エデンの門が開くこの時期のことを,地質学者は最大間氷期とよんでいる。原生人類は地球上に現れてから,そのようなパラダイスを二度しか見ていない。最近の最大間氷期はわずか8000年前のことで,その秋の日差しの名残に浴していられる私たちは幸運なのだ。
Stephen Oppenheimer:Out of Eden
ある意味、これは現世を生きる人間にとって大変「便利」な教えである。現世を生きるわれわれがこれほどまでに堕落し、「間違って」いるのは、この免罪符をすでに手に入れたと考えたためではないかと思われるほど、われわれにとっていかにも有利な教えである。もし、「イエスがみずからの身を十字架にかけることにより贖罪を全人類のために果たしてくれた」と受け容れることが、キリスト者への第一歩であるとすれば、そこには信心することに付随する苦悩が存在しないように思えるではないか? 一体このような「決心」のどこが困難な修練となるのであろうか? 聖書時代から視れば、すでに未来の時を生きているわれわれの犯した(あるいはこれから犯す)罪が、過去の“聖者”による行為によってあらかじめ「消し去られている」のであれば、われわれは何をやっても良いという風にさえ、あえて解釈されはしないだろうか?(いや、現にされているのではあるまいか?)私ならそうするだろう』。 パレスチナでは農業用機械が導入されているがアラブ人地区ではこのような小鎌(Sickle)で収穫する。なおJoel(ヨエル書)第三章はWorld English Bibleでは21節まであるのに新共同訳では5節までしかない。世界共通の章と節をとるなか感心しない。 そこでヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして,そこに小屋を建て,日差しを避けてその中に座り都に何が起こるのかを見届けようとした。すると,主なる神は彼の苦痛を救うため,とうごま(VINE)の木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり,頭の上に陰をつくったので,ヨナの不満は消え,このとうごまの木を大いに喜んだ。(ヨナ書第4章5〜6節) ニネベ(NINEVEH)の陥落:ティグリス(Tigris)のにぎやかだったアッシリアの都の陥落は紀元前612年のメデス=メディア人(MEDES)とバビロニア人の預言者の預言どおりになった。バビロニアの預言者はニネベについてこう語った。「これが,かつてにぎやかだった都だろうか。かって,人々は安らかに住み,心の中で”私だけだ。私のほかにだれもいない”と言っていた。どうして都は荒れ果て獣の伏すところとなってしまったのか。ここを通り過ぎる者は皆驚きのあまり,口笛を吹き,手を横に振る。(ゼファ二ア書第3章15節)。(ナホム書第2章3,4,6節参照) 民の腐敗:エルサレムの郊外ではスイカの取引が盛んであった。エジプトで生産された最も古い果実で古代ヘブライの植物の識別では木の上に生る果実と,地上に生る果実とになった。ミカ書第7章1〜4節参照) 多くの象牙で出来たコレクションはサマリアの王宮跡で発見された。一番下の丸く彫られたライオンはエジプトの影響を強く受け,真ん中の右は蓮(ハス)の花の上にのったホロス(HORUS)を表している。 サマリアの征服者サルゴンの宮殿。アモスの預言どおりサマリアは捕囚の身となった。これはアッシリア王サルゴン二世の時代のもので紀元前721年にKHORSABAD の宮殿の年史に記録されている。コルサバッドはニネベ近郊のサルゴンの都にあった。 "MAKE STRONG THE BRICK-KILN"(煉瓦を釜で焼き堅固にせよ)煉瓦ははるか昔からメソポタミアでの建築資材であった。そしてこの写真はニネベ(Nineveh)近郊の要塞である。ナホム(Hahum)は紀元前612年にその都の陥落を預言した。「籠城に備えて水をくみ,要塞を堅固にせよ。泥の中に入って,粘土を踏み煉瓦の型を固く取れ。」(ナホム書第3章14節) ”WHERE IS THE DWELLING OF THE LION"(獅子の住みかはどこにいったのか)。「獅子の住みかはどこにいったのか。それは若獅子の牧場だった。獅子がそこを去り雌獅子と子獅子が残っていても脅かすものは何もなかった。」(ナホム書第2章12節) 蔵には,まだ種があるか。ぶどう,いちじく,ざくろ,オリーブはまだ実を結んでいない。しかし,今日この日から,わたしは祝福を与える。(ハガイ書第2章19節)(ハガイは追放から帰ったエルサレムで人々に神殿の再建を訴える。それをライオンや果実にたとえた) "THE PRIDE OFJORDAN”。羊飼いたちの泣き叫ぶ声がする。彼らの見事な牧場は荒れ果てた。若い獅子のほえる声がする。ヨルダンの密林も荒れ果てた。(ゼカリア書第11章3節) あなたは弓の覆いを取り払い言葉の矢で誓いを果たされる。あなたは奔流を起こして地をえぐられる。山々はあなたを見て震え水は怒涛のように流れ淵は叫び,その手を高く上げる。(ハバクク書大3章9〜10節)ヨルダン川の源流はNahr Bareighitである。 (ロートシルト=ロスチャイルドの原型)エルサレムの高利貸し。若いアラブ人に金を高利で貸す。当時ヨルダンとパレスチナは同じ貨幣を使用していたが印刷はロンドンでなされた。「この人々は皆彼に対して嘲りのことわざを歌い謎の風刺を浴びせる。災いだ,自分のものでないないものを増し加える者は。いつまで続けるのか/重い負債を自分の上に積む者よ。」(ハバクク書第2章6節) エルサレムの北の郊外にある王のワイン絞り器と呼ばれた皮のなめし池でへゼキアの時代から信じられていた。ゼカリア書第14章10,11節参照) ここはベツレヘムの道。後方に見えるのはダビデの塔などの要塞。外典のマカバイ書T第1章33節には詳しく出ている) マカバイが避難民を発見したTEKOAの砂漠。(マカバイ書T:第9章33節) マカバイ時代のパレスチナ ヘロデ・アグリッパ(HEROD AGRIPPA)によって建てられたエルサレムの壁。壁の崩壊とはアグリッパの壁,あるいは,ダビデの最初の壁と区別する意味で第三の壁と呼ばれる。パウロがバルナバ(Barunaba)を伴ってエルサレムへの帰路見たのはこの壁か? イコ二オン(ICONIUM)でも同じように,パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが,その結果,大勢のユダヤ人やギリシャ人が信仰に入った。(Acts・使徒言行録第14章1節)。イコニオンは11世紀からSeljuk Empire(セルジューク朝)の首都であった。上の写真のモスクは現在博物館となっている。 ヨエル書は「いなごによる荒廃」ではじまる。”THAT WHICH THE LOCUST HATH THE LEFT" わたしのぶどうの木を荒らしわたしのいちじくの木を引き裂き皮を引き剥がし,枝を白くして投げ捨てた。(ヨエル書第1章7節) TOMB OF HOSEA(ホセヤ,あるいはホセアの墓)。Hoseaはアラビア語ではOSHAという。 山羊の毛で出来た衣服をまとったべドウインの女性が朝のパンを焼いているところ。「彼らは皆,姦淫を行う者 燃えるかまどのようだ。パンを焼く者は小麦粉をこねると脹らむまで,火をかき立てずにじっと待つ。(ホセア書第7章4節) 過去のシオン(ZION)の栄光を嘆くユダヤ人たち。寺院の立ち並ぶ(Haram-esh-Sherif)の南西側にこの壁はある。金曜日の日没,祭りの前日に彼らはここで詩篇(PSALMS)や哀歌(LAMENTATION)を朗読する。写真の一番下の大きな石はヘロデ王時代のもので紀元70年の破壊によっても壊されなかった。ということはヘロデ・アグリッパ(HEROD AGRIPPA)によって建てられたエルサレムの壁と考えてよい。壁の崩壊とはアグリッパの壁,あるいは,ダビデの最初の壁と区別する意味で第三の壁と呼ばれる。 "THE TOP OF CARMEL SHALL WITHER"(カルメルの山の頂は枯れる)「主はシオンからほえたけりエルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は渇きカルメルの頂は枯れる。(アモス書第1章2節)
「カルメル山(カラメルざん、ヘブライ語: הר הכרמל、Karem El/Har Ha'Karmel、アラビア語: جبل مار إلياس、Jabal Mar Elyas)は、イスラエルハイファ地区ハイファにある山である。
イエス・キリストの再来の地とされ、キリスト教の聖地の一つである。現在ではバハイ教の聖地として「万国正議院」やバハイの寺院、インターナショナルティーチングセンターがある。カルメル山の中腹にはいまだにキリストの再来を待つドイツ人たちの街がある。」(Wiki日本語より) 豪華な家と贅をつくしたサマリアはアモスによって否定される。「わたしは冬の家と夏の家を打ち壊す。象牙の家は滅び,大邸宅も消えうせると主は言われる。(アモス書第3章15節)。このような記述は最初列王記T第22章39節で書かれている。つまり「イスラエルの王の歴代誌」に書かれているという旨。 イスラエル建国前のGAZA.アモス書第1章にあるペリシテ(Philistia)とは古代ガザのこと。古代ガザであるペリシテの最南端,つまりエジプトからバビロンへの道は「奴隷交易」の中心でもあった。アモス書はペリシテ人をすべて捕囚しエドム(EDOM)へ連行する(引き渡す)。 竪琴の音に合わせて歌に興じダビデのように楽器を考え出す。(アモス書第6章5節) TEKOAの遺跡はアモスの生誕地でありそこへ行くにはベツレヘムから馬ないしロバで行くしか方法がなかった。 古代ニネベ(Nineveh)の遺跡の中(Tigrisの東岸)にNeby Yunus(預言者ヨナ・Jonah)の墓がある。しかしここを訪れた人たちはヨナの本当の墓はCRYPTにあると知らされる。 ユダヤ人教会(Synagogues)のユダヤ人巡礼者の新年にはミカ書第7章18〜20節に由来するPropitiatory rite of Tashlikという儀式を水の流れの前で行う。前列の人が読んでいるのは勿論ミカ書の一節である。「あなたのような神がほかにあろうか..........すべての罪を海の深みに投げ込まれる。どうか,ヤコブにまことをアブラハムに慈しみを示してください。その昔,我らの父祖にお誓いになったように。」 Image of TASHLIK Ceremony in Galicia ナホム書第3章8,9節参照) オリーブからオリーブオイルを搾りとっている光景。ヨエル書第3章13節参照と言いたいのですが「新共同訳」は5節まででカット。なぜなんでしょうね?カトリックとプロテスタントの共同訳ですから色々あるのかもしれません。こういうのを聖書の改竄というのでしょうか。World English Bibleにはちゃんとありますよ。