「聖書ものがたり・Psalms・Proverbs(詩篇・箴言)」
旧約聖書成立史表
詩篇:ダビデの祈り
詩篇:典礼歌集
箴言(しんげん)・処世訓の倉庫
箴言:箴言の謎
↑「箴言」のような知恵文学は旧約聖書だけのものではなく,古代文化の中でバビロニヤとかエジプトにおいても早くから存在したことが知られている。バビロニヤにおいては前1400年頃にすでにそのような文書が存在したことが明らかにされており,エジプトでは「プタハ・ホテプ大臣のための教え」という文書がほぼ前2450年には存在した.またアッシリヤの「アヒカルの言葉」という文書(前7世紀)には,「箴言」と関連のある言葉が含まれている。
これらの箴言は,主として古代における王や祭司や学者たちが,自分の経験によって生み出した格言やことわざによって形成されている.これらは王の後継者や王宮に仕える者たちを教育するために生み出されたと考えられている。
影響個所としては、エルマン(1924年)により,箴22:17‐23:11がエジプトの『アメン・エム・オペ」の教えと著しく類似していることが明らかにされてから,箴1‐9章,25:2‐27などもエジプトの型にならっていることが指摘されるようになった.
しかし、他のオリエント世界のもっと古い知恵文学の資料を取り入れたり,その影響を受け入れていたとしても,箴言自体としては独自の思想内容を形成しているとする神学的主張が見られるのです(新聖書辞典(いのちのことば社)より)。
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THE ONLY OTHER INSTANCE OF THE WORD 'FRAUD' IN SCRIPTURE IS TO BE FOUND IN PSALM 10, VERSE 7,(注:詩篇) DESCRIBING THE WICKED, WHICH READS AS FOLLOWS:
'His mouth is full of cursing and deceit and FRAUD: under his tongue is mischief and vanity'.(口に呪い,詐欺,詐取を満たし,舌に災いと悪を隠す)
闇は真の光に対抗するために、光を偽装して戦力を集めようとする。しかし、見極める目を養えば、真の光と、光を偽装する闇とを区別することは可能である。
Please bear all this in mind, if you will, in the momentous days which lie close at hand.
よく憶えておいてほしい,我々の目の前に大きな出来事が差し迫っているということを。
(クリストファー・ストーリー&管理人共同声明)
Listen,for I have worthy things to say;I open my lips to speak what is right. My mouth speaks what is true,for my lips detect wickedness. All the words of my mouth are just:none of them is crooked or perverse. To the discerning all of them are right;They are faultless to those who have knowledge. Choose my instruction instead of silver,knowledge rather than choice gold,for wisdom is more precious than rubies,and nothing you desire can compare with her.
聞け,わたしは指導者として語る。わたしは唇を開き,公平について述べ わたしの口はまことを唱える。わたしの唇は背信を忌むべきこととし わたしの口の言葉はすべて正しく よこしまなことも曲がったことも含んでいない。理解力のある人にはそれがすべて正しいと分かる。知識に到達した人には それがすべてまっすぐであると分かる。銀よりもむしろ,わたしの諭しを受け入れ 精選された金よりも,知識を受け入れよ。知恵は真珠にまさり どのような財宝も比べることはできない。(箴言第8章6〜11節)
バビロンの流れのほとりにて。コーカサスを源流にユーフラテスはシリア,メソポタミアと支流を増し,バビロン近くの運河にも流れ込む。「バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って,わたしたちは泣いた。竪琴は,ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚にした民が,歌を歌えと言うから わたしたちを嘲る民が<楽しもうとして「歌って聞かせよ,シオンの歌を」と言うから。どうして歌うことができようか 主のための歌を異教の地で.........主よ,覚えておいてください エドムの子らを エルサレムのあの日を かれらがこう言ったのを「裸にせよ,裸にせよ,この都の基まで」娘バビロンよ,破壊者よ いかに幸いなことか お前がわたしたちにした仕打ちを お前に仕返す者 お前の幼子を捕らえて岩にたたきつける者は。(詩篇137)
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管理人注)聖書のような文学は創作され,読まれて精神の糧になるものであり,Theologian(神学者)が科学のように研究することは一体どういう意味があるのかを考えるべきであろう。結局Luciferも悪魔化されてしまった。しかし日本と言う風土は各人がその創意を発揮できる場所であるかというとそうではない。
毎日があちゃらかで浮き足立っている反面「何かが壊れる」というヒステリー状態で突然死を選んでくるのはこの国の民の特徴でもある。パリで客死した哲学者の森有正氏はその著「木々は光を浴びて」の<パリ その相貌>の中でこう書いている。『一人の限りなく複雑な人格をもつ人間のように,パリもその相貌をもっている。リルケは,「人は死ぬためにパリへやってくる」と「マルテの手記」に書いた。それは色々な意味にとれるかも知れない。しかしリルケはただ一つの意味をこめてこの言葉を書いたのだと思う。ジードは「絶望して死にたい」と言った。一人の愛する魂の傍で人が絶望して死ぬように,人はパリで絶望し,そして死ぬ』,と。
子どもを学校へ迎えに来た嬉しそうな(joyful)母親。イスラエル建国前のパレスティナでは人種別の教育をしていた。一つはアラビア語を話す子どもたち用,もう一つはユダヤ人の子どもたち用であったがその多くはシオニスト団体より援助を受けていた。政府の教育担当のヘッドクオーターはエルサレムにありアラブ・ユダヤ人以外にもクリスチャンのための学校もあった。
多くのパレスチナの農村部の女性は「箴言31章22〜24節」にあるように針での織物などが得意であった。「敷物を自分のために織り,麻と紫の衣を着ている。......彼女は亜麻布を織って売り,帯を商人に渡す。力と気品をまとい,未来にほほえみかける。(箴言31節)
雌山羊の乳はあなたのパン,一家のパンとなり あなたに仕える少女らを養う。(箴言第27章27節)
しばらく眠り,しばらくまどろみ しばらく手をこまねいて,また横になる。貧乏は盗賊のように 欠乏は盾を持つ者のように襲う。(箴言第6章10〜11節)
「怠惰は人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える」(第19章15節)
古い時代のBeershebaの商人たち。買う方は「ただ,ただにしろ」というのが一般的。
この地上に小さなものが四つある。それは知恵者中の知恵者だ。蟻の一族は力は無いが,夏の間にパンを備える。岩狸の一族は強大ではないが,その住みかを岸壁に構えている。いなごには王はいないが,隊を組んで一斉に出動する。やもりは手で捕まえられるが,王の宮殿に住んでいる。(箴言第30章24〜28節)
心に喜びを抱けば顔は明るくなり 心に痛みがあれば霊は沈み込む。(箴言第15章13節)。いかに幸いなことか 知恵に到達した人,英知を獲得した人は。(箴言第3章13節)
ベツレヘムの典型的な女性。......箴言第31章10〜31節「有能な妻」より。有能な妻を見出すのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を。夫は心から彼女を信頼している。儲けに不足することはない。彼女は生涯の日々夫に幸いはもたらすが,災いはもたらさない..........あとはご自分で。
動物たちに対する人間の愛は箴言の大きなテーマになっている。
窓から見たダビデ通り。様々な人々が異なった衣装で歩いている。「わたしが家の窓から格子を通して外を眺めていると.....」(箴言第7章6節)
Beershebaでのバーター取引。
アラブ人の血流は男子のみを数える。このべドウィンにとって自慢の男の子の孫である。「孫は老人の冠,子らは父の輝き。」(箴言第17章6節)
この雪山からの冷たい水を飲んでいる少年の壷は家族が使用するもので口をつけないで飲めるようになっている。「渇いた喉に冷たい水,遠い地からの良い便り。」(箴言第25章25節)
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