(農文協・2730円)
反TPP(The Trans-Pacific Partnership Agreement=環太平洋経済連携(パートナーシップ)協定)の立場を露骨に示す邦題だが、実は原題を忠実に訳している。編著者はオークランド大学教授。TPPを立ち上げた4カ国のひとつであるニュージーランドと続いて参加した豪州から19名の法律家・エコノミストが寄稿して、2010年にオバマ政権主導で推進されるようになったこの協定につき様々な分野と視点から精緻に分析している。
日本では昨年末に菅前首相が「国を開く」というキャッチフレーズで関係国との協議開始を指示、大震災でいったん先送りしたものの、今また野田首相が農業再生策に絡めながら参加に熱意を示し始めた。
けれどもわが国での推進論には首を傾(かし)げたくなる。関税撤廃で貿易と投資を自由化すれば、製造業は一層の競争力を得て輸出を増やす。一方、これまで保護してきたにもかかわらず担い手が高齢化した農業も、開国で競争力をつければ再生する。そう主張される。だが(外国との比較で)競争力をつけたからといって、その産業が輸出できる(もしくは輸入財に負けない)という保証はない。
仮にわが国のすべての産業が世界一の技術力を誇っているとしよう。日本製品は、いったんは自動車からコメに至るまで、大いに輸出されるだろう。けれどもそれで貿易黒字が貯(た)まれば、中長期的には円高になる。外国からすれば何%かの価格引き上げと同じことだから、それに耐えられない分野は輸入に回るだろう。
この円高を回避する工夫が、ゼロ金利だった。外国のたとえばドル資産の方が利率が高いから、それに投資すべく円でドルが買われて円安になる。
ここで犠牲になったのは、自動車産業ほど抜群に世界一とはいえず、円高の下で外国に勝てなくなった産業だけではない。金利を当てにできなくなった預金者やドル建てで人件費の高騰した労働者も、自動車輸出の犠牲になっている。
推進派は「競争力幻想」に微睡(まどろ)んでいるのではないか。だが市場はオリンピックではない。すべての分野が勝つことは不可能である。これはリカードの比較優位説を持ち出さなくとも普通に推測できることではないか。
日本の農業は、外国より高品質の産品を作っても疲弊するに違いない。日本の自動車を超えるほどの比較優位を持つことは困難だからだ。ライバルは外国の農産物というより、日本の自動車産業である。
それだけではない。さらに重要なのはその先だ。本書には多様な議論が混在するようで、その先を見据えている。TPPは市場競争からの保護につながる「経済的規制」の撤廃を唱える協定には止(とど)まらない。「社会的規制」をアメリカが自己都合で変えさせてしまう点でこそ「異常な契約」なのである。
本書で取り上げられる推測を列挙しよう。一つは畜産物への抗生物質の使用基準、野菜への遺伝子組み換え、そして残留農薬基準など食品の安全基準について、通商代表部がアメリカの国内基準を押しつけるだろうということだ。
二つには、アメリカは知的財産権の強化を主張するだろう。医薬品の特許権期間を延長したり、ジェネリック医薬品の製造に必要なデータを秘匿したりして、途上国における医薬品価格を引き上げるだろう。
三つには、投資家の求めに応じて、リーマン・ショックの原因となりここ数年で課された国際的な資金移動や金融に対する規制の撤廃が、早くも進められるだろう。これにより政府は金融危機を防止する手立てを制限されるが、それだけではない。規制を課した政府が、企業や投資家に告訴されるだろうというのだ。
これらはいずれも貿易と投資の自由化を名目として、各国が独自に定めてきた社会的規制が撤廃されるということである。しかも驚くべきことに、TPP交渉は締結まではテキスト案やペーパーを公表しない秘密主義をもって行われている。ただでさえ社会の骨格を築く社会的規制が外圧により撤廃されるというのに、一般市民は交渉過程で協定の内容を読み、影響を評価することができないのだ。
そのうえ交渉に加われるのは政府関係者に限られ、輸入から直接の大打撃を受けるであろう先住民や労働組合は話し合いの場を傍聴することも許されない。秘密主義はオバマ大統領が、米国内で批判勢力をかわすためというのだが。
これらはニュージーランドや豪州の体験から推測されたことである。日本で注目されている農業だけではない、TPPは民主主義すらも危機にさらすだろうというのが、本書の予言である。
「サムソン憎し」というのが財界推進派の心情に違いない。だが、たとえサムソンに勝てたとして、それは国民に食料の安全や安価な医薬品を放棄させ、金融危機リスクにさらしてまで得るべき勝利なのか。政治的主権を捨てるほどの利益がもたらされるのか。再考を迫る一冊だ。(環太平洋経済問題研究会ほか訳)
毎日新聞 2011年10月23日 東京朝刊