2010/6/7
「聖書ものがたり・GENESIS(創世記)」
旧約聖書略解
いわゆるインテリジェンスと言われる人たちは過去から現在にいたるまで,歴史のうちに一つの筋書き,一つのリズム,一つのあらかじめ定められた型を認めている。しかし,『普段何気なく暮らしていても,実は形而上学的な意味で,鎖につながれていながら鎖に気づかない囚人のような自己』からの脱却を目指しており時おり聖書の内容を排撃することも含めこれから世界で起こるであろう悲劇的な未来を冷静に見つめる客観的知的判断材料となるのであれば管理人の歓びでもあります。鎖に気づかない大衆は近道をしなければ指導者に追いつくことができず,破滅にいたる広い道の上(ルカ13:24狭い門参照)に展開することによって,はじめて隊伍をととのえて行進する余地を見出すことが出来る。生命を求めるために,どうしても破滅への道を歩まなければならないとすれば,しばしば不幸な結果に終わるとしても,驚くに当たらない。
R.G.Collingwoodの「The Idea of History(1946)」によると『キリスト教の立場にもとづいて書かれた歴史は,どうしても普遍的,摂理観的,啓示的,終末論的にならざるを得ない.......歴史の中に客観的な計画のあることをどうして知るのか?と問われれば,中世の歴史家はおそらく,啓示によって知る,と答えるであろう..........中世の歴史学は,神によって予定され(注:予定説),啓示を通して人間に予知されたことがらとして,歴史の終末を予期していた。.....中世の考え方では,神の客観的目的と人間の主観的目的とは完全に対立するものであり,神の目的は人間の主観的目的のいかんにかかわらず,ある一定の客観的計画を歴史の上に押つけるという形で現れると考えられていたので,したがって必然的に,人間の目的は歴史の進行になんら影響を及ぼすものではなく,歴史の方向を決定する唯一の力は神性であるという思想に導かれる』,と。そしてこの歴史家は続ける。『未来を予測できると考える誤りに陥り,なんとかして歴史の全体的な計画を見つけ出そうと考え,しかも,その計画は神の計画であって人間の計画ではないと信じていた.......中世の歴史家が望んだのは,神の属性の精密な学問的研究......歴史の過程においてこれまで起こったに相違ないこと,また,これから起こるに相違ないことをア・プリオリに断定する力を与える神学であった』,と。
ついでですから少し余計なことを書きましょう。若き三島由紀夫は20台前半に著した「仮面の告白」新潮文庫15ぺージには「私が幼児から人生に対して抱いていた観念は,アウグスティヌス風な『予定説』の線を外れることがたえてなかった。いくたびとなく無益な迷いが私を苦しめ,今もなお苦しめ続けているものの,この迷いを一種の堕罪の誘惑と考えれば,私の決定論にゆるぎはなかった。私の生涯の不安の総計のいわゆる献立表を,私はまだそれが 読めないうちから与えられていた。私はただナプキンをかけた食卓に向かっていればよかった。今こうした奇矯な書物を書いていることすらが,献立表にはちゃんと載せられており,最初から私はそれを見ていた筈であった。」仮面の告白は昭和25年6月には発刊されている。
それに対し森有正先生の「砂漠に向かって」にはこう表現している。「予定の観念は強く私を捉えている。カルヴァンが,私の世界に深く浸透してくるのは,そこを通してではない。十分に理解された予定とはー意思が正しく意欲することーを意味している。
それはまさに宿命論の正反対である。マラキ書は言っているではないか・エサウはヤコブの兄ではないか,永遠の神は言う,しかしながら,私はヤコブを愛し,エサウを憎んだ。
・・・・中略・・・・この予定の教えはアウグスティヌス,カルヴァン,ジャンセニウス,パスカルを通って近代までなまなまとと伝えられて来た。・・・・中略・・・・私の陽気さが,その最も確かな証拠だ」この本は昭和45年11月発刊ですから仮面の告白の20年後です。どちらかというと森先生はカルヴァンに影響を受け,心の奥深くにはキリストの終末論があったようです。フランス文学に進む場合この聖書の意味がわからないと一歩も前に進めません。しかしある程度理解したら聖書の予定説は早めに切り上げたほうがよい。なぜならその後に待っているのは三島由紀夫や芥川龍之介のような死しかないのですから。
In the Sumerian epic entitled Enmerkar and the Lord of Aratta, in a speech of Enmerkar, an incantation is pronounced that has a mythical introduction. Kramer's translation is as follows:
Once upon a time there was no snake, there was no scorpion,
There was no hyena, there was no lion,
There was no wild dog, no wolf,
There was no fear, no terror,
Man had no rival.
In those days, the lands of Subur (and) Hamazi,
Harmony-tongued Sumer, the great land of the decrees of princeship,
Uri, the land having all that is appropriate,
The land Martu, resting in security,
The whole universe, the people in unison
To Enlil in one tongue [spoke].
(Then) Enki, the lord of abundance (whose) commands are trustworthy,
The lord of wisdom, who understands the land,
The leader of the gods,
Endowed with wisdom, the lord of Eridu
Changed the speech in their mouths, [brought] contention into it,
Into the speech of man that (until then) had been one.
かつて、蛇も、さそりも
ハイエナも、獅子も、
野生の犬も、狼も存在せず、
恐れも、恐怖もなく、
人間に敵するものはなかった。
かつて、シュブール(Subur)とハマジ(Hamazi)の国には、
王子の法によって治められる偉大なる地、シュメールと、
同じ言葉を話す人々が住んでいた。
また、ウリ(Uri:アッカドをさす)は、すべてがしかるべくあり、
マルトゥ(Martu:アムル人の国)は、安らかであった。
世界全体は、神エンリルのもとでひとつの言葉を話し、
調和のなかにあった。
そのとき、多産・豊穣の主であり、
知性の主であり、地を知悉する者であり、
神々の指導者である神エンキは、
エリドゥの主に知恵を授け、
ひとつの言葉を話す人間たちの
口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした。
シュメール叙事詩「エンメルカルとアラッタ市の領主」より。
記事は創世記からヨハネの黙示録まで続きます。おそらく後半にはアクセスが殆ど無くなると考えます。その理由は理解するのに苦痛を伴うからです。そういうものを横目で見ながら無視するか逃げた方が楽でいいわけです。迷いもなく苦しみもなく毎日がチャチャチャの極楽人生を送ることだ。
エデンの園の物語は神と地と人の分離,神と人(親子)との別れ,というかたちで幕を閉じる。(神の命に背いて知識の実を食べたアダムとイブをエデンの園から追放する場面)「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。<創世記 第3章24節>
エデン(Garden of Eden)から一つの川が流れ出ていた。園を潤し,そこで分かれて,四つの川となっていた。第一の川の名はピションでハビラ地方全域を巡っていた。第二の川の名はギボンでクシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスでアシュルの東の方を流れており,第四の河はユーフラテスであった。<Genesis2:10〜14>
その日,主はアブラハムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで,カイン人,ケナズ人,カドモニ人,へト人,ぺリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガン人,エブス人の土地を与える」<Genesis15:18>
参考:沈黙のヨハンネス
ラテン語のVulgate(ウルガタ聖書)はJohn Wycliffeとその仲間によって忠実に1382年にその大部分が英訳された。
シナイ山のカトリーヌ修道院でシナイ・コーデックスが発見された。Tischendorfは大英博物館のために1933年このシナイ・コーデックスを購入した。下はLord's Prayer(ルカ第6章2〜5節)
ファリサイ派のある人々が,「なぜ,安息日にしてはならないことを.あなたたちはするのか」と言った。イエスはお答えになった。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか,読んだことがないのか。神の家に入り,ただ祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを取って食べ,供の者たちにも与えたではないか」そして,彼らに言われた。「人の子は安息日の主である」。
管理人注:福音書の中には,イエスが安息日をタブーとしたことを伝えている箇所が多く出てくる。またパウロが,モーゼの律法を否定(否認)して物議をかもしたことも不思議で可笑しなことである。プロテスタントの表向きの目的は,原始キリスト教会のもとの慣行に復帰することであったが,原始キリスト教とユダヤ教の違いを没却しているのである。
UR(ウル)の Ziggurat。
ウルのジグラットはメソポタミアに住むスメル人など高山に住む人々の崇拝の対象であった。アブラハムはよく来たという。
実際のバベルの塔跡
古くは,12 世紀の後半,メソポタミア地方を旅行したスペインのナヴァーラの人,トゥデーラのベンヤミンが,バベルの塔の遺跡を発見したと伝えられている。彼はユダヤ教の僧侶であり,この他にも聖書に登場する古代都市ニネべェの跡とみられる遺跡を発見している。彼がバベルの塔の跡と考えたのは,イラクのヒルラ市付近のビルス・ィ・ニムルドでこれは別のジグラド(ボルシッパのナブ神神殿のジグラト)であることが解っている。またバベルの塔はバビロンの遺跡の北側の丘バービルにあったという。
その後の発掘調査で1908年,バビロンの南側の低地エス・サクンに,巨大な正方形の遺跡を発見した。そこから発見された煉瓦の刻銘などから,それが「バブ・イリ=バベル」の都の「エ・テメン・アン・キ」と名づけられたジグラトの跡であることが確かめられた。実際に「バベル」の町に=バビロンの町に実際に存在したのである。
メソポタミアには創生神話の「エヌマ・エリシュ」がある。それによると,バビロンのエ・サギラ神殿とジグラト(エ・テメン・アン・キ)なのである。.....このバビロン市の聖塔にまつわる話によると,これ(エ・テメン・アキ)は有史以前スメルの王によって起工されたが,竣工するに至らなかったものであろう。
まづ,空間的な距離について言えば,パレスティナ地方とバビロンとは,いわゆる「肥沃な三角地帯」のほぼ両端に位置して,一見かなり遠くにはなれているようにも見える。ジグラトそのものは,ティグリス,ユーフラテス川の上流にいたるまで,メソポタミア平原のほぼ全域にわたって分布している。アブラハムの生まれ故郷のウルは,ユーフラテス川の,バビロンよりもさらに下流にあった町であり,そこに建てられたジグラトは,現在もその姿をとどめている。
メソポタミア創世神話のマルドウク神は,ジグラトを「偉大な神々(アヌンナキ)の家」と呼び,そしてそれの建てられるべき町を,それにちなんで「バブ・イリ」すなわちバビロンと命名しようとした。バビロンのジグラトに付けられた「エ・テメン・アン・キ」という名は,アッカド語で「天と地の礎の家」という意味で,ボルシッパのジグラトの「エ・ウル・メ・イミン・アン・キ」という名は「天と地の七つの案内者の家」という意味である」
HEBRON(へブロン)のSARAH(サラ)の聖堂(SHRINE)
Abraham,Sarah,Isaac,Rebekah,Jacob,Leahの聖堂はすべてへブロンにある。
参考:古代へブロンのガラス工場。ガラス造りの工法は古代フェニキア人の商人によってシリアで発見された。「また,玉座の前は,水晶に似たガラスの海(Sea of Glass)の様であった」(ヨハネ黙示録第4章6節)
「わたしはまた,火が混じったガラスの海のようなものを見た。更に,獣に勝ち,その像に勝ち,またその名の数字に勝った者たちを見た。彼らは神の竪琴を手にして,このガラスの海の岸に立っていた」(ヨハネ黙示録第15章2節)
MACHPELAHモスクのイサクの墓。イサクの息子ヤコブがメソポタミアのへブロンから帰ってくるとまもなくイサクは180歳で死んだ(創世記第35章27〜29)。
丁度兄のエサウが弟のヤコブに駆け寄り抱擁したようにこの二人のべドウインは抱擁している。「エサウは走ってきてヤコブを迎え,抱きしめ,首を抱えて口づけし,供に泣いた(創世記第33章4節)
この井戸は東ヨルダンからエジプトにいたる道の途中にある。ドタン(Dothan)の近くにはヨセフが捕らわれた場所がある。「ヨセフがやってくると,兄たちはヨセフが来ていた着物,裾の長い晴れ着をはぎ取り,彼を捕らえて,井戸に投げ込んだ。その井戸は水がなく空っぽであった」(創世記第37章23〜24節)
Friend of God(アブラハムのタイトル)の町と称えられるへブロンの町は創世記に最初に登場する。「アブラハムは天幕を移し,へブロンにあるマムレ(mamre)の樫の木(アラビア語でEL-KHALIL)のところに来て住み,そこに主のために祭壇を築いた」(創世記第13章18節)。後方左にMachpelah Caveのモスクが見える。
「女たちが水くみに来る夕方,彼は,ラクダを町外れの井戸の傍らに休ませて,祈った。主人アブラハムの神,主よ。どうか,今日,わたしを顧みて,主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今,ご覧のように,泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき,その一人に,「どうか,水がめを傾けて,飲ませてください」と頼んでみます。その娘が,「どうぞ,お飲みください。ラクダにも飲ませてあげましょう」と答えれば,彼女こそ,あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。(創世記第24章11〜14節)
ラケルの墓
創世記 35:1-29
1 そののち神はヤコブにこう言われた。「立ってベテルに上り,そこに住みなさい。そして,あなたの兄弟エサウから逃げて行くときあなたに現われた[まことの]神のため,そこに祭壇を造りなさい」。
2 そこでヤコブは自分の家の者また自分と一緒にいるすべての者にこう言った。「あなた方の中にある異国の神々を捨て去り,身を清めてマントを取り替えなさい。 3 わたしたちは立って,ベテルに上って行こう。そして,わたしの進んだ道でわたしと共にいて苦難の日にわたしに答えてくださった[まことの]神のため,わたしはそこに祭壇を造ることにする」。 4 それで彼らは自分たちの手にあった異国の神々すべてを,またその耳にあった耳輪をヤコブに渡し,ヤコブはそれをシェケムのすぐ近くにあった大木の下に隠した。
5 そののち彼らはそこをたったが,その周辺の諸都市に神からの恐怖が臨んだため,人々はヤコブの子らの跡を追わなかった。 6 やがてヤコブ,すなわち彼および共にいたすべての民は,カナンの地のルズ,つまりベテルに来た。 7 次いで彼はそこに祭壇を築き,その場所をエル・ベテルと呼ぶことにした。彼が自分の兄弟のところから逃げて行くさい[まことの]神がそこで彼にご自分を現わされたからであった。 8 後にリベカの乳母デボラが死に,ベテルのふもとの巨木の下に葬られた。そのため彼はその[木]の名をアッロン・バクトと呼んだ。
9 さて神はパダン・アラムから帰る途中のヤコブにもう一度現われて,これを祝福された。 10 そうして神は彼にこう言われた。「あなたの名はヤコブであるが,もはやあなたの名はヤコブとは呼ばれない。あなたは,イスラエルととなえられることになる」。こうして[神]は彼の名をイスラエルと呼ばれるようになった。 11 そして神はさらにこう言われた。「わたしは全能の神である。あなたは子を生んで多くなるように。もろもろの国民,もろもろの国民の会衆があなたから生じ,王たちがあなたの腰から出る。 12 わたしがアブラハムとイサクに与えた地,わたしはそれをあなたに与え,後に来るあなたの胤にその地を与える」。 13 そののち神は,彼と話をされた場所で,彼の上から上方に去って行かれた。
14 そこでヤコブは,[神]が自分と話をされたその場所に柱すなわち石の柱を据え,その上に飲み物の捧げ物を注ぎ,また油をその上に注いだ。 15 そしてヤコブは,神が自分と話をされたその場所の名をその後もベテルと呼んだ。
16 そののち彼らはベテルをたった。さて,エフラトに着くにはまだかなり地のへだたりのある所でラケルは産気づき,しかもそれが難産であった。 17 しかし,彼女が難産で苦しんでいたときのこと,産婆が彼女に言った,「恐れてはいけません。これもあなたの子となるのです」。 18 そしてついに,その魂が去り行こうとするとき(彼女は死んだのである),彼女はその[子の]名をベン・オニ(管理人注:苦しみの子)と呼んだ。しかしその父はこれをベニヤミン(管理人注:幸いの子)と呼んだ。 19 こうしてラケルは死に,エフラトつまりベツレヘムに至る道の途中に葬られた。 20 それでヤコブは彼女の墓の上に柱を立てた。これが今日までラケルの墓にある柱である。
ベツレヘムに至る道。イエスも父母に会いに歩いた道。この手前にラケルの墓がある。
世界最古の竪琴(ハープ)。アブラハムの時代より前の物で3500BC頃の古代スメル人のものによる。このハープはJubal(ユバル)のハープとも言われる。「その弟はユバルといい,竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった」(創世記第4章21節)
ウルをバックにテントを張るべドウイン。アブラハムが女奴隷ハガルに産ませた子イシュタルの血をひいている。
「レメクは二人の妻をめとった。一人はアダ,もう一人はツィラといった。アダはヤバル(JABAL)を産んだ。ヤバルは家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった。その弟はユバル(JUBAL)といい,竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった」(創世記第4章20〜21章)
Abraham says to Sarah"Make ready quickly three measures of fine meal,knead it,and make cakes upon the hearth(アブラハムは急いで天幕に戻り,サラのところに来て言った。「早く,上等の小麦粉を3セアほどこねて,パン菓子をこしらえなさい」)(創世記第18章6節)
アブラハムと共に旅をしていたロトもまた,羊や牛の群れを飼い,たくさんの天幕を持っていた。(創世記第13章5節)
アブラハムは天幕を移し,へブロンにあるマムレ(MAMRE)の樫の木のところに来て住み,そこに主のために祭壇を築いた。(創世記第13章18節)
The Mountains of ARARAT(アララトの山々)。雪に覆われたMassis山はペルシャ人たちに「Koh-i-Nuh」と呼ばれた。ノアの山として知られる。これはシュメールの創世神話から来たもので「ギルガメシュ叙事詩」にはっきりと書かれている。創世記第8章4節参照。
「ギルガメシュ叙事詩」は古代オリエント最大の文学作品である。口承文学であり,古代メソポタミア世界に,これほどのヒューマニズムと芸術的感覚が見られるということは驚きである。この叙事詩は「すべてを見たる人」と呼ばれたが,本来はシュメール人に起源を発することが判明してきている。シュメール人というのは,ティグリス・ユーフラテス両大河の河口あたりに住んでいた古代民族で,多くの遺跡および発掘品によって相当高度な文化をもっていたことが知られているが,その人種的系譜は殆どわかっていないに等しい。ギルガメシュという名そのものが,シュメール語の名であって,その他残された作品にもこの名はしばしば見られる。
そののち,セム族であるアッシリア・バビロニア人が政治的に優位となり,シュメール文化の多くのものを取り入れた。物語全体にわたる主人公がギルガメシュで,ウルクの都城の王である。ギルガメシュは力強き英雄であるとともに暴君として都の住民たちに恐れられていた。ウルクの人々は天なる神々にこのことを訴えた。神々はこれを聞き入れ,大地の女神アルルに何とかせよ命令する。女神は粘土からエンキドウという名の猛者を造り上げ,これを都城から少し離れた野に置いた。
エンキドウは裸で,毛髪に覆われており,野獣のような生活をしていた。そこへギルガメシュからおくられた娼婦がやってきて彼の欲望を満たすとともに人間らしくしてしまう。エンキドウが人間らしい心に目覚めるとともに,仲間だった野獣は去り,エンキドウは娼婦から食事や着衣などの作法を教わる。ギルガメシュとエンキドウの友情は次第に芽生えていく。彼らがウルクに帰り着いてのち,愛と逸楽の女神イシュタルがギルガメシュの英姿に魅せられてしまい,多くの報酬を約束して誘惑しようと試みるが失敗した。激昂したイシュタルは天の神アヌに,天の牛をウルクに送ってギルガメシュとその都城を滅ぼすことを求める。アヌははじめは拒絶したが,イシュタルが冥界から死者を連れ出すとおどかすので,いやいやながら天の牛をウルクに送った。このため,何百という戦士が殺されたが,二人の英雄は力を合わせてこれに打ち勝つことができた。
フワワと天の牛を殺したために,エンキドウは神々により,近いうちに死なねばならぬと宣告をうける。12日間の病ののち,悲嘆にくれたギルガメシュに見守られつつ彼は最後の息を引き取った。彼は永遠の生命を求め始めた。これまでただひとり,古都シュルッパクの聖王ウトナピシュティムのみが,不死を得たということをギルガメシュは知っていた。彼はその住まいをたずねて旅にのぼる。ついにたずねあて,永遠の生命の秘密をたずねる。だが,ウトナピシュティムの答えは彼を落胆させるものであった。ここで昔あった大洪水のことが物語られる。エア神の言葉によってウトナピシュティムは四角の船を造り,危険から逃れることが出来た。永遠の生命については,それを送ってくれた神々の決めたことで,彼のあずかり知ることではないというのであった。
しかしながら,大洪水の記述はギリシャ神話にも見られるのである。詳しくは,ヘシオドムの神統記をご覧ください。
いわゆるノアの洪水と聖書に記されている洪水は紀元前3000年にバビロンの近くのKishで起こったことが1929年の調査で判明した。
Gerizim山とEbal山に挟まれた町SICHEM.「アブラハムは,その地を通り,シケムの聖所,モレの樫の木まで来た。当時,その地方にはカナン人(注:今のパレスチナ)が住んでいた。(創世記第12章6節)
ネゲブ地方から更に,べテルに向かって旅を続け,べテルとアイとの間の,以前に天幕を張ったところまで来た。そこは,彼が最初に祭壇を築いて,主の御名を呼んだ場所であった。(創世記第13章3〜4節)
2000BC,ウルの外壁にあった住居跡。アブラハムも住んでいたと考えられている。「テラは,息子アブラムと,ハランの息子で自分の孫であるロト,および息子アブラハムの嫁であるサライを連れて,カルディアのウルを出発し,カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると,そこにとどまった。テラは205年の生涯を終えて,ハランで死んだ」(創世記第11章31節)
べドウインの権力者は外出の際に大きな木の杖を護身用,あるいは武器として携帯する。「ヤコブは祈った。わたしの父アブラハムの神,私の父イサクの神,主よ,あなたは,わたしにこう言われました。「あなたは生まれ故郷へ帰りなさい。わたしはあなたに幸いをあたえる」と.......かつてわたしは一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが,今は2組の陣営を持つまでになりました。どうか,兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が怖ろしいのです」(創世記第32章10〜12節)
Beitinの小さな村は古代のBethel(べテル)であり「神の家」と呼ばれていた。さらに遡れば古代のLuzであり,そこはCanaan(カナン・現在のパレスティナ)の領土であった。「ヤコブはやがて,一族の者すべてと共に,カナン地方のルズ,すなわちべテルに着き,そこに祭壇を築いて,その場所をエル・べテル(神のべテル)と名付けた。兄を避けて逃げて行ったとき,神がそこでヤコブに現れたからである」(創世記第35章6〜7節)
『バビロンあるいは,バビロニアはバグダッドの南方約90キロの地点にユーフラテスをまたいで広がる。長谷川三千子氏はこう指摘している。「カナンの地」は,イスラエルの民にとって,故郷と呼ぶべき類の地ではなく,そもそも,それは事実の上から言っても,彼らの故郷ではなく,それは,カナンの人々(注:現在のパレスティナ)が住みつき,根づいた土地なのである。
イスラエルの民の「カナンの地」との関係は,徹頭徹尾ヤハウエ神に依っている。この地はヤハウェ神によって示され,命じられ、約束されたことによってのみイスラエルの民と結びついているのであり,それ以外の形で結びついてはならないのである。......ヤハウイストの生きていた時代と推定される起源前十世紀頃という時代は,ティグリス川上流の二ムロデやコルサバードに発掘されたジグラドは,ちょうど紀元前十世紀,九世紀ごろに新築または再興されている。広い意味では,ヤハウイストはまさにジグラトと同時代の人間だったのである』と。
勝利を得たキリスト教のパンテオンにおいて,マリアの,神の偉大なる母への変貌という形で,キュベレやイシス(ISIS)の姿が再現しているし,また戦うキリストのうちにミトラなどの面影が認められる..............なぜキリスト教は,ユダヤ教の,神は愛であるという洞察を承認し,宣言した後に,それと相容れない,ユダヤ教のねたむ神の概念をふたたび取り入れるようになったのか。それ以来絶えずキリスト教に大きな精神的損害を与えてきたこの逆行は,キリスト教がカイサル崇拝との生死にかかわる争いにおいて勝利を得るために支払った代価であった。教会の勝利によって平和が回復されたのちも,互いに相容れないヤーウエとキリストとの結びつきは解消するどころか,かえって一層強化された。勝利の瞬間に,キリスト教殉教者の非妥協的態度が,異教や異端を迫害するキリスト教会の不寛容に移行したのである。(注:特に13世紀のスペインで顕著であった)
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投稿者:sophy93
私が聖書を初めて学んだとき、特に旧約に関しては、強い押しつけに遭っているような気がしたものです。幼い私でもこんな馬鹿げた話があるか!というような、その飛躍した価値観に驚いたようです。
初めのアダムとエバの物語も、ノアの洪水の物語も、すべてではないにしろ、人間の無力感を強めるものであると思いました。
予定説。すべては全能の神によって定められていたということであれば、人間にはその計画を変える事など全く出来ないことになってしまう。
私はこのことから逃れたいと思いました。
沈黙のヨハンネスでは、私もアブラハムの同伴者となって、イサクを連れて歩く苦悩のアブラハムの心の中で何が起きているか考えてみました。これが、ユダヤ教・キリスト教の信仰というものなのか・・・と。
アダムとエバの神からの違反によって神が立てた計画の前で、私は人間が無力であるとは思いません。一人ひとりが、強い意志と勇気を持って行動するならば。