Murray Gilbert のSatanism and the World Order(1921年)203ページにはこうある。「この信念の本質は"世界秩序”は悪と虚偽であり,善と真理は迫害を受ける反逆者である,とみなす点にある。......この信念は多くのキリスト教聖者や殉教者,とりわけ黙示録の筆者の抱いていた信念である。しかし,注目すべきことは,この信念が,ほとんどすべての偉大な道徳哲学者の教説とまっこうから対立することである。プラトン,アリストテレス,ならびにストア学派,聖アウグスティヌスおよび聖トマス。アクイナス,カントやJ.S.ミルやコントやT.H.グリーンなどはすべて,何らかの意味において宇宙もしくは神の秩序と言うべきものが存在すること,善とはこの秩序と調和するもの,悪とはそれと調和しないものであると主張し,もしくはそう仮定している。現にグノーシス派(紀元二世紀頃の異端説グノーシス,すなわち霊智あるいは神秘的直感による神の認識を説いた)の一派は,教父ヒッポリュトスの著書の中で悪魔を”宇宙的勢力に反抗する霊物”というふうに定義している。つまり,全体の意思に逆らい,自己の属している共同社会に反対する反逆者もしくは反抗者である」,と言っている。
SMYRNA(アジアの七つの教会参照),の使徒時代からの遺跡。黙示録に書かれている7つの街のうちの2番目にあたるところである。三千年も栄えた商業都市でホメロス(紀元前8世紀頃のギリシャの詩人)の伝説的な生まれ故郷でもある。"Be thou faithful unto death and I will give thee a crown of life"「あなたは,受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ,悪魔が試みるために,あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは,10日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすればあなたに命の冠を授けよう。(ヨハネの黙示録第2章10節)
失われたアークを求めて(エチオピア・ティムカット祭り
The MOSQUE OF MACHPELAH。MACHPELAHの洞穴にアブラハムによって妻サラは埋葬された。Abraham自らも,Isaac,Rebekah,LeahとJacobも同じ場所で埋葬されている。厚い壁で覆われその中にモスクはある。墓地は一階より入れる。
写真はペトラ(Petra=ギリシャ語で岩)の山。この南約50マイル先に死海がある。聖書的なペトラの呼び名はSelaという。左側に見える赤いレンガのような(Sandstone)寺院はエサウ(注;エドム人の祖)の子孫であるエドミテ人によって建てられた(エドムはその継ぐべき地となり敵対するセイル(注:Arabian Mountain of Seir)は継ぐべき地となり.....民数記24〜18)。「彼はカイン人を見渡して,この託宣を述べた。お前の住む所は確かであり お前は巣(ケン)を岩の上に置く。しかし,アシュルがお前をとりこにするとき,カインは必ず,焼き滅ぼされる。(民数記第24章21〜22節)
そして彼はこの託宣を述べた。べオルの子バラム(Balaam)の言葉..........一つの星がヤコブから進み出る。(注:There shall come a Star out of JACOB=上のフレスコ画はHippolyte Flandrin(1809-1864)によって描かれパリのサンジェルマン・デ・プレ(St.Germain-des-Pres)教会の壁画として残っている)(民数記第24章19〜節)
The Water of MERIBAH(争いの水)。「そして,モーゼとアロンは会衆を岩の前に集めて言った。”反逆する者らよ,聞け。この岩からあなたたちのために水を出さねばならないのか”モーゼが手を上げ,その杖で岩を二度打つと,水がほとばしり出たので,共同体も家畜も飲んだ。........これがMERIBAH(争い)の水であって,イスラエルの人々が主と争ったところであり,主が御自分の聖なることを示されたところである。(民数記第20章10〜13節)(注:地元ではモーゼの泉として知られている。)