2010/5/23
「ヨブへの答え その3・知恵の女神ソフィア」
弟子たちは向こう岸へ行ったが,パンを持ってくるのを忘れていた。イエスは彼らに,「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」と言われた。弟子たちは,「これをパンを持って来なかったからだ」と論じ合ってあた。イエスはそれに気づいて言われた。「信仰の薄い者達よ,なぜ,パンを持って来ないことで論じ合っているのか。まだ,分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき,残りを幾籠に集めたか。また,パン七つを四千人に分けたとき,残りを幾籠に集めたのか。パンについて言ったのではないことが,どうしてわからないのか。ファサイ派とサドカイ派の人々のパンの種に注意しなさい」その時ようやく,弟子たちは,イエスが注意を促されたのは,パンの種のことではなく,ファイサイ派とサドカイ派の人々の教えだと悟った。)マタイ第16章5〜12節)
聖処女マリアの生まれたAbbey Church of St.ANNA。Stephen's Gate(Gate of lady Mary) 近くエルサレムの北東の一角にある。聖母マリアとは乙女座の乙女=Virginのことでラテン語では乙女はVirgin(聖母)=VIRGO THE VIRGINという。古代エジプト文字では乙女座はMと記される。だからマリアを含むその他の聖母マイラ(MYRRA)=アドナスの母やマヤ(仏陀の母)MOSES,MANOU,MINOS,MISESなどがいる。そういえばミトラもMだ。また乙女座とは”パンの家”を意味しまたベツレヘムとは”パンの家”という意味である。
By the Brink of OLD NILE。そこへ,ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りてきた。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は,葦の茂みの間に籠を見つけたので, 仕え女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり,しかも男の子で,泣いていた..............。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから」<出エジプト記2:4〜10>
我々は現在この”魚座の時代”にいる。そして2150年から新しい時代に入る。水瓶座(AQUARIUS)の時代である。旧約聖書ではモーゼがシナイ山に十戒と共に現れた時,彼は人々が黄金の牛を崇拝しているのを見てひどく憤慨した。実際モーゼは石刻版を粉々に砕いて人々に心を清めるために殺し合えと命令した。多くの聖書学者達はこのモーゼの怒りはイスラエル人が間違ったものを崇拝していたからだと理解している。実はこの黄金の牛とは”牡牛座の牛”のことでありモーゼは新時代の羊を表現していた。だからユダヤ人は今日でも羊の角笛を吹いている。
.........こう話し終えると,イエスは弟子たちと一緒に,キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり,イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも,その場所を知っていた。イエスは,弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは,一隊の兵士と,祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて,そこにやって来た。松明(たいまつ)やともし火や武器を手にしていた。イエスは御自分の見に起こることを何もかも知っておられ,進み出て,「誰を捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると,イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき,彼らは後ずさりして,地に倒れた。<ヨハネによる福音書18章1〜6節>
イエスが幼少の時,両親(ヨセフとマリア)はイエスを見失ってしまった場所。「イエスが道連れの中にいるものと思い,一日分の道のりを行ってしまい,それから,親類や知人の間を探し回ったが,見つからなかったので,捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後,イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り,話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた........。両親はイエスを見て驚き,母が言った。なぜこんなことをしてくれたのです。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。すると,イエスは言われた。<どうしてわたしを捜したのですか?わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを,知らなかったのですか>
しかし両親はイエスの言葉の意味が分からなかった。それからイエスは一緒に下って行き,ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し,背丈も伸び,神と人とに愛された。<ルカ2:44〜52>
この写真は建国前のエルサレムにあるBab-es-Silsilehと呼ばれるものでHerod's Templeへの西の入り口の門である。反対側にある泉はベツレヘム近くのソロモン(管理人注:ソロモンはダビデとバテシバの間に生まれた二人目の子ども)の池からの水を水源とする。この門の左はダヴィデ街でありエルサレムで最もにぎわいをみせる。
林道義氏はその解説の中で「ユングはヨブ記」の直後(ないしは同時期に)知恵の女神ソフィアが登場する『ソロモンの箴言』紀元前4−3世紀や,『シラクの息子イエスの知恵』紀元前2世紀頃が現れたことに注目した。
ヤーウエが知恵の女神ソフィアを想い起こしたのである。それはヨブとの角遂の中でヨブの鋭い批判に出会って,「義の神」ヤーウエがもはや不義をなすことができず,「全知の神」がもはや無知な振る舞いをすることができなくなったからであり,そのために『知恵・ソフィア』が必要になったからである。つまり『知恵』を傍らにもつ神はすでにこれまでの暴君的な神ではありえず,それは意識の増大を,つまりは自省する神への変化を示すものにほかならない。このソフィアの想起はのちにマリアの出現とその重大な役割にまで影響を与えることになる。
イスタンブールのアヤソフィア(ハアギアソフィア大聖堂)は女神ソフィアの神殿跡地に建てられた。(管理人注)
Monument erected to PETER,Pastor of CHRIST'S FLOCK.ヴァチカアンはミトラ(MITHRA)聖地跡に最初はコンスタンティヌス皇帝によって紀元326年に建てられ,15世紀から17世紀にかけて改修された。中央には12宮黄道が見られる。つまりバチカンは宗教とはVernal Equinox Precession(春分点歳差)であることを伝えているのである。ドームはミケランジェロによる』。
参考:Ω祖型からバチカンまで
いま一つの重要な徴は『エノク書』における「人間の息子」の出現である。それより前にすでに『エゼキエル書』において「人間の息子」という呼び名がはじめて登場するし,ダニエル(紀元前165年頃)は「人間の息子の如きもの雲に乗りて来る」のを見ている。エノク書では「人間の息子」エノクはつねに正義をもたらす者として強調されている。「人間の息子」が天の世界で活躍することは,一方では神が人間になりたがっていることを意味すると同時に,他方では人間も神の世界に関与することができるということを示しているのである。
エノクはイエスの先駆的形態であり,神が人間になるというイメージに対する心理的欲求が次第に高まっていることを示すものであった。それはあたかも神がしきりに人間になりたがっているかのようであった。受肉の準備を意味する現象としてユングが注目したのは,ソフィアの想起と「人間の息子」(管理人注:エノク)の出現であった。
参考:失われた時を求めて
The ways of Zion do mourn,because none come to the solem feasts:all her gates are desolate:her priests sign(Lamentation i,4)
シオンに上る道は嘆く 祭りに集う人がもはやいないのを。シオンの城門はすべて荒廃し,祭司らは呻く。シオンの苦しみを,おとめらは悲しむ。(哀歌:1〜4)
またその中には,四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。それぞれが四つの顔を持ち,四つの翼を持っていた。(エゼキエル書1〜5−6)
(管理人注)旧約聖書『エゼキエル書』についての最初の部分には「その顔は人間の顔のようであり,四つとも右に獅子の顔,左に牛の顔,そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。つまりこれは四隅を埋めるものとしてのカルディア人からのものでありパリのノートルダム寺院入り口上部にあるキリストの四隅を囲むものでもあるのです。『人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する』つまり春分,秋分,夏至,冬至を決定的に意味している。人々に安心立命を与える宗教とは形而上学的なものでありキリスト教徒であろうとなかろうと悪魔主義者であろうと,神は変化しうるというユングの見方「神とサタン,神とキリスト,神と人間」という関係を含めてヨブへの答えを理解することは避けては通れない道であろう。 ただし,毎日が浮き足立った人々には到底無理で理解不能な世界でもあることは間違いないだろう。不平不満ばかりで理解する努力もせずただワカラナイのならばそのまま多分幸せな人生を送ることだ。それが一番いい。全ては自己否定から始まる。
己を完全に分解し,自分の過去を振り返り自分を変えて行く。それが教養です。そうすれば個を貫くことも出来るようになる。孤独とは,友だちがいないとか寂しいとか一人ぼっちとかそういうものではないのです。つねに魂を研げば孤独は形而上学的なものであることがわかるでしょう。この孤独を知らない男女の結婚などはすべて仲人口でありそれこそ日本チャチャチャなのであります。自分が変わらなければ世界は絶対に変わらないということでしょうか。
厳密に言えば,アダムは何か新しいことを覚えるのではなく,自分の裸体を悟り善と悪の区別を意識するのだ。同様に歳をとってゆく人間は知らないことを何か習うのではなく,新しい次元の中で,新しい照明のもと悲しい真理を発見するのだ。
(ウラジミール・ジャン・ケレビッチ「死」)より
エデン(Garden of Eden)から一つの川が流れ出ていた。園を潤し,そこで分かれて,四つの川となっていた。第一の川の名はピションでハビラ地方全域を巡っていた。第二の川の名はギボンでクシュ地方全域を巡っていた。第三の川の名はチグリスでアシュルの東の方を流れており,第四の河はユーフラテスであった。<Genesis2:10〜14>
その日,主はアブラハムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで,カイン人,ケナズ人,カドモニ人,へト人,ぺリジ人,レファイム人,アモリ人,カナン人,ギルガン人,エブス人の土地を与える」<Genesis15:18>
『メソポタミアは『川の間』を意味する言葉です。ティグリス河とユーフラテス河にはさまれた地域に,人類最初の文明は生まれたのでした。旧約聖書にいう『エデンの園』すなわち,神が人類の祖先アダムとエバに与えた地上の楽園とはこの地のことであろうと言われます。
二つの河の周囲は豊かな水と土地に恵まれていました。それまで,原始的な遊牧生活を送っていた人々が,この土地に定住しこうして最初の文明が産声をあげました。しかし,太陽と水と収穫に恵まれたメソポタミアは,絶えず周辺民族の侵入にさらされつづけました。この地を巡って,さまざまな民族が興っては滅んでいきます。メソポタミアの歴史は民族興亡の歴史でした』(ルーブル美術館より)
ネブカドネザル王二世(紀元前605−562)時代のJ.F.CAMPBELLによる再現画。
12ヶ月が過ぎたころのことである。王はバビロンの王宮の屋上を散歩しながら,こう言った。「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ,このわたしが都として建て,わたしの権力の偉大さ,わたしの威光の尊さを示すものだ」また言い終わらないうちに,天から声が響いた。「ネブカドネザル王よ,お前に告げる。王国はお前を離れた。お前は人間の社会から追放されて,野の獣と共に住み,牛のように草を食らい,七つの時を過ごすのだ。そうしてお前はついに,いと高き神こそが人間の王国を支配する者で,神は御旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを悟るであろう。(ダニエル書4:26〜29)
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投稿者:sophy93
ダーウィンの種の起源にも、変化するもののみが生き残るとあったはずです。
多くの示唆を与える話を聞いても、それを吸収し真実を見出だし、知恵に変化させていかなければ、知識があっても何の意味もないという事ですね。
初めは意味が解らなくとも、思いめぐらし考えることで、真実に突き当たる。それは、どこからやってくるのか解らない。
ヤーウェの神は、人間ヨブからであった。絶対者と言われる神は変化を厭わなかった。様々な事象、状況、時などによって、自分も変化してゆかねばならないという事が解ります。
自己否定から始まる。この意味を取り違えると、間違うような気がします。
私はある陰謀論者から知らない間に工作員に認定されていました。それが、sophyという名前が原因でした。その起源を知らなかった私は、自分は余程の大馬鹿であると思いました。
tatsujinさんからのご指摘で、良く調べてからコメントするようにとのご助言も、その通りだと感じました。自分の知識は本当にお粗末である。だからこそ、学び続け思考力を強化しなければいけないのだと思い知りました。隠された真実を見抜いていくために。
今回の記事は並べられている内容の意味について、何故ここにこの話が出てくるのか、何度も黙想しなければ、関連性が簡単に掴めないと思いました。これも、訓練ですね。
『賢人は一言で足りる』という格言がありました。
私は、自分の今までの理解を、先ず破壊して、構築し直すべき時です。己の愚かさを認識しつつ。