「聖書ものがたり・Ezekiel(エゼキエル書)」
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エゼキエル書T:1〜16章・バビロンからエルサレムへ
エゼキエル書U:17〜33章・第二の出エジプト
エゼキエル書V:34〜48章・滅亡と再生
TRUTH SEEKER JA
宗教に騙されないために
↑仲間を見出した喜び
実際にオウムに飛び込んでみておどろいたのは、自分と同じような悩み苦しみをもった人がじつに多く、しかもそうした悩みを包み隠さずに話しあうことのできる人ばかりだったことだ。僕はそれまで自分のなかで抱えもってきた精神的な問題を、一気に放出するような感じで話した。誰にも話さなかったことを、自由に、しかもかなり深く掘り下げて話すことができ、僕はとても満たされる思いがした。 高橋英利「オウムからの帰還」
Wiki日本語版によるエゼキエル書解説。英文に比べ余りにもお粗末。
あなたはティルスのために嘆きの歌をうたいなさいと,エゼキエルはTYRE(ティルス)の終焉を予測していた。写真は....むか〜し,むか〜しかの地では馬やラバのバーター取引が行なわれていた。「彼らはべト・トガルマ(Togarmah)から,馬,軍馬,らばを仕入れて,お前の商品と交換した。(エゼキエル書第27章14節)
ミレ(Millet),あるいはパレスチナではDurrahと呼ばれる地は最も重要な夏の穀物生産地である。写真はシャロン平野のカクン(Kakun)でのもの。Milletという名はエゼキエル書第4章9節で使われているがMillet=きびという意味。9節は「あなたは小麦,大麦,そら豆,ひら豆,きび(Millet),裸麦を取って,一つの器に入れ,パンを作りなさい。あなたが脇を下にして横たわっている日数,つまり三百九十日間,それを食べなさい。」と。
遠くにはカルメル山のふもとの岬が見える。そしてハイファ(Haifa)の港が。「ティルスは海の中にある網干し場となる。これはわたし自身が語ったことだと主なる神は言われる。(エゼキエル書第26章5節)
そして,美しく織った服を着せ,上質の革靴を履かせ,亜麻布を頭にかぶらせ,絹の衣を掛けてやった......こうして,お前は金銀で身を飾り,亜麻布と絹とで美しく織った服を身に着けた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は非常に美しくなり女王のようになった。(エゼキエル書第16章10,13節)
"YE EAT THE FAT AND YE CLOTHE YOU WITH THE WOOL"(羊毛を身にまとい,肥えた動物を屠るが.....)。写真はモスル(Mosul)の近く,ティグリス川(River Tigris)の流れでウールを洗う作業。「人の子よ,イスラエルの牧者たちに対して預言し,牧者である彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。災いだ,自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み,羊毛を身にまとい,肥えた動物を屠るが,群れを養おうとはしない。お前たちは弱い者を強めず,病めるものをいやさず,傷ついた者を包んでやらなかった。.......。(エゼキエル書第34章2,3節)
原住民は死海の傍のこの地区のJEBEL USDUMで年間8千トンもの岩塩を採取する光景は今も変わらない。「川が流れて行く所ではどこでも,群がるすべての生き物は生き返り,魚も非常に多くなる。この川が流れるところでは,水がきれいになるからである。この川が流れる所では,すべてのものが生き返る。漁師たちは岸辺に立ち,エン・ゲディ(Engedi)からエン・エグライムに至るまで,網を広げて干す所とする。.......しかし<その沢と沼はきれいにならず,塩を取ることが出来る。(エゼキエル書際47章9〜11節)
(注)
JEBEL USDUMはMt.SODOMのこと。
エゼキエル書第34章2〜3節で述べたように34章は(金の亡者の)牧者について語られている。僧侶で言えば「お前たちは人が死んで戒名とやらで金をとり死後の世界で商売をしているけしからんやからたちだ」と言っているのと同じです。For thus saith the Lord God;Behold I,even I,will both search my sheep,and seek them out....and feed them upon the moutains of Israel by the rivers.....まことに,主なる神はこう言われる。見よ,わたしは自ら自分の群れを探し出し,彼らの世話をする。(エゼキエル書第34章11節)
King James Version
The ancients of Gebal and the wise men thereof were in thee thy calkers: all the ships of the sea with their mariners were in thee to occupy thy merchandise.
World English Bible
The old men of Gebal and the wise men of it were in you your repairers of ship seams: all the ships of the sea with their mariners were in you to deal in your merchandise.
Douay-Rheims(カトリックの聖書)
The ancients of Gebal, and the wise men thereof furnished mariners for the service of thy various furniture: all the ships of the sea, and their mariners were thy factors. Webster's Bible Translation
The ancients of Gebal and its wise men were in thee thy calkers: all the ships of the sea with their mariners were in thee to occupy thy merchandise.
カトリックに関する拙稿10件参照
Vaticanという言葉は「diving serpent」でありVatis=Diviner and Can=Serpent(蛇)から由来している。カトリック聖書(ドウエイ版)verse18にはこう書かれている。666〜the numeral letters of his name shall make up his number.So let us take his name that is given to this MAN -the Pope of Rome。ローマのPopeは「VICARIUS FILII DEI」(Representative of the SON of GOD)であり,GODとはSATAN/LUCIFERのことである。上のようにヘブライ語数字変換すると.....(注;666に関してはその他二種類の考え方があることは記事にした。)
【ヨハネ黙示録11章2〜3節】聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは42か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。そして私は、私のふたりの証人に、荒布を着て、1260日の間預言することを許そう。
1260日は12−60進法を表している。この12と60の比は1:5であり、この3角形の面積は6であるから666はピラミッドを表している可能性もある。なぜならギザのピラミッドは三基である。それこそがNOVUS ORDO MUNDI SECLORUM 。もう一つは春分点歳差における赤道に対する地球の傾斜角度である。従って石工のヒラム(ヒラム王と石工・メーソンの二種類ある)のことではないことは断定出来るだろう。
Original Hebrew
זקני2205 גבל1380 וחכמיה2450 היו1961 בך מחזיקי2388 בדקך919 כל3605 אניות591
הים3220 ומלחיהם4419 היו1961 בך לערב6148 מערבך׃
新共同訳:(ゲバルの老練な者が乗り込んで水漏れを繕う者となった。)海のすべての船と船乗りたちはお前のもとに来て,物品を引き渡した。
上の写真の古代ゲバル(GEBAL)はソロモン神殿建設のためや,ティルス(Tyre)の船の隙間に埋める石の区画。この地区はJebeilと呼ばれギリシャの支配下の時はビブロス(Byblos)と呼ばれた。中央にあるオベリスク(Obelisk)は紀元前3000年前のエジプト王のためのものであり今でも寺院として残っている。
「Biblos」(ビブロス:地名)→「Biblia」(ビブリア:ラテン語)→『Bible』(引用はここから)
「ビブロス」は地中海沿岸にある港町ジュベイル(Jebeil)のギリシア名。
ジュベイルはオリエントでの貿易の一中心地。特にエジプト産パピルスの集散地だったそうな。
BC1000年代、アルファベットがパピルスによりギリシア世界に広まったことから、ギリシア語で「ビブロス」は「書物」の意味を持つ璽靴・床修靴謄。その勢力は11世紀末にイスラム世界のほとんどを占めたこともあり、十字軍相手に戦ったこともあるらしいです。
このとき、十字軍によって「アッサシン」という言葉はヨーロッパに伝えられ、「暗殺者」という意味で使われるようにようです。
このアッサシン派、13世紀には他国勢力に潰され少数異端派となり、現代では、シリア、イラン、中央アジアに信徒が残っているそうです。
写真はバグダッドの路上の床屋さん。メソポタミアのエゼキエルの時代は長髪でひげぼうぼうであったがエゼキエル書第5章1節ではそれを戒めている。「人の子よ,あなたは鋭い剣を取って理髪師のかみそりのようにそれを手に持ち,あなたの髪の毛とひげをそり,その毛を秤にかけて分けなさい」と。
女たちが売っているのはカリフラワーで収穫すると頭にのせて市場にもってくる。イスラエル建国前ののどかな風景でエルサレムのダヴィデ通りでのフードマーケット。「わたしが木の実と畑の作物を豊かにするので,二度と飢饉のために,国々の間で恥をこうむることはない」(エゼキエル書第36章30節)
彼は破城槌(Engine of WAR)で城壁を突き崩し鉄の棒で塔を打ち壊す」(エゼキエル書第26章9節)。この大理石の平板はアッシリアの戦闘の方法でカラ(Calah)のアッシリア王Tiglath-Pileser三世(745−727BC)の宮殿跡で発見されその後150年にも渡ってバビロニア王ネブカドネツァラ(Nebuchadnezzar)の軍隊で使用された。
有名なダマスコ(DAMASCUS)のオリエントバザー。「ダマスコはお前の多くの産物と豊かな富のゆえに商いをし,ヘルボンののぶどう酒とツァハルの羊毛を運んで来た」(エゼキエル書第27章18節)
エゼキエルのバビロニアの墓を訪れるユダヤ人巡礼者たち。Birs-Nimurudの近く(かつての破壊されたBorsippa)はかつてバベルの塔と揶揄されたこともあった。エゼキエルの伝説的な埋葬場所でムスリムの小さな町ケフィル(Kefil)にある。「ユダの王ヤキン(Jehoiachin)が捕囚となって37年目の12月25日に,バビロンの王エビル・メロダク(Evil-merodach)は,その即位の年にユダの王ヨキヤンに情けをかけ、彼を出獄させた。............彼は生きている間、死ぬ日まで毎日,日々の糧を常にバビロンの王から支給された」(エゼキエル書第52章31,34節)
"
THEY WORSHIPPED THE SUN TOWARDS THE EAST"(彼らは東に向かって太陽を拝んでいる)。1934年と1935年のラキッシュ(Lachish)での発掘作業の間,ペルシャの太陽神殿が発見された。それはパレスチナにおける初期のゾロアスター教の存在を裏付けるものであった。
Lachish Gate
「彼はわたしを主の神殿の中庭に連れて行った。すると,主の聖所の入り口で,廊と祭壇の間に,25人ほどの人がいて,主の聖所を背にし,顔を東に向けていた。彼らは東に向かって太陽を拝んでいるではないか。」(エゼキエル書第8章16節)
必読:ミトラとゾロアスターの誕生
アケメス朝ペルシャ時代,ミトラはマズダーと同格・同体の最高神であった。ミトラの教典「ミトラ祭儀書」はゾロアスター教の教典「アヴェスター」の中で最大最長の教典である。従って,ゾロアスターとミトラでなく,ミトラ教の中のゾロアスターと理解するほうが早い。しかしアケメス朝初期のゾロアスター教におけるミトラは,アフラ=マズダーを崇める善男善女の守護神である。それゆえ,ミトラは,アフラ=マズダーの分霊,つまり受肉した言葉とみなされるようになった。
ゾロアスター教の聖典は,「我らはあらゆる国家の主であるミトラを祭る,ミトラ・アフラよ」となっている。この神話は進化し,アフラ=マズダーは,ミトラに「世界統治権」を移譲したという神話が確立し,世界を統治するのはミトラで,アフラ=マズダーは来世だけを統治するという役割分担が確立された。つまり世界統治権は最高神の証とされる。これが,NWO(New World Order)の原点でもある。いつの間にか,最高神がダヴィデになっただけの話である。
ダリウス(在位BC522〜486年)は,マギ・ゴーマタの反乱を鎮圧して,帝位についた。反乱を鎮圧したものの,ゴーマタを支持したメディア人勢力(ミトラ派)の軍事力は強大であった。ダリウス軍には,メディア全軍を相手にするだけの力はなかったし,これ以上深くメディア領に踏み込めば,メディアは分離独立し,最悪の場合には,メディアーギリシャ連合が誕生する危険があった。そこでダリウスは,メディアの分離独立を阻止するために,アフラ=マズダー,ミトラ,女神アナーヒターという三神を崇拝するという折衷形態を採用した。
ゾロアスター教の研究では、きわめて有名な事実であるが,アケメス朝の碑文には,ゾロアスターという名はいっさい刻まれていない。碑文を重視する学者は,この事実から次のように推論している。「ゾロアスターが教祖であるなら,これは異常としか言いようがない。碑文が意味することは,ただ一つ,ゾロアスター教の教祖は,ゾロアスターではなかったということ,つまり,アケメス朝において折衷宗教ゾロアスター教が形成されるとき,ゾロアスターはさして重要な人物ではなかったということである。おそらく,ゾロアスター教は,ダリウス王の政治的な判断で生まれたのであろう。
アケメス朝中期から始まったミトラ崇拝の興隆は,ヘレニズム王朝の一つパルティア(Arsacid Parthia BC250〜226年,ヘレニズム王朝の一つ)において大きく開花した。ミトラは,パルティアの至高の最高神(主神)となり,この王朝の守護神になった。
ミトラ神話には,次の三つの系統がある。1)が最も古い起源を持ち,3)のメタトロン神話がこれに続く。3)の残りと2)は,ほぼ同時期に成立している。
1)天地創造神話
最も古い起源を持つミトラ神話で,最高神ミトラの誕生と天地創造の経緯を説く。クルドの地に強く付いている神話である。プラトンのミトラ=エロス哲学,西方ミトラ教の聖図像,ヤザタ派の神話がこれに属す。
2天上王権継承物語
パルティア時代に生まれた神話で,天上王権がズルワーン=アフラ=マズダー=ミトラと継承されたと説く。イランで形成された神話である。「ミトラ祭儀書」を起源とする。
3)救世主神話
ユダヤ教・キリスト教の神話とミトラ神話をつなぐ神話で,ミトラがこの世に生まれ変わった経緯とその生涯を伝える。イラン=クルド文化が接する地域で生まれた伝承である。仏教の弥きん神話(現在のアフガニスタン),ユダヤ教のメタトロン神話(バビロン周辺),アルメニアのミトラ神話がこれに属す。<東條真人博士のミトラ教参照>
紀元前2400年ごろに描かれたバビロニアの太陽神シャマッシュ。シャマッシュの神は一年を司る。船で空を渡る月の神シンの息子で,シャマッシュとシンはカルデアの神話の中心をなしている。ちなみに,バビロニア神話においては,イシュタルは月の神シンの娘です。
エジプトのラメス二世(紀元前1300〜1236年)は,黄道12宮のうちの基本となる4宮,すなわち牡羊座,天秤座,かに座,山羊座の確立に大きく貢献しました。墳墓の飾りに,占星学の符号を刻み込むことによって彼が占星学に感心を抱いていたことが後々まで伝えられました。カーナックにあるアモンの神殿に見られるこの浮き彫りでは,ラメスが空の女神アーソーと手をつないでいる。
昔の人は,かなりぼんやりして星を眺めていたと思っていたとしたら大間違い。夜通し見ていたんですね。偉いです。というか,暇だったんでしょうかね。
「私たちは特定の時間に特定の場所で生まれている。そして製造年代がものをいうワインと同様に,生誕した年や季節でそれぞれ特性をそなえることになる。このことこそ,占星学の拠り所にほかならない」<C・Gユング>
紀元前8000年,古代メソポタミア地方では,人間は常に空の脅威にさらされて生活していました。人間の精神は,計り知れない要素に満ちた宇宙に支配され,天体は,人間にはどうすることもできない壮大かつ破壊的で予知不可能な攻撃〜雷,稲妻,灼熱,日食,月食〜を仕掛けてきたのです。こうしてすぐに,天体優位の考え,すなわち,導き手を求めて空を見上げる姿勢が日常生活の一部になったのです。
原始時代の人間には,偶発事の可能性を考慮に入れることはできませんでした。起こったすべての現象は,ある目的を持つ力によって起こされたものだと考えられていました。なぜなら,狭い経験の範囲内では説明のつかない現象に対しては,それを巻き起こした物理的な力を見つけ出し,名づけなければならなかった。それは人間の弱さを補強する手段でもあったのです。
そこから神話が生まれ,叙事詩が生まれ,宗教が生まれたと考えてなんの不思議もないでしょう。星はシュメール族にとって,神聖なものの象徴でした。この地方の空に満ちていた星こそ,占星学を最初に生み出したものといえます。今日では,私たちは太陽と月が私たちにたいして物理的な影響を与えていることを知っていますが,原始人にとっては,この影響はかなり重大なものであったに違いありません。太陽は人間に暖を与え,昼と夜があり,海には潮の満干があります。成長と衰微の神秘的な過程,自然秩序の満干に取り囲まれていた原始人が,宇宙を物理的に説明する方向へと向かっていったのはごく普通の自然なことだったのでしょう。
地球から見れば,星は毎年殆ど変わりない位置を保って私たちの周囲を回っています。勿論,変化はつねに起こっていますが,原始人には観察できないほどのわずかのものです。彼らは,七つの主要な天体の背景をなしている星の,比較的早い動きには気づいていました。いわゆる,可視惑星です。もっとも古い記録には,太陽,月,そして惑星は人間の生活に介入し導く力をもった神を象徴している,という考えがみられます。バビロニアにおいて天体観測がされるようになったころには,神々の座がはっきりと確立され,それぞれの神に,人間生活の各部分を司る力を与えた。これが,すべての始まり。
最古の暦は,アッシリアのアシューバニーパル王の時代,紀元前7世紀の中ごろに書かれたものです。いわゆるカルディア人のころです。また話はとんで,ストーンヘンジのオーブリー穴も有名です。メキシコのチェチェン・イッチャ市にある古代マヤの回転式天文台も有名です。コロンブス以前のマヤ文明がいかに高度な天文学的,占星学的な技術をもっていたかがわかります。貝の形に似た内部の螺旋階段は,いくつかの窓に通じています。その窓は,季節ごとに観察する惑星の位置に合うようにつけられている。
お星様キラキラ参照
悪魔や天使が実在しているのかどうかが魔術師にとってさほど重要でないように重要なのは,そうしたものが,現に存在しているかのように働くという事実なのである(ゴールデンドーン魔術師)
つまりこういうことだ。
それはイエス自身がいてイエスかバラバかの後に磔という世紀のイベントが歴史的に存在した事件であったのかということは悪魔や天使が実在しているのかどうかが魔術師にとってさほど重要でないように,そのような形で行なわれたという聖書の記述と,それらを信じた信者の存在と,アラム語を話すナザレ人の新興宗教の教義がユダヤとシリアとに燎原のように広がってゆき,それが世界宗教へと格上げされていったという歴史的事実こそが重要なのである。
『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュベレーとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタルの名で知られていた女神であることが判明する』(Study of Historyサマヴェル縮小版より)
テパイのアモン=ラーにしろ,バビロンのマルドゥク=ベルにしろ,さらにまたオリュンポスのゼウスにしろ,その変幻自在の仮面の下から,"唯一のまことの神”の相貌をのぞかせたことは一度もない。またシリア社会の世界国家においてすら,その相貌から"唯一まことの神”の存在と性質とが人類に明らかになった神は,アカイメネス朝の神であったゾロアスター教のアフラマズダ(AHURMAZDA)ではなかった。それは,アカイメネス朝の支配下にあった,微々たる小民族ユダヤ人の神ヤーウエであった。旧約聖書の中のヤーウエは土地に帰属せしめられた地方神であると同時に紀元前14世紀に,エジプトの新帝国の領土であったパレスティナに侵入した蛮族戦闘団体の守護神として,エフライムおよびユダヤの山岳地帯に持ち込まれたのちに,特定の地方の土と,特定の地方共同体の人々の心の中に根をおろした神である。ヤーウエの崇拝者に対する戒めとして,「あなたはわたしのほかに,なにものをも神としてはならない」(出エジプト記第20章3節)と命ずる”ねたむ神”でもある。
ユダヤ教とゾロアスター教がその間から生まれたシリア社会の諸民族は,バビロン社会の支配的少数者のアッシリア軍のために強制的にバビロン社会の内的プロレタリアートに編入された,打ちひしがれた人々であった。バビロン社会の侵略によりユダヤ教とゾロアスター教という宗教的応戦を呼び起こした。事実ユダヤ教は,ちょうどキリスト教がヘレニック世界のパウロの会衆の中で形づくられたのと同じように「バビロン川のほとり」で形づくられたのである。
ソロモン王の死がシリア社会衰退の先触れとなったと考えられているが,シリア社会の動乱時代に,ヤーウエ崇拝が,アッシリアの軍国主義者のために故国を追われ「ディアスポラ」となったイスラエル人が西イランに連れてゆかれ,今度は逆にイランのほうからユダヤ人の宗教意識に対して影響したと考えられる。それがユダヤ教とゾロアスター教の相互浸透である。しかし最後にはユーフラテス川以西の地においてローマの権力に取って代えられるとともに,外来のヘレニック文化の圧迫がユダヤ教とゾロアスター教とをともに,本来の,全人類に救済の福音を宣べ伝える使命から逸脱させた。
紀元66〜70年の激烈なローマ・ユダヤ戦争において,パレスティナのユダヤ人社会は粉砕され,かつてマカベヤ家がエルサレムの至聖所から放逐した「荒す憎みべき者」・マタイ福音書24章15節,はハドリアヌス帝がエルサレムの地に,ローマ人植民地アイリア・カピトリア(Aelia Capitolina)をもうけるとともに,ふたたびもとの場所に復帰した。
ユダヤ人の故国のユダはシリア文明社会の一地方国家であって,ヘブライ,フェニキア,アラム,ペリシテ等いくつかの民族共同体の一つであった。ユダの姉妹共同体が,シリア文明社会が隣接のバビロン文明ならびにヘレニック文明とあいついで衝突し,致命的な痛手を受けたのに対し,ユダ民族は新たな集団生活の形式を造りだし,国家と国土を失ったにもかかわらず,多数を占める異民族の間に混じり,異民族の支配のもとで「ディアスポラ」としてその独自性を保ってきた。
ヘレニック文明社会が同時代の東方諸文明に対して加えた圧力は,その応答としてキュベレ崇拝,イシス崇拝,ミトラ教,キリスト教,および大乗仏教を出現させた。また,バビロン文明社会に対する軍事的圧力は,ユダヤ教とゾロアスター教を出現させた。イスラム社会は,コーランの原典の中に示されている指示にもとづき,イスラム以外のいくつかの宗教を宗教的真理を部分的に示す真正の啓示として認める態度を継承したが元来ユダヤ教徒とキリスト教徒とに与えられていたこの承認が,のちにゾロアスター教徒とヒンズー教徒にも拡張されるようになった。
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