書の時代,このような部屋は一つの社交であった。ペトロとヨハネは二階で食事の用意をした。「すると,席が整って用意の出来た二階の広間を見せてくれるから,そこにわたしたちのために準備をしておきなさい」弟子たちは出かけて都に行ってみると,イエスが言われた通りだったので,過越の食事を準備した。夕方になるとイエスは12人と一緒にそこに行かれた。マルコ14章15〜17節。 THEY CAME TO A PLACE WHICH IS CALLED GETHSEMANE.キドロン渓谷の東の斜面にあるオリーブ山の低地にはゲツセマネと呼ばれる所があった。「一同がゲツセマネという所に来ると,イエスは弟子たちに,わたしが祈っている間,ここに座っていなさい,と言われた。マルコ14章32節。 ボルネオにもキリスト教の教会がある。