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参院自民党役員人事の内幕:その5

2011年10月23日:パート2

 参院自民党の「内輪もめ」は、決着した。 このタイミングで、役員人事の内幕を書くことについては、いろいろと批判もあるだろう。 同僚議員や友人からも、 「いつまでもこだわっているのは、山本一太らしくない!」「もっとポジティブな方向に目を向けて欲しい!」と叱られている。 「一太さんのブログの影響は大きい。自民党のイメージを上げるような発信をしてもらえないか!」「その攻撃力を民主党に向けて欲しい!」とも言われる。 「ここまで書いて、他の議員との関係は大丈夫ですか?」などと心配してくれるひともいる。

 でも、自分は、参院自民党の現状を多くの人に知って欲しいと思っている。 特に、今度の役員人事の顛末は、どうしても発信したい。 自分自身への戒めという意味でも、ここに残しておきたい。
 
 どんな反発があろうと、人間関係が壊れようと、決めたことは、必ずやる! その結果、生じるマイナスは、全て受け入れる。 思ったことをストレートに言えないなら、政治家をやっている意味がない。 だいいち、内幕なんて言っても、肝心なことは書かない。(笑) 感情的にもなっていない。 冷静に、戦略的に、「内幕シリーズ」を書き進める。

 2年後の参院選挙までに、どこかで、反転攻勢のキッカケを掴まねばならない。 そうじゃなかったら、「予知夢」(惨敗のシナリオ)のとおりになってしまう。 中曽根会長も、新しい参院自民党を目指した自分たちも、次は絶対に負けられない。 2度と同じ過ちを繰り返さないためにも、失敗の原因をきちっと検証し、その教訓を全員で共有しておく必要がある。 
   
 さて、今回の役員人事騒動で、中曽根陣営(=改革派)が完全敗北した2つ目の理由。 それは、中曽根議員会長の決断が遅れたことだ。 過去のブログにも、次のような意味のことを書いた。 「決断力はリーダーにとって最も大事な資質だ。しかも、決断にはタイミングがある。1日遅れれば、それだけ価値が下がる。相手陣営には差し込まれ、回りには疑心暗鬼を生み、誰が本当の味方なのかを見失う」と。 

 「どちらにせよ、早く決断したほうがいいと思います。相手陣営が、中曽根会長は優柔不断だ。これじゃあ、議員会長も務まらないなどと触れ回っています!」 中曽根会長には、何度もそう申し上げた。 が、もっと強く中曽根会長の素早い決断を促すべきだった。 近くにいた自分にも責任がある。 参院自民党の特別総会で、中曽根会長が提案した「現執行部留任」に異論が噴出し、結論を持ち越した。 次の総会で新たな人事案を提案するまで、何と1ヶ月もかかったのだ。(ため息)

 参院3役の任期切れが近づく中、3派の人々から、「小坂幹事長の続投だけは認められない」というサインが、何度も送られて来ていた。 某新聞が、「中曽根氏が現執行部の続投方針を固めた」(本人からは何も言われなかったのに?)と報じると、3派からの圧力はさらに強まった。

 現執行部の留任という人事案が通らず、膠着状態に陥った後も、3派の主張は「小坂幹事長の交代」に絞られていた。 他の役職を変えろという声はなかった。 ましてや、「次の幹事長をこの人にしろ!」みたいな要求も出ていなかった。 ポスト目当ての動きだったと批判されることにも、警戒感を持っていた気がする。

 ところが、中曽根会長の決断が遅れる中で、各派閥の「ポストへの欲望」(=勢力拡大の欲求)が、頭をもたげて来た。 いつまで待っても何の結論も出て来ないことに業を煮やした3派が、派閥間の接触を活発化させた。 その結果、中曽根会長の発言の言葉尻を捉える形で(?)、3派の側から溝手顕正氏(現幹事長)を後任に推す動きが表面化する。 最初は、新聞の観測記事だったが、あっという間にエスカレートし、露骨な要求に変わった。 これが、正確な流れだろう。

 今回の役員人事の結果を見て、つくづく思う。 終わってみれば、幹事長ポストはもちろん、他の重要な役職も、ほとんど3派の要求を呑まざる得なかった。 中曽根会長がもっと早く決断していれば、(小坂幹事長の続投は難しかったとしても)後任の幹事長を自分自身で決め、他の役職は全て守ることが出来たはずだ、と。(ため息)

 あ、韓国ドラマ「イ・サン」が始まった。 次回のブログに続く。


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まだ目覚めない朝

2011年10月23日

 午前5時。 東京の部屋。 シャワーを浴びたが、半分、頭は寝たままだ。 熱い紅茶(苦い紅茶)で、目を覚まさないと。 これから早朝の新幹線に乗る。 午前8時過ぎに群馬県上野村で開催されるサイクリング大会(第1回上野村ヒルクライム)の開会式でスターターを務めるためだ。 そう、これでも、群馬県サイクリング協会の会長なのだ。

 昼過ぎからは、高崎で「大事な結婚式」がある。 新郎・新婦に心を込めた「最高の祝辞」をプレゼントしたい。

 あ、お湯が沸いた。

追伸:吉田拓郎の「人生を語らず」を聴きたい気分だ。 


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参院自民党役員人事の内幕:その4

2011年10月22日:パート3

 食休みも兼ねて、その4を書く。 終わったら、走る。 昨晩は寒くて目が覚めた。 それとも、体調が悪かったのかなあ。 体温計で測ったら、体温が平熱よりかなり下がっていた。(ブルブル) 急いで温かいお風呂に入り、もう一度、布団に潜り込んだ。 

 さて、今回の参院役員人事をめぐる対決で、中曽根陣営が敗北した理由は2つあると思う。 ひとつは、中曽根会長が小坂憲次氏を幹事長に任命したことに対する参院自民党内の反発の深さ、違和感の強さを、前執行部が過小評価していたこと。 もうひとつは、(申し訳ないが)中曽根議員会長の決断が遅れたことだ。 将来、改革派がどこかで反撃に転じるためにも、この2つの教訓は、胸に刻んでおく必要があると思う。

 今回の役員人事騒動で、3派が公に主張していたのは、「小坂幹事長の交代」という1点だった。 その理由は、「衆院から転身したばかりの小坂氏が、いきなり幹事長になるというのはおかしい。他にも参院自民党でキャリアを積んで来たひとがいるではないか!」というものだった。

 もちろん、自分は、中曽根会長の「現執行部の続投」という方針を嬉しく思っていた。 3役(幹事長、政審会長、国対委員長)はそれぞれ違うタイプながら、うまくマッチしていた。 前の執行部に比べて、参院自民党の発信力も倍加していた。 この体制を続けるのが、参院自民党にとってベストの選択肢だと信じていた。 小坂幹事長は、参院政審のランクアップのためにも、様々な後押しをしてくれた。 そのことは、今でも感謝している。

 反面、スゴく正直に言って、3派の主張は「全くの筋違いだ」とも思っていなかった。 反執行部派は、「衆院からの転身組を登用すべきでない!」とは言っていなかった。 彼らの言わんとするところは、「衆院から来たばかりの小坂氏を、いきなり参院自民党の顔である幹事長にすること自体に無理があった。1年もやったのだから、参院で苦労して来た他のひとに譲って、自ら降りるべきだ」ということだった。 もし中曽根会長が、同じ抜擢でも、小坂氏を幹事長ではなく、政審会長、あるいは副会長、議員運営委員長のようなポストに任命していたとしたら、こんな反発は起こらなかっただろう。

 今から1年前、中曽根会長から「幹事長は小坂氏にお願いするつもりだ」と告げられた時、実は自分も戸惑いを感じた。 以前から、あちこちでこう発言していたからだ。 「参院は衆院の落ち葉拾いの組織ではない!リサイクルの府でもない!本当に能力のある人、将来性のある前議員ならともかく、衆院落選組を軽々に参院の候補者として立てるのは反対だ!」と。 

 中曽根会長には、率直にこう申し上げた。 「小坂さんは閣僚も経験された立派な方だと思います。議員会長選挙でも一緒に戦いました。が、少し前に衆院の小選挙区で落選して、参院の比例で政界に復帰したばかりのひとです。その小坂氏を他のポストならいざ知らず、参院自民党の中枢である幹事長に持って来るというのは、ずっと参院で頑張って来た私にも違和感があります。参院内部でも、かなり強い反発が起こると思います。」 失礼だったが、同じことを、小坂氏本人にも話した。 いつも言っているように、陰でコソコソ言うのは嫌なのだ。 加えて、この人事は、「幹事長は選挙の強い政治家でなければならない」という山本一太の持論とも矛盾していた。

 黙って頷いていた中曽根会長が、噛み締めるように言った。 「一太さんの言うことはよく分かります。いろいろな人から同じことを指摘されました。でも、批判や反発は全て覚悟して、私が幹事長になっていただこうと決めたんです!」 会長がそこまでの気持ちで決めたのなら、異論を差し挟む余地はない。 少し間を置いて、「分かりました」と答えた。 振り返ってみれば、参院自民党の内紛の火種は、もうこの時点から始まっていた。

 3派の議員たちは、少し大袈裟に言うと、選挙に敗れた翌日から(1年後の役員改選を視野に入れて)「反撃の準備」を始めていた。 新執行部のパフォーマンスを観察しながら、半年前には小坂幹事長にターゲットを絞っていたのだ。 その動きをキャッチ出来なかったのは、執行部全体の責任だ。 主戦場となった参院で、「目に見える成果」を上げようと血眼になっていた。 過去のブログにも書いたが、ひとりひとりが主役である仲間たちへの配慮が、十分に出来ていなかった。(反省)

 後で考えてみると、1年後に小坂幹事長が再任されるためには、次の2つのどちらかをやるしかなかった。 ひとつの方法は、小坂幹事長と反執行部派の溝を埋めるために、不断にコミュニケーションの努力を重ねることだ。 この点に関しては、小坂氏個人というより、執行部全員で取り組む必要があった。 

 もうひとつの道は、小坂幹事長自身に、「衆院から来てスグになったなんて関係ない。余人をもって代え難い!」「小坂幹事長にどうしても残って欲しい。そうじゃないと、参院自民党全体の戦闘力が低下する!」と(多くの仲間から)思われるような「圧倒的な存在感」を示してもらうことだった。 残念ながら、上記の2つとも達成出来なかった。

 あ、お湯が沸いた。 ほうじ茶をもう一杯飲んで、それから運動する。

 
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参院自民党役員人事の内幕:その3

2011年10月22日:パート2

 「一太さん!なぜ、参院自民党の役員ポストにそこまで執着したんですか?いつまでゴチャゴチャ言うのは、山本一太らしくないじゃないですか!」 こういうことを言う人々は、参院自民党改革に対する自分の思い入れの深さを理解していない。 10数年に渡る孤独な戦いの歴史を知らない。 

 新しく参院に入って来たひとたちは、派閥と長老に完全に支配され、自由でオープンな議論もなく、個々の議員が発言と行動の自由を奪われて個性(=発信力)を喪失し、選挙の度に議席を減らして来た「参院自民党の暗黒時代」を経験していない。 16年前に参院議員としてデビューした数ヶ月後に行われた自民党総裁選挙で村上正邦幹事長(当時)と衝突した。 そこでボタンをかけ違って以来、参議院議員・山本一太はずっと参院の非主流派として、旧来の政治手法と古い政治文化に異を唱えて来た。 参院の2大実力者だった村上氏と青木氏に、真っ向から逆らい続けて来た。 

 村上氏も、青木氏も、今、考えると、スゴい政治家だった。 が、彼らの考え方は時代に逆行していると思っていた。 「こんなことをやっていると、自民党は滅びる!」と公言していた。 村上時代も、青木時代も、非公式な場では、「あなたの言うことは正しい!」という議員はいた。 が、しかし、公然とこの2人を批判する議員は、自分以外にはいなかった。 いつも、たった1人だった。 世耕弘成という「恐るべき政治家」が山本一太の影響で不良になり(笑)、参院自民党を変えるための戦列に加わってくれたのは、つい、4、5年前のことだ。

 異端児扱いされながらも、参院の主流派に頭を下げなかったのだ。 当然、政府や院、党の役職は最後に回された。 派閥の会長には、目の前で「出て行け!」と罵倒された。 実力者の茶坊主たちとは、何回も大ゲンカをした。 信義に厚い安倍総理が何度か山本一太の抜擢を試みたが、その度に派閥の長老や青木氏に阻まれた。 それでも、(重要ポストには縁がなかったが)恐らく他の参院議員の誰よりも、のびのびと、生き生きと政治活動を続け、ここまで生き残った。 つまらない政治家にならなくてよかった。 心からそう思っている。

 ある時から、参院改革は政治家としての使命だと感じるようになった。 当時、所属していた派閥の先輩議員から、「いっちゃんなあ。君なんて、まだ若いんだから。少し大人しくして派閥の事務局長をやっていれば、うちの派閥が主流派になった時に、参院からの官房副長官になれるよ。自重しなさい!」とアドバイスされた。 が、従わなかった。 ある意味で言うと、この16年間、参院自民党を変えるために、全てのポストを犠牲にして持論を貫いて来たと言う言い方も出来なくはない。 

 様々な失敗を繰り返しながら、それでもあきらめなかった。 じっと「反転攻勢」のチャンスをうかがっていた。 すると、苦節15年目(笑)にして、「千載一隅の機会」が訪れた。 政権交代への幻滅が広がって、野党自民党が参院選挙で復調し、最も国民の感覚に近い18人の新人議員が誕生した。 その3年前には、西田昌司氏や丸川珠代氏を含む「独立心の強い参院自民党の新人類」も出現していた。 参院選挙が終わり、主戦場になった参院で自民党が変わらねばならないという機運も、盛り上がっていた。 そこに、議員会長の任期が切れるというタイミングが重なったのだ。

 「参院のリーダーを決めるためのオープンな選挙をやるべきだ。派閥談合で決めたら、自民党は今度こそ、国民から見放されてしまう!」 同じ危機感を持つ5人の同志と、派閥連合を打ち破るための候補者探しを始めた。 その時、中曽根弘文氏から、1本の電話がかかって来た。 「一太さんたちの動きは聞いた。脱派閥、脱長老支配の参院自民党を変えるために、改革の先頭に立つ覚悟がある。私が立ちたい!」と。 そこで仲間を説得し、必死で中曽根氏の推薦人を集めた。 会長選挙はもう無我夢中だった。 絶対不利の前評判を覆して、中曽根候補が会長に選ばれた。 いわば、「小さな奇跡」だった。

 奇跡的に(?)誕生した中曽根新体制で、参院政策審議会長に任命された。 ハッキリ言うと、与党時代は、大臣待ちの「飾りポスト」だった。 その証拠に、総務会の執行役員でもなければ、役員会の正式メンバーでもなかった。 本部の政調の幹部としても、まともに位置づけられていなかった。 独自の記者会見もなかった。 マスコミ関係者は、誰もマークしていない役職だった。

 それでも、やっとのことで「参院自民党を変える」ための力を授かったのだ。 本気でやろうと思った。 「これまでの発想に囚われず、発信する新しい政審を作って欲しい!」という中曽根会長の言葉を胸に刻んだ。 参院政審という組織をランクアップするために、1年間、一生懸命、頑張った。 

 その結果、参院政審会長が、初めて自民党役員会の正式メンバーになった。 自民党10役会議の席も(かなり強引に)ゲットした。 総務会でも参院幹事長の隣に席を作ってもらった。 50回近くを数えた政審会長の定例記者会見は、参院幹事長会見より集まる記者の数が多くなった。 ニュースや記事になる頻度も、明らかに勝っていた。 記者クラブには、「政審会長」というランプが新設された。(笑) 画期的だったのは、参院政審会長が、自民党全体の政調会長代理を兼任することになったこと。 石破前政調会長との話し合いで、「参院先議の法案は、政審の了承がなければ政策会議に行かない」というルールも決めた。 このことで、政審の審議の重要性が飛躍的に高まった。

 1年経って、ようやく政審のポジション(存在感)を確立したという感触があった。 政審会長として、やらねばならないこと、やりたいことが山ほどあった。 2年後の戦いに向けて、参院自民党の発信力を高め、かつ個々の議員の発信をサポートするための具体的な戦略もあった。 自分が政審会長でなければ出来ないと思うプロジェクトも抱えていた。 政策発信に関しては、いわゆる3派の人々にも活躍してもらえるメカニズムを作る自信があった。 これから様々な政審のチームを立ち上げていくために、個々の議員の考え方や質問力も分析していた。 各委員会における自民党議員の質問内容のメモは、睡眠時間を削って読んでいた。

 「よし!あと2年あれば、これもあれも実現出来る!」 そう考えていた矢先に、1年前に(仲間と力を合わせて)死に物狂いで参院自民党のリーダーに押し上げた中曽根議員会長から、突然、「申し訳ないが、政審会長を外れて欲しい!」と言われたのだ。 しかも、その理由について、明確な説明はなかった。 そりゃあ、誰だって、ガッカリすると思う。(ため息X100) 

 10数年に渡る戦いを思い出して、ブログで「政審会長を続けたかった。初めてポストにこだわった」とつぶやいても、不思議はないでしょう?! 「辛かったし、悲しかった」という言葉が並んでも、そんなに我が侭じゃないでしょう?!

 あ、お湯が沸いた。 熱いほうじ茶を飲み、少し指を休めてから、ブログの続きを書く。     


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参院自民党役員人事の内幕:その2

2011年10月22日

 誤解のないように言っておく。 自分は、政審会長のポストを外されたことを怒っているのではない。 そこに至るプロセス、理由をちゃんと説明してもらえなかったことが悲しいのだ。 参院自民党の存在感を高めるための数々のプロジェクトを実行出来ないのが悔しいのだ。 そこにあるのは、「怒り」ではなく、「失望」や「落胆」の感情だ。

  胸に湧き上がって来る「激しい怒り」は、参院自民党の「先祖帰り」を阻めなかった自分自身の非力さ、古いシステムを強要しようとする前時代の遺物たちの横暴、時代の流れを読めない人々の感性の鈍さに向けられている。 でも、この「臥薪嘗胆」の部分は書かない。 悲しくて、辛かった部分だけ記録に残しておく。 そうじゃないと、インドの要人に怒られちゃうもの。

 先日も、地元の何人かの支持者に、こう言われた。 「一太さん、なんで中曽根議員会長の側を離れちゃったんだい?一番、苦しい時なのに!」「中曽根さんは、一太さんが応援して参院のリーダーになったんだろう?途中で役員を辞めるなんて無責任じゃないか!」と。 だから、こっちから辞めたんじゃなくて、クビになったんですってば!(笑) 

 以前のブログにも書いたが、ポストに留まるという「イバラの道」を選んだ中曽根議員会長のことは、これからも応援する。 何しろ、1年前に、同志と力を合わせて、中曽根氏を死に物狂いで会長の座に押し上げたのは自分なのだ。 しかも、同郷の尊敬すべき先輩でもある。 昨年の参院選挙(群馬地方区)では、山本一太陣営も総力を挙げて、同じ選挙区の中曽根会長(自民党公認候補)を支援した。 それより何より、中曽議員会長は、参院自民党の先祖がえりを止めるための「たったひとつの希望」だ。

 が、しかし、これからも(政治家として)中曽根会長と本気で付き合っていくためには、どこかで心の整理(ケジメ)をつけなければならない。 そうじゃないと、元の気持ちには戻れない。 だからこそ、今回の役員人事騒動に対する自分の思いを、冷静に(ギリギリまで)書かせてもらう。 陰でコソコソ言うのは嫌だし、「なぜ中曽根会長を近くで守らないのか?」と不思議がっている地元の一太ファンの人たちにも、ちゃんと説明する義務がある。 その代わり、言うべきことを言ったら、頭を切り替えて「新しいスタート」を切る。

 その前に熱い紅茶を、ストレートで飲む。 あいたた、ちょっと胃が痛い、な。(苦笑)


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