2010/7/1
「聖書ものがたり・Judges(士師記)」
士師記・部族連合の末期
旧約聖書略解
池に咲いた蓮の華。
祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色,盛者必衰のことわりを
あらわす。おごれる人も久しからず,只
春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には
ほろびぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)
に同じ。 __平家物語より__
諸行無常・・この世に存在するすべてのものは
関係することであり,現象としてあらわれる全て
のものが流転し,一刻一刻変化しその全てが
また真実である。この世には実体と呼ばれる
ものはない。
現実をあるがままに認め,願っても叶わないような
ものは追い求めない。これが苦しみから救われる
路。
いかなる者もいつかは滅びる。あの泥のなかで
栄養を吸収し美しい華を咲かせる蓮の華を見て
ごらん。泥に汚されることなく転生し泥という
煩悩のなかで綺麗な華という菩提花を咲かせる。
これぞ涅槃なり。だから事実をありのままに
受け止めなさい(如日知見)。
信仰について
涅槃(解脱):
もろもろの現象は無常である。
生じたり滅したりする性質をもっている。
生じてはまた滅する。
それらのものが静まれば安楽である。
DN II, 157 (Mahaaparinibbaana-s.) ; Jaataka 1, 392
安らぎ(涅槃)は虚妄ならざるものである。
諸々の聖者はそれを真理であると知る。
かれらは実に真理をさとるが故に、
快を貪ることなく平安に帰しているのである。
Suttanipaata 758
JEBUS(エブス),すなわちエルサレムを前にして西にヤッフォ(Jaffa)の門がある。これはダビデの塔の砦。JEBUS(エルサレム)はシロアムの池と岩のドームを取り囲む古い寺院のあるOPHELとして知られる場所にある。
OPHEL
イスラエルに王がいなかったそのころ,エフライムの山地の奥に一人のレビ人が滞在していた........しかし,男は泊ろうとせず,立ち上がって出発し,エブス(JEBUS)すなわちエルサレムを目の前にするところまで来た。彼は鞍をつけた一くびきのろばと側女(そばめ)を連れていた。(士師記1,10)
流れる川はRIVER KISHONと呼ばれる。「キション川は彼らを押し流した。太古の川,キション川が。わが魂よ,力強く進め」(士師記第5章21節)
SOREKのDELILAHのように機織り機で糸を紡ぐ。「デリラはサムソンに言った。あなたは今度も私を侮り,うそをついたでしょう。あなたを縛り上げるにはどうしたらいいのか教えてください。彼が,私の髪の毛七房を機(はた)の縦糸と共に織り込めばいいのだ,と言ったので,彼女はそれを釘で留めて,サムソン,ペリシテ人があなたに,と言った。ところが,彼は眠りから覚め,釘も,機織り機と縦糸も引き抜いてしまった。(士師記第16章13〜14節)
サムソンの最後の悲劇が演じられたとされる丘。
士師記の時代ガザは繁栄を謳歌していた。古代フェリシテ人のガザはバビロンとエジプトの軍事・交易の地点として栄えた。現在のガザ(注;イスラエル建国前)は1917年英国とエジプト軍の戦いで壊滅したが再建された。織物は現在でも主要な産業でもある。
サムソンは夜中まで寝ていたが,夜中に起きて,町の門と扉と両脇の門柱をつかみ,かんぬきもろとも引き抜いて,肩に担い,ヘブロンを望む山の上に運び上げた。(士師記第16章3節)絵。Frederick,Load Leightons(1830-1896)
ギデオン(GIDEON)の場面が今でも甦るギルボア(GILBOA)の泉。......彼は民を連れて水辺に行った。主はギデオンに言われた。「犬のように舌で水をなめる者,すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい」。水を手にすくってすすった者の数は300人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。(士師記第7章5〜6節)
エルサレム近郊のRamahの丘での耕作風景。「エフドの後,アナトの子シャムガルが現れ牛追いの棒でペリシテ人(PHILISTINES)600人を打ち殺した。彼もイスラエルを救った。(士師記第3章31節)
主の御使いヨシュアの岩に掘った「地下埋葬所」。ヨシュアの墓は5世紀以来エフライム(EPHRAIM)の丘の中にありべテル(BETHEL)よりさほど遠くなく,古代Timnath-HeresのTibnehにあるとされる。
主の僕,ヌンの子ヨシュアは110歳の生涯を閉じ,エフライムの山地にある彼の嗣業の土地ティム・ナト・へレスに葬られた。それはガシュア山の北にある..........イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い,バアル(BAAL)に仕えるものとなった。(士師記第2章8〜11節)
栗毛の雄ろばに乗り 敷物を置いてその背に座り 道を行く者よ,歌え(注:主をほめたたえる歌を歌えの意味)。(士師記第5章10節)
このベツレヘムのメイドがしているものは刺繍。「戦利品を得て,分けているのでしょう。兵士それぞれに一人か二人の女を。シセラ(Sisera)には,染めた布が戦利品(注;新共同訳では二回繰り返していますが,おそらく刺繍した布が戦利品の誤り),染めた布が戦利品,刺繍した布,染めた布 その首には刺繍した布二枚 これが戦利品。(士師記第5章30節)
サムソンがペリシテ人(PHILISTINES)30人を投げ飛ばしたとされる場所。(士師記第14章10〜19節参照)
へブロンの門を通って東側上部にある街,ガザにあるサムソンの墓。「彼の兄弟たち,家族の者たちが皆,下って来て,彼を引き取り,ツォルアとエシュタオルの間にある父マノアの墓に運び,そこに葬った。彼は20年間,士師としてイスラエルを裁いた。(士師記第16章31節)
士師記の時代1360〜1025BCにはカナン人(現パレスティナ人)の陶芸が盛んであった。考古学的な観点から見てもイスラエル人はこの統治・占領の時代にも産業には何ら役割を果たさず,カナン人の造った壷や陶芸品を使っていたのみであった。「ギデオンと彼の率いる100人が,深夜の更の初めに敵陣の端に着いたとき,ちょうど歩哨が位置についたところであった。彼らは角笛を吹き,持っていた水がめをくだいた」(士師記第7章19節)
シリアで始まった陶芸はカナン人の得意とするものであった。
サムソン(SAMSON)の生誕地にある寺院。彼が怪力を証明しはじめたのはDANのCAMPと言われるSOREK(Vale of SOREK)の北側であり,また,そこに埋められた。サムソンの故郷であるZorahにあるサー(SAR)の村の近くにある寺院はイスラム寺院である。「主の霊が彼を奮い立たせ始めたのは,彼がツォルアとエシュタオルの間にあるマハネ・ダン(Camp of Dan)にいたときのことであった」(士師記第13章25節)
ラムセスV世の埋葬場所にあるペリシテ人のポートレイト。
かつてのローマ寺院であったナフタリのケディシュ(Kedesh-Naphtali)の遺跡はバラクが主から指導者としての役割をおおせつかった場所として知られる。「さて,彼女は人を遣わして,ナフタリのケディシュからアビノアムの子バラクを呼び寄せて言った。"イスラエルの神,主がお命じになったではありませんか。『行け,ナフタリ人とゼブルン人一万を動員し,タボル山に集結させよ.......』(士師記第4章6節)
北シリアのRas Shamraの塚(Mound)で見つかったバアル。士師記第2章12節にあるように「彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神,主を捨て,他の神々,周囲の国の神々に従い,これにひれ伏して,主を怒らせた(forsook the Load)」とあるのはBaal神のこと。バアルの彫刻は壊れているものの右手には棍棒が,左手には雷電(Thunderbolt)が握られている。
『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる〜〜〜もっとも,この大母神の究極の起源を探ってゆくと,アナトリアのペシヌス(ガラテア地方の都市)でキュベレーとなり,ヒエラポリス(シリアの北部の町)でシリア女神De Dea Syraとなり,あるいはまた,遠く離れた北海やバルト海の聖なる島の森の中で,ゲルマン語を話す人々に崇拝される地母神となる以前に,元来シュメール世界においてイシュタルの名で知られていた女神であることが判明する』(Study of Historyサマヴェル縮小版より)
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