チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[30225] 【習作・短編】ロリババアの道程【ゴッドイーターバースト 女主人公ボイス14】
Name: 下劣畜生◆5da806bd ID:53ec0cbf
Date: 2011/10/22 09:29
自分の口調が同年代の少女達のそれと比べていささか以上に奇異なことぐらい、誰に言われるでもなくむろん彼女とて気付いている。
無知でも蒙昧でもましてや白痴でもないのだ、気付かないほうがおかしいだろう。自覚した上でなお、一向に改めようとせず彼女は今日まで振る舞ってきたのだ。
簡単なように見えて、これが存外難しい。胆力を要する。
初対面の相手は十中八九顔と口調のギャップに戸惑いぎょっとするし、ある種の変人だとレッテルを張られるのも避けられない。どうしても奇異な目で見られてしまう。
それを心配してか、時折面倒見のいい仕事仲間がそれとなくこの口調を改めるよう忠告してくれたりもしたものだ。

(あやつらは好意で言ってくれておるんじゃろうが、こればっかりはのう)

如何に世間の「普通」から外れていようが、彼女にとってはこれが地。キャラ作りだの何だのではなく、通常の喋り方、言うなれば本性なのである。それを態々矯正する苦労と、しばらくの間羞恥心と画一化への欲求に耐えること。どちらの方が精神の磨耗は少なくてすむか、天秤にかけた結果彼女は後者を選択した。
人間には慣れというたいへん便利で厄介な機能が生来備わっている。最初は違和感を覚える刺激でも、毎日繰り返し同様のものを浴びせられているとやがて感覚は鈍化し、ついには何も感じなくなる。それが当たり前のものとなる。
故に、彼女はしばらく耐えさえすればよいと踏んだ。予想通り、今ではもう誰も彼女の口調を気にかけない。むしろ今更普通の言葉使いをした日には、すわ天変地異の前触れかと腰を抜かすほど驚かれてしまおう。
それでもあえて欠点をあげんとするならただ一つ、こんな喋り方だと一定以上の関係になりたがる男はほぼ絶無ということか。
が、彼女にはそも男性と付き合いたいだとか結ばれたいだとか、その手の願望が絶望的に欠落していたため、本人にしてみれば全くの無問題。気楽なものである。
お陰で彼女は今や、何ら気負う所の無い悠々自適とした日々を送れているというわけだ。

(うむ、安気安気。やはりこうでなくてはな)

それはそうだろう、毎日戦場へ出向かねばならないというのに本性をひた隠しにして、「家」の中にいる時でさえストレスを溜め込んでどうするのか。それが契機となって些細なミスを犯し、ドミノ倒しのように大きな失態へと繋がって最終的に死にでもしたら―――ああ、これほど馬鹿げた話もあるまい。まさしくわけのわからぬ死だ。


戦場。
これは何も比喩表現を用いているのではない。純粋にそのままの意味で使ったまでだ。
彼女が一日の大半その身を置くのは、この上なく命の軽い戦の場なのである。
と言っても、その戦は人類が遥か太古より飽きもせず延々繰り返してきたそれではない。
アラガミという、冗談染みた超生命体との種の存亡を賭けた闘争なのである。勝つか負けるかではなく、喰うか喰われるか。自然界の法則に則った、言うなれば生存競争の一種だろうか。ともあれ人間同士の戦いとは全く根本を異にしていよう。

ではその戦況はどうなのかというと、これが人類に大いに不利。その一因として見逃せないのは、やはりアラガミに対して既存の兵器その一切が通用しなかったことだろう。
これはアラガミの身体が「オラクル細胞」と呼ばれる特殊極まりない細胞で構成されていたことによる。常軌を逸した強靭さとしなやかさを兼ね備えたこの細胞結合を、通常兵器で加えられる衝撃程度では到底破壊出来なかったのだ。
そんなデタラメな細胞があってたまるか、と言いたくなるのも分かるが、現実としてここにあるのだから仕方が無い。
こうした次第で、こちらからの攻撃は微塵も効かないくせに敵は紙細工でも破くかの如き容易さでこちらを殺せてしまうという、闘争に於いて最大級の悪夢が具現化した。
抗する術が無い以上、人類は敗れざるをえない。その個体数はいっそ笑ってしまいたくなるばかりの速度で激減し、歴史を積み重ねた果てに築かれた文明はアラガミの食欲を満たさんがための単なる餌と化した。朽ちて廃墟となるより悲惨だろう。

そんな世の中だから、こうしたただでさえありがちな悲劇がさながらバーゲンセールの如く大量発生する。

(そう、別に珍しいことではない)

親を、兄弟を、親族を、友を、おおよそ頼るべき一切を亡くして天涯孤独の境遇に堕ちる子供など、この空の下には掃いて捨てるほど存在するのだ。
彼女もまた、そんな変わり映えのしないよくいる餓鬼の一人だったらしい。
らしい、といったのは彼女の記憶の何処を探っても父や母と共にいた映像が見つからないためである。ここから推測するに、彼女はよほど小さな―――それこそ赤子同然の時分に両親を失ったようだ。果たしてそれは幸いなのか不幸なのか。

「愚問を唱えるのう、幸運だったに決まっとろうが」

容赦なく一刀の元に切り捨てたのは、祖母を名乗る老婆だった。
彼女と老婆の間に血縁関係があったかどうか、今となってはもう永遠に確かめる術は無い。が、

(無かったと見て間違いなかろう)

と彼女は合点していた。
もし本当に血の繋がりがあったとすると、必然彼女の死んだ両親、そのどちらかは必然老婆にとって実子にあたることになる。にも関わらず、かくも冷静に淡々と、その早逝を幸運と言い切れるものだろうか。

(否、断じて否)

祖母がそんな人間ではないことは、共に暮らした彼女自身が誰よりもよく分かっている。

(あの婆様なら親より先に逝くなど何事か、これ以上の不孝はないと激怒する。その裏に同量の悲しみを抱えながら。そういう人だ)


何故両親が早くして死んだのが幸運なのか、その理由を問うと祖母は笑って彼女の小さな頭をぺしぺし叩いた。

「今回は教えてやるがの、次からはもっと自分の頭で考えるようにするんじゃぞ。おうおう、ようけ中身の詰まっとるいい音がするわい。せっかくこうまでみっちり詰まってるんじゃから、使わにゃあ損じゃないかえ」

とどめとばかりに祖母は髪を滅茶苦茶にかきまわしていった。しなびた手がわさわさと蜘蛛のように蠢く感触を、今でも覚えている。

「なあに、至極簡単なことじゃて。お陰でお主は変にひねずにすんだ。もしあと何年かして、父母の愛を理解出来るようになってから死なれてみよ。やわなお主の心は激烈な感情の濁流で壊れるか、最低でも何らかの歪みが生じておったろう。そんなものを拾って態々矯正してやるほど、わしはお人よしではないわ」

いくら愛を注がれようと、それを認識出来ねば何にもならない。
憎悪や憤怒、悲嘆といった感情は何かを奪われてこそ発生するのである。逆に言えば、真実何も持たぬ者にはどうしたってその手のものは感じられない。
出会った時の彼女は正にその状態だった。何を失ったかも分かっていない、まっさらで生のままな状態。だからこそ祖母は彼女を庇護し、養育したのだと言う。

「でも」

泣きそうな声であった。彼女の胸の中には何やら自分がひどく悪いことをしているような、やるせない気持ちが次から次へと湧き出しており、声にでもして排出せねば五体が破裂してしまいそうだったのだ。

「でもそれじゃあ、いくらなんでもととさまとかかさまが―――」

―――哀れではないか、と言いたかったのであろう。されど当時の貧相な語彙力では、どうしても相応しい言葉を見つけ出せず、彼女のべそは余計に加速した。

「報われず、哀れじゃと。なるほどのう、よくぞそこまで気が回った」

だから、祖母がその言葉を代弁してくれた時は本当に嬉しかったし、救われたような気さえしたものだ。

「そう思うのは決して悪いことではない。むしろこんな時代によくぞかくも真っ直ぐ育ったと、わしア鼻が高いわい。しかしじゃな、気に病むのあまり無用に自責を重ね、ついには自虐へといきつくような真似だけはよすんじゃぞ。あんなものは百害あって一利なし、どうしようもない最底辺の人間がするもんじゃ」
「うん、わかってる」

自虐についての講釈はそれこそ耳にタコが出来るほど聞かされていたので、彼女は大人しく頷いた。

「お主が両親に報いたいと欲するなれば、月並みじゃが精々必死に生き抜いてみせよ。それが唯一、父母の死を無駄死にに堕とさず、注がれた愛への感謝を形にする方法じゃ」


ああ、そうだ。祖母はいつも彼女に対して二言目には生き延びろと言った。

「よいか、必要とあらば例え相手の靴を舐めてでも生にしがみつくんじゃ」
「冗談じゃろ、そげな誇りもなにもあったものではない真似をしてまで、わしア生き延びたくないわい」

舌っ足らずな喋り方はなりをひそめ、自我の芽生えが見えてくると彼女は時折祖母の教えに反発するようになった。

「戯けぇっ」

すると祖母は、荒れ果てた荒野のような顔面を真っ赤にして怒鳴るのだ。

「小娘がさかしらなことを抜かすでない、誇りの意味も分かっちょらん分際で」
「なんじゃと、老いぼれが」
「本当に誇りがあるのなら、一時の屈辱くらいなんじゃ。頭を垂れつつ腹の中には殺意を溜めて、逆襲の時まで耐え忍ぶのが正道じゃろうが。それを沸点低く、簡単にぶっちぎれてどうする。無為に死ぬだけなのは火を見るよりも明らかではないか」

お互い興奮して、いつ胸倉を掴んでもおかしくない雰囲気である。意見が食い違うと、彼女らは万事この調子であった。

「機が来なかったらどうする、いくら待てど暮らせど来なかった場合は。こんな事ならあの時暴発しておれば、と悔いながら生きよと言うんか」
「屁みたいなことを抜かすでないっ。己が踊る舞台ぐらい、手前で築く意気がなくてどうする」

受動的にただ待つのではなく、能動的に自ら動いて機を作れという意味だろう。

「昔日の平和だった時代ならわしもこんなことは言わん。当時は口でなんと言おうが、実際に命の危機に晒されることなど皆無に等しかったからな。が、今は違う。今日びお主のように死を美化する馬鹿は、本来三日も生きられん世になってしまったのじゃ」

平和だった世界で前半生を生きた祖母だからこそ言える、実感籠もった言葉だった。アラガミに世界が貪り食らわれていく、その一部始終を老婆は一体どのような心境で見届けたのだろう。

「酔っ払って安易に死のうとするな。そんなものは所詮、過酷な現実に立ち向かえない臆病者の逃げに過ぎぬ。真の強者とは、例えどんなに長く険しい道のりであろうとも、その途中で如何に屈辱的な思いをしようとも、決して投げ出すことなく歯を喰いしばって前に進める者をいう。よいか、生きることから逃げるでないぞ。とりあえず生きてさえいれば、どれほどの苦境・苦難であろうと跳ね返しうるんじゃからな」

当時の彼女にはさして響かなかったこの言葉が、やがてその中核―――背骨を貫き五体を支える信念になろうとは、とうの祖母自身思わなかったに違いない。


このように彼女を守り、多くを与えた祖母が、ある日死んだ。
死因は老衰、生きとし生けるおおよそ全てのモノの宿命である。驚異的な生への執着心から危機察知能力におそろしく長け、それをフルに活用すろことで幾度となくアラガミから逃げおおせた祖母でも、自分の寿命からだけは逃れられなかった。

「随分遠回りを重ねたものの、わしはついに辿り着いた。見よ、我が勝利はここにある」

彼女に手を握られながら、祖母が残した最後の言葉。
ひどく抽象的で理解し難くはあるが、その声色から、その表情から、籠められた思いは自然と伝わるものらしい。
祖母は真実満たされていた。最早この世に何の未練も残っておらぬと、晴れ晴れとした穏やかな心で最期を迎えていた。
枯れ木のような祖母の身体が、この時ばかりは内から光輝いているかのように彼女の瞳に映ったものだ。

「―――」

力が抜け、だらんと垂れ下がった腕。
物言わぬ亡骸と化した祖母に縋りつき、彼女はわんわん泣きに泣いた。
彼女にとって祖母とは親であり教師であり、またかけがえのない親友でもあった。彼女の半分は祖母のものと言っても過言ではなかろう。
故に血の繋がりがあったとか無かったとか、そんなことはどうでもよい。些末、二の次に過ぎない。彼女にとってあの老婆は、やはりどこまでいっても祖母なのだ。
然らばこの反応は当然、健常な精神性の発露に他なるまい。愛する者の喪失とは、斯くも重かりしものなのだ。

(なるほど、婆様の言った通りじゃ)

自然死、それも考えられる最高の逝き方をされてもこれである。もしもアラガミに捕食されるとか、その手の理不尽極まりない無念の死を目の当たりにした暁には、精神の一つや二つ壊れたとしてもなんら不思議ではない。
祖母の言った通り、そんなものを認識せずにすんだ己は幸運なのだと、彼女はこの時になって漸く真に理解した。



祖母が死んでしばらくすると、当たり前のように彼女は飢えた。
遺産を頼りになんとか細々と食い繋いできたとはいえ、元々たかが知れている額の上に収入が一切無いときた。これではいくら節制を心がけようと、底が見えてきてしまうのは道理だろう。
何かしら職に就こうと足掻きもしたが、十代前半と幼く肉付きもさしてよくない彼女を雇ってくれる場所は何処にも無かった。それはそうだろう、どう贔屓目に見ても満足に仕事をこなせるとは思えない。性別が男であったのならば、まだ見込みはあったのだろうが。

(これはいよいよ、身売りを考えねばならんかな)

が、そう捨てたものでもない。女にしかできぬ仕事というやつも確かに存在するではないか。
今でこそみすぼらしい様だが、整えさえすれば充分人並み以上になるのである。更に付け足すのならば、そちらの業界には彼女のような未成熟な少女にこそ興奮する客も多いという。
散々足を引っ張ってきたものが、悉く武器に変わるとはなんという皮肉だろうか。
このまま窮迫からの出口が見付からないようならば、本当に堕ちるも已む無し―――と血を吐く思いで決断しかけていた頃。彼女に一つの、決定的な契機が訪れた。

目下地球上で人類が生き延びられる場所と言えば、アラガミの研究・討伐を主として執り行う組織―――フェンリルによって建造されたコロニー以外に無い。
「ハイヴ」と呼称されるこのコロニーは周囲をアラガミ防壁という特殊な装甲で囲っているため、一応の安全が保障されているのだ。
彼女が生まれ育ったのは、極東に作られた第八ハイヴ。計十四万もの人間を収容する、半径千四百メートルの円形の「巣」である。これだけの人間がひしめき合っておれば、貧富の差が生まれるのは考えるまでもなく明らかだろう。
悲しいかな、完全環境都市たるハイヴにも宿命的に掃き溜めは発生するのだ。
住民同士の強盗強姦は当たり前、三日に一度は脳の煮立った宗教団体が怪しげな集会を開き、偶に哀れな生贄の悲鳴が響く。いっそアラガミに殲滅されてしまえと大抵の良識ある者が考えている悪徳の温床。
そんな場所で起こったとある事件の容疑者として、あろうことか彼女が拘束されてしまったのである。

(冗談ではないわい)

濡れ衣を着せられた彼女はあまりのことに呆然としつつも、同時にどこかで安堵していた。
進退窮まってとうとう身を売る決意をかため、残金はたいて少しでも肉付きをよくするべく比較的豪勢なめしを喰らい、暴漢に見付からぬよう周囲を警戒しながら抜き足差し足で掃き溜めにある風俗店までたどり着き、さあ入るぞと唾を呑み込んで足を上げた瞬間横から躍り出た男達に取り押さえられた。フェンリル職員殺害容疑がどうたらと言っていたような気がするが、要するに悪い時に悪い場所に居合わせてしまったという話だろう。
所詮は先延ばし、身を貪られるのが僅かばかり遅くなっただけと分かっているが、それでも心のたがが緩んでしまう。もっとも、この嫌疑が晴れなかった場合純潔どころか命まで奪われる公算が大なのだが……。

(大丈夫じゃろ、フェンリルとて無能ではない。早々に誤認逮捕と認めてくれようぞ)

楽天的な考えである。むろん、本心からのものではなくこう思い込もうという自己暗示だ。
今回のように己が生死をほぼ完璧に他者に握られてしまった場合、幾ら泣き喚いて無実を叫ぼうが無駄でしかない。
どうせ打つ手など無いのだ、ならば運の良さに賭けたいではないか。思いつめるのあまり気鬱になりでもしたら、それこそ最悪だろう。助かるものも助からなくなる。
故に彼女は、ひたすらに思考を楽天的な方へ方へと運ぶ。これもまた、生き延びる術の一ツなれば。

ところが、事態は彼女の想像を遥かに超えて斜め上へと転がっていた。
牢にぶち込まれる前に受けた検査、そこで採取された彼女の生体サンプルから驚異的といっていいまでの神機との適合性が認められたのである。
左様、神機。
これぞ人類存続の鍵。絶対の捕食者たるアラガミに対し、泣きたくなるほど貧弱な人類が抗し得る唯一の法理に他ならない。
その正体は簡潔に言うと、「人為的に調整されたアラガミ」だ。アラガミと同じオラクル細胞によって構成されているがために、連中の強力無比な細胞結合を「喰い破る」ことで破壊できる。
毒を以って毒を制す、鬼を斬るため鬼となる。なんのことはない、脅威と相対した際人はいつもそうしてきたではないか。言ってみれば使い古された手だ。
神機を扱う者が神機と文字通り一体化し、半アラガミ染みたものとなるのもそうした見地からすれば全く自然だ。何もおかしなところはない。
ただ、希望さえすれば誰であろうと神機使いになれるわけではない。完全に先天的な資質が必要とされる。
ざっくばらんに述べると、この資質とやらが適合性である。これを持たぬのにも関わらず無理に神機を扱おうとすると、神機に捕食されて肉塊になってしまう。実際、一昔前まではよくそうした痛ましい事故があったそうだ。

「ははあ、わしにそんなものが」

そして、彼女が有していたのは単なる神機との適合性ではなかった。
開発されはしたものの、こと極東においては未だ誰一人として扱える者の現れていない「新型」神機との適合性だったのだ。
故に驚異。単純な戦力の増強のみならず、さぞかしデータを吸い上げたかったのだろう。フェンリルはその名の通り、餓えた狼が如くこの「肉」に喰らいついた。

(愉快痛快。まっこと人生とは分からぬものよ、よもやこのような形で風穴が開くとは)

神機使い―――ゴッドイーターが如何に危険で命の軽い職業なのかは彼女とて重々承知している。
と言うより、ハイヴに住みながらそれを知らない方が珍しいだろう。既に一般常識の領域なのだ。
故に、神機との適合性が見付かりながら嫌だ俺はやりたくないと駄々をこねる者もいるという。
が、その反面給金は高く、衣食住までかなりの高水準なものが保証されるのがゴッドイーターだ。彼女の如き貧民にしてみれば、これは垂涎の楽土に他ならない。
中にはこの好待遇を指して特権階級だと悪し様に罵り、目の敵とする者もいるが的外れも甚だしい。骨を折った者がその報いを得るのが道理なれば、仕事の難度に従って報いが大きくなるのもまた道理。命の対価としてはこれでも安過ぎるくらいだ。

どの道適性が見付かった時点で逃げ道など無いのだ、いくら泣き叫ぼうがフェンリルは無理矢理にでもゴッドイーターに仕立て上げる。
然らばここで悲観などして何の意味があろうか。むしろ生活の場と強力な牙を手に入れられるのを喜ぶべきであろう。

(餓死も戦死もわしア御免じゃ。こうなれば、我が命を脅かすのなら例え神であろうと鏖殺してやる)

彼女の生に対する執着心は、既に狂気の域に達しているといっていい。
初めにその念を叩き込んだ祖母は未来予知と見紛うばかりの危機察知能力によって、数え切れないほどアラガミの襲撃から逃れてきた。
それが意味するところは、すなわち第六感の鋭敏化に他ならない。
不吉な予感、虫の知らせ……そうしたものを祖母は度外れた感度で感じ取り、かつその直感に躊躇うことなく身を委ねられる度量と胆力が備わっていた。だからこそ天寿を全うするという、このご時勢においては至極希少な最期を迎えられたのだ。
では、その特性をそっくりそのまま受け継いだ彼女が戦場に出ればどういうことになるのか。答えが判明するのに、さして時は要しなかった。

当たらないのだ。

アラガミがどんなに趣向を凝らした攻撃を仕掛けようとも、彼女には決して当たらない。必ず回避されるか、展開した装甲に防がれる。絶対に直撃はしない。
例え死角から無音のうちに奇襲をかけようが同じこと。本能と呼ぶべきものが思考を無視して勝手に体を駆動させ、その場における最善手を自動的に選択し実行する。脊髄反射に近いであろうこの動作で、対処に失敗したことはいまだかつて一度も無い。
相対するアラガミにとってはたまったものではないだろう。これも一つの理不尽の権化だ。
それでも最初期の頃は膝が震えてみすみす目の前で同僚が死ぬのを許してしまったり、攻撃の挙動が荒っぽく、雑で無駄の多いものであったりと、つけこむべき隙が確かに存在していた。もしこの当時ヴァジュラやボルグ・カムランに遭遇しておれば、さしもの彼女とてただではすまなかったろう。
が、休暇という概念を忘却したかのように毎日毎日ひっきりなしに出撃し、神機を振るい続けているうちにそれらは影も形も無くなってしまった。

「あんなオーバーワークでは遠からず潰れる」

と言われ、一見命知らずの馬鹿そのものな行動だったが、結果から見てみれば、身を危険に晒して命を大事にしたということになるだろう。命を大事にするといっても指先の怪我程度に一々死ぬような大騒ぎをするわけではない、むしろ死を避けるのに必須ならばどのような損害をも厭わないのが彼女という人間らしい。


先人達が何年もかけてようやっと登りつめた場所。それを一足飛びに通り越し、いまや彼女は前人未到の極地に立って猶も処女雪を踏み続けている。第一種接触禁忌種のアラガミを単独かつ無傷で撃破するなど、最早あらゆる意味で人間を超越しているだろう。
そして、そんな彼女だからこそ。
誰よりも死を忌避し、強迫観念染みた生への渇望を力の根源とする彼女だからこそ。
フェンリル極東支部支部長、ヨハネス・フォン・シックザールが極秘裏に進めていた計画―――「アーク計画」の全貌を知った時、大いに揺れ、惑い、狂おしく悩乱した。

「どうしたもんかのう」

フェンリル極東支部、通称アナグラのエントランスに設置されたソファーに身を沈めて、彼女はぽつりと呟いた。
その視線が彼女同様進むべき道に迷っているゴッドイーター、台場カノンに狙いを定める。

「カノーン、カノンや」

気だるげに間延びした声であった。猫を呼ぶかのように、ちょいちょいと手招きまでしている。

「………。あ、はい?」

出口のない迷路に迷い込んだがごとく、ひたすらに自問し続けていたカノンは一瞬狼狽しつつも現実に意識を回帰させた。

「ちょいとここに座って、話でもせんか。共に惑う者同士、胸襟を開きあえば何がしか新たな展望が開けるやもしれんぞ」
「私は―――いえ、そうですね」

それじゃ、と断りを入れてカノンは行儀良く対面のソファーに腰掛ける。

「あなたも迷っているなんて、ちょっと意外でした」
「第一部隊(うち)の衆は皆、どちらであれ旗幟を鮮明にしておるからのう。頭であるはずのわしがこの様とは、情けないことこの上ないわな」
「いえ、そんなことは」
「よいよい、擁護など無用よ。射線上に味方がいようが遠慮なくぶち抜くお主にゃ似合わん」
「そ、それは言わないでくださいよぅ。私だっていつもああじゃないんですから。ただ、その、いざトリガーをひく時になると……」

ごにょごにょと弁明を続けるカノンに、呵呵と笑って彼女は返す。しかしその実、内心彼女は他の誰よりもカノンを高く買っていた。
なぜならば、この台場カノンこそが天上天下に唯一人、彼女に対し直撃打をぶち込んだ存在なのだから。

(あの衝撃、忘れることなど出来まいよ)

彼女は己が超直感を自覚し、また頼りにもしていた。それが高じてこれさえあれば大丈夫、どんな戦場をもくぐり抜けられると思い上がるほど。
ところが彼の時、自慢の玩具は何の役にも立たなかった。一切何をも感ぜられぬまま、彼女はカノンの弾に撃ち抜かれたのだ。
例えるならばある穏やかな昼下がり、野原を歩いていたら突如地割れが起きて足元の大地が消失したような―――まさしく晴天の霹靂としか言いようのない事態。それに直面した彼女の心情は筆舌に尽くし難い。若干吹き飛ばされる程度の衝撃など、精神に喰らったものに比べれば物の数ではなかったろう。

「射線上に入るなって、私言わなかったっけ?」

有無を言わせぬ、氷のような声。罪悪感など欠片もなく、邪魔なんだようろちょろするな目障りだという不快の念が形をとったかのようだった。
彼女がカノンの渾名の一つ、「誤射姫」の意味を畏敬の念と共に―――なんて、ちょっとずれた形で認識したのはこの時である。

当節彼女の心中では様々な感情が入り混じって訳の分からない模様が描き出されていたが、その中で最大面積を誇る色は、あろうことか感謝であった。
己が増上慢、天狗の鼻っ柱をへし折ってくれたことに対する圧倒的感謝。もしあのままであったならいずれ頼みの綱の直感を自ら曇らせ、どこかのつまらぬ戦場で死骸を晒すはめに陥っていたと悟ったがゆえに。
自分も所詮取るに足らない、油断すればあっけなく死んでしまう存在なのだと。完全無欠の絶対者になど、どうあってもなれないのだと。死に対する恐怖、その本質を思い出すことができたから。
彼女はカノンに対し、もういっそ抱き締めたくなるまでの感謝と敬意を抱いたのだ。
むろん、それを口に出したりはしていない。誤射してくれてありがとうなどと言う輩は誰が見たって気味が悪いし、下手をすれば気が狂ったとさえとられかねまい。

「―――と、晴天の霹靂と申さばこれもじゃな。まさか終末捕食が単なる都市伝説ではなく、真実起こり得るものとは」
「ええ、本当にショックでした。今でこそちゃんと受け止められているけれど、最初はなんだか白昼夢を見ているような、目に薄い膜がかかったような、兎に角奇妙な感じで」


アラガミ同士の共喰いの果て、その行き着く究極のところ。史上最大のアラガミ「ノヴァ」が誕生し、地球そのものを喰らい尽くす―――それが終末捕食。世にありがちな終末思想の一つだ。
なんともスケールの大きな話である。そのせいか、根っからこれを信じている者は極めて少ない。精々が集団自殺を起こしたカルト教団ぐらいだろう。一般人には大抵、何を馬鹿なと鼻で笑われている。が、しかし、

「支部長と榊博士……この二人が認めている以上、疑う余地は無しか」

特にペイラー・榊博士は過去にアラガミ防壁の基盤を作り出すなどした、アラガミ研究の第一人者だ。そんな彼に対して反証を行えるほど、彼女もカノンも学識豊かではない。

「にしても、どいつもこいつも対応が早いったらないわな。未だ決断を下せておらぬのは、ひょっとするとわしとお主だけやもしれんぞ」
「リッカさんも先日決めちゃいましたしね。乗らないって聞いた時、ああ、やっぱりなあって思いましたよ」
「頑固一徹然とした所のある娘じゃからのう。ああした気骨の入っている、確たる自己を持つ者は見ていて清々しいわい」
「娘って。あなた確か、リッカさんより三つか四つ下でしょう」
「なんじゃ今更、わしの言葉遣いは今に始まったことではなかろう。第一それをいうならば、わしは同じく四つほど上のお主をお主呼ばわりしとるわけじゃが、それはよいのか」
「う、そう言われてみれば……」
「ふむん、随分疲れておるのではないかや。現実の輪郭がぼんやりしておろう」
「疲れもしますよ、告白しちゃうとここ数日碌に眠れてません」

自嘲気味に唇を歪ませ、カノンは深々とため息をついた。

「私にはリッカさんみたいに沈みゆく船を猶も信じて、最期まで運命を共にするだけの度胸も矜持もない。自分が死ぬのも、近しい誰かが死ぬのも嫌なんです。考えただけでも怖くてたまらないんですよ。でも、だからと言って世界中の人を見捨てて自分達だけのうのうと逃げ延びるなんて……きっと罪悪感と自己嫌悪がいつまでも離れない。べったり背に癒着して、いつの日かその重みに耐え切れなくなり潰されるのが目に見えるようです。結局どっちつかずの中途半端」

きっとそんな自分自身こそ本当に許せないのだろう。赤く充血した瞳が、それを何より雄弁に物語っていた。

終末捕食は避けられない。いずれ必ず来るものと定義して、ならばせめてそのタイミングをコントロールしてしまえというのがシックザール支部長の計画だ。
起こるタイミングが制御できるのならば、その間生かすべき命を安全な場所―――すなわち宇宙空間に逃がすのも可能となる。さながら大洪水を乗り切り種の保全を図る方舟、アーク計画の名に偽り無しというべきか。
補足すると、シックザールの言うところによれば終末捕食の先に待っているのは生命のリセットされた新世界との事である。何から何までかの伝説をなぞるようで、いっそ嫌味なものさえ感じられる。
問題は、人類総てが方舟に乗船できるわけではないこと。
その定員は実に千。これを多いととるか少ないととるかは各々の価値観なり何なりで異なるだろうから一概には言えないが、人類の総数から見てみれば、

「圧倒的に少ないな。人類総てどころか、この第八ハイヴから見ても一パーセントにすら届かん。雀の涙もいいところじゃ」

まさに命の選別、選民思想の極北。

「それでも零よりはまし、と考えてしまうのはあさましいことでしょうか」
「まさか、誰だって思うさ。誤解を承知で言わせてもらえば、人間なんて放っておけばいつの間にやらばんばん増えてる生き物だからの」

万年発情期は伊達ではないわ、と彼女は皮肉気に笑った。

「もっとも、アーク計画が発動しなければ必ずしも零になると決まったわけではない。終末捕食が事実だろうと、我々ゴッドイーターが事前にその芽を摘み取り続ければいいだけの話」
「できるんでしょうか、そんなこと」
「紙のように薄いが、まあ皆無ではなかろう。可能性はあると見た。が、そんなちっぽけな光明に縋れる者が果たしてどれほどいることやら」

倍率で言えば百倍か千倍か、あるいはそれ以上か。
言うまでも無く馬鹿気た賭けだ。こんなものに全財産はおろか五臓六腑の悉くをつぎ込むだなんて、冗談にもならぬ狂気の沙汰だろう。

「シックザール支部長はそうではなかった。彼は賢明じゃよ、物事を高い視点からよく見ておる」

もし仮にアーク計画を阻止し、人為的な終末捕食を喰い止めたとしてもその先に自然の終末捕食が起こってしまっては何にもならない。人類が滅亡したその後で、ごめんなさい、失敗しちゃったやっぱり私が間違っていましたなどと詫びても遅いのだ。

「あなたはアーク計画を正しいと思っているんですか?」
「筋は通っているし、何より堅固で確実な道だと思っておるよ。種の保全、人類の足跡を絶やさぬことを第一目標とするのなら文句の付け所が無い。ああ、じゃがしかし、終末捕食を防ぎ続けられる可能性があるのなら例えどんなに低かろうとそれを追い続けるのが正道だろうと言えなくもないし」

お手上げだ、と言わんばかりに彼女は天井の照明を眺めた。

「駄目じゃな、堂々巡りになっておる。可能性の話をしだしたらきりがない。すまぬなカノン、新たな展望どころかこれでは余計に混乱させてしまったようじゃ」
「いえ、そんなことは。弱音を吐けたお陰で、ちょっと気も楽になりましたし」
「ひとつヴァジュラでも狩りにいかんか」

なにをとち狂ったのやら彼女は話を急転直下させ、カノンを呆然とさせた。

「こういう時は引き篭もってうじうじ考えていてもよくないのよ。血が鬱して逆効果になるわい。それよりも思い切り暴れて泥のように眠った後にこそ、知恵というやつは湧いてくる」
「な、なんですかその体育会系みたいなノリ。大体私、こんな体調だからどんなヘマをすることやら」
「なあに、心配無用。私と共に出撃(で)る以上、何があろうと絶対に死なせなどせんよ」

ともすれば大傲慢ととられかねない台詞だ。彼女もそれを理解しているから、常日頃なら絶対にこんなことを口にしたりはしない。
にも関わらず今確かに言ってしまった。ということは、見えにくいだけでどうやら彼女の精神状態も大概並ではないようだ。

「ほれ、善は急げじゃ」
「あ、ちょ、待ってくださ―――ひゃあん、何処触ってるんですか!」

半ば引きずっていくような強引さで、彼女はカノンをミッションに連れ出していった。


結論から言うとミッションは成功。事前に言った通り、彼女は自分はおろかカノンにさえも傷一つ付けさせることなくヴァジュラを惨殺して帰ってきた。
が、アナグラに帰投した途端ぷつりと糸を切られたかのようにカノンは意識を喪失。鬱屈を晴らすかの如く、常時の倍近い苛烈さで目を爛々と輝かせながら戦っていたのもあり、ついに疲労が限界を振り切ったのだろう。安らかな寝顔を浮かべていた。

「よっ、と」

そんなカノンをベッドに放り込むと自室に戻り、彼女もまたその体を布団の上に投げ出す。
別に眠たいわけではない、それどころか今すぐにでも再出撃が可能なまでの体力が満ちている。

「血の巡りもようなった。思索を再開するとしようか」

さながら宣誓の如く呟いて、彼女は意識を自己の内海へと埋没させた。己が根幹を見つめ直し、最も納得できる答えを手にするために。

(わしにとって絶対に譲れぬものとは何か)

愚問。命を存続させること、これ以外に何がある。

(然らば話は簡単じゃ、アーク計画に乗ればよい)

カノンの前では言わなかったが、膨大な数の人間を犠牲にすることに対して、彼女はさしたる痛痒を感じていなかった。
元より彼女は不特定多数の誰かを守るためにゴッドイーターになったのではないのだから。ただ自分が生きるための手段、彼女にとってゴッドイーターとはそれだ。
無論、仕事に従事している内に誇りめいたものが形を成しはしたが、かといってそれと心中するだけの価値などこれっぽっちもありはしない。祖母の言葉を借りるのならば、こんなのは所詮安っぽいプライドでしかないのだから。
強きを挫き、弱きを助く―――ああ、確かにそれは人としてかくあるべき模範の一つなのだろう。彼女とてこの格言を否定する気などさらさら無い。
されど盲目的にこのフレーズを信奉して酔っ払い、強者に対して要らでもな反骨心を抱き、目を皿のようにして粗を探し、見つけるや否や例えそれがどんなに些細なことであろうと噛み付いて息の根が止まるまで離そうとしない輩は馬鹿以外の何者でもないと断じていた。
弱者と見ればそれだけで丁重に保護すべき対象のように扱うなど、更にその下、最早救いようのない痴愚。
先天的な素質のなさや欠陥などからどうしようもなく弱者の立場に堕ちねばならず、その悔しさに歯を喰いしばって耐え忍び、足らぬ身であると自覚しながらいじけることなく精一杯生きんとしている者ならば、なるほど守るに値しよう。その甲斐があるというものだ。
だがしかし、私は弱いのだと、かわいそうな人間なのだから貴様等俺に同情しろと言わんばかりの顔をして、ちょっとでも救助に駆けつけるのが遅れてかすり傷でも負おうものならまるでこちらを人非人のように扱う連中の、一体何処に守る価値がある。

(アラガミより、むしろこちらにこそ殺意が湧く)

だから彼女は、命の選別に対して別段抵抗を感じないのだ。
力ある者の責務? 知ったことか阿呆らしい。そんなものは屑の戯言、強者を理屈の上だけでもなんとか制御下に置き、己の方が上位に立っていると錯覚したがる恥知らずどもの妄想だろう。
そして上手くできていることには、世にはこうした「強いことは悪いこと」な価値観に嵌まりたがる強者が存外多いのだ。彼等の欲求とは突き詰めていけば、

「ああ、なんて俺は罪深い。こんな自分は世のため人のために奉仕せねばとても救われぬ」

と自虐の快感に耽り、もっともらしく塗り固められた大義名分を手にすること、これに尽きる。なんとまあ狂った話だろうか。

「憂慮すべきは―――ソーマ、サクヤ、アリサ。やはりこの三人に収束するか」

見ず知らずの他者などどれだけ死のうがどうでもいい。それよりも、身近にいるたった一人が失われる方が兆倍苦痛なのは人として当然の生理である。
共に学び、共に笑い共に泣き、戦場を駆け抜けた第一部隊の仲間達。彼等はアーク計画に反対し、その意図を挫かんと画策する側にまわっていた。サクヤとアリサなど既に犯罪者としてフェンリルに追われる身だ。
アーク計画に乗るというのは、すなわちこの三者を切り捨てること。その事実が彼女に最後の一線を越えさせまいと立ちはだかっていた。
特にアリサ・イリーチナ・アミエーラとは肌を重ねて互いの心を伝え合った―――何も間違ったことは言っていないはずである―――仲なのだ。どうしてこれを切り捨てられよう。

「しかし、よしんば彼等に同調しても今度はコウタの願いを砕くことになる」

彼女と同日にフェンリルへ入隊した藤木コウタは、アーク計画の全貌を知らされた際はっきりと表明した。自分はアーク計画に乗るんだ、と。
家族への愛に裏打ちされたその決断、よもや覆りなどすまい。

「どの道無傷では収められぬ、か。いや、しかしそれでも、なんとか流血を最小限に止める術はないものか」

華がなくともいい、みっともなくてもいい。なんであろうと手段は選ばぬと、考えに考えて―――。

「ある」

彼女は一つの結論に達した。

「事ここに至れば仕方が無い、無理矢理にでも気絶させてふん縛り、方舟に放り込んでしまおう」

それはまるで癇癪を起こした子供の発想。相手の思いなど一切斟酌せず、ただ我を貫くことしか念頭にない暴虐に他ならなかった。

「怨まれはするだろう。蛇蝎の如く憎まれもするだろう。しかしそれでも、喪失の痛みに比べればずっとましじゃ」

このあたりが彼女の限界なのだろう。さらりとしていない、むしろ粘着気味である。彼女も所詮女の枠を超えられなかった。
男性的発想ならばここは、流血が必至とあらばいっそ一思いに―――と相手の意思を尊重し、それを貫いたまま死なせてやろうと決意するのだろうが、彼女はもっと俗物的かつ利己的であった。早い話が、情緒に欠ける。

「それにはわしが直接彼等と対峙して、叩きのめさねばならんな」

果たしてそれができるかどうか。互いに勝手知ったる仲間が相手なのである、しかも最悪三対一。
どう考えても一筋縄ではいかないだろう。場合によっては手加減できず、殺してしまうやもしれない。

「そうなったとしても、わしのあずかり知らぬ所で死なれるよりはずっとましじゃ。そう、どこぞの馬の骨にくれてやるくらいなら、いっそこの手で……」

流石に声が悲痛であった。が、内では既に尋常ならざる覚悟が渦を巻きはじめている。

(許せなどどは口が裂けても言えん。憎悪されるのも当然じゃ。けれどそれでも、お主等の意思を陵辱し、屍を踏みしめることになろうとも、わしは先へ生かねばならんのだ)

―――何のために? 生きているものはただそれだけで素晴らしいと、世迷言を信奉しているわけではあるまい。

(決まっておる、勝つためじゃ。婆様のような勝者になることこそ、我が生涯の主題)

―――では、その勝利とは何ぞや。具体的に何を指す?

(分からぬ。わしはまだ未熟ゆえ、その実像を掴むに至っておらん。まるで霧じゃ、霧がたちこめて視界を奪っておる)

そして、なればこそと彼女は一層強く思う。

(今はがむしゃらに生きねばならぬ。生きて生きて生き抜いた果て、自己研磨の末にはきっとこの霧も晴らせよう。そう、何をおいても生きておらねば全ては始まらないのじゃ)


腹は決まった。
情感の上でも理屈の上でも、これこそ己が歩む道と太鼓判を押せる。

「決めたぞ、わしはアーク計画に―――」

乗る、と言おうとしたその刹那。彼女の全身は金縛りに襲われたかの如く硬直した。

「ぬ―――くっ、は……あっ……」

唇が、舌が、声帯が麻痺して動かせない。口から漏れるのは言葉にならぬ喘ぎだけだ。

(な、何ぞ?)

ほどなくして気がついた。何かが彼女を止めている。
よせ、よさんか。その選択は間違いだと、肩を掴んで離さない。

(馬鹿な。理はある、この上なく正確に積み上げられた理があるというのに)

なら、それの正体はさしずめ理外の理。第六感、本能に属するものであろう。はっきり言ってしまえば直感である。
いったいこれはどうしたことか。これまで彼女の生命を守るにあたって最大の貢献をなしてきた直感が、生き永らえるための決断を阻んでいる。矛盾が起きているのだ。
もし仮に直感をこそ信じるのなら、この矛盾が意味するのは、つまり―――

(見落としがあるということか? わしや榊博士はおろか、支部長ですら気付いていない致命的な穿陥が、アーク計画に)

そう考える以外になかろう。アーク計画など所詮は徒花、実の生らぬ花に過ぎないと。
科学的根拠は何も無い。なんの論拠もなしに、ただなんとなく嫌な感じがするのでこれは欠陥品だと思いますなんてふざけているにも程があろう。仮に良識のある大人が聞けば失笑するか、さもなくば激怒するに違いない。

「馬鹿も休み休み言え。シックザール支部長の下、数多の専門家が結集して築き上げたプロジェクトだぞ。一発で瓦解してしまう危険性を孕んだ穿陥に気付かないなんてはずがあるか」

とでも言って。
良識と本能が激突し、がりがり互いを削り合う。そんな混沌とした彼女の脳内に、あるイメージが光輝を纏って飛来した。

(………シオ)

どこか舌っ足らずな喋り方をする、天真爛漫なアラガミの少女。その肌のように純粋無垢な心の持ち主であるシオに、彼女も少なからずひきつけられた。
真っ白ということは、見方を変えればどんな色にでも染められるということ。とくれば俄然教育欲が湧いてくるではないか。その点、シオは非常に呑み込みの早い所謂「いい生徒」だったためなおのこと教え甲斐があった。

(幼児であったわしを拾った婆様も、あるいはこんな心境だったのやも知れぬ)

シオの頭を撫でながら、そんな風に遠い日へ思いを馳せたものだ。誰かを己が色で染め上げる愉悦―――なるほどこれはたまらない。

だが、そのシオはもういない。シックザール支部長の手の者によって奪い去られ、今頃はもうコアを摘出されてしまった後だろう。

(あの男は躊躇などすまい)

何故ならシオこそアーク計画における最大最後の鍵だから。終末捕食を起こすノヴァの核として、支部長が血眼になって追い求めたものだから。
口惜しくは、あるけども。
仇を打ってやりたいとも、思うけれど。
死者に拘泥するあまり命を喪失してしまうような行動が、彼女にはどうしでもできない。根本的にそんな形になっているのだ。

(……ん?)

と、ここで何がしかの引っかかりを覚え、彼女は一旦この思考を停止させた。

(待て、待てよ。シオのコアがノヴァのコアに、という事は―――そも、アラガミのコアとはどのような代物じゃった?)

古びた記憶を掘り返し、コウタやアリサと共に受けた榊の講義へ立ち返る。
アラガミとはカツノオエボシの如き細胞の群体であり、消化器官等の臓器は存在しない。オラクル細胞自体が捕食を行うから不要なのだ。
このオラクル細胞群の指揮、統制を行いアラガミをアラガミたる形に保っているのがコアだ。コアが残っている限り例え体を砕いても、いずれ再びそれをよすがにオラクル細胞が結集し、全く同一のアラガミが復活するあたり、コアこそアラガミの本体と言えなくもない。

「まさ、か―――!」

天啓のように、彼女の中を一つの想像が駆け巡った。

(いや、まさかそんな。いくらなんでもロマンティックに過ぎる。まるで前時代の餓鬼共が愛読した御伽噺ではないか)

ところがどうしたことやら、その御伽噺こそが真実に違いないと確信する己も確かにいるのである。

(この想像が正しければ、確かにアーク計画は失敗しよう。その気配が濃厚じゃ。博士や支部長が気付けぬのも道理、むしろ学問に秀でた者ほどこの穿陥にはまる)

最後と思っていた選択肢、だがその先にはもう一段、更なる選択が待ち構えていた。
流石にこれ以上はないだろう。これから下すものこそ、真に最終最後の決断。
現実的な土台のもと、営々と積み上げられた理を信じ貫くか。それとも直感以外に何も頼るところの無い、女子供の絵空事に飛びつくのか。

「まあ、考えるまでもないわな。自分を信じる、それ以外に何がある」

迷う事など欠片も無いと、彼女は即決してみせた。



アーク計画遂行の地、エイジス島が崩壊し、月がかつての地球のような緑あふれる星へと変貌したのはそれから数日後のことである。
この結果から、彼女がどちらを選択したのか答えはおのずと窺えよう。

「かくして人は相も変わらず穢れた大地にへばりつき、見えれども届くことなきかの楽土へ焦がれ続けるか。それもよかろう、悪くない。こうして足掻き続けておれば、いつか真っ当な手段で、なんら気兼ねすることなくそこへ行ける日が来るやもしれんしのう」

彼女が歩みを止めることはない。誰よりも泥臭く、必死で、そして臆病な生き方をこれからもずっと続けていくのだろう。
積み重ねられたアラガミの死骸。月光を浴びるその頂上で、無意識の内にそっと神機を撫でながら、彼女は静かに微笑んだ。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.00470495223999