Murray Gilbert のSatanism and the World Order(1921年)203ページにはこうある。「この信念の本質は"世界秩序”は悪と虚偽であり,善と真理は迫害を受ける反逆者である,とみなす点にある。......この信念は多くのキリスト教聖者や殉教者,とりわけ黙示録の筆者の抱いていた信念である。しかし,注目すべきことは,この信念が,ほとんどすべての偉大な道徳哲学者の教説とまっこうから対立することである。プラトン,アリストテレス,ならびにストア学派,聖アウグスティヌスおよび聖トマス。アクイナス,カントやJ.S.ミルやコントやT.H.グリーンなどはすべて,何らかの意味において宇宙もしくは神の秩序と言うべきものが存在すること,善とはこの秩序と調和するもの,悪とはそれと調和しないものであると主張し,もしくはそう仮定している。現にグノーシス派(紀元二世紀頃の異端説グノーシス,すなわち霊智あるいは神秘的直感による神の認識を説いた)の一派は,教父ヒッポリュトスの著書の中で悪魔を”宇宙的勢力に反抗する霊物”というふうに定義している。つまり,全体の意思に逆らい,自己の属している共同社会に反対する反逆者もしくは反抗者である」,と言っている。 ヨーロッパにおけるもっとも印象的な中世のガーゴィルは,明らかにパリのノートルダム寺院の塔にあるガーゴィルであって,その大半は13世紀末の様式による。ガーゴィルの一つは錬金術師の像であり,これらガーゴィルが人間の内なる性質を表しているのだという。こうしたオカルティストたちは,キリスト教教義の目的が,人間におけるデーモンの要素をあがなう(変成)ことだとしている。この仮説の観点では,デーモンの形態は人間の諸要素を表し,人間はこうした要素を贖(あがな)われ,天使の堕天を逆転するようなやりかたでもって,天にひきあげられるのである。
「たとえば,シリア社会では,メシア思想の形を取って現れた未来主義は,最初は明らかに非暴力主義の方向を目指す企てとして出発した。イスラエル人はアッシリアの軍国主義の攻撃に抵抗し,いまここに,自己の政治的独立を維持しようとする。ユダヤ民族の間におけるメシア待望の歴史を辿ってゆくと,ユダヤ人がネブカドネザルのために連れ去られるバビロン捕囚となった紀元前586年から,かれらがアンティオコス・エプファネス(現神王の意味でマケドニア系のセレウコス朝シリア王)によるヘレニズム化の迫害を受けた紀元前168年にいたる400年以上の期間は,非暴力主義に有利に進行していったことがわかる。ところが,確信をもって期待される未来の生活と,堪えがたい苦痛を与える現在の生活との間の不一致が,最後には暴力のうちに解決を求めるようになった」。(歴史の研究:サマベル版から編集・要約) SMYRNA(アジアの七つの教会参照),の使徒時代からの遺跡。黙示録に書かれている7つの街のうちの2番目にあたるところである。三千年も栄えた商業都市でホメロス(紀元前8世紀頃のギリシャの詩人)の伝説的な生まれ故郷でもある。"Be thou faithful unto death and I will give thee a crown of life"「あなたは,受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ,悪魔が試みるために,あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは,10日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすればあなたに命の冠を授けよう。(ヨハネの黙示録第2章10節)
失われたアークを求めて(エチオピア・ティムカット祭り
The MOSQUE OF MACHPELAH。MACHPELAHの洞穴にアブラハムによって妻サラは埋葬された。Abraham自らも,Isaac,Rebekah,LeahとJacobも同じ場所で埋葬されている。厚い壁で覆われその中にモスクはある。墓地は一階より入れる。 絵:Florentine Botticelli(1444-1510)。こう語り終えるやいなや,彼らの足もとの大地が避けた。地は口を開き,かれらとコラ(Korah)の仲間(管理人注:Korah,Dathan,Abiramたちが罰を受けた徴は1483年以降ローマのシステナ礼拝堂にある),その持ち物一切を,家もろとも飲み込んだ。(民数記第16章31〜32節) For The Law was given by MOSES...... 上の写真はパレスチナでの市場へ出荷するための葡萄の選別作業。「葡萄酒も濃い酒も断ち,葡萄酒の酢も濃い酒の酢も飲まず,葡萄液は,一切飲んではならない。また葡萄の実は,生であれ,干したものであれ食べてはならない」。(民数記第6章3節 写真はLuxorの市場。「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていたし,きゅうりやメロン,葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では,わたしたちの唾は干上がりア、どこを見回してもマナばかりで,何もない。マナ(manna)は,コエンドロ(coriander)の種のようで,一見,琥珀の類のようであった」(民数記第11章5〜7節) 民はコエンドロの種を歩き回って拾い集め,臼で粉にひくか,鉢ですりつぶし,鍋で煮て,菓子にした。それは,こくのあるクリームのような味であった。(民数記第11章8節) 写真はペトラ(Petra=ギリシャ語で岩)の山。この南約50マイル先に死海がある。聖書的なペトラの呼び名はSelaという。左側に見える赤いレンガのような(Sandstone)寺院はエサウ(注;エドム人の祖)の子孫であるエドミテ人によって建てられた(エドムはその継ぐべき地となり敵対するセイル(注:Arabian Mountain of Seir)は継ぐべき地となり.....民数記24〜18)。「彼はカイン人を見渡して,この託宣を述べた。お前の住む所は確かであり お前は巣(ケン)を岩の上に置く。しかし,アシュルがお前をとりこにするとき,カインは必ず,焼き滅ぼされる。(民数記第24章21〜22節) 「シモン・バル・ヨナ。お前は祝福されたものだ。このことは血と肉によってでなく天におられる父によって示されている。わたしは言う、おまえは岩(ペトロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれるのである。」マタイによる福音書の 16:18-19
そして彼はこの託宣を述べた。べオルの子バラム(Balaam)の言葉..........一つの星がヤコブから進み出る。(注:There shall come a Star out of JACOB=上のフレスコ画はHippolyte Flandrin(1809-1864)によって描かれパリのサンジェルマン・デ・プレ(St.Germain-des-Pres)教会の壁画として残っている)(民数記第24章19〜節)