量産型御用一般人・ザコHALTANの「僻目評論」独り言日記 ※このブログの内容は全てフィクション(妄想)です。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-02-14

[]市川崑死去

市川崑監督死去 文化功労者、「ビルマの竪琴」撮る 2008年2月14日 中日http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008021402087264.html

これはwikipediaにも書いてあることだし、あの長大な『市川崑の映画たち』を参照すれば分かることだけれども、市川さんほど劇場用映画に固執せずに自分が興味を持ったことは何でもやった人はいなかったし、またTVに使われずにTVを使いこなした人もほとんどいなかった、ここはもっと特筆すべきでしょう。

本編を撮れなくなりTVメインに移った監督の大半がTVに使われて終わったことを思えば、いかに有り得ないことをやってのけたかがよく分かる。しかもTVでも照明などは自分の好きなだけ粘っていたようですから・・・。またTV局の出資で撮ることに何の躊躇もしなかった人でもありますね。
ついでに書いておけば、「自分のやりたいことがあれば劇場用映画に固執しない」「TVに使われずにTVを使いこなした」監督といえば、他には木下惠介新藤兼人深作欣二増村保造山田洋次ぐらいでしょうか。新藤さんも相当にTVに脚本を提供していますが、新藤さんは作家的に粘れるものと粘れないものを使い分けて書ける人なのであれだけの量産が可能だったのでしょうね。新藤さんは退屈な2ドラなどまで自分で全部書くらしいですから。しかも大半の作品の制作会社は近代映協なので、確かに自分で書けば余計なお金は掛かりません。山田洋次もTVドラマには相当に脚本を提供している。山田さんはTVと映画で自分の持ちネタを変奏して書き回すことが多かった、はず。しかもTVで使ったネタを映画で発展させて使っていたようなので、自分では撮らないものの、TVの実験的な賢い使い方といえる。

市川さんに話を戻せば、御自分でもお認めになっていたように持ちパターンの使い回しが多い方ではあったけれども、それもまた作家性であり御愛嬌ですね。例えば金田一ものの2本目以降や、『竹取物語』(1987)『つる 鶴』(1988)『天河伝説殺人事件』(1991)『八つ墓村』(1996)辺りなどは本当は撮らなくてもいいと思うんですよ。『犬神家の一族』(06)さえ撮る必要はあったのか、どうか。はっきり言えばギャラ稼ぎ以上の意味はない。強いて言えば、そういう作品でも自分のやってみたい実験をどこかに入れておく程度。でもそういうものを撮ってたまに自分の本当に撮りたいものを撮る。凄いよねえ。巨人ですよ。

自分は、まあ観たものは大体は好きなんですが(シッタカしている割にはさすがに未見作品も多いのでw)、『太平洋ひとりぼっち』(1963)などはもっと顧みられてもいいと思いますねえ。太平洋横断の冒険を、国民的英雄としての堀江謙一ではなく、対人関係が苦手で社会に馴染めない(今でいうオタクニートのような)青年が成し遂げた偉業として描くシニカルさ、しかもそれだからこそ人間賛歌になっている素晴らしさ。しかも大スターの裕ちゃんがそんな役を一生懸命にやる。この頃の裕ちゃんは『夜霧のブルース』(1963)『赤いハンカチ』(1964)と、俳優としての充実期に差し掛かっていたようですねえ。
市川作品のそうしたペーソスや人間の孤独への寄り添い方やディスコミュニケーションへの執着は、むしろ和田夏十の持ち味だったのかもしれませんが、そうした面から見ると『ビルマの竪琴』(1956・1985)になぜ固執したのかの真の理由も分かります。あれは厭戦映画・今で言う「泣ける」映画の形を借りてはいるけれども、実は終盤のナレーションで明かされるように、誰も水島の本当の気持ちなど理解していなかったし、また水島の内面など誰にも理解できないものだった、という話なのでしょう? 

御冥福をお祈り申し上げます。

市川崑の映画たち

市川崑の映画たち