「万物をお創りになる者の手を離れるとき、全てはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」 JJ ルソー(1712−78)
ようこそ,LEGACY OF ASHES へ!ゲームの達人 ,,OUT OF EDEN ,,ハムレットの吹かす風 ,,いつも一緒 から最終回のLEGACY OF ASHESになります。これが本当の最終です。初めての方は左の目次にカーソルをのせクリックすると記事を見ることが出来ます。なお最新記事は一番下です。
日本のケープタウンより記事をお届けいたします。
原生林の奥の奥
倒れた大樹のその上に
こけときのこが絵を画いた
ちいさなちいさなきのこたち
白とピンクの服きてた
秋の光を背に受けて
水の流れの音楽に
小人の国の舞踏会
どろ亀先生「無心 」より
マー君とスー君みたいにみんな仲良くね。
以下は老荘の言葉より..........
1)利益というものを,人間の生き方の中心に置いた社会というものは必ず破滅する。
2)便利な生活というものを,最高の価値として,それだけをひたすら追いかけると冷酷非常な世の中になる。
3)世の中が乱れることの根本は,賢くなれといって頭のいいことを人間たることの第一の価値として強調することだ。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない。」(マタイ7・13〜14・ルカ13:24)
ハルメンの笛吹きがフリードリッヒ・ヴィルヘルム王のプロシア声をまねると,それまでぼんやり立っていた大衆は,機械的ににわかに動き出す。このようにして大衆に行わしめる展開によって,ちゃんと大衆についてこさせることができる。しかし,大衆は近道をしなければ指導者に追いつくことができず,破滅にいたる広い道の上(ルカ13:24狭い門参照)に展開することによって,はじめて隊伍をととのえて行進する余地を見出すことが出来る。生命を求めるために,どうしても破滅への道を歩まなければならないとすれば,しばしば不幸な結果に終わるとしても,驚くに当たらない。
芸人の流す涙は血の涙 。映画史上最高傑作の「ライムライト」 .......
そして神の声 。パリの新聞がピアフの死を報じるとジャン・コクトウは後を追うように往った。
悠久の天竺で慈光さんに天の采配が整うという意味なのですが........
天の采配が整う条件は慈光さんによれば、2つ。
1.それが、天の御心に沿ったものかどうか。
2.それをするに充分な徳(実力)があるかどうか。
今後天竺へ戻られてから灼熱の大地を、身ひとつで裸足で歩きながら、人びとの話に耳を傾け、仏法を持って苦しみを和らげようとされたお釈迦さまのように空前絶後の想像を絶する壮絶な修行がはじまるのですが慈光さんと私とでそれを乗り越えていこうと思っています。天竺へ行くことはありませんが日本からパラクレートを送り続けます。従いまして「天竺から慈悲の光」は終了します。何人かの方が愛語施を残されたことを慈光さんはとてもとても喜んでいらっしゃいました。
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2011/10/23
ヤズルカヤ
ポアズカレ(Bogazkale)は、トルコの首都アンカラの東150kmにありアナトリア高原のほぼ中央部 である。ポアズカレが紀元前16 - 14世紀の古代ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャと確認されたのは、1906年のことであり、以来90年余り発掘はゆっくり続けられている。大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが発掘されている。
ヒッタイト(英:Hittites)は、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話しアナトリア半島に王国を築いた民族。
(フリー百科事典:ウィキペディア (Wikipedia)」より引用)
ヤズルカヤ
ここにある遺跡は紀元前1500年前にさかのぼるものもあるが、有名なレリーフや神殿跡は紀元前13世紀以降のものと考えられている。ヤズルカヤの遺跡のメインはヒッタイトの神々などが描かれているレリーフ。
レリーフがある2つの谷のうち大きいほうへは神殿跡の左後方から入ることができる。左側には神々が、右側には女神の像が並んでいて、女神は円錐状の被り物をかぶっており、長いドレスをまとっている。神々の側では12の戦いの神や月の神クスフが特に目を引く。神々と女神は谷の奥で出会い、ここでは山々にまたがったヘブトが豹の上に立っている女神ヘブトと向かい合っている。ヘブトの後方には彼らの息子シャッルマも豹の上に立っており、そばにはほかの女神たちが描かれている。女神側のレリーフのなかにはトゥドハリヤ4世(紀元前1250年―1220年)が王旗と太陽を握っているレリーフが谷の入口近くに描かれている。トゥドハリヤ4世はこの神殿を建てた王と考えられている。この大きい谷は初春に行われていた新年のお祝いに使われていたと考えられている。
もうひとつの小さい谷の入口には2つのスフィンクスが描かれているが、風化していて見分けるのが困難。また12の人物像があるが、これは大きい谷に描かれている12の戦いの神々に似ているが、保存状態はこちらのほうがよい。向かい側には「剣の神」のレリーフがある。人間の胴体が刀として描かれている一方、柄の部分は頭となっている風変わりなレリーフである。これはヒッタイトの下界の王ネアルガルを表現している。その隣にはトゥドハリヤ4世を抱えているシャッルマのレリーフがある。この場所はヒッタイト王の葬儀の際使われていたと考えられている。
(http://www.torukomania.com/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3/%E3%83%9C%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B7%E3%83%A5 より引用)
蛮族戦闘団体と文明 その2参照
ヒッタイト文明:シュメール文明の子かも?(宗教は非シュメール的),シュメール社会の教会のすぐ外側のカッパドキアで紀元前1500年以前,世界国家:紀元前15世紀頃にはその地域一帯の支配的文明になっていた;紀元前1352年以後,紀元前1278年に平和にいたる間,エジプトと数回交戦;紀元前1200−1190年の民族移動の波に圧倒される。詩 ホメロス叙事詩 宗教 オリュンポス諸神崇拝 蛮族:東北:ガスガ族 西北:フリュギア族 西南:アカイア族
管理人のパラノイアによるとヒッタイトの正体はバーディシャーにあり.......
オスマンリ:かれらの最大の挑戦は,遊牧社会を異質的な環境へ移動させ,そこで動物でなしに,異種の人間社会を支配するという,新しい問題ととりくまなければならないことであった。その離れ業はオトマン奴隷家族であった。つまり,バーディシャー(解説:オスマン帝国はパーディシャーを元首号とし、しばしば皇帝とされますが、ガージャール朝ではバーディシャーは地方領主の号)の人間家畜を管理する人間番犬を選び訓練することであった。かれらは出来るだけ人間性を捨てて動物性を身につけたり,単線的な本能的行動にもっぱら心を向けるという,驚くべきことをやってのけた。
羊,山羊を飼育する畜産民は,子羊が生まれると,一年以内に雄は種付け用を少し残し,後は殺して食べる。ごくわずかの雄を去勢して群れの先導役にさせる。それを人間支配の技術に転用するのが去勢の意味。シオン長老の議定書(プロトコール)第18議定書より。これこそがバーディシャー由来の人間家畜の管理術。
『キリスト教は,シリア社会に属していた人々を先祖とする民俗からきたものである。シリア世界の一半を形づくっていたイランは,ミトラ教を提供した。イシス崇拝は,エジプト世界の征服された北半分から来たものである。アナトリアの大母神キュペレの崇拝 は,多分,当時,宗教を除く他のすべての社会的活動の面において,死滅してからすでに久しい時を経ていた,ヒッタイト(Hittite)社会からもたらされたものとみなされる 』
等身大のHittite Priest-King.紀元前1600年頃の北シリアの聖職者か王を指すのだろう。
馬はエジプトから輸入し,イスラエル人はおそらく戦車の使い方をヒッタイト人より学んだと思われる。ダヴィデ統治の時代,最も信頼できる戦士はUriahとAhimelechであったが両名ともヒッタイト人であった。「その後アブサロム(ABSALOM)は戦車と馬,ならびに50人の護衛兵を自分のために調えた。」(サミュエル記U第15章1節)
聖書ものがたり・サミュエル記参照
ここにある遺跡は紀元前1500年前にさかのぼるものもあるが、有名なレリーフや神殿跡は紀元前13世紀以降のものと考えられている。ヤズルカヤの遺跡のメインはヒッタイトの神々などが描かれているレリーフ。
シャッルマとトゥドハリヤ4世
レリーフがある2つの谷のうち大きいほうへは神殿跡の左後方から入ることができる。左側には神々が、右側には女神の像が並んでいて、女神は円錐状の被り物をかぶっており、長いドレスをまとっている。神々の側では12の戦いの神や月の神クスフが特に目を引く。神々と女神は谷の奥で出会い、ここでは山々にまたがったヘブトが豹の上に立っている女神ヘブトと向かい合っている。ヘブトの後方には彼らの息子シャッルマも豹の上に立っており、そばにはほかの女神たちが描かれている。女神側のレリーフのなかにはトゥドハリヤ4世(紀元前1250年―1220年)が王旗と太陽を握っているレリーフが谷の入口近くに描かれている。トゥドハリヤ4世はこの神殿を建てた王と考えられている。この大きい谷は初春に行われていた新年のお祝いに使われていたと考えられている。
もうひとつの小さい谷の入口には2つのスフィンクスが描かれているが、風化していて見分けるのが困難。また12の人物像があるが、これは大きい谷に描かれている12の戦いの神々に似ているが、保存状態はこちらのほうがよい。向かい側には「剣の神」のレリーフがある。人間の胴体が刀として描かれている一方、柄の部分は頭となっている風変わりなレリーフである。これはヒッタイトの下界の王ネアルガルを表現している。その隣にはトゥドハリヤ4世を抱えているシャッルマのレリーフがある。この場所はヒッタイト王の葬儀の際使われていたと考えられている。
ヤズルカヤ岩神殿のレリーフは、この場面を現していると水上氏は推測する。
この解釈が正しいのならば、私達の神話にヒッタイトの神話が入り込んでいる証拠となるだろう。
太陽神が女神であるとする神話は世界にも余り類がないように思うが、ヒッタイトも日本も太陽神は女神なのである。紀元前1300年頃のヒッタイト王の太陽神に対する祈祷文には太陽が海から昇るとある。
白人の学者がこの祈祷文と自分達の説の辻褄を合わせ尚且つ、ヒッタイトがアーリア人の帝国であると証明する為に、コーカサス山脈を越えてメソポタミアやトルコへ向かったとする苦しい説明を展開していることは見苦しくさえある。
太陽信仰は何もヒッタイトや日本の専売特許ではないが、白人が主張するようにアーリア人、しかもドイツ人がヒッタイトであるとすれば、彼らの何処に朝日を礼拝し、元旦に初日の出を拝む人がいるのか、太陽を女神とする慣わしは存在するのか?そんな事実は一切ない。
やはりヨーロッパ系の白人種は、ヒッタイト帝国の主役には成り得ないのだ。
烏帽子の存在や神話に加え、ここに面白いエピソードがある。
名古屋地方出身の学者が、アッカドの遺跡を調査する際に訪れた地でアジア人に風貌の似た人々に出会った。しかし言葉が通じず、つい漏らした名古屋弁のボヤキが驚くことに通じたというのだ。
そこからこの研究者はシュメール人の子孫は、日本人とアラブ人だという発想を得たのだという。この人物は奇遇にもサンカ(定住せず漂泊して暮らしている人々)の子孫で、そのサンカはスサノオを穴抜けの神として信仰しているという。
これは恐らく、洞穴などの穴式住居から抜け出した遠い祖先の記憶が反映されたものであろう。この学者はスサノオ信仰については知らないとされているが、それでも名古屋地方のサンカは『八』と呼ばれていたという(八鏡文字? ) 。恐らくはハッティのことであろう。
読者の深田さんという方からの紹介で買ってみた。ぜひアマゾンで買ってお読みください。(中古で300円くらい)
封印された神代文字参照
このサンカには女尊男卑の思想がある 。
そして女尊男卑の思想は太陽神が女神である民族にとっては、自然なことなのであろう。
日本では妻のことを『山の神』などと表現する ことがあるが,(管理人注;山の女神=大地の化身であるアナトリアの地母神キュベレから来ているかも)これは怒らせたら怖い存在のことであり尊ばざるを得ない。こんな所にも女尊男卑の伝統が見え隠れする。
その昔、大原女と呼ばれた人々には、極端な女尊男卑の習慣がみられたと伝わる。
それは外観の良い男だけを床にはべらし、後の男は土間で寝かせ、働きの悪い男は売り飛ばした。そして声を掛ける時は猫でも呼ぶように舌で「チョ、チョ」と音を出して呼んだというのだ。だとすれば、この人々はペルシャ系であったのかも知れない。(女尊男卑=カカーデンカは聖書の男尊女卑とは正反対で愉快ではあ〜りませんか )
さてヒッタイト帝国から見て、太陽が昇る海はペルシャ湾しかない。彼らは良質な鉄鉱の鉱床を求めて各地に散ったのだろう。そしてトルコの首都アンカラから150キロ程度はなれた場所に良質な鉄鉱を発見したのだ。
そこに居たのは原ハッティ人であったが、彼らはヒッタイトと契約しその労働力を供給したのであろう。それは契約により成されたことであり、決して力による支配下での強制などではなかった。
それが神々の契約、つまりスサノオとアマテラスの誓約の神話に反映され、今に至っているのかも知れない。
その神話を携えた人々が既に日本に居り、そこへ同系列の秦氏が遅れて渡来して来たのであれば、今日の私達が外国人に対して抱く感情とは異なった想いで受け入れられたとしても不思議ではないのである。
そして、後の秦氏の隆盛を考えると、秦氏とはイスラエル化されたヒッタイトとでも呼ぶべき存在であったのかも知れない。
神話のスサノオは荒ぶる神として恐れられ嫌われ、姉のアマテラスさえも彼に対して武装して身構えるという事態を呼んでいる。
スサノオが忌み嫌われるのは農耕社会から見たスサノオの働きに対する評価であり、その本来の仕事はタタラ製鉄に於いて重要な風の神なのである。
これを農耕という一面的な見地から捉えたならば、農耕に天候は重要な要素であり天候の神を祭るのは当然であると、成るであろうが、これだとスサノオが別名牛頭天王といわれ牛を象徴とすることに対する説明が付かない。
もっとも私見では農耕に於ける労働力としての牛の存在を考えると、根拠の無いものだとも言えないかも知れない。
しかしスサノオは荒ぶる神であり、天候を穏やかにする神ではない。
現在でも製鉄関係の人々の信仰を集める神社では、祭礼の時に天候が荒れるほど良いとされているという。
ともあれスサノオは本来、農耕よりも製鉄に関係する神であり、タタラに風を送る『フイゴ』は牛の皮を用いて作られた。タタラ製鉄に欠かせない風は、農耕とは相反する要素でもある。しかも強く吹けばより喜ばれる風の神であり、フイゴに用いた牛皮からその象徴を牛とするのである。
私達が古代国家の形成を考える時、同一の民族あるいは幾つかの民族の集合の中で農耕民と支配層とに自然に別れて社会の階層が形成されると考え勝ちであるが、実はそうでもないようだ。
本当のところ支配層と農耕を行う人々とでは、民族が異なっていたらしいのだ。
ヒッタイトは鍛冶師を頂点に製鉄技術を使い、武器と農具を生産する支配階級と、農耕民とに分かれていたらしい。
これと同様に、その当時の多くの国々でも同じ様であったのだろう。
その頃のヒッタイトの支配層が信仰するのは勿論、スサノオである。スサノオのスサとは古代ペルシャに在った地名で、スサノオとは『スサの男』という意味の名前であるらしい。
我々の先祖の中でスサから来たペルシャ人が、スサノオ信仰をもたらしたのであろう。
しかし農耕が盛んになり、作物の豊凶に人々の関心がシフトするに従い荒ぶる風の神は次第に疎まれていく。
記紀神話でも誓約をしたのは良いが、スサノオは悪戯を繰り返す。
神聖な場所に粗相をしたり、建物の屋根を剥がしたり、田の畦(あぜ)を壊したりと高天原で縦横に暴れまわる。
最初は何かと擁護していたアマテラスも、スサノオの悪戯で死者まで出るに及んで、怒り心頭に達して岩屋にこもってしまう。
元来のスサノオは荒ぶる神であり、強風を吹かせることを期待されている神である。
従って大人しくして居たのでは仕事に成らないから、暴れるのは当たり前なのである。
とにかく、スサノオの悪さが元でアマテラスは岩屋に入り、世界は暗黒に閉ざされてしまった。後は一連の神話のごとく、手力男命(たじからおのみこと)に岩戸をこじ開けられ、アマテラスが引き出されて世界に光が戻ったというストーリーへと続くのである。
この神話のストーリーの背景には、製鉄を頂点とした価値観が徐々に農耕重視の価値観へとシフトしていく様子が伺えると感じるのは私だけであろうか。
もう随分と前になるが、某自称コンタクティーという人と会う機会があった。その時に私の住所を尋ねられたので答えたら、そこは聖徳太子の荘園の在った場所で、どうしてそれを地域振興に役立てないのか不思議だと言われた。
それはさておき、昔の人のバイタリティーには驚かされることばかりだ。
戦国時代の武将は何百キロも徒や馬で平気で移動して戦を行っていたし、私の住む市の山奥には平安時代ころに都から旅して来たとされる『猿丸太夫』なる人物の墓がある。
そこは越中の古史では、日本海から越中岩瀬(えっちゅう・いわせ)の港への目印として使用された夫婦山(めおとやま)の麓である。
とにかく歴史を振り返れば、現代人の私でも驚くほどの遥かな距離を古代人たちは自在に移動している。
古代日本には大海原や広大な大陸を踏破し、東洋の端の島国へと辿り付いた民族が幾つもひしめき、互いに覇を競っていたのである。
彼らは各々の伝統と文化、習慣、信仰を携え、異民族と出会う度にそれを取り込んだり排除したりしながら、日本という島の中で次第に融合していったのだろう。
その中にはヒッタイト帝国を築いた民族がおり、イスラエル王国やユダ王国の流れを汲む人々がおり、南洋系や北方系の人々が居たのであろう。
現在のアメリカのように人種の坩堝(るつぼ)の様な状況を呈していたのかも知れない。
その多くの人種の中でもヒッタイト系の人々が最初に支配権を握っていたのかも知れないが、その覇権は転々と各部族の間で移動したのだろう。
聖徳太子と呼ばれる人物も、恐らくはその中の一人であったろうと思われる。
つまり伝承を見る限りは、蘇我氏と結託して旧勢力であった物部氏を急襲して滅ぼしてしまう。そして、その時に物部氏に伝わっていたであろう多くの史書を焼き捨てたのだ。
そして恐らく彼はユダヤ系の人物であり、それ故に出生のエピソードをキリストと似たものにしたのかも知れない。水上氏の予測では聖徳太子とは仏教をイデオロギーとするユダ族の人物であり、蘇我氏とはペルシャ系のサカ族(釈迦の出身部族か?)であろうとしている。今日に伝えられ様な聖人では決してなかったであろうこの聖徳太子と呼ばれている人物は、政治権力の象徴として実在の誰かを様々なエピソードで飾りたてたものであろう。
研究者の木村鷹太郎氏はキリストの名、イムマニエルを『神とともにある』と聖書学者が解釈しているのは間違いであるという。その真実の意味は厩戸(うまやど)であるという。
つまり『厩戸皇子』の別名を持つ聖徳太子と同様の意味であるという。
貧しい女性が旅の途中の厩で出産するというのは、それ程に不自然ではないかも知れないが、仮にも皇子と呼ばれる子供を産んだ女性が厩などで出産するはずもなく、どう解釈しても作為的なエピソードとしか思えない。
では何故に馬小屋なのか、恐らくイスラエルでは馬は権力や富の象徴として捉えられていたのだろう。
イムマニエルも聖徳太子も、その出生のエピソードは作為的に創作されたと予想されるが、そのベースは同じ古代文明に求められるのかも知れない。
前述の木村氏はペルシャの王朝に『オムヤマド』があり、それもまた同様の伝説に関連していると言っている。浅草の厩橋を地元では『おんまやばし』と呼んでいることから、正しくは『うまやど』ではなく『おんまやど』と呼ばねば成らないのかも知れない。
その聖徳太子がまず行ったことはヒッタイト神話のヤズルカヤ遺跡の風神と太陽女神の誓約のシーンを日本の伝説に持ち込むことだった。
物部氏を滅ぼし、その史書を隠滅し新たな歴史を書き綴る元を作った。その行動は特に聖徳太子に限らず、ユダヤには昔から歴史を改ざんするプロ集団が存在し普通に行われていたことらしい。
古事記も例外なく新たに創り出された神話や歴史なのであり、それはヒッタイトの伝承やユダヤ、ペルシャなどの神話を元に捏造されたものであろう。
では、その伝承や神話は何処から、どのようにして西暦700年代の日本人が知り得たのであろう。少なくとも交易などで得られる文物ばかりではなく、人的交流も行われており、日本に定住した渡来人も多数いたのであろう。
古代の日本で神話や歴史の主体となったのは、その渡来人であったのだ。
興味深いことに神話の国譲りのシーンは、伝説でなく実際の出来事であると主張する人々が日本に実在するという。それは出雲王朝の子孫と名乗る一族で、改ざんを恐れて文字では記録せずに口伝でその史実を伝えているらしい。
富氏の人々は、遥かな国譲りの時代の出来事を昨日の事のように怒りに肩を震わせて語るというのである。出雲はエドム人の築いた国であったと言われるが、その子孫と名乗る一族は富氏を名乗っているから、部族の名はトミだったのかも知れない。
エドム人 は聖書に書かれているごとく長子の権利と父の祝福を奪われたが、日本では王権を奪われたのである。しかし富氏をエドム人とするのは、不自然な気もする。
エドム人であれば他の名を名乗るだろう。他にもダン族は壇・団・段・團などと名乗っていることを見れば、やはり富氏の部族はトミであったと考えるのが自然だ。
エドム人としたのは、聖書に合わせたのであり、勝者の意図的な改ざんであろう。
聖書でエドムに敵対して憎しみを持っているのはユダ族であり、日本でもユダ族はそれを再現してみせたのであろう。
エドム人はここに住んでいた 。
聖書ものがたり・民数記参照
写真はペトラ(Petra=ギリシャ語で岩)の山。この南約50マイル先に死海がある。聖書的なペトラの呼び名はSelaという。左側に見える赤いレンガのような(Sandstone)寺院はエサウ(注;エドム人の祖でヤコブの兄 )の子孫であるエドミテ人によって建てられた (エドムはその継ぐべき地となり敵対するセイル(注:Arabian Mountain of Seir)は継ぐべき地となり.....民数記24〜18)。「彼はカイン人を見渡して,この託宣を述べた。お前の住む所は確かであり お前は巣(ケン)を岩の上に置く。しかし,アシュルがお前をとりこにするとき,カインは必ず,焼き滅ぼされる。(民数記第24章21〜22節)
ダヴィデはアラムを討って帰る途中,塩の谷でエドム人一万八千人を討ち殺し,名声を得た。(サムエル記第8章13節)
古代のイデオロギー
歴史は偶然に繰り返したように見えるが、本当は意図的に繰り返されたのかも知れない。
古代の天皇家(ユダ族)が、日本にいたエドム族から奪ったものは王権の他にも有るという。それは勾玉(まがたま) であるというのだが、三種の神器の一つである勾玉とは本来は出雲の王族だけが身に付けることを許されたものであると前述の富氏は主張する。
アイデルバーグによれば、勾玉の形はヘブライ文字の信仰を意味する という。
八尺瓊勾玉
『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は八咫鏡・天叢雲剣と共に三種の神器(みくさのかむだから・さんしゅのじんぎ)の1つ。八坂瓊曲玉とも書く。
大きな勾玉とも、長い緒に繋いだ勾玉ともされ、また昭和天皇の大喪の礼時に八尺瓊勾玉が入った箱を持った従者は「子供の頭くらいの丸い物が入っている様に感じた」と証言している。
「さか」は尺の字が宛てられているが上代の長さの単位の咫(あた 円周で径約0.8尺)のことである。ただし、ここでいう「八尺」は文字通りの「8尺」(漢代1尺約23·9センチ計算で約1.8メートル)ではなく、通常よりも大きいまたは長いという意味である。また、「弥栄」(いやさか)が転じたものとする説もある。
「瓊」は赤色の玉のことであり、古くは瑪瑙(メノウ)のことである。璽と呼ぶこともあり、やはり三種の神器のひとつである剣とあわせて「剣璽」と称される。その存在について、「日(陽)」を表す八咫鏡に対して「月(陰)」を表しているのではないかという説がある。
現在は、御所の中の天皇の寝室の横に剣璽の間があり、そこに剣とともに安置されているとされる。
日本神話では、岩戸隠れ の際に後に玉造連の祖神となる玉祖命が作り、八咫鏡とともに太玉命が捧げ持つ榊の木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊(ニ二ギのこと ) に授けられたとする。』
さて、アイデルバーグによると日本武尊(ヤマトタケル)の物語は、エホデが衣に隠した剣でエモシの首領を殺した物語と同じであるという。それがヤマトタケルの場合は少女に変装して熊襲(クマソ)の首領を殺す。
またヤマトタケルの活躍した伊吹の山はヤボク山、死んだノボの荒野をネボの荒野とみなしている。この神話時代の英雄の物語ですらも、ユダヤと関連しているとの指摘は日ユの異常なまでの緊密性をうかがわせるに十分だ。
しかしアイデルバーグは、これ以外にも文字という視点からもより深い日ユの共通点をも指摘している。
それは日本人が発明したひらかなとカタカナという二種類の文字についての指摘で、ひらかなはヘブライ文字の草書とカタカナは楷書とよく似ているという。
カタカナはひらがなと異なり、日本の歴史上で余り使われていない印象だが古くからカタカナを主に使う人々が商業都市『堺』に存在していた事実を発見した人物がいる。
それはごく自然なことで、帳簿付けには楷書が必要となる。
これを発見したのは八切止夫氏で、氏によると堺はエビス島と呼ばれ住んでいたのは日本人ではなく、エブス人であったという。
大阪からはエジプト式の船が発掘されているし、大阪を代表する神の名前も彼らが何者であるかを示している。
大阪人の神『エベス様』は、彼らの民族の名前そのものだ。
しかし、本国エルサレムのエベス人が謎めいた存在であり、現在は明白でなくなっている理由はその存在をユダヤ人が徹底的に隠したかららしい。
古史古伝には漢字伝来以前にも日本に文字があったと伝えるものがある。神代文字がそれであるが、現在では一切を偽書として片付けられてしまっている。
しかし、古史古伝の主張が本当ならば、ヘブライ文字であるひらかなとカタカナが日本の歴史に及ぼした影響は非常に大きいと言わざるを得ない。
その神代文字のひとつにアビル文字があるが、アビルとは古代エジプト人がイブリと呼んでいた人々ではないのか、そのイブリこそがヘブライの語源なのであり、そうだとすればアビル文字こそヘブライ文字なのではないか。
また、イスラエル人がヘブライ文字と呼ぶものはエブス文字である。
聖書に登場するのはヘブライ人なのであり、そのことでイスラエル人はヘブライ人に深い劣等感を抱いたのではないかと、水上氏は推察する。
エジプト脱出後にユダヤ人をヘブライ人と呼んだのは異邦人であり、ユダヤ人は自分たちをヘブライ人であるとは言っていない様だ。
この事実から恐らくはユダヤ人にはエジプトでの体験が無く、聖書の編纂者にとって極めて面白くない隠蔽すべき事実であったろう。
かつてイスラエル十二部族をイスラエル王国とユダ王国とに分裂させた要因と同様の原因が、十四世紀の日本に動乱をもたらした。場所と時を変え、再びこの対立が発生したのだ。
その動乱の記録『太平記 』には、ユダヤ教の兜巾(ときん=山伏や天狗が頭に着けている )を身に付けた天狗が動乱の始まりを予見する。
それは王権の実質的な性質についてのイデオロギーの違いによる争いであった。
後醍醐天皇の肖像(管理人注 :96代後醍醐天皇の肖像は…清浄光寺所蔵)には、ユダ族のシンボルであるライオンが描かれている(管理人注 :アナトリアのキュベレ信仰か ) 。後醍醐は幕府から実質的な権力を奪おうと画策したが、結局は上手く行かなかった。
後醍醐を権力闘争に駆り立てたものは、遠祖から伝えられているダビデ王の如くに政治と軍隊の両面での実権支配であったろう。政治は幕府に、軍隊は幕府と地方豪族に握られている状況を後醍醐は苦々しく思っていたに違いない。
天皇制とは本来エジプトのファラオをモデルとしているのであり、古のダビデ王のように総ての実権が天皇に無くてはならなかったのだ。
しかし勝利を収めたのは本来のヘブライ型天皇制であった。
この様に考えてみれば、ヘブライ人に対するイスラエル人の強い嫉妬や攻撃性の根っこが何処にあるのか想像がつく。
すべての元凶は聖書なのであり、歪んだ信仰の結果なのである。それ故に長い時を経て、大いなる大陸と海原を隔てても尚、イスラエル人(特にユダ族)のヘブライ系民族への攻撃が続くのである。
そしてそれが日本の歴史を歪め、真実を闇へと屠り新たに出鱈目な歴史を綴ったユダ族の数々の所業となってあらわれたのだ。
十四世紀、後醍醐の試みもまたその一つであったし、古くは出雲の国譲り、記紀のみを正史とし、他を排除したことも同様の意味があるのだろう。
伊勢の国はイセツヒコとイセツヒメという兄妹の神が、平和に統治していたが突然に天日鷲命が現れて強制的に国譲りを迫る。兄妹はその夜に風を呼び、大波に乗って光に包まれながら東へ旅立ったという。彼らは信濃の国へ行ったと伝説は語る。
水上氏はイセツヒコとイセツヒメが象徴的に単純化されているとすれば、国譲りを迫った天日鷲命の名もまた、そうであろうと予測する。
氏はこの神の名から、有翼日輪 という水平に翼を伸ばした日輪の紋章が連想されるとしている。
有翼日輪は古代エジプトの王権の象徴であり、ツタンカーメンの玉座の背板にも刻まれている。天文学者は日食の時の赤道型コロナが原型と予測しているが、同じ紋章はヒッタイトやペルシャの美術にも見られるのだという。
有翼日輪の謎
ホルス神の有翼日輪の天井画(ホルスまたはホロスは父オシリス母イシスの子どもで弟はセト)
でもですね.......本当は元々教祖ゾロアスターはペルシア北東部の牧畜部族で また有翼日輪は最高神アフラ・マヅダーの象徴です。
ミトラ教とゾロアスター
『ミトラ教のルーツは、古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。ミトラ神は契約神・戦神・太陽神などの多彩な顔を持ち、古くからイラン・インド両民衆の間に絶大な人気を誇ってきたのであった。
紀元前7世紀頃に実施されたゾロアスターの宗教改革によって、一時期、ミトラ信仰の熱は下火になったが、ゾロアスターが世を去ると、彼の後継者たちは民衆のミトラ人気に抗えず、すぐさまミトラ神をゾロアスター教に取り込んだ。』
4世紀のローマ帝国の皇帝で、キリスト教への優遇を止めミトラ教を優遇したユリアヌスは「背教者ユリアヌス 」とも呼ばれる。
この連想は強引に過ぎると想えるが、これは長い伊勢神宮の歴史では普通に度々に起こっていたことである。その時代ごとの支配者たちは常に最新の秘儀を持ち込んだが、その一方で古い秘儀を破壊することも出来なかった。
その結果として一見して伊勢神宮には不似合いな習慣や、文物が現代に伝えられることになったのであろう。
吉野裕子氏の研究では一時期、中国占星術の影響で北極星が『太一』(たいいつ)として祭られていた時期もあったという。
二十年に一度の皇大神宮の御遷宮では、様々な御装束が用意される。
中でも千年くらい前の記録に残る装束は男性用であったとされ、ここから天照大神は男性ではないのかとの議論が持ち上がった。
今となっては不明であるが、それはもしかしたら太一の衣装であったかも知れないとの予測もできる。
遠い神代のベールの向こうで、入れ替わり立ち代わり時代の覇者がやって来て思い思いのイデオロギーで伊勢神宮を席巻した。しかし、その覇者たる者たちも遥かな古より連綿と続く神宮の威厳には叶わず、その歴史の重みを完全に払拭するには到らなかったのであろう。
それが結果として天照と北極星を習合するような、強引な形式となったのだろう。
それにしてもシュメール、ヒッタイト、ペルシャ、エジプトと古代に潸然と輝きを放った総ての文明の痕跡を現代に残す日本とは、日本人とは何者であろうか。
それは単に日ユ同祖論を凌駕して、人類史の大海原へと私達の眼を向けさせずにはおかない大きなロマンとして、また深い謎となって私の眼前に屹立する結果となった。
過日友人のFが大本教の唱えた日本は世界の雛形だとする論について、具体的に日本の何処が世界のどの場所に対応するかの資料を持参してくれた。
一読しただけではピンと来ないが、こと細かく世界との対応が記されている。
それは日本が地形だけでなく、気候までも世界のミニチュア版として捉え得ることを示している。
最終的な結論は決して見えないが、ユダヤはイスラエル人を含む多民族が渾然一体となって形成されていた。そこには、それ以前のシュメールやヒッタイトといった古代帝国が多民族で形成されたのと同様に、様々な民族がひしめいていたに違いない。
日本が世界の雛形であれば、気候、地形ばかりでなく人種的にも様々な民族の集合体であったとしても不思議ではない。
現在の日本人の無限ともいえる顔の特徴は、そんな人種の坩堝(るつぼ)から産み出されたものであろう。人がそうであれば、人間生活に必要だった宗教もまた世界の各地から持ち寄られたことだろう。
古代世界でも現代と同様に他の事柄と異なり、各々の民族が己の信仰だけは護ろうとしたのかも知れない。それは各々の民族にとって、祖先と繫がる最も重要な儀式として、精神的な糧となり民族のイデオロギーを保つ重要なアイテムであったろう。
太古、日本へ渡って来たユダヤ人もまた、そうしようとしたに違いない。
しかし日本には既に大きな文明の基盤を持った人々が先住しており、ユダヤ人は苦労の末にその中でも一大勢力として中央に座ることに成功したのだろう。
だが前述のように彼らユダヤの狡猾な戦略と戦術を用いても、多くの先住民が根付かせた伝統と歴史の重みを完全には払拭できなかったのだ。
それが現代に伝わる祭や習慣の中に多くのユダヤ的なものを見出しながら、同時にユダヤ的とは言い難い事柄が存在する理由であろう。
ユダヤ人にとっての約束の地とは、本当は中東ではなかったのかも知れない。
彼らは東洋の島国に真実の約束の地を見出し、そこで努力し成功を勝ち取り真実のエルサレムを築きあげてきたのだ。
私達の歴史とは古代の渡来人による主導権争いであり、最終的に最もユダヤ系渡来人がより多くの勝利を重ねた結果が、今日の状況なのである。
日ユの不思議な共通点は、記紀神話以前の古き時代から徐々に変質しながらも、醸し出されたものであり決して日ユの専売特許ではない。
それを生活や慣習の中に近代までより強く残したのがユダヤと日本であり、その基盤はより古い文明のカケラであったのだろう。
またそれが、世界の雛形とも呼ばれる日本列島で自然な形で保管されているのは、決して偶然では在り得ない。
聖書的な事柄がイスラエル世界では、強引な手法で残されている様に感じさせるのとは対照的である。やはりそこには、私達には想像の付かない何かのパワーが作用しているのかも知れない。
曲がりなりにも世界的な先進国として発展し、経済力でも軍事力でも一流の国を築いている日本人、しかし自分達の真実の歴史を知らず、自分達が何者であるかさえ知らない。
それが今日の日本人の頼りなさ、優柔不断さに繫がっているのかも知れないと感じる。
だがそれも裏を返せば、無類の柔軟性ともいえる。良い意味で、日本人は世界の民族の中で最も中道を歩む資質を持っているのである。
混迷の極みともいえる現代で、日本人の果たすべき役割は重い。
この時代に備えて、何者かが東洋の端に文明のエッセンスを集め、密かに保管してきたのかも知れない。もしかしたら、その何者かは『真実の神』であるのだろうか。(この連載は「日本とユダヤの不思議な関係」 より許可を得て編集・要約・解説しています)
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2011/10/20
Please bear all this in mind, if you will, in the momentous days which lie close at hand.
胸に手をあててよく憶えておいてほしい,我々の目の前に大きな出来事が差し迫っているということを。(故クリストファー・ストーリーと管理人の共同宣言)
神の御用としてクリストファー遺族への寄付としての振込みは一口3000円から有難く申し受けいたします。管理人口座へお振込みいただいた分は14日クリストファーへの口座にすべて移しました。なおクリストファー口座は寄付と言う神聖な行為なので神の御用として神父さまの厳正な管理下にあり管理人は引き出すことはできません。管理人とクリストファーの心の中の深い悲しみの光を理解される方のみ寄付ください。管理人が一人でまとめて寄付するのは簡単ですがそれでは意味がないのです。布施(ふせ)とは寄付と同じで布施をする際,受け手に対して恩を売るものであってはならない。もともと他人様を助け,世のため人のために尽くすということです。チャンチャラおかしいと言う方はどうかチャンチャラおかしくない人生を送ってください。こういう行為はあくまであなたの徳を積むかどうかの自由意志です。間違っても寄付してやるとか思っている方がおられるならば絶対にお止めください 。拝
スルガ銀行下田支店
普通2952838
クリストファー・ストーリー
皆様からのご誠意をお待ち申し上げます。
コメントをくださった方はメアドを残されております。新手の詐欺商法のメールが入るかもしれませんので決して開けないように。ナイジェリア詐欺団の日本語版ですので迷惑メールに登録しておいてください。管理人のメアドには一日20件〜50件くらい入っています。ここの管理人は悪を熟知しておりますので問題ありませんが他の方はご注意ください。
開けてはいけないのは「ハートステーション」「NPO法人・JLS支援会」「love@zak-i.com」「LOVE MAIL」「東十条仁」「高橋紀美子」「Angel Heart」「LoveLove」「Shields」「new-oshirase-receive」「info@9zzpty.infoなど4種類でinfo@で始まる」
これらはオレオレの振込み詐欺ではなく「振り込む詐欺」,つまり5000万円振り込むから25%の手数料を送れ。確認次第あなたの口座に振り込む........で,振り込んだら終わり。
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2011/10/19
3.11当時はアクセスが二日ほど32000,その後徐々に減り今は5000を割り込みました。大変好ましいことです。いずれ750くらいに収まればと期待しております。神の御用が最上段にあるせいでしょう。チャンチャラおかしいと思っている人はもちろんのこと『灯に群がる蛾』のような人も多くいるようです。コメントをくださった方はメアドを残されております。新手の詐欺商法のメールが入るかもしれませんので決して開けないように 。ナイジェリア詐欺団の日本語版ですので迷惑メールに登録しておいてください。管理人のメアドには一日20件〜50件くらい入っています。ここの管理人は悪を熟知しておりますので問題ありませんが他の方はご注意ください。
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ラサからカイラスまで
稲盛和夫氏の「君の思いは必ず実現する」財界研究所発行のことを過去ログで記事にしました。
生まれた時から仏門に入るまで,とくに最後はお釈迦様の六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵)の説明もある。漢字にはふり仮名がしてあり,有機化学と無機化学などの違いも丁寧に注釈してある。これ一冊で若い人は充分でしょう。ある方が自分の家を担保に入れてまでお金を工面し若いころの稲盛さんが会社を設立する際の資本金となった話は.......
『逃げ出さずにひたむきに努力と工夫を続けていると,ふと自分の背中を押してくれるものが必ずあるのです。 それこそが,みなさんの心の深いところにある良心から出た魂の叫びなのです。』とご本人が書かれているようにこれが「ヨブへの答え」にもあるパラクレート(助け主)なのです。慈光さんは言っています。『悪は正しい道への道しるべです』と。心が洗われますね。良心から出た魂の叫びとは全ての人に内在する神のことなのです。無財七施に反することばかりやっていると内なる神は弱くなりサタンが力をつけてくるということでしょうか。とくに忍辱(にんにく)とは他人の悪口や,批判,中傷などの苦難に耐え忍ぶこと。それに対して腹を立てたり,怒ったり,恨みを持たないこと。怒りが人間を支配してしまうと,えてして大きな間違いを起こしたりすると稲盛さんは言っていますが怒りが人間を支配する=内なる悪魔が騒ぎ出しその人を支配するは本当でしょうね。
ルシファー(魔王)に騙されて,天国から落ちた者たちもいた.....ルシファーはこう言って誘いをかけた。神はお前たちに善しか許さないが,わたしなら(芯まで嘘つきなので)善と悪の両方を楽しませてやれる。お前たちを心から愛する妻も与えよう。お前たちは互いに力を振るい,王侯や皇帝になる者もいるだろう。鳥で鳥を,獣で獣を狩ることも覚えるだろう。(カタリ派の祈りの言葉)(1)(グラハム・ハンコック著タリズマン上巻52ページ「善と悪が出会う場所」より。(管理人注:カタリ派は神と悪魔のCosmic Duality(二元論)をとる)
この写真は建国前のエルサレムにあるBab-es-Silsilehと呼ばれるものでHerod's Templeへの西の入り口の門である。反対側にある泉はベツレヘム近くのソロモン(管理人注:ソロモンはダビデとバテシバの間に生まれた二人目の子ども)の池からの水を水源とする。この門の左はダヴィデ街でありエルサレムで最もにぎわいをみせる。
重要な徴は『エノク書』における「人間の息子」の出現である。それより前にすでに『エゼキエル書』において「人間の息子」という呼び名がはじめて登場するし,ダニエル(紀元前165年頃)は「人間の息子の如きもの雲に乗りて来る」のを見ている。エノク書では「人間の息子」エノクはつねに正義をもたらす者として強調されている。「人間の息子」が天の世界で活躍することは,一方では神が人間になりたがっていることを意味すると同時に,他方では人間も神の世界に関与することができるということを示しているのである。
エノクはイエスの先駆的形態であり,神が人間になるというイメージに対する心理的欲求が次第に高まっていることを示すものであった。それはあたかも神がしきりに人間になりたがっているかのようであった。受肉の準備を意味する現象としてユングが注目したのは,ソフィアの想起と「人間の息子」(管理人注:エノク)の出現であった。(ヨブへの答え その3より)
ヨブへの答え その1・オリーブの木
ヨブへの答え その2・全能者よ,私に答えよ
ヨブへの答え その3・知恵の神ソフィア
ヨブへの答え その4・神の非道
ヨブへの答え その5・教会の原理と精霊の原理
稲盛和夫の言葉から
「人生はツイてないことばかりが続くものではありません。いいことと悪い事が,交代でやって来るのが人生です。だから,これからの社会を背負って立つ若いあなたは,つらいことがあってもくじけないでください。苦しいときの努力は必ず後に実を結び,あなたの人生を豊かにし,またあなた自身の人間性を高めてくれるはずです」
「苦しいことやつらいことがあれば,その状況から脱出したい,と思うのが人間です。でも,現実には逃げようと思っても逃げられないことのほうが多いのです。不運であろうとも,不遇であろうとも,それに耐えて明るく前向きに努力を続けるのが人生です。わたしの人生は,そうすることで夢が実現していきました」
「若いみなさんの中には,いま目の前の問題に取り組み,一生懸命頑張っているのに,なかなか成果がでない,という思いを抱いている人がたくさんいると思います。しかし,もうこれ以上は絶対にできないというほど必死の努力をしてみてごらんなさい 。そこまで頑張れば,必ず神様の贈りものと思えるようなすばらしいヒントが見つかったり,あなたの努力を認めて助けてくれる人が出てくるはずです」
「道端に生えている雑草,名も知れない草でも,必死で生きています。そうした草はアスファルトの割れ目であっても,日が強く差す夏の暑い日であっても,カンカン照りの煮えたぎるような中で,狭さや暑さににも負けずに花を咲かせ,種を残そうと必死になって生きています。雑草一本でさえ,苦しみに耐えて,生きているわけです」
「子供たちにとって一番大切なのは,学校で何を学ぶかということです。それは創造性であったり,努力であったり,さらには人間としての生き方であったりするのでしょう。そのようなことを考えてくれるすばらしい人たちとの出会いを見つけて,ぜひすばらしい人生を切り開いていってください」
「人生では能力よりも熱意と考え方のほうがずっと大事です。たとえ能力が劣っていても,一生懸命に努力を重ね,人々のために何かをしたいと考える人のほうが,能力に優れているものの,努力もせず,人間として誤った考え方をもった人よりずっといい結果が出ます。ちょっと能力が劣っているからといってあきらめてはいけません。ひたむきな努力と正しい考え方はきっとあなたを大きく育ててくれます」
ぼくが感動した中のひとつに稲盛さんの会社である大きな問題が発生したとき,ある高僧が稲盛さんに言った言葉です。「それはしょうがありませんな,稲盛さん。苦労するのは生きている証拠です。災難に遭うのは過去につくった業(ごう)が消えるときです。業が消えるのですから喜ぶべきです。どんな業があったのかわかりませんが,その程度のことで業が消えるならお祝いせんといかんですなあ」稲盛さんはなぐさめてもらえると思っていたら,意外なことを言われたと述べています。
最も感動したのは次の言葉です。「一生懸命努力を続け,悩み抜いた後には天の啓示がある。目標を定めて,それに向かって努力しているとき,人はどうしたらいいのか,あるいは自分は正しいのか,といったことを自問自答します。しかし,なかなか答えが見つからず,途方に暮れることがあります。それでも逃げ出さずにひたむきに努力と工夫を続けていると,ふと自分の背中を押してくれるものが必ずあるのです。それこそが,みなさんの心の深いところにある良心から出た魂の叫びなのです。
注:業(ごう)とは〜この世に生まれてくる前世での悪い行いのむくい。雑草がアスファルトを突き破り芽を出してくるのは無限少の力と無限大の時間をかけて這い上がってくるのでしょう。感動的です。
天竺から慈悲の光を読まれた方からメールが入りましたので独断と偏見でご紹介させていただくと同時のこの方へのメッセージもありますので。
達人様へ
差出人: XX XX (xxxxxxxxxxx)
送信日時: 2011年10月19日 7:40:52
宛先: 達人 (jameslee@hotmail.co.jp)
ブログを拝見しまして、管理人様の右足切断の心配がなくなったことを知り、本当に喜びでいっぱいです。この度の、インドで修行をなさっている比丘尼様のメールから、こんなにも素晴らしい事が起きるとは何と嬉しいことでしょう! 勇気や希望が湧いてくるようです。
あそこまでの方でなければ管理人様の心を捉えることはできなかったでしょうし、ブログを支えにする人達を助けることもできなかったでしょう。
いつか、今までどおりの自由な足で、管理人様が薄幸の子供たちのために尽力なされるのは本当に嬉しい事です。私は右手の障害者ですがやはり、自由な身体でないといざというときに何かと人に迷惑をかけてしまうのが現状です。
管理人様と比丘尼様のやりとりを読んで美しい心に触れ、打ち砕かれていた私の心が力を取り戻したように思います。つい最近、9月半ば過ぎですが、お金と云うものと人の心の恐ろしさというものを思い知るような出来事がありました。何でも、カネ、金、カネなんだ・・・とショックで4日間眠れない日々を過ごしました。地獄の沙汰も金次第とはよく言ったものだと思います。ひとつの友人関係がなくなりました。
比丘尼様の言葉を読んでいて涙が自分の中を洗い流してくれるとともに、もの凄く心強いものを感じました 。この方のような人が居てくだされば、この世界はなんとかなるという気持ちです。この方の存在が有難いのです。なぜなら、悪魔の論理で動く者たちはお金という万能の力を持って、無力な人を殺しにかかっており、自分はその前にはなんの力もないからです。
強い精神力を持つことが必要でも、今回の震災と原発事故で、身を守るにも実際に必要なのはお金なのか、という感が強くありました。でも、そんな馬鹿な事があるか、という想いも強くあり、管理人様の以前の記事の『ヨブへの答え』を思い出し、パラクレートの助けしかない、と思い至ったのです。
比丘尼様の言葉、『私たちは、つながり合っていますから、一人勝ちは、できません。自分だけ幸せになることは、無理です。周りの人たちと共に、一緒に幸せになっていく。『自他不二』ーーーあなたの幸せが、わたしの幸せです。』・・・何と素晴らしい言葉でしょう。
いつか、管理人様はこの方のところに行かれるのだと思いますが、その時私の感謝の気持ちも少しお役に立てられれば光栄なのですが、今度お金を作りましたら、管理人様の銀行口座に比丘尼様への喜捨と備考に書いて振込みますので、まったくほんの僅かだと思いますが何かの足しに使っていただきたいのです。まだ、今用立てている途中ですので、 何日になるかはわかりません。
私自身、こうしたことを調べるようになったのは、サラのような子供たちのこと、いわゆる貧困に喘ぐ虐げられた人々の事が気にかかって仕方がなく、自分に何ができるかわからないけれど、とにかくこの状態はおかしいし、異常だから先ず調べてみようという想いがきっかけでした。自分がこうした真実を知ることができたのは、世界中で貧しさに苦しむ人々のおかげでした。
管理人様と比丘尼様とに助けられた人は多いと思います。比丘尼様にも伝わるでしょうか?
お二人に心からの感謝を込めて
XXXXさま
以前一度メールいただきまして今度は二度目ですね。管理人はまだ天竺(印度)へ行くことを決めたわけではありません。比丘尼さんが天竺のある場所で天命が整いしだい管理人などの後方部隊が支援をしていきたい,という考えです。管理人のような酔っ払いの変なおじさんが行ったらたいへんでしょうからね。
ところで喜捨いただけるとのことですがお釈迦様の「無財七施」の中に「愛語施」というのがございます。布施はお金や品物がなくても出来るのですよ。それは思いやりのこもった暖かい心をかけることで充分なのです。前の記事でもそういう方々のコメントがありましたね。あれはみな「愛語施」です。ですから今回はその暖かいお言葉だけ頂戴しておきますのでどうぞご理解していただきたいと思います。
>ショックで四日間眠れませんでした.....
これも無財七施の一つ.....
忍辱(にんにく) とは他人の悪口や,批判,中傷などの苦難に耐え忍ぶこと。それに対して腹を立てたり,怒ったり,恨みを持たないこと。怒りが人間を支配してしまうと,えてして大きな間違いを起こしたりすると稲盛さんは言っています。
>比丘尼様にも伝わるでしょうか?
もちろん,ここのブログをご覧になっていますから伝わりますよ。
管理人拝
山口百恵さんの確か「青い時」という本でしたか,随分前に読んだことがあります。百恵さんが有名になるとつきまとい金をせびる義父を3500万円払って「親子の縁を切った」場面では喝采を送りました。百恵さんのような方は別にして『名もない市井の方々にも数え切れないドラマがある』のでしょう。
Kennington Road 2nd Floor Room287
愛の賛歌
天才の人たち.........この人たちの人生は幼い頃より尋常でない筋書きがあり極貧の悲痛な生活から情熱が生まれあのアスファルトを突き破って出てくる雑草のようにその悲痛を栄養にして這い上がってくるのです。もし,あなた達の今がどん底であったり絶望の淵にたっているとした場合,神に感謝するべきです。そういう機会を与えてくれたことを。後で振り返ると,あのときが夢だったんだと思える時がきっときますからね。
大河の源流は驚くほど小さな湧き水である。生きてゆく理由があるかぎりその一滴にも多くの価値がある。深い哀しみや孤独感は,単に呻き声をあげるだけでは癒されることはない。
本当の意味での孤独を知らなければいくら現象面から中心部を覗いてみても,あるのはただ澱んだ空気のみである。
人はそれを世間と呼ぶ。当人にとっての悲劇は他人にとって喜劇にしか写らない。怖いものを覗いて見るとそこには自信のない泣きそうな顔をした自分が写っています。
真理と存在の法
時間と空間そして沈黙
プロレス神父に小学生が会っていた。
釈迦のさとった法は、釈迦のドグマではない。「仏がこの世に出ても、出てこなくとも変わりのない法」と経典にあるように、「世間の実相」「世界の真理」であるというのが釈迦がみずからの所信であり、仏教の主張である。この「法」(=真理) とは、縁起の理である。空海は存在とは関係であり現象として起きるすべてのものが真実であるといった。空海が天竺におられた時,弟子が空海に質問した。「不老長寿の薬はございますでしょうか?」....空海曰く,作って進ぜよう,ただしみなが近所の家をくまなく回り一人の死者も出なかった家があったら作ってあげよう,と言いその後評判を聞き多くの弟子たち集まってきたという。
上の写真は1983年2月12日プーラン・デヴィが投降した写真です。(女盗賊プーラン下巻より)プーラン・デヴィは言います。「ある意味では,みな,怯えながら生きているのだった。だから脅しが一番効く。相手が暴力に頼るなら,こちらも暴力的になればいい」, と。そして言う。「ものごとがよくわかった人たち,読み書きができて,英語がしゃべれる人たちに,わたしは法廷で哂われていた。彼らに比べれば,わたしは獣に等しかった。同じカーストの貧しい人たちがみなそうであるように,わからないことにぶつかるとただ驚き,怯えるだけだった。怖いこと,信じられないことから,ひたすら逃げて身を守ろうとする。無知というのは,飢餓と同じくらい残酷なことだと,わたしはこのとき思い知ったのだ」,と。
視点の転換の自由は、精神の自由の現れである。そのどちらが正しいかではなく、視点の転換の自由こそが、
現実の全体の把握を可能にし、精神の独立を保証するだろう。
「夕陽妄語」加藤周一。1996・10・23、朝日夕刊
足が良くなったら中村元や鈴木大拙の全集に取り組んでいきたい。約6年かけて........天竺へ行くかどうか決めるのはその後.......梵語(サンスクリット語)も勉強しなくてはならないし(汗)
最近大学での試験問題を事前に公開しノート持ち込みを許可している形式が増えております。日本大学文理学部などもそうです。 これは知識のコントロールではなく学生に考えさせる習慣を身につけさせるには必要なことです。
モーゼゆかりのMount.NEBOのサンセット
ヨルダンのネボ山
申命記の最後の章によると、ネボ山は、神がイスラエルの民に与えられた約束の地を、ヘブライ人の預言者モーセに眺望させた場所とされる。「モーセはモアブの草原からネボ山、エリコに向かい合わせのピスガ (Pisgah) の頂に登った。」(申命記34章1節)
ユダヤ教とキリスト教の伝承によれば、モーセは神によってこの山に埋葬されたが、モーセの永眠の地は不明である。学者は、現在ネボ山として知られているこの山が、モーセ五書に示された山と同じであるかどうか議論を続けている(Wiki)。しかしモーゼの墓は存在する。聖職者が触れたがらないことの一つでもある。
ニーベルンゲンの指輪 その7参照
2006年の過去ログで書いた記事をご紹介しましょう。
2006/5/25
「ふらんす迷い路 7」
生きることと考えること
森有正との対話
もし他人の内面生活を覗き見る興味からこの本を手にする人がもしいたとしたら,おそらく失望するでしょう。私小説的な自己告発とは別の動機,つまり思想的動機のみがあるのです。
日本ですでに自己形成を完了した私が,ヨーロッパにあってどういうふうに生きてゆくか,ということだけであって,それ以外ではなかったのです。崩壊の瀬戸際に立つかもしれないような歩みは,むしろ現在はじまりつつある。そういう感じが強くしています。
恋愛について
日本人の経験というものは,分析が本当の個人意識まで絶対に下がっていかないのです。最後のところに「親子」の関係とか,「夫婦」の関係とか,「家族」の関係とか,[友人」の付き合いとか,義理とか,そういうようなものが網の目のようにその中に張りめぐらされてある。
だから少なくとも二人の人間で一つの個性というと具合がわるいが,一つの単位を構成しているというところが出てくる。その場合に,自分の個を貫くために,その結びつきを破るかというと,日本人は破らない。それが日本人の根本的な長所であり,また欠点だと思うのです。
個人意識が大事だということは,最後のところになると親子,夫婦,師弟というふうな結びつきが破れて,それが個々に分離していくところにある。ヨーロッパのばあいは,あるばあいには,ほんとうに親も離れ,先生も離れ,国も離れ,社会も離れ,なにもかも離れて,自分一人になってしまうという経験が,事実そこまで行ってしまうのです。
夫婦でも日本みたいに融合しない。親子でももちろん融合しないし,師弟も融合しない。親は自分の責任を尽くして生きてきたのだから,あとから来た子供は,その子供自身の生活なのだから,その生活を自分で営んで,またその次に出てくる子供から離れて一人で死んでいくわけです。そうであるからこそ,ヨーロッパには本当の恋愛が可能なのです。
日本人には本当の恋愛が非常に少ないということです。すぐに親がでてくる。すぐに先生がでてくる。ことに,すぐ友人がでてくる。そのために本当の恋愛は日本では成立しない。恋愛は男の個と女の個との関係です。ですから,孤独ということがなかったら恋愛なぞ,絶対にありえないのです。孤独において成立したもの以外は,多かれ少なかれ,みんな仲人口です。究極において個を貫けないという要素によるものです。
試験制度
学士になるとか,国家試験などでも,一年前に、試験の範囲が報告されます。 例えば,フランス文学史の17世紀なら17世紀を勉強してこいとか,どういう著者を勉強してこいとかの指示があります。そういうやり方を通して,単に知識をコントロールするのではなく,試験を準備させることによってその人に勉強させるというやり方をとっている。
中学校などでも哲学が必須で徹底している。デカルト,パスカル,カント,ハイデッカーなど学校用のテキストを正確に読んでおかなくてはいけないわけです。
以上は本の中から抜粋し編集したものです。
雪の巴里。ひろやまがたさく。
辻邦夫さんなど多くの仏文学者達が森さんを師と仰ぎ畏敬の念をもって集まりました。森さんの言いたいことは「大事なのは,ある人がほんとうに自分の立脚地をおくことができる世界を,自分の中に築き上げていくこと」それが全てです。
1911年 東京に生まれる
1938年 東京大學仏文科卒
東京大學助教授を経て
パリ大學・東洋語学校講師
著書に 「パスカルの方法」「デカルトからパスカルへ」
「内村鑑三」「遥かなノートルダム」「木々は
光を浴びて」「砂漠に向かって」「遠ざかる
ノートルダム」「バビロンの流れのほとりにて」
「旅の空の下で」その他多数
訳書に アラン「わが思索のあと」リルケ「フィレンツェ
日記」など多数。
邪教を信ずる者は救われない 。
↑ 新興宗教の発生形態
通常の既成宗教の場合、まず教え(教典・教義)が先にあって、それを人々への救済理念として形成されました。
しかし新興宗教の場合はある意味この逆で、まずは教祖となる人物が神や仏の啓示を受けたと自称し(いわゆる神懸かり)、その人物をカリスマと崇(あが)めながら何年か経って教義らしきものを作って体系化し、教団組織の体制を整えていくのが一般的です。
ある本によると、今どきの新興宗教は、
・カリスマ的人間を仕立て上げる
・人間心理の弱点を脅(おど)す
・弱者の論理にあくまでも迎合し、なぐさめる
・現世利益をうたう
・超能力現象を見せる(手品でよい)
というような感じで出来上がるそうです。これは実際に、東京都下で勢力を伸ばしている中堅教団の教祖がその本の著者に、教団を開設するに当たっての信条を語った本音です。
新興宗教とは、所詮はこういうものなのです。(管理人注:こういうところが霊園もやっていてカードを入れるとくるくるお墓が出てくる仕組み。遺骨は倉庫に山積みされている。
超能力現象を見せる(手品でよい)の典型サイババのビバーチェ(聖灰)。手品であることがばれた。4000億円稼いだそうだ。船井幸雄は泳いでいる金魚を止めた。これも静電気で止める手品。とくに1970年代カーター政権時議会で承認されたグローバル2000(人類皆殺し政策)等をぼかすのが目的であった(黒幕はブレジンスキー)。三輪明宏が天草四郎が自分を見て笑った手品で騙された。
千日回峰などの荒行もありますが三日三晩不眠不休で座禅を組むという修行 はかつてテレビで紹介されたことがあった。修行が終了すると素うどんが振舞われる。その時の若き修行僧の喜びの顔が忘れられない。
不眠不休の座禅
↑ 釈尊降誕会[しゃくそんごうたんえ](4月8日)
仏教の開祖釈尊(お釈迦さま)の誕生を祝う日です。「仏生会」「仏誕会」「潅仏会」とも呼ばれるこの法会は、一般に「花まつり」として親しまれています。
釈尊は紀元前5・6世紀(約2500年昔)の4月8日に、釈迦族の王子(悉多太子)として生まれました。『太子瑞応本起経』や『仏所行讃』等の仏伝によりますと、兜率天という天上界から、白象となって母マーヤ夫人の胎内に入り、受胎したといわれています。また臨月のマーヤ夫人は、出産のため実家に帰る途中、清らかな池や美しい花が咲き乱れているルンビニー園に立ち寄り、無憂樹の花をとろうとしたとき、太子が右脇から安らかに誕生したと伝えられていることから、「降誕会」ともいわれる所以です。
誕生した太子は堂々と7歩進み、右手で天上を、左手で大地を指さして(管理人注 :これを真似したのがAs Above,So Belowのバフォメットでダビデのみが独り尊しとはき違え。)「天上天下唯我独尊」(天上にも天下にもただ我のみ独り尊し)と叫んだともいわれています。この言葉は釈尊だけが尊いという意味ではなく、すべての人間存在が尊いという仏教の基本的立場を宣言したものです。
また、太子の誕生を祝福するかのように、天から冷暖の雨が太子の頭を濡らしたと伝えられることから、「潅仏会」ともいわれていますが、寺院で花御堂を設け、誕生仏に甘茶で潅仏する「花まつり」は、これに由来するものです。
『日本書紀』や『続日本後紀』によりますと、わが国では推古天皇14年(606)に飛鳥の元興寺で行われたのが最初で、平安時代の承和7年(840)には宮中の清涼殿で催され、以後一般寺院にも普及し、さかんに行われるようになりました。
精霊祭[しょうれいさい](7月初旬)
過去一年間に亡くなられた、学園関係者の魂を迎え、供養する日です。「盂蘭盆会」「盆まつり」「お盆」「魂まつり」とも呼ばれています。
盂蘭盆は『仏説盂蘭盆経』によりますと、釈尊の十大弟子の一人で、神通第一とうたわれた目連尊者が、その神通力によって、母親が餓鬼道におちて苦しんでいるのを知り、釈尊に母親を救済する方法を尋ねました。釈尊は自恣(夏安居―4月16日から3ヶ月間一ヶ所で集団生活し、修行に専念すること―が終った日の反省批判会)の日である7月15日に、百味の飲食と五果(五種類の果実)などを供え、十方の衆僧を供養せよとさとされました。目連は教えにしたがって、衆僧を供養する盂蘭盆会を行い、母親を餓鬼道から救うことができたとある故事に基づいています。また、これは衆僧を供養する功徳によって、亡くなった人の魂を救済することを意味しています。
中国では6世紀から行われ、初唐ころにはさかんに営まれたようです。わが国では『日本書紀』によりますと、推古天皇14年(606)7月15日に斎を設けたのが最初ですが、斉明天皇3年(657)元興寺の西に須弥山の像を作り、盂蘭盆会を営んでから、本格的に行われるようになりました。ただ地方によっては農耕の都合で、8月15日に営むところもあります。また、盂蘭盆の法会とあわせて、盆踊りも年中行事の一つとしてさかんに行われています。
御征忌[ごしょうき](10月12日〜15日)・太祖降誕会[たいそごうたんえ](11月21日)
御征忌は總持寺御開山太祖常済大師(瑩山紹瑾)のご命日の法要、また、太祖降誕会は同じく誕生を祝う法要です。瑩山禅師(1268〜1325)の伝記は自ら著わされた『洞谷記』をはじめ、十余部が知られています。これらによりますと、禅師は文永5年(1268)10月8日(太陽暦では11月21日)越前多禰邑(現福井県越前市)に生まれました。8歳で永平寺に登り、13歳で孤雲懐弉(1198〜1280)について得度し、懐弉没後は徹通義介(1219〜1309)について坐禅修行に努めています。18歳から22歳まで諸国を行脚し、宝慶寺寂円(?〜1299)や、円尓弁円(1202〜1280)の弟子等に学び、さらに比叡山で天台学も研究しています。
その後城満寺(徳島県)の開山として招かれましたが、正安元年(1299)32歳のとき、大乗寺(金沢市)の義介にふたたび随侍することになりました。義介は禅師に対し「平常心是道」についてその見解を尋ねますと、「平常心の道は知と不知とにかかわらない」「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」と簡明に答えました。義介はただちに印可証明(修行が大成したことを認可証明すること)を与えましたので、禅師はその法を嗣ぎました。
35歳のとき義介のあとをうけ、大乗寺二世となりましたが、このころ峨山韶碩(1275〜1365)や明峰素哲(1277〜1350)などの門弟もでき、大乗寺を中心とする禅院の修行規則を定めるなど、宗門発展の基礎が整いました。
文保元年(1317)50歳のとき、永光寺(石川県羽咋市)に移り、民衆教化に努めましたが、54歳になって定賢律師の招請をうけ、諸嶽寺におもむき、これを禅寺に改め、諸嶽山總持寺を開創されました。その間、後醍醐天皇の十種の質問に回答し、その功によって總持寺を日本曹洞出世の道場となすという綸旨を下賜されたと伝えています。
晩年には永光寺に帰り、正中2年(1325)8月15日(太陽暦では9月29日)に58歳で入滅していますが、著書は多く、曹洞宗の法脈が正しく伝承されていることを明らかにした『伝光録』をはじめ『總持寺中興縁起』『坐禅用心記』『瑩山禅師清規』などがあります。また門弟も60余名を数えることができ、その法流は日本全土におよんでいます。
總持寺では毎年10月12日から15日まで御征忌を営み、曹洞宗教団発展の基礎を確立した禅師の遺徳を顕彰し、しのんでいます。
また、本学では御征忌の法要への参列を行うとともに、太祖降誕会の11月21日を開学記念日と定め、さらに、あらかじめ誕生を祝う法要を行っています。
成道会[じょうどうえ](12月8日)
釈尊が悟りをひらき、仏陀(覚者=真実に目覚めた人)になられた日で、「臘八会」とも呼ばれています。
釈尊は29歳で出家し、6年にもわたる苦行をかさねましたが、無益であることがわかり、断食を放棄しました。そして川で沐浴したのち、村娘スジャーターが捧げた乳粥により体力を回復し、菩提樹の下に坐って瞑想にふけり、12月8日の未明に大悟されました。ときに35歳でした。悟りの内容は縁起(因縁生起=縁によって生ずること)の理であったといわれています。
因縁生起=縁起とは
↑ 「仏教における縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)は、仏教の根幹をなす思想の一つで、世界の一切は直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って生滅変化しているという考え方を指す。縁起の語は「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は結果を生じさせる直接の原因、「縁」はそれを助ける外的な条件のことである。
ある結果が生じる時には、主な原因だけではなく、それ以外の様々な原因や副次的な原因を含めて、あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。 なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。」(管理人注 :空海のいう,存在とは関係であると言ったことは縁起を指す。)
また、釈尊が禅定・瞑想によって大悟されたことから、禅宗では とりわけ重視すると同時に、12月1日から8日の払暁にかけて、不眠不休の坐禅修行が行われます。これを「臘八摂心」又は「臘八大摂心」 と呼んでおります。
成道会の起源は明らかではありませんが、唐・百丈懐海(749〜814)が著わした『百丈清規』にその記述がみえます。わが国では『延喜式』により、奈良西大寺の成道会がその最初とされていますが、『永平広録』によりますと、道元禅師は宋から帰国後、一時留まっていた建仁寺を去り、深草の安養院(京都市伏見区)に移られた寛喜2年(1230)ころ、はじめて営まれたことがわかります。それ以来、曹洞宗では広く行われています。(注:出家された天竺の比丘尼さんも当然こういう荒行を経ていると思われます。)
涅槃会[ねはんえ](2月15日)
釈尊が入滅された日です。「降誕会」「成道会」とともに「三仏忌」あるいは「三大会」といわれ、特に重んじられています。
釈尊は35歳で成道し、45年間にわたって、人間の苦悩を解決するための正しいあり方を説き続けました。80歳の釈尊は老先が短いのを自覚し、故郷へ向かいましたが、クシナガラ で弟子たちから最後の質問をうけたあと、東西南北にある四双八隻(二本ずつ八本)のサーラの樹(沙羅双樹)の間に横たわり、涅槃(死)を迎えます。
パリニッバーナ寺院(クシナガラ)の涅槃仏
涅槃は「煩悩が吹き消された状態」という意味ですが、釈尊入滅の模様については、有明の月が輝き、しだいに白みかけてきたころ、仏の身体と衣は次第に金色に染まり、海の潮がひきはじめた暁、静かに最後の息をひきとられたと伝えられています。また『大パリニッバーナ経』によりますと、沙羅双樹は時ならぬ花を咲かせ、天の曼荼羅華とともに、供養のために釈尊の身体いっぱいに花びらを降り注いだといわれています。『平家物語』の「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を現わす」はこの伝説に基づいています。
インドや中国では早くから行われていたことが、唐・玄奘(602〜664)の『大唐西域記』や道宣(596〜667)の『広弘明集』に記されており、『百丈清規』には当日『遺教経』(釈尊最後の説法)を読むべきであるとしています。
わが国では奈良時代に興福寺で「常楽会」という名称で営まれたのが最初とされていますが、その後源信(942〜1017)や明恵(1173〜1232)の『涅槃講式』などに基づいて修されるようになり、室町時代から江戸時代にかけて広く行われ、年中行事の一つとなりました。』
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